逆さの砂時計
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Side Story
少女怪盗と仮面の神父 51
「神父様の思うツボに嵌るのはすっごい癪なんだけどね。両手、見せて」
「手?」
「うん。手のひらね」
意図が理解できずに戸惑うハウィスの両手首を持って、引き寄せ。
左右の手のひらを見比べてみる。
「ああ……こうやってちゃんと見てみれば、水仕事だけにしては荒れ方とか硬さが不自然だって、はっきり判るのになあ……。このたこなんて、何度も直に触ってた筈でしょ? なんで気付かなかったんだろ。いや、剣士の手を知ってるワケじゃないし、剣たこ? っていうの? 普通の人は、そうそう見かけたりしないよね。貴族の護衛兵達は、大体手袋してたし。うん。私が特別間抜けだった、というオチではない。多分」
「ミートリッテ?」
「ねえ、ハウィス」
「な、なに?」
「『ヴェラーナ』って言葉とその意味。ハウィスなら多分知ってるよね? 『ウィリアー』も。あれって、どこの言葉なの?」
突然切り出したマーシャル絡みの単語に動揺したのか。
一瞬見開いた群青色の目が、ぐっと寄った眉根に引きずられて細くなる。
「ヴェラーナは姉、ウィリアーは妹。西の大陸、桃の原産地で母国語として使われている言葉よ」
「やっぱり、桃絡みなんだ。じゃ『ヴェッラティーナ』は姪で合ってる? 『バーナベアレ・フィドゥ・ミア・ラ・ヴェッラティーナ』は?」
「ちょ、ちょっと待って! 私だって、他国の言語には詳しくないのよ⁉︎ えーと……ヴェッラティーナはそれで合ってるけど、バーナベアレ? は、ああ……多分、『vaunaviell-earlei』……再会ね。フィドゥは、接続詞? みたいなもので、ミアは、私の。ラは、女性を示す言葉の最初に付けるものだから……って……ミートリッテ? これ、いつどこで、聴いたの?」
「ハウィスが仕事を休んで家の片付けをしてる時、中央広場で」
「──────っ‼︎ ……あ、っっんの子はぁああ……っ!」
天井を見上げ、首をひねり。
低く唸りながら導き出した答えに、ハウィスの声が一音下がった。
ついでに室温まで急降下したようだ。
相当怒らせてしまったらしい。
当然か。
マーシャルは、あの子に関わらないでというハウィスの言いつけを破ってミートリッテと接触しただけでなく、事と次第によってはエルーラン王子の計画を破綻させる重大な一言を放っていたのだから。
『また会いましょうね、私の可愛い姪っ子さん!』
エルーラン王子とハウィスが交わした賭け……
『シャムロックが義賊の罪に気付かず指輪を盗み出し、元ブルーローズの手元に届けてしまうかどうか』は、商人殺しに紛れ込んでた義賊の被害者をアルスエルナ国内に引き留める為の罠だった。
つまり、ミートリッテに割り振られていた本来の役目とは。
ネアウィック村に侵入した暗殺組織が、シャムロック又はブルーローズを嗅ぎ分けるまで、他の村民とは違う動きをとり続けること。
実際は、一日目にしていきなり目を付けられていたし。
結果的にはアルフィンのほうが重要だったので、問題はないのだが。
仮に、そうと判明する前にミートリッテが罪悪感で引き籠っていたら?
囮もへったくれもない。
ブルーローズは騎士として普通に仕事をこなし。
獲物探しで躍起になったイオーネ達は、アルフィンの存在を認識するまで堂々と村を荒らし続けるか、罠に気付いて早々と離脱するかのどちらかだ。
どちらにせよ、その時点で義賊の被害者を捕縛する係のエルーラン王子がネアウィック村の近辺に居なければ、計画はすべて徒労に終わっていた。
そんな状況下で、マーシャルが回りくどい自己紹介を残していったのは、十中八九、ミートリッテを貴族にさせたくなかったハウィスの為だろう。
「ハウィスの立場を考えると答えそのものは言えなかった。でも私が船上でマーシャルさんの演技を聞いていたのは知ってる。だからこそ、あえて私に接触したんだと思う」
ほら、この顔をよく見て。この声をしっかり聴いて。貴女はこの姿とよく似ている女性を、この声をどこで聴いたのかを、ちゃんと知ってる筈よ。
お願い、貴女を取り巻くものに、早く気付いて。
これ以上、姉さんを悲しませないで。
「……そう、伝えたかったんだよ。マーシャルさんは」
何も見てない、気付いてない。
あれはやはり、アーレストとの恋愛話ではなかった。
正しくシャムロックへの忠告であり、ミートリッテへの懇願だったのだ。
アーレストは態度に含みを持たせて誤魔化すことで、機密漏洩一歩手前なマーシャルを庇っていた。
「優しいね。ハウィスも、ハウィスの周りに居るみんなも。すごく優しい」
「……ミートリッテ?」
ハウィスの両手のひらに顔を埋め、口付ける。
ミントの香りがするこの手は、人殺しの手。
だけど、冷たくはない。
優しい心を持った人の、温かな手だ。
「この手が、マーシャルさんと私に命懸けで温もりと居場所をくれたんだ。マーシャルさんも、ハウィスの為に身を挺して私を護ってくれた。だから、今度は私が、何も持たない誰かに、この温かさを全力で分けていく番」
左右交互に頬ずりして顔を上げ、にっこりと笑う。
「子ミートリッテ=ブラン=リアメルティは、義母ハウィス=アジュール=リアメルティに誓う。私は後のアリア信仰アルスエルナ教会の大司教という立場を利用……もとい。活用して、この世界の意識を変革する!」
人は誰しもちっぽけな存在で、命すべては救えない。
けど、近くに居る誰かの手を握る努力くらいなら誰にだってできるんだ。
そう……誰にだって。
「自分以外の凍えてる誰かを、無条件で抱きしめてあげる。抱きしめられた誰かが、別の誰かに温もりを分けてあげる。そうやって、最初に抱きしめてくれた人へ、もう一度温もりが巡るまで、みんながみんなで支え合うの」
手を貸すことを恥じたり、怖がったりせず。
誰かに与えられたことを素直に感謝し、受け入れて、次へと繋げる。
そうやって、嬉しいや楽しいや温かいを、みんなで共有するの。
「誰だって自分の生活で手一杯だもん。簡単じゃないのは百も承知だよ? いきなり「助けてあげようよ」なんて訴えたって「そんな余裕はない!」で一刀両断されちゃうのは分かりきってる」
けど、みんながみんな、誰かの窮状を見て見ぬフリしてるワケじゃない。
私が諦めずに手を伸ばし続けていれば、自分も……と思ってくれる人が、少しずつでも増えるかも知れない。
そうなれば、助かる命もぐんと増える。
同じ時間を、よりたくさんの人と一緒に生きていけるの。
「具体的な方法は、実務に携わってみなくちゃ、なんとも言えない。でも、いつかきっとそれが自然なことだと思える世界へ導いてみせる。ハウィスが選び取った答えを、私が世界中で体現してあげる!」
戸惑うハウィスの両手を、ミートリッテの両手で包み。
うつむいた額に、こつんと当てる。
(イオーネが聴いてたら、綺麗事だ寝言だふざけるなって、嘲笑うか喚くかするんだろうな。実際、即効性に期待できる答えじゃないし。現時点で案も策も無いなら、理想論と何が違うのかって話だよね。そこは否定できない)
獰猛な目つきで襲いかかってくる女性の姿が目に見えるようで、首筋がちょっとだけひんやりした。
しかし、忘れてもらっては困る。
ミートリッテとハウィスは。
エルーラン王子とブルーローズも、元々は赤の他人だった。
偶然と必然が複雑に絡み合って、現在の形に落ち着いただけ。
なら、ハウィスの答えは実現不可能な夢物語でも、机上の空論でもない。
どんなに果てしない道程でも、叶えようと努力し続ければ、必ず手が届く『現実』だ。
問題は、その距離をいかにして短縮させるか。
やはり、まずは身近な所から始めるしかあるまい。
(そうだね、イオーネ。貴女の言葉も正しい。罪悪感で膝を抱えていたって誰も何も得られないし、どこへも進めない。得られる物が一つも無い行為に執着しても時間の無駄。無意味だ。私達が閉ざしてしまった道だからこそ、私達自身の手で切り拓くしかない。これはその第一歩。どこの誰であっても私達の現実を否定させはしない)
あなたを、傍観者には、しない。
決して、させない。
「その決意自体は、王族としても非常にありがたいんだけどなー」
「「…………っ⁉︎」」
突然聞こえた男性の声に驚き、母子揃って振り向けば
「おとうっ……、じゃない、エルーラン殿下⁉︎」
いつの間にか開いていた扉の一歩外側に、全身真っ白な長衣で覆われてる金髪の青年が、両腕を組んで立っていた。
王族の正装なのか、なんなのか。
深夜の大森林で見た服装より金物の装飾品が多く、室内でも陽光の反射が眩しい上に、手の甲まで隠す袖や、床を滑る長いマントが動き辛そうだ。
民家の内装と格好が凄まじく不釣り合いで、目に入った瞬間から違和感が過活動を起こしている。
大森林の時と同じノリで、うっかり「お父様」と言いかけたものの。
エルーラン王子の後ろに、彼とそっくりな装いの男性二人が立っていると気付き、今はダメだと言葉を改めた。
中腰から慌てて立ち上がり、椅子の側で片膝を突いて礼を正すハウィスを横目に、ミートリッテもベッドの上で背筋を伸ばす。
降りるべきかな? とも思ったが、エルーラン王子が鷹揚に頷いたので、とりあえずは座ったままで良いらしい。
「王都へ行く前に、大仕事を二つほどこなしてもらうぞ、ミートリッテ」
「大仕事? を二つ、ですか?」
「これが何か、知ってるか?」
するすると、優雅な足取りでベッドの横まで移動してきた王子が、袋状の袖から『何か』を取り出し、ミートリッテの眼前に突きつける。
咄嗟に水を掬うような形で差し出してしまった両手のひらの上に転がる、親指の爪くらいの大きさで丸っこい、鮮やかな緑色のそれは……
「…………コーヒーの実?」
アルスエルナでは自生していないとされる植物の『生果』だった。
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