逆さの砂時計
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アンサンブルを始めよう 2
「あっちに一体で、こっちに三体……よし、見っけ……ん? え、あれ? なんで…… あー……ま、いいか。さっさと登れ、クロスツェル」
(? はい)
祠を目指して足取り軽やかに跳んでいくロザリアの後に続き、私もたまに手を突きながら、滑りやすい根の道を慎重に登る。
その先で待っていたのは、当然
「はじめまして。我らが里へ、ようこそおいでくださいました。貴女が直接こちらまでお見えになるとは思いませんでしたよ、女神アリア……いいえ、魔王レゾネクトと聖天女マリアの娘、ロザリア」
自らの長すぎる白髪で祠の内部を埋め尽くしている、エルフの長様。
その外見は相変わらず、十歳前後の耳が長い子供にしか見えない。
「どーもハジメマシテ、エルフの長サン。クロスツェルの記憶を覗いた上で手を貸したくらいだ。この程度なら予想はしてたんじゃないのか?」
「……ああ、そうだね。貴方とはもう一度会いたかったよ、クロスツェル。祝福は、もう必要ないのかな?」
虹色の目を開いた長様が首を傾げ、ロザリアの隣に立つ私を捉える。
ああ、なるほど。
(借りを返すって、この『時間』の力を長様へ返す、という意味ですか)
「ソイツを返すかどうかは、お前の判断に任せる。好きにしろ」
(え?)
「本来は時司の神が世界樹の為に残した大切な宝物だからね。憂いが無事に解消されたのなら、返してくれると助かるよ」
にっこり微笑む長様と、彼を無表情で見つめるロザリアを交互に窺い。
借りたままにするのは良くないかと考え、長様の手前で片膝を突く。
「ありがとう」
長様が私の胸元に右手を翳して目を閉じる。
と、私の全身から溢れ出した虹色の光が、長様との間に集まり、くるんと丸くなって、彼の手のひらに すぅー……と溶け込んだ。
授かった時と同様、私達の外見にも体調にも変化はない。
「これで、聖樹は今後も護られる。貴方のおかげだよ、クロスツェル」
「……はは。おかげ……ねえ。物は言いようってか? そんじゃこっちも、お前らの働きに相応しいお礼を、させてもらおうかな?」
私を見据える長様の笑顔に微笑み返すと、ロザリアが低い声で笑った。
一緒に過ごしてきた時間の中でも聴いた例がない、乾いた笑い声。
(……ロザリア?)
ロザリアが、初対面の長様に対して、本気で怒ってる?
何故?
「貴女に感謝されるようなことは、何も」
「いや。お前は状況を正確に読み取り、正しく理解し、的確で適切な判断を下してくれてたよ。実に素晴らしい機転だった。そうと知った瞬間、思わず顔面を殴りつけたくなるほどにな。だから遠慮せずに受け取れ。クズ野郎」
「(⁉︎)」
肩越しに振り返った途端、不敵に笑うロザリアが右手を掲げ。
いつの間にか私達の頭上に浮かんでいた薄い緑色に輝く十三個の球体を、ロザリアの周りに引き寄せる。
人間の成人女性を余裕で包み込める大きさの、重さを感じさせない球体。
それらの内一つが、ロザリアの手前で風船のように破裂し。
その中から真っ白な……長様とまったく同じ容姿のエルフが滑り落ちた。
「あ、……あぁ……」
膝から地面に落ちたエルフは、ロザリアの左腕に力無くしがみつき。
生気が消え失せた顔で、聞き覚えがある声を小刻みに震わせている。
(……もしかして……リーシェ?)
見た目には判断しにくいが、声の感じからしてリーシェで間違いない。
現代のエルフ族の中で唯一の女性体だという、三百歳の少女(?)。
しかし、前に会った時とは、明らかに様子が違う。
「リーシェに何を!」
異変に気付いた長様が声を荒げた、その瞬間。
「ひっ! やっぁ、っぐ、うぅ…… げふっ かはぁっ」
長い耳を押さえてうずくまったリーシェが嘔吐した。
まるで、長様の声を拒絶するように。
「リー……」
困惑した長様が、咄嗟に手を伸ばそうとするが。
「いやああっ‼︎ や……っ、ご、ごめんなさっ……ごめんなさいぃ!」
リーシェは悲鳴を上げ、長様から逃げてロザリアの腰に抱きついた。
涙やら鼻水やらで汚れた顔をロザリアのワンピースに埋めて泣き喚く様は痛々しく、理解の範疇を超える何かと遭遇して恐慌状態に陥ってしまった、幼い子供を彷彿とさせる。
出会った当初の元気一杯なリーシェが嘘みたいだ。
「っ、彼女に……リーシェに何をした⁉︎」
「大声を出すなよ、猿山の大将。リーシェが余計に怯えるだろ。生憎、私は特に何もしてない」
「何もせずに、彼女がそうなるものか!」
「お前らじゃあるまいし、女子供に危害を加えて喜ぶ趣味はねぇよ。ただ、お前らエルフがリーシェに何を望んでるのか教えてやるっつって、母さんがバカ親父にされたこと、バカ親父が人間の女達にしてきたこと、私や人間の女達が、人間の男共や悪魔共やべゼドラにされてきたことを、お前らの顔に置き換えた映像として見せてやっただけだ」
「なっ……⁉︎」
動揺した長様が言葉を詰まらせ、勢いよく立ち上がる。
……立てたんですね、長様。
動けないのかと思ってました。
「なんという、ことを……! リーシェはまだ!」
「エルフの年齢では幼いほうだって? はっ! 笑わせてくれる」
そうやって、大切にするフリで極限まで甘やかして。
自分達への警戒心や反抗心を育てさせないように、自分達にとって都合が悪いことや苦痛が伴う醜い側面はギリギリまで隠し続けて。
他に居場所はないんだと疑わなくなるまで心底懐かせ、逃げ道を絶って。
んで、適齢期になったら、お役目だからとかなんとか言って、問答無用で押し付けるつもりだったんだろ?
「ホント胸クソ悪ぃな、お前ら。コイツを便利な道具と間違えてねえか?」
「……っ!」
「私は私を自覚した時点で、結構散々な目に遭ってたし、世界の汚らしさに対する耐性も、警戒心も、対処方法も、諦めも反抗心も、全部実地で学んで身に付いてたから、今でも平然としてられるけどさ。リーシェは無知なまま三百年間も大切に大切に囲い込まれてたおかげで……ほら、見ろよ。この、恐怖と嫌悪に染まり切った弱々しい姿。お前らの顔なんざ汚らしくて視界に入れたくもないんだと。可哀想になあ?」
こうなったのは、私が映像を見せたからじゃない。
お前らがコイツを道具扱いして現実を教えず学ばせず、自分自身で考える力を削ぎ、選択肢すら一つとして与えてこなかった結果だ。
「子供を産ませるどころの話じゃなくなっただろうが、そんなもんは完全にお前らの自業自得だよ。バァーカ!」
震え泣く肩を抱えて純白の髪を優しく撫でていたロザリアの手が、長様へ向かって、邪魔者を追い払うように『しっしっ』と動く。
バカにされた怒りで血の巡りが偏ったのか、彼の顔が瞬時に赤くなった。
「曲がりなりにも神々に遣わされし聖天女の娘でありながら、我ら世界樹の護り手を滅ぼすつもりか!」
「……はっ! お前らなんか、どうなろうが知ったこっちゃない。けど」
お前は『聖杯』を使わなかった。
手順を省けばどうなるかを知ってて、あえてそうした。
アリアとクロスツェルが接触する機会を増やす為だけに。
弱ってたクロスツェルの魂を、エサとして更に弱らせたんだ。
「そうだよ。私達はクロスツェルもべゼドラも絶対に死なせたくなかった。そこを突いたお前の判断は憎たらしいほどに正しかった。だから、コイツはその礼だ。クロスツェルの魂を体よく利用して消耗させた分だけ、お前らもとことん焦って苦しめ! くそったれが‼︎」
『聖杯』?
……もしかして、あれのことだろうか。
クロスツェルの記憶よりも、ずっとずっと遠くに感じる心当たり。
騎士団長殿を通して国王陛下に呼び出された王城の一室で、神々に直接『使命を果たす覚悟があるのなら飲め』と言われて授けられた、無味無臭で半透明な赤い液体を湛える銀色の杯。
飲み干した直後、心臓を無理矢理拡げられていくような激痛と、体内から燃やされているような高熱に襲われ、一昼夜ひたすら転げ回ってた。
治まった時には、既に『退魔』と『治癒』の力を自在に使えていたから、あれが祝福なのかと、後日振り返って納得したものだ。
…………ああ、そうか。
あの液体は『神の血』か。
人の身には余る力を負担なく扱う為に授けられた『神の魂の欠片』だ。
力の源とも媒体とも言えるあれを、生命の核に直接取り込んだから。
だから、アルフリードさんは勇者でいられた。
逆に、私が『時間』の力を使うたびに消耗していたのは、神か、もしくは神に匹敵する悪魔の力を操る為の下地が与えられなかったから。
そのわりに何度も使えたのは、女神の守護と、悪魔の支配があったから。
ロザリアの願いと、ベゼドラの意志が、私に掛かる負担を軽減していた。
外付けのクセに、じゃない。
外付けだからこそ、消耗していたんだ。
祝福を授かろうとするなら、私は、最低でも現代の力の保有者……
『長様の血』を飲まなければいけなかった。
でも、長様はあえてそうさせなかった。
私を護っていた女神を、私達の手が届かない遠くへ行かせない為に。
ロザリアが怒っている理由がこれなら、きっかけは私の寝坊かな。
彼女は『死』に対して極端に臆病だから。
いつもより長く眠っている私の姿から残された時間の少なさを実感して、いろいろと我慢の限界を超えてしまったのだろう。
(うーん……)
正直、無味無臭でも血液なんか飲みたくないし。
私が人間を超える生命力と自己防衛手段を得ていたら、それこそ彼女達はレゾネクトを遠ざける為に糸口すら残すまいと、私とベゼドラへの守護や、繋がりをすべて断ち切ってたんじゃないかって気がする。
であれば、私は長様の決定に感謝こそすれ、怒ったり恨んだりはしない。
むしろ、よくそこまで考えてくれたなあと、うっすら感動したのだが……
ロザリアが私のことで怒ってくれるのが嬉しいから、黙っていよう。
リーシェの件でも、なにやら考えがあるらしい彼女の邪魔はするまいと、静かに立ち上がり、ふわふわ漂う球体と三人からこっそり距離を空ける。
「人間一人の消耗を早めた程度の些事で我らに報復などと! 先も読めぬ下賤な小娘が!」
長様の目がギラリと光った。
時間干渉を狙ってるなあと察しても、無力な私にはどうしようもない。
両腕を腰上に回し、成り行きを見守る。
「下賤で結構! お前らに高貴だとか敬われても私は全然嬉しくない!」
ロザリアの目も光った。
私に感知できてないだけで、なんらかの攻防が始まっているようだ。
ロザリアもリーシェも長様も、立ち位置どころか手足の指一本でさえ全然動かしてないせいで、そうと知らなければ、ただの口喧嘩にしか見えない。
『時間』の力同士がぶつかり合うと、第三者の目にはこう映るのか。
「第一! この期に及んですらリーシェに対して一言も説明しようとしない自分本位なお前ら如きに、何が護れるっていうんだよ! バカバカしい! 世界樹を云々以前に、その歪み切った世間知らずな使命感と正義感を世界の果てで見直してこい‼︎ 母さんの力に頼ってるだけの引き籠りがっっ‼︎」
「…………っ⁉︎」
長様の足下で薄い緑色の閃光が弾け飛び。
何百もの細い槍となって、彼の体を刺し貫く。
思いがけない方向からの攻撃? で、長様がよろけた隙を衝き。
ロザリアの右手が、新しい球体を作って素早く放つ。
球体は、長様の体を祠ごと難なく呑み込み……数秒後。
ぽむんっ! と、妙に可愛らしい音を立てて、長様と祠を吐き出し。
そよ風に流される煙のように霧散した。
根の上に ごろりと横たわった長様は……
(あの、ロザリア?)
「なんだよ」
(長様、ぴくりともしてないんですけど……気のせいでなければ、呼吸まで止まってませんか?)
「体の時間を止めてるからな。呼吸もしてないし脳も心臓も止まってるぞ。ちなみに、分離させた意識は結界の外へテキトーに放り出しといた」
(分離?)
「だってソイツ、人の話になんざ聞く耳を持ってない、お仕事第一、むしろ仕事にしか興味がない熱血漢だもん。こうでもしなきゃ、いつまで経っても水掛け論じゃん。一度外界の荒波で揉まれて柔軟な思考を身に付けてくれば良いんだ。ま、社会勉強ってヤツだな」
(……幾百年を生きた人外生物が、社会勉強……)
「どんだけ長く息をしたかよりも、どれだけの物を見て聴いて触れて感じて見極められるか、が重要なんだよ。言われたことだけをこなす努力(笑)で満足してるクソガキにこれ以上付き合ってられるか。私の時間が勿体ない。論より体験、そんで実証。ソイツにはそれで十分だ」
かっこわらいかっことじ、って。
不機嫌で辛辣さが増してますね、ロザリア。
「外界を知っても変わらないんなら、それはそれで良い。そうあるべき種族なんだろうさ。でも、自分達以外のあり方を知ろうとせず、個人の気持ちを考えようともしないで無理矢理引き継がせる義務なんぞ、クソっ喰らえだ。守護者も護り手も関係ない。根こそぎ引っこ抜いて、すべて抹消してやる。だからお前も、自分で学んで、自分で考えて、自分で決めろよ、リーシェ」
「…………ロ……ザ、リア、さま」
頭頂部を撫でられたリーシェが顔を上げ。
恐怖と戸惑いに濡れた目で、ロザリアと私を交互に見上げる。
「わ、我は」
「ここに居たいと思うんだったらそうしろ。その場合は、さっき見せた通り子供を産む道具にされるだけだが、お前が納得した上で受け入れるんなら、こいつらを解放して私達はこの場を去る。後はお前らの好きにすれば良い。けど、ほんの少しでも迷いがあったり嫌だと感じてるんなら、一緒に来い。外の世界と、自由に選び取れる無数の未来を、お前に見せてやる」
良いことも、悪いことも、無意味に思えることも、たくさん経験しろ。
目に入るすべての事象と向き合いながら、お前自身の将来をどうしたいか考えていけば良い。
真顔でそう告げるロザリアに、リーシェは眉をぐっと寄せる。
「し、しかし、聖樹が」
「ここの結界なら、私にも扱える。幸い、二方向が高い山に挟まれてるし。東側と西側の出入口を直接繋げば、あらかたの侵入は防げるぞ。里の空間を遮断すれば完璧だな」
え。
(空間を遮断するのはダメです、ロザリア。世界樹には万物の魂を修繕する役割もあるんです。接点が小さいほど、世界の衰退を加速させますよ)
これは、レゾネクトの中で得た『彼女』の知識だが。
勇者一行も知っていた情報だ。
だからこそ当時のマリアさんは、侵入者を防ぎ切れないと判っていても、目眩まし程度の結界しか張ることができなかった。
「衰退? よく解らんけど、なら、上下を開いとけば良いんじゃないか? 地面に筒を置く感じにしとけば、少なくとも人間の侵入は遮断できるぞ」
「……遮断、できる……? 侵入者を?」
「ああ、そうだ」
抱きついたままの両腕を外させ。
リーシェが吐き出した物は気にも留めず、その場で膝立ちになり。
彼女と目線を合わせて、その両肩をしっかり掴む。
「よぉーく考えてみろ、リーシェ」
神々は現代でも母さんが作った異空間で惰眠を貪っててこっちの世界には我関せずだし、世界樹を実際に害したバカ親父は猛省中。
害しそうな悪魔共も、半分寝てる状態だから手の出しようがないし。
人間の侵入は、新しく組む私の結界で阻んでやる。
動植物は循環の輪を踏み出してないから、脅威にはならんよな?
そもそもこんだけデカく成長してんだし、世界樹は回復済みだろう。
「つまり、だ」
一旦目を閉じたロザリアが、息を大きく吸い込んで。
リーシェの顔をまっすぐに覗き込み
「お前らがここに居続けても、やることがない!」
きっぱりはっきり、断言した。
「…………やることが……ない……」
涙も止めて茫然と呟くリーシェに、ロザリアは真剣な顔でこくりと頷く。
「私はな。ごく一部とはいえ、人間の世界を歩き回って知ったんだ。お前達みたいに、他者を認めず、理解しようともせず、交わらず、一定の場所から動こうともしない存在を、なんて呼ぶのか」
「……引き籠り、ではなく……?」
「ああ。もちろんそれもあるが、厳密には少し違う。お前らは」
「我らは……?」
薄い緑色の目力に気圧されてか、リーシェの喉が浅く上下する。
そして
「『昼行燈』だ」
「うわあああああああ────────ん‼︎」
「(あ。意味、知ってたんだ)」
昼行燈。
明るい時間帯に明るい場所で灯りを点けてどうする。
燃料の無駄遣いは勿体ないから、おやめなさいの意。
転じて、生産性の欠片もない、無意味なコトばかりしたがる人や、誰にも何にも、自分自身にすら貢献しようとしない、ただただそこに居るだけの、全面的に役立たずな人を揶揄した言葉。
ちなみに、行燈とは東大陸の一部の国で使われている照明器具を指す。
素材や形状に違いはあるが、他大陸でのランプなどと同じ役割の品だ。
「我らは! 我らは役立たずなどではぁあーっ!」
「そうか? 私の目には、母さんの結界の中でのんびり畑を耕しつつ警戒と称して散歩してるだけの暇人に見えたけどな。他に何かやってたか?」
「せ、世界樹に、害意ある生者を近付けぬように迷わせたり!」
「うん。ちょっとした悪戯気分の散歩だな」
「さまよえる魂を、世界樹の元へ誘導したり……!」
「世界樹の循環は世界中に及ぶんだろ? ってことは、お前らが居なくても世界樹の根本に集まる仕組みになってるんじゃないのか? それ。せいぜい到着までの時間を、里の幅分だけ短縮してる程度?」
「ぐ……! あぅうう~~……っ」
返す言葉が見つからないのか。
悔し気に、唇をパクパクと動かすリーシェ。
「他には? 何をしてた? それはお前やお前が将来産み育てる子供達が、あんな目に遭わされてでも継続しなきゃいけないことか? お前は本当に、納得できているのか?」
「っ!」
追い討ちをかける問いに、小さな体がガタガタと震え出し。
戻りかけていた生気が鳴りを潜めてしまった。
(…………)
リーシェの恐怖は、ロザリアの経験と記憶から来るもの。
ならば今のリーシェは、べゼドラに監禁されたばかりの頃のロザリアだ。
あの激しい拒絶と嫌悪と涙は、ロザリアの物。
泣きながらも気丈に振舞っていた彼女の本心を直に見て。
私の心臓が、握り潰されたかのように鋭い痛みを訴える。
それでも傍に居たいと願うのだから、私という人間は、本当に……
「選んだのは私だ。お前の後悔なんざ知るかよ、バーカ」
私が、自分のコートの胸元を握り締めていたからか。
ロザリアが怪訝な顔でこちらを見て、鼻で笑った。
(……以心伝心?)
「お前が単純すぎて分かりやすいだけだっての。良心の呵責に苛まれるのはザマーミロだけど、また逃げ出したいっていうのは絶対に許さないからな。死ぬまで放さないし、離させない。解ってるよな?」
(はい)
「なら良い」
本当に……彼女には、死んでも敵いそうにない。
「で。答えは? お前自身は、どうしたい?」
うつむいた頬を両手で包んで掬い上げ。
恐怖に揺れる薄い金色の目を、正面から覗き込むロザリア。
長い沈黙の後、エルフの少女は
「……………………………………じゃ……っ」
今までで一番大きな滴を落としながら
「いやじゃ、嫌じゃ嫌じゃ! 我はあのような扱いなど受けとうない‼︎」
助けて と、叫んだ。
「任せとけ」
ロザリアは立ち上がり、九個の球体を右腕の一振りで里中にばら撒いた。
「お前の仲間も体の時間を止めて意識を結界の外へ放り出した。今日以降、しばらくの間はエルフ族の大半を冬眠させる。その間に、お前はお前自身が納得できる生き方を探すんだ。結果、この里に戻ってくるも良し。まったく別の場所で新しい生活を始めるも良し。自分の意志で、好きな道を進め」
ロザリアに支えられてよろよろと立ち上がったリーシェは。
陰りを見せながらも決意を窺わせる強い眼差しで里を見渡し、深く頷く。
肉親に子供を産めと望まれていた点で、自身とよく似た境遇のリーシェを助けられたからか、ロザリアの横顔がとても満足気で、私まで嬉しくなる。
しかし。
十三個からリーシェを引いて十二個。
更に九個を引いて、三個残った球体。
エルフ族の総人数は十二人だった筈。
数が合わないような?
(それ、残りの三個には誰が入っているのですか?)
私がふよふよ漂う球体を指して尋ねると。
微妙な表情で振り向いたロザリアが、自身の頬を掻く。
「んー……。一つは、エルフ族の中で唯一まともなネールってヤツ」
ネール。
前回、凄まじい敵意を放ちながら案内役を務めてくれたエルフだ。
「全員を行動不能にしたら、里にある畑が荒れ放題になっちまうだろう? 勿体ないから留守番させようと思ってさ。本人も話を聴いて同意してるし、私達が里を出た後で解放するつもりだったんだけど……一応、出て行く前に会っておくか? リーシェ」
コイツだけはお前の扱いに疑問を持ってたぞ、と前置いた上で尋ねられたリーシェは、一瞬表情を強ばらせ、頭を横に振る。
「今は……会えぬ。顔を見るのは怖い。だがもしも、我が帰ってきたら……一番最初に会うてくれるか? 兄上」
手前へ降ろされた球体におずおずと触れて、ぎこちなく微笑むリーシェ。
ネールが答えたのか、薄い緑色の球体は二回ほど点滅し。
畑へ向かって、ゆっくり飛んでいった。
(彼、リーシェに関して私達に何か言っていますか?)
「手を出したら赦さない。だってさ」
……彼は、私をどういう人間だと思っているのだろう。
ロザリアの件があるから、警戒されても仕方がないのだけども。
(ありえない。とだけ伝えておいてください。そちらの二個は?)
ちょっとやり切れない感じになりつつ。
未だに浮いている球体へ目を向ける。
と。
残っていた球体が、こちらを目指してふよんふよんと飛来し。
数歩先で突然、二個同時に破裂した。
中から現れたのは
「あ、どうも。お久しぶりです、クロスツェルさん」
靴裏で着地後。
背筋を伸ばして深々と腰を折り、丁寧な挨拶をくれたフィレスさん。
それに
「よ! こんな間近で会うのは初めてだな。すっげー待ちくたびれたぞ? 元神父のクロスツェル君!」
顔の横で手を泳がせている、金髪緑目の青年…… って、まさか!
(アルスエルナ王国の第二王子殿下⁉︎)
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