王道を走れば:幻想にて
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第三章、終幕:騎士騎士叙任式
壮麗な白光を全身から放つマイン王国、王都ラザフォードの宮廷。燦燦とした朝日に照り付けられて、一層と荘厳な美しさを披露している。近場に聳え立つ聖鐘では日の出と共に修繕作業が行われており、その美麗な鐘の音を聞く事が出来ないでいた。王宮に居る者達にとってはさぞ、残念であろう。何故なら今日この日こそ、その鐘の高らかな響きが似合う日の一つなのだから。
『マイン王国第三歩兵団大隊長、ハボック=ドルイド』
「はっ!!」
宮廷の一室、広大な王の間にて厳かな声が響いた。曇り一つ無きガラス窓から注ぐ陽光は神聖な鱗粉すら生み出すかのように、その中に佇む多くの者達に降り注いでいた。その者達は厳粛に背筋を正す宦官達や貴族達、堂々たる直立不動の姿勢を保つ近衛騎士達、そして畏敬の念を向ける若き騎士達。多くの者達の視線の中央、まるでバージンロードのように開けられた通路には三人の者達が立っており、その内の一人が威勢良く声を上げて玉座へと近寄っていく。
その者、ハボック=ドルイドは常の重厚な鎧姿をさっと着こなし、凛然たる意思を眼と表情に映していた。渋みのある顔付きを、玉座に座したニムル国王と、その傍に控えるレイモンド執政長官、そしてコーデリア王女は静かに見詰めている。カルタスは玉座に登る段差を前に足を止め、無駄の無い動作で跪いた。レイモンドが一歩前へと出て、厳粛に、広間全体に通るように言う。
『汝、王国重要指名手配、鉄斧山賊団及びその団長カルタス=ジ=アックス撃滅せし事、真に大儀なり。亡くなった兵等も、当に浮かばれるべき事であろう。この功を讃え、汝を名誉騎士の座に付す。謹んで享け賜るべし』
『はっ!!更なる武勇を示すべく、指折れ、肉焦がすまで、奮迅するものに御座います!!』
凛々しく宣言した彼の背中に、若人達の憧憬の視線が注いだ。段の手前にて控えていた近衛騎士等、一方が中年の男で一方がトニア、が彼の下へと近寄り、その背中に純白のマントを羽織らせた。背中には葡萄の様に垂下して揺れる黄色の樫の花の紋章が描かれている。武勇と栄誉を重んじる名誉騎士の称号を、ハモンドはその背中を持って背負う事と相成ったのだ。
仲間入りを歓迎する近衛騎士等に笑みを小さく返して、ハボックは国王と執政長官に最敬礼をする。そして群集に見せびらかす様に颯爽とマントをはためかせ、元の位置に戻った。
『マイン王国王立近衛騎士、アリッサ=クウィス』
「はっ!」
次に読ばれたのは、白銀の美麗な鎧と焦げ茶色の髪を陽光に輝かせているアリッサである。真っ直ぐで隙の無い瞳は偏に国王を、そして王女へと注がれていた。背後から注がれる若き女性達の情愛と嫉妬の視線に痒みを覚えつつ、それをおくびにも出さずにアリッサは跪いた。レイモンドは厳かに言う。
『汝、鉄斧山賊団の撃滅、及びコーデリア王女殿下の護衛の任を見事に全うし、騎士の栄誉を示したものなり。これを受け、汝に、黒衛勲章を授与致す。謹んで享け賜るべし』
『はっ!更なる精進を重ね、王国の繁栄に我が忠誠と命を捧げる事を、御誓い致します!』
アリッサが俄かに背を戻す。その姿勢を保っていると近衛騎士等が彼女に近付き、純白のマント、その頸下の留め具を素早く外す。近衛騎士の一方がマントが外れぬようその襟元を持ち上げ、トニアが彼女と目線を合わせるよう跪いて、代わりの留め具を掛けていく。それは、フィブラと呼称される留め具に類するものであった。複雑な金細工の衣装は正に職人芸の賜物であり、貴族等の美への洞察を唸らせるほどの出来栄えである。取り訳、その勲章を意味した黒きダイヤモンドは底の深い妖艶な雰囲気を醸し出していた。
コーデリアとトニアが喜ばしげに笑みを浮かべ、アリッサも彼女等にのみ分かるよう笑みを浮かべた。近衛騎士等が離れるとアリッサは常の凛然とした表情を浮かべて国王等を見返し、さっと立ち上がって最敬礼をする。そして新たなる留め具の輝きを見せつけるよう悠々と歩き、元の場所へと戻った。
『元黒衛騎士団団長、クマミ=ヤガシラ』
「はっ」
最後の者が、しごく落ち着いた様子で向かっていく。丸太を髣髴とさせる太い腕を脚。野獣にも等しき大きな巨体とそれを覆う鋼鉄の鎧。そして厳粛に構えられた壮齢な厳しき顔。其処に佇む多くの者達が心の底から込み上げているかのような畏敬と視線を向ける。穴が空きそうかと錯覚してしまうほどの集中砲火に関わらず、其の者、熊美は冷静さを一分たりとも失わずに堂々と歩いていく。そして、前の二人と同様に跪く。無駄の無く、それでいて気品のある動作であった。
『汝は鉄斧山賊団団長、カルタス=ジ=アックスとの一騎討ちにおいて、絢爛たる武技を見せ、これに勝利した。また、昨日の教会宝物庫における火災においては迅速なる鎮火活動を見せ、王国に罹る災禍を振り払った。これらは賞賛に値すべき、輝かしき活躍である』
『これもまた、王国臣民の無垢な信心のお陰に御座います』
『・・・我等はこの活躍に際し、一度、汝を再び騎士として叙任すべきと考えた。而して汝は今や国の英雄。誉れ高き豪刃の羆。我等下々の者達にその栄誉を与う資格は無い。よって此度において特別に、国王陛下の御言葉がある。静粛に拝聴すべし』
広間に漂っていた雰囲気が一変する。より静粛に、より毅然としたものに。レイモンドが一礼をしたのを期に、ニムル国王はその抑揚が抑えられた枯れ声を広間に解き放つ。
『クマミ=ヤガシラ』
『はっ!!』
『此度におけるそなたの一連の活躍、余の目においても誠見事なものに映った。流石は王国の誉ある英傑である。臣民の忠誠と勇気、その手本とすべき精神を汝は示したのだ。よって余は此処に、そなたの帰還と活躍を喜び、讃え、祝うものであり、黒衛騎士団の再結成を宣言するものである』
近衛騎士等がより緊張した面持ちで彼の背に近付き、そしてマントを羽織らせる。熊美にとって、それは羽根のように軽くも実に久しき重みであり、そして陽射のような温かみのあるものである。騎士が離れるのを期に、多くの者達が思わず感嘆の息を漏らしかけた。
それは黒き外套である。闇夜のような漆黒の背中に、金の刺繍で飾られた百合の花が輝いていた。それは嘗て多くの王国臣民の脳裏に焼き付けられ、その心を大きく奮わせた、あの黒衛騎士団の紋章であった。記憶の奥深くで煌いていた紋章の輝きが、本来のあるべき所に、その美しさと勇猛さを示しているのだ。
国王は頷き、執政長官から黒檀の鞘に収まった一振りの剣を受け取り、音も出さずに抜刀する。中空を覆っていた視線が、十字鍔の両刃のロングソードに注がれた。国王は熊美の前に、その剣の切っ先を差し出した。
『そなたは黒衛騎士団の団長として、皆を護ってくれ』
『・・・はっ。黒衛騎士団の武と魂を持ちまして、今一度、王国を身をもって護らせて頂きます』
熊美はそう言って、剣の切っ先から数センチの場所に誓いの口付けを落とした。国王は剣を鞘に納めて熊美に差出し、熊美はそれを両手で持って受け取った。暫しその鞘を端から端まで眺めて後に腰に差す。熊美は最敬礼をし、さっと踵を返して元の場所へと戻る。元の場所に戻った三者は再び胸に右手を当てて敬礼をし、横合いへとずれていった。
本来ならばこれにて儀式は終了であるが、今日は違う。もしやしたら、この勲位授与以上に重要であろう儀式が控えているのだから。
『これにて勲位評定を終える。続いて、騎士叙任式を始める。開門せよ』
『開門っ!!!』
トランペットにも似た形状をしている楽器、トゥベクタによる高らかで勇壮な音楽が奏でられる。重厚なる門がぎりぎりと開いていき、衆目が其処へ注がれていった。
開かれた扉の向こうからゆっくりと、数人の若人達が歩いてくる。何れも緊張でぎこちない硬直を顔に浮かべつつも、広間に居る誰にも劣らぬような純真さと熱意を内在させていた。鈍色に輝く鎧を羽織り、足を揃えてグリーヴを鳴らす。その若き集団の最前線、皆を率いるようにして慧卓は歩を進めていた。
傍目から見ても明瞭なる緊張が顔に浮かんでいるが、而して勇士の勇士たるべき気高き歩みを見せており、参列者の男達に一先ずの納得を齎し、女性達の笑みと執心の瞳を集めていた。慧卓等は熊美達が居た場所に立ち止まり、敬礼をする。それを見た後、レイモンドが言った。
『ケイタク=ミジョー、前へ』
「っ、はっ!!!!」
慧卓は俄かにぎこちなき動きで前へと進んでいく。心配げにアリッサが様子を見ていた。
(大丈夫かしら・・・)
胸中に心配を覚えながら、ちらと王女を見遣り、一瞬呆気に取られた。宙に浮かぶ蝶々を見るような、惚けた瞳をして頬に赤みを浮かべていた。何処から如何見ても恋慕の何物をも映し出しておらず、アリッサはちくりとした痛みを胸に抱いた。
レイモンドが段を前に跪く慧卓を見下ろし、そして厳かに言う。
「ケイタク=ミジョー。そなたは異界より顕現した後、万人の目を持って瞠目すべき類稀なる活躍を為して来た。鉄斧山賊団の攻略戦においては、奇策を用いて城門を爆破し、戦の趨勢を我が方へと持ち運んだ。ロプスマにおいては現地の造営官、及び商人ギルドの長と協力し、一大祭事を催して街の振興に尽力した。そしてこの王都においては、聖鐘へと襲来した叛徒を迎撃して臣民を護り、更にその叛徒の一人を見事に討ち取った。その数々、当に獅子奮迅たる活躍である。異界の者は畢竟、王国に栄華を与える事を汝は己の行動をもって示したのだ」
この場で讃えられた誰よりも多くの言葉によって述べられる慧卓の功績の多さと壮大さに、多くの者は改めて深い感慨を抱く一方で、一部の人々はぎくりとするものがあった。常人では数月、或いは数年で一つ達成出来れば良いものを、この若き青年はたかが一月余りで全てを成し遂げたのだ。この者は軍功にも恵まれ、更には政にも斬新な視線を向けている。宮廷で燻っていた者達にとっては、瞠目する以外に何が出来るというのだろうか。そしてその一部の者に限ってであるが、余裕を持っていた瞳に俄かな警戒心を抱くのも、どうして妨げられようか。
男達の内情の変化を他所に女性等の情の篭った視線は益々と深くなり、レイモンドはそれを諌めるよう俄かに声量を張り上げた。
「この多大なる功績を讃え、我等マイン王国は、そなたに騎士の称号を授与するものである。汝、謹んでこの栄誉を享け賜るべし」
近衛騎士等が近付き、彼を立たせて騎士たる衣装を着せていく。足元には金色に光る拍車を、頸には盾を吊るした皮紐を。彼が去った後、高位の神官であろう人物がすすと歩み出てきて、慧卓に一振りの剣を与えた。熊美に渡された物とは対照的な質素な鉄色の鞘である。慧卓は其処から剣を抜いて、神秘的な白銀を浮かべた刀身を披露すると、それを両手でしかと握って眼前に構えた。国王がそれを見て、静粛にして毅然な言葉を告げた。王国の民草を縛り、栄誉と責務の重きを与える、誓いの言葉であった。
「そなた、ケイタク=ミジョーを、マイン王国国王、ニムル=サリヴァンの名の下に騎士と任ずる。民草の守護者たるべく、謹厳実直、威風堂々の心を持ち、その武を弱きのために振るうべし。そなたの剣にこそ、主審の加護ぞあるべし。そなたの盾にこそ、王国の威信ぞあるべし」
「・・・我は誓う。異界より顕現したるこの身命、全てを紅牙の樫のために捧ぐと。我が栄誉は天より照覧したる主神のために、我が挺身は地に命を育む民草のために。願わくば主神は聞き届くべし。我が信頼が、我が護るべき民草を護らん事を。我が武勇が、我が打ち払うべき艱難災禍を打ち払わん事を。我が慈愛が、我が愛すべき人を愛さん事を」
言葉と共に慧卓はその刀身に近いの口付けを打った。人々は今度こそ、音にもならぬ感嘆の息を漏らした。一切の弱みも感じさせぬ堂々たる言葉には、早くも騎士としての重きに対する理解と厚き忠誠、そして人として全うたらしめる情熱と信仰が感じ取れたのだから。この日を持って慧卓を王国の一員、王国の大人として歓迎する身とあって、之ほど喜ばしき事は無い。
その思いは国王の立席を持って一時中断された。国王は段差を降りて剣を腰に収めた慧卓の前に立ち、その首筋に拳を当てた。
「頸打ちぞ。気を張るのだ」
慧卓にだけ聞こえるように国王は言うと、勢い良く腕を振り被り、その首筋に全力の拳骨を打ち当てた。
「っっ!!!」
痛烈たる痛みに慧卓は歯を食い縛り、思わず身を竦ませてしまうも何とか耐え切った。あの憲兵の蹴りに比べれば小さな痛みである。而してそれは肉体的な痛み以上に大きな意味を持った痛みであった。次にこの痛みを認識する数秒後には、体躯と離れた己の頭部から意識というものが消え去ってしまうであろう。
ニムル国王は慧卓に視線を合わせて、珍しき事に、明らかな感情を伴って告げた。
「その痛み、決して忘れるでないぞ」
「は、はっ!!」
慧卓は思わず最敬礼を返した。国王はうむとばかりに頷き、再び玉座へと戻っていった。慧卓も数瞬遅れて踵を返し、元の場所へと戻って行く。
『ジョゼ=ディ=マレチェク、前へ』
「はっ!!」
次の若者が呼ばれる中、慧卓は胸中にばくばくとした心臓の早鐘を感じており、緊張を和らげるように何度も息を吐いた。人生の中でこれ程までの重圧を感じた事態があろうものか。それは元の世界であれ、況や『セラム』においてもだ。
何度も何度も緊張を解すように集中していき、なんとかその早鐘を収めて行く。そのリズムが早歩きをした後のそれに戻ったと実感した時には、全ての新任騎士が叙任の儀を終えていた。慌てた慧卓は、演説を終えようとしているレイモンドに意識を向けていく。
『これを持って、王国にまた新たな騎士が生まれた。かの者達の更なる精進と活躍を期待し、騎士叙任式を終える』
呆気なさを感じて放心しかけるが、周りの者に遅れぬよう素早く敬礼をした。雲の陰一つとも窓から注がぬ中、慧卓の新たなる日常は切って落とされたのであった。
「格好良かったよっ、ケイタク!!凄く格好良かったっ!!」
「あ、そうでしたか・・・ハハハ・・・疲れたよぉ・・・」
式典が終わった後の王女の自室。意匠を凝らした調度品に家具、整理が行き届いた本棚、そしてゴブレットや銀皿を置いたチェストに囲まれながらコーデリアは無邪気に喜び賞賛の声を上げる。王女として備えておくべき風格や品位を、今この時においてすっかりと忘れてしまっているようだ。代わりに出てきているのは少女としての可憐さである。それが唯一途に、慧卓に向かっていた。
対照的に慧卓は正にくたくたと様子で、何の躊躇いも無く王女の寝台に腰掛けた。目は半ば虚ろで、鎧を脱いだ後の白のチュニックは何時も以上に多くの皺が走っているようであった。コーデリアは彼に向かってはにかみながら尋ねた。
「これで晴れて王国の騎士だね・・・どう、実感湧く?」
「・・・ちっともだよ」
「あれ?さっきはあんな格好良い事言っていたのに」
「・・・あれな、異界じゃ古くから読まれている本の言葉を必死に思い出して、俺なりに改変して作った台詞なんだ。言っている事は全部本音なんだけどさ・・・昨晩、寝ずに考えたから・・・もう、駄目」
そう言ってばったりと彼は寝台に倒れこんだ。うつ伏せになって外界の光を拒絶している格好であり、余程心身が疲れてしまったのであろう。だが彼にはまだ起きて貰わねばならないのだ。
「ほら、起きないと駄目だよ。これから新任騎士の闘技会があるんだから」
「・・・・・・聞いてない」
「予め聞いてこなかったのが間違いね。ケイタクは昨日の事があるから、ブルーム郷が参加者枠から外して下さったそうよ。後で礼を言っておきなさい」
「・・・ありがとー、ブルーム郷・・・」
「此処で言わないのっ!」
軽く挙げられた慧卓の手。コーデリアは諌めるように優しく彼の手を握り、親しげに語る。
「それに、まだまだ沢山予定はあるわよ。大道芸人の一座の見世物もあるし、吟遊詩人の歌会。あっ、あとは夜に騎士叙任の祝賀会があるか。ね、私も一緒に出るから、ケイタクも頑張ってさ・・・」
「・・・もう、寝る・・・」
「ちょ、ちょっと、ケイタクっ!寝ちゃ駄目だってば!バレちゃったらまずいよ!此処私の部屋だから、寝るんだったら自分の部屋に行ってーーー」
「失礼します、コーデリア様。何やら騒がしき音を耳にしーーー」
入り口の扉がさっと開いてしまう。外から入ってきたアリッサは寝台で寝入りの体勢になっている慧卓と、その肩を揺さぶろうと彼に覆い被さっているコーデリアの姿を見て硬直した。眉が俄かに垂れて、放心したように口が開かれる。彼女の後ろからトニアが赤髪を揺らしながら顔を覗かせて、にやにやと口を歪めた。
「・・・あらあら。熊美殿に倣ってか、ケイタク様も随分と手の早い人ですな。麗しの御令嬢の寝台に己の香りを移すだなんて、いやらしい」
「そういう問題では無かろう!!」
「おや?もしや姉上は先に手を出されたコーデリア様に嫉妬の念を抱いているとか?」
「ばっ、馬鹿かお前は!我が忠義を捧げるべき御方に些かな嫉妬も抱いておらんしまして其処まで気を許してもらえるなんて羨ましいなんて露一つとも思っておらんぞォッ!!」
「・・・其処まで早口に言われては仕方ありませんなぁ」
笑みを更に深めるトニアに対して更なる熱き言葉をぶちまけようとした時、宙を裂くようにコーデリアの呼び掛けが飛んで来た。
「・・・アリッサ」
「こ、コーデリア様っ、違いますぞ!私は貴女にそのような疚しい思い等一つたりとも思っておりませぬし、そもそもケイタク殿が私をーーー」
「アリッサ」
「はい」
波をも立たせぬ静かな声にアリッサは弁明の口を閉ざす。コーデリアは先までの焦燥とは打って変わって、実に穏やかで慈愛に富んだ、小さな笑みを浮かべて彼女に言った。
「・・・少しばかり、彼を寝かせてあげたいのです。引き出しから、『フリディスの香草』を取って下さい」
「はっ」
「トニア。私共は少々遅れると、宦官の方々にお伝えしていただけますか?」
「えぇ。承知致しました」
トニアはすっと礼をして部屋から去っていく。アリッサはキャビネットの引き出しから小さな木箱を取り出して、コーデリアへと手渡す。蓋を開けて中に入っていた、微塵切りに刻んだ状態の茶褐色の香草をほんの僅か、1グラムにも満たない程度の量を指で摘んですりすりと指の腹で擦っていく。茶褐色の香草が粉末状になっていき、微かであるが自然とリラックスできるようなハーブのような香りが漂ってきた。
「ケイタク様、癒しの薬草です。これを嗅げば、一時間、じっくりとした安眠に就く事が出来ますよ」
「・・・嗅がせて・・・」
「はい。では、失礼します」
コーデリアは居住いを正して慧卓の頭を己の膝に乗せると、その鼻下へと指を差し出した。慧卓は眠気と疲労に囚われながらそれを吸っていく。瞬く間に薫りの心地良さと後頭部から感じる柔らかさにすっかりと身を奪われた慧卓は、意識が泡のように覚束無くなりつつも、コーデリアに告げる。
「・・・・・・コーデリア」
「はい?」
「・・・いつも、ありがと」
「ふふ、どういたしまして」
優しげに慧卓の前髪を撫でていく。瞼をゆるゆると落としていった慧卓は、肩を静かに上下させ、鼻孔から息を吐いたり、吸ったりし始めた。コーデリアはその無垢な顔を、目を細めて見詰めている。
アリッサは目元と口を俄かに引き締めた神妙な顔でそれを見遣りながら、未練を感じさせるような動作で部屋を出て行き、その扉をそっと閉めた。
騎士叙任式が行われた、少し後の事である。がらがら、がらがら。からから晴れた青空の下、馬車が舗装が行き届いた街道を真っ直ぐに走っていき、後に続く馬車が重々しくそれをなぞって行った。前を行く馬車は至って普通、二頭の馬に牽引されて偶に御者がぴしっと鞭を叩いており、馬は息を漏らしながらそれに応えている。
王都までに至る主要な街道は大体が舗装されており、身体が痙攣しているのかと思うほどの揺れは無いが、揺れはする。馬車童貞であれば吃驚してしまうほどの揺れを、男は天幕を張った駕籠に座しながらゆったりと、その鳩のような顔を覗かせた。
「いやぁ・・・久しぶりの王都だなぁ・・・相変わらず、見蕩れるほどの全景だ」
視線の先に聳える王都の全景。高々とした二重の城壁に視界が遮られているが、その中には広々とした二重の街並みが広がっているであろう。王国最大の都市は近付くにつれて輝きを増しているようであり、見る者に思わず感嘆の念を与えてしまうほど。男が見遣る北門からの光景もまた壮麗であった。
男は座上の小さな籠からたわわと実った葡萄を摘むと、ひょいとそれを口に頬張った。
「ん~・・・旨い。トマトよりもね」
果肉の締りのある甘みを愉しみ、ついでとばかりに皮と種の渋みと硬さすら味わってしまう。宝玉の味に態々粗野な石を混淆するという野暮を働いた男は、しかしその暴挙を全く意に介さずに葡萄を頬張り続けていた。
その時、御者が不意に振り返る。
「御主人様」
「どうかしたかね、御者」
「門前にて、何方かが立っております。衣装は遠目から見ても厳かなものでして、しかも門を守る衛兵の姿がありません」
「・・・その人、というのは、御老輩かな?」
「は?・・・まぁ、確かにそう言われればそうとも見えますが」
「なら話は早い。御者、その人に用がある。門前で一度馬車を止めてくれ」
「畏まりました」
思い当たる節があって男はにたりと笑みを浮かべた。そして残り僅かな葡萄を一気に口に頬張りその口端に果汁の滴を浮かせ、天幕から顔を出して後ろを振り返る。後ろに続く馬車は馬は四頭、その上その荷台には大きな駕籠が純白の布に覆われた状態で置かれている。まるで何かをひた隠しにしたいという意図が感じられて、その白布には黒い影が透けている。そして、身体の彼方此方から太い指のようなものを揺らしていた。まるで蠢く触手のようであり、布を被さった状態であっても否応無く邪悪な香りを漂わせてしまう。
「・・・お前でも慄くかね?」
男はそっと御者に問いかけた。御者は引き攣った表情を正して再び前を行く。その背中の震えを直そうと懸命に馬鞭を叩く様に男は思わず、「きひひっ」という意地の悪い笑みを浮かべた。
馬車が巨体を誇る門の前へと到達し、鳩顔の男は馬から降りた。そしてその黄土色の瞳に一人の冷酷そうな老人を捉えて頭を垂れる。
「矢張り貴方でしたか、レイモンド執政長官。御無沙汰しております」
「定刻通りだったな。相も変わらず人相が悪いな。人間の皮でも被ればよかろう、マティウス」
言外に人外扱いをしてくるレイモンドに対して、マティウスは喉を笑わせて高い声で返す。
「残念ながら、仕事柄人を殺したり捌いたり下ろしたりする事はあっても、それ自体に興奮を覚える事なんて一度もありませんでしたし、まして食人趣味などっ!低俗と下賎の極み!!魔術の極意の何たるかを追求する高尚たる私が其処まで堕ちるだなんて、それこそ出来の悪い噂ですよ」
「ふん、地獄耳も変わっていないようだな」
「恥ずかしながら、気の短さもね」
笑みを一層と深める。レイモンドは其処を深く追求する気は起きず、マティウスの言葉を待った。マティウスは笑みをの深みを直しつつ、道化師のように茶化した手付きで馬車の方へ掌を向けた。
「御報告申し上げます、執政長官殿。件の魔獣達の育成、進捗状況はかなり大詰めといった所まで進行致しました。そろそろ、あの怪物を派遣して下さっても問題は無さそうですよ?」
「・・・それが聞けて、安心したよ」
「そうでしょうともっ。最近は物騒ですからねぇ?王都の周辺で殺人事件が頻発しているそうな。道行く商人も宛ら、特に賊徒の連中が次々と屠られていると聞いております。何でも鎌のようなもので立続けに殺されているとか・・・。あぁ、別に唯の信憑性が無い噂話ですからお気になさらず」
「・・・」
にたにたと実に愉しげに言うマティウスに思わず、レイモンドは目付きを鋭くさせた。この男は人並みに話をする男であるが、魔術師である以上確実性の無い話題は持ち出さない。だが一方で意味の無い言葉や噂話も冗談のように弄する愉悦も持ち合わせている。果たしてこの男が己が裏で行っている企みに気付いているかいないのか、今一判断のしようが無かったのだ。
「さて、王都まで来たついでとは言ってなんですが、土産を持って参りました。後ろの駕籠に入っております」
レイモンドは二台目の馬車へと目を向ける。
「護送途中で起きたりしないだろうな?」
「人間を死に至らしめる程の深い睡眠魔法を放っております。まぁそれでも、後半日も過ぎれば起きるでしょうけど。元が獣ですから、耐性が強いのですよ」
「・・・では、あいつを運ぼうか」
「承知致しました・・・。御者、出発だ」
マティウスが馬車へと向かう傍ら、レイモンドは門前へ控えさせていた己の馬に跨った。馬車を運ぶ際に人目がつかぬよう、コンスル=ナイトを使って既に人払いは済んである。目的地へと運ぶまでは誰の目には留まらぬだろう。そうでなくては困る。
「・・・」
己がどんどんと重ねる業の深さを自覚して、レイモンドは躊躇いがちに俯いた。だが馬の鼻息を耳を感じ取って直ぐに顔を上げて、開門された王都の中へと馬を進めていく。後に続く二台の馬車も、その尻尾を悠々とした動きで追っていった。
二頭の馬が疾駆している。達磨のように逞しく鍛えられた馬体に鎖帷子のような鎧を纏い、その顔を勇ましき二本の鉄の角で飾っている。馬も宛ら、それに乗る男達も正に優劣つけ難い程に勇猛な姿である。全身をフルプレートの厚い鉄色の鋼鉄鎧に隠し、左胸と左肩には更に楯が備えられており、中心に赤い斑点が塗られている。頭には、眉間を中心に十字架をあしらった大兜を被っていた。後頭部には鮮やかな鳥の羽が飾られており、片方が血の赤に、もう片方が海の蒼に彩られていた。
両者の片手には、凶悪な一本のランスがそれぞれ握られていた。持ち手を取り囲むような鍔から、円錐型の3メートル相当の穂先が伸びていた。穂先は三叉に別れ、刃が潰されている。持ち手を守る鍔と穂先以外は木で造られており、鍔から穂先にかけては羽の色に対応するように、それぞれ赤と蒼の文様がバネのように延々と描かれていた。
両者の兜の細長い目元からは、ぎらぎらと凄まれた眼が覗かれている。互いの下へ真っ直ぐに駆けていく二つの騎馬は重々しい駆け音を鳴らしつつ、すれ違うように交差する。瞬間、両者の槍が繰り出され、穂先を相手の胸へと打ち込もうとした。
「グオッッ・・・!!」
赤き槍が半ばからばきっと折れると同時に、蒼い羽を飾った男が悲鳴を漏らし、破損のない槍を落としながら後ろのめりに落馬していく。途端に、周囲から歓声と雷のような拍手が木霊した。
場所は王都内縁部、北側に広がる一大集兵場。常は訓練のために開かれるこの広大な空間において、高尚な催しが行われていた。即ち騎士闘技会、またの名を馬上槍試合。マイン王国においてこの大会とは即ち、勇壮たる騎士達の名誉を讃え、或いは新任の騎士達を迎え入れる崇高な儀式であった。昨日の騒動にも関わらずこの大会と騎士叙任式が開かれるのは、王国の威信を損なわせないためであり、どんな事態となっても中止や延期をしてこなかった昔からの伝統を続けたいがためであった。今日においては新任騎士を歓迎する意味合いで開催されており、若き騎士の雄姿を見たいがために女子達が集い、それを利用せんと貴族達が群れ、それを歓迎し賞賛せんと今昔の同僚達がこぞって集結していた。
今、半ばから折れた槍を携えながら元の場所へと戻ってきた騎士もまた、新たなる騎士の一人であった。従者達が手伝いながら身の丈の高い彼を降ろし、さっぱりとした息を漏らしながら騎士は兜を取った。ざっくばらんな赤髪と、興奮で紅潮した精悍な美顔が覗かれている。
「よくやった、ジョゼっ!!見事な一突きであった!!」
「有難う御座いますっ!」
新任の騎士、ジョゼは壮年の騎士補佐に快活な声で答えた。補佐は感慨に耽るようにジョゼを見下ろす。
「一兵卒であったお前も、今や立派な騎士か・・・。人は成長するものだな」
「これも全て、ハボック様のお陰ですよ。あの方と一緒に遠征に出ていなかったら、俺はずっと、ただの兵士として終わっていましたよ」
「その、語尾に『よ』とつける口調は止めろ。人に要らぬ誤解と不快感を生ませる」
「いやぁ、そりゃ無理な話ですって。俺からこいつを取り上げるのと同じくらい無理ですよ」
ジョゼはそういって顔をとんとんと指差した。そしてうら若き蕾達の視線に気付くと、振り返って颯爽と手を掲げた。遠目からでも分かる、女子達が頬をさっと赤みで染めてそれを掌で押さえる姿が。自慢げに笑みを浮かべるジョゼに向かって、補佐は呆れるように肩を竦めた。
ジョゼはというと蕾の中に視線を巡らし、そして貴族の中でも高位の者達が集う方へと目を向けて、静かに言った。
「まだ王女様はいらっしゃらないんですか?」
「見る限り、そのようだ」
「残念。俺の次の試合までに来てくれれば嬉しいんですけど・・・」
「・・・いや、どうやらその心配は無さそうだ」
おおっ、という歓声が一方から上がった。コーデリア王女殿下が、遅まきながら参上したようである。彼女の美しき空のような髪が見えた途端、ジョゼは胸に手を当てて凛々しき敬礼をした。而して面を上げたその口からは、優男のような軽々しい言葉が漏れた。
「ヒューっ、相変わらずお綺麗ですよ、王女様・・・季節を告げる妖精のようだ」
「同感だな・・・食膳を飾るアロエの葉のようだ」
「その例えには知性が感じられませんし、高貴な女性も口説けませんよぉ?」
「・・・お前が騎士でなければぶん殴っていた所だよ」
「はははははっ、騎士になってよかったぁ」
「このっ・・・!」
いきり立った補佐がジョゼの金的に前蹴りを放つが、鋼鉄の股間プロテクターに爪先が当たり、寧ろ己が悶絶する結果となってしまった。声にならぬ悲鳴を他所に、主審の高らかな声が木霊した。
『騎士たるや、その武術は巧を極めるものであるべし!騎士たるや、その勇猛は武技で以って示すべし!新たなる王国の騎士達よ!!主神の御加護ぞある名誉の騎士達よ!!国王陛下、王女殿下の御覧の下、その果敢たる武と心を示せっ!!』
トゥベクタの高調子が空を裂いた。闘技場に一層の期待が立ち込め、興奮の空気がジョゼの肌を奮わせた。従者達の手伝いを受けながら、ジョゼは息を落ち着かせた身体をさっと馬に乗せた。爪先の痛みを堪えながら補佐が怒鳴る。
「最後の締めだっ!!相手も同じ新任騎士だ、かなり気張っているぜ!!だがお前なら絶対に勝てる!!いっちょ決めて来い!!
「了解ですよ!!このジョゼ=ディ=マレチェクっ、勝利の栄華を貴方に捧げましょう!!」
「はっ、その言葉は女のためにとっときな!!」
「えぇ!!今夜にでも囁いてみますよ!!!」
ジョゼは快活な笑みを兜で隠し、その視線を相手の騎士へと向けた。自分と同じくらい若く、そして戦意に満ち満ちた騎士である。
(・・・ケイタク=ミジョー、か)
ジョゼは視線を移しながら思う。コーデリアの近くにて、彼女に控えるように立つ若き黒髪の男を捉えた。昨日の騒動の主役である彼は抱えている筈の疲労を凛然と隠し、静かなままにジョゼを見詰めていた。
ジョゼは新たなる槍を握り締めてそれを地面と水平に構えると、馬首を相手の騎士に向けた。連戦に挑む事になりつつも、この勇馬は己の戦意を嗅ぎ取って地面を足で慣らしてくれている。
(見ていろよ、異界からの新入り騎士さん。こっから先は同じ道を歩むんだ。俺は絶対、お前以上に研鑽を重ねて・・・)
角笛の低い咆哮と共にジョゼは馬の腹を蹴りつけ、疾走に身を任せた。向かい合って疾駆して来る相手の騎士を睨みつけ、その闘志をぎらぎらと燃やしていく。
(そしてっ、王国の栄誉を、男の栄誉を成就してやるっっ!!!)
擦れ違う新任の騎士に対して、ジョゼは思いの篭った渾身の一撃を放った。目にも留まらぬ速さで以ってジョゼの槍は相手の槍より数瞬早く、そして寸分の狂い無く相手の胴体を捉え、半ばから勢い良く折れていった。
後書き
これにて、第三章は終了と相成ります。
幕間として現代編の話を二つ、エロ中心を一本と、日常ものという名のイチャイチャもの一本を挟んで、第四章に突入する予定となります。
予めプロットとして構成しているのは、王国北嶺に住むエルフを中心とした王道ものの、喜劇的なストーリーです。無論真面目要素を孕んだものとはなりますが、それでも途中でダレずに続けられたら良いなぁと思っております。
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