逆さの砂時計
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Side Story
少女怪盗と仮面の神父 48
エルーラン王子との初対面から、数日後。
意識を取り戻してからは一度も会わなかったマーシャルとブルーローズの仲間十一人が、軍属騎士の位を賜ってエルーラン王子の指揮下に入ったと、事後報告にやってきた。
権力者を嫌う彼らの決断にも驚かされたが、なによりも耳を疑ったのは、マーシャルの『クナート達と一緒にバーデルへ移住する』という言葉だ。
「もうやめてマーシャル! これ以上貴女が傷付く必要なんてないのよ! エルーラン王子が言う通り、貴女は一般民に戻って……」
「甘いこと言わないで! あの王子が、意味もなく義賊を助けると思う⁉︎ 姉さんも気付いてるんでしょう? 生きてこの国に居る限り、私達は互いにとっての人質にされるんだって! 私は姉さんを権力者の操り人形なんかにさせたくないし、姉さんを利用する為の道具になんて、なりたくないの!」
エルーラン王子はまだ、政界に顔を出したばかりの新人領主だった。
多少の実務は学徒時代から経験していたが、各国要人の目に留まるような功績はわざと残さなかった為、各方面で青二才と侮られているらしい。
リアメルティ領を正式に継いだ後も前任の領主を代理の領地管理人として立てていたのは、王子が居を構えている王都とリアメルティ領の間が物凄く離れているから……だけではなく、貴族間の勢力図を上書きするには時期が早いと判断したからだという。
右も左も分からない無力な王子を装って権力者共を欺き。
学び舎の外で民間人に紛れ込んで世界情勢を見極める傍ら、自らの足場を固める目的で、騎士団以外の固有戦力を探し求める余裕を得ていた。
自然消滅寸前のブルーローズを丸ごと拾い上げ、ハウィスを助けてやる。その代わり他の者は当面の間素性を隠し、ネアウィック村で仮労働してろ。と提案していたのも、南方領各地の貴族を長年翻弄し続けた実力を、自分の傘下に置きたいと考えたからだ。
などと、王子本人が臆面もなくハウィスに告白した真相の数々を思うと、マーシャルの警戒はごもっともと言わざるを得ない。
「だからって!」
「お願いよ姉さん。少しだけ待ってて。私がもっともっと強くなって貴女を王子の鳥籠から解き放ってあげる。貴女を苦しめ、哀しませるものを全部、貴女の周りから消し去ってあげるから!」
「マーシャル……!」
違う! そんなこと、私は望んでない! 危険な場所に行かないで!
何度も何度も訴えたが、結局マーシャル達は村を出て行ってしまった。
クナート達男性陣は心も体も強い。
エルーラン王子も認めた彼らの力は、国外でもしっかり通用するだろう。
でも、マーシャルは違う。
バーデルへ送る偵察部隊の中に、マーシャルは含まれていなかった。
クナート達に付いて行くと決めたのは、マーシャルの一存だ。
アルスエルナの外へ出てしまえば、マーシャルの身を護ってくれる物は、エルーラン王子が用意した身分証明と渡国許可証だけ。
クナート達が必ず護ってやると言い切ったが、バーデルはアルスエルナを敵視する国の筆頭だ。敗戦の影響でアルスエルナより治安が悪いとも聞く。
ほんの少しの油断で、また酷い目に遭って壊れたりはしないか。今度こそ本当に喪ってしまうのではないかと、気が気でない。
一緒に行けたらどんなに良かったか。
鞘に収まっている短剣を手に取ろうとするだけで猛烈な吐き気に襲われ、気を失いそうになる自分が、どうしようもなく情けなくて、腹立たしくて、煩わしかった。
「私は……どこまで……っ」
苦悩を抱えても、時間は無情に未来へと進む。
ずっと村民に扮して世話をしてくれていた第二騎士団所属の女性騎士達も各々の日常生活へと戻り。
エルーラン王子が別荘代わりとして個人的に買い取っていた一軒家には、ハウィスとエルーラン王子と、王子の護衛騎士二人が残った。
マーシャル達が出て行った数日後、王子達も予定通りの視察を終え。
そろそろ王都へ引き返すかと準備を始める中、不意に首を傾げた。
「そういやハウィス。お前、あの子供と何かあったのか?」
「子供?」
「……気付いてなかったのか」
私達がネアウィック村に到着する少し前から、らしいんだが。
毎日この家を覗いてく子供がいるんだよ。
雨の日にも、雨除け一つ持たずに一人でヨタヨタ歩いてくるもんだから、お前を世話してた奴らが気にしててな。
風邪を引かれても困るからって家に上げようとしても、玄関の前でお前が無事かどうかだけ尋いてすぐに帰る、をくり返してたんだと。
「子供の養父が捜しに来るか、ウチの連中が子供の家まで送り届けるかは、その時の状況次第らしいけど」
「な……っ⁉︎」
アルフィンだ。
アルフィンが来ていた。
雨の日にも雨除け一つ持たずに……一人で?
五歳にも満たない小さな子供が、たった一人で雨の中を出歩いていたと?
ありえない。
ティルティアがそんな危ない真似を許す筈がない。
あの母娘に何があった?
それに、と唇を動かしかけて
「確か、アルフィン……だっけ? 金髪で色違いの目。あれは珍しいよな。アルスエルナ国内だと、自殺したウェミアを数に含めても、歴史上四人目か五人目くらいじゃないか? ウェミアの場合は、政略結婚を機に貴族籍から降ろされるまで、幸福の兆し? とかなんとか言って、実家でも勤め先でも重宝されてたって話だが。南西部のほうじゃ虹彩異色症の子供が生まれてもどこ吹く風なんかねぇ。東北部に比べると静かなモンだ」
呼吸が、止まった。
自殺した少女の大まかな生い立ちは聞かされていたが。
少女が結婚していた、という話は初耳だ。
あの少女が、既婚者?
なら、夫はどこへ消えた?
職と共に貴族籍を失くした……ブルーローズのせいで辞めさせられた後に配偶者を得たのなら、少なくとも経済面での救いはあった筈。
あんな薄着姿で自殺するほど追い詰められていた本当の理由は何だ?
まさか。
「ウェミアも、右目が青で、左目が紫……って、おわ⁉︎ なんだぁあ⁉︎」
二人分のお茶が置かれたテーブルをバンッと叩いて立ち上がり。
驚くエルーラン王子を放置して、家の外へ飛び出す。
動けるようになってから初めて直に見て、肌で感じたネアウィック村は、どこまでも広く青く澄み渡り、痛いほどに眩しかった。
一瞬立ちくらみを起こしかけたが、構わず敷地の外へ走った。
通りがかりの村民を適当に捕まえ、確かめたいことを全部訊き。
その足で、目的地へ直行する。
「……ああ……元気になったのね。良かったわ」
そこに居たのは、ハウィスと入れ替わったように痩せ細った姿でベッドに横たわるティルティア。
突然の来客に頭だけを動かした彼女は、誰がどう見ても……末期だった。
「知ってたの?」
何を、とは言わないハウィスに、ティルティアは力無く微笑み。
ハウィスを寝室へと招き入れたアルフィンに、二人で話したいから室外で待っていてと言い含めた。
アルフィンは文句も言わず、素直に部屋を出て扉を閉める。
少しの間を置いて、ティルティアが唇を開いた。
「あの子を連れてきた人がね、産みの母親はとても珍しい目をしていたって教えてくれたから。街の真ん中で自殺した女の子がいたって噂を聴いた時、多分そうじゃないかなって思ってたの。後々になって、明らかにワケありな移住民達も来たし。あ、これは関係ありそうかな? って。ただの直感よ。でも、間違ってはいなかったのね」
「だったら尚更、私に預けるのはおかしいでしょう。私は」
アルフィンの、本当の母親を、殺した。
そもそもあの少女に望まぬ命を押しつけるきっかけを作ったのも自分だ。
ブルーローズの罪は、目に見えなかったところにも及んでいる。
「だからこそよ。貴女は償うべきだわ」
「誰一人助けられなかった盗人が、今更何を償えると言うの⁉︎」
「失われた未来を」
「未来なんて! そんな、返しようがないものを、どうやって……っ」
ハウィス達の軽挙が原因で、ウェミアは立場も仕事も家族も命も失った。
ウェミアの娘アルフィンは、肉親に憎まれ、疎まれ、お金で売り払われ、遠くの地で赤の他人に育てられた。
この母娘の未来こそ、ブルーローズが奪い取ったものだ。
せめてもの救いは、養父母が惜しみない愛情を注いでくれたこと。
しかしその愛情も、今、再び欠けようとしている。
義母の病死がアルフィンの心に残す影響は……計り知れない。
「あの子を生かして。決して、悲しい思いだけはさせないで」
「……無理よ。私はあの子の顔さえまともに見られないの。一緒に居ても、あの子が傷付くだけだわ」
「いきなりじゃなくて良い。ゆっくりで良い。ちょっとずつ距離を縮めて、踏み込めないとしてもどうか離れていかないで。常に近くで見守っていて。そして、いつの日かあの子に……アルフィンに本来の笑顔を返してあげて。それが貴方達への罰で、死に行く母親の願いよ。叶えてくれるでしょう? ブルーローズのハウィス。だって」
義賊は、弱きを助けてくれる人達、だものね?
悪戯っぽく笑うティルティアに、ハウィスは目を丸め
「……酷い人。そんな風に言われたら……逃げようがないじゃない……」
苦笑いと涙を一粒、静まり返った室内にポトリと落とした。
結果を言えば、ティルティアの願いは叶えられなかった。
王都へ帰る直前だったエルーラン王子に、働かざる者食うべからず! と酒場での給仕職を勧められ。村に潜む第三王子と騎士団員の協力で、家事や料理を覚え。一人暮らしにも少しずつ馴染み。
ティルティア亡き後は、彼女が望んでいた通りアルフィンの生活をできる範囲で支えようと、交わす言葉は少ないながらも怯える心を押し隠して家事全般を預かり、やがてグレンデル宅の合鍵を託されるまでにはなった。
しかし。
エルーラン王子から管理を任された家と職場、グレンデル宅を行き来する毎日は、他ならぬアルフィンの強い要望で終わりを迎える。
「私は大丈夫です。村の人たちやハウィスさんにいろいろ教わりましたし、自分のことは自分でできるようになりたいんです。だから、ハウィスさんはハウィスさんのために時間を使ってください」
アルフィンは、自身がグレンデルとティルティアの養子だったこと。
ハウィスが自身を恐れていることを、既に知っていたのだ。
あるいは、ティルティアとの会話を扉越しに聴いていたのかも知れない。
そこいらの大人よりもよほど規則正しく丁寧な生活を実践して見せつける女の子には、痛々しいほどの気遣いが垣間見えた。
アルフィン自身が手助けを断った。
なら、もう良いだろう。
幼さ故に多少の不安はあるが、時折家を空けるとはいえ父親も村の人達も居るんだし、自分が家政婦代わりを続ける理由はない。
何かあったらいつでも呼んでと言ってグレンデル宅の鍵は預かったまま、買い出しや料理の下拵えなど、酒場での仕事を増やしてもらい。
意味もなく、ネアウィック村の周辺をうろつき。
強めのお酒を飲んで、深く眠る時間も増やし。
グレンデル宅へ足を向ける回数も次第に減っていき……
心が、凍っていく。
誰もいない。
何も無い。
母親を亡くしたばかりの子供に気を遣わせて。
優しかった人の願い一つも叶えられず。
与えられた罰も、アルフィンの気持ちを利用して、体よく手放した。
自分はいったい、何をしてるのか。
どうして、生きているのか。
どうして、生かされているのか。
(……静かだ……)
海の彼方をじっと見つめ続ける小さな背中が、何故か黒く染まっていく。
波音や鳥の声がどんどん遠ざかり。
暖かさも冷たさも、肌を撫でる潮風の感触さえも消え去って。
(ああ、そうか……。これは……)
最後に残った思考は
(……凪……だ……)
少女の歌も謝罪の言葉も響かない、底無しの暗闇に堕ちて……溶けた。
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