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王道を走れば:幻想にて

作者:Duegion
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第四章、その4の2:布石


 エルフ領内に入って三日目となった。ここでの朝は常以上の緊張感をもって当たらねばならない。何故なら余りに日の光が穏やかで、体を包む毛布も気温も暖かであるがため、ついついと眠くなってしまうからだ。季節の移り変わりも無視して二度寝の危険が付き纏うのは必定である。
 よって慧卓は今日は顔に自分で紅葉を張って漸く起きたのである。なるべく早い内から済まして起きたい事があったのだ。それは煌びやかな木漏れ日が届く、タイガの森と呼ばれるエルフ居住区域の外れの方で行われていた。

「そこ、もう少し右側に立って下さい」
「ここか?」
「はい、そこです・・・。棒もちゃんと立たせて」
「ああ、こうだな」
「・・・はい、大丈夫です。じゃぁ次はその奥の切り株でお願いします」
「うん?・・・あ、あれか」

 茶褐色の固い絨毯を踏みながら慧卓は歩き、慧卓は指示されたとおりに脛半ば程度の高さの切り株の近くで止まり、真っ直ぐとした木の棒を垂直に立たせる。それを声の届く距離に居たリコが、手に持った木の板にすらすらとナイフで文字を彫っていく。簡単な計算式であり、地形の正確な把握には欠かせぬ事であった。

「・・・はい、大丈夫です。これで数字が出ます」
「あいよー!」

 二人が行っている事は即ち、エルフ領内での土地の測量。前日にイル=フードからの許可を行動である。最もらしい言い訳を告げて駄目元で頼み込んだのが、一昨日の事に負い目を感じてくれてたのか最終的には折れてくれた。だからこうして何の横槍もなく、昼近くまで測量を行えるというものである。

「で、やっぱり地図は不正確だったろ?」
「ええ、そうなんですけど・・・なんで、分かったんですか?」
「渡された時、エルフの衛兵が軽くほくそ笑んでたの見てな、ピンときたんだよ。『あっ、これは何か企んでるな』って。それで昨日実際に自分の足で調べてみたら、その地図と実際の地形が符合していないのに気付いたんだ」
「す、凄いです。よくそんなの分かりますね?」
「いやぁ、ただの直感だったんだけどな!当たってラッキー、ってくらいだよ。ま、衛兵さんにしちゃそれで分かる地図かもしれんけどな」
「・・・確かに普段から此処に居住しているエルフが使用するなら、これも地図といえます。地形や目印は結構はっきりしてますし・・・。でも僕にはどうも、これは地図ではなく、風景画のような感じがするんです」
「もっと言うと、悪戯書きか?」
「いえ、そこまでは言えませんけど・・・」

 二人が顔を突き合わせて覗き込む地図は、まるでフレスコ画のような抽象的で脚色が強い絵が描かれた代物であった。タイガの森を中心に周辺地域を記しているらしいが、直上からではなく斜めに見下ろす感じで記されているため、読むだけでは距離感覚が掴み難いものであった。実際に軽く測量してみても、タイガの森だけでかなりの広大さがある事が判明したのだ。先が思いやられるとは正にこの事であった。

「で、でも、勝手に土地を測量してもいいんでしょうか?」
「心配すんな。朝方、イル=フード殿から許可は貰ってある。・・・まぁ、俺とあの人の間でだけ取り交わした約束だから、下の者は知らないんじゃないか?だからさっさと逃げようぜ」
「そ、そうなんですか・・・。でもちょっと待って下さいね。精度を出すために、もう一箇所見たい場所が・・・」

 リコはそう言って離れていき、目に付いた場所で立ち止まり測量を始める。職務に従順であり、そして己の才能を発揮する様を見て感心せずにはいられない。

(本当に同年代か、あいつ?俺よりもよっぽど凄いじゃないか・・・)

 慧卓は木に寄りかかってそう思わざるを得なかった。方や剣も使えぬ騎士と方や才気ある測量士。得意とされる筈の分野で活躍できないのに対し、リコは出来る。一縷のジェラシーを抱かずにはいられなかった。

(俺は剣も碌に使えないし、力も無いし・・・駄目駄目。だけどあいつは自分の力を発揮できる。・・・あぁーやだやだ!マイナス思考なんて似合わないぞっ、俺!!)

 もやもやとした思いを吐き出すように大きく溜息を吐く。他人に感心するのはいいが嫉妬を覚えるのは駄目だ。そう思ってリコを見遣ると、思わぬ光景に目を開く事となる。

「・・・ああ、こりゃやばい」

 測量をしていたリコを囲むように、幾人ものエルフが立ち並んでいるのだ。手に携えるは鋭き槍、背中に羽織るは一枚の褐色の外套。即ち彼らはエルフの衛兵であり、イル=フードの部下であった。

『・・・っ!!なんで・・・!!』
『・・・その・・・っ、・・・を・・・』
『ふざけるなっ!!!誰の許しを得て・・・っ!!』

 明らかに口論をしているようであり、リコが一方に捲くし立てられる様相である。慧卓はそれを眺めつつ、而して彼を助けるために足を動かそうとはしなかった。

(・・・手を出すか、出さないか)

 仮に手を出すとした場合、外交的な非礼を向こう側は働く事となる。即ちそれは彼らが仕えるイル=フードに対して、此方側が更に足を踏み入れる理由が出来るという事。敢えて慧卓が手を出さないのもそれがためであり、リコの肩が軽くどつかれた時、漸く足を動かそうと奮起する。

「・・・手を出したな、エルフ」

 仲間を道具に利用した罪悪感も感じないでもないが、与えられた役目を果たすためには少しばかりの不快感も許容してもらいたいものである。慧卓は可能な限り、威圧感のある声で警告する。

「おいやめろっ、なにをやっている!!!」
「・・・おい、手を離せ」

 肩に掴み掛かっていた男が離れ、リコが怯えた表情で慧卓に駆け寄った。彼を庇いつつ慧卓は騎士の顔を貼り付けると、エルフの取り巻きらの敵愾の目は慧卓に集中する。

「エルフの衛兵というのは無抵抗な相手に対して暴力を振るうのか?私はそのようなものではないと信じていたのだが」
「・・・確かに解釈としては、過ぎたる力の行使かもしれん。が、我等にはそれをする正当な理由があるのだ。貴殿は黙ってもらいたい」
「若い人間が口を挟む問題ではない、失せろ」
「・・・私は北嶺調停官補佐役、ケイタク=ミジョーだ」
『っ!』

 顔を知らなかったのだろう、衛兵らはちらりと互いを見遣っている。一番年嵩を重ねた四十手前の見た目をした男が言う。

「非礼を詫びる、補佐役殿」
「そう思われるのならば直ぐに手を引いていただこうか」
「いや出来ん。何故ならこやつは、神聖なる我等の土地を勝手に測量してからな。それも畏れ多くも、巫女殿の住まいの近くをっ!何と汚らわしき所業である事か!」
「・・・貴方は何か勘違いをしておられるようだ。我等は許可も得ずに行動をしているわけではない。賢人イル=フード殿より直接の許しを得て、土地の測量を行っている」
「なっ、閣下から・・・!?」

 彼らの驚きようを見て、慧卓は一人意地の悪い頬の歪みを矯正しつつ、続けて言う。

「私をあの御方との約定は秘密のものであったため、下の者には伝えられなかった。貴方々に誤解を招いた事については、申し訳なく思う。だが眼下の事態はそれとは別種のもの。過ぎたる力の行使を謝罪していただければ、事を表沙汰にする事は控えよう」
「な、ならんぞっ。貴殿は間違っている!」
「何を根拠に申されている?貴殿は衛兵だろう?衛兵が守るべき場を離れ、あまつさえ外交官に無礼な物言いをする許しを得ているのか?一体誰に?」
「っっ・・・!!」

 エルフ達の顔はいきり立って赤らみ始める。額には青筋すら浮かんでいるようだ。リコがやり過ぎだといわんばかりに、笑んだままでいる慧卓の服の袖を引っ張った。

「も、もうよしましょうよ・・・皆、怖いです」
「言っててなんだが、俺本当に考え無しだな」
「えっ?」
「どうしよう・・・こんなに怒るなんて予想外だったっ・・・」
「な、何考えているんですか、馬鹿ですかっ!?」

 ただの測量であったのだがこれほどの激怒を買った慧卓は笑みを保ちつつも、目がぱっちりと見開き、焦りのあまり首筋に冷や汗を沸かしていた。一方で傍目から見ればそれは、相手を侮辱して嘲りの表情を浮かべたそれと大差が無く、衛兵らは槍の矛先を彼らに向けようとする。

「貴殿らは、やっていい事と悪い事の区別をっ・・・!!」
「何をしているか、貴様ら」

 一声にびくりとして、男らも、そして慧卓らも目を向けた。都合の良い事に、此方に向かってイル=フードが近寄ってきた。

「か、閣下!これはっーーー」
「ケイタク殿、申し訳無い。我が部下が無礼を働いたようだ」
「閣下っ・・・」
「・・・何をしておる、構えを解かんか」

 男らは不承不承といった顔で槍の矛先を正していく。一縷の安堵を慧卓が抱く一方、慧卓に詰め寄った男は確かめるように尋ねる。
 
「ほ、本当なのですか、閣下?彼らにこの土地の測量をしてもいいと、許可を出したのはっ」
「ああ、事実だ。・・・貴様が怒るのも無理は無いが、これは私と彼の契りだ。貴様が口を挟んでいい問題ではない」
「・・・承知、致しました・・・」

 言葉の怒気を治めながらも男らは恨みがましい気持ちが篭った視線を忘れなかった。イル=フードが慧卓らに向かって言う。

「測量の続きをしてもいいぞ、ケイタク殿」
「いえ、実を言うと只今全ての作業が終わりました所で御座います」
「そうか・・・」
「次回は、より正確な地図をお渡しいただけたら、我等は争い無き安寧の下に活動が出来るでしょう。どうぞ、御心に留めていただければ幸いです」
「ああ。必ずそうしようぞ」
「・・・行くよ、リコ」
「は、はい・・・」

 慧卓はするりと背を向けて彼らが駐在する居住地へと足を運んでいく。

「人間風情が・・・調子に乗って」
「ちっ」

 背後から呟かれたあからさまな挑発と舌打ちに臆し、そして苛立ちながらも、自らの正しさを伝えるように慧卓は厳しき瞳を向けた。売りたくも無い喧嘩を売らないと当分は身の保障も出来なさそうだと思いながら視線を戻そうとして、一瞬びくりとしたものを感じて、一棟の民家に目をつけて立ち止まる。
 民家の入り口に掛けられた幕の内から、見知った銀光が放たれているのが見えた気がしたのだ。剣の煌きというか、穏やかではない光が。
 慧卓は逡巡の後、思い切った様子でその建物へと近寄っていく。リコが訝しげに彼を見遣る。

「け、ケイタクさんっ?」
「き、貴様っ!!!その建物に近付くな!!!!」

 男らが先程以上の苛烈さをもって言を発す。慧卓がそれを無視して建物に近付こうとすると、行く手をイルが身をもって塞いだ。

「待て。何故其処に?」
「・・・今、この幕が揺れた時、抜き身の剣のようなものが見えました。即ち誰かが抜刀しているという事実。放置しておくには余りに危険です」
「其処から離れろといっているっ、貴様!!そこは貴様が近付いて良いような場所ではない!そこは巫女殿の御住まいぞ!」
「・・・衛兵が現下の状況を見過ごす御積りか?貴方々が敬愛する巫女殿の家屋で、野蛮な白刃が抜かれているやもしれんのだぞ」

 男らが次の文句を浮かべようと逡巡する間に慧卓は更に近付こうとするが、イル=フードの言葉に足を止めざるを得なかった。

「ケイタク殿。貴殿は一つ、我等が巫女殿が行われる儀式を御存じないようだ。すなわちそれは、剣の舞」
「・・・何でしょうか、それは」
「大いなる自然に宿る神々は、遍く大地に恵みを齎し、同時に災害という名の刃を振り落とす。巫女はその恵みに感謝すると同時に、刃から身を守らんと神々に畏敬の祈りを送るのだ。舞によって祈りを送り、エルフの信心を捧ぐのだ。それこそが剣の舞。神聖にして不可侵な巫女殿の儀式なのだ」

 そう言って黙するイル=フードからは、自然と人の心を締め付けるような威圧感が放たれていた。人々の上に君臨する、あのニムル国王と同じような泰然として姿。
 慧卓はその蛇の如き瞳を見てさっと顔色を変える。己のしている事の危うさと短慮さに後から気付いたのだ。

「・・・御無礼、お許しください。行くよ、リコ」
「・・・はい」

 慧卓はそう言ってリコを引き連れて、今度こそその場を後にする。人から恨みを直ぐにその仕返しを考えるという、己の器の小ささを自覚したような気持ちで胸がむかむかとし、唇を引き締めて無言で帰っていく。途中までは勝っていたのに最後は自分から台無しにした、そんな惨めな気分であった。
 残されたイル=フードは暫し王国の騎士の背中を見詰め、ふと振り返る。衛兵達が一様にして戸惑ったような瞳をしているのだ。

「か、閣下・・・剣の舞とは、一体・・・」
「忘れろ。いいな、深く考えるな」
「・・・承知致しました」

 押し殺したような声で衛兵は言う。咄嗟に口から放たれたのは現実には行われていない、偽りの祭事であったのだ。エルフの慣習に無知な慧卓を騙すための嘘であり、衛兵らが知らぬのは当然の話であり、イルが嘘を放ったのも見抜かれている。
 衛兵らは特に何も言わずに去っていき、再び哨戒の任に戻っていく。イルに対する冷たい視線を置き去りにして。

「・・・行ったようだ。もう大丈夫だな」

 一方で民家の中に居た若き人間、チェスターは肝を冷やしたかのような思いで額を拭い、相方であるアダンに向かって怒鳴る。

「アダン殿っ、一体何を考えているんだっ!」
「念のためだ」
「念のため!?馬鹿か貴方はっ!余計なところまで徒に闘気を出す奴が居るか!」
「試した心算だったんだ。お前が気に掛ける奴がどれほどの奴かとな・・・。そしたら、気付かれた。ああいうのには鋭敏なんだな」
「何を考えているのだっ、貴方はっ・・・」

 更に語気を荒げようとすると、民家の入り口の幕が乱暴に払われる。冷静さをかなぐり捨てた怒りの形相で、イル=フードが問い詰めてきたのだ。

「先程、ここで剣を抜かれていたのはアダン殿だな?」
「ああ、そうだ」
「今後二度とこのような事が無いよう御注意願いたい・・・。部下の前で恥を晒す羽目となったわ・・・!」
「けっ。金で忠心を買ってるくせに。そんなの言えた義理かよ?」
「なんだと貴様っ・・・」
「アダン殿っ、言い過ぎだ!」

 止めに入るも二人は聞かず、汚物を見るかのように睨み合うのみである。やがて年功の余裕を利かせたいのか、イルの方が先に折れてチェスターに鋭く言う。

「申し訳ないがチェスター殿、貴殿らを留まらせる場所を間違えたようだ。これから私が案内する場所を新たな家と思っていただきたい。人払いはもう済んでいる」
「それは構わないが、あれはどうなっているのだ?」
「・・・魔獣の排除は鋭意遂行中だ。降霜の月、その終わりには全ての任務が完了する」
「そうか。それまで我等の安全を確保してくれよ。これまでに提供した資金はまだ半分。残余は未だ、我等の手中にあるのだからな。・・・いくぞ、アダン殿」
「あいよ」

 イルは嫌気と疲労を隠さぬ露骨な溜息を漏らしつつ、二人を屋外へと案内していく。
 一方で自らが泊まるエルフの家へと戻った慧卓を向かえたのは、夏なのに、ふかふかのコートを羽織ってはしゃぐパウリナであった。

「あっ!ケイタクさん見て下さいよ!エルフのコートですよ、コート!すっごいふっかふかで気持ちいんだぁっ」
「・・・見てて和むね」
「そ、そうですね」

 緊張感をものともしない彼女の温かさに当てられてリコは自然と頬を柔らかにする。慧卓はそっと彼から離れて入り口の近くに背を預け、測量のために重くなった身体を癒そうとする。その時、王国の兵士が静かに現れて彼に告げた。

「ケイタク殿。先日捕縛した賊は無事に磔刑に処されたようです」
「・・・わかった。知らせてくれて、ありがとな。下がれ」
「はっ」

 一礼して去っていく兵士には目も遣らず、慧卓は今後の予定を考えるよりも前に、先に足の疲れを解したい気持ちに駆られた。目の前でコート一枚ではしゃげる二人がどうにも羨ましい気分であった。



ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー



 その夜、慧卓はアリッサと共にエルフ側から提供された資料を読み漁っていた。室内の篝火の明かりを頼りに、新旧様々な本や巻物を丁寧に読んでいく。風習や信仰も当然ではあるが、歴史の部分に傾倒して読むのは止められない。これも騎士としての活動のためであり、何ら責められる事由がないと言うのが彼の言い分である。
 本の読了に集中していると、ふと入り口の方から風が吹いてきた。戸は閉めた筈なのにと目を遣ると、キーラが顔を覗かせていた。

「ケイタクさん、ちょっと・・・」
「?ああ」

 本をテーブルに置いて慧卓は外へと出て行く。アリッサが視線を送るも、直ぐにそれから目を離して再び書物の頁を送っていく。
 外に出た慧卓はすっかりと青黒くなった空を見上げた。時刻でいえば、凡そ午後九時ぐらいであろうか。二人は建物の影に隠れるように身を置いてから話す。

「どうした、キーラ」
「あの、明日の事なんだけど・・・行っちゃうんだよね?」
「ああ、賢人会の事か。まぁな、アリッサさんと手分けして、賢人会のメンバーを口説き落としに行かなくちゃならない。これも王国の未来のためだ」
「そうなんだ。結構遠いって聞いたけど・・・」
「一応な。ここから歩いて三日、ってくらいか。馬を使いたいのが本音なんだけど、まだ長旅の疲れが癒えてないらしいからさ。ベルに無理をさせたくないよ」

 ちらと厩舎の方を見るが、寝静まっているようで何ら物音が聞こえない。キーラは己の綺麗な水色の髪を撫でつつ、愁眉を俄かに潜ませている。心配を募らせてくれているのだろう。

「アリッサさんの方が先に帰ってくる予定だよ。リコの見立てじゃ、あっちは行きも帰りも一日で済むらしいからね」
「・・・でも心配だなぁ」
「大丈夫だって。あの人はそんなに軽い口じゃないからさ、厭味言われたくらいじゃ顔に出す程度で済むって。・・・いや、それも問題なんだけど」
「そっちじゃなくて、ケイタクさんが」
「俺?・・・そんなに、頼りないか?」
「頼りないっていうよりも・・・その・・・ね?」

 上目遣いにキーラは相手の瞳を覗き込んだ。澄み切った瞳はまるで星のようであり、慧卓は頬をかりかりと指先で掻く。

「ま、まぁ兎に角心配されているくらいだからな。気をつけて行くに越した事は無いよ。エルフってのは思ったより気難しい民族だから」
「ふーん、そうなんだ・・・昼間、何かしたんでしょう?」
「えっ?い、いやぁ・・・何も無いですよ?ハハッ・・・」
「・・・馬鹿な人、本当に」
「あはは・・・重々承知ですよ・・・」

 すっと細められた睨みに慧卓はたじろぐ。明らかに事がバレている。ひょっとすると既に噂が立っているのかもしれない。そうでなくとも自分の引き攣った表情を見れば直ぐに悟れると言うものであるが。
 慧卓は乾いた笑みを留めると、真剣味を増した声色でいう。

「実はさ、心配に心配を掛けるようで悪いんだけど・・・俺が向かう先の人、結構乱暴のきらいがある人らしい」
「・・・そう」
「ああ。領内で盗賊を拷問死させるに飽き足らず、民草を虐げ、鳥に死骸を食わせる。加えて人間嫌いだ」
「どうしてこんな時に、そんな事を言うの?」
「・・・俺の仕事、分かってるよな?補佐役っていう仕事だ。大事な人の背中で危ない棘を抜いたり、被りそうな危険をその人に代わって被る。時には、手も汚す。
 ・・・俺の予測だけど、多分向こうで話が(こじ)れるだろう。力技が必要になるかもしれない。此処にも戻ってくるのが遅くなるかもしれない」
「・・・分かった。ケイタクさんが居ない間、なんとかアリッサさんを支えてみる」
「ありがとう。俺以外にこんな大任を任せられるのって、キーラしか居ないから」
「ふふ。貴族だもの。お国のための大任なんて、御安い御用だよ」

 くすりとした笑みを浮かべてキーラは答える。貴族の義務を果たそうとする覚悟は、自分と出会う前から備わっているのだろうか。だとするとこの世界の若者には悉く頭が下がる思いである。誰も彼もが立派で、自分に課せられたものがなんであるかを理解している。
 対して自分はどうであろうか。己が持つ騎士と言う地位を、まだ確りと理解できていないのではなかろうか。学ぶべき事はまだまだ多そうであり、前途多難が予想されるのが億劫である。
 キーラは期待するかのように瞳を向けてきながら言う。

「でも、まだちょっと不安だな。この一週間ずっと近衛騎士様の補佐をするだなんて。私に務まるかな?」
「キーラなら出来る。俺はそう確信してるから」
「うーん・・・でもまだしっくりこないんだよなぁ・・・もっと、大きな切欠みたいなものが欲しいというか・・・」
「・・・分かった」

 何となく期待されているものが見えてしまったが、それにそのまま答える気は起きない。自分にはコーデリアがいるのだから。

「・・・ケイタク、さん?」
「キーラ、こっち見て」

 俄かに期待の色を増しながらキーラは瞳を向けてくる。矢張り可憐な微笑である。順番さえ違ったなら彼女の方を好いてしまったかもしれない。
 そんな思いを抱きつつも慧卓はキーラの肩を握ってそっと己へと引き寄せる。そして彼女の前髪を掻き分けると、額に優しく唇を落とした。

「やる気、出たか?」
「・・・もう少し、このままで居れたら、出るかも」
「好きなだけ居ろ。だから絶対にやる気出せ」
「うん」

 満面、とまではいかないが安らかな笑みを湛えてキーラは目を閉じる。頬に感じる慧卓の熱に夢心地となっているように見える。本当に期待しているのはおそらく接吻なのであろうが、流石にそこまで応える事は出来ない。せめて後半年は操を守らねばならないからだ。
 一方で慧卓は、悪い気を感じてはなかった。飾れば傾城の美に達するやもしれない美少女を抱擁し、その上彼女から好意まで抱かれているのだから。役得役得、に留めておくのが自分の義務なのだろう。
 二人が逢瀬を過ごす間、室内に残されたアリッサは本日五冊目の本を読破し、テーブルに投げ放つ。ぽんっという音をして軽く埃が舞った。アリッサは眉間を押さえながら背凭れによっかかり、天井を仰いだ。

(・・・なんなんだ、この感じ)

 胸中に抱く焼けるような思い。慧卓がキーラと出て行った後からその思いは発されて、本の中身など全く頭に入らなかった。ちらちらと慧卓が出て行った入り口を見てしまい、落ち着きが無くなる。

(・・・どうしたんだろうな、私は。・・・どうしたらいいんだ・・・私は)

 どうしようもない思いで彼女は憂いの息を漏らす。それは傍目から察しの良い者が見れば、まるで恋慕に悩む女子に違わぬ姿であった。



ーーーーーーーーーーーーーーーーー



 燦燦と輝く星星。群青にも似た漆黒の空。箒に払われた塵の如く無造作にそれは浮かんでいるが、同時にどこか規則がかったかのような軌跡を描いており、その上それぞれが色も輝きも違っている。大地に織成す人の営みの如くそれは瞬いているようで、ふとした拍子で見上げれば、枯れた心を癒すようにも思えてくるのだ。
 だからこそ、己は天文学を志した。帝国の官吏としての荒んだ生活は一転、穏やかさと清廉さに満ちた生活に変わった。星星には、宙には、人知の及ばぬ魅力が隠れているのだろうか。だとすれば自分はそれをいつまでも追っていきたい。その輝きが人々を救う手立てとなれたら、それは大きな名誉にもなるのだから。
 神聖マイン帝国の一官吏として、そして今では天文学会の長として年を重ねた男は感慨に耽りながら漆黒の宙を観察する。肉眼による観察は苦労ではあるが、浪漫を追い求めるのだから苦とは成り得なかった。屋外のただの草むらの中であっても。

「む・・・?」

 老人は瞳を細める。卓越した視力、そして老いて尚健在な記憶力が告げている。

「あんな所に星があったか?・・・新星、か?」
「先生、どうしました?」
「うむ。あれを見てみよ」

 駆け寄ってきた弟子にその在り処を教える。だが弟子はなんともし難い戸惑いの表情である。

「ど、どれですか?」
「ほれ、あの白い星だ。大三角の内側、この前教えた赤い四等星の隣だ」
「・・・あ、本当だ。こんな明るい星、ありましたっけ?」
「分からん。宙の彼方で何があるかなど、我等は誰一人として知らんからな。・・・苔生す石に隠れる花のようだな。今まで気付かなかっただけかもしれん」
「詩的ですねぇ・・・。僕にはそんな例え方、思えやしません」
「ああ。私も自分で言っててなんだか恥ずかしくなって来た。もう追求するな」
「詩的ですねぇ。すっごい詩的ぃ」
「・・・・・・」

 老人は無言で弟子に拳骨を落とす。ごつんと小気味良い音がして弟子が苦悶を漏らす。愉快である。

「さてと、もうすぐ王国の魔術大学の発表だ。お前は・・・そうだったな、逢引であったな」
「すいません、ちょっとこればかしは・・・」
「気にしておらん。というより、盛大にやるがよい。恋愛は若い者しか出来んからな」
「有難う御座います、先生。でもちゃんと後で、発表の中身を教えて下さいよ?」
「分かった分かった」

 ひらひらと手を振ると、弟子は喜色の笑みで草むらを駆けていく。近場の農場に彼の恋人がいるらしい。何とも羨ましい、自分の伴侶と子供は此処から遠く、帝都に暮らしているのだから。

(さてと、そろそろ行くかなあ。・・・奴は一体何を発表するのやら・・・)

 髭のない顎を撫でながら老人はくるりと背を回し、己が泊まる帝国魔術学会の地方支部の建物へと向かう。荘厳な石造りの建物であり、華美な装飾は皆無、実務面のみを追及している。
 入り口から入って正面にある、開かれた大扉の内側へと身を滑り込ませる。厳かな音楽鑑賞には打ってつけの大ホールには、既に多くの者達が席に付いていた。皆が皆ロープやマントを羽織っており、学者か魔術師、あるいは高位の者であると分かる。
 老人は近くにいた知り合いに挨拶をすると、それとなく尋ねた。

「・・・どう思う?」
「登壇するマティウス、という輩か?王国の者にしてはかなりの切れ者だろう。だが、我等帝国の頭脳には及ばん」
「・・・貴殿は?」
「あの者の専門は召還魔法だ。おそらくそれについての発表だと思うぞ。・・・でなくば、私はここに来たりはせんよ」

 地位と経験に相応しき自信であり、優越心であったが老人が望む回答ではなかった。老人はちらと壇上を見やる。王国の樫の旗、帝国の双頭の獅子の旗が壇に飾られている。王国と帝国の魔術学院同士により研究協定、その発表の一つが此処で行われるのである。
 やがて、ホール内を照らしていた篝火が順々小さくなり、灯火は壇上と入り口を照らすものだけが強い光を放つ。時間のようだ。手近な席に座って老人は待っていると、直ぐに一人の老人が幕の脇から壇上に上がってきて、それを拍手が迎える。登壇した老人は尖った目つきでそれに応えて、そして言い放つ。

『御集まり頂いた紳士淑女の皆様。私はマイン王国魔術大学校長であります、マティウス=コープスであります。本日は御集まり頂き、大変恐縮で御座います』
(恐縮、か。そんな事を言う顔ではないな。下賎な笑みよ)

 壇上のマティウスは、老人から見ればまるで蔑むかのように笑みを浮かべているが、他者から見ればただの愛想笑いなのだろうか。少なくともあれを見て気分を害する者はこの場には居ないようだ。

『この度、私のような廃れるだけの老骨がこのような偉大な場を借りて己の研究を発表できるのは、偏に帝国の威信と栄誉の御蔭であります。心より感謝致します』

 世辞に反応は無い。会場には感謝されて当然という空気すら漂っている。だがマティウスは不敵な態度を崩さない。

『私がこの場を借りて発表させていただきたいと思いますのは、私が常日頃より研究を重ねております、召還魔法についてであります』
「ほら見ろ。矢張りそうであったわ」
「黙っておれ」
『元来召還魔法とはその成立の根を辿れば、古くは古に住まう龍との契約において誕生した魔法でありました。古の魔術師は肉体、即ち血液と肉を棄てて、代わりに魔力を魂に宿し、それを新たな血として魂の拠り所とするという、所謂不老不死の魔法に執心しておりました。古来では龍の息吹がそれを可能とし、召還魔法とはそれを耐えるがために生まれた魔法であったと考えられております』

 ここに居る者であれば誰もが知っている基礎中の基礎の伝記である。マティウスは続ける。

『時が変わるにつれて召還魔法は他の魔法との交流により、より複雑化し、より多様化した魔法となりました。肉体を棄てるための魔法は、他を呼び、他を捕まえ、或いは他を繋ぐ魔法にも変容し、今ではその定義も変化しております。術式の壁を越えて生命の壁を崩す。即ち召還魔法の性質は自己に留まらず、他に影響を及ぼす点に重要な意義があるのが今日での通説であります』
「どういう事か分かるか?専門外だからさっぱりだ」
「他人の生命に直接影響があると言っているのだ」
「そ、そうなのか。怖いなぁ・・・」
「いや、怖いどころで済む話か?我ながら、恐ろしい世界に足を踏み入れているものだ」

 先程からずっと与太話が後ろでされているが、天文学の権威たる老人は意に介さず、静かに話に耳を傾けている。

『皆様方におかれましては、今日新たに紹介致します召還魔法の技巧にて、更なる魔術への深き関心を抱いてくれたならば、これに勝る喜びは御座いませぬ。是非にも御聞き戴きたい。自己と他者を繋ぐ、命の架け橋を』

 どこかで噴出す声が漏れた。滑稽にも王国の学院長とやらは人類の愛を謳うらしい。老人もそれと同じような感想を抱いたのか、微苦笑を浮かべて頬杖を突く。
 壇上のマティウスはそれらの反応を愉しむように頬を吊り上げた。

『皆様、どうぞお聞き入れ下さい。召還魔法は原点へと戻り、再び、不老不死への一歩に近付いたのです』

 その言葉を聞いて、会場内の空気が一気に静まり返った。呆気に取られるものと、或いは絶句するもの。老人は果たして前者に当たったのか俄かに口を開いたままであり、漸くそれが閉じる頃には、マティウスの狂気極まる論調が展開されていた。次々と語られるそれに人々は瞠目し、ある者は張り詰めた面持ちで会場を後にする。
 だが一方で奇怪なる者も存在する。倫理を玩具の如く扱うマティウスの語りに、どこか恍惚とした表情を浮かべる者達だ。それこそがマティウスが真に臨んでいた反応なのであろうか、持論を語るマティウスは口裂けた笑みで喜色を表す。彼の脳裏に浮かぶ魔術の犠牲者達は一応に能面のような顔をして血の海に沈んでおり、その内の一人が蜥蜴面の男であったのも、彼にとってはいたく自然な事であった。
 
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