トップシークレット☆桐島編 ~お嬢さま会長に恋した新米秘書~
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思い込みと誤算、そして ④
――真冬の夕暮れは早く、タワーに着いた五時ごろにはもう日が沈み始めていて、あたりはオレンジ色と薄紫色に染められていた。
休日だったためかその日の天望デッキは人でごった返しており、西側の窓辺はキレイな夕焼けの写真をSNSにアップすべくスマホをかざす女の子のグループやカップルたちで賑わっていた。
「――ホントは、こんな人が大勢いるところで言うようなことじゃないと思うんだけど……。昨日はライン、返事返さなくてごめんなさい!」
絢乃さんはその景色を楽しむことなく、大勢の人たちの目がある中で開口一番で僕にガバッと頭を下げられた。
彼女はすでにかなりの有名人だったはずで、悪目立ちしてしまったらどうしようかとうろたえた僕は「頭を上げて下さい」と言おうとしたが、その前に彼女の方から顔を上げて下さったので少しホッとした。
「でもね、それにはちゃんと理由があるの。……最初のメッセージで返信しようとしたら、その後あんなこと書かれるんだもん。わたし、どう返していいか分かんなくなっちゃって。ただ、それは怒ってたわけじゃなくて、気が動転してたっていうか、パニクってたっていうか……。とにかく頭の中が真っ白になっちゃってて」
僕の顔色をチラチラと窺いながら、誠実に理由を話してくださる彼女は本当に純真で可愛らしかった。
初めて男性(僕のことである)からキスをされて、気が動転していたのは本当だろうし、そこがピュアな絢乃さんらしい。僕がチョコの感想だけを送っていればよかったのに、あんな余計なことまで送信したせいであの時の記憶が甦ってしまって余計に動揺してしまったのだろう。何だか申し訳ない。
僕もそのアンサーとして、自分の想いをお伝えした。もしかしたら絢乃さんから嫌われてしまったんじゃないかと心配していたのだと。だから電話を下さった時は驚いたけれど嬉しかった、と。
そこで彼女は、人を好きになったのが初めてだから、あなたの気持ちはちゃんと言葉にしてくれないと分からないとおっしゃった。キスなんて遠回しな行動では、彼女に僕の気持ちは伝わらなかったのだ。
それでもわざとすっとぼけると、「初めて会った日から貴方のことが好き。好き好き好きっ!」と半ばシャウトのような告白を受けた。顔を真っ赤にしてゼイゼイ息を切らしている彼女も可愛くて、この人を好きになって本当によかったと思った僕は、自分からも改めて愛の告白をした。
「それまでの恋愛がすべて布石だったと思えるくらいに、絢乃さんのことが好きです」と。
「――僕と、お付き合いして頂けますか? 僕をあなたの彼氏にして下さい。お願いします」
このセリフを僕から言ったのは、これが初めてではなかった。それまでの恋愛でも、告白したのは決まって僕からだったはずなのに、絢乃さんに対して言うのはそれと違う感覚だった。
一生この女性について行きたい、彼女のことを守っていきたいという気持ち。――そういう気持ちが芽生えたのはきっと、彼女が僕の運命の人だったからだと今は思う。
「はい……、喜んで。こちらこそ、これからもよろしくお願いします」
彼女は可愛くはにかみながら、それでもしっかりと頷いて下さった。生れて初めての彼氏が、こんな頼りない男でいいのだろうかと自虐的な気持ちが湧きつつも、大好きな女性と両想いになれて本当に嬉しかった。
思えば日比野の時、こんな気持ちにはならなかった。遊ばれていることを承知の上で付き合っていたのだから、あの頃の僕はそこまで本気じゃなかったのだろう。なのに裏切られたと傷付き、女性不信になった僕はバカだ。もう、あの黒歴史はこれで忘れようと思った。それでも一度植え付けられてしまった女性不信というトラウマは、なかなか消えてはくれなかったが……。
でも、絢乃さんは絶対に僕を裏切らないという確信があったので、僕の胸に飛び込んできた彼女をしっかりと抱きしめた。この人を絶対に離さないという決意を込めて。
僕たちの関係は、社内では秘密にしようということになった。会長と秘書が恋愛関係だというのは世間的にスキャンダラスだし、社員たちに示しがつかないと絢乃さんが気にされていたのだ。
「そうですよね……。僕は別に気にしなくていいと思いますけど、秘密の恋愛の方がスリルがあっていいと思います」
二人の年齢差のこともあるし、秘密のオフィスラブを楽しんでみるのも悪くないかなと僕は思ったのだった。
* * * *
――その日の帰りにも、僕は絢乃さんをお家の前までお送りしたのだが、そこで嬉しい誤算が待っていた。
「……ねえ、桐島さん。よかったら、ウチで一緒に夕飯食べて行かない? ママにも今日のこと、報告したいから」
なんと、思いがけない夕食のお誘い! 彼女と両想いになる前ならおこがましいと辞退していただろうが、晴れて彼氏となった僕にお断りする理由はなかった。彼氏が彼女の家にお邪魔するのは、カップルではごく普通のことなのだから。
「ええ、ではお言葉に甘えてお邪魔します」
というわけで、僕は篠沢家の夕食のテーブルに加えて頂くことになった。
篠沢家のその日の夕食は、パングラタンに鮭のムニエル、サラダというわりと庶民的なメニューだった。パングラタンは前日の夕食メニューだったクリームシチューの残りをアレンジしたものらしい。
「偶然ですね。ウチも昨日はクリームシチューだったんですよ」
寒い時にはみんな考えることが同じなんだなぁと、僕は妙なところで感心してしまった。
「――あのね、ママ。わたしと桐島さん、今日からお付き合いすることになったの」
絢乃さんがそう報告すると、加奈子さんは早い段階からこうなると思っていたのだとあまり驚かれていないようだったが、母親としてお嬢さんと僕との交際を許して下さった。
そして、二人の関係を社内では秘密にしておきたいという絢乃さんの希望を僕からお伝えした時には、「まぁいいんじゃない?」とクールに述べられ、優雅に白ワインなど飲んでおられた。
「――絢乃さん、今夜はごちそうさまでした。では、僕はこれで」
すっかり暗くなった夜七時過ぎ、食事を終えて帰ろうとする僕を、絢乃さんは玄関の外まで見送りに来て下さった。が、そこでもう一つの嬉しい誤算が僕を待っていた。
「うん。……ねぇ、桐島さん。ファーストキスの上書きなんて、してもらえたりする?」
「は、はい!?」
何なんだ、この可愛すぎる提案は? 上目づかいに訴えられた僕は妙にドギマギしてしまった。
「えっと……、昨日のあれが初めてのキスって言うのはわたしも何か後味悪いし、貴方に後悔させたまんまなのも何だか申し訳ないから」
「ああ……、そういうことですか。――いいですよ」
彼女はあくまで、僕のために提案して下さったらしい。本当に優しい人だ。――そんな彼女の願いを聞き入れ、今度はちゃんと向き合い、彼女が目を閉じてから優しく唇を重ねた。
「……ありがと、桐島さん。わたし、これからは今日のキスがファーストキスだったことにしようかな。昨日のは事故みたいなものだったし」
「…………そうですね。あれはなかったことにして頂いて」
僕もその方がいいと思った。あんな暴挙はさっさと忘れてもらいたかったというのは僕も同じだ。
「それじゃ桐島さん、おやすみなさい。――これからは恋人同士ってことでよろしく。また来週ね!」
「はい、こちらこそよろしくお願いします! おやすみなさい!」
僕たちはそれまでと違う気持ちで、別れの挨拶を交わしたのだった。
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