逆さの砂時計
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Side Story
少女怪盗と仮面の神父 24
「……幻想を信じてない? 貴女が? 貴女達が!?」
金属がぶつかり合う音に続き、しゅりぃいんと擦れる嫌な音が響く。
交差した剣身が、互いの鍔もとへと滑り落ち。
マーシャルの懐へ踏み込んだイオーネは、マーシャルに口付ける距離で、彼女の言葉を笑い飛ばした。
「あっはは! どの口がそんなすっ惚けたこと言ってるの? 世間知らずの可哀想な仔猫を、世間知らずなまま退かせようとしていたクセに。自分達の過ちには頑丈なフタを被せて隠してちらりとも見せず、貴女だけはまっすぐ生きて欲しいとか。それこそが幻想って物でしょう? ねえマーシャル!」
二人の力は拮抗してるのか、火花散る鍔迫り合いが数十秒続き。
唐突にキンッ! と甲高い音を立てて、両者共数歩分後ろへ飛び退く。
「生憎、アタシは今回の計画に全面的な賛同はしてないのよ。ヴェラーナとアムネリダ達がそうしたいって言うから、ちょこっと協力して、後は遠くで見てただけ。要は、ほとんど邪魔者扱いだったんだけど! あー腹立つ! ヴェラーナに至っては、久々に会った途端、『あなたが絡むと話が拗れる。あの子には絶対関わらないで』よ? いくら喧嘩別れしてたからって、実のウィリアーに対して酷い言い草だと思わない!?」
背筋を伸ばしたマーシャルのドレスの裾がふわりと揺れ。
イオーネの灰茶色のロングコートがバタバタと忙しく空気を叩いた。
「ふぅん? だから、貴女だけ姿が見えなかったのね。じゃあ貴女、仔猫の将来には大して興味が無かったのかしら。怒り心頭に発するを体で表して、単身こんな所まで乗り込んできたクセに?」
クスクス笑いながら短剣の刃に舌を這わすイオーネ。
マーシャルは長剣の切先をイオーネに向けて構え直し。
呆れた表情で、両肩を持ち上げる。
「アムネリダ達には忠告したのよ? わざわざ誘いに乗って全員が動いたら村が手薄になる。離れてる間に何か起きたらヤバいんじゃないかって。でもヴェラーナが『鬱陶しい羽虫の大多数をまとめて叩き潰せる絶好の機会に、何も惜しむ必要はない。二度と私の手が届く範囲に現れないよう一匹残さず全力で徹底的に駆除してやる!』とか、もうマジギレしちゃってて、聞く耳持ってくれなかったのよ。あの状態のヴェラーナに物を言える人間なんか、この世にはせいぜい二人か三人しか居ないわ。なのに、ヴェッラティーナは案の定脱走するし、アーレストさまは裏切ってるし。連中も挙ってあっちに行っちゃってる以上、残ったアタシが活躍するしかないじゃない?
あ。これはついでに言っとくけど、ヴェラーナの大事なモノは、アタシの大切なモノなの。あんまりナメたマネしてると、ヴェッラティーナを除く、この場に居る総勢十八人。みんな愛剣の錆にしてやるから覚悟しなさい!」
(! 十八人!? そんなに居るの!?)
二人の会話をアーレストの腕の中で黙って聴いていたミートリッテだが、周囲を見回しても耳を欹てても、三人以外には呼吸音一つ捉えられない。
一方、マーシャルは人数まできっちり把握しているらしい。
アルフィンが連れて行かれる場面を直に見ていたのだろうか。
十八人の、誰にも見つからずに接近して?
只者じゃないのは、アーレストへの攻撃で充分見て取れたが。
長剣を自由自在に操っているマーシャルも、彼女と互角に渡り合っているイオーネも、マーシャルの速すぎる攻撃を軽々と避け続けたアーレストも、全員、格が違いすぎる。シャムロックを鼻で笑い飛ばせる本物だ。
この分でいくと、マーシャルが言う『アムネリダ達』と『ヴェラーナ』も彼女達並みの実力者なのだろう。
(私の周りに、そんな名前の人は居ない。けど、私をヴェッラティーナ? マーシャルさん自身をウィリアー? って異国の言葉で呼んでるから、多分『ヴェラーナ』も『アムネリダ』も、それぞれ個人の名前じゃなくて立場か何かを示してるんだわ。喧嘩別れした『ヴェラーナ』は、アーレスト神父が相談に乗ってたネアウィック村の人で、マーシャルさんと『ヴェラーナ』と『アムネリダ達』を合わせた全員が『あいつら』?
……っていうか……海賊に加えて、イオーネとやらもマーシャルさんも、当然、私の身近に居るらしい他の『あいつら』も知ってるって話よね……)
「どこまで広まってるのよ、シャムロックの正体!」
シャムロックの時は毎回男装して、頭にバンダナを巻き、手袋も着けて、顔の下半分は常にスカーフで覆い隠していた。
身長の低さだけは厚底の靴を履いてもどうしようもなかったが、それでも隠し切れてると思ってたのに……よもや、村の住民にまでバレていたとは。
海原へと投げた網を回収したら穴だらけだった、くらいの衝撃と虚しさに襲われた気分だ。
「ご心配なく。今はまだごく一部の方々しか知りませんよ。ですが、怪盗を続けていれば時間の問題でした。貴女の体には印が付いていますからね」
「印?」
ミートリッテは、遠目にも近目にもこれといって変わった身体的特徴など持ち合わせていない。どこをどう見ても、普通の一般民だ。
何の話だ、と自分の両手のひらを見比べて首を傾げると、アーレストがいかにも可愛いものを見たと言いたげな笑いを溢した。
「マーマレード」
「へ?」
「貴女の体には微かな潮の香りとオレンジの香りが染み付いているんです。生産者か、よほどの愛好家でない限り、これほど強くは匂わないでしょう」
「……あ!」
匂い。
マーマレードの……柑橘系特有の、爽やかで甘い香り。
ミートリッテ自身が食べる機会は滅多にないが。
ジャム作りの手伝いは、果樹園で仕事を貰った三年前から続けている。
試しに腕を鼻へ近付けてみれば、勘違いかとも思える程度にうーっすらと甘い匂いがした。
(なんてこと……! いつの間にか馴染んでたから、自分じゃそんなに強く感じないんだわ)
自分自身の体臭など、度を超した酷さでもなければ感じにくいものだ。
身だしなみに拘る女性なら、決して見逃さないであろう点を。
ミートリッテは完全に失念していた。
「海沿いにある居住地、鮮魚に並ぶ一押しの完熟オレンジとマーマレード。ネアウィック村を知っていれば、結び付けるのは簡単です。特にここ最近、果樹園の売り上げが少し伸びているのではありませんか? それと同時に、農園主の出張も増えていたり」
「え? なん…… まさか!?」
「はい。表向きは商談、本音は農園主の素行及び業務の実態調査、といったところでしょう。調査隊を直接派遣してこないのは、似た環境にある複数の生産地を疑っているから。いつ、どこに現れるか分からない怪盗への備えもありますし、警備を手薄にするよりも、取引をぶら下げて農園主達を手元に集めたほうが効率が良いと判断したのだと思います。そしてそれを、屋敷や逃走経路などの残り香に気付いた貴族達が、順番でくり返している」
嬉しそうなピッシュの笑顔が浮かんだ。
オレンジが大好きで、オレンジを育てることに誇りを持っている雇い主。
より多くの人に、オレンジやマーマレードを好きになってもらえたらと、身を粉にして働く恩人の一人。
彼の笑顔を、誇りを、生き甲斐を。
シャムロックが奪いかけている。
シャムロックのせいで、ピッシュがあらぬ疑いを掛けられ。
果樹園と同時に、ネアウィック村の存続すら危うくしている。
気付いた瞬間に頭の奥が真っ黒く染まり、体がブルッと震えた。
「シャムロック。貴女は深夜密かに貴族の屋敷から奪った品を、翌朝までに各領境付近で、祖国に帰る直前だったバーデル王国の商人達へ適当な理由を付けて売っていましたね。その代金はすべて各種産業が使う道具に変えて、地元の一次生産所にこっそり配り歩いた。道具の販売店や、卸売り業者や、製造者には売上金を。他の生産者達には新しい道具を無償提供することで、作業効率の向上と経営資金などの負担軽減を図っていた……でしょう?」
正体だけではなく、具体的に何をしたのかまで見破られているのか。
最早言い逃れする気力も失せ、ぎこちない動きで頷く。
「イオーネさん達は、シャムロックが暗躍を始めて一年と半年経った頃からバーデル側国境沿いの村や街へ活動拠点を移し、帰国あるいは一時入国したばかりの商人を狙って殺害、盗品を奪い取っていたそうです」
「なっ……!?」
「貴女が長年捕まらなかった理由の一端もここにあります」
盗みに気付いた貴族や護衛達が慌ててシャムロックの影を追いかけても、素早い足で振り切られ。
怪しい人間を割り出そうと自領を奔走したり、近隣の領主に捜査の協力を申請し、承諾を得て、どうにか盗品の足取りを掴めたとしても。
必要な手続きを踏んでいる間に、肝心な目撃者兼当事者が国外で殺されて品物も失くなっているのだから、以降追跡する手段は皆無に等しい。
あらかじめ各領境の関所で荷物検査を強化しても、貴族の所有品一覧表が役人達や警備員に託されているわけではないので、商人達が確かな身許さえ証明できるなら、問題なく迅速に越境できてしまう。
かと言って。
国境だろうと領境だろうと、高級品の持ち出しを規制する法案や条例案が認められる筈もない。
そんなことをすれば、財政面で自らの首を絞めるのは必定なのだから。
そして、貴族達の注意が盗品と怪盗の動きに傾いている頃。
一般民に戻ったシャムロックはといえば、一次産業用の道具をできるだけ多くの店で時間をずらしながら少しずつ仕入れていた為、買い物客としての不自然さはあまりなく、生産関係者の買い付けだと思えば、マーマレードの匂いも店員達の記憶に目立った形では残らなかった。
「このように、シャムロックが盗んで国外へ流し、イオーネさん達が証拠と足取りを消し去る。ある意味共犯だったのですよ。貴女方は」
「そん、な……そんなっ!!」
限界まで見開いたミートリッテの目がアーレストの顔を捉えて、離れ。
再び楽しそうに剣を交え出したマーシャルとイオーネの顔を追いかける。
『自覚は無いでしょうけど、お前にはいつもお世話になってるのよ。私達』
出会い頭にイオーネが放った、意味不明な言葉。
あれは、盗品の横流しを指していたのか。
(違う……、奴らに流してたんじゃない! 商人達に盗品を売ってたのは、国内で処理して万が一アルスエルナ人の手に収まってしまったら、その人が真っ先に疑われると思って……地方領主の権限が及ばない、一番近い外国がバーデルで……、だから……っ!)
『せっかく勤労の報奨として頂いた品物だけど、田舎者にはこんな高級品、とてもじゃないが畏れ多くて使えない。かといって国内で手放して彼の方の縁者に見咎められるのも申し訳なく、恐ろしい』
バーデルの言葉で辿々しく呟けば、大抵の商人は買い取りを申し出る。
無論、小娘如きには判るまいと侮られ、値段は真価の半分程度。
だが、元は貴族が集めていた品物ばかり。
半値であっても、領民への還元には充分な額だった。
偽りの商談が成立した時に浮かぶ表情は、これでほんの少しでもみんなを助けられると、安堵が籠った本物の笑顔で。
だからこそ、アンタ達も大変なんだなと頭を撫でられてしまうのは本当に困ったし、何度心の中でごめんなさいと頭を下げたか、数え切れない。
悪い人は一人もいなかった。悪いのは、いつだってシャムロックだった。
なのに……みんな、殺されていた。
殺されていたから、シャムロックは今日まで捕まらなかった。
(……貴族階級の屋敷を飾るに相応しいと判断された品物を持ち出す商人が増えれば、良からぬ考えを持った不穏な連中が周辺に集まるのは当たり前。私の行為が奴らを誘き寄せてたんだ。でも、こんなことって……!)
「イオーネさん達も、盗品に移ったわずかな匂いからネアウィック村に行き着いたそうです。そして、私が預かった教会でオレンジの香りを放つ貴女を見つけた。当初は人身売買を考えたそうですが、貴女を尾行していくうちにアルフィンさんを見つけて、村の内情を知り、イオーネさんの半生にも深く関わった人達と彼らの目的を目にして、気が変わったと言っていました」
「目的?」
「貴女にシャムロックを辞めさせることです。私は、貴女と初めて対面する前日の深夜と早朝の間に彼らと出会い、話を聴いて、協力を請われました」
「! それじゃあ……」
「ええ」
アーレストは、元々イオーネの仲間だから、ではなく。
『あいつら』の協力者として、地方神父着任当日にシャムロックの正体を知ったのか。
アリア信徒でも何でもない怪盗だと知った上で、初対面のミートリッテに積極的な態度を披露し、聖職への勧誘によって自力更生を促していた、と。
それが何故かイオーネと話しただけで『あいつら』を裏切りここに居る。
「彼らは、自分達と同じ過ちと悲劇を貴女にくり返させたくないのだと……本当に必死でしたよ」
女性二人の熾烈な剣戟を目で追いつつ、ミートリッテの耳元に唇を寄せたアーレストは、小さな声で
「女神アリアに仕えているこの私が『教会と女神像の不届きな利用方法』を提案してしまうほどに」
確かにそう、呟いた。
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