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逆さの砂時計

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Side Story
  少女怪盗と仮面の神父 48

 アルフィンと距離を置いたハウィスに、暗闇が再び襲い掛かった。
 と言っても、行動不能になるほどの重い病気を患ったとか、意識を失ってベッドに逆戻りしたとかではない。音が聴こえなくなったり、物が見えなくなったりした訳でもない。
 家事も仕事も散策も会話も常人と変わらない程度にできていたし、日常生活に大きな支障を来す事は何も無かった。
 ただ、「感じなかった」のだ。
 視界は常に白黒で、耳に入る音は右から左へ素通りしていくだけ。重い物を持ち運ぶ時に掛かる体への負担も、火傷した時の熱さや痛みも、口に含んだ飲食物の匂いや味や食感も、喜びも怒りも悲しみも嬉しさも悔しさも、何一つ残らない。
 まるで、自分じゃない誰かの体験を薄い膜の反対側からぼんやり眺めているかのような、身にならない空しい月日の経過。
 それ自体にも、何も感じなかった。
 「……七年前、再度視察に来たエルーラン殿下がね。私の顔を見るなり、開口一番「お前、不気味。」なんて言ったのよ。上辺だけの笑顔を指摘するにしても、女性に対して失礼な言い草でしょう? でも、当時の私は「そうですか」とさえ思わなかった。本当に何も感じてなかったの。殿下が村に着いた次の日、あの浜辺で、貴女と出逢うまでは」
 第二王子の私宅を預かる身であっても、ハウィスの扱いは一般民だった。職務が絡む王子達と騎士団員の話が聞こえる範囲内に居る訳にもいかず、報告会議が終わるまではと、家を出て村の内外をふらついていた時
 
 「おとうさん…… おかあさん……」

 声が聞こえた。
 アルフィンのものとは違う、小さな女の子の声。
 小虫の羽音よりずっと頼りなく、風の音にも吹き飛ばされそうな……なのに、何故かハッキリと聞き取れた、か細い声。
 村の人達は先程まで午後の雨に備えて各々の職場付近を慌しく動き回っていたが、今は殆どが帰宅して窓や扉を閉め切っている。勿論子供達も、荒天時の海辺は危険だからと真っ先に連れ戻されていた。
 こっそり遊びに出ていて帰りが遅れたのか? しかし、少しの間耳を(そばだ)ててみても、両親を呼んでいたらしい声に応える大人の気配は無く。
 どうして女の子が一人で屋外に居るのか、久しぶりに疑問が湧いた。
 声が聞こえてきたほうへ何の気無しに足先を向け、波打ち際で水平線をじっと見つめるボロボロな背中を見付けて……
 氷が、ひび割れた。
 纏まりなく伸びて千切れた髪。枯れ折れた植物や泥等で満遍無く汚され、袖や裾が見るも無惨に引き裂かれているワンピース。外気に晒された異常な細さの両手足は、折れていないのが不思議なほど傷だらけで。菜園方面から続く不自然な形の足跡は、靴底が役に立ってない事を証明していた。
 どう見ても一般家庭の子供ではない後ろ姿に、心を壊された幼いマーシャルの、首を切って倒れたウェミアの、義父の帰りを待ち続けるアルフィンの幻影が重なる。
 体の奥でパリン、パリンと、硝子が砕けていくような音が響く。

 ああ……この世界はなんて醜く、残酷で、理不尽なのか。

 確かに、子供や弱者を助けたい護りたいと言いながら、その実ウェミアやアルフィンのような犠牲者を生み出していたブルーローズは、方法を間違えていた。人間世界の仕組みについて少しでも考えていれば、そういう事も有り得ると気付けた筈なのに。盗まれた側の事情には目を向けようともしなかった。本当に、短絡的で愚かだとしか言い様が無い。
 そんな自分達にエルーラン王子は、社会の在り方に不満や意見があるなら、自分とは立場が異なる者達と話し合いを重ねて問題点を洗い出し・相応の後ろ楯を得て保身を図り・周囲の状況を見極めつつ・権力者を相手取り・一定の譲歩を見せながらも・己側の利になる物事を引き出せ、と言った。それはきっと、犠牲を最小限に抑えられる「正しい方法」なのだろう。「ある程度の力を身に付けていたブルーローズは」、彼の言葉通り「正しく」在るべきだったのかも知れない。
 けれど。
 ならば、誰かに何かを託して結果を待つ余裕も無い飢餓と毎分毎秒戦い続けている浮浪者達や、救助の求め方を覚えるより先に最も身近な庇護を失った幼い子供達は、いったいどうしたらいい?
 執政者達を束ねる王族の支援も届かない、稀に与えられる一般民の気紛れな同情や義賊の支援が無ければコップ一杯分の飲み水も満足に得られない彼らにまで、膨大な時間と周到な用意が必要な「正しい方法」を踏襲しろと言うのか。
 そもそも、弱者や被害者を「足手纏い」「汚点」「生産性に欠ける塵」と蔑み疎むこの社会に於いて、幼い子供や障害を負った者達がその身一つで犯罪行為も無く交渉に不可欠な後ろ楯を得るなんて、余程の幸運と強運に恵まれていなければありえない話だというのに。
 両親を目の前で斬り殺されて泣き叫ぶマーシャルが周囲の人間にどんな目で見られていたか、エルーラン王子は知らない。
 マーシャルの心が壊された瞬間を、年齢に相応しくない異様な言動の数々を、エルーラン王子は見ていなかった。
 職を失った元貴族のウェミアが、最終的には売春と呼ばれる犯罪行為に走るしかなかった現実を、エルーラン王子はどう捉えているのか。
 今この瞬間、全身ズタボロなあの子を前にしても、彼は「正しく在れ」と言え……

 (……あの子は…… 何故、こんな所に居るの?)

 物流も人の流れも少ない国端(ネアウィック)では、盗める物など限られている。一日でも長く生きたいと願うなら、捕まる可能性がどんなに大きくなっても、人が多く行き交う場所へ向かう筈だ。現にブルーローズもそうしていたし、居住地の規模と犯罪発生率は大体比例する。
 なのに、遠くから来た浮浪児であろうあの子は、立地でも経済でも行き止まりのネアウィック村に侵入し、自警団を装う騎士達や菜園主に追われている様子も無く、たった一人で水際に立っていて。
 (何を見てるの? 盗みが目的じゃないなら、何をしに、此処へ来たの?)

 あなたは

 「どうしたい?」

 尋く声は少し、震えた。
 「これから、どうしたい?」
 女の子の肩が微かに揺らぐ。
 やや間を置き、海に向かっていた視線がゆっくりと振り返り……


 「ちょっと待った。」
 「?」
 軽く持ち上げた左手で話を遮るミートリッテに、ハウィスの両目が瞬いて傾く。
 「いや、その。もしかして、なんだけど……。あの時の私、ハウィスには自殺志願者に見えて……た?」
 恐る恐る尋ねてみれば、返って来たのは肯定を表す頷きと、苦笑い。
 「うわああ……っ! それで、生きたいかどうかを尋いたんだね!? 自殺するつもりなら止めようと思って……っ」
 「いいえ」
 顔を見合わせる前からそんな心配をさせてたのか! と、頭を抱えた瞬間、ハウィスがきっぱり否定する。
 「……いいえ。貴女が「もう嫌だ」と……「死にたい」と答えていたら、私は即座に貴女を殺していたわ。そして、私も一緒に死んでいた」
 何でもない事のように紡がれた言葉が氷の槍となり、ミートリッテの脳と心臓を貫く。衝撃で跳ね上がった視界の先で、群青色が目蓋の奥に隠された。
 「他にどうしていいのか分からなかったから。せめて最後くらい、誰かの願いを叶えてあげたかった。浮浪者(あなた)が諦めているのなら、もう良いよって。もう、苦しまなくて良いよって。そう言ってあげたいと、思ったの」

 『死にかけてたハウィスを生かす為、私が手札を失くさない為に』
 
 (エルーラン王子は……ハウィスを一目見て全部解ったんだ)
 彼女は失望し、絶望していた。
 争いを繰り返し他者を虐げるばかりの人間にも、それを黙って受け入れている世界にも、誰かに生かされているだけの無力な自分自身にも。
 苦しみすらとっくに通り越して。耐えられなくて。彼女の精神は無自覚なまま壊れ、砕け散る寸前まで追い込まれていた。
 「ハウィス……」
 「でも、貴女は生きたいと願った。どんなに辛くても、誰かと一緒にこの世界で笑いながら生きていたいんだと訴えた。驚いたわよ? 私よりもずっと幼い満身創痍な女の子が、自分を切り捨てた社会を、それでもまだ諦めてなかったんですもの。酷い目に遭って尚人間の子供でありたいと泣き叫ぶ貴女を手に掛けるなんて、私にはできなかった。失くしていた色彩が貴女を中心にして広がっていく……目が覚める感覚だったわ。この小さな命が此処に在りたいと望む限り、全力で護ろう、全力で生かそう、それが私の存在理由なんだ。とさえ思った。……アルフィンの手はさっさと離したクセに、随分な身勝手ぶりよね」
 泣きそうな顔で微笑むハウィスに、ミートリッテは何も答えられない。
 アルフィンから離れた件で彼女に物を言えるのは、ブルーローズの行いで生まれた被害者(アルフィン)本人か、アルフィンの世話をハウィスに託したグレンデル夫妻だけだ。ブルーローズと同じ立場のシャムロックには、同情も非難も許されない。
 押し黙る娘の横顔をじっと窺っていたハウィスも、一息吐いた後、再び目を伏せて語り出す。
 「それからはミートリッテが知ってる通りよ。高熱で倒れた貴女を抱えて家に戻った後、私は貴女を引き取る為にエルーラン殿下から村長様を介してこの家の所有権を買い取り、アルスエルナ王国軍所属騎士の称号と任務を授かった。貴女には、犯罪抑止を目的とする後催眠暗示と健忘暗示を施した。私が騎士の仕事を正式に始めたのは、二人で南方領を巡るようになった頃から。最初は南方領各地の防衛体制を密かに視察。次はネアウィック村の自警団と村外に配置されている騎士達の訓練を観察し、組織運営に関する改善策を提言。そして……私自身が真剣を握り、振るう訓練」
 一時期凄まじい勢いで「未知の料理(?)」を量産してたのはその所為だった。ごめんなさいと頭を下げるハウィスに、ミートリッテは無言で頭を振る。
 彼女は剣そのものを怖がっていた。第三王子と騎士達の指導で多少は慣れたとは言え、刃物を扱う料理で集中力が欠けるのはどうしようもない。しかも、同居人には事情の一切を隠していたのだ。自身が抱えているものを悟られまいと、毎日毎日必死だっただろう。
 そんな彼女を、今のミートリッテが責められる筈もない。
 「……家事の一つもまともに熟せない、情けない状態だったからね。実を言えば、貴女が一人で南方領を見て回りたいと言い出した時、ちょっとだけ気を抜いてしまったのよ。幼い子供の一人旅という「体裁」を除けば、貴女は村の外で思う存分好きな事を学べる。私は訓練を見られる心配が減り、鍛錬に集中できる。どちらにとっても都合が良い話だなって。そういう安易な考え方をしたから……貴女にも、ブルーローズと同じ過ちを犯させてしまった」
 南方領貴族の屋敷から物が消失する事件は、発覚当初、貴族の間でも極秘事項とされていた。
 ブルーローズが姿を消して数年。上がり続けた税金への不満が社会全体に蔓延する中でまたしても義賊が現れたとなれば、治安や経済や人心の面で厄介な事態に陥るのは目に見えていたからだ。最悪の場合、税金を投じて強化した筈の防衛力にまで、他領の人間からも口出しされかねない。
 政治能力の疑問視。
 執政者達にとってそれは、なんとしても避けねばならない進退問題だった。
 しかし。
 一度目は沈黙。二度目は静観。三度目は水面下の対策。四度目は近辺の調査。五度目は罠を張り。六度目は警備を増強して影を追走……そうやって、南方領各地で物が消える、消えないようにする、を繰り返せば、当然異常事態に気付く者も徐々に増えていく。
 一般民の間で「古い道具がいつの間にか新品に変わっていた」「生産者に入る売上金が微妙に増えている」と噂が立てば、貴族の所有品消失事件と話が混ざり合い、義賊が活動しているらしいと結論付けられるまで、そう長い時間は掛からなかった。
 一件や二件程度であれば盗まれた貴族を責めるだけで終われるが、五件も六件も立て続けに奪い取られた挙句自分が預かる領地にまで現れたとなれば、最早他人事では済まされない。そして、自分以外にも被害を被った者が居るのなら、自分だけが能力不足を責められる道理も無い。
 被害を受けた南方領貴族達は秘密裡に会談を重ね、怪盗の存在を一斉に公表した。
 それが通称「山猫」だ。
 彼らは、自分達が大っぴらに恐れることで「山猫」の能力を非常に高いものであると喧伝した。「自分達は悪くない。相手の手口が想定よりずっと巧妙だっただけだ」の構えに他ならないが、シャムロック本人も盗みを繰り返す力量を見せつけていたので、強ちただの言い訳とも言えず。
 結果、被害に遭ってない貴族達にまで過剰な警戒感を植え付けてしまう。
 かつてのように盗人の好きにはさせまいと考える貴族達にとって、「自分の采配で」怪盗(民心を乱す存在)を取り押さえる事実は何よりも重要で。その為の戦力の出所には然程拘れなかった。
 アルスエルナに戸籍を持たない護衛兵を雇う南方領貴族の増加は、運営費全般の微妙な変動から直ぐ様王室の耳にも届く。南方領に領地を預かるエルーラン王子も、義賊の再出現を感じ取った時点で、被害の実態調査とハウィス・アルフィン両名の監視強化をネアウィック村周辺の騎士達に命じていた。
 不幸だったのは、外出時のミートリッテに付けていた監視者が一人だけで、シャムロックの活動開始時刻がブルーローズの活動開始時刻よりもずっと遅く、朝に近かった事。しっかり鍛えた大人でも眠気に襲われる時間帯……昼間に商いを展開して深夜に移動する行商人ならともかく、幼い子供が一人で動き回ったりはしないだろう、という侮りと偏見、貴族の自尊心による被害の公表遅れ等々が、シャムロックの正体をエルーラン王子の目からも遠ざけてしまっていた。
 「貴女が心臓を止めて倒れた時もそう。通常なら、帰り着く頃には監視者から鳥を使った連絡が届く筈だった。いいえ、届いてはいたのよ。でも、貴女が居ない隙にと中央広場で対武装勢力を仮定した実地訓練をしている最中、夢中で剣を振るっていた私を含むみんなが、上空を旋回し続ける鳥に気付けなかった。真っ先に気付いた「彼」が貴女の帰村を止めようと動いたみたいだけど……」
 「……私が、振り切った……」
 村の入口を少し入った所まで戻った時、やけに賑やかな気配がするなぁとは思ったのだ。それがまた、男女入り混じった歓声に聴こえたものだから、楽しい催しか何かでもしているのかと。
 なのに、出迎えてくれた「彼」は慌てた様子で自分を引き止めたがっていて。早くハウィス達に会いたかった自分は、「彼」の制止を振り切って騒ぎの中心へ向かい……
 「……貴女の所為じゃないし、「彼」の不手際でもない。私が油断したの。真剣を握ってる時は相手から目を逸らしちゃ駄目だと解っていたのに、突然聞こえた貴女の名前に気を取られて……そうして、今度は貴女を死なせてしまうところだった」
 ハウィスの右手が、自身の左脇をそっと撫でる。奇しくもマーシャルが負傷した箇所と同じ其処には、ミートリッテを呼ぶ「彼」の声に反応し、振り向きかけた時に刻まれた傷が残っている筈だ。
 「おにいさん……ベルヘンス卿が助けてくれたあの後からの私の記憶が一部曖昧なのは、風邪をひいて寝込んでたんじゃなくて、本当は桃の暗示で眠らされてた所為……なんだね?」
 「それもある、が正しいわ。蘇生処置を施したベルヘンス卿がエルーラン殿下へ(ほうこく)を飛ばした後、貴女は実際に三日間くらい熱で寝込んでいたから。桃の果汁が届いたのは、熱が治まる頃だった。それで、怪我に関する記憶は忘れさせたほうが良いと、私達三人で決めたのよ」
 「「彼」とベルヘンス卿とハウィス、で、三人?」
 「そう」
 「……そっか……」
 浅く頷くハウィスに、ミートリッテの拳がきゅっと固くなる。
 鮮血を舞い散らしながら地面に転がるハウィスと、剣を滑らせた勢いで倒れ伏す騎士候補生らしき男性と、周りを囲む村の人達の悲鳴と。
 幾ら暗示を使われていたと言っても、大切な人のあんな惨劇を綺麗さっぱり忘れていた自分が信じられない。
 「……あれ? でも、あの状況だと村のみんなは騎士団の存在もハウィスの仕事も知ってたんでしょ? 七年間、私の耳にそれらしい会話が一音も入って来なかったのは、エルーラン王子が口止めしてたから?」
 「いいえ。あの日の出来事はみんなの総意で自主的に口を閉ざしてもらってるし、ネアウィック村の秘密に緘口令を出していたのは、国王陛下と王太子殿下よ」
 「ふぇっ!? こ、国王陛下と王太子殿下ぁ!? なんでそんなに偉い人がぞろぞろと!」
 「エルーラン殿下は「第二王子」で「王太子付きの騎士団長」よ? 国軍の上に立つ王族付きの騎士団を許可無くひょいひょい動かして良い立場ではないわ。不用意な戦力移動は、国内外の権力者や民の余計な不安を煽ってしまうもの。バーデル側に話を通すのも、かなり苦労してたみたい」
 「バーデルも知ってるの!? って、ああ……だから「自警団員に」「直接」請願してたのか」
 「隠して行えば大事(おおごと)になる話でも、最初に打ち明けておけば有利な条件で不可侵の約束を勝ち取れる場合がある……ですって。ただ、国境の危うさを考慮した結果、「特定人材」の「小規模」軍事訓練場に指定するまでが許容範囲内ギリギリだったそうよ」
 「国際標準規定の国境警備隊規模より大きくするな! って話?」
 「ええ。ちなみに、村の人達が知ってるのは、「ネアウィック村周辺が騎士達の軍事訓練場に指定されている事」と「村近辺の何処かに騎士達の隠し拠点が在る事」、「私達十四人の移民団が、元は国内で自警団に類する仕事をしていた事」と「エルーラン王子に実力を買われて騎士職を宛がわれた事」。それと「私が騎士達と自警団に剣術を教える立場を与えられた事」。バーデルが知ってるのは、「現リアメルティ領主が第二王子であり、前領主を代理に据えている事」と「ネアウィック村の周辺が王族付き騎士団の小隊と騎士候補生達の訓練場になっている事」、「王族付き騎士団員が自警団に少数混ざっている事」と「私が騎士達の剣術指南役を務めている事」だけ。どちらも、私達移民団が元義賊(ブルーローズ)だったり、私がリアメルティ領主の後継者だったり、第三王子と第二・第三騎士団の小隊隊員が自警団以外でも村民に紛れ込んで生活している……とは、夢にも思ってなかったわ。アルスエルナへの入国許可と引き換えで貴女を国外へ逃がした時も、私とベルヘンス卿は教官役騎士隊長、貴女は私の養女で、暗殺者に狙われているらしいアリア信仰の関係者、としか説明してないし」
 「真実は殆ど話してない!?」
 「重要なのは通した話が真か否かであって、その他の部分はバレなきゃ良し! だ、そうです。」
 「暴論にも程がある!!」
 自分に対しても、誰にも何も悟られなきゃ良いだけの至極簡単な話だと気軽に言ってたが、まさかあれ、本気じゃなかろうな。シャムロックが言えた義理じゃないが、バレなきゃ平気! なんて考え方をしてたら、いつか国単位で痛い目を見るぞ! と、急激な悪寒に襲われて震える体を抱えつつ、頭を数回横に振り、溜め息を一つ零す。
 でもこれで、みんながアルフィンを探してる間ですら、言葉や態度に何一つ出さなかった理由が分かった。
 (そりゃあ「お黙り!」なんて勅令・上命を喰らってたら、何処に誰が潜んでるか判んない状況下で「助けて騎士様!」とは口が裂けても言えないよねぇ……。その時は助けられたとしても、後々情報漏洩と勅令違反と命令無視の罪で処刑されちゃうもん。それに……多分、私の体を心配してくれてた面もあるんだ。だからこそ、アルフィンと私の確保を一層急いでた)
 ハウィスが負傷し、ミートリッテの心臓が止まってしまったあの一幕は、村の人達にも少なくない衝撃を与えただろう。
 役職上、騎士と剣は切り離せない関係だ。万が一帰村したミートリッテと任務遂行中の騎士が出会して、また怪我人を見てしまったら。そう考えてもおかしくはない。
 (……怖かっただろうな、みんな。目の前で人間が同時に二人も死にかけるなんて。しかも私は、何故・どの程度の怪我で心臓を止めちゃうのか、ハッキリしてなかった。いつ・何が切っ掛けで倒れるか判らない人間なんか面倒臭いし、精神的な負担を思えばあまり関わりたくない筈。それでも、私を避けたりはしなかった。みんな、優しくしてくれてたんだ。私が感じてたよりも、ずっと)
 「暴論……。そうね。エルーラン殿下の遣り方は、真相を知れば知るほど暴力的に大雑把なのよ。なのに、導き出される結論はいつも「最善」だった。今回の件もそう。アルスエルナを快く思わないバーデル軍と暗殺組織を相手に、いきなり始まってあっという間に終わった程度の規模で片付けてしまった。下手をすればアルスエルナ全土を巻き込む大騒動になっていたかも知れないのに、よ?」
 予め結末(いま)を知ってたんじゃないかと疑いたくなる伏線の張り方は、人間業とは思えない豪快さと精密さで。怒りに身を任せたハウィスが全滅させようとしていた暗殺者集団でさえ、全員は殺さなかった。殺させなかった。
 総てはハウィス母子を護る為。延いてはアルスエルナ王国の防衛力を維持する為に。
 「私が知る限り、殿下が判断を間違えた例は無い。彼はいつでも正しかった。……でもね。七年以上殿下の庇護下に置かれていても、一つだけ、腑に落ちないの。「力無い者達はどうすれば良いのか」って疑問に、私は今でも答えを出せないでいる。それだけはどうしても、殿下に教わった方法が正しいとは思えなかったから。ずっとずっと考えて……だけど、全然判らなかった。だからって、貴女に総てを託すのは卑怯……なのでしょうけど……」
 力有る者達にも総てを救えるほどの力は無く。
 されど、彼らと彼らに護られた者達は、社会の恩恵を受けられない者達が生きようと必死で足掻けば足掻くほど、秩序を乱すなと容赦無く責め立てる。
 差別的で冷たく、閉鎖的で残酷で、何処までも理不尽に穢された世界。
 それでも生きたいと願う者達は、どうすれば良いのか。何処へ向かえば良いのか。
 できるなら、その答えを見付けて、進むべき道を示して欲しい。
 「……んー、と……」
 少しの沈黙を挿んだ後、話せる事は全部話したと深呼吸を数回繰り返すハウィスに
 「もう、出てるじゃない。ハウィスの答え」
 きょとんとした顔を傾ける。
 「え?」
 「そりゃあね。自分から神父様の思うつぼに嵌るのはすっっっごく癪なんだけどね。両手、見せて」
 「手?」
 「うん。手のひらね」
 意図が理解できず戸惑うハウィスの両手首を持って引き寄せ、右と左を見比べてみる。
 「あぁー……こうやってちゃんと見てれば、水仕事だけにしては荒れ方とか硬さが不自然だってハッキリ判るのになぁ……。このたこなんて、何度も直に触ってた筈でしょ? なーんで気付かなかったんだろ。いや、剣士の手を知ってるワケじゃないし、剣たこ? って言うの? 普通の人はそうそう見ないよね。貴族の護衛兵は大体手袋してたし。うん。私が特別間抜けだったというオチではない。多分。」
 「ミートリッテ?」
 「ねぇ、ハウィス。「ヴェラーナ」の意味、知ってるよね? 「ウィリアー」も。あれ、何処の言葉なの?」
 「!?」
 突然切り出したマーシャル絡みの単語に動揺したのか、一瞬見開いた目が ぐっ と寄った眉根に引き摺られて細くなる。
 「……ヴェラーナは「姉」、ウィリアーは「妹」。西の大陸……桃の原産地で使われている言葉よ」
 「やっぱり! じゃあ、「ヴェッラティーナ」は「姪」で合ってる? 「バーナベアレ・フィドゥ・ミア・ラ・ヴェッラティーナ」は?」
 「ちょ、ちょっと待って! 私だって、他国の言語に詳しいわけじゃないのよ!? えーと……ヴェッラティーナは合ってるけど、バーナベアレ? は……ああ、多分「vaunaviell-earlei」……「再会」ね。フィドゥは接続詞? のような物で、ミアは「私の」、ラは女性を示す言葉の最初に付ける物だから……って………ミートリッテ……? これ、いつ・何処で、聴いたの?」
 「ハウィスが仕事を休んで家の片付けをしてる時、中央広場で。」
 「ッ!! ……あ、っっの子はぁああ……っ!」
 天井を見上げ、首を捻り、低く唸りながら導き出した答えに、義母の声が一音下がった。ついでに室温も急降下したようだ。相当怒らせてしまったらしい。
 当然か。彼女は……マーシャルは、ハウィスの言い付けを破ってミートリッテに接触しただけでなく、事と次第によってはエルーラン王子の計画を破綻させる重大な一言を放っていたのだから。
 
 『また会いましょうね、私の可愛い姪っ子さん!』

 エルーラン王子とハウィスが交わした賭け……「シャムロックが義賊の罪に気付かず指輪を盗み出し、偽海賊(ブルーローズ)の手元に届けてしまうかどうか」は、商人殺しに紛れ込んだ義賊の被害者をアルスエルナ国内に引き留める為の罠だった。
 つまり、ミートリッテに割り振られていた本来の役目は、ネアウィック村に侵入した連中がシャムロック又はブルーローズを嗅ぎ分けるまで、他の村民とは違う動きを執り続ける事。
 実際は一日目にしていきなり目を付けられていたし、結果的にはアルフィンのほうが重要だったので問題は無いのだが……もしも、そうと判明する前にミートリッテが罪悪感で引き籠ってしまったら?
 囮もへったくれもない。
 ブルーローズは騎士として普通に仕事を熟し、獲物探しで躍起になったイオーネ達は、アルフィンの存在を認識するまで堂々と村を荒らし続けるか、罠に気付いて早々と離脱するかのどちらかだ。どっちにしても、その時点で拘束役のエルーラン王子が村に居なければ、計画は全部徒労に終わっていた。
 そんな際どい状況下でマーシャルが回りくどい自己紹介を残していったのは、十中八九、ミートリッテを貴族にさせたくなかったハウィスの為だろう。
 「ハウィスの立場を考えると、答えそのものは言えなかった。でも、私が船上での演技を見聞きしてたのは知ってる。だから、敢えて私に接触したんだと思う。「ほら、この顔をよく見て。この声をしっかり聴いて。貴女はこの姿にそっくりな女性を、この声を何処で聴いたのかを、ちゃんと知ってる筈よ。お願い、貴女を取り巻くものに早く気付いて。姉さんを悲しませないで」って。そう伝えたかったんだよ、マーシャルさんは」
 何も見てない・気付いてない。あれはやはり、アーレストとの恋愛話ではなかった。
 正しくシャムロックへの忠告であり、ミートリッテへの懇願でもあったのだ。
 アーレストは、含みを持たせて誤魔化すことで、機密漏洩一歩手前なマーシャルを庇っていた。
 「優しいね。ハウィスも、ハウィスの周りに居るみんなも。すっごく優しい」
 「……ミートリッテ?」
 女性にしては硬い両手のひらに顔を埋め、口付ける。
 ミントの香りがするこの手は、人殺しの手。
 だけど、冷たくはない。
 優しい心を持った人の、温かな手だ。
 「この手が、マーシャルさんと私を抱き締めてくれたの。此処に居て良いよって。何も持たない私達に、命懸けで温もりと居場所をくれた。マーシャルさんも、居場所をくれたハウィスの為に、身を挺して私を護ってくれた。だからね。今度は私が、何も持たない誰かに、この温かさを全力で分けてあげる番」
 左右交互に頬擦りして顔を上げ、にっこり笑う。
 「子・ミートリッテ=ブラン=リアメルティは、母・ハウィス=アジュール=リアメルティに誓う。私は後のアリア信仰アルスエルナ教会の大司教という立場を利用……もとい。活用して、この世界の意識を変革する!」
 人は誰しもちっぽけな存在で、生命全ては救えない。
 けど、近くに居る誰かの手を握る努力くらいなら、誰にだってできるんだ。
 そう。誰にだって。
 「自分以外の凍えている誰かを、無条件で抱き締めてあげる。抱き締められた誰かが、また別の誰かに温もりを分けてあげる。そうやって、最初に抱き締めてくれた人へもう一度温もりが巡るまで、みんなが・みんなで・支え合うの。手を貸す事を恥じたり怖がったりせず、誰かに与えられた事を素直に感謝し、受け入れて、次へと繋げる。そうやって、嬉しいや楽しいや温かいをみんなで共有するの。誰だって自分の生活で手一杯だもん。簡単じゃないってコトは百も承知だよ? いきなり「助けてあげようよ!」なんて言ったって、「そんな余裕は無い!」で一刀両断されちゃうのは分かり切ってる。けど、みんながみんな誰かの窮状を見て見ぬ振りしてるワケじゃない。私が諦めずに手を伸ばし続けていれば、自分もと思ってくれる人が少しずつでも増えるかも知れない。そうなれば、助かる命もぐんと増える。同じ時間を、よりたくさんの人と一緒に生きていけるの。具体的な方法は実務に携わってみないと何とも言えない。でも、いつかきっと、それが自然な事だと思える世界へ導いてみせる。ハウィス達の答えを、私が世界中で体現してあげる!」
 戸惑うハウィスの両手を自分の両手で包み、俯いた額にこつんと当てる。
 (……イオーネが聴いてたら、綺麗事だ寝言だふざけるなって、嘲笑うか喚くかするんだろうな。実際、即効性に期待できる答えじゃないし。現時点で案も策も無いのなら理想論と何が違うのか? って話だよね。うん。其処は否定できない)
 獰猛な目付きで襲い掛かって来る女性の姿が目に見えるようで、首筋がちょっとだけひんやりした。
 しかし、忘れてもらっては困る。
 ミートリッテとハウィス、エルーラン王子とブルーローズは、元々赤の他人だった。偶然と必然が複雑に絡み合って現在の形に落ち着いただけ。
 なら、ハウィスの答えは絶対実現不可能な夢物語でも、机上の空論でもない。どんなに果てしない道程でも、叶えようと努力し続ければ手が届く「現実」だ。問題は、その距離を如何にして短縮させるか。
 やはり、まずは身近な所から始めるしかあるまい。
 (そうだね、イオーネ。貴女の言葉も正しい。罪悪感で膝を抱えていたって誰も何も得られないし、何処へも進めない。『得られるモノが一つも無い行為に執着しても、時間の無駄。無意味』だ。私達が閉ざしてしまった道だからこそ、私達自身の手で切り拓くしかない。これはその第一歩。何処の誰であっても、私達の(げんじつ)を否定させはしない)

 あなたを、傍観者(おいてきぼり)には、しない。
 決して、させない。
 
 「その決意自体は、王族としても非常にありがたいんだけどなー」
 「「っ!?」」
 突然聞こえた男声に驚き、母子揃って振り向けば
 「おとう……じゃない、エルーラン、殿下!?」
 いつの間にか開いていた扉の一歩外側に、全身真っ白な衣で覆われている金髪の青年が両腕を組んで立っていた。
 王族の正装なのか何なのか、深夜の大森林で見た服装より金物の装飾品が多く室内でも陽光の反射が眩しい上に、手の甲まで隠すゆったりとした袖や床を滑る長いマントがとても動き辛そうだ。民家の内装と格好が凄まじく不釣り合いで、目に入った瞬間から違和感が過活動を起こしている。
 大森林の時と同じノリでうっかりお父様と言いかけたものの、彼とそっくりな装いの男性二人がエルーラン王子の後ろに立っていると気付き、今は駄目だと言葉を改めた。
 中腰姿勢から慌てて立ち上がり、椅子の側で片膝を突いて礼を正すハウィスを横目に、ミートリッテもベッドの上で背筋を伸ばす。降りるべきかとも思ったが、エルーラン王子が鷹揚に頷いたので、とりあえずは座ったままで良いらしい。
 「王都へ行く前に大仕事を二つ熟してもらうぞ、ミートリッテ」
 「大仕事、ですか?」
 「これが何か、知ってるか」
 するすると優雅な足取りでベッド横まで移動して来た王子が、袋状になっている袖から何かを取り出してミートリッテの眼前に突き付ける。
 咄嗟に差し出した両手のひらの上に転がる、親指の爪ほどの大きさで丸っこい、鮮やかな緑色のそれは……

 「…………コーヒーの実?」

 『アルスエルナでは自生していないとされる植物』の『生果』だった。

 
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