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東郷さん

作者:千歳
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5/28東おそワンライ

おれの記憶が確かなら、明日はおそ松の誕生日だったと思う。あいつを拐ってきて早1年、最初はグズっていたおそ松も随分大人しくなって、今ではおれの仕事を手伝うくらいになっている。
折角こうしてあいつの誕生日を思い出したのだから、何かあいつが喜ぶものをやったり、どこかに出掛けてやってもいいのかもしれない。
「おい、おそ松」
炬燵に潜ってテレビに目をやるおそ松の側に屈んで、名前を呼んだ。
『なぁに?』
パッと顔をあげてこちらを向いた澄んだ瞳に今までは感じたこともなかった罪悪感が酷く湧いた。
「お前、明日誕生日だろ。何かしてほしいこととか、欲しいものとかねぇのか」
『えっ?』
こちらに向けられていた瞳が揺らいで、泳ぎだした。仕事を手伝えるようになったとはいえ、まだ子供だ。それなりの我が儘の1つや2つあるだろうに、こいつは何も不満を言わない。
「なんかあるだろ、おもちゃとかゲームとか、食いもんでこれが食いたいとか」
思いつくだけの例を挙げてもおそ松はうつむいたままだった。きっと、なにか言いたいことがあるに違いないのに、言えないといった雰囲気がある。
「じゃあ、おれが寝てる間に紙に書いて枕元に置いとけ。それなら多少頼みやすいだろ」
苦し紛れにそう提案すると、おそ松はよわよわしく頷いた。
『…わかった、そうする』
「じゃあおれはもう寝る。寝るときは電気消して布団に来いよ、炬燵で寝ると風邪をひく」
はーい、と返事を返したおそ松を居間に置いて、さっさと布団を敷いて横になって、すぐに目を閉じた。

翌朝、目を覚ましたおれの枕元には一通の手紙があった。昨日の会話があったのでまず間違いなくおそ松からだろうと思い、まだ寝ているおそ松を横目に封を切った。
中には封筒の大きさにそぐわない小さな紙が1枚入っていた。なんの躊躇いもなくその紙を見る。
 おとうさんと おかあさんと みんなのところへ うちに かえりたい 
紙には子供らしい拙い平仮名でそう書いてあった。
…帰りたい?今更?
もうおそ松と暮らしはじめて1年になるというのに、おれに1度も言わなかった言葉を、今日言うのか。そう考えた瞬間、全身がものすごい焦燥感にとりつかれた。
「ッ…クソが!」
目一杯の力を込めて布団を殴った。衝撃は全て布団に吸収されて、音も出ない。
どうしろってんだ、おれに。
こいつを今更松野家に帰せって?ふざけてる。おれはこいつを人質だからというだけで拐ってきたつもりはないし、不自由なく暮らさせているつもりだった。何が不満だったのか。
『…ごめんなさい』
その声にハッとして寝ていたはずのおそ松の方に目を向けた。案の定おそ松は起きていて、その目には涙を湛えていた
「…謝んな…お前のせいじゃねぇ」
『っでも、ぼく東郷さんのこと…!』
そこまで言ったおそ松を真横から叩いた。予想だにしなかった事件におそ松は顔を歪ませる。
「…ひとつ聞かせろ、何が不満だ」
苛々とした声色でおそ松にそう尋ねると、透明な涙を流しながら言う。
『みん、なでっ…くらしてたいっ…!みんなどうして、るかなぁ…っ!』
ボロボロと滴を落として、おそ松がそうよわよわしく呟いた。
その言葉でおれは我に返った。
ああ、おれはこいつに無理をさせていたんだ。自分の理想を押しつけて、こいつの意思を全く気にもとめずに、1年間の月日を無駄にしたんだ。
「準備しろ、出掛ける」

おれはおそ松を松野家に返すことにした。あの家族がどうこう言ってくるとは思えなかったし、わざわざ家まで出向いてやって、おそ松を家の中に放り込んだ。
「じゃあな、おそ松…最高の誕生日を」
『あ、ありが…!』
話の途中で引き戸を乱暴に閉める。これ以上この家の近くにいると心臓が止まってしまいそうなくらいに鳴っていた。1年前のあの日、ここからおそ松を拐った。殴って殴って、痛い思いをさせたこともある。ここに来るまで気付かなかった、おれがおそ松のことをここまで大切に考えていたなんて。

おそ松を家に帰して1週間が経った。あれからおそ松とは1度も話していないし、会うこともなかった。おそ松がいなくなった家の中は空気が殺伐としていて、1人でいてもあの事を思いだして、頭が割れそうだった。
少し見に行くくらいならいいだろう、そう思っておれが松野家の前まで行くと、家の中から怒鳴り声が聞こえてきた。
『どこいくんだよ!おそ松!』
『っ、うるさい!ぼくは東郷さんといっしょがいい!おまえらなんかより、ずっとすきだ!』
バタバタと廊下を走った足音が一瞬玄関で止まって、すぐにおそ松が出てきた。
『あっ』
おれを目の前にして突然立ち止まる。
「なんだお前、おれと一緒にいたいのか」
こちらを見て固まるおそ松を嘲笑してそう言うと、意外にも大人しく首を縦に振った。
折角誕生日プレゼントにうちまで送り届けてやったが、こんな状況でまで置いていけるほどおれは律儀な人間じゃあない。胸が安堵でいっぱいになって、おそ松の細い腕をぐっと掴んだ。
「もう逃がさねぇぞ、泣いて喚いても知らねぇからな」
1年前にしたような口調で、脅すようにそう言うとおそ松はへら、と笑って頷いた。
松野家には挨拶なんて必要ないだろう。あいつらはおれがまたおそ松を拐いに来ることをわかっていたにも関わらず、注意を払っていなかったのだから。
愛おしい手つきでおそ松の頭を撫でて、額にキスをした。
『おぢさん、あのね』
抱き抱えるようにしておそ松と一緒に帰路を急いだ。耳元でおそ松の声が、言葉が反芻される。
『だいすき』 
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