逆さの砂時計
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純粋なお遊び
合縁奇縁のコンサート 31
vol.38 【深夜の旅立ち(あるいは真夜中の霹靂)】
夕食の後片付けを終えたアーレスト達は、最後に教会全体を清掃した。
この教会は元々ソレスタの赴任先で、アーレストは彼の補助役。
そこに、二ヶ月ほど前からソレスタの護衛としてフィレスが加わり。
今はコルダと彼の護衛も立ち寄って、これから全員で中央教会へ向かう。
これが、人間世界の視点だから。
居るべき人間が居なかった事実と、居る筈がない人外生物の痕跡。
視点に沿わないそれらを一つ残さず確実に消し去る為の、最終確認だ。
特に、リースリンデがアーレストから貰った羽根ペンや紙。
ティーが寝床にしていたベッド上のタオルなどは真っ先に回収。
マリアが解読していた本も、一冊一冊丁寧にページを開き、白金色の髪が挟まっていないか、注意深く目を通した。
そして、今。
屋内に居る全員が寝室に集まり、子供姿のレゾネクトを円く取り囲んだ。
レゾネクトの左手側にマリアとリースリンデ、右手側にアーレスト。
背後にティーがふよふよと浮かび、正面にコルダが立っている。
コルダは、三歳前後の子供にしか見えない元魔王と目を合わせて頷いた。
「じゃあ、お願いするよ。また後日、中央教会で会おうね。レゾネクト君」
「わかった」
レゾネクトも老齢の大司教の顔を見上げて頷き返し、忽然と姿を消す。
『瞬間移動』、『空間移動』、あるいは『空間跳躍』。
遠く離れた距離を瞬きの間で飛び越えるが故に、たった今までそこに居た相手がいきなり消えたようにしか見えないという、人間世界ではありえない現象を目の当たりにした筈なのに。
コルダとアーレストは平然と、日常風景の如くそれを受け入れていた。
先日、深夜に顔を合わせたプリシラにしてもそうだが。
神々が干渉し、悪魔が闊歩していた時代の人間よりも、彼らと関わりない現代人のほうが、よほど肝が据わっている気がしてならない。
それを無知の増長や警戒心薄弱で片付けるには、三人共が強すぎて。
宙に浮くだけで驚いていた当時の人間を思い、マリアは複雑な顔になる。
アリアや人外生物の存在を秘匿する協力者とはいえ、これで良いのかと。
心配になる一方で心強く感じてもいるマリア自身に、苦笑いが溢れる。
「そういえば。エルーラン殿下はまだ神父として動いているのかな?」
「ええ。ですから、大司教様もそのように接してくださいね」
ふと首を傾げるコルダに、アーレストが頷く。
コルダは「ん。了解」と軽い調子で答えた。
「殿下は一年を通して国内を飛び回ってて大変だねえ。実のところ私自身も詳しい事情は知らされないまま、陛下からの要請と殿下の試験結果を受けて神父としての役職と教会を任せたんだけど。今度は何の調査だったの?」
「国内の東北方面で、失踪届が身分に関係なく相次いで提出されたんです。信仰関係者も多数出ていることは、中央教会でも把握しているでしょう?」
「ああ、やっぱりあの件か。なら、神父は王都帰還と同時に辞めそうだね」
世界樹を通じてクロスツェルの記憶を共有したマリア。
彼女の記憶を視て、アーレストからも口頭で説明を受けていたコルダは、『東北方面で相次いだ失踪届』という言葉一つで、大体の事情を理解した。
ベゼドラやレゾネクトを筆頭とした悪魔達による、存在の消失。
人間同士の問題なら第二王子の権限や方策でできることもあるだろうが、悪魔が相手では、いかに人間離れした行動力を持つソレスタでも無力だ。
どれだけ時間をかけて探しても見つかる筈がない被害者達と解決できない失踪事件は、おそらく適当な事件と一緒くたにして強引に片付けられるか、迷宮入りの未解決事件として歴史の闇に葬られる。
調査目的で神父になったのなら、真相を知った今は続ける理由がない。
アーレストから二人の素性を聴いていたマリアも、そうですねと頷いた。
しかしアーレストは、「それはどうでしょうか」と首を横に振る。
「真相に辿り着いた今現在、ソレスタはプリシラの元に居るんですよ?」
一瞬にして静まり返る一同。
各々の頭をよぎったのは、何故か頬に手を当てて高笑いしている女傑だ。
「……ほとんど無制限に動き回る権力者、か。有効に活用するだろうねえ」
「するでしょうね。しないわけがありません。しないほうが驚きです」
「えっと、でも、国王陛下の命令で王城への帰還、などは……」
「難しいね」
「ありえません。陛下が論戦で彼女を制したことは一度たりともないので」
「い、一度たりとも?」
「「自我を持って顔を合わせた二歳の頃以降、一度たりとも。」」
それはそれで、国王も国王としてどうなのか。
規格外にもほどがあるプリシラの過去にマリアが冷や汗を流していると。
「失礼。お待たせしました、コルダ大司教様」
レゾネクトが立っていたその場所に、ソレスタとフィレスが現れた。
ソレスタは自身の正面にコルダの姿を認めた瞬間、深々と腰を折り。
彼の左斜め後ろに控えたフィレスも、コルダに向けて騎士の礼を執る。
二人の服装は、教会を離れた約一ヶ月前と同じものに変わっていた。
「久しぶりだね、ソレスタ神父……で、良いのかな?」
聖職者としての帰還には相応しくない装いに、コルダが確認を取ると。
ソレスタは腰を折ったまま、「もちろんです」と答えた。
「聖職に就いた身で、女神に仕える者の衣を纏わぬ無礼をお赦しください。道中、特に王都周辺では予期せぬ事態に見舞われる可能性がありますので。移動中は大司教様の護衛も兼ねているとお考えいただければ幸いです」
「予期せぬ事態?」
「足枷となる衝動が一つ減った悪漢は、粗暴さが倍増します」
「……んー……これは、移動しながら聴いたほうが良さそうな話?」
「お察しいただき、恐縮です。貴女方にも関わりがある話なので、詳しくは中央教会にてプリシラ次期大司教様からお聞きください、マリア様」
「? 分かりました」
背筋を伸ばしたソレスタとフィレスの視線を受け、マリアが頷く。
ソレスタはマリアに軽く頭を下げて、アーレストに向き直った。
「よ! 留守番、ご苦労さん。多少は落ち着いて話せるようになったか?」
「おかげさまでね。そっちこそ、フィレスさんにご迷惑を」
「かけてたら、今ここに居る俺は無傷でいられたと思うか?」
「……愚問ね」
「だろ?」
プリシラの元に居た。
その事実には、絶大にして絶対的な信用がある。
おしおきの痕跡が無いとはつまり、お行儀良く過ごせたということだ。
アーレストは呆れ気味に肩を持ち上げ、フィレスに頭を下げた。
「お疲れ様でした、フィレスさん」
「あ、はい。アーレストさんも、お疲れ様です」
「中央教会への道中、ソレスタをよろしくお願いしますね」
「お任せください。護衛として全力を尽くします」
「はい。護衛以外の側面では、こちらが責任を持って彼を阻止します」
「あれ? お前、そういうこと言う?」
「護衛以外の側面? 阻止? ……師範を?」
「フィレスは気にしなくていいからな? アーレストお前、酷くね?」
「自身を省みてからおっしゃい。あの日から、貴方への信用度は地の底よ」
「いくらなんでも上司の前で手を出すわけないだろうがっ!」
「道中には人目につかない時間もあるじゃない。路地裏とか宿とか」
「げっ⁉︎ なに、お前! 朝から晩まで俺を見張ってるつもりか⁉︎」
「お望みとあらば、いくらでも。なんなら添い寝もしてあげましょうか?」
「気持ちわる! 感情の整理しろとは言ったが、性格悪くなりすぎだろ!」
「精神的に強くなったと言って欲しいものね。では、参りましょうか」
「可愛げが失くなったの間違いだろ、こんにゃろうめ。……マリア様は」
頭を掻きながら振り返るソレスタに、マリアはくすくす笑って頭を振る。
「私とリースリンデとティーはここから見送らせていただきます。皆さん、道中はお気を付けて。また後日、お会いしましょう」
「うん。じゃあ、また後日。クロスツェル達によろしくね、マリアさん」
「ティーさん、お茶の飲みすぎにはお気を付けて」
「にゃっ!」
「って、おわ⁉︎ なんだ、真後ろに居たのか、ゴールデンドラゴン」
「お久しぶりです、ティーさん」
「にゅむ」
「相変わらず猫みたいな鳴き声してんな……アンタも、中央教会に行くなら覚悟しといたほうが良いぞ」
「にゅ?」
「中身はともかく、その外見と声は女悪魔の玩具に最適だ。何をされるか」
「ソレスタ、それはわざとなの? 彼女に報告されたいならそうするけど」
「断じてわざとじゃないです悪気もないですやめてくださいアーレスト様」
「うーん。君達は毎回、見ていて飽きないねえ」
「自分的には死活問題です、コルダ大司教様」
「大司教様は、彼女の恐ろしさを味わったことがないから……」
「私はまあ、彼女に許婚者候補として選ばれる程度には、慕われているし」
「「は?」」
「え」
「にゃ?」
唐突な暴露に、コルダとリースリンデ以外の目が点になった。
精霊には結婚の概念が無い為、皆が何に驚いたのか解らず首を傾げる。
「縁故で役職を譲渡したと思われる環境は良くないから、断ったけどね」
家族や親しい友人を中心に据えると、偏った印象を与えやすいから。
人事って、能力以外にも周囲への配慮や縛りが多くて面倒だよねえ。
などと、他人事のように微笑んで寝室を出ていくコルダ。
自分達の倍は重ねてきた筈の歳月を感じさせない若々しい背中を見送り。
アーレストとソレスタは互いの顔を見合わせ、閉まった扉に目をやる。
「…………プリシラって、もしかして『オジせ」
「それ以上は口にしないほうが身の為だと思う」
おしおきなんて可愛いものじゃ済まないわよ、きっと。
そんな言葉を胸の奥に呑み込んだアーレストが、ソレスタの背を叩く。
世の中には知らない、触れないでおいたほうが良いこともある。
「……だな」
「ええ」
男二人は悟りを開いた顔で頷き合い、横並びで寝室を出ていく。
残された女神と女騎士と精霊とゴールデンドラゴンも、顔を見合わせた。
「現代の許婚者や婚約者って、個人の感情で決めて良いものなんですか?」
「身分がそれほど高くなければ可能です。あの方の場合は立場が特殊なのでなんとも言えませんが、感情より打算や計算で選ぶ印象は強いですね」
「では、コルダさんのことも?」
「真意は不明ですが、少なくとも感情だけでどうこうする方ではないかと」
「では、私もこれで失礼します」と、礼を執って退室するフィレス。
ゆっくり閉ざされていく扉を見つめながら、マリアは愕然と呟いた。
「村人のコーネリア達でさえ親に決められていたのに……現代人って……」
かつて、自身の存在も未来もすべてを神々に委ねていた巫マリア。
それは自身に与えられた役目であり、自分の意思で決めたことだった。
神々に仕える者としての誇りは、意識の欠片でしかない今も胸にある。
そんな自分を、巫時代のマリア自身を否定するつもりはない。
そんなつもりは全然ないが、しかし。
心のどこかで芽生えた『うらやましい』という気持ちも、拭えない。
叛意だ罪だ不敬だと罰を受ける覚悟までしていた自分はなんだったのかと拳を握り締めて歯を食い縛り、両目に涙を浮かべながら天を仰ぐ。
ガラス張りの天井から見える空には、灰色のぶ厚い雪雲が広がっていた。
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