王道を走れば:幻想にて
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第五章、その2の1:圧倒
雪片がひらはらと雲海から落ちていく。鳥ですら届かぬような高みから落下するそれは、吹きつける強風によって白の峰の頂を掠めて、やがて石造りの遺跡へと向かっていく。近付きつつある嵐を前に避難するつがいの鳥をかわして、雪片は遺跡中央の宮殿らしき建物へと向かっていく。その損傷の激しさは一体何を物語っているのか、雪片には理解ができない。ただそれをそのままにしてしまうのは余りに侘しいものだと言わんばかりに、雪片は宮殿をぐるりと囲う崩れかけた螺旋階段に落着する。
もうすぐ、雲海からは濁流のように雪が降る筈だ。それが積もればこの遺跡には厚い化粧が施され、身体の傷を白粉で隠す事ができよう。冬の陽射しを浴びればさぞや美しい光景となるに違いない。その時、自分は積雪の中できっとーーー。
ーーーおのれ、ちょこざいなっ!!
力強い羽ばたきが宮殿の外壁にかかり、大きな爪が壁を崩す。その爪はすぐに離れていくが、後を追ってきたように幾本もの氷の柱が飛来して外壁に突き刺さる。その鋭さのあまり、壁の向こう側まで貫かれてしまった。況や人体に食い込めば致命傷を負わないでいられないだろうか。而して氷の柱が狙っていたのは人ではない。鳥獣の如く獰猛で御伽噺のように荒唐無稽な存在、すなわち一匹の龍であった。
空駆ける龍の身体は傷らだけであった。鱗の隙間からは刃傷による流血が見受けられ、腕や尻尾、更に腹部には氷の柱がまっすぐ突き刺さっていた。肉厚な身体のため臓器は傷ついていないようだが、それでも十二分なダメージになっている事には違いない。龍の顔つきは怒りや痛み、そして焦りが滲んでいるかのように歪んでおり、眼下を蠢く忌々しき生物達を睨んでいた。『そいつらのせいで傷ついたのだ』と考えると、ますますと心が掻き立てられ、龍は一気呵成に急降下し、牙の餌食にせんと顎を大きく広げた。
だが眼下の生物達、召喚魔法によって使役された人間の死体達は、そのあけすけな攻撃をいとも容易く回避する。鷹と見紛うほどの速さであったそれを避けた彼らは、各々武器を『召喚』させて反撃に転じる。中空からは氷の柱が、地上からは青白く透明な刃が、容赦なく龍に傷を負わせていく。一つ一つは小さくとも幾つも重なれば重傷足り得る。龍は怒り散らすように尻尾を振り抜いた。家屋の死角から迫って来たために、また一人肉体を粉々にされてしまう。
「案外・・・」と、戦闘の様子を見守っていた老人、マティウス=コープスは零す。傍には屈強な傀儡が一体控えていた。傀儡の割にこの待遇は、彼の中でこの個体を特別視する理由があるからだろうか。
「戦闘は拮抗するようだ。さすがは古より伝えられし最強の有翼生物。火を吹かないのには拍子抜けだが、それ以外は伝承通りじゃないか」
「・・・ですが、不満と」
「ああ。伝承から推測できる部分は数多くあった。たとえば個体によって戦闘力や、好戦意識にも差異があるだろうと。龍の寿命が長いゆえ、一つの個体が数世代にわたり、あたかも複数の龍と誤認されるのだろうと。
あれの戦いぶりを見る限り、正体にも察しがついたよ。あれは嘗て、このヴォレンドで狂王に仕えていたという龍、サー=ドリンだ。誰にも屈さぬ龍属の中で、唯一、人間に忠誠を誓ったとされる伝説の龍だ。狂王の死とともに南に飛び立ち、以後姿を晦ましたとされていた。それがここに戻って来たという事は、狂王の復活の兆を嗅ぎ付けたという事なのだろうな」
そうこう説明する間に攻防は激化する。振りかかる魔術を耐え抜きながら、龍は流星とも思わんばかりの突撃して一体の傀儡を見事に咥える。直後、その軟な身体は茶菓子のように噛み千切られてしまった。これ程の気迫に満ちた光景を見ても尚、マティウスの心を揺さぶられない。一件凄まじいとも思える攻撃であるのだが、傀儡を一体殺すまでに受ける魔術の量は明らかに上昇している。これの意味するところは、龍の体力に限界が近付きつつあるという事であった。ゆえに先程の突撃も冷静に見れば、周りの状況をよく見ない捨て身の攻撃といっても過言では無かったのだ。
マティウスは失望する。障壁を破った時のように魔力を使えばいいものを、あの龍は全く行使しない。何か切り札があるかと思ったがそれも全く見受けられない。どこまでも期待外れの戦闘能力であったのだ。
「・・・つまらないな。戦い方は至って単純。圧倒的な質量を頼みとして、ただ只管に相手に迫るだけ。攻撃が届く範囲を見極めれば傀儡を失わずに済んだやもしれん」
「ならば穴埋めとして、龍を捕縛いたしますか?過去に人間に従ったというのなら、『洗脳』でどうにかなりそうだと思いますが」
「要らんよ。私が必要としているのはあんな出来損ないではない。もっと異様で、常識外の存在が欲しいのだ・・・だからこそ王都に帰らずこんな辺鄙な場所まで来たのだぞ?」
龍の咆哮がつんざめく。抗する気力を削がんとばかりに氷の柱が宙を裂き、宛ら蚤のように傀儡が隙をついて襲っていく。空と大地、両方からの反撃を受けて、堪らず龍はのけ反って苦痛の息を漏らした。翼にも被弾したようであり、片方の翼はもはや一本の骨を残して元の姿を保っていなかった。あれでは飛躍する事も困難であろう。
「そろそろ締めに入ろうか。龍を正門に追い込め。魚を追い込むようにな」
「はっ」
マティウスは命を下し、つかつかと宮廷の正門へと向かっていった。残された傀儡は龍の背中を無表情に睨み、主と同じようにつかつかと歩いていく。
反撃の魔術に晒されていた龍は気力を振り絞らんかのように爪を振るい、獰猛に吼えたてて見せた。しかし相手は感情も魂もない、死してなお動く人形達。機械的なまでに攻撃の範囲を見極めるとそれを避けていく。彼らが攻撃を食らうのは龍が自暴自棄になった時、つまり龍が半ばあきらめた時だけなのだろうか。
『否、そんな事は無い』と龍は己を励ます。自分は古より偉大な魔術士に可能性を感じ、自ら翼を畳んだ先見の生物である。ただ一時の苦境だけを以て諦観に心を委ねる事はありえない。機が来れば必ずや、残し僅か数体となっている傀儡を葬ってくれよう。そしてあの生意気な老人を食らい、狂王の再誕を祝福してーーー。
「偉大なる古の龍よ。あなたの戦いぶりはまさしく圧巻の極み。敵ながらまこと天晴である。而して、私は些か失望の念を抱いている」
突如、背後から振りかかった声に羽根がぴくりと震える。言葉に反応してか、傀儡たちが一斉に攻撃の手を止めた。龍は疲労で身をぶるりと震わせながら首だけで背後を見る。
ーーー突然何を言い出す。この人間は。
龍の背後、宮殿に続く旧大通りの真ん中に、一人の屈強な傀儡が立っていた。まるで道端のゴミを見るかのような視線で、その者は淡々と告げる。
「あなたの活躍ぶりは私たち人間も、歴史の書物や、村人たちの口伝によって長く教えられており、それに畏怖したものだ。悪さをすればサー=ドリンは空を飛んで現れて、哀れで卑しい者達を食らってしまうだろう。そう信じ込まされて育って来た。
しかし現実を見るに、あなたは伝承にあったような行為は一切しない。火を吹いたりせず、翼だけで大嵐を起こしたりもせず、咆哮で雷鳴を呼んだりもしない。ただ自分自身の力のみを信じて物理的な手段に訴えでている。まるで野生のイノシシとなんらかわらぬ、野蛮さに満ちた行為だ」
ーーーだまれ。
怒りの篭った息を漏らす。龍は次に何が言われるかに察しがつき、轟々とした怒りを抱いていく。先程まで、魔術で言いようにされていた時とは比べようにもならぬ怒りであった。自らの存在意義、或は矜持の根底を揺るがしかねないものを、傀儡は実に淡々とした口調で続けていく。
「あなたは本当に龍属なのか?魔術学校の教授程度の魔力を誇る、卑しい存在なのか?」
ーーーその口を閉ざせ。
「もしやあなたは龍属の中で・・・」
『最弱の存在だから、狂王に屈したのではないか?』。
最後まで呟かれたそれに、龍はついに激発する。天地を分け隔てるような大きな蛮声に大気がぶるぶると震えた。今まで聞いたものでも最大限のそれに、感情無き傀儡は吹き荒れる魔力の流れに目を細めた。人間の高位魔術士と比較しても、龍の魔力はかなりのものであると実感できた。
龍の身体から溢れ出たそれは鎧のように傷だらけの身体を覆っていき、さらには失われた筈の片翼が青白い光によって再形成されていく。翼越しに空に広がる曇天が透けて見えていた。龍は両翼を鷹揚に羽ばたかせ、その巨体を数メートルほど上昇させる。膨大な魔力によって、龍は再び空を泳ぐ自由を手に入れたのだ。
「図星を指せば激発するか。人間と同じだな」
口減らずの傀儡を一瞥すると、龍は重たそうに身体を上昇させていく。みすみす逃がすかとばかりに氷の柱が追ってくるが、身体を覆う魔力の流れによって弾かれてしまい、砕け散りながら落下していく。龍は遺跡の全景を見渡せるくらいに上昇すると、空の広漠さを謳歌するようにぐるりと旋回して、あの屈強な傀儡に向かって落着せんとする。風を切りながら飛んでいく龍の瞳には一縷の迷いも無く、この攻撃が成功するだろうという確信に満ちていた。
傀儡はどういう訳か、宮殿の正門付近で仁王立ちして、龍の突撃を待っているようであった。ふざけた愚行だと龍は一笑し、鷹のような鋭い勢いを保ちながらそこへと向かっていく。横合いから襲ってくる氷の柱も、『転移』で身体にしがみ付いてこようとする他の傀儡も全く気にならない。身体の奥底から漲る魔力が、彼らの魔術を無効化しているのだから。魔力の壁にぶち当たって消えるそれらに惑わされる事は無かった。龍は大きく翼を広げて着陸に備え、獰猛な爪を開いた。邂逅の時と同じく、爪をコーティングするかのように魔力が宿り始める。巨体が風の抵抗を受けて、一瞬龍は静止しかけるとそのまま自由落下に身を委ね、不動の傀儡を押し潰さんとした。
家屋の脇に潜んでいたマティウスは、あまりに単純思考な龍の様を見て呆れたように微笑んだ。
「掛かったな」
老人は紐を引くようにくいと手をやった。それに呼応するかのように地べたと明るい光が走り、巨大な魔力の網が龍の眼前に現出した。それは一匹の龍を捕まえるには十分すぎる程に大きなもので、龍は驚愕のまま自ら止まる事も適わずにそれにかかり、絡まって失速しながら地面に落下していった。火砲にも勝る『どぉん』という重低音が遺跡に木霊して、巨体が石造りの大通りを穿つように滑った。狙っていた獲物のほとんど目と鼻の先で止まってしまい、龍はいたく恨めしげに傀儡を睨み付けたが、帰って来るのは氷塊のような冷たい視線であった。
龍の身体は痛々しく地べたに擦られて傷つき、頭上からはらひらと白雪が振りかかっていく。それまでに散々弄られて深手を負っていたのに加えて、まるで鱗など存在しないかのように網が肉に食い込んでおり、纏われていた魔力が雲散霧消している。狩猟者の立場が一転、漁師に捕まった小魚となってしまった。龍は暴れんとするが、魔力の網は重石があるかのように垂れかかって巨体を地面に張り付けている。牙によって噛み千切らんとしているが、逆に歯茎を傷つけてしまう有様であった。抵抗の余地は無く、そしてマティウスの態度を見るに投降の余地も無かった。
「これで終いだ」
さっと、皺くちゃの手が振り下ろされる。それは死刑の執行と同じ意味を有していた。途端に全方位から傀儡達の魔術が雨霰とばかりに龍を襲っていく。もはや近接攻撃に頼る必要が無いのか専ら打ちだされるのは氷の柱であり、鉄色の肌があたかも剣山となる勢いで柱を咥えこむ。真っ赤な流血が迸り、龍は苦痛に身を捩らんとするも網のせいで全く身動ぎできずにいる。そこには互いに闘志をぶつけ合う崇高な理念など存在せず、ただ弱者を甚振るだけの凄惨な光景だけが広がっていた。
ーーー馬鹿な。この我が。この龍の身体が・・・人間風情に!
龍は慟哭のように一際強く叫ぶ。この世の不条理を問うような悲嘆さに満ちたものであった。しかしそれは傀儡達の魔術が炸裂する音にかき消されてしまい、終いには、マティウスが放った極大の雷撃を受けて喉を焼き切られてしまう。その一撃は龍が纏った魔力よりも数段精錬され、そして人が持つには余りに過剰すぎる程の膨大なものであった。まるで魔力の泉が、老人の中に存在しているかのようある。
龍属たる誇りを毀損される屈辱を感じ、同時に龍は人間に対する憎悪を抱く。狂王の復活を前にしてこの純真な忠誠心を蹂躙する人間たちを心底呪いながら、第二の雷撃により、龍の頸はあっさりと胴体から切り離されてしまった。頑強であった鱗も肉厚な筋肉もただの消し炭となってしまい、青白い火花の中へと消えてしまう。傷口から濁流のように血を流しながら、龍は力無く倒れこみ痙攣する。そしてその数十秒後には、ぴくりとも動かなくなってしまった。数百年の時をただ一人の王に捧げた龍の一生は、実に呆気なく終わりへと導かれた。
「ふん。最後まで期待外れな蜥蜴よ」
マティウスは家屋の陰から出ると、すたすたと、まるで散歩でもするような気軽さで龍の横を通り過ぎていく。手をひらりと翳せば龍にかかっていた魔力の網は消失し、惨たらしい大きな骸が露わとなってしまう。地面を流れる血液の量も夥しいが、マティウスに触れる直前に壁にでも当たっているかのように横にはけてしまう。前面に控えていた屈強な傀儡を横に控えさせると、マティウスは思い出したように立ち止まって振り返ると、生き残った傀儡の数を知る。
龍との戦闘は激しいものだったようだ。元は十人程連れていた筈なのだが、今はたったの五人しかいない。傀儡の中では一番マシな、屈強な奴を入れたとしてもこの数である。傀儡の素体となった魔術士が弱すぎたのか、はたまた龍の反撃が予想以上に強かったのか。正確な認識がつくものではなかったが、これ程までに傀儡を失ったのはマティウスにとっては痛手であった。自らの好奇心の充足に心より従順になってくれる、優秀な助手が一気に減ってしまったと考えれば、きっとまともな人間でもこの損失を理解してくれる筈であった。
「さて、そろそろ宮廷に入るとするかな。中はどうなっているのやら・・・もっとも、大体は想像がつくのだがな」
マティウスはゆったりとした歩みで宮殿へと向かっていく。老いたとはいえ衰えてはいない彼の鋭敏な感覚が、宮殿内に滅茶苦茶と吹き荒れる魔力を感じ取っていた。龍が持っていたものよりも大きなものが、二つ、互いを食い合うように交錯している。それは宮殿の中心部から発生しているように感じられた。
龍を甚振るよりも愉しい事が待っていそうだ。マティウスは知らない内に、枯れ細った自分の胸がわくわくと弾んでいるのに気付く。まるで三時のおやつに出るケーキを愉しみにしている時と、同じ胸の弾み方であった。かさついた手をすりすりと擦り合わせて、彼は宮殿の正門を潜り抜ける。
厚底の雲に覆われた空からは、はらひらと雪が降りつつあり、嵐の兆しである強い風がそれを遺跡へと運んでいた。
ーーー宮殿内にてーーー
一直線に飛ばされる氷塊が玉座に当たり、それをものの見事に粉砕した。氷塊が過ぎ去った地面には、雷によって黒く焦げた痕であったり、何かの爆発の爪痕であったり、或は風雪が通り抜けた痕であったりと・・・。およそ自然的な調和のとれていない、混沌とした破壊の光景があちこちに見られていた。まるで伏魔殿を一気にひっくり返して中身を暴いたような、普通の人間の神経ならば理解が及ばぬであろ光景であった。
壇上の高みから魔道杖を構えたチェスターは、恐ろしい密度で飛来してくる小さな氷の塊に向かって、炎に覆われた『障壁』を展開する。氷は炎に接した瞬間に蒸発していくが、溶けきらなかったものは障壁に衝突して食い込んでしまう。まともに人体に当たれば貫通は避けられないだろう。チェスターは外側に向かって障壁を爆破させて煙幕を張ると、その内側から『雷撃』の魔術を繰り出した。しかし、義眼によって威力が向上されたものであるのに、『雷撃』は相手方が張った氷の障壁によって相殺されてしまった。
「これは・・・思わぬ展開だな!」
煙幕の晴れた先に立っている敵に向かってチェスターは吼えたてた。慧卓は、魔力の循環によって白目と黒目の区別がつかなくなりつつある、紫色の瞳を向けてくる。チェスターの第二の雷撃が打ち出されるが、威力不足のために簡単に障壁に阻まれしまう。対して慧卓はその場から微動だにせず、障壁を展開したまま空いた手に魔力を宿し、それを振り抜いて特大の氷の柱を打ちだした。あれは障壁を貫通するほどに強力な物だと知っているため、チェスターはすぐに身を転じて場所を移動していく。
こんな流れがかれこれ十分近く続いていた。氷の柱から端を発した、終わりの見えない攻防戦である。互いに狂王の秘宝を手にしているために魔力はほとんど無尽蔵。練度と才能が勝るチェスターに対して、慧卓は二つの秘宝による圧倒的な魔術を展開し、相手の攻撃を完全なまでに無効化している。かといって攻撃手段については単調で直線的であり、チェスターは何の苦労なくそれをかわす事が出来ていた。
本来なら距離を詰めて近距離戦に持ち込んだ方が、チェスターの勝算は確定的なものとなるだろう。だが慧卓から発せられる魔力の多さが、彼に自重という悔しい手段を取らせていた。あれに近付いた途端に何をされるか分かったものではない。仮に爆発か何かをされたら、障壁でそれらを防ぐ自信は彼には無かったのだ。よって、宮殿内の戦場は拮抗し、明らかな理性を保っているチェスターのみが苛立ちを募らせているという展開になっているのである。
「ここまで互角だと全く面白みが無いなァッ!ええっ、騎士殿ぉっ!!」
もう何度目かの雷撃を打ち出し、ついでとばかりに天井の一部に火球を炸裂させる。無論そんなのが通用しないのは既知の範囲であり、専らむかむかを晴らすためだけにやっているようなものであった。あっさりと瓦礫を防いだ慧卓は、お返しとばかりに障壁を爆発させて、瓦礫を周囲に向かって一気に拡散させた。こういう所が恐ろしい。無駄に力だけが向上している分、やる事なす事が全て規格外のものである。降り注いだ瓦礫を吹き飛ばす一方で背後に特大の火球を展開していくなど、チェスターの常識からは著しく逸脱した魔術であった。
飛来してくる瓦礫の破片を雷で消し炭にして、後からくる火球には同じく火球をぶつけて相殺する。爆発の勢いはかなりのものがあり、中空で弾けたのに関わらず衝撃で床が割れて、空気がぶわっと煽られてしまう。チェスターは魔力の暴風ともいうべき世界の中で、一つの確信ともいうべき考えを抱いていた。妖しき義眼が、慧卓の手中にある錫杖と胸部に埋まっている首飾りに向かって、同調するかのように光っていた。
(これ程の威力が篭った魔術をよくもこう易々と扱える。本当に狂王の秘宝だけによるものか?普通は魔力に振り回されて狙いなど定まらぬ筈なのだが、どうも奴の魔術はある程度制御されているように見受けられる。くそ、隠し玉を持っていたのは奴も同じという訳か)
普通、才能があるだけでは魔力は容易く扱えない。日常生活に役立つ程度でなら勝手がきくものだが、そこから先の分野は明確な意思、特に安定性・持続性を維持するための思いが無ければ魔法は効力を発してくれず、光の乱反射のように魔力が拡散してしまう。これがいわゆる『指向性の原則』であり、魔法の応用、すなわち魔術においては絶対的な理論であった。それこそ法原理における、『信義誠実の原則』と同じくらいに。これをものにするかどうかでその者の未来というのが違ってくる。ある者は魔術の研究所に、そしてある者は地方の学士といった風にだ。
閑話休題。チェスターが疑問に思う重大な点。それは慧卓の魔術には一種の指向性があるという事だ。明確で、正常な意思が存在しているのが前提とされる原則に対して、今の彼には理性というものが全く感じられない。ただのドールと同じである。しかし現実には彼の魔術には『狙いに向かって飛ぶ』という性質が感じられる。つまり、チェスターが認識できていない部分では、彼の中に一種の理性であったり、或は魔力をコントロールする何らかの媒介のようなものが存在しているのだ。二つの秘宝を制御ほどの道具があるとは俄かに思えなかったが、この世には何事も例外というのがある。目前の彼がそうであるのなら、チェスターはそれを受け入れ、その上で彼を撃破するまでであった。
慧卓の戦いを改めて見るに、彼は復活当初から一歩たりともその場を動いていない。それもまた彼の安定性の一助となっているのだろうとチェスターは仮定し、地面に雷撃を走らせて瓦礫を浮かせると、火球を伴わせて一気に飛ばす。単純な質量による猛攻であり、それまで微動だにしていなかった慧卓の障壁に俄に罅が入っていき、噴煙が視界を覆っていく。前面からの集中砲火に対抗するため、慧卓の魔力が障壁前方に集中していき、障壁は厚みを増していく。幾秒かの注意をそこに割いていると、突如として横合いより、痛烈な雷撃が走っていき、慧卓の側頭部に直撃した。
「当たったっ!」
チェスターはそのまま第二の雷撃を撃ち、それをたたらを踏んだ慧卓の足に絡ませて捉える。そしてあたかもカウボーイが縄で獲物を弄ぶかのように、雷撃を大きく振り回し、慧卓を宙に浮かせて地面に叩き付ける。何度かそれを繰り返すと、チェスターは思い切り雷撃を杖から切り離して慧卓を投げ飛ばした。投げられた勢いで片足を無くした慧卓は、そのまま壁に衝突して罅を入れさせながら、力無く地面に倒れこんだ。
チェスターは己の企みがうまくいった事に喜ぶ。慧卓の単純な意識をうまく利用した揉め手であった。前面に意識を集中させながら、視界を潰して横合いから殴る。もしかしたら彼に理性があっても成功していたのかもしれない。そう粋がっていた矢先、倒れこんでいた慧卓は魔のような速さで錫杖を掲げて魔術を放つ。チェスターは瞬きの直後、己の右肩に大きな衝撃を受けたのを理解した。見ると、拳大はあるであろう大きな氷の柱が突き刺さっていて、だくだくと流血を強いらせていた。
「ぅぐっ・・・目は付いているのかねっ!?」
強がりながらチェスターは氷の柱を握ると、掌に魔力を通わせて柱を粉砕する。体外に出た部分だけを砕いたのは流血を抑えるためであった。彼は魔道杖を構え直すと、地面から起き上がりつつある慧卓に向かって火球を連射していった。
その時、ぎぎぎと、広間の大門が開いていく。そこから顔を覗かせたのはリコであった。彼は広間内の常識外の攻撃に目を見張り、魔力のぶつかり合いに震えた。
「何だこれは・・・一体・・・」
『何が起きている』と言わんとしたリコであったが、いきなり腕を引っ張られて尻餅をついてしまう。直後、魔術の余波であろう砕けた氷がリコの顔があった所に突き刺さる。
思わぬ幸運に恵まれた彼であったが、而して憤慨したように壁に凭れかかる人物を見遣った。全身に痛々しい火傷を負いつつも持ち前の気力で意識を保っているドワーフ、アダンであった。
「何をするんです!?」
「行くな・・・殺されるだけだぞ・・・」
「だからといって、見て見ぬフリをする訳にはいきません!ケイタクさんを助けないといけないんです、僕は!」
「それは蛮勇だ。お前のような非力な小僧では、奴の心を引き戻す事など出来ん・・・けほっ、げほっ!」
喉もやられているのか、咳がひどく辛そうであった。にも関わらず彼は平常心のままに、どこか悟ったような視線を扉の隙間に注いだ。そこからは暴風よりも尚凶暴な魔力が衝突する光景が繰り広げられており、アダンは嵐の真っ只中にいる二人の人間を見ていた。
「あれは魔物だ。形を保っていようと中身はもはや人間ではない。身体も、心も、ぜんぶ魔力に支配されている・・・」
「なんでそんな、そんな馬鹿な事が言えるんです!?あなたドワーフでしょう!?ただ自分の力だけが取り柄の!」
「馬鹿め。俺だって、魔力は備わっている。ただ、使い方が分からなかっただけだ・・・こんなざまになるまで、ずっとな・・・。分かるんだよ、魔力の流れが。
・・・見た所、お前にも魔力がある。だが・・・ははっ、ありんこみたいに小さなモンしかねぇや。お前、魔法で飯を食うには才能が全く無いらしい」
アダンはまた咳を零す。文句を言わんとしたリコであったが、扉付近に炸裂した火球の轟音に驚き、びくりと肩を震わせてしまう。そしておずおずと広間の様子をまた窺うのであった。
先程と攻防の様子は変化していないようであったが、その中身は変化しつつあった。心なしかチェスターの足が引き気味となっており、打ちだされる慧卓の氷の柱を障壁で受けるも、たかが二発程度で食い破られてしまっている。
「っ、こ、これは、どうした事か・・・私が押されるいるのか?」
屈辱と、右肩より走る激痛に苛まれながらチェスターは自問する。対して慧卓は人形のような顔を崩さず、機械じみたように魔術を打ち出していた。側頭部に雷撃を食らったせいで一部の頭蓋が飛ばされ、また床に叩き付けられたせいで足が変な方向に曲がっているのに関わらず、彼は感情を露わとしていない。よく見れば怪我を負った場所には蛆のように泡が集っており、何らかの回復魔法で肉体の修復を行っているようであった。『自分よりも重傷なのに』とチェスターは苛立ち、彼に向かって雷撃と火球を放っていく。
アダンはかつての仲間の様を見て、嘲けるように息を漏らす。彼から見ればチェスターの優位など存在してない。持っている秘宝の数だけ慧卓は有利なのである。
「ざまぁねぇな、あいつも。俺をこんなざまにした報いだ。そのままやられちまえ」
「・・・兎に角、手を放してください。僕は中に入ります!そして、ケイタクさんを引き止めなくてはならないんです!」
「なぜだ?優勢を誇っているじゃないか。あのままなら、チェスターはいずれ倒されるぞ?」
「・・・なんだか、いやな予感がするんです。ここで、彼が理性を留めている間に動かないと、全てが終わってしまうような気がするんです・・・。彼が願っていた理想の未来も、僕らが彼に期待していた未来も。全部が台無しになってしまうんですっ」
言葉を選びつつも繰り出される言葉には、一種鬼気迫るものを感じられる。アダンはリコの表情を見て、その覚悟に変わりがないかを尋ねんとした。正しい返答さえ聞ければ彼は諦めてリコを通す心算であった。
しかし彼らの間に広がったのは、ドワーフの声では無く、若者の声でもなかった。
「人間とドワーフか。このような所で何をやっているのかな?」
『っ!?』
冷たく響いたのは老人のしわがれた声であった。見ると、幾人もの男を従えた老人がこつこつと歩んできているのが見えた。アダンは彼に纏う圧倒的な魔力に目を見張る。広間で戦っている二人よりも、彼単独の魔力の方が大きかったからだ。
「突然で恐縮だが、君達には静かにしてもらうぞ。答えは聞いていないがな」
「だ、誰です!僕を北方調停団と知ってのーーー」
直後、矢のように光が走った。それに当てられたリコはまるで催眠に掛かったように力を無くし、膝から地面に崩れ落ちる。老人は大扉の傍に座るアダンに指を向けた。
「ドワーフよ。恐らく君が起きた先は牢獄だ。眠る前に遺言を作る覚悟をしておくがいい。老人からの忠言だ」
「・・・そうか。あんた、魔術学院のやつだな?その陰湿な眼つきで思い出したぜ。昔、あんたの弟子から宝石を盗んだ事がある・・・その時弟子が何とか言ってたっけなぁ・・・。そうだ、あんたの名は、マティウスだったな?」
「よくぞ覚えていた。処刑されるまで私の名前を覚えている事だ。私の輝かしき名を胸の内で反芻させていれば、君の卑しい過去も少しは購われるだろう」
マティウスの指が光り、それによってアダンも地面に倒れこんだ。広間内に吹き荒れる膨大な魔力を感じ取り、マティウスはにたりと微笑んだ。
「ここから先は私だけが行く。ドワーフは学院にある私の研究所へ。人間は近くの村に運べ」
「村とは、王国側にあるあの村でしょうか?」
「帝国に運んでどうする?さぁ、早く運べ」
傀儡らはてきぱきと動く。二人がリコを抱え、後の三人はアダンを抱えると、それぞれ地面に魔法陣を展開して『転移』の魔術を行使し、忽然とその場から消え失せる。
マティウスは大扉に手を掛けると魔力を掌に通わせ、寸勁をするように力を抜いて一気に扉を押す。その瞬間に扉は爆発したように吹っ飛び、チェスターと慧卓の間を飛んでいた氷の柱を巻き込み、玉座の残滓を粉砕してしまった。いきなりの乱入にたじろいだのか、魔術による交流が途切れた。
マティウスは割って入るように歩んでいく。
「これはこれはお二方。派手にやっておるようで」
「む!?君は誰かね!?戦いに横槍を入れるとはなんと卑劣な!!私を狂王の忠実な家臣と知っての狼藉か!!」
「そう急くな、若造。・・・時に、君の魔術は随分と初歩的だな?魔術の二重構造というものをよく理解していないようだ。いかに濃密な魔力を込めようとも外縁部を強化せんとすぐに潰されるぞ。それに雷撃を使うのなら魔術ごとの許容電流を理解しておく事だ。君のそれは過電流を起こし、少なくとも4割はーーー」
「知った口を!二人まとめてやってやる!!」
吼えたてるようにしながら、チェスターは手元でくるりと魔道杖を振り回して幾つかの火球を展開する。マティウスの実力の一端を見てか、それらは慧卓を相手とするよりも強力な魔力が込められていた。いざそれを放たんとした時、突如、旋風のように吹きぬいた暴風によって火球が弾け飛び、チェスターは顔を庇いながら身を反らした。
旋風の発生源は慧卓であった。錫杖を鋭く振り抜いて、周囲一帯に猛烈な突風を浴びせたのだ。地面のタイルが抉れる程の強力な風であり、広間全体に至るまで破壊の爪痕を残す。しかして慧卓の予想とは裏腹に、彼が狙った獲物はなおも壮健な姿を保っていた。彼が張った障壁は、慧卓の魔術を完全に防いだのであった。
「狂王め。部外者は口を出すなと言いたいのか?死者の癖に生意気ではないか。若人二人で私をどうにかできるとでも?」
にたにたとしながらマティウスは手元に魔力を通わせる。チェスターは驚きのあまり口をあんぐりと開けてしまった。秘宝を持った自分達に匹敵するほどの膨大な量の魔力が流れており、しかもそれは安定性に恵まれたものであったのだ。老人は高位の魔術師であると、チェスターは認識を改めて警戒を露わとする。
「なんだ、あの老人は・・・!?貴様っ、一体何者だ!!」
「ただのしがない探求者だ。義眼を奪った後に名乗るとしようか」
「ほざけ、老骨め・・・うっ!?」
啖呵を切ったチェスターであったが、急に苦しげな表情をすると胸元を抑えて、がくりを膝をついてしまった。彼の手先はがくがくと震えてしまい碌に魔道杖を握る事もできなくなっていた。何が起こったのかと自問自答するような顔つきとなった彼に、マティウスは冷静に答えを告げた。
「魔力を使いすぎたようだな。身体中の血管がボロボロになっているだろう。たとえ秘宝を手にしたとしてもその資本となるのは人間の肉体だ。若造、君の身体はこれ以上の魔術の使用を拒んでおる。もっと使えるようになるには身体を鍛えるか、魂に至るまでその義眼に全てを捧げねばならんだろう」
「ぐぅ・・・貴様、よくもぬけぬけと・・・」
「それでどうするのだ?退くのか?退かんのか?私の魔術に巻き込んでしまっても謝罪はせんぞ。むしろ好都合だ。労せずして『狂王の義眼』が手に入るのだからな」
「・・・おのれ・・・一先ずは退いてやるぞッ!だが忘れるな!!その首飾りも、錫杖も!いずれは私が貰い受ける!!首を洗って待っておくのだな!!」
ぎりりと歯軋りを立てながら、チェスターは不承不承といった感じに地面に魔法陣を展開する。蜘蛛の巣のように広がったそれは鈍い光を放つと、チェスターを呑み込みながら忽然として消えてしまった。義眼から放たれるプレッシャーも、魔力も、一切が感じられなくなった。
(『転移』の魔術か・・・こんな状態でなければ行方を調べて義眼を手に入れる事こともできようが、そうもいかん。怒れる若人を鎮めなくてはならんからな)
マティウスは己を睨み付けている慧卓へと向き直った。その空虚な瞳の中で何を想っていたのか、彼は戦いの舞台がいつの間にか整った事を悟ると、錫杖をくるりと回してその先端をマティウスへと向けた。魔力が欠片も感じられぬ行為であったが、不思議と彼の戦意、否、秘宝から溢れ出る濃密な気配というのを感じ取れた。たかが一本の錫杖と首飾りであるのに、死してなお支配の実行を渇望する事を止めぬ、狂王の意思というのが感じられた。
マティウスが秘宝から流れている魔力を視線で辿っていくと、それは慧卓の心臓と、脳に繋がっているのに気付く。分かりやすい発見であった。あれはいわば洗脳器のような役割となっているのだろう。耐性の無い者が持つとそれに込められた狂王の魔術が発動し、対象を『魅了』するに違いない。そして何らかの目的を遂行するために、一種の魔力増幅器となっているのだろうと推測できた。
哀れにもその餌食となって理性を失くした彼のために、マティウスは一肌脱ぐ心算であった。久方ぶりに、彼は魔術師としての本気の片鱗を現していた。何もしないままであるのに、溢れ出る魔力によって髪が靡き、ロープがばたばたという音を言わせる。魔力が走った余波によるものか、床のタイルに罅が入っていき、大広間はさらに悲惨な姿となってしまった。だがこれから招かれる戦いによって、すぐにそれも目立たない傷となるだろう。傷跡一つがどうでもいいくらいの、魔術による破壊によって。
両者は無言のままに睨み合う。何らかの機があればその手はすぐに動き、最大限の火力でもって魔術が放たれるだろう。而してそれが訪れるまでは、今しばらくの猶予が必要であった。
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