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逆さの砂時計

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Side Story
  少女怪盗と仮面の神父 23

 背後に現れたのは、シャムロックが掛けた「同業者疑惑」の鎌に乗じて「はじめまして」と返した女性の仲間……『海賊とは違う集団』の一員だ。呼び寄せてるらしい「あいつら」への牽制か何かで利用する為、アルフィンを人質にミートリッテの拘束を狙ってる。
 ……と、思ったのに。
 何故。
 失踪していた筈の男がどうして、敵が居る筈の斜め後ろに平然と立っているのか。
 「神父、様?」
 「はい」
 二日前と同じ格好をしていながら嫌味なほど清潔感に遜色が無いアーレストは、愕然と漏れ出た問い掛けに人好きのする笑顔でこくりと頷いた。
 「好い天気ですね。月見のお供にお茶でもいかが?」とか、場違い極まりない能天気発言を繰り出しそうな、静かで穏やかな微笑み。
 だから
 「……あんたねぇ! 此処で何してんのよ!? 人の不安に寄り添って支えるべき聖職者が、職務を放ったらかして突然消えるとか! 村の人達がどんだけ心配してると思ってんだ! 自由に動けるんだったら、さっさと帰ってみんなに土下座でも逆立ちでも隠し芸披露でも何でもして誠心誠意謝ってこい! こんの、ド阿呆ーッ!!」
 空気の読めなさ加減にカッとなり、礼節そっち退けの汚い口調で年上男性を罵倒しちゃったとしても、ミートリッテに責は無いだろう。
 鼓膜を突き破るような大音量の怒声に、しかしアーレストは眉一つ動かさず、ミートリッテの右手を自身の胸元へ持ち上げる。
 「嬉しいです」
 「……は?」
 「アリア信仰なんかどうでもいいと言い切っていた貴女が聖職者の職務に理解を示し、一時道を外れた私に対して怠慢であると本気で怒りをぶつけてくれました。なんと気高く、思い遣りに満ちた言葉でしょう。付け焼き刃の精神修行など必要無い。貴女はとうに大司教の心を持っているのですね。身に成っていないのが実に惜しい」
 「ぅげ!」
 軽く俯いて目蓋を伏せたアーレストの唇が、月光を受けて淡く輝く白い手の甲にそっと触れた。柔らかな感触と気色悪い生温かさを刻み、ちゅっ……と小さな音を立てて離れる。
 そしてまた顔を上げてにっこり微笑むが、羞恥と嫌悪で暴れる右手はしっかり捕らえたまま、解放してくれない。
 (こっ、ここっ……この男はぁあっ!)
 何処までも我が道を行く憎たらしい神父を精一杯刺々しく睨み付けても、真っ赤な顔でぴるぴる震えていたのでは凄みも何もあったもんじゃない。精々照れ隠しの細やかな威嚇だ、くらいにしか思われてない気がする。或いは全く気にしてないか。
 ……気にしてないに一票。
 「離して! 今は司教になるとかならないとか、そんな話をしてる場合じゃないんだってば!」
 手枷の直ぐ上を掴まれ、痛む両足で踏ん張ってみても、うまく力が入らず逃げられない。
 ならば頬を引っ叩いてやろうと振り翳した左手も、あっさり封じられてしまう。
 「残念ですが。貴女がもっと早く気付いていれば、そんな話で済んでいたのですよ、ミートリッテさん」
 「! ぶふっ」
 両腕を強く引っ張られた。よろけた拍子にアーレストの胸へ、思いっ切り顔面衝突する。
 驚く隙も無く背中に回された両腕が体を密着固定し、おまけに足まで絡ませてきた。
 これでは神父を叩くことも蹴ることもできない。
 「ア……!」
 なんのつもりかと口を開きかけて……
 「イオーネさん。シャムロックは私が押さえておきますから、早くアルフィンさんを奥へ。複数の人質を長時間一つ所に留めるのは愚行ですよ」
 抗議の声と被ったアーレストの言葉で、全身の血が凍り付いた。
 (……うそ……でしょ?)
 「ええ。……良い子にしてなさいね、アルフィン。お前が大人しくしていれば、あのお姉さんも余計な怪我はしないわ。解るでしょう?」
 「…………」
 「あはっ。お前は本当に賢い、好ましい子ね。何処かの無能で愚鈍な仔猫ちゃんとは大違い。……連れて行け。殺されたくなかったら手は出すなよ」
 アーレストに抱き込まれてる所為で目には見えないが、突然現れた無数の足音と一緒にアルフィンの気配が森林の奥へと消えて行く。去り際、多人数がバラバラに動いてくれたおかげで、アルフィンがどの方角へ向かったのか……耳だけでは追い切れなかった。
 「……なんで? あんたは人を助ける仕事をしてるんじゃないの!? アルフィンが何をされたか、しっかりその目で見てたでしょう!? なのになんで、よりによってあんな人達の仲間なのよ!!」
 静寂が戻った場で、ミートリッテは一切の抵抗を止め、アーレストに言い募る。
 何が不思議なのか、彼は小首を傾げ……ああ、と呟いた。
 「イオーネさんとの会話を以て方針を少々変えただけです。彼女達を非難する前に自らの行いを省みなさい、シャムロック。貴女が犯した本当の罪を自覚しない限り、この先も同じ事が際限無く繰り返されますよ」
 「!? 本当の罪、って……」
 義を銘打ったところで、シャムロックも所詮「賊」だ。徒に税金を搾取する貴族に限定してるとは言え、相手から物を奪い盗るのは絶対悪。貴族達からすれば抹殺したい程度の大迷惑な行為であろうが……他に何があるのか?
 (……分からない。でも……)
 「神父様」
 「はい。なんでしょう?」
 「今日ね。とても長い漁を終えたアルフィンのお父さんが、やっと帰って来たんです」
 「……そうですか」
 「はい。アルフィンはね。お父さんに会える日をずっとずっと波打ち際で待ってました。ご存知の通り、私は怪盗なんかやってるから実際に見かけた回数は少ないんですけど……お父さんが漁に出てる間は毎日欠かさず、無事に帰って来て欲しいと祈りを込めて海岸に立ってるんですって。前の漁帰りでは、船を降りるなり十分以上も抱き合ってたんですよ。お帰りなさい、ただいまって……すっごく嬉しそうに。想像できます? 普段は起伏に乏しいあの子の表情が、可憐に咲く花みたいにふんわり綻ぶんですよ。あの場面で傍に居たら、貰い泣きは避けられません」
 「お互いを大切にしているのですね」
 「それはもう。呆れたお父さんの漁師仲間が、その日の仕事を全部取り上げちゃうくらいベタ甘です。ベタベタの甘々、なんです」
 ふふ……と笑い細めた目元から、水滴が一粒。頬を滑ってアーレストのシャツに零れ落ちた。
 「ねぇ、神父様」
 「……はい」
 「貴方がシャムロックに何らかの問題を指摘してるのは解りました。でもそれって、関係無い人間を巻き込む必要があったんですか? ただただ父親の帰りを待っていただけの年端も行かない子供を、あんな風に怯えさせたり傷付けたりしても見逃されるほどの事なんですか……? 私が其処まで重大な罪を犯してるのに全然気付いてないって言うなら、どうして……どうして私自身に直接教えてくれなかったんですか! そうしてくれていたら、アルフィンは……!」
 アーレストの輪郭が滲んで波打つ。
 細い腕に血を流していた少女を思うと、胸の奥がズキズキ痛んで涙が止まらない。
 けれど。アーレストの返事を聞いた瞬間、息が詰まった。
 「何故、貴女に罪を証明しなかったのか? はっきり言って「無駄だから」ですよ。目先の安寧に囚われた思い込みの激しい貴女が、会って数日しか経ってない私の忠告を真に受けて怪盗を辞めていたとは考えられませんし。そもそもこれは、貴女が行動を起こす前に自身の目で看取しなければいけなかった「ごく当たり前の事」なのです。いつかこんな日が来るかも知れないと予測すらしてなかった時点で、貴女は愚かだとしか言いようがない。それでも私は、貴女と初めて対面した時からずっと、自力で気付き更生する機会を与えてきました。多少予想外な展開があって誤魔化した部分はありますが、判りやすい手掛かりも混ぜていた筈です。今の今まで目を逸らし続けてきたのは、他ならぬ貴女自身の意思だ。一人で願い、一人で決断し、一人で始めた事で不都合が生じた途端、巻き込まれた他者の言動を問う。……身勝手だとは思いませんか?」
 「……!」
 「貴女は自立心が強い反面、子供としての甘えが抜け切っていません。感謝を謳いつつ周りに居る人の心は解さず信じず見ようとしてない、独り善がりも甚だしい子供。故に、自身の行動が周りにどんな影響を与えているのか、感じ取れもしない。……よくお聞きなさい、シャムロック。アルフィンさんは無関係ではありません。真実、貴女達の行いが生み出した『被害者』なのですよ」
 「! そ……っ」
 経緯はいまいち腑に落ちないが、シャムロックを狙って拉致されたアルフィンはまさしく『シャムロックの被害者』と言える。
 しかし、彼女と怪盗との接点は両者が住むネアウィック村だけだ。何も知らない一般民のアルフィンに危害を加えたのはイオーネと呼ばれた女性であり、結果『シャムロックの被害者』に仕立てたのもイオーネだ。
 そう訴えようとして。
 突如、背後に降ってきた「何者か」に遮られた。
 「え」
 ぴぅっ! と、耳元で風を切る音。
 同時にアーレストがミートリッテの肩と腰を押さえて一歩後ろへ退がり、やれやれとわざとらしい溜め息を吐く。
 「もう少し穏やかに登場していただけませんか? 彼女を傷付けたくないでしょう?」
 苦笑う神父に構わず、二度三度と風が切断される。その素早い斬り込みと突き出しを横目で覗けば、鋭く尖った銀色の残像がアーレストの顔や首を狙っていた。
 (誰!? なんなの、この速さ!?)
 一撃一撃が速すぎて筋が見えない。
 前のめりなミートリッテの体重を支えながら、軽やかな足さばきで全攻撃を避けてる優男も異常だ。
 過去数回覗き見た貴族社会の舞踏を連想させる動きに茫然と身を任せていると、くるくる回る視界の端に真ん丸な目で肩を震わせているイオーネの姿が映り込む。乱入者を見てぽかんと開いていた唇が、少しずつ笑みを浮かべ……
 「……あは! あはははっ! やっと! やーっと会えた! 嬉しいわ! 貴女の綺麗な青い瞳を私にも見せて、マーシャル!!」
 (……え?)
 歓喜で叫んだイオーネが地を蹴り、持っていた短剣を「何者か」の背中に突き出した。「何者か」はアーレストに放った剣光を翻し、いとも容易くイオーネの攻撃を受け流して距離を取る。
 「マーシャルって……」
 ミートリッテが知る「マーシャル」は一人しかいない。
 でもまさか。
 アーレストにべったり体を寄せていたあの女性が、彼の顔を潰す勢いで襲い掛かった? 
 「見ますか?」
 確認したくてじたばた暴れるミートリッテに気付いたアーレストが、年齢の割に小さめな体を腕の中で器用に反転させる。
 (……!)
 細長い剣の切っ先をイオーネに向けて対峙するのは、確かに砂浜を真っ赤なピンヒールで疾走していた風変わりな女性だった。花飾りこそ挿してないが、ふわふわの長い金髪も、両肩と左脚を露出した真っ赤なドレスとピンヒールも、村で見た時と殆ど変わってない。
 ただし。
 「……初対面のキモい女に呼び捨てされるなんて、アタシも有名になったものだわ。ま、情報の出所なんか幾らでもあるんだし、別にどうだっていいんだけど……ねぇねぇアーレストさまぁ? 裏切るにしても、取り付く相手はよぉおーく吟味して選んだほうが良いわよぉ? 男の価値って、周りをうろちょろする女の質でも左右されるんだから。これ、万国共通のジョーシキよ? ジョーシキ!」
 楽し気に弾む笑い声とは裏腹に、青い湖面色の眼差しは激しい怒りと殺意を湛えていた。初めて会った時の妖艶さや子供っぽい印象は、今の彼女の何処にも無い。
 (炎だ。灼熱の……炎)
 矛先はミートリッテではないのに、目を合わせたら焼き殺されそうだ。月の下で凛と佇む彼女の姿に怖気を震う。
 体の竦みが伝わったのか、アーレストが両肩をしっかり抱えて「大丈夫ですよ」と耳打ちしてくる。
 「でしたら、私が周囲の方々を導きましょう。自らの器量を他人に預けて良しとはしたくないですが……私自身も周囲の方々を測る一役と望まれ、相応の有り様を求められるのでしょうから。相乗作用でより良い生き方を得られれば、互いに重畳というもの」
 「ふふ。人類皆友達論? 素敵な理想をお持ちだこと。けど残念。アタシはもう、幻想を信じてないのよ!」
 銀の刃が閃き、線を引いてイオーネへ突進する。

 
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