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王道を走れば:幻想にて

作者:Duegion
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第四章、その5の1:気づかぬうちに

 
前書き
 本話の後半部にちょっとしたエロ描写が入っております。

 プレイ一覧:自慰  

 

 エルフ自治領、タイガの森。今日の朝はどんよりとした曇り空で始まり、森はまるで夜の入って一刻も経たぬばかりのあの暗闇、日と影が入れ替わる時のあの不気味な闇にも似た暗さで静まっていた。しかし底がそれほどまでの厚い雲ではないから、雨が降るという予報は立たないであろう。おそらくではあるが。
 例えそうであっても、事前に策定していた予定は急に変更できない。ましてそれが外交的な色に染まった、完全な騎士の御仕事であるならば。

「さて、そろそろ出発だ。準備は良いか、パウリナ?」
「大丈夫ですよー。・・・これ、やっぱ持っていっちゃだめですか?」
「ならん。まだ秋も始まっておらんのに、コートなど必要か?それも毛皮の。持っていくなら雨除けの外套にしておけ」
「ま、まぁそうですよねー・・・はぁ、お気に入りだったのに」

 残念がるようにパウリナは肩を落とし、持ってきたコートを戻すために家へと戻っていく。ユミルは困ったように頸を振りながら、もう一人の旅の連れへと話す。

「ケイタク、お前も大丈夫か」
「ええ、出立に何の問題無しです。道中の案内は彼がしてくれるそうです」
「ん、あいつか」

 ユミルが目を向けた先に、切り株に座り込んでナイフを研いでいる、少年のエルフが居た。年頃は十を少し超えたばかりか、寡黙に且つ無表情に己のナイフを見詰め、砥石に刃を滑らせている。きぃきぃと鳴るそれに負けぬよう、ユミルは彼に近付いてはきはきとした声で言う。

「あー、道中、宜しく頼むぞ」
「・・・」
「あー、人間だから気に入らぬ部分もあるだろうが、そこら辺の誤解はこれから解消するとしよう。君、名前は?」
「・・・」
「だ、大丈夫か?聞こえてるか?今日は気分が悪いのか?そんなので勤まるのか?」
「・・・」
「・・・お前の母ちゃんでべそ」
「・・・」

 一向に無反応である。意味がわからんとばかりに垂れ眉を顰め、ユミルは手袋を付けている慧卓の下へと戻る。よく見れば左手の薬指に指輪を嵌めているようであったが、ユミルは言いたいのはそれではない。

「なぁ、あいつ無愛想過ぎないか?」
「他に誰が居ると?彼、態々自分から案内の役目に志願してくれたんですよ?無口ですけど多分いい子ですよ。それに道案内ですから必要以上の役割を求めるのは酷ですよ」
「それが道中に喋るという役目でも?」
「許容範囲です」
「だがなぁ・・・はぁ、仕方があるまいな。案山子を背負って歩くようなものだ」
「そうです。仕方ないんです。だから彼の分の荷物も持って下さいね」
「はぁ?」
「あ、すいません、俺が持ちます、はい」
「あ、じゃぁケイタクさん、私のも持って下さい!私観光で忙しいからっ!」
「えええっっ、パウリナさんのも!?」
「だめ?」
「ううん、持ってあげますっ!凄く可愛いから!」
「ありがとー!!」
 
 後から外套を羽織って追いついてきたパウリナの言葉に、慧卓は太陽のような浮かれた笑みを湛えて彼女のナップサックを背負った。背中に三つのサックが背負われており、小さな団子の山が作られる。それぞれに代えの衣類や食糧が入っているために相応に重いのだが、慧卓にとってはあまり気にならぬ程度の重みであった。
 ユミルは若人二人の微笑ましき光景に呆れ交じりの溜息を吐き、切り株の方へと足を向ける。少年は刃の研ぎを終え、出立を待っていた。

「言葉は喋れるんだろう、少年」

 その問いかけに答えず、少年は先導を切って歩いていく。村の外れ、西の道へ。その道が続く先には賢人の一人、キ=ジェが治める農村が待ち構えているのだ。
 三人の人間と一人のエルフは、こうして短い道程へと足を踏み入れていく。

 旅の一日目は順風満帆であり、何の問題もない。タイガの森を昼過ぎに抜け出したために、慧卓らは穏やかな絶景を垣間見る事ができた。即ち清涼な緑に包まれた草原であり、花々に群れる虫や小さき動物の群れである。夏の風が残っているために小さな蜂も見られ、或いは近くに小川でも流れているのだろうか蜻蛉が飛んでいるのが見えた。また、タイガの森と同じように野生の兎も見受けられ、驚いた事に蛇も見られた。毒持ちではないだろうとユミルに言われなければ動転せずにいられたのが、慧卓の残念がった所である。ちなみにパウリナをそれを聞き、蛇を己の頸に嬉々として巻きつけようとした。無論ユミルによって止められたが。
 草原を歩きながら遠くに見えるのは雄大なる山々と、その稜線だ。麓の方には針葉樹の見事な秋の風景が広がっており、色彩豊かなそれは目を愉しませてくれる。同時に、その遥か奥に聳え立つ広陵とした山々には圧倒されるばかりだ。即ち、白の峰。登山の経験がある慧卓にはその雄大さが人一倍に理解できている心算だ。あの山は、生半可な覚悟では登れない。否、越える事が出来ないというのが正しかった。高さは凡そ、四千メートル級であろう。なだらかな稜線がまるで波のように続き、大自然の壁となって視界を独占する。恐ろしき事は既に山頂の方では暑い雪雲が掛かっている事でり、山も白い傘を被っている事である。この暑い季節であれなのだから、冬はどうなる事やらである。
 結局、朽ち果てた大木が作る大きな穴の中に寝床を構え、その日の労を癒した。寝床においては、篝火に惹かれて虫の類が集まるのが大変であった。特に飛ぶ系の虫が何匹も顔に引っ付いた時は、慧卓にとって生きた心地がしなかった。石化した心で聞こえたパウリナの心地良さげな鼾が全くもって恨めしいとも思えたのだ。つくづく性質の合わない女性であるとばかりに眉が顰められた表情を、ユミルは薄く目を開けて愉しんでいた。

 旅の二日目、早朝の行進と共に始まったその日は、草原を越える事が第一の課題となった日であった。何故かと言えば、寝ている最中にどんよりとした雨雲が近付いてきた為であり、肝を冷やした事に、それは雷雨の雲であったのだ。豆電球のような小さな稲光の後に、地響きのような唸りが天から注いでくる。草原に居ては拙いと思って四者は速足となり、昼過ぎには次の森へと逃げ込めた。後を追うように強い風雨が襲ってきたのが辛い所であったが、雷に打たれるよりかは遥かにマシであった。入った先の森が、中々に鬱蒼としたものであったとしてもである。
 吹き抜ける風と、枝葉を縫って、伝って降り注ぐ雨露。暗い雲が冷たい粒となって降ってくるかのようであり、足取りは打って変わって重くなる。足に絡む蔦や枝を億劫に蹴り払い、何とかして少年エルフの背中を追って行く。無理して距離を稼ごうとしたからか、少年の息は大分上がっていた。余り無理をするものではないと慧卓は心を決め、この日は夜に入る前に寝床を構える事にした。ぐっすりと眠る彼の顔は漸く年相応の幼さが見える所であり、ユミルは一縷の安心を抱く。共に歩いてきたのはただの案山子ではなかったのだ。慧卓も顔に引っ付く昆虫には諦めたようであるが、かさかさと周囲を這いずる動物には終始びくびくとしていた。毒蛇は居ないからと言っても安心はしないだろう。真に小心な上司であると、ユミルは心中に溜息を漏らした。

 そして迎えた三日目の朝。雨雲の尾が、まるで蜻蛉の羽のように空に広がっている。湿った空気に満ち満ちた森を歩いていき、じめじめとした森の絨毯を踏みつける。膝あたりまでぐっしょりと濡れてしまった。
 そうこうして歩いていくと、漸く景色が開けていった。王都の近辺で見られたような麦畑であり、近辺には根菜系の畑であろう緑の絨毯が広がっていた。後で何を植えているのか聞いておきたい所ではあるが、それ以上に目を惹くのが、遠くに見える屋敷であった。

「あれが、そうだな」
「そうなんじゃないですか?ねぇ、ケイタクさん」
「えぇ?・・・あぁ、そうなんじゃないの・・・ねぇ荷物は」
「しょうがないなぁー。帰りは持ってあげますね!」
「はぁ、どうも・・・」

 ここまでの三日間、背中に乗っかり放しだった重みが全て消えた。三つの重みを背負ってパウリナはぐいぐいと先に行き、少年エルフに元気に会話をしようと試みていた。
 ユミルは歩きながらふと畑の傍に立てられた物騒なものを見た。木の十字架に磔にされたどこぞの誰かである。人間で、且つ身体のほとんどがまるで啄ばまれたかのように引き裂かれている。鳥葬によって屠られたのだろう。ああいうのが村の外れ、しかも入り口である森に向かって立てられている限り、好意的ではない。

「あー、歓迎は期待しない方がよさそうだな」
「そんなの最初から分かってた事じゃないですか。結果なんてどうでもいいんです。会談をしたっていう事実が一番欲しいんですから。賢人を除け者扱いなんて」
「分かっておる。外交的に拙いのだろう?」
「そうそうそうそう」

 歩きながら慧卓は周囲を見渡す。中世の田舎の村とはかくの如きであるべし、といった感じのありふれた農村であった。屋敷に近付くにつれて家々が目立っており、エルフの姿もぼちぼちと見掛ける。
 慧卓は後ろからここまで案内してくれた少年エルフに声を掛けた。

「此処までありがとな、少年」
「・・・」
「ははは・・・もっとお話しようぜ?」

 無愛想なままの少年に微苦笑を浮かべながら、慧卓は周囲からちらほらと感じつつある好奇の視線に、カリカリと頬をかいた。タイガの森、いやそれ以上に敵意にある視線であった。鍬を持った農夫など、今にも殺さんばかりの視線であった。関わらない方が身のためであろう。
 屋敷の前に辿り着くと、衛兵が警戒を顕にして横柄な口振りで言う。

「止まれ。貴様らは何の用があって此処に来た」
「我等は王国より参った北嶺調停団補佐役の一行である。賢人殿との面会を求めたい」
「調停団・・・ああ、そういえば話が来ていたな。入るがよい。賢人様はお待ちであられる」
「心遣い、感謝する。では、早速入るとしようぞ」
「用があるのは補佐役殿のみだ。他はここで待て」
「・・・ケイタク殿」

 衛兵がきょとんとした顔をした。目の前に立つ精悍な男が補佐役だと思ったらしく、慧卓を見て完全に舐め切った目つきをした。

「私は調停官補佐役だ。通してもらおう」
「若造が?・・・・・・まぁよかろう。くれぐれも賢人殿の機嫌を損ねるような真似はしないでいただこう」
「御親切にどうも。忠言、痛み入るよ」

 皮肉っぽく言っても流されるだけでである。慧卓は鉄面皮で門より通され、屋敷へと向かう。残されたパウリナは天を仰いで、当ても無さそうに飛んでいる野鳥の群れを見遣った。

「・・・ここは畑と鳥ばっか。つまらないですね、御主人」
「・・・臭うな」
「えっ・・・私そんなにきつかったかな・・・でも水浴びしてないからなぁ」
「お前じゃないわ」

 ユミルは冷ややかに突っ込みつつ、どうにも胸に蟠る一縷の不安のようなものを拭えないで居た。具体性を帯びぬものであったが、まるで虫の知らせのように燻っている。余りいいものでは無さそうだと思いつつ、どしんと身構える屋敷を振り返った。
 屋敷へと通された慧卓は玄関の扉が閉められるのを聞く。やがて執事らしき男がやってきた。

「・・・来い、キ=ジェ様がお待ちだ」

 階段を登って二階へと登り、左側の通路へと通される。男が通路半ばにある扉の前で止まり、その戸を開けて慧卓を通すと直ぐに戸を閉めた。
 そこで慧卓は漸く目的の人物と相見える。樫製の上質なデスクに肘を突きつつ、おのエルフは皺寄せた猪のような顔から、猪のような声で言う。

「・・・・・・それで」
「?」
「それで何が望みだ、補佐役殿?貴様の上司は、会話の小細工は好かぬ性質なのだろう?」

 挨拶も要らぬとばかりに男は単刀直入に聞いてきた。ならば此方もそう答えねばならないだろうと慧卓は思い、そのままに返す。

「・・・情報が伝わっているのなら早速本題に移りましょう、賢人殿。我等と一時的に手を組んでいただけませんか?王国と、エルフの未来のために」
「ふん、人間共の考えそうな事だ。大方、調停官の方も別の奴に接触を図っているのだろうな。或いは、もう既に図っているか」
「予定通りであれば、もう既に結果が出ているのかもしれませんね。調停官殿が御話をされるのは穏健派と名高いシィ=ジョス殿。エルフには珍しく他の種族にも偏見を持たぬ方だと聞いております。会談は平穏且つスムーズに行われる事でしょうな」
「そうかもしれん。だが人間とは愚劣な生き物でな、気にする所をちょいと叩いてやれば、直ぐに激怒するというものよ。案外拗れているかもなぁ?」

 慧卓は黙して反応しない。不愉快げに目の前の賢人は鼻を鳴らした。

「第一、俺は人間が嫌いだ。人間共の底の浅さには、常日頃から辟易しておる。この間もそうだ。向こう側から犯罪者共が流れてきおったわ」
「犯罪者、ですか。向こう側とは人間の?」
「当たり前だ!!自治領の法も知らず、農家の娘を嬲った末に殺しおった!・・・あの者の家族には申し訳ない思いをさせたわ・・・。それもこれも奴等のせいだ・・・なんでこっちに来たか分かるか?」
「・・・王国で犯した罪から逃れるために?」
「ああ、俺とてそう思ったっ!だがあいつらは拷問で何を言ったと思う!?『エルフの女を犯したかったから』だとさ!!何と舐められたものよっ!!」

 慧卓はうんざりしたような気分になってきた。この頑固なエルフは人間と会話をするのが嫌いらしい。外交など何も考えていないようだ。

「我が村に立ち入る人間はあの事件以来全て、貴様らも見たであろうが、ああやって鳥葬に処しておる。光栄に思えよ、貴様等は最初の例外だ」
「・・・主神の御加護に与る我等民草は、貴賎の差なく平等に同じ王国の民であります。そのような者がかくの如く罪を犯し、賢人殿の御手を煩わせた事、この場を借りて謝罪します。申し訳ありません」
「・・・ならば手を貸すのだ。それで貴様等の謝罪を受け入れてやろう」

 その上に更にうんざりする。この男、頑固なだけでなく欲深い一面もあるようだ。為政者として正しいのではあるが腹が立つものであった。

「・・・如何様にも承りましょう、賢人殿」
「モリガンの弓に掛けて、その言葉、信じるとしよう。・・・実は俺には息子が二人居てな、兄のホツは狩猟を得意とする偉丈夫で、弟のソツはまだ戦士の見習いだ。二人は今狩猟に出掛けておって、明日の夕方には帰ってくる予定だ。二人が帰ってきたら話してみるといい。その後で俺の用件を聞いてもらおう。その方が分かりやすいだろうからな」
「・・・となると、此処に滞在する事になりますね。長くなるかは分かりませぬが、どうぞ宜しくお願い致します」
「勝手にしろ。・・・そういえば貴様、連れが居るそうだな?おそらく一階で接待を受けて居るだろう。見に行ったらどうだ?」
「?接待ですと?」

 疑問符を浮かべた慧卓に男は手の甲を向けたまま、掌を振った。もう用は無いようだ。慧卓は思わず安堵を浮かべながら一礼をして部屋を後にし、言葉にあった通りに一階に赴く。そして、俄かに開けられた部屋の戸を見つけると其処に己を入り込ませ、暫しの間呆然とした。

「あ、ケイタクさん!この果物美味しいですよ!えっと、名前が・・・?」
「タイルトゥ=ブドウだ・・・」
「そうタイルトゥ!!酸味が良いんですっ、酸味!ほら、ケイタクさんのも取っておきましたから、一緒に食べましょ!」
「すまん、止めたんだがな・・・」

 本当に接待を受けていたようだ。籠に載せられた葡萄を嬉しそうに食べるパウリナと、申し訳無さそうに眉を垂れさせるユミルと、何も言わずに只管葡萄を食している少年エルフ。それらを見詰めてどこか得意げの執事。
 慧卓は諦観で、というよりも吹っ切れたように笑みを漏らす。

「まぁ、いっか!一緒に食べましょか!」
 
 もう面子などどうでもよくなったようだ。暫しの間、ただの友として会話と食事を愉しむのも悪くは無いという気分なのだろう。慧卓は年相応の晴れた笑みで葡萄を摘むと、数粒を一気に口に頬張って噛み締める。パウリナの言葉通り酸味のある、慧卓からすれば熟し切れてない味わいである。しかし美味だ。渋い皮も食べれるし、硬い種は無理にでも噛み砕く。歯応えのある葡萄とは初めてであり、慧卓は己の立場を忘れて食事を愉しんでいく。



ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー



 慧卓らが葡萄を愉しむのと同刻。彼らが住まうエルフ領内の仮住居では、キーラが暇そうに溜息を漏らしていた。両手を重ねてその上に顎を乗せて机に突っ伏し、椅子から投げ出された足はぶらぶらとしている。

「・・・はぁ。アリッサさん、遅いなぁ」

 そう言ってキーラは傍にあった地図の巻物を見詰めた。本来ならばもう帰ってきても良い頃合なのだが、アリッサは未だ帰ってこない。向こうで接待を受けているのであろう、そう考えれば不思議ではなかったが、キーラにとってはつまらないものであった。自分からどう動いたらいいものか未だ分からず仕舞いの彼女にとって、年上で、且つ冷静な仕事人間であるアリッサの助言はできれば欲しいものであったからだ。
 更に不運な事に、ここに居ないのはアリッサだけではない。

「リタさんは食事の準備だし、リコ君はまた測量だし・・・。私こんなに暇でいいのかなぁ・・・」

 立場上、兵士に聞くわけにもいかない。「私、何をすればいいですか」などとは。誰も彼女に奮起を促す事は無い。動くための原動力は自分自身の活力のみであった。

(駄目駄目っ。マイナス思考は駄目だって!ケイタクさんを見習わなきゃっ・・・。いつだって前向きに!家族のためでしょ、キーラ!)

 キーラは両頬を軽くぱちんと叩いて目を覚まし、頭に澄み切った水をイメージさせる。心を落ち着かせ、勉学に励む際にはいつもこの想像が彼女の役に立っていた。

(・・・そういえば、文献貰ったんだっけ)

 そのイメージは図らずも、彼女に文献の存在を告げてくれたようだ。キーラは部屋の本棚に足を運び、数冊を適当に掴んで机に置き、ぺらぺらと捲っていた。そして眉をぎゅっと顰めた。

「・・・やだ、全部昔のエルフ文字?ちょっとしか分からないよ・・・」

 まるで常夜を這いずるミミズである。理解してしまう自分自身の知識が恨めしかった。頭を無性に掻きたくなる思いでキーラはそれを読み飛ばし、次の本を、そして次の本を捲っていく。
 二時間後、六冊目にして漸く、彼女は捲る手を止めた。

「・・・怖い絵・・・『ヴォレンドの惨劇』、か」

 エルフの昔語りを説いた本であった。女が針山へと突き落とされ、巨大な赤い目がそれを無表情に見下ろす絵である。キーラはそれを見て嫌そうに目を瞑ってページを捲り、再び手を止めた。

(あれ?このアミュレット、どこかで見たような・・・?)

 彼女が見たものとは、一体の骸骨を取り囲む三つの道具の絵である。文章から解釈するにその骸骨はかなり昔の偉人、それも高貴な身分の者であると分かった。彼女が特に目を惹かれたのは道具の一つ、アミュレットだ。その形状とよく似たものを、王都のどこかで見た記憶が有るのである。それも誰か、身近な人物が付けていたような気がする。
 途端、『どかどか』と、速足に入り戸に近付く足音が聞こえた。

「!だ、誰?」

 思わず叫んで、キーラは傍の武器棚にある剣にそっと目を走らせた。だがその音が入ってくるのと同時に警戒は直ぐに消え、代わりに疑問と驚きが生まれる。入ってきた足音とは即ち、エルフの子供達のものであったのだ。

「あ、貴方達!こんな所に来ちゃ駄目でしょ?お父さんやお母さんにバレたら大変だよ!」
「・・・・・・戻るのは嫌ですから」
「うん、やだ」
「で、でも貴方達はエルフで、私は人間よ。私達は貴方達の御両親や、この森を治める偉い人にも嫌われている。そんな人と一緒に居たら、きっと貴方達、御説教を受けちゃうわよ?悪い人と一緒にいちゃいけませんって。だから早く帰りなさい」
「嫌ですっ、ここに居たい・・・」

 子供達の瞳に哀願を見て、キーラは出掛かった言葉を飲み込む。逡巡の後、キーラは溜息混じりに妥協する。

「皆、其処に座りなさい。今御茶を出すから」

 子供らは藁椅子にぺたぺたと座り、安心したように目を交わしてお喋りをし始めた。キーラは奥の方へと行き、人数分のカップと御茶を用意する。

(はぁ、困ったなぁ・・・。どうすればいいんだろう・・・)

 心中に溜息を零し、カップに湯気上るハーブティーを注いでいく。円やかな味わいで男女と年齢問わずに人気である、クウィス領内の茶葉だ。注ぐと薄い黄緑色の水面が浮かぶのが特徴である。
 盆にカップを載せてキーラは戻っていく。子供らが彼女を見て会話を止めたのが、微妙にショックであった。

「はい、ハーブティー。お腹がぽかぽかするよ」
「・・・僕、冷たいのがいい」
「苦いの、ぃや」
「と、とても美味しいわよ。ほら、私だって大好きなんだから」

 遠慮の無い言葉にかちんときながらキーラは子供らの前と自分の前にカップを置いた。誰もそれに手をつけず、キーラだけがそれを飲むのが更にショックであった。

「そ、それで、どうして皆此処に来たのかな?戻るのは嫌だって言ってたよね?」
『・・・』
「あ、あのね、別に難しい事を聞きたいわけじゃないの。ただね、私も皆が何の理由も無く、此処に来てるのがちょっと不思議なんだ。だからもしできれば、此処に来た理由を教えてくれると、私も助かるんだけど・・・だめかな?」
「・・・・・・お父さんが怖いから」
「・・・そ、そっかぁ、お父さん怖いかぁー」
「怖い。棒で僕を叩くんです」
「・・・」

 思わず聞いた言葉にキーラは絶句して閉口する。彼女の戸惑いに気付いたのか、それを言った少年が言う。

「この前も怖かった。礼儀がなってないって、水桶に頭を突っ込まされた。あと、勉強が出来てないからって、お腹を殴られた」
「酷い・・・それって普通じゃないよ?」
「分かってます。こいつの家はちょっと変なんです。こいつのお父さん、滅茶苦茶怒っちゃうと胸を抑えてひくひくするんです。息も苦しくなっちゃうみたいで・・・」

 子供らの中で一番年上であろう、灰色の髪をしたエルフが言う。それに続いて皆が次々と言う。

「絶対腹いせだよ、あれ。怒らせないようにって気を遣ってるからあいつ、調子に乗って直ぐ殴ってくるんだ」
「そうだよ、直ぐに怒るし、蹴ってくるし。あんなの大人じゃないよ!」
「仕返ししようよ。僕達もなんとかしないと、あいつずっとあのままだよ?」
「でも怖いよ・・・。あの人、怖い衛兵さんと御友達なんだよ?仕返ししたら、また何かされちゃう・・・」
「また?」
「はい・・・皆で、ちょっと軽い仕返ししたんですけど・・・こいつのお父さんがそれをチクって・・・。そしたら衛兵さんが、『これは折檻だ』って、これを・・・」

 そう言って少年は己の服の袖を捲くり、それを見てキーラは思わず泣きたくなる思いになった。少年の若々しかった二の腕の部分の肌が、焼けて赤黒く変色している。焼きごてでも押されたのであろうか。キーラが知っている子供への懲罰とはかけ離れたものであった。

(酷過ぎるよ・・・なんでこんな事するの?でも、どうしよう・・・私の対処できる範囲を越えてるよ、これって・・・)
「だから、その、僕達を匿って下さい。ほんの少しの間でいいんです。あいつのお父さんが、狩りで居なくなるまでの間でいいですから」
「狩猟・・・冬に備えて、獣を狩るのね?」
「ううん、それは狩人さんの仕事。お父さんが居なくなるのは、魔獣を狩るため」
「魔獣?」

 思わず毀れた言葉に、キーラは己の職責を思い出した。

「ね、お前の家もそうなんだろ?」
「うん。あの、なんだっけ、そうだあのでかい山に行くんだ。結構近いよね?」
「近くじゃないよ遠くの方だって。だって白の峰だろ?俺父さんに聞いたんだけどね、なんかね、賢人様の命令だからって言っていたよ」
「賢人・・・?」

 更に呟かれた言葉に、キーラは政治の匂いを嗅ぎ付ける。唇を指で隠して考え込む。
 
(奇妙ね、魔獣の駆除なんて・・・。子供達の話が嘘にも思えないし、私に嘘を吐こうとするようにも思えない。きっと本当の話なんでしょうね。
 ならどうしてこの時期に出兵なのかしら?第一魔獣なんてエルフ領内でもそれなりに駆除されているんでしょ?村や住居に近い場所に魔獣が出ない以上、遠くの方に出兵する意味や必要性があるの?それも白の峰って、かなり遠方じゃない。ちょっとやそっとの勇気で行ける場所じゃない。・・・何か裏がありそうね、この話)

 キーラがそこまで思慮を回していると、ふと己に注がれていた子供らの視線に気付いた。不安げに問うてくる。 

「ねぇ、泊まってもいい?」
「・・・いいわ。でもお父さんやお母さんにはどう言い訳するの?」
「それは・・・」
「・・・分かった。じゃぁこう伝えなさい。『王国からやって来た人間のお姉さんの所で、いっぱい御勉強したいです。だから、暫くあの人の所へ行ってもいいですか』って」
「・・・大丈夫かな?」
「もし御両親がきつい顔をしたり、反対したらこう言いなさい。『調停官様が、エルフと仲良くしたいから』って。そうすれば、きっと賢い御両親は手を引いてくれるわよ」
「本当に?」
「うん。なんたって調停官様、エルフの一番偉い人と仲良しなんだからね」

 キーラが言った言葉には事実と相反する嘘が混じっている。即ち、別に調停官はエルフの長とは仲が良くない、というよりも仲が悪い。しかし子供らの親を怖がらせる目的においては、調停官とエルフの長の関係を臭わすのも悪い手ではないのだ。
 子供らは一様に安堵した表情をして、ここに来てやっと小さく笑みを浮かべた。キーラも釣られて安堵の笑みを漏らし、漸く彼らがハーブティーをちびちびと飲んでいた事に気付いた。

「ね、ハーブティー、どうだった?」
『まずい』
「・・・・・・そっか、不味いかぁ・・・」

 本日三度目のショックを受けて、キーラは思わず涙が出掛かった目頭を押さえた。 



ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー



 夜の帳が真っ暗に降りる頃、王都の宮中にある一室で、疲れを伴った可憐な唸り声が明かりを突き抜けた。羽ペンをテーブルの上に置きながら、王女コーデリアは肩に溜まった疲労を解そうと指で揉み解している。彼女の後ろで本日最後の書類が滞りなく裁可された事を確認した侍従長のクィニが、恭しく頭を垂れた。

「本日の政務は以上となります。お疲れ様です」
「お疲れ様。じゃぁ、私は自室に行くわ」
「承知致しました」

 コーデリアは立ち上がって、貴族らしい気品のある足取りで執務のための部屋を後にし、己の自室へと向かう。王女が裁可する書類というのは中々に種類と量が豊富である。政務執行に伴って国王陛下か王女殿下のサインが必要であるという規則がそれをいわせるのであるが、ここ最近は特に多い。秋に行われる一大軍事演習のためのスケジュール管理、人事等に対する認可、傷病兵の異動に関わる裁可など、例を挙げればきりがないものであった。王女にまで回す必要があるのかという疑問もあるが、姉である第一王女は嘗てこれらを文句一つ言わず完璧にこなしていた。ならば自分がやらない訳にはいかないのである

「今宵の寝巻きは此方になります。では失礼して・・・」

 何時の間にか自室に戻っていたらしい。クィニが蝋燭の火をぼぉっと燈してくれた御陰で、キングサイズの寝台に置かれている明るいピンクのネグリジェが見えた。寝台の手前でコーデリアは止まり、クィニが澱み無い動作で彼女のドレスを脱がしていく。若さが溢れる肌が露になるが、直ぐにピンクのネグリジェによって包み隠された。魔法の如き手早さで以ってクィニは王女の着替えを済ませたのである。

「それではお休みなさいませ、コーデリア様」
「お休み、クィニ」

 彼女が立ち去るのを待ってから、コーデリアは寝台に向かい、だらしなく倒れこんだ。

「はぁ・・・疲れた・・・」

 四十手前の妙齢の女に相応しき声色であった。本当に疲れている事が窺える。書類一つ一つに集中して裁可したためであろう。生真面目な性分というのはこんな時にこそ負荷を与えてくれるものだ。だからといって重臣からの報告書や嘆願書・始末書・起案書の類には、絶対に手を抜く事は出来ないのも事実であった。それが民草の生活に直接の影響を与えると理解しているからだ。
 ついでに言えば午前中は時たま出席する貴族界における必須技術、身体全体で行う芸術、ダンスの訓練を受けていた。これも貴族の面子と社会のためであると思えば苦にはならないが、疲労は蓄積する一方であった。

(・・・ケイタクさん、今頃なにやってるかな・・・)

 ごそごそと己を蠢かせ、仰向けに転がる。水色の髪が身体に敷かれて首筋にくすぐったさを伝えてきた。

(私、凄く頑張ってるよ。王国に生きる人達のために、沢山の政務をこなしている。皆の役に立ってるって自覚が凄く出てきたよ)

 脳裏に映る想い人の姿はあの夏の日以来、一向に翳ったり薄れたりする事は無い。それどころかより陰影はっきりとなる一方である。恋する女子の妄想たるや、その脚色ぶりは瞠目に値する。

(ケイタクさんはどうしてるのかな・・・。キーラとアリッサが一緒だから、御仕事の心配は無いんだけど・・・でも、流されやすいからなぁ・・・)

 彼女が心配する慧卓という男性は、若さと熱意のある男性ではあるが、それが時たま思い余って暴走する事もある。それが色仕掛けだった場合、彼はそれを断る術を知っているだろうか。

(・・・本当に流されていたらどうしよう・・・)

 ひょんな事から貞操を喪失するという事態にもなるかもしれない。一度そう考えると思考は嫉妬の弩壷へと嵌まり込んでしまう。その妬みはあの夏の情熱的な接吻に向けられた。

「むかつく・・・もっとしてくれてもよかったのに・・・」
 
 もし今、丁度誰もが静まる夜闇が到来しているが、その闇に付け込んで誰かといちゃついていたら。それがコーデリアにとっても親しき女性であれば一応の理解は出来る。だがエルフの女に篭絡されたとあっては殺意が芽生える。去勢させる覚悟を強いるかもしれない。
 一度火が付いてしまった熱はそう簡単には冷えぬものである。疲れ切った身体であるに関わらず、どうにも頭が冴えてしまった。

「・・・はぁ、寝れないよ・・・」

 嫉妬の熱が身体を火照らせ、どうにも変な気分に陥ってきた。初めてハーブの薫りを嗅いだ時も、これに似たような感じを抱いた事があった。身体の奥底にある渇きを刺激するような感じだ。

(・・・・・・)

 段々とコーデリアの珠の如き麗しの肌に赤みが差してきた。息苦しそうに頸元を緩めてほぉっと息を出す。殿方が見れば邪な思いを致さずには要られぬ、高貴さの中から発露した色気のある息遣いである。己の知識がこのような状態をなんと言うか冷静に、且つ否応無しに告げている。コーデリア=マインは今、欲情しているのだ。

「っ・・・はぁ・・・」

 芯が震えていそうな声を漏らし、コーデリアは己の胸元へと手を滑り込ませた。服越しではない柔らかで艶かしい膨らみ越しに、どきどきと拍動する命の鼓動が聞こえる。

(やだ・・・凄いどきどきしてる・・・)

 灯の点いた心はそれを制御できない。コーデリアの手はゆっくりと己の胸を揉みしだく。慧卓にとってみれば俄かに手から毀れる程度のそれであり、彼女にとっては手から溢れるほどの大きさである。故に揉みしだく際には膨らみの幾許かが生温い空気に触れる事となってしまい、物足りなくなってしまうのだ。頂にある桜色の突起を掌で転がし、押し潰す。
 コーデリアは片手で己の胸を揉み、もい一歩の片腕は艶やかに頭の近くに投げ出していた。声は段々と拍子を早めており、閉じられた瞳の奥には愛情の滴が震えているかと思えるほどであった。

(声が漏れちゃ、クィニにばれちゃう・・・)

 思わずそう懸念が出てしまうほど今の彼女の胸中は昂ぶっていた。常日頃からこのような行為に吹ける訳ではない。だが慧卓という男性を意識して以来、特に接吻を交わして以来、度々このような気分に陥る事があった。それは夢見がちで淫靡な想像によって生み出される。政務の傍ら、果ては用を足す傍ら。うっかりと夢想してしまった日には想いが想いを呼び込み、手がつけられなくなってしまう。そのような時は一応その場で気分を収めて、皆が寝静まった夜で己を慰めるのが常である。だが今夜のように嫉妬から想いが滾る事など無かった。我ながら余程重症であると、コーデリアは自慰の傍らに思う。
 コーデリアに自覚はないのであるが、その身体つきは王女に相応しき豊かさと繊細によって保たれている。恐らく、彼女の均整の取れた彫刻ともいうべき裸体を見れば、多くの男達が身悶えするほどの興奮を覚えるであろう。彼女にとって重要なのは、慧卓もその内の範疇に入るかであった。無論入るであろう、いや入らせてみせる。そんな女としての気概がコーデリアの胸中にはあり、偶然にも己を昂ぶらせる一助ともなっているのである。慧卓に相応しき女であるには色気も必要なのだという言い訳が、熱帯びた胸を掻き立ててくれる。

「っ・・・ぅぅ・・・ああ・・・」

 頭の傍でもぞもぞとしていた手が胸中の熱に導かれるまま、するすると己の肌を下降していく。ネグリジェは大分乱れて人には見せられぬ格好となっている。下降する手は胸と臍を経由して、純白のショーツに爪を立てた。どこか恐る恐るとしながらも、彼女の指先は伸びていき、花園の突起に触れて俄かに食い込む。ぐちゅ、と水音が耳を打った。

「ぃっ!やっぱり・・・すごい」

 一種の驚きが身体を静電気のように走った。つんと押された指先が良い具合に刺激を齎してくれたらしく、胸の炎は欲深く輝きを増した。コーデリアはその炎の導きのままに潤いを帯びたショーツの中へと手を滑らせる。生まれつきの無毛の小さな丘を滑り、甘い蜜が湿る花園の孔へと指が入り込む。ちろちろと指を蠢かせれば熱帯びた壁がそれを軽やかに歓迎してくれる。それとて性を伴う刺激になるのはいうまでもなかった。
 最早言い逃れの出来ないレベルで、愛撫の手は大胆さを増していた。自室の寝台での出来事でなければ唯の痴女の所業である。一皮剥けば貧民の娼婦も、貴族の令嬢も同じ構造を持つものだというのか。コーデリアもその例に漏れず、両手で別々の熱と水気を感じながら、己の想い人を夢想した。不埒にも、まだ見ぬ想い人の逞しき槍を、である。

(ケイタクさんの・・・おっきいの・・・)

 知識でしか知らぬそれをコーデリアは頭の中で作り上げる。己を貫き絶句の至福と快楽を与えるであろうそれを夢想し、息が苦しさを増すように昂ぶった。心成しか蜜壷に入った指がより多くの水気を感じるようになった。

「はぁっ・・・ああ・・・あんっ・・・」

 どことなしに暗い感情が伴った指の動きだ。自分気ままな妄想の果ての自慰であるから誰にもそれを打ち明かせない。故に胸の炎をを一人で解消せねばならず、突き入れる指が一本から二本に増えて、胸を捏ねる手に淫らさが増すのが別段不自然な訳ではないのだ。彼女にとってみれば、全てが慧卓のせいなのだから。

(だめっ、凄い昂ぶってる・・・)

 身動ぎした程度では股座の水音を掻き消す事は出来ない。頬は真っ赤に染まって林檎のようであり、陶磁器のような肌には汗が浮かんで危なげな美しさを醸している。妖艶な声が幾度も漏れては己の気持ちを昂ぶらせ、只管に性についての夢想を描き立ててくれる。自分が好いている男を想っての慰めとはかくのごとく淫蕩としたものであり、そして寂しきものであったか。
 寝巻きと下着は体液に濡れて「包み隠す」という重要な役割を放棄している。気付けば胸の高鳴りは最高潮に達し、漏れる息も汗も欲情のままに火照っていた。掌に感じる胸の柔らかみも、二本の指が弄る花園の肉も、気分を大いに盛り上げようと淫らに弾けるようだ。そしてその時が訪れる。

「っっ!!いっ・・・!!!」

 声にならぬ可憐な呻きを漏らしてコーデリアは瞳をぎゅっと閉じ、びくびくと震えた。不意に涙が目端から毀れて寝台のシーツに落ちる。その間にも美の体躯は身体の奥底から迸った性の刺激に痙攣し、妖艶な水を流していく。今まで感じた中で最高峰の法悦であったのだ。望外の高ぶりに身体も今まで以上に敏感になってしまったのは、乙女の秘密であった。
 行為を終えた後に荒げた息を整えながら、コーデリアは己の心が段々と冷静になっていくのを感じる。そして己の何とも馬鹿げた格好に呆れてしまうのだ。

「はぁっ・・・はぁっ・・・もう、止めよう・・・寝れなくなっちゃう・・・」

 秘所から手を退けて衣服の乱れを整える。汗を拭く余裕もなかったが、力を振り絞って肢体の間に流れてしまった情熱は何とか拭い取った。これで胸中にある熱も拭い取れたら、どんなに寝易い事かと思う。

(・・・私、こんなに淫らだったかなぁ?)

 寝台に横たわって瞳を閉じるコーデリアは、そう己を述懐した。たかが数ヶ月程度の間によくも自分はここまで変わってしまったものだ。それもこれも慧卓が悪いのだろう。眠気にまどろむ夢想の中で、謂れの無い謗りを受けた慧卓が慌てふためくのが容易に想像できてしまい、くすくすとコーデリアは笑みを零した。

 
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