男女美醜の反転した世界にて
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反転した世界にて7 (裏)
前書き
告白シーンの要望(?)がございましたので掲載させていただきます。
時は遡って。彼らの交際期間一日目。厳密にいうならば、『翔子と拓郎が交際を始める直前』にまで、時間を巻き戻す。
さて。翔子は基本的に、良くも悪くも直情的な性格の持ち主だ。一度これと決めたら、あとは盲目的になる。よほどのことがない限り、途中で足踏みをしてしまうというようなことはない。
――その、"よほどのこと"というのが、一体どれほどのことなのか、などという論議をここでするつもりはない。
とにかく、そんな猪突猛進で向こう見ずなタイプの翔子にとって、しかし、『拓郎が誰よりも早く教室から出て行ってしまった』という事実は、彼女にとって確かに"よほどのこと"だった。
「えぐっ……ずず……うぅ」
「ほら、元気だしなって」
「ごんどは……、ごんどこそは、って、うぅう……」
教室の隅っこで、翔子は膝を抱えて号泣していた。
――HRが終わり、いざ参らんとばかりに席から立ち上がった翔子だったが、その目の前を、拓郎は翔子の方に脇目すらも振らず、教室から飛び出していった。
すれ違う刹那、翔子は拓郎の声が聞こえた気がした。
『白上さんに告白されるなんて冗談じゃない。僕は帰らせてもらう!』
結論から言ってしまえば、それはもう徹頭徹尾完璧に、幻聴以外の何物でもなかったわけだが、しかし、彼女を臆病者と罵ることは、果たしてできるのだろうか。
十数年間、ブサイクだのキモいだのもやし女だのと蔑まれてきたのだ。そうやって培われた、心の根っこの部分というのは、どうしたって誤魔化せるものではない。
「うぅっ、ひっぐ、えっぐ、うぇええ」
「おうおう、よしよし。辛かったねー」
「今回はかなりの重傷だね」
「一週間は立ち直れないかなぁ」
「やけに自信満々だったからねぇ……。それがこれだもんね……南無南無」
そんなこんなで、翔子はすっかり自分がフラれてしまったものだと勘違いして、友人たちの生温かい慰めを聞きながら、己のモテなさとブサイクさを悲観していたのだった。
――しかし友人たちにとって、翔子がこんな風になってしまうことは、頻繁にとは言わずともよくあることではあった。
翔子がこうなってしまった時は、とりあえず存分に泣かせておいて、下手に慰めたりしないこと(何が逆鱗に触れるかわからないので)。
とりあえず、カラオケにでも誘ってやろう。愚痴ぐらいは聞いてやるさ、と、友人たちは方針を定めかけていたのだが、
「な、なにこれ。一体全体どういう状況?」
首を傾げながら、携帯を片手に現れたのは、拓郎の親友にしてツインテールの眩しい男の子、荒井祐樹だった。
――彼の来訪に、友人たちは密かに心の中でため息をついた。
翔子がこんな状態でさえなければ、荒井のような美男子がわざわざ自分たちに話しかけてくれたことを喜んだものの。少なくとも今だけは、翔子をそっとしておいて欲しい。
しかし、荒井が一体何をしに来たのか、友人たちにはそれが読めない以上、無下に追い返したりすることもできない。――そもそも、友人たちだって翔子ほどとは言わずとも、非モテ系の女子に位置するグループなのだ。男の子に対して、どういう風に接すればいいのか測り兼ねているという側面も、忘れてはいけない。
「あ、あらいぐん……?」
「ん? なに?」
友人たちが、荒井に声をかけるよりも先に、翔子はパッと膝から顔を上げて、荒井の方を見つめだした。
泣きっ面に濡れた顔は、それはそれは酷いものだった。
「うぅ、えぐ……あ、あの……」
「なによ?」
唇の端を持ち上げてひくひくと痙攣させているのは、恐らく笑っているつもりなのだろう。
緩み切った涙腺からは、未だ滴がボロボロと零れて頬を濡らしている。
「あ、あがざわぐんに、そ、その……」
「おう」
ぐしょぐしょになった顔のまま、それでも無理やり笑いながら、翔子は途切れ途切れに言葉を紡ぐ。
「ご、『ごべんね』って、『いやなぎもぢにさぜで、ごめんだざい』、っで、づ、づだえで、えぐっ……」
「…………」
――この時ばかりは、友人たちも本気で翔子を哀れに思った。
そして、翔子がどれだけ拓郎に対して、深い想いを抱いていたのかをを悟る。フラれてしまったのは自分なのだから、 に 嘆いていればいいというのに。
――そんな翔子の健気さすらも、しかし、男子にとってみればそれすらも不快なものでしかないというのか。
「いやいやいや。意味わからん」
「あ、う。……ご、ごべ。ごべんなざっ、げほっ、けほっ」
「ガチ泣きしすぎだろ。ぶっちゃけ引くわ」
そんな翔子の姿を目の当たりにしながらも、その言葉を確かに受け取ったにもかかわらず、荒井の様子には何ら心を動かされた気配はない。
携帯からも、終始視線を動かすことはなかった。流石に、友人たちも黙ってはいられない。カッとなったそのうちの一人が、翔子に物申してやろうと口を開きかけたのだが、しかしそれを遮るように、荒井は言う。
「割と真面目にシリアスしてるところ、悪いんだけどさ。はやいとこ泣き止めよ」
荒井は後頭部を掻きながら、ようやく携帯から視線を動かして翔子たちの方へと向ける。
そして何でもない事のように、とんでもないこと……のように見えて、やっぱりなんでもないことを言ってのけたのだった。
「拓郎、今屋上にいるし」
◇
翔子は屋上の扉を開け放つ。立てつけの悪い引き戸の扉が、ガタンガタンとけたたましい音を響かせる。
――果たして荒井の通達通り。赤沢拓郎は、屋上のフェンスの前に佇んでいた。
拓郎はゆっくりと、屋上の扉の方――馳せ参じた翔子の方へと振り返る。――実際には、拓郎は誰かがやってきたことに気がついて、弾かれるように体の向きを反転させたのだけど、翔子の目には、拓郎の動作はとてもゆったりとしたものに見えてしまったのだ。
「……」
翔子の目に映る拓郎は、いつもの眠たげな無表情だ。何を考えているのか、何を思ってこの場所に来てくれたのか。その面構えからでは、何一つとして読み取ることは出来ない。
――初めは、翔子もそんなミステリアスでクールな雰囲気の拓郎に、ただ憧れていただけの一人だった。
高嶺の花とは、まさに正鵠を得た表現で、お付き合いをしたいとか、仲よくなりたいと考えるより、離れたところから眺めていられればそれで十分だった。例えば授業中とか。彼が居眠りから起きた直後、眠り足りなさそうに瞼を擦っているところなんかを遠くから観察しているだけでも。それが出来るというだけでも、翔子にとっては幸せなことだったのだ。
「! ……」
扉からフェンスまでの距離が離れているうえ、風も強い。
だから拓郎が口動かしていることはわかったが、翔子はその声を聞き取ることが出来なかった。――けれど、拓郎が不器用そうに微笑んでいたことだけは、翔子にも伝わった。
――そう。その笑顔だ。
それは、昨日のこと。文化祭の出し物を決めるため、クラスメイト達が総出で議論を白熱させていた時のこと。
翔子は高揚したテンションに身を任せて、拓郎に話しかけた。
この時、拓郎は急に話しかけられて、ひどく狼狽していたように見えた。次の瞬間には、『目に毒だからあっちいって』とかって言葉が拓郎の口から飛び出すかもしれないと、翔子は覚悟していたのだったが。
『……? ど、どしたの赤沢さん』
『べべべ、別に。そっちこそ、どしたの?』
――あの時垣間見た、はにかむような微笑に、翔子はやられてしまったのだ。
今まで数々の男子から蔑まれてフラれて続けていた翔子はそれだけで、彼が自分に対して嫌悪感を抱いてはいないのだと確信してしまった。
その笑顔をもっと見たいと――仲良くしたいとか、お付き合いしたいと、本気で考えるようになってしまったのだ。
「……し、白上さん? なにかあったの?」
「う、んにゃ、気にしないで、えへへ」
恐る恐る、拓郎の方へと歩を進めていた翔子。
風の吹く屋上の上であって、お互いの声がはっきりと聞こえてくるくらいにまで近づいているのに、拓郎は翔子から離れようとするような素振りをまるで見せない。
それどころか、どこか様子のおかしい翔子を心配してくれている。ここに至って、翔子はようやく自分の早とちりの勘違いを反省するのだった。
「気にしないでって言われても……」
「そ、それより! その、伝えたいことがあるの」
「! ……、ぅん」
伝えたいことがある、と。その言葉は翔子にとって確かに本心だったが、しかし真実ではなかったかもしれない。
休み時間に、拓郎を屋上に呼び出した後。翔子は六限目の授業中、如何にして自分の気持ちを拓郎に伝えるか、ただそれだけを考えて、一限を過ごしていた。
自分が拓郎に憧れた理由を、拓郎が如何に美しく可憐で高嶺の花のような存在であるかを、原稿用紙換算で数十枚にもわたるような言葉の数々で彩って、拓郎に語り聞かせようとする準備を整えていたりした。女性向けゲームのやり過ぎである。
しかし、実際には翔子が暗記した告白論文が、拓郎に対して公開されることはなかった。
――翔子が拓郎に伝えたい言葉は、たった一行であらわすことができるのだから。
「好きです! 私と付き合」
「よろこんで」
「え」
「あ」
――こうして、翔子と拓郎は付き合うことになったのだった。
◇
それからというもの、翔子の人生はこれまでからは考えられないほどに輝きまくっていた。
思いが成就したその日の放課後、駅までではあったけれど、拓郎と肩を並べて一緒に帰り道を歩くことができた。その最中に、連絡先を交換するところまで行ったところまでは、翔子の記憶にもしっかりと記されている。
しかしその後のことは、実のところ翔子はよく覚えていない。気がついた時には、翔子は友人たちに告白成功の報告をメールで送信していた。
彼女がメールを送った対象は、学食にて告白を宣言した四人に対してだけだったのだけれど、返信されてきたメールはその何倍もの数に及んでいた。
「――はっ……!?」
――翌朝。自室のベッドの上で目を覚ました翔子は、いつの間に眠ってしまったのかと考えて、昨日の出来事を思い出そうとする。
――そして、自分が拓郎に告白して、それを受け入れてもらったことを思い出した。
思い出したのだが、――ああ、夢か。と。納得しそうになる。
――あの〝春眠暁の眠り彦”が、自分のようなもやし女と付き合ってくれるなんて、そりゃあ夢でしかないよ……などと心の内でつぶやきながら、何気なく自分の携帯を手に取って、
「……――っ!!」
電話帳の一番上に記されている、拓郎の連絡先を見て、昨日の出来事が夢ではないことを察する。
――が、今度はこの現実こそが夢なのではないかと不安になり、しかし携帯に届いている友人たちや、ほとんど面識のない女子からと思われる、嫉妬に満ちたメールを見て、やっぱり現実なのだと納得するというような、ふわふわとした朝を過ごすこととなった。
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