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王道を走れば:幻想にて

作者:Duegion
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第三章、その5の2:一日の終わり


 朧のように差し込む夜光と静謐に混じり、雷のように宙を裂く剣閃の協奏が木霊する。売り文句を刻んだ立て看板が示す王都のその建物は今では、売主や買い手達の利益と夢想に対する思いを蹂躙している。床一面の血の海と多量の死骸、或いはその一部。饐えた臭いが立ち込める中で響く剣戟の音は、正に地獄の様相に相応しき音楽であった。
 奏者の一人であるミルカは、相対する男の剣閃を身を捻って裂ける。信じ難いほどの力が篭った剣の切っ先が石壁に当たり、壁の一部を零しながら剣の切っ先が砕かれる。普通の者ならば剣を捨てるであろうが、この男にとってはまだ使いようのある得物だ。素早く剣を返してミルカの頚部を狙うも、割って入ったミルカの剣に遮られ、それを弾き飛ばすだけに留まった。勢いに押されてたたらを踏むミルカを庇うように後背から慧卓が中段より切り掛るが、男は素早く踵を反転させて剣閃を押さえ込み、慧卓に近寄って渾身の力で跳ね除けた。

「うおっ!?」

 後ろへ大きく後退する慧卓に一気に詰め寄り、凶刃を真っ直ぐに突き出す。慧卓は剣の腹でそれを受け止め、防ぎながら床に転がる。身体を倒すと同時に剣が弾かれて吹き飛び、男の剣も更に欠けた。最早刀身半ばのみしかないそれを男は慧卓に向かって投げつけるが、足で持ち上げられた死体によって妨げられる。慧卓は床に転がる剣へと飛びつきながら、男の膂力に歯噛みした。

(重さだけかっ!!だがそれがっ・・・!!)

 己を大きく後退させた男の力は想像の遥か上を行くものであった。剣越しに肩が間接から外されそうになる感覚を味わい、一瞬肝がかなり冷えてしまった。
 耳をつんざめく鉄の高調子に急ぎ目を遣る。ミルカが男に詰め寄って剣を払ったが男はそれを鎧でそれを防いだらしい、剣による深い筋が銀色の肌に刻まれていた。男は柱の影に回ってミルカの鋭き剣閃から避けると、その影に落ちていた憲兵の上半身をむんずと掴み取り、立ち上がりかけていた慧卓に向かって投擲する。

「はぁっ!?」

 自らに迫り来る奇怪な代物に慧卓の思考は一瞬硬直し、そして大腸をひらひらとさせながら飛来する胴体に押し潰される。男は床に転がる憲兵の下半身の近くから剣を拾うも、ミルカが素早く慧卓の前に立ち塞がって、男の接近を妨げた。

「・・・大丈夫ですか?」
「・・・平気。ちょっと血が出てるだけだ」

 躯を押し退けて慧卓は姿を現す。鎧に衝突されてその継ぎ目が擦ったせいか、鼻の頭から左頬にかけて赤い斑点が出来ており、左目の下に小さな切り傷が出来て血液を零していた。
 戸口の方で蹲り只管に戻していたパウリナは青褪めた表情をしながら、慧卓らへと声を掛けた。

「あの、私も助けに・・・」
「気分がやばいんだろ?俺達に任せておけって・・・」
「・・・・・・おえっ・・・」

 食道に残っていた吐瀉物が再び込み上げてきて、パウリナはまた顔を背けた。
 慧卓はすくっと立ち上がって部屋の左方へと、ミルカは右方へと足を運んでいく。

(さて・・・どうしたものですかね)

 階段の前に立ち塞がる無機質な男を見詰めながらミルカは思考を巡らせた。
 
(人に非ざる膂力、人に非ざる無感動ぶり。ただの憲兵が自力でなんとかしているとは思えない。何らかの呪縛が施されていると考えた方がいいでしょう・・・)

 持てるだけの神経を注ぎながら、ミルカは悟られぬように荒げた息を整えていく。男は鉄のような無表情を浮かべたまま、赤黒い眼光を地面に落とし、上段の構えを崩さないでいる

(・・・しかし幸運は尽きていない。数合以内なら此方だって剣を打ち合える。相手も確実に肉体の限界に近付いているんだ・・・。速さとタイミングで、一気に決めましょう)

 ミルカの歩が止まり、それに合わせて慧卓も遅れて歩を止めた。両者、共に男から数メートルほどの位置に立ち、身動ぎもせずに針のような視線を男に注いでいた。

「・・・はぁ・・・はぁ」

 慧卓は己の胸の中で鳴り止まぬ心臓の音に口を開き、其処から何度も荒れた息を零していた。血肉を刻み合う初めての実戦に、彼の精神はどんどんと窮しているようである。而して己よりも若く、そして経験豊かであるミルカが奮起してくれているだけあってか、心に幾許かの余裕が生まれて、そして己の鼓舞にも繋がっている。
 それが勇み足と繋がったのか、慧卓は剣を正眼に構えてすすと靴を擦り合わせて男へと近寄っていく。ミルカが目敏く視線を向けるが黙したままだ。時代劇での歩方を思い出しながら慧卓は足を近付け、その爪先で血の溜まりをぴちゃっと踏みしめた。瞬間、男の狂気の視線が慧卓に向かった。

「っ!!」

 慧卓はそれに呼応するように剣を振り上げて一気に袈裟懸けに斬る。隙の多い一手であるが故に男の剣がそれを受けようと振られるが先んじて機転を制したお陰か、または鍛錬のお陰か、慧卓の剣が最高の勢いを得た瞬間に男の剣を迎えた。一段と強く甲高い音を鳴らして剣同士が弾き合い、男の剣が俄かに引き戻された。隠しようの無い隙であった。

「ああああああぁぁっ!!」
 
 咆哮を上げながらミルカは一気に疾駆する。男がそれに反応して剣を向けようとするも、機転を制した慧卓が逆に詰め寄ってきてその手を柱に押さえ込んで拘束する。男は空いた手でそれを引き剥がそうとするが、この瞬間、男の左肩は完全な隙を晒していた。ミルカはそれを逃さず鎧と鎧の継ぎ目、その肩の部分に剣を滑らせた。そして勢いのままにそれを振り下ろす。鋼鉄の肌と比べればまるで木屑のような軟弱さを持ったその継ぎ目が裁断され、中の肉に鉄刃が一気に侵食していった。剣を握る手から肉を断ち切る感触が伝わり、ミルカは勝利の確信を抱いた。

(よしっ!!)

 その勇壮で小さな美顔が、走り抜ける衝撃と共に歪んだ。男が放った直刀蹴りが脇腹を蹴り付け、まるで其処に存在している鉄の鎧を無視するかのように、ミルカの腹部に強烈な衝撃を与えた。   

「っ!?!?」

 一瞬動きが止まって剣による裁断が止まり、嗚咽が口元から毀れそうになる。男は痛覚が通っていないかのように振り落とすように無理矢理左腕から剣を引き離すと、その手でミルカの襟元を掴み取るとその矮躯を片腕だけで放り投げた。軽々と投げられたミルカは顔面から壁にぶつかり、悲鳴を零す事もなしに力無く床に転がった。

「ミルカ!!!!」

 慧卓が思わず叫び、拘束の手が俄かに緩んでしまう。男は右手を振り回すように押し遣って慧卓を退かせ、解放された剣を逆袈裟に振り回す。慧卓はそれをかろうじて剣で防ぐも勢いを正面から受けて足をずずずと後退させ、次いで飛んできた直刀蹴りに胸を打ち、壁に勢い良く背中を打ち付けて地に伏せた。
 慧卓は咳き込みながら頭を上げて、身をなんとか起こしていく。胸部からずきずきと走る痛みは、セラムに来た始めての日に感じていた、あの懐かしき骨に皹が入ったような痛みと似たものが響いていた。而してその瞳は沈鬱なものとならず、寧ろ爛々と燃え盛るものがあった。

「・・・容赦なんて・・・するもんかっ」
「・・・そうですよ。絶対に赦しませんって・・・!」

 慧卓は瞳を向ける。戻すものを全て戻し終えたパウリナが、血池から剣を拾いながら男に向かってその切っ先を向けていた。最早床に転ぶ剣は無い。無事なままで居た最後の一本が、吐瀉の匂いを口から漂わせるパウリナによって握られたのだ。

「お、おい。大丈夫なのかよ?」
「見苦しい姿のままで、御免なさい。でもっ、私を助けてくれた人が嬲られるのを、ゲロ吐きながら見続けるなんて無理ですからっ・・・!」
「・・・無理はするなよ」

 慧卓は大きく深呼吸をして、改めて男を睨み据えた。左腕の二の腕辺りからどくどくと勢い良く流血しているに関わらず、男は人形のような鉄面皮で睨み返してきた。良い度胸であると、慧卓は更なる闘争の心を滾らせていった。  



ーーーーーーーーーーーーーーーー

「・・・俺はあの後、マティウスに呼バレて研究室に居タ。・・・お前ガ仕事を受ケタ部屋ダ」

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 あいつは何時ものように室内を暗く閉ざし、松明の明かりを頼りに手術台に向かって何やら作業をしていた。背中姿ではっきりとは見えなかったが、あの時の臭気は今でも覚えている。生臭さを隠す事を微塵も考えない血の臭いだった。

『やぁビーラ、我が息子よ。まぁ楽に掛けてくれ』
『世辞は不要ダ。一体何の要件デ俺を呼んだ?』
『相変わらず釣れないねぇ。君は人との接し方に著しい欠陥を担いでいるよ。・・・まぁいい。お望みならば本題に入ろう』

 奴は振り返り、肘辺りまで赤く染まった灰色のロープを躍らせながら俺に任務を告げた。

『明日の未明、タイグース樹林で盗品商人がある人物と密会を行うという情報を掴んだ。死霊術に関する重大な代物を手渡す心算でいるらしい。しかも驚いた事に、取引相手は凶悪な殺人犯である事が判明した。
 ・・・我等魔道学院はこれを断固として阻止する義務と責任がある。死霊術は魔人の魔術。決して唯の柔な人間が触って良いものでも、扱って良いものでもない。分かるかね、ビーラ?』
『・・・ソウだな。お前ノ言う通りダ』

 あいつは魔術学院の教授である以上魔術に対する熱意、そしてとりわけ召還術に関する技術は常人を上回ったものだったが、しかし一方で悪魔のような気狂いな物の考え方に取り付かれていた。だから其の為に魔術とは無関係の人間まで殺害するのは不思議ではないし、俺がそれを止めるよう諭す事が出来る立場でも無かった。納得してやったさ、何時もの事だと思ってな。

『話が相変わらず早くて助かる。君の任務はこうだ。私の兵と共に密会場所に潜伏し、商人達が密会を行っている時を見計らって奇襲を仕掛けるんだ。そして、その悪魔の代物を確保して此処まで持ってくるんだ。それに関する処分を、私が責任を以って行う』
『商人と犯罪者ハ如何スル?』
『殺すんだ。慈悲もかけるな。・・・仮に君達が逃したとしても顔さえ割れれば賞金頸として手配できる。意味は分かるかね?』
『分かってイル。仕損じタ場合に備えて、殺害対象の風貌や特徴ハ絶対ニ忘れン』
『・・・出立は明日は早い方が良い。兵達も既に待機している。成るべく早い内に顔合わせを済ましておくのだな』
『そうシヨウ、ではこれデ・・・』
『ビーラ』

 奴は研究室を出ようとした俺に振り向いて、そして嫌味ったらしく言ったよ。

『愉しんで行けよ』

 何時もの狂いっぷりに輪にかけて冷酷さが増したような表情で、思わず背筋が震えたな。だが俺はそれすらあいつの唯の気紛れだと思い込んで、その場を後にしたんだ。  



ーーーーーーーーーーーーーーーー

「そシテ、俺は奴ノ私兵達と共に樹林ニ向かイ、その時を只管ニ待ったヨ」

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 タイグース樹林。北嶺のエルフ自治領に近いその樹林の一角で俺達は身を忍ばせて待機していた。俺達が潜んで少し経ってから商人が乗った馬車が来て、そしてその後に一人の男が現れた。垂れ眉と垂れ目の、若さの溢れる男だった。そう、お前だ、ユミル。

(如何いう事ダ・・・何故お前ガ居る!?)
『なぁ、あいつらがそうだよな?』
『だな。商人は人相が間違いないし、もう一方の男は・・・少しはやるかもしれんが、狙撃で何とかなるかもしれん』
『よし、さっさと片付けちまおう。商談が立て込んでいる内にな。お前ら、配置につけ』

 私兵が散開していくのを見て、俺は慌てて私兵達の首領に向かって、命令の実行を引き止めようと言い訳を繕ったさ。・・・その口から出てきた言い訳も、僅かな時間稼ぎにすらならなかったのだがな。

『も、モウ少し待たんカ?』
『へっ!ビビってんじゃねぇぞ、糞トカゲ。今更男二人死ぬ程度でチビリかけてんじゃねぇぞ』
『そうデハなくテだな・・・そうだ、や、奴らが何ヲ渡ソウとしていルのか確かめナイのか?』
『言われてみりゃそうだな、物が本物か如何か見極めなきゃな。・・・お、ほら、今あいつが箱を開けたぜ。・・・間違いない、例のものだ。これでお前の懸念も晴れたな』

 俺は益々に焦りを募らせる一方で、私兵達はあっさりとその位置に着いてしまった。

『準備は出来たみたいだな。ほら、あんたの合図で皆動くんだ。外すんじゃねぇぞ』

 首領が睨んで来るのを見て、俺は恐怖を抱きながら弓に矢を番えようとした。だがその一矢が共に向かって放たれるのを考えると、指先が震えて如何にもならなかった。

『殺らなかったら、奴等より先に俺があんたを殺す。殺りな』

 俺は小心者だ。奴がそう囁くのを聞いて一気に恐怖が込み上げてきたんだ。その恐怖は友に対して危害を加える意思を抑えてきた、僅かな理性をあっさりと踏み倒してしまったんだ。

『・・・ックゥッっ!!』

 俺は矢を射った。結果はお前が語った通りだ。本来なら俺は真っ先に凶悪犯を狙い撃つ心算だったが、だが出来なかった。

『よしっ、命中だっ!やっちまえっ!!!』
『おおおっ!!!』

 そして俺は流れるままに生き残ったお前へと襲い掛かった。その場で踏み止まるのも私兵達に疑心を募らせるもので出来なかった。それに何より、お前へに対して隠しようの無い害意を抱いてしまった己が許せなくなり、それを抱くくらいならいっそお前を殺して早く忘れてしまおうと思ったんだ。 
 ああ、漸く思い出したよ。あの日は確かに、俄かに欠けた月が昇っていた。



ーーーーーーーーーーーーーーーー

「どうしヨウもなかッタ。あの男ニ逆らエバ、確実に殺さレルと思ったンダ。だカラやった」
「・・・・・・」
「お前が無事に逃ゲタ後、自分が最悪ナ人間に思えてキタ。友の命と己ノ命、それを他人ニ強制されるママに天秤に掛けようとタノだからナ。そしテ、最後は自分で天秤ニ掛けタ。・・・俺ハどうしヨウもない屑ダ。そして今モまだ、そのままノ自分を引き摺ってイル」
「・・・俺を襲った奴らは如何した?」
「・・・死んダヨ。皆、マティウスに殺さレタ」

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 俺は奴等と共に帰還して、疲労のために数刻寝込んだ。そしてその後に研究室に行ったんだ。戸口を開いた瞬間、今まで嗅いだものを遥かに凌ぐ、濃厚な血の臭いが身体を包んだ。そして室内に広がる光景に言葉を失った。

『・・・これハ、ナンダ?』
『おかえり、ビーラ。・・・ああ、随分と憔悴した表情だ。余程辛い目にあったのだろう?ほら、君の好きな虫漬けの麦酒だ』
『・・・マティウス、彼らハ俺と一緒ニ・・・』
『ん?・・・おお、そうだったそうだった、これは彼らだったんだ。原型が変わってしまったからすっかり忘れそうになっていたよ。ほら、随分と綺麗に仕上がったろう?特にこの部分、骨同士が噛み合ったところなんだが、此処は特に気合を入れて作ったんだ。・・・理論上では、これでもまだ失敗作の部類に入るんだが、それでも満足出来る一品さ』

 昔学院の図書館で見た事があったよな、紅牙大陸に古くから住み着く魔人の恐ろしさを語った絵本、『鳥達の啄ばみ』を。あれに出て来た魔獣、『インカルナティオ』にそっくりの風貌をした肉塊が手術台に転がっていた。・・・悪夢のような光景だったよ。
 本の記述通りに頭からは何本もの手が生えていた。虫のような拳大の複眼が二つ、神経の糸を伝って胸部から伸びていて、胸部から臀部が異様に肥えていた。その身体を支えるように細い足が何本も生えている。記述と違うのは、身体の彼方此方に鋼の糸が縫合されて部品のように身体を繋ぎとめていた事、そして身体全体が真紅に染まって肥大化していた事だ。そりゃそうだ、その『インカルナティオ』は私兵達の血肉を材料に作られたんだから。

『矢張り、傭兵を信用するものではなかったね。私の研究に色目を使って脅してきたんだ、命が惜しくば全ての財貨をよこせって。胸糞の悪い気分に陥った私は、正当防衛を働いた』
『ソレがこの結果だト?』
『そうだ。何を不思議に思っている?私は不要となった人体の再利用という、魔術の究極の目標の一つを成し遂げようとしたんだ。それがどのような形に帰結するにしろ、魔術の発展に大いに貢献する事は間違いない。とりわけ、死霊術にはね』
『・・・お前、何を考えテいる?』
『召還魔法の更なる発展だよ。死霊術は単にその体系に属しているに過ぎない、いわばただの手段さ。教会や学院が禁じているとはいえ、その有用性は他の魔術を遥かに上回るものであると確信している。或いは不老不死に最も近き魔術であるやもしれない。実効性は兎も角として、実に浪漫のそそる話だ、倫理に対する背徳感もあるから止められない。
 彼らは其の為の・・・いわば必要犠牲さ。社会的に疎まれる人間が犠牲となるならば、思考の次元が劣った皆もまた、喜びの声を上げるだろうね』

 恐ろしかった。私兵の首領から感じたのとは何倍も、いや何十倍もの畏怖が身体を支配したんだ。目の前に立つ人間が最早自分の親とは思えなかった。己の持つ常識や良心、そして正義を虫のように踏み躙る、人の皮を被った魔人、そのものに見えた。
 あいつは突然生暖かな瞳をしてこう言ったよ。

『ビーラ。突然だが、君を今日限りで解雇するよ』
『ッ!!』
『私の次なる実験には君のような劣悪な助手では満足な結果を生み出す事が出来ない。君が唯の他人ならば実験の出汁として搾り取っていた所だが、私は君の親でもある。よって温情を働かせようと思う。それを飲んでとっとと消え給え』

 正直、助かったという思いが真っ先に浮かんできた。だがその思いに浸るだけに留まらなかったのは、俺の僅かな勇気のためだったかもしれない。俺は直ぐに立ち去ればいいものの奴に事の真意を確かめようとした。

『・・・あの時・・・俺ガ向かっタ樹林で商人ト話して居た男。あれは矢張り・・・』
『ユミルだよ。最近、随分と調子が良い様子で公然と私に抵抗するようになって来てね。研究の一つが大詰めを迎えようとしているのに、手駒の一つが反旗を翻しては適わない。時が過ぎればその犯行は物理的な意味合いを帯びてくるやもしれない。だからだよ、彼をおびき出して殺そうとしたのは。
 ・・・作戦は失敗したようだが、奴が学院から離れた以上それも無問題だ。既に殺人の罪で賞金頸の申請を通している。明日中には、憲兵から手配書も配布されるだろう。奴の居場所は最早この近辺には存在しなくなるだろう、清々するね』
『・・・お前ニとって・・・』
『ん?』
『お前ニとって、友人トハ、子供トハ、家畜ノ餌でしかないのカ?』
『・・・誰を餌と見るかは私の価値観によるな。少なくともこいつらは餌だ。・・・君はまだ好きな人間に部類する、殺すような真似はしたくない。
 ・・・酒の隣に、金貨を詰めた袋がある。傭兵に出す金だったのだが、君が持っていって構わない。これから先、好きに生きていくが良い』

 そう言ってあいつは背を向けて、更に肉塊を弄くり始めた。奴の指が握る小さな針が、更なる魂を欲するように血を浴びて輝いていた。俺はもう其処に立っていられるのが我慢出来なくなって、酒樽を殴り飛ばすように小銭袋を掴んで逃げ出した。学院から、北方から、そして王国から逃げ出して帝国まで落ち延び、其処で金貨を叩いて浴びるように麻薬を貪り、強盗で身を窶した。情けない事に、あいつから教わった意識魔法が強盗の助けとなったんだ。
 ・・・これが俺のこれまでの人生だ。本当に情けない、同情のしようも無い男だろう?そういうものなんだよ、俺は。


 
ーーーーーーーーーーーーーーーー



 ひゅんと風を切るような鋭い音が響き、それに続くようにぴちゃぴちゃと水を散らすような足音が鳴った。鍔迫り合いに容易く負けた慧卓は勢いに乗るように後背へと退き、袈裟懸けの一刀を胸先三寸で裂ける。而して更に足を詰め寄らせる男の突きに態勢を崩し、続いての胴払いを剣越しに受けて、膂力のままに壁に身体を打ちつけた。胸の痛みが更に増していく。

「うげっ!?」
「ケイタクさんっ!!」

 慧卓への接近を許さぬとばかりにパウリナが踊りかかるも、男の牽制の一振りにたたらを踏みかけ、そして次の一刀を前に身体を大きく後退させる。男が慧卓に向かって振り返ろうとした瞬間、その右腕に鋭き一閃が走った。

「おらぁっ!!」

 痛みを抱えつつも振るわれた慧卓の反撃の剣が、肘辺りの継ぎ目を掠めて肉を削いだのだ。男はすぐさま踵を反転させ剣を振り抜くも、正眼に構えられた剣によって防がれる。慧卓は続いて迫っていく二の剣、三の剣を柱の影にさっと隠れてやり過ごす。土のようにぼろぼろと毀れる石の欠片を尻目に、そのまま影に隠れながら壁伝いにパウリナの下へと駆け寄っていった。

「ケイタクさん、無事で!?」
「・・・胸がちょっと痺れただけだ。お前こそ、大丈夫か?」
「え、えぇ。ちょっと慣れてないだけですから」

 そういって彼女は剣を持った腕をぶんぶんと振った。言葉通りのようだ、男の一刀を真正面から受けた彼女の腕は緊張しているかのように震えを来していた。慧卓は荒げた息を整えようともせず、顔に流れる己の血を拭いながら男を見詰める。  

(信じられない・・・左腕はもうほとんど振れるような状態じゃないのにっ・・・)

 男の左腕は肉数センチを残してほとんどが裁断されかかっており、常人であれば明瞭なまでに死に近き状態であるが、男はその奇怪な魔術のためか何の支障も無いかのように凶刃を振るい続けている。それでも恵まれた状況と入れるだろう、何せ腕一本が死んでいるのだから。剣術が碌に出来ぬ素人二人で膂力凄まじき男に抗する事出来ているのは、疑いようも無くミルカの奮迅のお陰であった。彼のお陰で左腕が完全に死に体となり、その分の膂力が剣に注がれなくなったのだ。
 加えて慧卓は一つの確信を得ていた。ミルカの一刀を受けて多大な血液を流出してから、徐々にであるが男の敏捷さが消えていっているのだ。今では慧卓の全力の一刀とほぼ同等なまでに速度を落とし、それが為に気を張り詰めていれば剣閃を受けきれる状況と成っており、更には男に対して一刀を加える事が出来た。明らかに男は時と共に弱体化している。 

(左腕は千切れかけて、右腕にも裂傷を負わせた。出血も凄まじい。おそらく顔に出ていないだけで、身体のダメージはかなりのものだろう。ひょっとしたら、今ももうかなり危ういとか?)

 俄かな願望に満ちた推測は、今や確信へと変わりつつあった。それは明確な根拠を持ち合わせぬ夢想に等しきものであったが、圧倒的な存在に立ち向かう己を鼓舞するには、万の言葉以上に大きな勇気を与えてくれるものであった。

(・・・勝機は、ある)

 慧卓はぎゅっと柄を握り締めて、ゆっくりと息を吐き出していく。血に濡れつつも迷いの無い黒き視線は、男の鉄面皮を睨んで話さなかった。

「・・・ふぅ・・・」
「・・・大丈夫ですか?あの、血が結構出ていますよ」
「頭を切ればそりゃ出ますって。・・・パウリナさん」
「は、はい!」
「ちょっと無茶をしますから、援護の程、宜しくお願いします」
「えっ!?そ、それってーーー」

 慧卓は勢い良く正面から突進していき、下段に構えていた剣を逆袈裟に振り上げる。男は突きを打つように下方に剣を出してそれを防ぐと、それを待っていたかのように慧卓が男の剣を踏みつけて切っ先を石壁との間に挟み込んだ。男がそれを引き抜くよりも前に、慧卓の兜割りが男に向かって注がれていく。

「あああああああっっっ!!!」

 男はその鋭敏な本能によってか千切れかけた左手を目前に構える事に成功し、そして為されるがままにその腕を裁断された。赤黒い血肉と共に篭手の着いた手が落ちる。そして慧卓は素早く剣を閃かせ、男の左膝裏をざっくりと切り裂いて赤い血潮を噴出させた。

「カハっ・・・」

 遂に無反応の顔を貼り付けていた男から息が毀れ出た。筋まで切れたか、男の左膝が地面に屈する。更に返す剣で慧卓は男の顔面を薙ごうとするも、剣を手放した男の右手がそれを阻む。鉄の篭手に正面からぶち当たり歪な金属音が奏でられ、男は剣の刃をがっしりと掴み取った。慧卓がそれを引き抜こうとするも全く身動ぎする事が無い。一時の均衡が両者の動きを拘束した。慧卓はパウリナへと視線をやる。

「パウリナさんっ、とどめをーーー」

 その無防備な横顔を男の靴底が蹴飛ばした。蹴りといっても、鉄製のグリーヴによるものである。顔面が横合いから大いに揺さぶられ、二撃目が諸に顎に入った時、慧卓は意識をぐらぐらと混沌とさせて後ろのめりとなり、その両手が剣から離れてしまった。

(まずっ・・・!!!)

 奪い取った剣を回転させて男は柄を握り、上段に勢い良く振り翳す。そのまま切り下ろそうと力を込めた瞬間、裂帛の気迫が一気に近寄ってきた。

「うああああああっ!!!」

 我武者羅に剣を翳されたパウリナの剣が、向こう見ずの力を伴って振り下ろされる。男は態勢を崩した状態でありつつも右腕一本で剣を翳してそれを受け止めようとする。而して助走と身体全体の力が篭ったパウリナの一刀は男の剣を弾き飛ばし、返す剣で男の両眼を切り裂いた。
 
(や、やった・・・)

 パウリナが喜ぶも束の間、男は深い裂傷を負った顔面を彼女に向けて、右脚に力を込めて獣のように飛び掛った。伸ばされた右腕がパウリナの顔面を掴み取り、その鉄の重みに任せて彼女を血池に打ち倒した。彼女の手から剣が零れ落ち、悲鳴が漏れた。

「うぎぃっ・・・!!」

 男はすぐさま手を滑らせて、彼女のしなやかな頸元に指を掛ける。銀色の髪が見る見るうちに鮮血を吸っていき、その猫のような瞳が瞳孔を開くように見開かれる。白き顔色が酸素の不足を訴えるように赤みを増していき、男の指がパウリナの頸に食い込んでいった。

「がぁぁ・・・き・・・あああっ・・・こっぁぁ!!」

 身動ぎをして、或いは男の横っ面を殴ったりして抵抗の意を表していくが、男は全く意に介する事無く己の行為へ傾注している。パウリナの口元が魚のように喘ぎ、目端に涙が溜まっていく。
 脳を揺らされて昏倒しかけていた慧卓は、ふらつく身体に鞭を打ちながら身を起こす。

(・・・ここで、ここで動かなきゃっ・・・パウリナさんを見殺しになんか、出来ないっ・・・!!)

 足元に転がっている剣を掴み取り、ぎりぎりと歯を食い縛って立ち上がる。
 
(・・・意固地になって、我武者羅に、生きていくんだ!!)

 慧卓はふらついて項垂れかかった頭を上げて、胸を張り上げた咆哮を吐き出しながら、剣を腰溜めに構えて男に向かって疾駆していく。
 
「おおおおおおおおっっっっ!!!!」

 慧卓の叫びを聞いて男はさっと目線を遣り、パウリナから手を離して彼女の剣を奪おうと手を伸ばす。その瞬間、暫くの間聞いていなかった、若き獅子の雄叫びを聞き取った。

「あああああああっっ!!!!」

 それが何かを意識するより前に、男の手首が鉄刃によって裁断された。視線を這わせて漸く理解する。鎧の胴の辺りを凹ませて口元から血反吐を零しつつも鋭く尖れた牙のような瞳を浮かべた、ミルカが其処に居た。
 男は両手を切落されて尚も従順に命令を実行しようと足に力を入れる。途端に、男の側頭部から反対側の頬に掛けて公然として熱いものが貫いて己を主張していき、男の顔付きがはっとしたものへと変じた。その鉄面皮を崩したのは、猛然と突き立てられて肉肌を切り裂いた、慧卓の剣であった。男の身体がびりびりと震えて、力無く口元が開かれた。

「あ・・・・・・こ・・・」

 血泡が篭って沈鬱となった声を掻き消すように、ミルカの全力の一振りが男の頚部に閃いた。頸がパウリナの身体に当たって地面を跳ねていき、柱に当たってその呆気に取られた表情をまざまざと見せ付けた。
 慧卓は男の身体を横に蹴り倒し、それに息が無い事を確りと確認する。如何なる傷を負っても只管に対峙していた鉄面皮が、首を失っても尚浮かべられているのかと心配になったのだ。だが頸を失った体躯に、表情など浮かべられる筈も無い。それに気付いて漸く慧卓は心からの安堵を浮かべ、そして疲れ切ったように血池に尻を着いた。

「ぜぇ・・・ぜぇ・・・ぜぇ・・・」

 初めての人殺しに加担しただけあって、心に圧し掛かる負担が大きい。而して込み上げる筈の吐き気は疲労と、胸と頭部に走る痛みを前に消え去り、荒れた息のみが口元から毀れ出た。
 ミルカは打ち伏して身動きをしていないパウリナへと近寄り、その息と脈を確かめる。

「・・・大丈夫です。まだ、生きています」
「た、助かったよ、ミルカ。お前がっ、っっ、左腕を斬っていなきゃ、俺達はとっくの昔に死んでいた・・・」
「有難う御座います。ですが何よりも先ず、貴方は己を褒めるべきです・・・。素晴らしい勇気でした、ケイタク殿。腑抜けた顔に似合わず、やる時はやるんですね」
「ほ、放っておけ・・・」

 慧卓は億劫に身体を動かし、石柱に身を預ける。激しき戦闘で疲弊した身体にとって、ひんやりとした石壁は一服の清涼水の如き癒しを送ってくれた。ミルカもかなりの疲弊をしているのか、意識を落としたままのパウリナを見遣りしつつも、枯れた雑巾のような苦しげな息を吐き出していた。
 こつこつと、二人の意識を固まらせるかのように石壁を叩く音がしてきた。その音は上階より響き、そして階段の方から向かっているようだ。二人は歪んだ表情をしつつも頷き合い、その手に剣を手繰り寄せた。柱へと急いで隠れようとしたが、身体が思いの外重く感じて足が進まない。隠れるか隠れないかギリギリのタイミングで、男が階段を降りて現れてきた。地味なロープを羽織った、垂れ目、垂れ眉の渋い見た目の中年男性である。体躯は引き締められてがっしりとしており、その手の剣は刀身を赤く濡らしていた。

「・・・終わったぞ」

 男は静かに声を掛ける。まるで石柱に隠れた二人の存在を見切っているかのように。男は再度、沈鬱げに言う。

「もう、全部終わった」
「・・・何が終わったんだ?」
「け、ケイタク殿っ・・・!」

 ミルカの静止も聞かずに慧卓は声を掛けた。男は慧卓が居る方へと目を向け、序でミルカが隠れている方へと見遣る。

「・・・パウリナは無事か?」
「・・・知っているのか?」
「王都まで案内してくれた。口は悪いが、根は良い奴だよ。其処に居るんだろう?」
「・・・ミルカ、彼だ」

 慧卓の言葉に、ミルカは俄かに不満げな口元を浮かべながら頷いた。

「彼女は今、我々が保護しています。貴方がユミルさん、で宜しいのですね?」
「そうだ。重大な訳が有ってパウリナと逸れてしまった。彼女には心配を掛けたと思っている。すまなかった」
「その言葉は彼女が目覚めてから言ってあげて下さい。彼女、血を嫌悪しているのにも関わらず、我々に協力の意を示して奮戦してくれたのですから」
「っ!彼女は無事か!?」
「無事です・・・此処に居ます」

 ユミルは弾かれたように駆け寄って、柱に背を預けているパウリナの下へと膝を突いた。剣を床に置いて優しげに彼女の髪を撫でる姿は、とても害意や敵意が感じられるものではなかった。慧卓は剣の構えを解きながらユミルに話し掛ける。

「ユミルさん。貴方こそ大丈夫だったか?その剣の血、かなり新しいものだと思うんだが」
「上の方で、ちょっとな。見に行けば分かるさ・・・」
「・・・ミルカ、ここで応援を待ってくれ」
「あまり無茶をしない方がいいですよ」
「それは今のお前が聞くべき言葉だよ」

 慧卓は剣を握りなおして階段の方へと向かっていき、たんたんと登っていく。下の階よりも明るみを増した二階に辿り着いた慧卓は、一瞬、其処に広がる光景に呆気に取られた。

「・・・・・・あらあら、まぁまぁ」

 何一つ、調度品も家具も何も無いだだっ広い部屋の中央、星と月の薄明かりに身を置くように、一人の見覚えのある男が死体となって転がっていた。それは昼時に聖鐘で慧卓を強襲した、あの翠色の鱗肌をした男であった。胸部に明瞭な細長い穴が開いて其処から鮮血を流している。心臓がある場所を一突き、素人目でも分かるほどの致命傷である。ユミル以外の誰が、彼を殺したといえるだろうか。
 男の剣が床に転がり、そして奇妙な事に、男の顔には淡く小さな笑みが浮かべられているようにも見えた。死に際に浮かべるにしては、酷く安らかで、まるで重圧から開放されたかのような笑みであった。慧卓は軽く頭を捻る。遠くの方から漸く、応援に駆けつけたであろう憲兵達の騒々しい足音が響いてきた。夜に響くそれは住民の安堵を妨げて真っ直ぐに向かってきている。今日は随分と長い一日であったと、慧卓はずきずきと痛む胸を押さえながら、小さく息を吐いた。
  
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