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Bitter Chocolate Time

作者:Simpson
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5.開店

「おお! すごい客足!」ケンジが感嘆して言った。
「ほんとだねー」マユミも目を丸くした。

 ケネスの父親アルバート・シンプソンのチョコレート専門店『Simpson's Chocolate House』は、いつも賑やかな繁華街の中にあるビルの一階にオープンした。いくつもの花輪が立てられ、軒下には紅白金銀のリボンが揺れている。少し離れた位置からもその甘い香りが容赦なく鼻をくすぐった。

「ケニーも感心にちゃんと働いてるな」
「え? どこどこ?」マユミが背伸びをして人混みの隙間から店の中を覗いた。
「ほら、レジんとこ」
「ほんとだー」

 ケンジとマユミは人の波に押されながらようやく店内に入った。ケンジははぐれないようにマユミの手をぎゅっと握っている。
「わあ! もう夢みたい! この香り……」マユミがうっとりした表情で言った。
「おお! 来てくれたんか、二人とも。待っとったで」出し抜けに二人の背後から声がした。ケンジもマユミも振り向いた。
「やあ、ケニー。すごいじゃないか。この人だかり」
「お陰さんでな。時間あるか? この後」
「え? 特に何も用事はないけど」
「そやったら、そこのテーブルに掛けて待っててくれへんか。わい、もうちょっとしたら時間できるよってに」
「い、いいのか?」
「今ちょうどテーブル一つ空いたところやねん」

 ケンジとマユミは促されるまま、窓際に置かれた三つのテーブルのうちの一つに向かい合って座った。

 しばらくして小太りの中年女性が二人のテーブルにやって来た。「お二人がケンジくんとマユミさんやね?」
 その女性はにこにこしながらテーブルにコーヒーのカップを二客置いた。「いっつもケニーがお世話になっとるんやてね? おおきにありがとう」
「ケニーのお母さん、ですか?」ケンジが思わず立ち上がり、恐縮したように言った。
「始めまして」マユミも立ち上がり、ぺこりと頭を下げた。
「ありがとうな、開店早々来てもろうて。それに、去年の夏はケニーが三日もご厄介になったんやろ? ホームステイで。えらい迷惑かけしもうて……」
「とんでもない。ケニーのお陰で俺たち円満です」
「へ? 円満? どういうこっちゃ?」
「い、いえ。あの、い、いろいろと気遣ってくれて、お、俺たちも、その……」
 横からマユミが言った。「その時ケニーとはあたしも仲良しになったから、こうして日本に来て下さって、すごく嬉しいです。それにあたし、チョコレート大好物なので……」
「ほんまに? そらよかった。いっぱい利用してな」
「すみません、お忙しい時にお邪魔しちゃって……」
「かめへんて。しばらくしたらケニーが相手するよってに、もうちょっと待っててな」
「ありがとうございます」

 ケネスの母親がそこを離れた。

「もう、ケン兄ったら、自分でフォローできなくなるようなこと、言わないの」
「悪い……」
 ケンジは座り直してテーブルに載っていた商品メニューを広げ、テーブルの真ん中に置いた。「いろいろあるもんだな、チョコレート……」
「どれもおいしそう」


 ケンジたちのカップが空になった頃、ケネスが二人のところにやってきた。

「すまんすまん。なかなか手え離せんかったわ。コーヒーのお代わりどうや?」
「どうする? マユ」
「いただこうかな」
「はい、喜んで。少々お待ちを」ケネスは笑いながら一度キッチンに消え、大きなデキャンタを持ってやって来た。「このコーヒーにもほんのちょっとチョコレートの風味がついてんねんで」
「へえ!」

 コーヒーを注いでもらいながらマユミが言った。「ありがとう、ケニー。とってもおいしいよ」
「そうか、そらよかった」

 もう一度キッチンに入って、ケネスは自分用のコーヒーと小振りの箱を持って戻ってきた。

「いいのか? まだお客さんいっぱいじゃないか」
「ええねん。手伝いの三人の姉ちゃんたちが来てくれたからな」
「そうか」
「でも、ケニー、すごいね、こんなにたくさんの種類があるんだ」マユミがメニューをめくりながら心底嬉しそうに言った。
「うちはな、単に仕入れたもんを売る店やないんやで。全商品親父とおかんの手が入っとる」
「あの奥が、仕事場なんだろ?」ケンジが店の奥の大きなガラス板で仕切られたスペースに目をやった。
「『アトリエ』っちゅうんや。ショコラティエの作業場」
「かっこいいね」マユミが言った。
「親父はな、どんな商品でも、チョコレートに関係ないものは置かない主義なんや」
「それでこそチョコレート・ハウス」
「流行ればええねんけどな」ケネスはコーヒーカップを口に持っていった。
「絶対大丈夫だと思うぞ」
「あたしも。間違いなく女子高校生、中学生、主婦の御用達になるよ」
「そやな。それはわいたちも期待しとる」
「こうして喫茶スペースもあるし。ちゃんと跡継ぎもいるしな」ケンジはウィンクをした。

「ねえねえ、ケニー、」
「なんや? マーユ」
「これ、食べていい?」マユミがテーブルに置かれた箱を指さした。
「ああ、すんまへん! 持って来といて、開けもせんで」

 ケネスはその正方形の箱を開けた。一口大のいろんな種類のチョコレートが九つ並んでいた。

「うちの主力商品、『シンプソンのアソートチョコレート』や」
「ストレートなネーミングだな……」ケンジが言った。
「言うたやろ、うちのファミリー、センスあれへんって」
「いいんじゃない? わかりやすいし、十分アピールできてるよ」マユミが言った。
「ほんまに?」
「うん。主力商品なら、これぐらい単純明快な方がいいと思うよ」
「おおきに、マーユ」ケネスはにっこりと笑って、一つのチョコレートをつまんでマユミに手渡した。
「それはリッチでクリーミーなミルクチョコレートや。マーユのイメージにぴったりやと思うで」
「いただきまーす」マユミは手渡されたそのチョコレートを口に入れた。「んー!」マユミは目をぎゅっとつぶって両手を頬に当てた。「最高ーっ!」
「お気に召しましたか? マユミお嬢さま」ケネスが言って笑った。
「どれどれ、俺も」ケンジが箱に手を伸ばした。「これ、いただこうかな」

 彼がつまんだのは四角い形のダークブラウンのチョコレートだった。

「それはうちで一番カカオ成分が多くて香りがリッチなビターチョコや」
「へえ」ケンジはそれを口に入れた。「おお! なるほどっ!」
「おいしい? ケン兄」
「確かに苦い。でもただ苦いだけじゃなくて、本当に香りがすごい。カカオってこんなに強烈に香るんだ」ケンジは感動したように言った。「でもやっぱり苦い……」ケンジは渋い顔をした。
「苦い思いをした後は、これやで」ケネスは箱からベージュがかったブラウンのチョコレートを手に取り、ケンジに与えた。ケンジはそれを口に入れた。
「どや? かえって普通のんより甘く感じるやろ? ケンジ」
「うん。甘い。やっぱり俺、チョコレートはこれぐらい甘甘の方がいいな」

 今度はケネスがウィンクをした。「苦い経験の後のマーユとの時間は、格別やったやろ?」
「そうだな」ケンジは少し照れたように笑ってうつむいた後、すぐに顔を上げてマユミを見た。マユミもケンジを見つめ返していつもの愛らしい笑顔を作った。
「ケン兄に抱かれて、甘く溶けちゃう。あたしもチョコレートと同じだね」
 ケネスは仰け反った。「ええなー、わいも女のコにこんな風に言われてみたいもんや」
「マユ、恥ずかしいこと人前で言わないでくれよ」ケンジは赤くなってマユミの額を小突いた。
「ま、キホンチョコレートは甘い方がええな。やっぱり」ケネスは笑ってカップを持ち上げた。

――the End

※本作品の著作権はS.Simpsonにあります。無断での転載、転用、複製を固く禁止します。
※Copyright © Secret Simpson 2012-2016 all rights reserved 
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