逆さの砂時計
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Side Story
少女怪盗と仮面の神父 15
指輪の捜索を手伝ってくれた女衆はその後、明るい内に解散していた。
自警団の仕事を邪魔しない為でもあるが……一番の理由は、お目当てのアーレストが「今日はミートリッテさんの勉強に付き添います」と言ったからだろう。
混乱状態で外へ駆け出そうとした女を強引に書庫兼執務室へ押し込んだ挙げ句外側から鍵まで掛けておいて、付き添うも何も無かろうに。大人の舌先三寸には二の句が継げない。おかげで少しだけ頭が冷えたのだけど。
女衆も女衆で、鑑賞できないならとあっさり帰ってしまう潔さが素晴らしい。自分に素直というか、欲望に忠実というか。此処まで露骨な態度を披露されると、恐怖や呆れを通り越して実に羨ましい生き方だと尊敬してしまいそうになる。例によって、倣いたいとは全く思わないが。
(まぁ、倣いたくても倣えないんだけどね。何時でも自由に行動できるって良いなぁ……)
「お待たせしました。行きましょうか」
「あ、はい」
敷地境であるアーチの一歩外側で一人立っていたミートリッテに、教会内の戸締りを終えたアーレストが歩み寄る。動きはゆったりしてるのに、距離の縮まり方が異常に早い。高い身長を支える長い足の所為か。
「? 私の足に、何か付いていますか?」
足元へ注がれる視線に気付き、立ち止まって自身を見直す彼に、ふるふると頭を振る。
「いえ、私服はズボン姿なんだなぁと思っただけです」
「ああ……実家にはいろいろあるんですけどね。地方暮らしは初めてなので、念の為に動きやすさと機能性を重視して選んだ結果こうなりました。やはり、違和感がありますか?」
いろいろってなんだ。ズボン姿と、体全体を覆う神父服みたいなだらだら系の他にも何かあるんだろうか? まさか生足を曝すような……いやいや。幾らなんでも、そんな莫迦な。
男性物の服に興味は無かったが、目の前の美形の普段着がとんでもなく奇妙な物だったらと想像して、内心ちょっと笑ってしまった。
「神父姿しか見てなかったので新鮮ではありますが、違和感は全然無いです。よくお似合いだと思いますよ」
村の散歩は業務外だからと律儀に替えてきた服装は、ツルツルスベスベで肌触りが良さそうな長袖の白いシャツに、燕尾服で使われているような布地の黒いズボン。爪先に向かって細くなる飾り気が無い上品な形の靴は、光沢が美しい黒革製。いつも身に付けている水鳥と月桂樹の葉を模した銀色のペンダントを外してないのは、信仰心故か職業病か。
背中に垂らした三つ編みは綺麗に纏まっていて、全体に清潔感を漂わせている。サラッサラした長い髪を自分で編むとは、なんと器用な手先だ。
体型も、余分な肉が無くスラッとしていて健康的。何処ぞの貴公子(凛々しい貴婦人)ですと紹介されても納得できる風体だが……女としては並んで歩きたくない。二人を比較する他人の目線が集まれば、冴えない自分を嫌でも自覚させられて地味に悲しくなりそうだ。元々、己の外見に手入れするほどの拘りは無いが。
しかし。
「……ありがとうございます」
ミートリッテが自己嫌悪に陥る前に、何故かアーレストのほうが少しだけ残念そうに肩を落として微笑んだ。
(? 普通に誉めたつもりだけど、適当に流されたとでも思ったのかしら? 私の反応が不満なら尋かなきゃ良かったのに。私からの好感度が激低で、わざと愛想悪くされてる事くらい分かって……なかったりして。そういうの気にする性格じゃなさそうだしなぁ)
寂しそうにも拗ねているようにも見える横顔に首を捻りつつ、普段は開きっ放しの門扉にも施錠したアーレストと隣同士、青紫とオレンジが混ざる夕焼け色の坂道を同じ速度で下る。
菜園までの一本道、人影は一つも無かった。その代わり、菜園の周辺では教会方面に二人、果樹園方面に二人、住宅区方面に二人、村の入口方面に二人、計八人の武装した自警団員が、それぞれの様子を窺うように立っている。どうやら巡回を無事に終えて、各自指定位置に就いたらしい。
(此処に八人か。二人一組で交通の要所を張ってるなら、村の入口側でも六人から八人は置いてそうだけど……中央広場周辺と船着き場周辺はどうなってるんだろ。自警団員なんて、休みと交代返上で全員引っ張って来ても精々三十人くらいしかいないのに)
海賊相手はさすがに緊張するのか、此方から気軽に声を掛けられる雰囲気じゃないので、相手が振り返った時に「お疲れ様」と挨拶して脇を通り抜ける。
「……見事な菜園ですね。作物は総て、村外への商品なのですか?」
「近辺の村や町との商会協定で出荷制限が掛けられているので、全部ではないです。三割程度は村人にも格安で売ってくれますよ。ちなみに、此処の畑では主に葉物を育ててます。あっちの、今下りてきた坂道の近くでは芋等の根菜類。もう少し先の果樹園近くでは、トマト等背が高くなる物を中心に植えてますね」
「なるほど。土地の高低差を利用した陽当たりと風通し、水と土の関係を重視する設計でしょうか」
「みたいですよ。……なんて、私は果樹園で働かせてもらってますが、実の所野菜についてはよく解ってないんです。村のお婆ちゃん達が頑張って育ててるなーって、道すがら横目に眺める程度なので。神父様は栽培に詳しいんですか?」
「いいえ。ただ、植物にも適度な光や水や風通しが必要でしょう? 見た目に全体を気遣っていると感じたので、多分そうではないかと思ったのです」
「へぇ……」
(畑仕事とはあんまり縁が無さそうな王都から来た人間でも、植物に理解はあるんだ。意外ね。南方領の大きな街に住む人達だって、大半は買って済ますか小鉢で生けてる程度なのに)
「それに、ネアウィック村は総じて音が心地好い。必要以上に理を捻じ曲げず、生命が活力に満ち溢れている証拠です。此方に来るまでの街等では胸を引き裂かれる思いでしたが……こうした場所が残されていると知れて、僅かに救われました」
「音、ですか?」
ちょっと前にも似たような言葉を聞いた気がする。
あれは……そうだ。教会のアプローチで鍵を預かって礼拝堂に入る時、ミートリッテの音が綺麗とかなんとか言っていた。
「貴女にも聴こえているでしょう? さざ波の声、鳥や虫達の歌、風の囁き、植物達の語らいが。此処には無駄な物など一切無く、全てが輪を描いて繋がっている。あらゆるものが産まれ、生きて、死を迎えても地へ水へ還り、新たな命を育む糧となる。途切れることなく続き、されど二度と同じ旋律は辿らない、限られた刻の多重奏。私は、これ以上に美しい音楽を知りません」
「……」
舗装されてない道を住宅区へ向かって歩きながら、彼は本当に嬉しそうに笑っている。
なんとなくだが……この人物を放っておいたら、蛙や羽虫を追い掛けて一日中場所を選ばず走り回ってるんじゃないかと思ってしまった。そんな子供っぽい真似はしないだろうけど。あくまで、なんとなく。
「……私も、波の音は好きですよ」
詩的すぎて所々意味が解らないが、自分を拾ってくれた村が好意的に見られているのは純粋に嬉しい。こそばゆい気持ちで微笑むと、細めた視界に映るアーレストの顔が急に強張った。
何? と思うより先にサッと顔を逸らした彼が、一歩先を進み出す。その背中を目で追い
「あ」
「どうされました?」
なんでもない様子で振り返った神父越しに、昨夕視線を感じた場所が見えた。
(……私、莫迦だ。どうして直ぐに思い出さなかったんだろう)
船で会った海賊達とは違い、恐ろしいほど何の感情も滲ませてなかった気持ち悪い視線。
遭遇したのは、女衆とアーレストが家の前に集まっていた時。教会へ戻る少し前だ。坂道の登り下りで掛かる時間を含めても、指輪が失くなった時機とぴったり重なる。
(関係無い……とは思えない。もしかしたらあの視線の主が、指輪を盗んだ後何処かに隠れていた人間だったかも知れないんだ)
恐怖に固まってる場合じゃなかった。せめて体が動くようになった後、周辺をもっとしっかり注意深く探るべきだったのだ。……今更だけど。
「ミートリッテさん?」
瞳を真ん丸にして茫然と立ち竦むミートリッテを訝しむアーレスト。目の前で右手を軽く振り……
「あ、いえ。行きましょう」
きょとんとする彼を放置して、例の場所へと早足で歩く。
(ボーッとしてる場合じゃない。幾つか疑問は残るけど、あれが本当に指輪を盗んだ犯人で、海賊共とは別の誰かなら……指輪は、もう……)
『依頼』の完遂と引き替えに、一時的でも確実に恩人達を護る。そして、次の『依頼』が来るまでの間に海賊との縁を切る方法を考案、実行する……シャムロックのそんな願いは叶わない。
『依頼』は多分、失敗した。
(だから諦める? 冗談でしょ? まだ二日も残ってる。考えなきゃ。指輪を探す方法を。指輪が無くてもハウィス達を護れる方法を。それができるのは私だけ。私にしかできないんだから、私がやるしかない!)
汗が滲む手でバッグの持ち手を強く握り締めた。これも、もう使えなくなるなと自嘲で口元を歪ませて……立ち止まる。
「……神父様?」
気付けば隣に並んでいたアーレストが、果樹園へ続く坂道をじぃっと見上げている。目線の先を追い掛けてみても、其処にあるのは風に揺れる木々の葉だけ。
「この先がミートリッテさんの職場ですか?」
「ええ、そうです。マーマレードと完熟させた果実がお薦めな、オレンジの農園ですよ」
「……なるほど」
何に納得したのか、険しかった表情がふわりと和らぐ。
「空も随分黒くなってきましたし、急ぎましょうか。帰りは勿論お送りしますので、もう少しお付き合いください」
「それは構いませんが」
にこっと笑って歩き出すアーレストに付いて自警団員二人の間を通り抜け、住宅区へ入る。
今日は女衆に取り囲まれる事も無く、村人達の足音すら聞こえない。
みんな、大人しく帰宅しているようだ。
「この造りは、総てのご家庭から海を望めるように……との配慮でしょうか」
「はい。一人暮らしだとそりゃもう贅沢ですよ。絶景を堂々と独り占めですからね。教会から眺める海には劣りますけど」
「ふふ。外門から見る村の様子も圧巻ですよ。住み慣れるには少々時間を要しますが」
海へ向かう傾斜な土地で、チェッカー柄のように配置された全戸木造二階建て家屋の群れ。
その隙間を縫って中央広場まで出ると、砂浜への階段脇に武装した自警団員が二人、間隔を空けて立っていた。少し離れた右側にある、開店したばかりの酒場前にも一人。
同じく左側にある村長の家の前には誰も居ない。屋内で待機中か。
「砂浜と通じているのは、この階段だけですか?」
「いえ。船着き場の近くに水揚げされた魚を一時保管する施設があって、その手前に搬入用の小道が作られてます。舗装はされてませんが」
「ああ、あの大きな倉庫ですね」
夜目が利くのだろうか。
ついさっきまでの赤い陽光はあっという間に海没し、遠く離れた船着き場の辺りは暗くてはっきり見えない。それでもアーレストが見つめる先には、確かに保管施設が設置されている。
「住宅区より東側は、漁業関係の仕事場しかありませんけど……行ってみますか?」
国のど真ん中、内陸部に位置する王都には当然、漁業なんか無い。
興味があるならと尋いてみたが、彼は首を横に振った。
「此処までで十分です。ありがとうございま」
「アーレストさまーっ!」
ドカーン! と、いきなり派手な衝突音を響かせて、「何か」が神父に激突した。彼が吹っ飛ばなかったのは、その「何か」が細っこい女性だったからだ。
(って、ちょっと。この人今、砂浜から来たわよ? 驚いてないで仕事しなさいよ自警団員! もしこれが怪しい奴だったらどうすんの!?)
慌てふためく自警団員二人を睨むミートリッテの斜め前で、アーレストにべったり貼り付く謎の女性。
背格好で判断するなら、ハウィスよりちょっと年下くらいか。
「マーシャルさん……貴女が何故、此処に?」
アーレストも酷く慌てている。
「退屈だから来ちゃった」
驚いて固まる一同を気にもせず、マーシャルと呼ばれた女性は舌先をペロッと出して笑った。
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