逆さの砂時計
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Side Story
少女怪盗と仮面の神父 23
ミートリッテはまず、相手の出方を探る為に同業者疑惑の鎌を掛けた。
罠の先で待ち構えているのが『誰』であろうと、怪盗に用事があるなら、これには必ず反応すると踏んでのことだ。
そして、ミートリッテの前に現れた女性はその鎌を嘲笑い。
シャムロックに対して、「はじめまして」と返した。
ミートリッテの背後に現れたのは、そんな女性の仲間。
海賊とは違う集団の一員だ。
女性が本命として呼び込んでるらしい『あいつら』……
村を護る側であるらしい一団に向けた牽制か何かで利用する為。
アルフィンを人質にして、ミートリッテの拘束を狙ってる。
と、思っていたのに。
何故。
失踪していた筈のアーレストがどうして。
敵が居る筈の、ミートリッテの斜め後ろに、平然と立っているのか。
「神父、様?」
「はい」
二日前と同じ格好でありながら、嫌味なほど清潔感に遜色が無い神父。
そんなアーレストを見上げ、愕然と漏れ出たミートリッテの問いかけに。
彼は人好きのする笑顔でこくりと頷いた。
好い天気ですね。月見のお供にお茶でもいかが?
とか、場違い極まりない能天気発言を繰り出しそうな、穏やかな微笑み。
だから。
「あんた……こんな所で何してんのよ!? 人の不安に寄り添って支えるべき聖職者が、職務を放ったらかして突然消えるとかっ! 村の人達がどんだけ心配してると思ってんだ! 自由に動けるんなら、さっさと帰ってみんなに土下座でも逆立ちでも隠し芸披露でもなんでもして誠心誠意謝ってこい! こんの、ド阿呆ーっ!!」
空気の読めなさ加減にカッとなり、汚い口調で罵倒しちゃったとしても、ミートリッテに責は無いだろう。
鼓膜を破るような大音量の怒声に、しかしアーレストは微笑みを崩さず、そっと掬い上げたミートリッテの右手を、自身の胸元へ持ち上げ。
目蓋を伏せて、軽くうつむいた。
「嬉しいです」
「……は?」
「アリア信仰なんかどうでもいいと言い切っていた貴女が、聖職者の職務に理解を示し、一時道を外れた私に対して怠慢であると本気で怒りをぶつけてくれました。なんと気高く、思いやりに満ちた言葉でしょう。付け焼き刃の精神修行など必要ない。貴女はとうに、大司教の心を持っているのですね。身に成っていないのが、実に惜しい」
「ぅげ!」
アーレストの唇が、月の光を受けて淡く輝く白い手の甲にそっと触れる。
柔らかな感触と気色悪い生温かさを刻み、小さな音を立てて離れた。
そしてまた顔を上げて、にっこりと微笑むが。
羞恥と嫌悪で暴れる右手はしっかり捕らえたまま、解放してくれない。
(こっ、ここっ……この男はぁあっ!)
どこまでも我が道を行く憎たらしい神父を精一杯刺々しく睨みつけても、真っ赤な顔でぴるぴる震えていたのでは凄みも何もあったもんじゃない。
せいぜい照れ隠しのささやかな威嚇くらいにしか思われてない気がする。
あるいは、まったく気にしてないか。
……気にしてないに一票。
「離して! 今は司教になるとかならないとか、そんな話をしてる場合じゃないんだってば!」
手枷のすぐ上を掴まれ。
痛む両足で踏ん張ってみても、うまく力が入らず逃げられない。
ならば頬を引っ叩いてやろうとした左手も、あっさり封じられてしまう。
「残念ですが。貴女がもっと早く、自分の力で気付けていれば、そんな話で済んでいたのですよ、ミートリッテさん」
「! ぶふっ」
両腕を強く引っ張られ、よろけた拍子にアーレストの胸へ顔面衝突する。
驚く隙もなく背中に回された両腕が体を固定し、足まで絡ませてきた。
こんな姿勢では、神父を叩くことも、蹴ることもできない。
「ア……!」
なんのつもりかと、口を開きかけ
「イオーネさん。シャムロックはこのまま私が押さえておきますから、早くアルフィンさんを奥へ。複数の人質を長く一つ所に留めるのは愚行ですよ」
抗議の声と被ったアーレストの言葉で、全身の血が凍り付いた。
(……うそ……でしょ?)
「ええ。良い子にしてなさいね、アルフィン。お前が大人しくしていれば、あのお姉さんも余計な怪我はしないわ。解るでしょう?」
「…………」
「あはっ! お前は本当に賢く好ましい子ね、アルフィン。どこかの無能で愚鈍な仔猫ちゃんとは大違い。
……連れていけ。殺されたくなかったら、手は出すなよ」
アーレストに抱き込まれてるせいで目には見えないが。
突然現れた無数の足音と一緒にアルフィンの気配が森奥へと消えていく。
去り際、多人数がわざとバラバラに動いてくれたおかげで、アルフィンがどの方角へ向かったのか、足音だけでは追い切れなかった。
「……なんで? あんたは人を助ける仕事をしてるんじゃないの神父様!? アルフィンが何をされたか、その目でしっかり見てたでしょう!? なのに、どうしてよりによってあんたが、あんな人達の仲間なのよ!!」
静寂が戻った場で、ミートリッテがアーレストに言い募る。
何を不思議に思ったのか、彼は小首を傾げ。
やや間を置いてから、「ああ」と呟いた。
「イオーネさんとの会話をもって教育方針を少々変えただけです。彼女達を非難する前に自らの行いを省みなさい、シャムロック。貴女が犯した本当の罪を自覚しない限り、この先も同じことが際限なく、くり返されますよ」
「!? 本当の罪、って……」
義を銘打ったところで、シャムロックも所詮は『賊』だ。
盗みの標的は、いたずらに税金を搾取する貴族に限定してるとはいえ。
相手から物を奪い盗るのは絶対悪。
貴族達からすれば、抹殺したい程度の大迷惑な行為であろうが。
他に何があるのか?
(……分からない。でも……)
「神父様」
「はい。なんでしょう?」
「今日ね。一ヶ月くらいの長い漁を終えたアルフィンのお父さんが、やっとネアウィック村に帰ってきたんです」
「……そうですか」
「はい。アルフィンはね。お父さんに会える日を、ずっとずっと波打ち際で待ってました。ご存知の通り、私は怪盗なんかやってるから実際に見かけた回数は少ないんですけど。お父さんが漁に出てる間は毎日欠かさず、無事に帰ってきて欲しいと祈りを込めて、砂浜に立ってるんですって。
前の漁帰りでは、船を降りるなり十分以上も抱き合ってたんですよ。
「お帰りなさい」、「ただいま」って……すっごく嬉しそうに。
想像できます? 普段は感情の起伏に乏しいあの子の表情が、可憐に咲く花みたいにふんわりと綻ぶんですよ。あの場面で傍に居たら、もらい泣きは避けられません」
「お互いを大切にしているのですね」
「それはもう。呆れたお父さんの漁師仲間達が、その日の仕事を片っ端から取り上げちゃうくらいベタ甘です。ベタベタの甘々、なんです」
ふふ……と笑い細めたミートリッテの目元から、水滴が一粒。
頬を滑って、アーレストのシャツに零れ落ちた。
「ねえ、神父様。貴方がシャムロックになんらかの問題を指摘しているのは解りました。でも、その件に関係ない人を巻き込む必要があるんですか?
ただただ父親の帰りを待っていただけの年端も行かない子供をあんな風に怯えさせたり傷付けたりしても見逃されるほどのことなんですか……?
私がそこまで重大な罪を犯してるのに、全然気付いてないって言うなら、どうして……? どうして、私自身に直接教えてくれなかったんですか! そうしてくれていたら、アルフィンは、あんな怪我っ……!」
アーレストの輪郭が滲んで波打つ。
細い腕に血を流していた少女を思うと、胸の奥が痛んで涙が止まらない。
けれど。
アーレストの返事を聞いた瞬間、息が詰まった。
「貴女に罪を証明しなかった理由? はっきり言って、無駄だからですよ。目先の安寧に囚われた思い込みの激しい貴女が、ほぼ初対面でろくに会話もしていない信用もない私の忠告を真に受けてくれた、とは思えません」
「そ、それは……でも!」
「そもそもこれは、シャムロックが行動を起こす前に、自身の目と理性とで看取しなければいけなかった『ごく当たり前のこと』なのです。いつの日かこうなるかも知れないと予測すらしてなかった時点で、貴女は愚かだとしか言いようがない。
それでも私は、貴女と初めて対面したあの時からずっと、自力で気付き、更生する機会を与えてきました。多少予想外な展開があって誤魔化したりもしましたが、分かりやすい手掛かりも、折りに触れて混ぜていた筈です。
今の今まで目を逸らし続けてきたのは、他ならぬ貴女自身の意思だ。
一人で願い、一人で決断し、一人で始めたことで、不都合が生じた途端、巻き込まれた他者の言動を問う。……身勝手だとは思いませんか?」
「…………っ!」
「貴女は自立心が強い反面、未成年者としての甘えが抜け切っていません。感謝を謳いつつ、周りに居る人の心は解さず、信じず、見ようとしてない、独り善がりもはなはだしい子供。故に自身の行動が周りに与えている影響を感じ取れもしない。
よくお聴きなさい、シャムロック。アルフィンさんは確かに関係者です。
真実、貴女達の行いが生み出した『被害者』なのですよ」
「! そ……っ」
経緯は、いまいち腑に落ちないが……、シャムロックを狙って拉致されたアルフィンはまさしく『シャムロックの被害者』と言える。
しかし、彼女と怪盗との接点は、両者が住むネアウィック村だけだ。
何も知らない一般民に危害を加えたのはイオーネと呼ばれた女性であり。
結果、『シャムロックの被害者』に仕立て上げたのもイオーネだ。
そう訴えようとして、突如、背後に降ってきた何者かにさえぎられた。
「え」
ぴぅっ! と、耳元で風を切る音。
同時にアーレストがミートリッテの肩と腰を押さえて一歩後ろへ退がり、やれやれと、わざとらしいため息を吐く。
「もう少し、穏やかに登場してはいただけませんか? ミートリッテさんを傷付けたくはないでしょう?」
苦笑う神父に構わず、二度三度と空気が切断される。
その素早い斬り込みと突き出しを横目で覗けば。
鋭く尖った銀色の残像が、アーレストの顔や首を狙っていた。
(誰!? なんなの、この速さ!?)
一撃一撃が速すぎて、動きが読めない。
ミートリッテを支えながら軽やかに攻撃を避け続ける優男も、異常だ。
過去数回、お屋敷などで覗き見た貴族社会の『舞踏』を連想させる動きに茫然と身を任せていると。
回転する視界の端に、肩を震わせてるイオーネの姿が映り込む。
乱入者を見てぽかんと開いていた唇が、少しずつ笑みを浮かべ……
「……あは! あはははっ! やっと! やーっと会えた! 嬉しいわ! 貴女の綺麗な青い目を私にも見せて、マーシャル!!」
(……え?)
歓喜で叫んだイオーネが地を蹴り。
持っていた短剣を、乱入してきた何者かの背中に突き出した。
何者かは、アーレストに放った剣光を翻し。
イオーネの攻撃をいとも容易く受け流して、距離を取る。
「マーシャル、って……」
ミートリッテが知ってる『マーシャル』は、一人しかいない。
でも、まさか。
遊んでと言いながらアーレストにべったりと体を寄せていたあの女性が。
彼の顔を潰す勢いで襲いかかった?
「見ますか?」
確認しようとじたばた暴れ出したミートリッテに気付いたアーレストが、年齢のわりに小さめな体を、腕の中で器用に反転させる。
(…………!)
細長い剣の切っ先をイオーネに向けて対峙するのは。
確かに砂浜を真っ赤なピンヒールで疾走していた風変わりな女性だった。
花飾りこそ挿してないが、ふわふわの長い金髪も、両肩と左脚を露出した真っ赤なドレスとピンヒールも、村で見た時とほとんど変わってない。
ただし。
「初対面のキモい女に呼び捨てされるなんて、アタシも有名になったわね。ま、情報の出所なんかいくらでもあるんだし、別にどうでもいいんだけど。ねぇねぇ、アーレストさまぁ? 裏切るにしても、取り付く相手はよおーく吟味して選んだほうが良いわよぉ? 男の価値って、周りをうろちょろする女の質でも左右されるんだから。これ万国共通の常識よ? ジョーシキ!」
楽し気に弾む笑い声とは裏腹に。
青い湖面色の眼差しは、激しい怒りと殺意を湛えていた。
初めて会った時の妖艶さや子供っぽい印象は、今の彼女のどこにもない。
(炎だ。灼熱の……炎……)
矛先はミートリッテではないのに、目を合わせたら焼き殺されそうだ。
月の下で凛と佇むマーシャルの姿に怖気を震う。
そんなミートリッテの体の竦みが伝わったのか。
アーレストが両肩をしっかり抱えて「大丈夫ですよ」と耳打ちしてくる。
「でしたら私が、私の周囲の方々を導きましょう。自らの器を他人に預けて良しとはしたくないのですが。私自身も、周囲の方々を測る一役と望まれ、相応しいありさまを求められるのでしょうから。相乗効果で互いにより良い生き方を得られれば重畳というもの」
「ふふ。人類みーんなお友達論? 素敵な理想をお持ちだこと。けど残念。アタシはもう、幻想なんか信じてないのよ!」
銀色の刃が軽やかに閃き。
薄暗闇に光線を引きながら、イオーネへと突進する。
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