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逆さの砂時計

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Side Story
  少女怪盗と仮面の神父 22

 ネアウィック村の出入口付近から北へ向かって二十分程道なりに進むと、東方面へ進むか北方面へ進むかの分岐点に差し掛かる。
 東方面へ行けば、街有り村有り山有り谷有り森有り湖有り大河有り大草原有り荒涼地有り……とにかく、何らかの試練としか思えない行程の先に南方領の中心地へと続く大きな街道があり、北方面へ行けば、幾つかの山と川と森林地帯と岩石地帯を通り抜けた先で西方領と繋がる細い酷道が待ち構えている。
 ちなみに、この酷道がどれだけ酷い道かと言うと……昼日中に大型肉食獣が闊歩してるのは序の口で、頻発する土砂崩れ、所々無秩序にぽっかり空いた深い穴、突風に飛ばされて容赦無く目や耳を攻撃してくる石や砂、折れた大木が横倒れに重なって占領する狭い足場に、踏み外せば即「さよなら現世」な、下が地面の高い崖……等々。枚挙に暇がない散々な現象で細切れにされた一本の糸と例えれば判りやすいだろうか。
 おかげで、西方領と南方領の交流はどんなに遠回りでも中央領を介さなければならず、また、頑張って酷道を通ったとしても、中央領を介した時と同程度の各種税金が課される為「骨折り損のくたびれ儲け」を理由に、利用者は殆どいない。仮にいるとしたら、山賊や元娼婦や身内を喪って路頭に迷う浮浪児達だが……大多数は恐らく、犬も食わない野晒しになっている。
 ミートリッテの目的地はこの悲惨な酷道……ではなく、もっと村寄りに在る大森林の中心だ。
 南、西、北の三方を山で囲まれた扇形の内側は思いの外高低差が激しく、幾筋も流れる河川の途中には太細長短様々な滝まである。縦横無尽に伸びた草や木々が複雑な地形を隠している所為で、まるで自然界に作られた迷路のようになっていた。
 常であれば近隣住民でも滅多に立ち入らない、ほぼ全域未開拓の危険地帯だが……幸い、脅威となる獰猛な獣などは生息していないらしい。
 なるほど。確かに、人目を避けて行動したい人間には持って来いの場所だった。
 「果樹園があっちだから……もうちょっと西か」
 ポツポツ灯り出した月と星のか弱い光を頼りに、真っ暗な森の道無き道を手探りで進む。
 半日近く山を登り下りしてきた両足は極度の疲労を訴え、青年が巻いてくれた靴代わりのシーツは既に役目を果たせる状態ではなく、血と泥に塗れて擦り切れ、見るも無惨なボロ切れと化していた。
 それでも。
 一刻も早く指定された場所へ行かなければと、足裏を苛む鋭い痛みに歯を食い縛り、前だけを見てひたすら歩く。
 「アルフィン、ハウィス。もう少しだけ待ってて。絶対、助けるから……!」
 グレンデル親子の家で見た『暗号』は、そうと知る者の目にのみ、とても判りやすい『地図』だった。
 実際の海を背負って座るくータン(ミートリッテ)の視線の先(北西)には、一つ目の菓子山南側斜面に乗せられたマーマレードの小瓶(ピッシュの果樹園)が在り、其処を北に越えれば、やや東寄りでテーブルから落ちかけた二つ目の菓子山と背凭れ(大森林を囲む山)の間に束縛されたイルカ(アルフィン)が居る。彼女と一緒に縛られていた例の指輪は、それを狙っていたシャムロックへの伝言だ。
 『取り戻したければ、此処へ来い』と。
 そう。「奴ら」はシャムロックの正体と、海賊に押し付けられた『依頼』の内容を知っていた。そうでなければ、こんな暗号を残した後で斧を投げて寄越したりはしなかった筈。
 やはり「奴ら」の一撃には「ミートリッテに高い回避能力が備わっている」という前提があったのだ。
 もっとも、完全に此方の不意を衝いていた事や、相当強いと感じた青年ですら声を上げる他に身動き一つ取れてなかった事、たまたま避けられただけで、青年の声が聞こえてなかったら間違いなく即死していた事などを考慮すれば、本当に「生きていようが死んでいようがどっちでも良かった」のだろうなぁとは思うが。
 もしあの場面でシャムロックが死んでいたら、意味を失くした罠は放置され、アルフィン達は他国に売られたか……最悪、言葉に表すのも悍ましい暴行の末、殺されていた可能性が高い。
 こうして思い至れば、今日ほど己の身体能力に感謝した日はなかった。
 勿論、声を掛けてくれた青年にも深く感謝している。差し上げた葉物野菜と干し肉に上乗せして、高級魚のフルコースと金箔入りのお酒を酔いどれになるまでたっぷり振る舞いたいくらいだ。
 無事に生還できて、アルフィン達が殺されなくて、本当に……本当に良かった……。
 本来無関係なアルフィン達を巻き込んでしまった時点で、「良かった」と思って良い資格なんか、とっくに失くしているのだけど。

 さて。
 『依頼』遂行中のシャムロックが標的にされていたとすると、問題は当然「海賊達こそ「奴ら」じゃないか」に戻ってしまうのだが……敵の正体なんぞ推測したところで今更なので、この手の疑問は指輪を見たと同時に頭の隅で消去した。
 今必要なのは、敵が誰かで悩む時間じゃない。そんなものはもうすぐ判ることだ。
 生き延びたシャムロックに用があるなら、姿を見せれば多分、相手が勝手に説明してくれる。ハウィスや青年が教えてくれなかった事も全部、コイツらに訊いてスッキリすれば良い。
 だから。
 目的地に着いたミートリッテは、躊躇わずに声を張り上げた。
 「女の人達、これを見て私を捜してたのよね? 随分潔く引き下がったなぁと思ってたけど、やっぱり、あれからずっと村中を探し回ってたのかしら。だとしたら危なかったぁー。早い段階で私が盗んでたら、絶対追い詰められてたわ。女心だけは敵に回しちゃいけないって、なんか世界の真理っぽくない? ねぇ。もしかしてこれをくれたのって……「同業者故の」同情か何か?」
 白い月光が射し込む開けた空間の数歩手前で足を止め、スカートのポケットに入れておいた例の指輪を頭上へ掲げる。
 それを合図とばかりに、不自然な木の葉のざわめきが周辺に大きく響いた。
 (囲まれてる、か。相変わらず気配もしないし……前方に意識を集中した途端、上からサクッと斬られそうで嫌だな)
 さりげなく視線を走らせつつ指輪を仕舞い、いつ何が来ても対処できるよう身構える。
 と、
 「あっははは! 逃げる以外に芸が無い「こそ泥」と「私達」が「同業者」? 獅子と成猫の違いも理解できないなんて、つくづく莫迦な仔猫ね。ああ可笑しい。笑えるあまり、うっかり手を滑らせてしまいそうだわ」
 (仔猫って……え? ちょっと待って、女!? シャムロックを知ってる敵の中に、女の人が混じってるの!?)
 海賊にせよそうでないにせよ、斧を使う集団といえば、なんとなく男しか居ないと思ってた。予想外の声色に肝を潰され、戸惑った刹那。
 「ぃ……っ!」
 薄い光筋の向こう側で、女の子の小さな悲鳴が聞こえた。
 「止めて!!」
 咄嗟に木々の間を飛び出し……硬直する。
 「……ミー、姉……」
 歪な円を描く乾いた地面の中心に、二人の女が立っていた。
 一人は可愛らしいお人形の面差しに右の青と左の紫で色違いの虹彩を持つ、金髪の少女アルフィン。
 もう一人は、腰下までを緩やかに覆う小麦色の長い髪と銀色に鋭く光る虹彩を持つ、中肉中背の見知らない女性。
 艶めいた赤い唇を剣呑な微笑みで歪める女性と対照的に、少女は瞳に怯えを宿し、ミートリッテを呼ぶ声も弱々しく震えている。
 「はじめまして、アルスエルナの山猫さん。自覚は無いでしょうけど、お前にはいつもお世話になってるのよ。私達」
 女性の細い腕がねっとりとした手付きで背後からアルフィンの肩を抱き、左手で血に濡れたアルフィンの右手首を。右手で諸刃の短剣の柄を掴んでいる。
 「っ……貴様……!」
 アルフィンが傷付けられた。
 腕を伝い肘から滴り落ちる鮮血が、ミートリッテの心臓を激しく叩き付ける。
 「お前達の狙い通り、(シャムロック)は此処に来たんだ! もう良いだろう!? アルフィンを離せ! その子に汚らしい手で触れるな!!」
 「……あはっ。莫迦も此処まで極まると、いっそ可哀想ね。誰が。いつ。お前を呼んだと言うの?」
 「な……ッ!?」
 ミートリッテを見下す目で、女性がクスクスと笑う。
 「あれだけ判りやすく誘導しておいて、何を……」
 「ええ。お前が居れば、あいつらは確実に手も足も出せなくなる。そういう意味で、お前の利用価値は稀有な宝石と同等だわ。逃がされた事が改めてそれを証明した。だから私の元へ誘い込んだ。心も体もこれから大いに活用させてもらうけど……でも、私達が本当に呼んでいるのはお前じゃないのよ、仔猫ちゃん」
 まただ。
 また、正体不明の集団が出て来た。
 (私が居ると手も足も出せない「あいつら」。あの人が言ってた「アイツら」と同じ集団……自警団の事?)
 「シャムロックはお前達の餌とか盾だと言いたいわけ?」
 「いいえ? あいつらにとってはそうでも、私達にしてみればお前は極上の装飾品。その愛らしい容姿、小鳥のさえずりに匹敵する澄んだ声。数年掛けて男の味を擦り込めば、他に類を見ない妖艶な女へと生まれ変わるでしょう。ともすれば高級娼婦よりたくさんの金を生む器だもの。無駄に消費するのは勿体無いわ。この子も……ね」
 女性の唇がアルフィンの左頬に触れ、ちろりと出した舌先でぺろっと舐め上げた。
 こんな時でさえ少女は無表情に見えるが、ぎゅっと閉じた目蓋が恐怖に竦む彼女の心を伝えてくる。
 「……下種野郎って言葉は、品性が足りてない男の為にあるんだと思ってた」
 (無駄な消費は勿体無い? あんな場所でぞんざいに殺しかけといて、よく言うわ!)
 殴りたい。今度こそ殺されたとしても構わない。アルフィンを貶める汚らわしい女の顔を、全力で殴り飛ばしたい。
 けれど、刃はアルフィンの喉元に添っている。軽く横に動かされてしまったら終わりだ。
 グッと両手を握り締め、せめて目線だけでも怒りを表す。
 「あはは! 莫迦な山猫にも冷静な判断力は有るのね。そうよ。動いたらお前の負け。この子を護りたいなら、大人しく私達に従いなさい」
 背後でザリっと砂を踏む音がした。
 振り返らずとも何者が何をしようとしてるのかは想像が付くので、抵抗はしない。
 今は、まだ。
 「お前達にはいろいろ訊いておきたいんだけど……とりあえず、「あいつら」って、誰?」
 腕を取られる寸前の問いに、女性は暗く淀んだ瞳をスッと細めた。
 肌を突き刺す冷気が漂い始め、ミートリッテの肩が微かに跳ねる。
 (この感じ……あの視線の……!)
 「……可哀想な仔猫。都合が悪い現実は全部隠され愛され恵まれた、幸せすぎる愚か者。お前はその指輪に込められた意味にも気付いてない」
 「……意味?」
 全身に纏わり付く、何の感情も無い不気味な視線。
 甦った恐怖が声帯を萎縮させ、背筋に汗を滲ませた。
 「爪を立て怪我を負わせた相手の顔をまともに見ることも無く、犯した罪の重さからも目を背けたまま自分達だけ夢を持って愛し愛され生きて行こうだなんて、虫が良すぎると思わない? ああ、羨望でも嫉妬でもないわよ。辿り着いた深みが違うだけで、お前達も所詮此方側の人間なんだもの。上にも下にも行けない中途半端で滑稽なお前達は、美しい幻想のお花畑でずっとずっと根を踏み続けていれば良い。いつか足下の毒虫達に殺される日が来るまでね。無様に泡を吹いて苦しみ悶える姿が楽しみで仕方ないわ」
 くくく……と、くぐもった嘲笑が狂気を孕み、ありもしない泥沼がミートリッテの呼吸を奪い取ろうとする。
 (なに……一体、何の話をしてるの? この人)
 「あはっ! 本当に楽しみ。お前が汚れに泣き叫ぶ様を見せたらきっと発狂するわね、あいつ。好い気味! あの取り澄ました綺麗な顔が絶望に染まる瞬間を思い浮かべるだけで、胸が高鳴っちゃう。あはは! 漸く最高に笑える舞台の幕が上がると思うと、ドキドキとワクワクが止まらない。あなたもそうでしょう? ねぇ、アーレスト神父?」
 「……………………は?」
 女性の視線がミートリッテを通り越して、右斜め後ろに注がれている。
 まさかと勢いよく振り向いて直ぐに目が合ったのは
 「こんばんは、ミートリッテさん」
 ギスギスした緊張感も何処吹く風。
 ゆったり優雅に微笑む、見た目だけは繊細美人な腹黒神父、その人だった。

 
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