逆さの砂時計
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アンサンブルを始めよう 3
アルスエルナ王国、現王室の第二王子
ソレスタ=エルーラン=ド=アルスヴァリエ
私と彼の人が直接対面した記憶は無いし。
今の彼の服装も、王族が着用するような高品質な物とは、ほど遠いが。
親しみやすさの奥に威圧感が見え隠れする顔は、何度か遠目に見ていた。
ここは人間を忌避するエルフの里。
マリアさんとの繋がりや女神の力を持つフィレスさんだけならともかく、超常の力を持っていない筈の人間、しかも、現在ロザリアが最も警戒すべき『権力者』が、何故、里の内部に居るのか。
「まあまあ。アンタ達を取っ捕まえに来たとか、そういうのじゃないから。とりあえず落ち着けって。な?」
瞬きの間で接近してきた殿下の両手に肩を掴まれ。
驚きと焦りで退きかけた足が、その場に縫い留められる。
落ち着けと言われても、これは、非常にまずい状況なのでは。
(ロザリア? 彼は、いったい)
「人外生物の知り合いがいる人間代表として、事の次第を問い質しに来た、だとさ。メンドクサイから結界の中で私達の記憶を全部見せといたんだが、あと一つ、どうしてもやりたいコトがあるらしい」
(やりたいこと?)
「そ。現状、俺の最重要目的がソレなもんでね」
左腕で私の肩を抱いたまま振り返った殿下が、ロザリアを捉え。
つり上がり気味な若葉色の目を、愉快そうに歪める。
私もフィレスさんに、何事ですか? と、視線で尋ねてみるが。
彼女もよく解っていないのか、首を傾げられてしまった。
「レゾネクトに会えるか?」
(レゾネクト?)
「今、ここで?」
「問題がなければ、ここで」
「別に、呼んでも悪さはしないだろうけど」
腕を組んだロザリアが、不思議そうに殿下を見返し……開き直った。
今のレゾネクトなら、人間と対峙させても問題ないと判断したのだろう。
「聞いてたか、レゾネクト」
長様の近くへ目配せしたロザリアの声に遅れること、数秒。
「なんのよ、う?」
私の肩を離した殿下が、現れたかどうかの際のレゾネクトに手を伸ばし。
その短い金髪に指を絡めながら、後頭部を鷲掴んで引き寄せ
噛みつくように口付けた。
「「「(⁉︎⁉︎⁉︎)」」」
二十代後半くらいの見目若いレゾネクトの唇を塞ぐ、殿下の唇。
たっぷり十秒は重なり続け。
やがて、小さな音を立てて離れた。
「…………ふ。どーよ、見も知らぬ相手にいきなり口付けされる気分は! さぞ気持ち悪かろう! ざまあみろってんだ! フィレスや性的被害者達が抱いた嫌悪感を思い知れ!」
「……あ。ああ。あれ、ですか」
一同の理解が追いつかず、なんとも言いがたい沈黙が垂れ込む中。
もう用は無い。とばかりにレゾネクトを放置した殿下が、自身の服の袖で唇を乱暴に拭いながら、フィレスさんの隣に並び立った。
殿下の宣告で真っ先に正気を取り戻したフィレスさんが、それでもまだ、戸惑いを隠し切れていない表情で、ぎこちなく頷く。
「あのですね、師範。驚きはあっても嫌悪感とか恐怖は感じなかったから、私はひっくり返せなかったんじゃないかと思うんですが」
「だろうな。お前が根っからの騎士で、こういう方面に疎いのは知ってる。どうせその時は、まさか自分に口付ける異性が存在するとは思わなかった。だから驚いた。程度だったんだろ?」
「はい」
「認めちゃうんだ」
ロザリアが引き攣った顔で一歩下がった。
似たような状況? で、嫌悪以外を感じなかったであろうロザリアには、フィレスさんの反応が信じられないのかも知れない。
「大多数の人間は、出会い頭に口付けなんかされたら、著しく気分を害するモンなんだよ。相手が異性なら尚更な。お前もそのうち解る。つか、解れ。んで、(俺以外には)二度と誰にもさせるな! 俺が不愉快だ!」
「はあ。元より、そのつもりですが……(何故、師範が不愉快に?)」
「ならば良し!」
お二人共、心の声が駄々洩れです。
なんて分かりやすい構図。
殿下の最重要目的とはつまり、想い人がされたことへの仕返しだったと。
アリア信仰や国政に関わる仕事で来たわけではないのだろうか。
「…………男のままで良いのか?」
「へ?」
棒立ちで殿下を見ていたレゾネクトが、小首を傾げた。
「お前の言い分は、見知らぬ異性に突然口付けられた人間の気持ちを考えろというものだろう? だったら、『男』のお前が思い知らせるべき俺は、『女』であるべきじゃないのか?」
「「「「……は?」」」」
(…………あ。しまった!)
いけない! と、焦って足を動かすが。
時、既に遅し。
目が点になった一同の前で、持ち上げられたレゾネクトの右腕が、正面の空間を裂くようにストンッと下ろされる。
その動作で目を奪われた隙に
「これなら条件に合うか?」
レゾネクトの体が。
黒い上下服の輪郭を変えてしまうほど、はっきりと。
成熟した女性の形に変わった。
(実のところ『彼女』の意思を受けて男性になっていただけで、『彼女』と『彼女』を映した『鏡』に、確固たる性別は無いんですよね……)
男性姿のレゾネクトに危害を加えられていたマリアさんや、レゾネクトの娘に当たるロザリアが、こんな事実を知ってしまったら、どうなるのか。
私には想像も及ばなかったので、いつか、可能な限り穏当に、さりげなく教えるつもりだったのだけど。
こうまで堂々と衆目に曝されてしまっては、誤魔化すのも難しい。
諦めよう。
「…………マヂか」
「えぇー……」
「……ま、魔王が……女、じゃと……」
背後に聴こえる、殿下達の呆気にとられた声。
元の造形美を絶妙に残しながらも髪を腰に流し、妖艶な雰囲気を醸し出す三十代前半の美女と化したレゾネクトが、私を見て不思議そうに瞬く。
「性別を変えただけだが、何かおかしいのか?」
(ええ、っと……まあ……現代の人間には、結構な非常識だと思いますよ。他ではどうか知りませんが)
「植物や虫や微生物の世界では普通だが」
植物や虫や微生物と貴方を同次元に並べるのは、ちょっと。
骨格が変わったせいか声まで艶を含んだ女声だし、なんて考えていたら。
少し離れた場所で、重い荷物を地面に落としたような音が聞こえた。
まさかと振り向いた先で、ロザリアが仰向けに倒れている。
(ろ、ろざりあーっ!)
慌てて駆け寄り、肩を抱き起こしてみるも。
ロザリアの意識は完全に飛んでいた。
「幻覚の類いじゃないんだな。ご愁傷様、としか言えん」
「無性別なのか両性具有なのか。子孫を残してるから、両性具有なのかな」
「口伝では魔王は男だと。では、あれは偽物か⁉︎ しかし、あの気配はっ」
「それで? 俺はどうすれば良いんだ?」
本来居てはいけない場所に居る人間の権力者。
女神の力を封印している人間の女性。
落ち着きなくあたふたしているエルフの少女。
真実の衝撃に耐え切れなくなって気絶した女神。
天然な一面を見せつけてくれる元魔王。
巨大な木の根を降りるのも一苦労な無力すぎる私。
なんかもう、滅茶苦茶だ。
こんな調子では、今ロザリアを強引に起こしても、女性姿のレゾネクトを視界に入れた瞬間に気絶、を延々とくり返しそうな気がするし。
どうすれば良いのかと尋かれても……
どうすれば良いんでしょうね?
(とりあえず、私の声を戻していただけますか? 今後について、殿下方と話し合わなければいけませんし。一応、貴方も同席してください)
「分かった。ところで、口付けがどうとかは、もう良いのか?」
まだ引きますか、その話。
「両性類に対応する異性は無いだろ。消化不良は否めないが、教育的指導にならないんじゃ無意味だ。誰彼構わず喰らいつくもんじゃないってコトだけ覚えておけば良いさ。ああでも、ロザリアとアリアが起きてる間くらいは、男の姿になっとけ。さすがに気の毒だ」
「前半はともかく後半は気にすることでもないと思うが。そうしておこう」
「いや、娘の気持ちは気に掛けてやれ。いくらなんでも不憫が過ぎるぞ」
その娘の眼前で、父親に口付けた男性について。
私が突っ込んで良いものなのかどうか。悩ましい。
ロザリアがいつ目を覚ますか判らないからか。
殿下の指摘を受けたレゾネクトが、大人しく男性の姿に戻った。
見慣れた姿に、私も安堵の息を吐く。
彼が『彼』の姿であれば、ロザリアが気絶し直す心配もない。多分。
「結界は、どうなっていますか?」
解放された声でレゾネクトに状況を確認すると。
彼は辺りを見回して、何かを探り出した。
「……ああ、状況は大体分かった。俺がロザリアの代わりに閉じておこう。東西の出入口を繋ぎ、里の外周を多重空間で円状に囲めば良いのだろう?」
「世界への影響は?」
「無い」
「では、そちらはお願いします。終わり次第、全員で場所を移りましょう。リーシェとロザリアをこのままにしておくのは忍びないので」
「あ……」
帽子を拾い、ロザリアを抱えて立ち上がった私を見て。
リーシェが気まずそうに後退る。
種族が違っても男性は怖いのか、顔色が下降気味だ。
それに気付いたらしいフィレスさんがリーシェに歩み寄り。
自身の上着から取り出した手拭いで、リーシェの顔を優しく拭う。
「んじゃ、行き先はアルスエルナの中央教会、次期大司教サマの執務室で」
「え」
想像もしていなかった殿下の提案に、体が硬直する。
せっかく遠のいたのに。
「何故、中央教会へ? 私達人間だけでなら、まだ解りますが。リーシェやロザリア達は」
「現代の現在、世界は宗教方面で大混乱になってるんだ。アンタ達に迂闊な言動で存在を匂わされたら、俺達、国家の統治者側も、大いに困るんだよ。予想外の急展開を防止する意味でも、アンタ達の行動はコッチでもある程度把握しておきたい。その為には、情報を制御できる高位かつ無欲な人間との連携が必要不可欠だ。俺が知る限り、あいつ以上の適任者は居ない……と。ああ、そうか。アンタも『生贄』……」
私を見る殿下の目に、生温い温度が混じった。
居た堪れなくなって視線を逸らすが……はた、と気付いて静止する。
彼女関連で『生贄』という言葉の意味を正しく理解できる人間は、彼女の洗礼を受けた者だけだ。
それはつまり。
「殿下も、ですか」
そろりと持ち上げた視界。
殿下の目に『諦め』が宿る瞬間を、私は見逃さなかった。
「ははははは。寄らば大樹の陰だ。観念しろー」
「ふ、ふふふ。ニゲナイデクダサイネ、デンカ」
彼女、本当にアルスエルナ王国の支配者にでもなるつもりか?
まさか、国家的権力者にまで手を伸ばしていたとか。
もう、彼女を止められる立場の人間は、国王陛下しか思い当たらない。
けれど、陛下であってもアリア信仰は不可侵領域の筈。
悪夢だ。
「結界の張り直しは終わったが。移動先は中央教会で良いのか?」
「おー。よろしく~」
レゾネクトの言葉を合図に。
フィレスさんが、手拭いを預けたリーシェと手を繋ぎ。
殿下が、獲物を追い詰めた獣みたいな緊張感を伴って、私の隣に並ぶ。
逃げ場は、無い。
虚ろな目に映る景色が、緑豊かな大自然から白い建物の壁に変わる寸前。
「神に悪魔、人間にエルフ、ドラゴンに精霊。この世界は複雑怪奇で本当に面白いな。これからも楽しめそうだ」
殿下が、好奇心と期待で瞳を輝かせる少年の如く無邪気な声で呟いた。
「……はい」
私も、肩の力が抜けていくのを感じつつ、薄く笑って首肯する。
世界は百人百通りな色を織り交ぜ、千差万別の音を複雑に絡ませながら、昨日とは違う今日、今日とは違う明日へと形を変えていく。
それは『彼女』の願いであり、私の祈りだ。
生きている限り、嫌なことも、辛いことも、苦い経験も。
これから先、まだまだ、たくさん控えているだろう。
それでも。
いつか別れの日が来ても、終末の刻が訪れるまでは。
愛しい少女の心が、悲しみで折れてしまわないように。
あなたの生きる時間が、喜びと幸せで満ち溢れたものであるように。
「精一杯、今を楽しみましょう」
…………そういえば。
私は結局、何人分の昼食を作れば良いのでしょうか?
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