逆さの砂時計
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Side Story
少女怪盗と仮面の神父 20
虫の聲が勢いを増してきた。
午後に入り、気温が下がってきた影響だろう。
夕方へ向かって徐々に傾き始める陽光。
青色が濃く深まっていく空。
木々の間を吹き抜ける風も、体感温度を微妙に下げている。
遠い潮騒と、近く絶え間ない葉擦れの音が耳に心地好く重なり合い。
乾いた地面に揺れる葉波の影も、疲れた目と心に優しく浸透していく。
鳥が歌い蝶が舞う、麗らかな午後のひととき……
を、思う存分堪能できる余裕があるなら、是非ともそうしていたかった。
皮肉なほど柔らかい空気は、お弁当を持って散歩するのにちょうど良い。
けれど、状況はわずかな気の緩みも許してくれないらしい。
「…………え?」
途中、全力疾走の影響で解けかけた靴代わりのシーツを巻き直し。
ぶり返した足裏の傷の痛みを、考えごとと慎重な歩き方で誤魔化しながら下山すること、早数十分。
生い繁る森を抜け、待っていたのはすっかり見慣れたいつもの景色。
ただし。
手前に教会を乗せた崖。
やや北寄りの中央に木造住宅の群れ。
奥に小さく船着き場。
左手側の山、南向きの斜面に、ピッシュの果樹園。
右手側一面に、キラキラ光る青い海。
という、アルスエルナ国内では限定された地点からしか望めない、非常に希少な角度の景観ではあったが。
「うそでしょぉおぉぉ……」
無事だったネアウィック村を見て、湧き起こる安心感。
ここまで誰にも会わなかったことへの疑惑と動揺。
そして……途轍もない後悔と罪悪感。
一本の長い山道を下ってきた結果が、これだ。
その場にへなへなと座り込んでしまうのも無理はない。
(ここに来るまでの間も、右側に海があるからおかしいと思ってたけど……あの人の外見と流暢な話し言葉のせいで全然気付かなかったよ。
ついさっきまで、バーデル王国の領土内に居ただなんて!)
いや、冷静に考えてみれば、ありえない話ではなかった。
『アイツら』に眠らされた時は、部屋の中で目が覚めたのに。
ハウィスの時は、家の中どころか、村の中ですらなかった。
『村の中はどこも安心できない』という確信があったからこそ、わざわざ護衛を付けてまで、村の外へと密かに送り出したのだ。
ミートリッテを狙う『奴ら』は、ネアウィック村の周辺に潜んでいた筈。
単純に村の近隣を使っても、隠したうちには入らない。
その点、国境を跨いだ山奥なら、自警団と警備隊が共同で敷いた警戒線もあるし、追ってくる者がいれば見つけやすく、捕まえやすい。
最適と言えば最適だろう。
寝起きのミートリッテには、そこに思い至るだけの情報と頭脳、ついでに配慮が足りなかっただけだ。
「ああ……、今なら解ります。ごめんなさい、名も知らぬ親切なお兄さん。確かに私は破天荒な子供でした。バーデルと協力して匿ってくれてたのに、火付けしてお仕事の邪魔して、あまつさえ自分で敵を呼び込んじゃうとか。これじゃあ何も知らされてなくたって、完璧に私が悪い。自業自得だよね。うあぁ、どうしよう……賠償金の支払いはもう絶対だよね。ごめんなさい、ハウィス……私は悪い娘だああ……!」
そもそも、火付け自体が悪い行いであり。
監視役の人がなんとかしてくれる筈だと信じてはいたものの、あと一歩で取り返しがつかない大惨事を招いていた自覚はある。
それでも、アルスエルナ国内で収まる話であれば、まだ良かった。
物とお金の価値が比較的安定してるから。
通貨の価値は、取引があるそれぞれの国で日々変動する。
変動する数値も近隣諸国の情勢次第で、どんな国でも日によって振れ幅が大きかったり小さかったり、忙しいのは当たり前だ。
アルスエルナ王国には取引上手が多いらしく、長年に渡って緩やかな波を描き続けているが、バーデル王国はほぼ毎日乱高下だと聞く。
賠償の為に通貨を交換する必要があるなら、バーデル王国の通貨の価値がアルスエルナ王国の通貨の価値よりも高い時機を見極めなければ、差額分が大損失になってしまう。
この上、支払いに期日を設定されたらと思うと……嫌な汗が止まらない。
「はあ~……。貯めてたお金で間に合うかなあ? すっからかんになるのは免れないとしても、一応確認しなきゃだわ。自業自得とはいえ苦しいよぉ。くすん」
事ここに至ってしまえば、後の憂いに心を砕いてる場合じゃないのだが。
ズシッと重たい胃部不快感を堪え、膝に付着した小石や砂を手で払いつつ立ち上がる。
「さて。こうなるとやっぱり、私が前提を間違えてると思うのが自然かな」
一人きりで下山している間も、青年がもたらした情報と自分が持つ情報をすり合わせていたのだが……どうしても解せない。
『青年が言う『奴ら』は、あの海賊なのか?』
自分を狙う存在など、海賊以外には心当たりがまったく無い。
が、あの腐れ男共なら、自分の命を奪おうとはしない。
少なくとも、あんな形では。
(いくら気まぐれな性分だって言っても、暗躍してたシャムロックの正体を調べる労力と、切り捨てる早さが割に合わないのよ。大体、あの斧が本当に海賊の仕業なら、着地点は地面でも鎖でも、私の腕でもない。あの男性だ。当たるかどうかは別だけど)
シャムロックの弱点は、ミートリッテの周囲に居る人間だ。
海賊はそれを不気味なくらい理解していた。
あの青年が何者であろうと、ミートリッテが一緒に行動している時点で、傷害を加える対象に選ばれてしまう。
すべてはシャムロックを利用し、苦しんでる姿を見て楽しむ為に。
(でも、飛んできた斧が実際に狙ったのは私。たまたま避けられただけで、生きていようが、死んでいようが、どっちでも良いって意図が見え隠れする一撃だった。それが私の思い込みだとしても、海賊と『奴ら』じゃあまりに印象が違いすぎる)
なら……仮に、海賊が『奴ら』ではないとしたら?
『ミートリッテの命を狙う『奴ら』は『誰』?』
ミートリッテが知る限り、村に害を及ぼす集団は海賊のみ。
青年の口振りでも、害意がありそうなのは『奴ら』だけ。
自警団と軍人と警備隊が警戒してる集団も、おそらくは一つだけだ。
状況と軍人達が現れた時期は、海賊こそが敵であると物語っている。
しかし。
「あの人もヴェルディッヒも、元を辿れば村の入口で聴いた会話の中でも、誰一人、『海賊』とは言ってないんだよね……」
『獲物と見れば何者にでも容赦なく喰らいつく、野生の猛獣と同じだ』
バーデルの軍人が声を荒げて主張した危険な存在。
略奪だなんだと不穏な言葉を連発され、勝手に海賊の話だと解釈したが。
その解釈こそが誤りで。
青年とバーデルの軍人、共に口にした『奴ら』が、同じ存在を示すなら。
(村の騒動に、海賊は関係ない。バーデルの軍人達が追いかけてきたのは、ある意味、海賊よりも危険な集団。村には今、二つの危険が潜んでる?)
にわかには信じられない可能性。
とはいえ、これならハウィス達の突然すぎる行動、ミートリッテを狙って飛んできた斧や、遠目には襲撃された痕跡がない穏やかな村の全景など、諸々の違和感もそれなりに納得できた。
村人に危険な集団の情報を伏せた自警団の判断も、少々意味が変わる。
「そういえばヴェルディッヒも、奴らの頭がとにかく現実的で危険と結果を冷静に秤へ乗せられる型だから、とかなんとか言ってたっけ。うわ、嫌だ。私個人なら問題なしですか!? 大迷惑なっ! こっちにも都合があんのよ、都合がっ…… ん?」
ちょっと『奴ら』の頭とやらを蹴り飛ばしたい衝動に駆られたが。
不意に、耳が小さな声を拾った。
なんだろうと息を潜め、その声に集中してみる。
「…………────っ!」
葉擦れの音にも掻き消されそうな声は、どうやら村の人達のものらしい。
村と現在地の間に横たわる森林を鬱陶しく思いつつジッと目を凝らせば、教会への坂道付近でうろうろしている黒点が複数。
くっ付いては離れ、移動し、また寄り集まってをくり返していた。
「……何かあったのかな」
ざわりとした悪寒に背中を押されて、一歩踏み出し……立ち止まる。
自分がこのまま戻って良いのか、迷ったのだ。
村は無事だった。ミートリッテは襲われた。
青年と切り離された後、誰かに追われている気配はない。
待ち伏せも、国境付近を警戒してる筈の警備隊による妨害もなかった。
まるで、ミートリッテの帰還を促しているかのように。
ハウィスの願いに反した村へ戻るという選択が『奴ら』の罠だとしたら、自分が不用意な行動を執った結果、村にどんな悪意が降り注ぐだろう。
多くの勢力に囲まれてるのに未だ捕まった気配がない『奴ら』を相手に、ミートリッテが一人で対峙して、凶行を止められるのか?
(……『奴ら』が何者でも海賊が潜んでる事実は変わらないし、村の人達は今も生きてる。依頼の期日はまだ過ぎてないんだわ。みんなを護りたいならシャムロックは絶対に戻らなきゃダメ!)
退いても進んでも同じ。
待っているのはネアウィック村の敵で、ミートリッテの敵だ。
だったら、前へ進む。
進んで、とにかくハウィスに会って、話を聴く。
「教えてハウィス。貴女は何を知ってるの? どうして一言の相談もなく、こんなことをしたの? 相談してって言ったのはハウィスのほうなのに!」
一歩。
また一歩。
村に近付く速度が、少しずつ上がっていく。
国境を乗せた山と坂道が繋がる場所に着く頃には、足裏の痛みなど忘れて走っていた。
「アルフィーン! 返事してー!」
「お父さんが帰ってきてるんだよー! 早く、顔を見せてあげてー!」
(アルフィン!? お父さんって……遠海組が帰ってきてるの!?)
草を掻き分けて村に侵入したミートリッテは、木陰で呼吸を整えながら、辺りに響く呼びかけを聴く。
村の外からも聞こえていたのは、アルフィンを捜す声だったらしい。
「どうして……」
アルフィンは、大人顔負けのしっかり者だ。
毎日決めた時間に決めた用事をこなし、予定が崩れることは滅多にない。
おかげで、何時頃に村のどこそこへ行けば必ず会えると、たびたび観光に出かけるミートリッテを除き、村人全員が彼女の生活を把握してしまった。
声を張り上げて捜し回るなど、通常ではありえない。
ましてや、アルスエルナの領海端まで長期間危険な漁に出続ける遠海組の帰りを、毎回誰よりも待ち望んでいた少女が出迎えてないなんて。
「あっちは?」
「反応なし! 四人共、どこへ行ったのかしらね? せめて自警団だけでも戻ってきてくれれば良いんだけど……」
(四人? 自警団がいない!?)
すぐ近くにミートリッテが潜んでいるとも気付かず。
坂道を行ったり来たりするみんなが、憂う言葉を重ねていく。
「グレンデルはどうだ?」
「とりあえず、帰ってくるまで待ってろっつって、部屋に押し込んどいた。放っといたら狂い死ぬぞ、あれ」
「あー、目に浮かぶわ。ミートリッテに話を聴けりゃ手っ取り早いのにな」
「まったくだ。次から次へとなんなんだろうな、いったい」
(……私?)
「ちょっと。ミートリッテに話があるのは、私達もなのよ? 見つけたら、抜け駆けせずに教えなさいよね」
(は? え?)
「わぁってるよ、色ボケ女共。けど、お前らも少しはグレンデルの気持ちを考えてやれ。今のアイツの支えはアルフィンだけなんだぞ? 子供と大人、どっちを優先すべきかは、言うまでもないだろうが。頭を冷やして出直せ、このド阿呆!」
「な……! わ、解ってるわよ、それくらい! でもね、そんなにあの子が大切なら、遠海漁師の意地なんか早々に捨てて、とっとと近海漁師になれば良かったのよ! ティルティアが流産した時も、今回も、結局グレンデルが傍に居てあげなかったのが悪いんじゃない! 家に一人きりで取り残されたアルフィンが普段どれだけ寂しさに耐えてると思ってんの!? こんな時だけ父親面するなってのよ!」
(えっ、ちょっ……)
「んだとコラァ! 男手一つで子供を育てる為にアイツがどれだけの時間と労力を削ってると思ってんだ! 遠海漁師と近海漁師じゃ、就労金に天地の差があるってこと、知らんとは言わせねぇぞ!」
「遠海漁師の収益だってピンキリ、時期によっては就労金すら入らない! なのに、一回漁に出たら一ヶ月近くは戻れないばかりか、いつどこで荒波に呑まれて死んでもおかしくない! アルフィンの寂しさや将来を考えたら、片親だからこそ退くべき職でしょうが! そうしないってこと自体、子供の立場を理解してない証拠じゃない! アンタ達の言い分は毎度毎度、自分の体面を守りたいだけのわがままにしか聞こえないのよ!」
(…………え、と)
「体面を守って何が悪い!? 職無し、金無し、子が一人の鰥が何したって、お前ら女は、無責任にくだらねえ噂を流しやがんだろうが! アルフィンの食い扶持も父親の役もグレンデルのモンだ! 朝から晩まで恥も外聞もなく神父の尻だけ追っかけてるお前らに、子供を守る体面の重みが解るかよ!」
「なんですってぇえ!?」
(…………うーん…………)
背後で始まった、男女混合の泥仕合。
問いたいことは多々あるが、今顔を出せば収拾がつかなくなりそうだ。
物音を最小限に、ミートリッテはこそこそと一団の近くから離れた。
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