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王道を走れば:幻想にて

作者:Duegion
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第四章、その2の2:小さく、一歩



「・・・此処は本当に暑いな」
「そうですね・・・」

 熱篭りで馬車の中で、アリッサは額に流れる汗を払う。同じく車内に残っていたキーラも同様であり、口元を開けて息を俄かに荒げさせ、首筋を赤くさせていた。扉を開放して換気をしてるに関わらずこの息苦しさというのは、流石は無風の夏であった。だがこれは兵達に比べればまだ楽な状況にあるといっていい。この雲一つ無い真夏の暑さに関わらず、だだっ広い平原に立ち止まる馬車の列を警備する兵達は、彼女らとは比較にならぬほどの苦しみに耐えているのだ。彼らの唯一の癒しといえば、近くを流れる清流であった。お陰で水分不足には陥らない。
 とんとんと、開け放たれていた馬車の扉が叩かれた。銀の水筒とグラスを幾つか手にとって、リタが顔を出す。彼女も同様に顔に汗を垂らしている。

「お疲れ様です。お冷をお持ち致しました」
「ああ、助かるよ、リタ」
「有難う御座います。・・・本当、近くに川が流れているのが唯一の救いですね」
「そうだな、これがなくば今頃燻製になっている・・・リタ、貴女もお疲れの様子だ。此処で休んだらいい」
「有難う御座います。では、御言葉に甘えて」

 暑さに参っているのか、リタはそそくさとグラスに水を注いでいき渡していく。ひんやりとした吐息が流れてくるようで、肌に心地良さを覚える。そしてそれを唇に咥えて清流の滴を嚥下するとなれば、恍惚にも近い爽快感が生まれるのだ。

『・・・暑いよー。ひもじいよー』
「・・・ああ、美味いな。火照った身体によく染み入る」
「ふぅ、美味しい・・・。アリッサさん、ふと思ったのですが」
「何かな?」
「暑い暑いと仰せになるのならば、鎧を脱いでしまえばいいのでは?」
「き、騎士から鎧を奪うのか?不測の事態が起こったら、私はどうすればいいのだ?」
「御言葉ですが、真昼で、しかも王国の旗を掲げる馬車を襲う愚者がどこにおりましょうや。それに、調停官自らが剣を取るほど切羽詰った状況が、こんなのどかな時に起き得る筈もありません」
「ふ、ふむ・・・言われてみればそうだが・・・しかし・・・」

 北への旅路の間、ずっと鎧姿を通していたアリッサは躊躇いの気持ちを覚える。他の者達が薄着となる中、自分だけは体裁を取り繕う形で我慢をしてきた。叶うならば到達に至るまでこの姿を通していきたい。
 だが傍目から見ればそれは無駄意地を張る行為であり、見ていて暑苦しい。薄着で冷水を飲む二人の女性にとっては、見るのも耐え難い。

「仕様がありません。脱がせてさしあげます」
「私も手伝いますわ」
「こ、こらお前ら!そんな変な手付きで迫るな!」
「素直になれない貴女が悪いのですよ?いっそ楽になってしまいなさい」
「私共もお供致しますから」
「そ、そんな所触るなぁ!ひっ、キーラ、貴女どこ触ってぇ!?やぁっ・・・!」
『見たいよー。ずるいよー』
「・・・ちょっと失礼します」

 鎧を巡ってすったもんだを繰り広げるアリッサとリタを置いて、キーラは馬車から出て行き、天上部分に向けて声を掛けた。

「ちょっと黙ってていただけます、ケイタク様?」
『い、いやだってこんなの酷いじゃないか!皆オアシスなのに俺だけサバンナよ!?身体がかさついて水分失っちゃうじゃない!』
「だから頭に濡れ雑巾を被せているのではないですか。辛抱なさい」
『い、いや、そういう問題じゃなくてですね・・・ってかなんでそんなに怒っているの?俺、皆を怒らせるような事した?・・・まさか・・・コーデリアとしちゃったった事にーーー』
「えい」

 キーラはグラスの中に残っていた水を空に撒く。透明で冷ややかな滴が青空に泳ぎ、雨のように降り注いだ。素っ頓狂な悲鳴が漏れるがキーラはそれを目もくれず、馬車の中に戻っていく。そして、呆れ混じりの口調で言う。

「・・・アリッサさん、夏はその程度の薄着でも風邪は引きませんよ?御安心下さい」
「いい訳あるかぁ!誰かに見られたらどうするんだぁ!」
「私達以外見ませんよ。そんなに恥ずかしがらなくても、いいではありませんか」

 胴と脚を覆う鎧を床に置き、肌着すら脱がされて、アリッサは胸元を隠して羞恥と怒りに顔を赤らめる。汗と熱で艶やかな光を帯びている白い肌を包むのは、股を隠す白布一枚のみである。飾りも無く、ただ羞恥の場所のみを隠すだけ布は汗で濡れて、引き締まった肌に吸い付いている。騎士としての鍛錬の結果が身体全体に現れており、女性としては腕周りも太く、腹筋もかなり引き締まっている。だがそれに反比例するように双胸は小さなサイズであり、掌に収まる程度のものしかない。それを必死に二人から隠そうとする努力は、実に微笑ましく憐憫を誘うものであった。
 翠色の瞳を潤ませながら、彼女は二人に告げる。

「・・・お前ら、分かっているよな?」
「はいはい、私達も脱ぎましょうか」
「そうですね」

 扉をさっと閉めて密室を作り出し、キーラとリタは汗を吸った衣服をさっさと脱いでいく。リタは恥ずかしがる素振りなど見せず、大胆にも己の御淑やかなメイド服を脱ぎ取り、惜し気もなく己の裸体を披露した。美の彫像のように膨らみと引き締まりの程度を押さえ、調和させた身体であり、均整の取れたものである。涼しげに涙黒子のある目を緩ませて、そっと己の臀部を伝う汗を払う姿は、一種の清らかさすら感じさせる。アリッサはその身体に一抹の敗北感を覚える。胸の大きさは己よりも大きく、肌全体に女性的なきめ細かさが現れていたからだ。
 一方でキーラは令嬢らしく、上下の可憐な水色の下着を身に着けており、アリッサは思わずジト目でその豊満な身体を睨む。富と温和さを象徴する健康で張りのある肌。痩せ過ぎず、太り過ぎない程度の身体つきであり、飢えを知らぬ生活のお陰か当然の事ながら豊胸でもあった。そして恐ろしきはそれがまだ七部咲き程度の大きさであろうという事。成長が完全に止まるまで胸は大きくなり、それに伴い艶やかな色も肌に乗せていくだろう。将来有望の肉体であり、それに言い寄られる慧卓とて内心悪い気はしてないだろうと考えると、胸に針が刺さったような痛みが走った。。

「ふぅ・・・やっと一息つけますね」
「・・・流石、貴族の令嬢」
「え?」
「ふふふ。お胸、大きいですね」
「う、うん・・・まぁね」
「・・・ちっ、どいつもこいつも発育が・・・ちょっと触らせろ」
「えっ?あ、やぁっ・・・もぉ、駄目ですよぉ」

 片手で胸の頂を隠しつつ、右手を無遠慮に伸ばしてキーラの胸を揉んでいく。戸惑いながらも笑んで、キーラはそれに抵抗するようにアリッサの腕を抑えようとしていく。
 階下から響くかしがましさに、馬車の天上部分に布で固定されていた慧卓は、力無く息を零した。

「・・・・・・触りたいよー」

 かんかん照りの太陽を遮るのはチュニックと、顔に被さった濡れ雑巾と水滴だけである。どうしてこうなったかを遡るのは容易く、口に出すのも億劫である。女心怖いという感想のみが、要らぬ所で要らぬ事を口走る自身に反省の意を促していた。暑さとかしがましさに耐えつつ、慧卓は死人のような唸り声を漏らした。





 じりじりと蒸せる夜に、篝火が火花を弾けさせる音が響いている。拍手のように響くそれによって、一頭の鹿が棒に括られて炙られていた。毛皮は削がれ、肉は空腹を誘う良き臭いをかぐわせている。一時の疲れを忘れて、皆が皆、思い思いに炙り肉を啄ばんでは腹の虫をなだめていた。

「いやぁ、まさかこんな所でお会いするとは予想もしていなかった!また会えて嬉しいぞ、ケイタク殿!」
「ははっ、俺も同じです、ワーグナー様。どうして此処に?」
「うむ。趣味で狩猟をしていててな、ジョンソンも連れて来ておる。いい場所だぞ、此処は」

 馬車の近くに転がっている丸太に腰掛けるのは慧卓、そして年季の入った毛皮の服を羽織った、『ロプスマ』の造営官であるワーグナーであった。慧卓等が行進している最中に偶然にも邂逅して、一夜を共に過ごす事と相成った訳である。彼曰く、この地域は野生の鹿や羊が棲息しているため狩猟に打って付けらしい。そうであるからこその、慧卓の晩餐の豪華さである。
 指についた肉の脂を舐め取って篝火を囲う人々の騒がしさに目を遣りつつ、ワーグナーは話し掛けてきた。

「流石の早さだよ、ケイタク殿」
「?」
「私と出遭ってからたかが一月とそこいらだというのに、もう騎士となっておるとはな・・・。私はもっと遅かったぞ」
「そうなのですか?若い内に騎士となるのが普通と思っていたのですが」
「それは生まれながらの貴族に限る。アリッサ殿がそうだな、彼女はお前より二つ若い頃に騎士となっていた。・・・当時は疑問であったが、今見ると納得できるよ。クウィスの名を見事に受け継いでいるようで、安心したわ」

 そう言って小さく頷きながら口元を緩める。足元に置いていた花瓶のような形をした酒瓶を持ち上げ、瓶の口を塞いでいたグラスを取って、それに赤い酒を注いでいく。葡萄のきつい香りである。半分辺りで注ぎを止めて、赤の湖面を揺らす。

「私は元は一介の商人でな。商売が上手くいかなくてむしゃくしゃしていた頃に財務官の仕事を手伝う機会に恵まれた。以降数字を只管に片付けていたら、何時の間にか騎士となっていた。不思議で仕様がない」
「武勲だけではなく、内勤でも評価してくれるって事ですかね」
「そう願いたい。兎も角、その能力を変われて地方に赴任し、今では街を一つ治めるに至っている。ま、中々順風満帆な人生だよ・・・ほれ、最初の一杯だ」
「あ、あの、自分は下戸で・・・」
「そう邪険にせんでくれ。先行き短い老人の頼みだ、な?」
「・・・いただきます」

 慧卓はグラスの取っ手をおずおずと掴むと、青汁を啜るかのように恐る恐る口に含む。むわっと咥内で酒の香りが広がって噎せ掛けるが、何とかそれを耐えて飲み込んだ。だが妙に張り詰めた顔は隠せず、ワーグナが微苦笑を浮かべてグラスの返品を受け付けた。
 くいっと手馴れた所作で酒を煽りながら、ワーグナーは続ける。

「この草原は私の思い出が詰まっている。私が初めて商人を志したのも・・・愛しき女性に会ったのも、此処であった」
「ははは・・・。すみません、もう少し飲んでも?」
「おお、構わんぞ、ほれ。・・・私の原点なんだよ、此処は。良い場所だ!」
「そうですよね、良い場所です」

 話半分に聞きながら、グラスに残った強い酒をちびちびと飲む慧卓。セラムに来て初日は一気飲みで死に掛けたが今宵は大丈夫だ。酒を飲む前には腹は鹿肉で埋まっている。

「時に、ケイタク殿。これから北へ向かうと、会った時に聞いたのだが?」
「その通りです、三日後にはクウィス男爵の領内に入る予定です。・・・もしかして、俺達を見掛ける前から、既に商人から話を伺っておりましたか?」
「うむ。君のお陰で随分と儲からせてもらっているぞ。有難う」
「・・・聞きたくないけど、何て文句が流行っているんですか?」
「沢山あるから纏めてみようか。『異界の若き騎士がセラムに降り立って初めて訪れた街、それがロプスマ。王都よりも先に来た街。衣服からまで武具までを、全て此処で』」
「・・・逞しいですねぇ、本当に」

 半分以上の本当に僅かな嘘が混じった商売文句である。驚くやら呆れるやらでついついと酒を飲んでしまう。知らぬ間に残り僅かとなった所でワーグナーに返した。グラスに継ぎ足してぐいっと煽って息を漏らすと、ワーグナーは言う。

「今日逢ったのも何かの縁だ、私から助言をしてやろう・・・・・・うーん・・・」
「どうしました?」
「・・・いや、してやる心算が何を言ったら良いのか分からなくなって来た。すまん、ジョンソン、こっちに来て先に言ってくれ」

 篝火の近くで肉を頬張っていた財政官のジョンソンが歩み寄ってきて、呆れ口調でワーグナーに話す。

「全く、あれほど酒を飲みすぎると頭が回らなくなると言っているのに、この人は・・・。では私が先に言いますから、それまで考えていて下さいね」
「おお、期待しているぞぉ」

 軽々しく言われて内心むっときながらも、ジョンソンはそれを気に留めぬように虚空を睨んだ。そして常の冷静な顔つきをして慧卓に向き直る。

「ケイタク殿。これから何が起きようとも、それは貴方が原因となるものではありません。元々其処に積み重なった幾つもの原因が、偶然貴方が訪れた時に、結果に繋がるだけの事です。ですから貴方が出来る事は唯一つ、その事態から貴方に連れ添う仲間を守る事、それだけですよ」
「・・・は、はぁ。なんか預言者みたいな言い振りですね」
「北嶺に関わる情報を収集していれば、大体これくらいの予想はつきますよ。・・・あの民族、近い内に内輪揉めの勢いを一気に増すでしょう。仮に内乱を起こすまで事態が悪化するとなれば、帝国の介入を受ける危険がある」
「うむ、そうだな。事態は其処まで切迫しておる。特に改革派の頸が変わった辺りから、きな臭くなってきおった」
「・・・それが賢人、イル=フードですね?」
「知っておった・・・いや、知って当然か、ケイタク殿」
「はい。ミラー様もその方の過激さを危惧しておりましたので」

 エルフ賢人会の長にして改革派棟梁の老人、それがイル=フード。彼の事を話す際にミラーは、常以上に警戒の色を強くしていたのが印象的であった。ブルーム卿から要注意人物として警戒するように言われたのだろうか。だとすると、非常に厄介な人物である。

「・・・イル=フードは、以前は自治領内でエルフの独立を訴えてきた人物だ。そして年月と共に言葉を苛烈とさせて、信者を増やし、今では一派の棟梁だ。中々の役者であるのは間違いない」
「・・・ですけど、ワーグナーさん。賢人と呼ばれる人間によって率いられた組織は、昔以上に暴力的な色を強めています。賢人が徒に乱を招いてもいいんでしょうか?」
「歴史上、寧ろその手の者こそが、過激さを内包するものだ。自らを慕う臣下の者達を救うため、そして己の知識の有用性を確かめるため、あくまで手段の一つとして開戦を選択する。理に適っておるよ」
「・・・この度の調停団の派遣は好機と成り得るでしょう、特に改革派にとっては。保守派は地に足を着けて活動する一方で、彼らは悪く言えば烏合の衆。民族に改革を齎すという大義名分だけが彼らの綱領なのです。それに王国が手を貸せば、質実共に、本物の大義となります」
「逆に保守派にも気をつけろよ?棟梁のニ=ベリは頭の切れる男だ。下手な行動を取るでないぞ」

 エルフ内を二分する派閥の一派、その頭領であるニ=ベリ。賢人会の警備兵が出世を重ね、現在では自治領防衛隊の将軍となっている。警備兵に留まらぬ有能さと苛烈さを持ち合わせているのは確かであるようだ。
 老獪なエルフと苛烈なエルフ。正に水と油の組み合わせであり、それに板挟みとなれば間違い無く苦労する事疑い無しである。しかし酔いが早くに回った慧卓にとっては大した問題とは思えなかった。

「なんだろう・・・いまいち、緊張感が湧かないっていうか・・・どうでもいいっていうか」
「おいおい頼むぞ、補佐役殿?貴殿が助けないで、誰がアリッサ殿を助けるのだ?」
「まぁそうなんですけど・・・なんか想像出来ないんですよね、北嶺っていうのが」

 目をとろんとさせた彼から酒を離させて、ワーグナーは俯き加減となって慧卓を覗き込むように告げる。

「ならば分かりやすい事を言って、貴殿に北嶺への親近感を湧かせてやろう・・・エルフの美女は、本当に凄いぞ」
「・・・」
「特に巫女はな」
「巫女いるんですか!?!?」
「お、おう、いるとも?」
「いやいますから、疑問符浮かべないで下さい」

 凄まじき勢いに圧されて俄かに引き気味となる二人を他所に、慧卓は己の中で好き勝手に夢想を繰り広げていた。

「やった・・・やった・・・!遂に俺の時代が来たっ・・・!」
「良かったな、北に親しみが出来て」
「巫女服をアリッサさんやキーラに着せてやるんだ・・・!」
「・・・ジョンソン、私も北にいーーー」
「行ったら殺しますよ?貴方の息子を」
「・・・どっちの意味で?」

 ただにやりと笑うだけのジョンソンを見て乾いた息を零しつつ、ワーグナーは勇んでいる慧卓の肩をぽんぽんと軽く叩いた。

「まぁ兎に角だ、元気でやれよ、ケイタク君」
「了解でぇーす」

 ほろ酔い加減の若き騎士を見てあからさまに嘆息を零すジョンソン。酒を注ぎ足したグラスを押し付けてにやにやと微笑むワーグナー。それに挟まれるように、慧卓は押し付けられたグラスを煽り、喉を焼くような葡萄酒を上機嫌で煽っていった。
 その一連の会話に聞き耳を立てていた者が居た。口元の脂を拭い取りながら、パウリナは横に座る己の主人に問う。

「御主人・・・巫女って本当ですか?」
「ああ、本当に居るぞ。エルフが信奉する神々に祈りを捧げるのが巫女だ。神聖さと純朴さが求められるから、必然的に麗人や美少女が選出される」
「・・・巫女服は?」
「見た事が無いから噂話に過ぎんが・・・白いひらひらの服らしい。しかも肌の露出が多いとか」
「・・・・・・ふーん、そうなんだぁ」

 肌の露出、という部分に満足げに瞳を開いて何度も頷く。ユミルはジト目でそれを睨んだ。

「盗むなよ、パウリナ?」
「や、やだなぁ、そんな事しませんって。ただ巫女の方と仲良くなって拝借するだけですから・・・互いの合意があれば大丈夫でしょ?」
「ないわ、馬鹿者」

 微苦笑を浮かべてちびりと葡萄酒を煽ったパウリナから視線を逸らし、ユミルは盛んな炎を上げる篝火を見詰めた。吊るされた焼き鹿から脂が滴り落ち、爛れた肌を伝ってぽつりと炎の中へと消えて行った。
 



ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー



 

「・・・では、この議題は以上の如く裁可するという事で宜しいかな?」
『異議なし』『同意します』『無論だ』

 静謐に包まれた宮廷の一室の中、異口同音の賛同が上がり、レイモンドは満足げに首肯した。裁可された議題が記載された巻物を横にずらし、次なる議題を取り寄せる。巻物に記された文面を見て一度眉間を押さえ、言葉を出す。

「では次の議題に移る。昨今王国臣民に不安の種を落としている、憲兵達の乱暴についてだ。具体的な事案については、配布してある資料を参照して欲しい」
「・・・聞くに堪えず、そして見るに堪えん。なんとか改善せねばなるまい」

 見事に設えられた大理石の円卓を囲むように、幾人もの老いた男達が座り込む。その内の一人が零した言葉に幾人の者達が首肯をし、或いは露骨に巻物を机上に放る。文面に走るのは数々の乱暴の概要であり、心胆寒からしめるものから、義憤を込み上げさせるものまで選り取りみどりの内容であった。全てが憲兵達が行った悪行だとするのならば、王都に約束されていた秩序とは一体何なのか、今一度考え直す必要があるようだ。
 レイモンドは白髪を撫で付けて、向かいの席に座って沈黙を保つコーデリア王女を見遣り、再び巻物に視線を落とした。

「これらの事案について、残念だが、当事者間の和解は為し得ないものと見て良いだろう。それほどに惨く、解決の糸口が見えぬものだ。即ち我等宮廷中枢の者達が一手を加えぬ限り、状況は改善の余地を認められん。憲兵長も同様の意見を持っておる」
「つまり何らかの政治的な介入は必然、という訳だな」
「そう言っておる。この問題について、誰か意見はあるか?・・・ブルーム卿」

 切れ長の瞳を静かなままに、軽く挙手していた手を下ろしてブルーム卿は語っていく。

「執政長官殿、指名に感謝する。私の考えとしては、当該事件を起こした悪徳な者達の処罰は当然として、二度とこのような事態を起こさぬよう、憲兵の監視機関を設ける必要があるというものだ。我等が優秀なる文官達に仕事を回せば、何とか出来るだろう?」
「お、御言葉だが、卿よ。我等実務の者達は現在手一杯の状況なのだ。秋の収穫やそれに伴う実際の税収の把握、商人らの活動の認可、他にもやる事が沢山ある。仮にそれが回ったとしても、優先順位を考えるならば、かなり下位の方にならざるを得ん」
「・・・そうなのか?財務官?」
「はっ、真、その通りで御座います。矢張り此処は騎士の方の手を借りていただく他にはーーー」
「おいおい、頼むぞ?秋には大規模な軍事演習が予定されておるのだ。今は訓練で文官並に忙しい。手が回る訳無いだろう?・・・ああ、黒衛騎士団についても同じだ。結成してから間もないあいつらに、そんな大事を任せる訳にはいかん。仮にクマミ殿が棟梁になっているとしてもだ」
「では、この議題は収穫と演習が終わったら再び論じるというのはーーー」
「それこそ論外だ、馬鹿者。これは現下の問題なのだぞ、後回しなどしてみろ。これを嫌って、王都から臣民が流出してしまう。今しか出来んのだ。・・・誰か意見は?」

 ブルーム卿を中心として議論が走ろうとしているが、彼に向かって発言する誰も彼もが下火のような控え目な態度を崩さない。或いは強気な言動のブルームを嫌っての事なのかもしれない。この議題に対して責任を被るような行動を慎んでいると見切ったブルーム卿は、一つ彼らを睨み据えると、そのままにレイモンドを見遣った。

「考えとしてはその案、確かに有りだ。いや、それが最善策なのかもしれん。臣民が求めるのは迅速な対応だからな。だが実行する段となっては、見て分かる通りだ」
「如何せん憲兵を監視するといっても、彼らの行動を全て監視するというのは我等役人には到底不可能な問題です。圧倒的に数が足りませんぞ」
「・・・この際質は考えないものとしよう。現状打破が一番の課題なのだから、今は我等が現下の問題に対応しているというアピールだけで済まそうぞ。・・・他に案は?」

 確定した流れに対する解答は、無言であった。周りの姿勢を窺うように視線を巡らす者、口を開こうとしてそれを閉じる者、最初から議論に参加しようとしない者。事態に痺れを切らして口を開こうとしたブルームを遮るように、黙したままの王女が口を開いた。

「役人ではなく、臣民に、機関の運営を任せるというのは、如何でしょうか?」
「!本気ですか、王女殿下?」

 円卓の老人らがさっと目を向けた。王女は凛然とした瞳のまま、無言でその衆目を一つ一つ見据えた。老人の一人がおずおずと言う。

「で、殿下。御言葉ですが第三者の機関、しかも監視という強力なの役割を担う機関の運営を民草に任せるというのはーーー」
「非常に危ない、と言いたいのですか?」
「あ、危ないという程ではないのですが、その・・・」

 躊躇いがちにしながら閉口するその者を庇うように、周囲の者等が同意の雰囲気を醸し出す。だがコーデリアにとってはそれは己に不満を催すだけの代物である。

「この中には、貴族階級の生まれでは無い者が居るのでしょう?その方々は己が生まれた階層の人々を、信用できないというのですか?」
「そ、そんな高度の政治性を伴う機関自体、一般の臣民を受け入れる余地が無いというのが正しいのです。まして、はっ、臣民にですと?彼らのような馬鹿をそんな機関に据えるというのは・・・・・・あっ」

 老人の一人が顔付きをはっとさせて王女を、そしてレイモンドへと目をやった。後者は無論の事、前者の視線といったら、口走った男を射殺さんばかりの強烈さであった。

「・・・・・・貴様、半年間、三割減給」
「・・・嗚呼・・・」

 執政長官の冷徹な判決に、男はやってしまったとばかりに顔を顰めて俯く。隣に座る男が励ますように小声で囁いた。静けさに満ちた一室にその声は良く通った。

「そういうのは私とて時折思うがな、口に出すものではないぞ」
「その通り。彼らを馬鹿にする事自体が為政者としてあるまじき行為です。彼らの知性を向上し得ないでいる自分達の無能さに対する批判となるのです。貴方には、その自覚が無いのですか?」
「・・・・・・失礼致しました」

 男が頭を下げた。王女はそれを一瞥すると、再び座上の老人達を見据え、強気な言動で言い放つ。

「自分達が治める人々なのですよ?貴方達を常日頃から、この白銀の都で見てきた人々です。毎日を都で過ごし、そして其処に生じる問題に正面からぶつかってきた人々なのです。寧ろ彼らは、貴方達より街の仔細の問題に詳しい」
「殿下、憲兵との諸問題は別です!これは政治の問題なのです!我等で解決できるものです!」
「では聞きますが、政を司る者なら誰であっても、この問題を解決出来るという確証があるのですか?冷静で公平な判断を下せると?私は知っていますよ、この中には憲兵の幾人から内密に、経済的な支援を受けている者が居るという事実を。誰がとは言及しませんが」
「くっ・・・」

 更なる反論を紡ごうとした男の手を、同僚が諌めるように引き止める。無謀な真似をするなと頸を振られ、男は不承不承といった顔付きで閉口して、王女を睨む。その視線に目もくれず、王女は更なる言葉を紡いだ。

「貴方達は自らが治める人々を今一度、信じるに値する者だと知るべきです。自らが治める都に居住する権利を与えた者達なのです。一度信じたからには、二度信じるのも容易い事でしょう?
 ・・・彼らは確かに、高度に知的というわけではありません。しかしその純朴さゆえに、日々の問題に対する理解や熱意は、人一倍のものがあるのです。もしかすると、私達が思う以上に」
「・・・しかし・・・」
「此の期に及んで否定の意見を出すからには、それ相応の考えがあるんでしょうね?私の熱意を打ち砕くほどの、強い考えが」
「・・・・・・・」

 反駁を口にした者は閉口して視線を逸らす。他の多くの者達も同様であり、唯一、執政長官とブルーム卿だけが彼女に視線を送っていた。

「殿下」
「なんでしょう、レイモンド」
「・・・いや、姉君に大分似てきたと、思いましてな」
「っ・・・そうですか」

 王女は瞳の凄味を大分緩めて、その言葉の意味を咀嚼するように口を閉ざす。レイモンドはそれを常の冷静な目で見遣り、周囲を窺った。

「他の者はどうだ?何か意見があるならば言っておけ」
「・・・殿下、一つだけ聞きたいのですが」
「なんでしょうか、ブルーム卿」
「仮にです。仮に貴方が信じた王国の臣民が、幾人でもいいのですが・・・我等を、王国を裏切って、敵に利するような真似をした場合には・・・その者達を粛清して構わないのでしょうか?」
「き、貴様、ブルーム!!」

 円卓の僅かな者達がはっとして声を漏らした。一手に視線の集中を引き受けたブルーム卿は政を考える為政者の一人としてではなく、本職である、マイン王国大将軍としての厳粛で鋭い目付きをしており、それを乱れる事無く王女に向けている。

「殿下、もう一度聞きます。粛清して構いませんね?」
「・・・・・・・・・そうならない事を、私は祈るだけです」

 言及は避けた。だがその言葉の裏には、裏切り者の処罰も止むを得まいとする王女の教育の声が隠れていた。ブルーム卿は一つ頷いて執政長官に言う。

「レイモンド長官、私は王女の意見に賛同致します。民草に運営を委託するのであるならばその機関の設立に協力致します」
「・・・但し書きが必要だ」
「機関が暴走した暁には、その責任は発案者である王女殿下には帰属せず、賛同者の私に帰属致します。そして私はそれの速やかなる鎮圧の責務を負います。それを認めていただきたい」
「・・・仮に暴走が起こった場合、鎮圧するまで辞任も自刃もするでないぞ?良いな?」
「無論です」

 レイモンドは鷹揚に頷いて、円卓の老人らを、宦官の謗りを受ける王国の重臣達を見据えた。

「諸君、もう一度聞く。私の考えに王女殿下とブルーム卿の修正を加えた案について、他に意見したい者は?」
『・・・・・・』

 再度の無言が満ちる。鼻を一つ鳴らしてレイモンドは議長として決定を下す。
 
「では、この議題の結論は私とブルーム卿の裁量の下、国王陛下に奏上するとしよう。今日中にだ。詳細は後日の議論で詰めるとする。分かったな?」

 老人達は異議も賛同も唱えない。言及を避けようとする意思だけが王女には伝わってきた。彼らの狭量さを無視するかのように執政長官が次の議題を読み上げる中で、彼女は心中に言葉を零す。

(・・・これでいいんだよね、ケイタク)

 他人を信じる事。自身はそれを、公民問わず、遍き人々の善意を信じる事と解釈した。自らが取った初めての一歩は朧のように不安定に見えて、彼女は心中で想い人に問う事で、自信を確立しようとしていた。
 机に肘を突いて口元を隠す彼女を見て、執政長官は彼女の提案に確信的な危惧を抱きながらも、それをあっさりと引っ込める。己の大望を実現するためには、その程度の危惧などそれこそ部屋の隅に溜まる埃の如く、矮小な事物であったのだ。
 この日の議論中、王女は思う所あれば少なからず意見を出し、例には見ないほどの政に対する積極さを見せ付けた。この日以降宮廷において、王女に対する認識は少しずつ変わっていく。第一王女の如き凛然さを彼女に見出す者達が現れるのも、そう遠くは無い出来事であった。
 
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