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逆さの砂時計

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純粋なお遊び
  合縁奇縁のコンサート 33

vol.40 【渡るこの世はパンデモニウム】

 ロザリア様は言った。
 自分で学んで、自分で考えて、自分で決めろと。
 ご自身が見て、聞いて、体験したすべてを打ち明けた上で、こう仰った。

『ここに居たいと思うんだったらそうしろ。その場合は、さっき見せた通り子供を産む道具にされるだけだが、お前が納得した上で受け入れるんなら、こいつらを解放して私達はこの場を去る。後はお前らの好きにすれば良い。けど、ほんの少しでも迷いがあったり嫌だと感じてるんなら、一緒に来い。外の世界と、自由に選び取れる無数の未来を、お前に見せてやる』

 良いことも、悪いことも、無意味に思えることも、たくさん経験しろ。
 目に入るすべての事象と向き合いながら、お前自身の将来をどうしたいか考えていけば良い、と。

 我はあの時、ロザリア様の手を求めた。
 ロザリア様に見せられた光景が、あまりにも(おぞ)ましくて。
 抵抗する女子(おなご)を組み敷く仲間の顔が、まるで獲物を貪り喰う獣のようで。
 我の肉を食い千切り、(はらわた)を抉らんと迫る獣達の影が恐ろしくて。
 嫌じゃ。そのような目に遭いとうない。そんな仲間の姿は見とうないと。
 全身を舐め回すように這う寒気に抗えず、ロザリア様に救いを求めた。
 しかし……我は本当に、里を抜け出して良かったのじゃろうか?

『ご覧、リーシェ。この記憶は人間の物。聖なる森を侵した人間の記憶だ』

 我が生まれて百を数えた時。まだ里の外を知らなかった頃。
 長に呼ばれた祠の前で、侵入者の記憶を共有した。

 そやつは仲間らしき人間達の言に乗り、森へと踏み込んで息絶えた愚物。
 自我を持って以降夢と名付けた目的を探しては周囲の賛否に一喜一憂し、叶わぬと知れば他者を責めて道に惑い、違う夢を求めては、のらりくらりと川の水に流されるが如く時間を浪費しておった。

『人間は他制されなければ自制を覚えない生き物。ダメと断言されなければ許容の内と解釈し、自己の領域を際限なく肥大化させて他者の領域を奪う。だからこそ、僕達エルフは、彼ら人間に示し続けなければいけないんだよ。ここは人間が荒らして良い領域ではないと。侵せば己が生命を失うのだと』

 己を見失い、エルフに惑い、森に迷い、徒労と衰弱の果てに尽きた愚物。
 その(むくろ)は森に棲む獣の血肉となり、魂は世界樹へと溶けた。
 
 そうした愚物は一人や二人ではなかった。
 むしろ、そうではない人間を、我は知らなんだ。

 森へ出て以後二百年、我が見た侵入者共は皆、口々に他者を罵っていた。
 二言目には「どうしてこうなった」「何故」「何故」「何故」。
 息絶える間際には「ああしたかった」「こうしたかった」。
 古より『帰る者はない』と、結果で不可侵を証明してきたにも拘らず。
 他者に乗せられたにせよ自らで踏み込んでおいて、遺す念は悔恨ばかり。
 これが『愚か』でないなら、『何』と呼ぶのか。

 エルフは天神(てんじん)の次席を任された聖なる一族。
 世界樹の護り手にして、勇者が遺した聖地を終末の刻まで守護せし者。
 己が血と使命に誇りを持ち、後世へと受け継ぐことが、我らの意味。
 それこそが、幼き頃より幾度となく聞かされてきた、我らの存在意義。
 ロザリア様には、役立たずだ引き篭もりだと散々に言われてしもうたが。
 聖域に我らが存在することで保たれていたものも、確かにあった筈じゃ。
 我らの他制で結果的に繋がった人間の生も、決して無かったとは思えぬ。

 もしも、そうであるならば。
 自制が他制により育まれるというならば、人間を愚物とさせているのは、命を賭しても果たすべき使命を持たぬが故の自由、だったのではないか?
 ロザリア様が仰った『自由に選び取れる無数の未来』こそが、芯を持たぬ人間に際限のない好奇心を芽吹かせ、生涯定まらぬ幻影(ゆめ)を追わせ、他者との境界線も引けぬほどに、自身のあるべき姿を見失わせておるのではないか?

 では、我はどうなのじゃ?
 エルフの使命を投げ出した今の我は、あの愚物共と同じではないのか?

 恐怖に流されるまま、無我夢中でロザリア様の手を取り。
 目的もなく森の外へと踏み出した我は今、どうしてこうなったのかと。
 愚物共と同じ二言目を呟いて、茫然と立ち尽くしておる。

 死屍累々と、部屋のあちこちで力尽きた多種族の女性(にょしょう)達。
 女神のロザリア様も、精霊のリースリンデ様も、人間のミートリッテも。
 エルフの我も皆、生気を欠いて立ち、座り、横たわっておる。
 その様は、徒労と衰弱の果てに尽きた愚物共となんら変わりなく。
 見れば見るほど、思わずにはおれぬ。

「我はここで……何をしているのであろうか……?」

「リーシェさんは特に色白だし、濃い色だとコントラストがキツイかしら」
「そうですね。でも、淡色だとボヤけた印象になってしまいそうだわ」
「淡色のベースに柄物を取り入れれば、見映えするかもしれませんわね」
「では、エルフ族の紋様を上着とスカートに刺してみては?」
「素敵! 最初に着ていた服を参考に図案を起こしてみましょう」

 ローテーブルの上に乗せた白い型紙? とやらに文字を書き入れながら、嬉々として語り合う人間のプリシラと聖天女(せいてんにょ)マリア様。
 型紙の横では、綿製のドレスを着せられたリースリンデ様が伏せていて。
 一時間は同じ格好で微動だにせず、寝返りを打つ気配すらもない。
 ()うなっておらねば良いのだがと、ぼんやり考えてしもうた。

「……あの……少々よろしいでしょうか、プリシラ様、マリア様」
「なあに、ミートリッテ」
「図案の段階まで進んだのでしたら、ひとまず測定は終わりですよね?」
「ええ。裁断した布を体に合わせる必要はあるけれど」
「でしたら作業は一時中断して、そろそろお休みされてはいかがでしょう。ほら、ロザリア様もリーシェさんも目が死……物凄く眠そうですし」

 ソファーにぐったりと座り込んでおるミートリッテが、正面のソファーで寝転んでいるロザリア様と、執務机の前に立つ我を虚ろな目線で示した。
 ミートリッテ本人の気力も、限界を突き抜けておったのじゃろう。
 我を気絶させた人間とは思えぬほど、発している声が弱々しい。

「そうねえ。私としては、今夜中に全員分の布地を揃えたかったのだけど」
「クロスツェルさんの測定と散髪で、思ったより時間が掛かりましたから。窓の外をご覧ください。もうすぐ夜明けですよ」
「あら、本当。もうこんな時間だったのね」

 ミートリッテに促されて窓の外を覗けば、東の空がやや白んで見えた。
 森の外へ出て初めて知った景色の一つだが、今の我に感動はない。

「まあ。私ったら、熱中しすぎてしまったのね。ごめんなさい、ロザリア、リースリンデ、リーシェ。ミートリッテさんも、ベッドへ行く?」
「ああー……私は、結界で寝る……。また、後で……。おやすみ、母さん」
「おやすみなさい、ロザリア」

 言うなり、下着姿のロザリア様が起き上がって、消えた。
 測定係で長衣姿のミートリッテは「ベッドを使わせていただきますね」と答えて立ち上がり、リースリンデ様を両手に抱えてふらふらと寝室へ移る。
 クロスツェルはだいぶ前に浴室へ行った後、ロザリア様に飛ばされた。
 我は移動する気力もなく、下着姿のまま執務机に寄りかかって座り込む。

 森での夜警に慣れている故、眠くはないが……疲れた。物凄く疲れた。
 我らエルフとて服は縫う。己に合った服を纏う為に体を測ることもある。
 だが、ここまで細かく入念に己の体を調べ尽くしたのは初めてじゃ。
 何故であろうか。
 プリシラ達に触られている間ずっと、生きている心地がせなんだ。
 泣き喚いておったリースリンデ様の気持ちが、痛いほどによく解る。

「女神や精霊までをも翻弄する人間の世界……おそろしい……」

 森の外へ出てから、まだたったの数日間。
 その数日間で、我は早くも我を見失いかけておる。
 こんな調子で、我に何を選び取れるというのか…………

「リーシェ、大丈夫? 眠くはない?」
「マリア様……。いや、眠気はありませぬ。ありませぬが……」
「なら、立てる? 服を着て、ソファーに座り直したほうが良いわ」
「ん……」

 マリア様に腕を借り、重い体を無理矢理立たせる。

「両腕を上げて。そう、その姿勢で止まって。袖を通して……下ろして」
「…………」
「ああ、やっぱり。茶系色だと全然違和感がないのね」
「…………」
「目が薄い金色ですし、最初に着ていた服が薄茶色でしたもの」
「…………」
「では基本色は薄茶色にして、刺繍で赤系の焦茶色を使いましょう。靴と、装飾品があれば赤系で統一してみたいかも」
「…………あの……」
「せっかくの良質な長髪ですもの。カチューシャやリボンはどうかしら?」
「良いですね! 宝石細工の髪留めと併用しても、きっと可愛いわ!」
「……マリア様?」
「十歳くらいの外見だと、宝石は高価すぎて変に思われるかもしれません。細工物にしても、屑石を使った物のほうがよろしいかと」
「屑石というと、これみたいな?」

 ご自身のこめかみを飾る髪留めを指して問うマリア様。
 プリシラは「ええ」と頷く。

「王都に雪の結晶を模した髪留めはありませんが、屑石を使った細工自体は売られています。そうした品を探してみましょうか?」
「そうね。どうせならリーシェと一緒に見て回りたいわ。ね、リーシェ」
「それは良いのじゃが……もしかして、まだ続けるのじゃろうか、これ」
「え? ああ、色味を見ているだけだから。リーシェは座ってて良いのよ」
「少お~し両腕を上げ下げしていただくくらいですわ。お気になさらず」
「続けるのじゃな」
「「だって、合わせがいがあって楽しいんですもの」」

 マリア様に腕を引かれ、ロザリア様が寝ていたソファーに座る。
 その状態で、着せられたばかりの枯れ草色の上衣を脱がされ。
 また別の、今度は薄い桃色が混じった薄茶色の上衣を着せられる。

 ロザリア様は言った。
 自分で学んで、自分で考えて、自分で決めろと。
 ご自身が見て、聞いて、体験したすべてを打ち明けた上で、こう仰った。

『ここに居たいと思うんだったらそうしろ。その場合は、さっき見せた通り子供を産む道具にされるだけだが、お前が納得した上で受け入れるんなら、こいつらを解放して私達はこの場を去る。後はお前らの好きにすれば良い。けど、ほんの少しでも迷いがあったり嫌だと感じてるんなら、一緒に来い。外の世界と、自由に選び取れる無数の未来を、お前に見せてやる』

 良いことも、悪いことも、無意味に思えることも、たくさん経験しろ。
 目に入るすべての事象と向き合いながら、お前自身の将来をどうしたいか考えていけば良い、と。

 ロザリア様が仰った通り、我は今、未知を体験している。
 これが良いことなのか、悪いことなのか、無意味なことなのか。
 それは解らぬ。まだ分からぬのか、永遠に分かり得ぬのかも解らぬ。
 これから先がどうなるかも、どうしたいかも、判然とせぬ。

 里を抜け。
 森を出て。
 世界を知り。
 我は聖なる一族の使命を選ぶのだろうか?
 それとも、侵入者共と同様、愚物と成り果てるのだろうか?

「こっちの桃色系も可愛いですね」
「青色系も試したいところですわ」

 ……今の我には、選び取れるものなど無いような気がしてならぬ……。


 
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