王道を走れば:幻想にて
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第四章、序の3:旅立ちの日に
前書き
調子に乗って執筆していたら、過去最長の一話となってしまいました。最初と最後の部分だけ読んでいただければ話が分かるようにはなっている筈です・・・。
ひんやりと湿気こんだ夜であった。夏空を突如と曇らせた夕立のお陰か王都を繋ぐ石畳が濡れてしまっており、暗い紫紺の世界の中で松明の明かりが、湿った木造の建物を陰に篭った色合いに染めていた。雨後の街は人通りが常以上に少なく、足音がこつこつと響いてしまう程だ。
外縁部も内縁部も、外界から騒がしさがほとんど失せていた。それは場所を移り、屋内へと移されているようだ。例えば、若き女子達の会話もそうであった。
「そっか、キーラも一緒に行くんだ・・・」
「はい。出立の前日に、しかもこんな時間にお知らせする形となって、御免なさい」
「気にしてないよ。キーラ、真面目だから、事前の準備で手一杯だったんでしょう?なら、私がとやかく言う筋合いは無いよ」
その場所は、例えば宮中の一室。翌日に控えた北嶺調停団の出立式ために、多くの者が既に寝静まり始めている。今起きているのは哨戒中の警備兵か、翌日のために職務を遂行する文官か、或いは緊張して眠れぬ者か。自室にて寝巻きに着替えていたキーラは如何にも最後に該当するようであった。そのためコーデリアの突然の来訪に驚きつつも緊張の和らぎを覚え、ついついと話し込んでしまうのである。
友人に可憐な寝巻きに目を細めつつも、コーデリアはその友が向かう先の領地に、己の深い記憶を探り始めた。
「・・・それにしても、北嶺か・・・私は一回しか行った事が無いなぁ・・・」
「ああ、確かそうでしたね・・・確か、学院の方へ?」
「えぇ、幼い頃に魔術学院にね。あくまで学院の慰問という形だったから政治や情勢なんて考えていなかったけど・・・どんな所だったっけ・・・今は良い情勢とは言えないのは理解出来ているんだけど」
「・・・残念ですけど、その通りです。エルフ内での派閥争いの余波で、自治領と王国領の境界線まで諍いの波が及んでいるようです。近々、国内にもその影響が達するのは必定かと」
「・・・昔みたいな流れだね」
王女が指す昔とは、三十年前の内乱の始まりを意味する。当時の王国では現在のエルフ民族内のような対立が勃発しており、そして件の大乱が始まったのである。キーラもそれを重々承知している。だからこその緊張であるのだ。
コーデリアは心配し、そして思いを深める。この情勢を鑑みるに、将来下されるであろう調停団の決定が、王国の未来に有無を言わさない風を吹き込む可能性を秘めてしまったのだ。ならばそれを下す中枢の者達の心労といえば、想像するに難くない。
「貴方に、アリッサ、そしてケイタクさん・・・本当の意味での重責を負う事になっちゃったか」
「・・・私が出来る限り、あの方々をお助けします。お父様の方にも、騎士を同伴させるよう言っておきました。きっと聞いてくれます。これで彼らの負担の軽減となればいいのですが・・・」
「そうね、気遣ってくれて有難う。・・・それでも、あの人達を近くで支援してくれる人なんて、ほんの一握りだよ・・・。本当に大丈夫なのかな・・・。
・・・ごめん、私の不安を一方的に聞かせちゃって。こんなの、駄目だよね」
「・・・」
キーラは俯き加減で視線を逸らす。友に掛けるべき言葉を探っていると、コーデリアは常の優しげな笑みを浮かべて言って来た。
「私も王都に留まって、出来る限りの事をやってみる。こっちの事は心配しなくてもいいわ。無茶な命令なんて通させやしないから」
「有難う御座います。きっとケイタク様も、王女様のそういう溌剌さに、元気を頂いているのだと思います」
「そうだよね。あの人、根が凄く正直で前向きだから。そんな生き方が周りに勇気を与えたりするんだけど、逆だってある。落ち込んだり、悩んだりしたりね。でもそんな時こそ、周りが勇気を与えなくちゃ。ケイタクさんに勇気の一歩を踏み出してもらうために、私だって出来る事がある筈よ」
直向な言葉にキーラは笑みを浮かべて、その一途さに僅かに曇った表情を浮かべた。胸の中に自然と湧いたもやもやとした思いが、絵画に落ちた一点の絵の具のように染み込んでいく。目の下に小さな力が篭ったしまい笑みが不格好となったのは一体何故なのか、自分自身で理解出来ぬ所がキーラにはあった。
雰囲気の変化を感じ取ってか、コーデリアは態とらしく椅子から立ち上がりながら言う。
「・・・ちょっと、御姉様の御墓に行ってくる。私の勇気を伝えなくちゃ」
「・・・分かりました。では私は明日に備えて、先に休ませて頂きます」
「うん。お休み、キーラ」
「はい。お休みなさいませ、コーデリア様」
コーデリアは笑みを浮かべながら部屋を出て、扉をそっと閉める。キーラの表情の俄かな変化に、一縷の勘ようなものが働いた。
(やっぱり、貴方もケイタクさんが好きなのか)
誰も居なくなった廊下を歩く。静かな表情のまま宮中を歩いていく。宮廷の中心部へ、一介の兵卒や侍女ならば立ち入る事すら禁じられるその場所へとコーデリアは向かう。このような夜中、しかも皆が寝静まった時間に歩いていしまうのは、自分自身そうそう行っていない行為でもあり、足取りは段々と音を消すようなものへと変化していく。
松明を掛ける台の傍で立ち止まり、コーデリアは何気と無く周囲を見遣って見る。何故か胸がどきどきと弾んでしまい、妙な緊張感が生まれてしまう。普段歩き慣れた宮中は、夜の闇ではこんなにも静謐に包まれて、気品さを不気味さに変えるものとは知らなかったのだ。
そうこう足を止めていると、目の前の曲がり角から見知った女性が現れてしまい、コーデリアは思わず口を噤んでしまった。侍従長のクィニである。彼女の顔が、鉄面皮のように見えてしまった。
「クィニ・・・」
硬くなってしまった言葉に反応せず、クィニは横に目を向けた。閑静な夜光を浴びている、中庭に咲く花を見ていた。淡い紫をした、スイフヨウである。
「・・・私は、何も見ておりません。花弁が夏の宙を泳いでいた、それだけです」
「・・・ありがとう」
コーデリアはクィニの横を通り過ぎて、中庭の方へと歩いていった。彼女はそれ以上声を立てたり、足音を沈ませるような事はしなかった。ゆっくりと、だがはっきりとした足取りで石畳を踏んでその場所へ向かっていく。
中庭に敷かれた石の道を歩く。夜空から見れば、底は宮中の真ん中に位置するものであった。七色の光を散りばめた暗幕の下で、小さく、雨後の冷たい風が吹いて、花草の中でこじんまりと佇む石の柱を撫で付けた。人を寄せ付けぬ、暗い印象の石柱だ。コーデリアの背より、僅かに大きいほどである。
コーデリアはその前に立ち止まると、そっと冷たい石肌を撫でる。水気が指先を騒がせる。
「・・・姉さん」
呟いた言葉が石に弾かれて、雨の滴で濡れた地面に落ちる。コーデリアは自嘲げな息を漏らした。決意を伝えると言ったにも関わらず、そのような気持ちが湧いてこない。
(・・・馬鹿だな、私は。お墓参りをした所で、自分の迷いが晴れる訳でもないのに)
王女として、自分を慕う者達を助けるのは当然の義務と考えていた。だが現下の情勢がそれを許すものではなかった。強権的な宦官達の行動を一度見て、しかも己の思いを踏み躙るのを知ってしまえば、それに楯突く気持ちが失せてしまうのは自然とも言えた。今後とも彼らは己の決定を支持すべく、それに有利な追加の命を下す事であろう。だがそれは北へ旅立つ彼らにとって決して良い意味を持つとはいえない。だからこそ自分自身が奮起して宦官等に働きかけねばならないのに、どうしてかそんな気持ちが沸いて来ないのだ。
汚れるのを厭わず、己の掌を石に貼り付けた。職人により研磨されて、雨粒で光る石肌が、水を絞った布巾のように熱を冷ましていく。燻った不安が沈殿するかのようであり、益々と落ち込んだ気持ちとなってしまう。
(私、どうしたらいいんだろう・・・)
優柔不断で、口だけは立派な己を嫌悪するように俯く。風に揺れてかさかさと草むらが揺れた。その間から分け入るように、声が響く。
「ソンナ薄着ジャ風邪ヲ引イチャウヨ、コーデリアチャン」
「っ!!だ、誰?」
高く着飾った声であり、考えればそれは聞き慣れた友人のものとそっくりであった。目をはっと向けると、草むらから一輪の花が上へと伸びてきて、ひらひらと戯れるように揺れた。
「ボクダヨボク、オ花ノ妖精サンダヨッ。蜜ノ香リガ大好キナンダ、ハハッ」
「・・・ケイタクさん・・・だよね?」
「何故バレた」
「声で直ぐに分かったよ」
「ちぇっ。物真似はやっぱ苦手だ」
草むらからがさっと立ち上がったのは、矢張りコーデリアの友である慧卓であった。大方、廊下を歩いてきた彼女を付いてきた腹であろう。蒼いチュニックについた葉っぱを払い落としながら彼は歩き、そして庭中にぽつんと聳える石柱を見遣って、今更ながら気付いたように表情を硬くさせた。
「・・・此処って、その、お墓だったのな・・・ごめん、色々と台無しにして」
「本当に色々台無しだったよ。花も、地面も、雰囲気も。序でに私の気分もね」
「す、すみません・・・どうか平に御容赦を・・・」
「そこまで頭下げなくていいってば・・・もう、変な所で大袈裟なんだから」
慧卓は頭を上げて、コーデリアの隣に立って尋ねる。
「さっき、姉さんって言っていたけど・・・」
「そっか、ケイタクさんにはまだ言ってなかったね。私ね、姉が二人居るんだ。一人が七つ上で、もう一人が五つ上。この御墓は、五つ上の姉さんの御墓」
「・・・そっか。俺も手を合わしてもいい?」
「うん、ありがと」
両方の掌を合わせて口元へ持っていき、慧卓は瞳を閉じる。作法は違えど心意気は理解できた。コーデリアは両手の指を絡め、胸の前へ持っていく。そして石柱を見詰めながら話していった。
「病死、だったらしいよ」
「・・・それ、お姉さんの事?」
「そう。生まれて間もない頃に流行り病に侵されて、二年は闘病したんだけど、そのまま亡くなったって・・・。私が生まれる前の話だから、良く分からないけどさ」
「・・・どんな人だったんだろうな、お姉さんは」
「わかんない。昔、レイモンドが言っていた事だけが頼りなんだけど」
「あの人が?・・・聞いても良い?」
「『とても可憐な娘だった』って」
「ああ、ならコーデリアも一緒だよ」
「まさか『だった』の部分まで継承してないよね?」
「それこそ、まさかだよ。今も凄く可愛い」
「ふふ、ありがと」
くすくすと笑みを零す慧卓を横目に見つつ、コーデリアは見上げるように背の高い石柱を見遣った。
「何かに悩んだり、困ったりした時、何時も此処に来るんだ。そして何時も勇気を貰うの。亡くなった姉さんが生きたかった世界なんだもの、前を向いて確り歩いていかなきゃ駄目だって、ね」
「・・・それで、今日も此処にか」
「うん、ちょっとね」
慧卓は、コーデリアの言葉の中に小さな寂しさを感じ取る。自分が零す言葉が返ってこないから、何時も自分の思いが一方的だから、寂しいのだろうか。だとすれば自分が出来るのは唯一つである。
「よければ、どんな事に悩んだりしてたか、教えてくれないか?」
「・・・いいの?」
「おいおい、こっちの台詞だよ、それはさ。・・・というか、友人が何時までも困った表情をされちゃ、俺もなんか、釣られて変な気分になっちゃいそうだからな。・・・それに、コーデリアの悩みを共有したいし」
「え?」
「・・・なんでもない」
暗闇の中で慧卓はぷいと顔を逸らした。コーデリアは、その頬に咄嗟に差した赤みを察する事が出来ない。彼女は石柱へと目線を戻し、僅かに寂しげな口調で言う。
「ケイタクさんとアリッサ、明日、出て行っちゃうんだよね、この王都を」
「うん」
「他には誰が行っちゃうんだっけ」
「リタさんだけ。クィニさんを説得して、連れて行く事にした。勝手でごめん」
「いいのよ・・・でも、寂しいね。向こう半年は会えなくなるんだよ」
「・・・そうだな、寂しいよな」
「それだけじゃない。悔しいんだ」
静かな言葉を呟く。心中に溜まった感情がそれを機として、闇に溶け込むように、石に染み入るように吐露されていく。
「王女なのに何も出来なかった。この国の最後の王女なのに・・・私は二人を、自分が好きな人達を王都に留めておく事が出来なかった」
「・・・最後の、王女」
「・・・一番上の姉さんは、帝国の王子に嫁いだの。帝位の第一継承権を持つ王子に。・・・凄く格好良くて、凛々しい人だった。武芸にも秀でていたし、頭もよかった。宮廷の皆が姉さんを見て自然と頭を下げてた。侍女も、宦官も。あの人に逆らうなんて、国王と執政長官以外に誰も出来やしなかった。あの人は何時だって、自分を主張していた。
なのに、私はこの様だよ・・・。顔だけは良いのに、政治的な力も無いし、武芸が出来るわけでも無い。姉さん達が居なくなったこの国を建て直すのが私の役目なのに、それを全うできないままでいる。明らかにおかしい決定や考えに異を唱える事は出来ても、結局、それを手放すの。・・・やになっちゃう、本当に」
視線を落として、柱の手前に敷かれている石床にそれを送った。瞼が俄かに落とされ、唇がそっと引き締まった歪みを描いていた。
「私、もう大人なのに、自分の力量を把握出来ていない。いっそ私じゃなくて姉さんが生きていれば・・・」
慧卓は何も言わずにその言葉を静聴する。二人の間で暫し、無音のままの状態が続いた。花草が雨後の香りを送ってくる中、慧卓は落ち着いた口調で話し始めた。
「・・・そう、だな。コーデリアは別に腕っ節も強くないよな。今ままでそんな姿、一度も見た事が無い」
「そうそう、私、鎧が着れるだけで力仕事が駄目なの」
「それに、政治的な力量とか、そういうのに聡い感じも見られないな。なんか俺と似て何処か抜けてそう。肝心な所で失敗をしそうな感じがする」
「止めてよ、そういうの言われると本当にしそうな気がするんだから」
「悪い、俺もしそうな感じがしたから自重する」
頬をかりかりと掻く友人の言葉を聞いた後、コーデリアは悟られぬように溜息を零した。
「・・・結局、顔の良さだけが残るのよ。何時も何時も、そればっかり」
「そうとは言い切れないかもよ」
「・・・そうかな?」
きっぱり、とまではいかないまでも、はっきりとした口調で言われた事に、コーデリアは疑わしげに問い返した。慧卓は自信のある様子で淡い笑みを浮かべて、小さく頷く。
「俺には分かる。・・・というか、俺以外の奴も理解しているさ。アリッサやトニアさんだって、熊美さんもだ。後はリタやクィニさん、それにコーデリア愛好会の連中とか」
「あ、愛好会?」
「そ、そういう連中も居るの!・・・兎に角、コーデリアが気付いていないだけで、皆、コーデリアの長所を知っているよ。誰にも勝る、王女を王女たらしめる、大事な長所を」
「何かな、それは?」
「・・・慈愛だ」
笑みを消して、慧卓はコーデリアの方へと顔を向けて言う。彼の瞳に宿る小さくも真剣な炎に、思わず口を噤んで目を静かに開いてしまった。確りとして澱み無く、心の趣くままに慧卓は語っていく。胸に宿り始めた騎士の誇りが言葉から拙さを消していた。
「貴女が皆から慕われている理由が分かるか?貴女の優しさは、どんな障害も越えて、直接彼らの下へと届いているからだよ。身分の貴賎も鎖のような規則を越えて、貴女は真摯に彼らを思う。だから自然と彼らから慕われるんだ。宮廷の宦官達には、絶対に出来ない。ニムル国王にだって出来やしない。
万人に愛を向けれるのは、コーデリアだけが出来る特別な力なんだ。臣民は貴女の容姿の良さを慕ったのではない、貴女の心に慈愛を感じたから慕っていくんだ。俺も含めて」
正々堂々と語られた友人、否、騎士の静かにして熱き思いがコーデリアの不安の殻に皹を入れた。それは氷を熱する炎のようであり、彼女の胸中に巣食っていた蟠りの表面には、溶解の兆しが流れているであろう。俄かに驚いた表情をした己が忠誠を向ける相手に対して、慧卓は律した口調で語り掛けた。
「コーデリア王女」
「・・・はい」
「二度と、己の命を否定するような事を言わないで戴きたい。それは人々の思いを踏み躙る屈辱を伴った行為だ。彼らのためにも、貴女にはずっと真摯な愛の心を持って欲しい。それが常に、他の者には出来ない貴女だけの役割を与えてくれる」
そしてころりと口元に笑みを浮かべて、騎士特有の堅苦しさを取っ払う。王国に仕える士としての思いは語り終えた。後は、想い人に向かって語るだけだ。
「ついでに言えばさ、もっと俺等を信用してくれてもいいんじゃないかな?コーデリアは、俺等を北嶺に行かせるのにずっと反対してくれていたんだろ?俺等を思ってくれるのは凄く嬉しいんだけど、そういう思いって、裏を返せば俺等が北嶺で何も出来ないって考えてなきゃ生まれてこないと思うんだよな」
「う・・・まぁ、少しは思っているよ」
「本当に少しだけなのか?」
「・・・」
慧卓は正面から再度口を閉ざした彼女に向き直り、穏やかな表情を保ちつつも、今まで以上に真剣な色を瞳に浮かべた。己を過小評価されるのは、プライドが文句を抱く一方で飲み込める相談である。だがそれだけならば兎も角として、尊敬と友愛を感じるアリッサを、彼女の力を信じてもらえないのは我慢ならなかった。
「相手が無知で無垢な相手ならそれも通用するだろうさ。でも俺等はもう立派な騎士だぞ?アリッサなんて、昔からお前に連れ添って幾多の修羅場を乗り越えている。エルフが嫌いだなんだで、一々立ち止まる人だと思っているのか?俺が未熟なまま右往左往するだけだと思っているのかよ?
嘗めないでくれ。王国の騎士は細事に立ち止まったりはしない。陛下から下賜された命でなくとも、友と友の笑顔のためを思えば、必ずそれを全うしてみせる。いいか?一方的な愛は不完全なんだ。互いに信頼し合ってこその感情なんだ、それは。・・・コーデリア、俺達は貴女を常に信じている。だから今度は、俺達を信じてくれ」
真摯に紡がれた言葉に、コーデリアの心の殻は罅割れて破片を散らす。何とも些細な事で悩んでいたのだと、自分自身が矢張り馬鹿に思えてならなかった。
「・・・私、まだまだ未熟だな。皆に何時までも甘えたかったんだ・・・ずっとずっと、一人で思いを完結させていたんだ。ほんと、馬鹿な王女だよね」
「コーデリアっ」
長い諭しの後に更に己を卑下するような発言を聞き、慧卓は怒ったように声を大にする。そしてその表情をさっと引き締め直した。目前に立つ少女が唯の想い人に留まらぬ、凛々しき王女であると思い直したからであった。氷のように透き通り、凛とした声で彼女は迷い無く言う。
「私は誓います、騎士ミジョー。私の悩みや惑いを、貴方達、信頼の置ける人々と遍く共有します。これが王国の未来を救うと信じ、確信したがための誓いです。故に命じます。貴方はその人々を代表して、私に誓いなさい」
「・・・誓います、王女殿下。私共は王国の旗を仰ぎ、畏敬する者。陛下の御身を守り、王女殿下の御身を守護する者。樫の幹と花を育てる者。殿下のためにも、その誓いを全うしていただくためにも、必ずや我等は貴女様の悩める御心を拝聴させていただきます。時には非礼を働くかもしれませぬが、それは真摯に貴女を思うがため。貴女の愁いを払う事で、王国が更なる繁栄を育むと希望するためであります。
・・・コーデリア、何時でも話してくれよ?俺達はずっと、お前の味方だからな」
慧卓は笑みを浮かべながら、己の頸に掛かった首飾りを取る。紫の妖艶な光沢が放たれており、慧卓の手によってそれがコーデリアへと移されようとしていた。
「これ、誓いの代わりと言ってはなんだけど、コーデリアにあげるよ。きっと、似合っている」
首飾りのチェーンを握りながら、たおやかな藍の髪を撫でるように手の甲を滑らせた。コーデリアの頸元に紫の輝きが放たれ、その端麗な美と合わさってより一層の美しさを、若く清純な芳しさと共に伝えた。言葉にするのも惜しいほどの可憐さであり、慧卓にしてみれば世界を二分しても良いと思えるほどのものであった。
「・・・やっぱり。凄く綺麗だ」
「っっ!!」
潤んだ恋慕の瞳を開きながら、コーデリアはひしと慧卓に抱きついた。背中にぎゅっと手を回された事に感動し、慧卓は彼女の身体を抱き締める。淡い想いの実現を出来て胸中が震え、抱き締める以外に彼が出来るといえば、彼女の長い髪を感じる事だけである。至高の手触りであり、掌が浄化されるかのような柔らかさであった。
対するコーデリアも、胸中は震えている。胸に燻っていた本心を自覚し、慧卓に対する想いが恋慕のものだと確信した震えである。そして、これほどまでに長く己を諭し応援してくれる言葉を聴き、孤独を着飾った不安の殻が砕け散った震えであった。
「ケイタクっ・・・ずっと離さないで。私を一人にしないで」
「・・・ああ、ずっと一緒だ」
耳元に紡がれる言葉が情に染み入り、慧卓は密着する柔らかな温かみを静かに感じる。接吻をしたいという気持ちも僅かにあったが、この神聖な雰囲気を崩すような無粋な真似はしたくなかった。今はただ互いに、それぞれの思いに浸りたかったのだ。
銀色の星明りが頼りない輝きを地面に齎す。人目が閉ざされた空間で二人の若人はひしと抱き合い、静穏に時は過ぎていった。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
翌朝、慧卓の朝は慌しく始まりを告げた。出立式は宮廷内の執務で、朝一番に執り行われるのだ。遠出に備えて朝食は多めに食べて、侍女の手伝いもありながら騎士の鎧を身に着ける。てきぱきと手馴れた所作を見せる彼女らに関心しながら、慧卓は己に纏い始めた白銀の鎧を鏡に映した。
筋力と体力が不足しているためにフルプレートアーマー着用という地獄は味わう破目にはならなかった。着用した鎧は胴体のみを固めたハーフアーマーであり、重さは毛皮のコートより多少重い程度、宛ら鋼鉄の袖なしシャツといわんばかりの代物である。そしてグローブを身に着け、拍車のついたグリーヴを履き、腰に鞘に収まった剣を差し、革紐で吊るした盾を頸にかける。騎士の正装の完成である。
(まっ、全部上手く使えるなんて到底無理なんですけど。絶対俺が使えそうなの、剣だけだろ・・・盾なんて、持った事無いですよ?)
部屋を後にして北の集兵場へと向かいながら愚痴を零す。その場所へ着くと、快活に晴れ渡った青空と夏の陽射、そして人々の騒々しさが出迎えてくれた。出立式前に関わらず、多くの者達が始まりを前に自由気ままに話しているようだ。勝手に意外にも王国のルーズさが見て取れる光景である。北へ旅立つ他の面子も同様で、同僚や友人等と語り合っているようであった。
式典までまだ猶予があるようだ。誰かと話しておくのもいいのかもしれない。そう思っていると、ふとトニアの姿を台座の近くで認めた。慧卓は近寄って声を掛ける。
「お早う御座います、トニアさん」
「はい、お早う御座います。・・・いよいよ出立ですか・・・。長いようで短い日々でしたね」
「なんか永遠の別れのように言ってますけど、別に今日で現世とお別れする訳じゃありませんからね?」
「存しております、ケイタク殿。貴方が居なくなった王宮は俄かに寂しいものとなるでしょう。俄かに、ですが」
「・・・本当、時々食えないよなぁ、貴女は。・・・後は頼みますね。コーデリアを近くで守れるのは、貴女だけなんですから」
「はい、胸に誓っております。姉上が嘆き哀しむ姿は、見たくありませんから」
トニアはそう言って笑みを浮かべ、頭を垂れてそそくさと言ってしまう。ちょっと間が悪かったなと反省しつつ、手の空いてそうな者を探していると、否応にもその人物が目に入った。人混みから離れて口元を隠しているミルカである。近付いてみると、やつれてる一方で喜んでいるような顔をしていた。
「よう、お前とも暫くのお別れだな、ミルカ。・・・なんかやつれてる風に見えるけど・・・」
「えへへへ・・・そう見えます?」
「いんや、すんごい喜んでいる風に見えるわ。一体昨日何があったんだ?」
「聞きたいですか?」
気色の悪い笑みを見せ付けられて、慧卓は顔を歪めていやいやと頸を振った。くすりと笑みを零すと、ミルカは一風変わって引き締めた表情を浮かべた。
「レイモンド様より言伝を預かっております。『先日の騒動を起こした生き残りが、北嶺のクウィス領内で目撃された。充分に注意されたし』、との事です」
「・・・面倒事はこりごりなのに、なんでこうも気ままに舞い降りて来るんだか」
「待ち構えているのですよ、貴方の勇気を」
「ふん。まっ、精々気を張って頑張るとするかな。・・・怪我しないようにな」
「貴方こそ。御武運をお祈りします。・・・まぁ、死なない程度にやればいいんじゃないですか?」
「はいはい、生き残りますよ」
期待の欠片の無い言葉にへらへらとしていると、ミルカは一方を見遣って軽く笑みを浮かべ、頭を下げつつその場を後にしていく。慧卓がその一方を振り返る。彼には到底着こなせぬフルプレートの鋼鉄の鎧を着用したハボックと、ミシェルとパックの両名が其処に立っていた。
「中々友人が多いようだな、ケイタク殿」
「ハボック隊長」
「友は大いに越した事は無い。貴殿の事だ、その温かみのある態度が自然と友を増やしていくだろう。だが時には数だけでなく、質にも気を配るべきだ。貴殿の持つ騎士という称号、友を増やす度に、利用される危険も増していく。充分に理解しておくのだ」
「そうだぞ、ケイタク。上の話題から下の話題まで深く話せる奴が真の友だ。お前の性癖までオープンに出来る奴が出来るよう、頑張って自分自身を磨いておくんだな」
「かといって女友達はあんまり増やさない方が良いぞ。お前の事だ、誰にでも仲良くしている筈が、何時の間にかお前を狙って女同士で対立し合うってのも有り得るからさ。ま、そん時は甘いものでも食って現実から逃避しろ」
臆面も無く礼を逸した助言をする部下を一つ見ると、半ば憤然としたような面持ちでハボックは続けた。
「こういうのを友と呼ぶかは非常に疑問だがーーー」
「酷いですよ隊長!!同じ釜の飯を食う仲じゃないですか!」
「そうですよ隊長!同じ女性を愛でて、崇拝する仲じゃないですか!」
「黙っておらんか、貴様等!!!・・・兎に角だ、くれぐれも向こうでは気をつけろよ」
「承知しております、隊長。彼らの術中に取り込まれぬよう、心を配ります。・・・それからミシェル、パック。お前等、俺が居ない間に俺の事を変な風に言いふらすんじゃないぞ?いいな、絶対だぞ!」
「えぇ?お前が結構浮気体質な事とかぁ?」
「そうだなぁ、意外とハーレム構築願望があるとかぁ?まさか、言う訳無いよなぁ?」
『なぁ?』
「絶対言うんじゃねぇぞ!!もし言ったらな、ミシェルっ、てめぇの姉貴にてめぇらが娼館の女に心底ゾッコンだって事告げてやるからな!!」
『それだけは止めて下さい、お願いしますっ!!ああっ、そんな行かないで下さい、ケイタク様ぁぁ~』
ふざけ二割、本気八割の悲鳴を背後に慧卓はさっとその場を後にしていく。彼らなりの激励の仕方であるのが理解できて、心の中は言葉の苛烈さとは反対に温かなものを感じていた。小さく笑みを浮かべていると、段々と人波の動きが整然としたものになってきた。そろそろ時間が迫ってきているようであり、会話出来るのは後数名程度、といったところか。
そうこう考えていると、騒ぎを目と耳で認識していたのか、解せぬといった表情をしたブルーム卿の姿が目に入る。
「・・・ケイタク殿。貴殿の友人は、そのなんだ、とても個性的な者達だな」
「は、ははは・・・真面目に評価するよりかは、出来れば笑い飛ばして下さい、ブルーム卿」
「出立前からそう微妙な表情をするな。兵や侍女共に見られたらどうする心算だ。貴殿はもう立派な騎士なのだぞ?」
「・・・申し訳ありません。自覚が足りないようでした」
「いや、過度に気にする必要もない。貴殿はこれからの者なのだ。学ぶべき事は大い方が、貴殿のためにもなろう。・・・それと、貴殿の友人達にもな」
更に何ともいえぬ表情をして卿は慧卓の背後を見遣る。式典前だというのに礼儀作法を感じられぬ、一段と大きな喧しさが耳を突いてきて、慧卓は背中に冷や汗に近い羞恥を感じた。唐突に、騒動の中心である彼らが友人であるという事実に疑問符が湧いてくる。
「・・・友人、ですか?」
「友だとも。貴殿に形なりとも情を見せてくれている。・・・まぁ、金絡みの問題や、恋煩いが無ければ頼りになると思うぞ。・・・半年をエルフの罵倒と冬に耐えながら、心身を鍛えぬくといい。いい経験になる」
「そうですね・・・有難う御座います。必ずや、この白銀の都に帰ってきますとも」
「ふん・・・此処はそこまで煌びやかではないさ」
そう呟きながら、ブルーム卿は自嘲げな笑みを見せて長い白の総髪を垂らす。そしてはっとして頭を上げ、何かを警戒するように周囲に視線を配ると、忌々しげに舌を鳴らして足早に去っていく。不思議な動作に頸を傾げた慧卓は、視界の端に移ってきた三色の花を見て思わず納得する。いつぞやの宴で共に語った、コーデリアを除外すれば群を抜いて美しい貴族の令嬢達であった。あれ以来疎遠であったが、向こうは覚えているのか豪奢なドレスを揺らして躊躇い無く此方に近付いてきた。
慧卓の微苦笑を遠目から歓迎の笑みと見たのか、緑の髪をした美女が喜びを漏らした。
「っ、ケイタク様!」
「あら、やっと私達の出番のようですわね、シンシアさん」
「そのようですね」
品のある足取りと声が近付いていくにつれて慧卓は段々と思い出してくる。緑の髪がオレリア、赤がユラ、青がシンシアである。
きらきらとした瞳で親しき者の距離にまで踏み込んできたオレリアを制しつつ、慧卓は声を掛ける。
「お、オレリア様・・・それにユラ様にシンシア様も・・・あの、どのような御用で私めに?」
「このような時までお騒がせして申し訳御座いません。ですが北へと旅立つ前に一言、申し上げたく参上させていただきました」
「どうぞこの御無礼をお許しください、若き騎士様」
「ケイタク様・・・私、貴方が離れてしまうと思うと、胸が苦しくて・・・」
「あ、あのですね。そう畏まられるとこっちの方が困ってしまうのですよ・・・ほら、お父様方を見て下さい」
慧卓は慌てて一方を見遣って頸を振った。露骨に視線を送ってくる三色の薄毛の男性陣が、其処に立っていた。身形は非常に良く、貴族としてあるべき気品さと豪奢さに身を包んでいる。だがそれに向かってシンシアは侮蔑混じりに小さく、粗野な鼻息を漏らす。
「あれはいいのです、夜は獣なのですから」
「あら、貴女の所もそうなの?私の所も同じですわ、何時も母様を悩ませているようで、本当に困ってしまいます」
「ああ、分かりますわ。年を重ねた分一回一回の逢瀬がとても濃厚なのですのよ。獅子の牙は、老いと若さの間が一番研ぎ澄まされているのです」
「そうそう。あんな牙に貫かれては獲物とて堪らないでしょうねぇ。身体の張りが段々と無くなってきているのに、あんな仕打ちまでされてはそれが更に加速してーーー」
「す、すいません、そろそろ御堪忍して頂けませんか・・・」
生々しき下の話題についていけず、また父君達の視線にどうする事も出来ない彼は、困惑の表情を浮かべるよりする事が無い。式典前に感じる筈の緊張感を崩してくれた三つの華は、清楚で、艶治な微笑を浮かべて続けて言う。
「ケイタク様、どうぞお気をつけ下さいませ。貴方の小さな背に課せられた重みは、非常に大きなものであります。一人で支えられるようなものではありません。近くには同行する勇士達が、遠くには王都の私達が貴方をお支え致しますわ」
「ゆめゆめ、全ての責を負おうとは考えてはいけません。騎士の名誉に潰されぬよう己を鍛えるのが今一番の課題なのです。王都に帰ってくる頃には、私達と相対するにより相応しき勇姿となるのを、期待しております」
「ケイタク様・・・、どうか御無事でっ。どうか、どうか御無事で居て下さい・・・。この王国に吹く新しい風となって、再び、私達の元へ戻ってきて下さいね・・・」
「・・・皆様の御厚意、とても嬉しく思います。このケイタク=ミジョー、颯爽な土産話を携えて、また此処に戻ってくる事を誓いますとも。・・・今度は、敬語抜きで話そうな」
笑みを咲かせて声を上げてくれる事に安心しつつ、慧卓は群集の整然とした様子に驚く。最早気ままに動いているのは彼一人となってしまった。気恥ずかしげに口元を崩しながら足早に出立組の列に参入する直前、白く華やかなドレスを飾って石壇の隣に控えるコーデリアの姿を認める。結局、最後に彼女と話す時間も無かった。
(・・・コーデリア・・・)
彼女の胸元に光る紫紺の妖しさを視認して、慧卓は一縷の寂しさを覚えた。本当に今日限りで、コーデリアとは半年も会えなくなってしまうのだ。彼の思いを察してか彼女の方から目線を合わせてくる。数十秒か無言の思いを交わしていると、良く通る声でレイモンド執政長官が群集に言い放つ。
『陛下の御言葉である。誉ある下賜を受けし者達よ、心して聞くのだ』
しん、として静寂に包まれた広場。鷹揚とした足取りで国王、ニムル=サリヴァンが石壇の上に姿を現して光景を睥睨する。彼の目前には北嶺調停団と監察団の一行が整列している。実際に中心の政務に携わるのは幾名だけである。慧卓ら一行とブランチャード男爵とその騎士。後は御付きの侍従や警護の者、そして任地に行くまでに利用する馬車の御者に、食糧等の必要となる物資や、政務道具を運ぶ者。延べ数十名の団体である。
そして一定のスペースを開けてそれらを騎士や衛兵等が囲い、更には参列者の波が続いている。全ての視線が己に注がれるのを感じ取ると、国王は腹に力を込めて常の鉄のような言葉を吐いた。
『諸君。北のエルフと相対する者達よ。そなた達の双肩には王国の二つの重みが掛かっておる。一つ、王国の樫を仰ぐ者としての栄誉の重み。一つ、人間とエルフの和を築く名誉の重み。己を更に栄えさせ、その名を高めるのは諸君らに与えられた特別な権利である。それが与えられるに相応しき忠誠を余に示すのだ。騎士の誇りを剣と共に勇気で示せ。勇士の力を行動と共に、言葉で示せ。そなた達の思い一つ一つを主神は遍く愛す寛大な御心で、照らし続けるであろう。そして我等も、そなた達の勇姿を見届け、守護していこうぞ』
手短に演説を済ませ、国王は口を閉ざす。間を空けぬかのように観衆から拍手が打ち鳴らされて広場を埋め尽くした。それに合わせてレイモンドも出立の命を出す。
『出立ぞ。笛を鳴らせ』
トゥベクタの高い金属の声が響く。拍手の対象が国王から出立する者達へと切り替わった。慧卓等は足を鳴らし背を向けて、それぞれが乗る馬車へと歩いていく。重き任を得た時にのみ、国王陛下に背を向ける無礼が許されるのだ。
広間の北門に控えられた馬車まで人々が生む万雷が降り注ぐ。慧卓の隣に歩く若き騎士、ジョゼが話し掛けてきた。
「宜しく頼むよ、新人さん」
「・・・貴方も同じ新任騎士でしょう、ジョゼ殿?」
「他人行儀」
「・・・お前も新人だろ、ジョゼ?」
「ああ、そうだとも。将来を約束された新任騎士。だが俺は昔はただの一兵卒だったんだよ。つまり叩き上げだ。お前とは雲泥の差なんだよ」
「はいはい、そうですか。いざとなったら頼るぞ」
「何時だって頼ってくれよ。俺も、俺の野心のために、お前を頼るぜ・・・ついでに言うとよ、北嶺じゃ俺の兄貴が住んでいるんだ。ジェスロって言ってよ、多分任務の間に会うかもしれんから、一応覚えておいてくれよ」
「はいはい、忘れたら聞くから」
「・・・お前、結構いい性格だな」
そう言って頬を攣らせながらジョゼは己が守護するブランチャード男爵の後に続いて馬車に乗り込んだ。男爵は窓から顔を覗かせて、慧卓に向かって力強く頷く。
「・・・準備は良いか、ケイタク殿。赤い水を流さずに任務を終えようぞ」
「はい・・・まだ、熊美さんにも挨拶してないのが、残念です」
「・・・その思い、直ぐに変わるだろうな」
「・・・どういう意味です?」
「直ぐにわかるさ」
確信のある笑みを見せたミラーの言葉に頸をかしげ、慧卓は己が乗る馬車へ乗り込もうとする。落ち着いた色合いをした縦長の籠の中に、アリッサとキーラが椅子に座って待機していた。ユミルとパウリナは別の馬車に乗っているようだ。
階段を登ろうとした時、誤って一段目を踏み外しそうになる。すると後から付いて来たリタが慧卓の手を支え、登りの手伝いをしてくれた。
「あ、ありがとう、リタさん」
「いえ。お怪我が無いようで何よりです」
二人は車内に乗り込んで、隣り合わせに座った。向かい側に座るアリッサとキーラの瞳がすっと窄まったような感じがして、どうしようも出来ぬ気持ちで横に目を向けた。
窓から外を見ようとした時、鞭が翻る音と共にぶるりと二頭の馬が嘶き、車が牽引されて景色が動いていく。色彩と表情が豊かな人の波は直ぐに途切れ、薄暗い石壁が、そして光と共に王都の街並みが広がっていく。式典の騒ぎを知ってか、外には多くの見物人が居た。
「よくある事だ。ああいうのは」
「良い見世物って事ですか。ま、人の事は言えないよな」
慧卓はそう言って座席に座り直し、そして寂しげに息を漏らそうとする。結局コーデリアのみならず、熊美にすら会えなかった。
ふとそう思っていると、景色の動きが緩やかなものとなっていく。そして気付いた時には完全に足を止めてしまい、武器屋の見世棚が目に移った。
「・・・はぁ・・・矢張り、か」
「矢張りとは?」
「見れば分かる」
慧卓は窓を開けて顔を出し、驚きで声を出せない状態に陥った。目の前の道を二人の騎士に従った騎士団が塞いでいたのだ。金の百合花を飾った旗は、それが黒衛騎士団の存在を、そして熊美の存在を伝えている。
「・・・如何したらいいんでしょう?」
「・・・すまぬがケイタク殿、応対を頼む」
「はい、喜んで」
扉を開いてさっと地面に降りると、己の先を走っていた男爵に擦違い様に軽く手を挙げつつ、慧卓は迷い無く騎士団の方へと進んでいく。それぞれ二頭の大きな馬に跨った二人の騎士を見定め、その一方が重厚な鎧を纏った熊美であると確認した。背に靡くマントが、想像を越える洗練さを醸している。
「熊美さん、広場に居ないと思ったら此処に居たんですか・・・しかも騎士団を引き連れて」
「ええ、貴方に用があって此処に来たわ。それさえ済んでしまえば直ぐに道を開けるけど」
「旧友を巻き込んでの大騒動だ。上手くやらないと承知せんぞ?」
「わかってる、わかっている」
隣に並ぶ白銀の鎧を纏ったカイゼル髭の騎士はそうごちて、馬上から気軽に慧卓に話しかけた。
「やぁ、随分と久方ぶりだな、ケイタク殿」
「貴方は・・・えっと、オルヴァ=マッキンガー子爵様?」
「たった一回しか会っておらんのに、よく覚えていたな。口の中で何回、その名前を反芻した?」
「ごめんなさい、軽く二十は致しました・・・」
「はは、若いとはなんと素直な事か・・・羨ましいな、クマミよ?」
「若さを僻むよりかは、私は老いに喜びを見出すぞ」
熊美はそう言って、父親のような、或いは母親のような慈しみの視線を慧卓に向ける。
「慧卓君・・・いよいよ出立の時ね。独り立ちとは違うかも知れないけど、此処まで良く頑張ってきたわ。先ずはそれをお祝いします」
「有難う御座います」
「貴方には多くの友人が居る、年齢に分け隔てなくね。北に旅立つにあたり、必ず多くの艱難が待ち構えているでしょう。自分だけじゃ如何にもならないと思ったら、直ぐにその人達を当てにしなさい。きっと助けてくれる」
「・・・承知してます。助けられた分、彼らの分も助けますよ」
「・・・貴方はこれからエルフ自治領に行くのよ?今、あそこで何が起きているか充分に理解した上での発言でしょうね?」
ゆっくりと紡がれた口調から温かみが俄かに失せて、反対に鋭さが滲み出る。慧卓は確りと頷きながら、己の言葉を紡ぐ。
「・・・民族内での派閥争い。強権派と穏健派との対立。俺達北嶺派遣団にも、いずれ選択の時が来る。どちらを取るか、どちらを見捨てるか」
「そう。そして、その決定をするのはアリッサちゃん、そしてミラーさんよ。・・・選択に伴う負担と災禍が二人を襲うでしょう。その時こそ、貴方の出番。エルフの友を見捨てる覚悟で、助けなきゃいけないの。分かるわね?」
「友を作るのは容易いが、捨てるのは難題だ。徐々に疎遠になるという手段もあるが、君には時間が託されていない。決める時も、行動する時も一瞬だ。同時に、被る恨みも膨大だ。旅路の途中で良い、充分に理解しておけよ?」
「・・・はい」
二人の騎士の厳しき激励に、慧卓はゆっくりと頷いた。それを見て熊美とオルヴァは視線を交わし、朗らかな表情を浮かべる。馬の嘶きを御しつつ熊美は言う。
「さてと、何か忘れ物はないかしら?剣は?治療薬は?」
「あ、あれ依頼常備してますって!ついでにアロエの葉っぱも持ってます。火傷にも対応出来ますよ」
「ふぅん。・・・あら、首飾りはどうしたの?持ってないようだけど?」
「あ、あれはその・・・王女に差し上げました。・・・俺よか、似合ってると思って」
「お前の若い頃に似ているな。女誑しの才能がある。その内修羅場だ」
「黙っておれ。・・・慧卓君、本当にあげるだけ、だったの?」
「ど、如何いう事でしょうか?」
熊美はきりっと眉を顰め強い口調で言う。馬上から糾弾されるかのような格好となった慧卓は、どきりと胸を怯ませた。
「これから半年も離れ離れになるのよ。涙を流しても、声を枯らしても決して会えない。厳格に定められた規律と、北の厳冬が二人を引き離す。それを繋ぎ止めるのがたった一個の首飾りというのは、とても不安定じゃない?」
「で、でも、俺が彼女にあげられるものなんてこれ以外ーーー」
「馬鹿か、貴様はぁっ!!!!!!!」
裂帛の怒声が響き渡り、熊美の馬とその手がぐっと近寄り、慧卓の襟首を掴み取った。己の目の高さまで慧卓を吊り上げて、熊美は更に続けた。
「うら若き女子がなぁっ、自分の淡い思いを抱き続けるんだぞ!誰にも知られぬよう、誰にも靡かぬように!その思いを胸の内に止め、守るのがたった一つの首飾りなんだぞっ!!!貴様が居なくなった王宮で孤独を耐え忍ぶのがどれだけ辛い事か、貴様には分かっておらん!!!」
「くっ、苦じぃ・・・死ぬっ・・・」
「おー、うっさ・・・耳が死んじゃうー」
友人の文句を聞き流し、熊美は青褪め始めた慧卓をぽいと地面に投げ捨てた。尻を打ち、喉を押さえてげほげほと慧卓は咳き込む。その激しき言葉と余りに乱暴な手打ちを見て、見物人は驚き呆れ、アリッサ達はただただ唖然とする事しかできない。
「貴様には積極性が無い!!!!己の思いを自分の言葉で表し、それを物に代替させるだけだ!!!自分から手足を動かし、自分の熱意を伝える事が出来ておらん!!!その積極性の無さが、貴様の恋慕の手助けとなると思うか!?なる筈が無かろう!!!」
「・・・ごたごた言ってんじゃねぇよっ、糞羆ぁぁ!!!!」
普段の礼儀正しさをかなぐり捨てて慧卓は怒声を奏でる。一方的に己の恋の機微を意味の無いものと吐き捨てられて、頭が鳥のようにかっかとなってしまっている。
「年上ぶって言いたい放題やりたい放題しやがってよぉ・・・こっちの淡い感情は関係ありませんか!?無いですかそうですかぁ!?」
「貴様が理解してないから言っておるのだっ!!生来の貴き者を落とす覚悟というのを理解しておらん!!貴様に足らんのは何か教えてやろうか!?それは激情だ!!!!愛のためならば、一時の羞恥も飲み干す、そういう情が全く足りておらん!!!暗幕に隠された想い人の願いを汲み取り、それを叶えようとする熱意が足らん!!!」
「・・・それが証明できれば、俺はどうなるんだよ?」
「決まってる、男足りえるのだ」
躊躇いの無い瞳と言葉を受けて出掛かった文句が喉に詰まる。そして慧卓は投げ捨てられた怒りを溜め込みつつも、それを上回る欲求を抱く。己の想いを単純明快に現し、そして公衆の面前でするには恥を伴うであろう、一つの方法を。
「・・・すみません、俺に馬を下さい」
「ほう、クマミの甘言に乗せられるのか、君は?」
「いいえ、自分の気持ちに決着をつけるだけです。出せ。早くしやがって下さい」
「ははははっ!!いい態度だっ、それでこそ男だよっ!!」
オルヴァは笑みを飛ばして部下に指示する。始めから答が出るのを分かっていたように、部下が一頭の馬を率いて前に出る。見た目からして強靭な体躯に健やかな栗毛が生え、瞳は鷹のように鋭い馬であった。
「こいつの名前は?」
「我々はベルと呼んでいる。こいつを頼むぞ」
「・・・承知しました」
慧卓は馬を受け取りつつ、逞しい肌を何度か撫でる。抵抗の意思を見せる事無く、馬が地面を二・三度摩った。よし、と一息出すと、慧卓は一気に馬に跨って鐙(あぶみ)に足を掛ける。
「・・・宣戦布告してきます!」
「行ってこい!」
溌剌とした言葉に返事を受けて、一つ鋭い息を吐くと慧卓は馬の腹を強く蹴った。前足を高々と上げて馬は力強く嘶き、その足を下ろすと共に疾く、疾く駆けていった。馬車の列を観衆の視線を釘付けにしながら慧卓は街中を只管に走り、己の想い人の下へ向かっていく。
「・・・青臭い餓鬼だな、あいつは」
「そうだな。空のような奴だ」
少しの羨ましさを醸しつつも、晴れやかに熊美とオルヴァは遠くなっていく背中を見詰めていた。そして塞いでいた道を開けるため、騎士達を横へと移動させていった。
内縁部の北の集兵場では、既に人の波が小さなものとなっていた。式典も終わり国王達重臣は宮廷へと引っ込み、騎士や楽師、或いは貴族の令嬢らも其処を離れている。残るのは兵幾人と、そして開け放たれた門を前に立ち竦むコーデリアだけであった。胸元には、樫の木により象られてターコイズを嵌めた一つの指輪が、所在なさそうに握られていた。
その背後から、侍従長が声を掛けた。
「コーデリア様・・・そろそろ宮中に戻らねばなりませんよ」
「・・・クィニ。もう少し、此処に居させて下さい。門を、開けたままで・・・」
「・・・御心中お察しします。ですが、そのような物憂げな御顔を外界に向かって顕とさせたままとあっては、民草もまた不安となってしまいます。どうか此処は、お引取り下さい」
クィニの言葉に反応せず、コーデリアは寂しげな面持ちで外を見遣るばかりである。これ以上は付き合っても仕様が無いと、クィニは衛兵に目を向けた。
「・・・衛兵。門を閉じなさーー」
「待って」
不意に掛けられた声にクィニは口を噤む。王女の瞳が遠くを見るように窄まれている。クィニもそれに釣られて門を見遣ると、一頭の騎馬が此方に近付いてくるのが見えた。栗毛の馬体に乗った姿は、コーデリアの心中を占有していた慧卓の姿であった。
「ケイタクさんっ!!」
「あっ、殿下!!」
衆目も憚らずコーデリアは駆け出していく。衛兵達もその場に残っていた者達も驚いて見遣ってきた。コーデリアは門前に立ち止まり、慧卓の姿に可憐な笑みを覚えると共に不安を覚えた。何故此処へ戻ってきたのであろうか。
馬から降りて真剣な瞳を浮かべた慧卓にどきりとしつつ、コーデリアは敬語を捨てて声を掛けた。
「どうしたの、そんなに慌てて」
「ああ、ちょっと大事な忘れ物をしてな。急いで来た」
「ほ、本当に?大変・・・急いで兵に知らせて取りに行かせなくちゃ」
「いや、いいんだ。結構直ぐ近くにあるからさ」
「え?どういうーーー」
疑問符を浮かべた彼女に向かって、慧卓がぐっと近寄っていく。驚くように目を見開いた彼女の背を抱きながら、慧卓は瞳をすっと閉じて、その可憐な口元を奪い取った。観衆は口をあんぐりと開いて思考を停止させるを余儀なくさせる。彼らが想い慕う王女の唇が、ただの若き青年に簒奪されたのだから。
コーデリアは突然視界を埋め尽くした慧卓の顔と、口元に感じる熱の篭った愛情表現に驚き、そして時が経つにつれて、感涙を浮かべた瞳を閉じる。そしてその接吻を受け入れるために、慧卓の腕に手を置き、そしてその背中に己の手を軽く回した。悲鳴にも近きどよめきが衆目から湧き上がる。
「や、やった!やりやがったぞあいつ!!!」
「く、くそぉ・・・くそぉ・・・なんて羨ましいっ!!」
広場に残っていた王女愛好会の二人は、血涙も流さんばかりに悔しがる。王女の成長を祝う気持ちよりも、友人である慧卓を呪う気持ちが勝ったのだ。
渦中の二人といえば、唇の抱擁を幾度も重ねるに至っていた。花が重なり合うように軽やかで、優しさに満ちて接吻を幾度も重ねる。彼女の背に回した手がなだらかな蒼の髪を撫で、たおやかな身体を感じている。万感の思いを抱きつつ慧卓は一度唇を離した。間近で見詰める想い人はうっとりとして、潤いの光る頬を恋慕の赤に染めている。幾度見ても見飽きぬ傾城の美に、慧卓は改めて見惚れてしまった。
「・・・な、大事な忘れ物だっただろ?」
「・・・うん、凄く大切・・・。ね・・・」
もっとして、と紡ごうとする彼女の口を再び塞ぐ。ただ重ね合うのも我慢できず、水音にも似た艶やかな調子を口元から奏でる。気持ちがどんどんと膨らんで、抱擁に篭る力も強くなってしまいそうであった。だが時間を独り占めするわけにもいかない。任務と仲間が、彼を待っているのだから。
慧卓は身も引き裂かんばかりの名残惜しさで口を離しつつ、囁いた。
「帰ったら、もっと沢山しような?それまで、我慢してくれ」
「うん、もっとして欲しい・・・もっと抱いてほしいから、待ってるね・・・あっ、そうだ・・・」
コーデリアは彼の背に回していた手を解き、掌に握られていた指輪を見せる。そして慧卓の左手を持ち上げて、その薬指に指輪を嵌めた。
「これ、首飾りの代わり。大切にして」
「・・・ああ!!大切にするよ、ずっと!!」
胸を大きく震わせながら、慧卓は再度コーデリアに熱いキスを落とす。上唇を吸うように二・三度唇を重ね、そして舌先でつんと突いてやる。
「きゃっ」
可憐な声と共にコーデリアが驚くのを見て、慧卓は笑みを浮かべながら馬に跨った。そして大望を背負う騎士に相応しき颯爽たる面持ちで、己が仕える王女に向かって言う。
「では殿下、行って参ります!!」
「どうか御無事で、騎士ミジョー!!」
想いが詰め込まれた言葉に慧卓は大きく頷き、ベルの腹を強く蹴る。鋭い嘶きと共に愛馬は踵を返し、王女に背を向ける栄誉を受けながら疾駆していった。コーデリアは愛すべき者の背中を見詰め、慈愛に満ち満ちた視線を送っていた。幾度も攫われた唇は灼熱の如く彼女の想いを焦がし、恋慕を更に掻き立てるものであった。ぎゅっと首飾りを握り締める彼女には、既に迷いや不安の一字など存在する余地が無かったのだ。
開かれた街路を愛馬と共に疾駆する慧卓。風を切って勝利の力強い笑みを浮かべて走る様は、御伽噺にでも出て来そうなほど快活で、魅力に溢れる姿である。視界の奥に、道の端に整列する黒衛騎士団の姿を捉えた。段々と近寄るそれに向けて、慧卓は左手をぐっと天に向かって突き上げた。豪刃の羆はそれを見て、彼と同じく、勝利の豪快な笑みを浮かべた。
「奴はやったぞっ!!!!!」
『大オオおおおおおおっっっっっ!!!!!』
湧き上がる大歓声。兵のみならず、臣民すら交えての歓声であった。慧卓は拳を突き上げたまま、その波の真っ只中を駆け抜けていく。そして擦違い様に、熊美とハイタッチを決めた。
一時の騒がしさに包まれた王都を華やかな話題が占領するのは時間の問題であった。うら若き最後の王女と異世界の騎士。二人の淡く激しい恋は臣民達の間で大いに盛り上がり、酒の杯となって記憶に刻み込まれていったのである。
後書き
分かりやすいまとめ
<前半>
コーデリア「私、超不安なんです。自分使えない子?」
慧卓「諦めんなよ!」
コーデリア「うん、諦めない!」
<後半>
熊美「You,やっちゃいなよ」
慧卓「イエッサー!」
コーデリア・慧卓『ズキュゥウウウン』
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