KANON 終わらない悪夢
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104金の卵を産む鶏
天野探偵事務所
「他にも失せ物がありましたら、お申し付け下さい」
「いえ、ありません」
依頼者が言葉を失うと、事務員がトレイを持って来て栞の前に差し出した。
会計用のトレイの上には事前に受け取っていた札束入り封筒が一つ乗っていたが、謝礼には全く足りないと気付いた依頼者が、机の上にあった札束を乗せて一礼した。
「あのっ、今日は持ち合わせがありませんので、足りなければお知らせ下さい、後日必ずお持ちしますのでっ」
「まあ、いいんですよ? ご依頼は形見の品だけでしたし、他の貴金属や証券はサービスですから」
「いえ、とんでもないっ、証券だけで数千万はあるはずですっ、宝石も合わせると一体いくらになるか分かりませんので、どうぞお納め下さい」
「そうですか? ではこの子の初仕事ですから、ご祝儀として頂いておきます。またお知り合いにも困りごとが有りましたら、ご遠慮無くお知らせ下さい」
その後、依頼者は事務員が用意した宝石入れや鞄を渡され、証券や宝飾類を詰め込んでいた。
「くれぐれも再鑑定をお忘れなく、もし模造品を掴まされていた場合は再度取り戻しますのでお申し付け下さい」
「はあ、色々と有難うございました、謝礼は改めて後日お伺いします、それでは本日はこれでっ」
事務員の注意を受け、依頼人はタクシーが到着すると、強盗に逢わない内にあたふたと帰って行った。
「ふふっ、初仕事お疲れ様」
「え? はい」
実労働より、挨拶だとか他の作業の方に気を使ったが、力を使って確かに疲れも出ていた。
「ご両親も、こちらにどうぞ」
一応足腰は立ったのか、秋子に呼ばれヨロヨロと依頼人席に座る両親。目の前には先程の謝礼の束、「大人の板チョコ」が5枚積まれていた。
「驚かれましたか? もっと私が指導しないといけないと思っていましたが、栞さんは予想以上の働きをしてくれました。これが今日、お嬢さんが稼ぎ出したアルバイト代です、どうぞ、お納め下さい」
眼の色を変えて驚いている両親に、その全額を差し出した秋子。
「いえ、受け取れません、娘を二人とも救って頂いたご恩のある方からは頂けません」
「ご祝儀ですので事務所費用などは頂きません、全額お受け取り下さい。今まで医療費などご苦労が多かったでしょう、それに、これは栞さんを守るための警備員や弁護士の着手金です、お使い下さい」
「いえ、この事務所も、ご依頼を受けたのも水瀬さんですし、娘は何も……」
差し出されても、こんな高額の現金を前にして、受け取る方法すら知らない両親。事務員が地味な茶封筒を用意して詰め込むと、ようやく札束に手を付けた。
「そのまま駅の銀行にでも…… いえ、こちらに来て貰いましょうか? 天野さん、また銀行の方に来て頂いて、500万と別口で少々預金したいって言って下さい」
金額が大きくなると、銀行員が来てくれると初めて知った両親。
秋子から見ても、あっという間に引ったくりに遭って盗まれそうな二人を見て銀行を呼んだ。
この事務員の女性は美汐の親族で「天野」姓ではないが、全員天野で呼んでおけば間違いない。
その後、両親は待合室で待たせ、栞とマコピーに話があると言って部屋に残ってもらった。
「折角栞さんが働いたアルバイト代を、了解も得ずにご両親に渡してしまいました、すみません」
「いえ、いいんです、医療費で大変な思いをさせたのは本当ですし、まだ返し足りないぐらいです」
前世?の一弥からの鬼電で、天使の人形からは虐めの慰謝料として4500万貰い、結構な金持ちの栞。色々あっでまだ両親には渡せていない。
「そうですか? でもこれからはお金の管理は栞さん本人でして下さい、私も手伝います。ご両親は大きなお金に慣れていらっしゃらないようですから、ご家族を守るためにも、これからは必要経費だけ渡すようにして下さい」
「はい……」
現金の束を見せると、明らかに眼の色が変わってしまった両親。管理を任せると破滅の未来が見えてしまい、とてもこれ以上の大金は預けられないと確信した秋子。
これからは栞を教育して、自分が後見人として付いておかないと、新しく現れる親戚の食い物にされるのも簡単に想像できた。
「それでは次のお仕事です、まだ続けられますか?」
「はい、大丈夫です」
果物をミキサーに掛けた、喫茶店の濃いジュースを二杯飲み、軽い貧血から脱した栞は元気に回答した。
「では真琴も一緒に。先程の金庫ですが、明らかに泥棒業者の物でした。依頼を受ける前ですが盗品は全部こちらで預かりましょう。サイコメトリーにかけて持ち主を探しても構いません、泥棒に一泡吹かせてやりましょう」
ドラマや漫画でサイコメトリーを知っていた栞は、これから盗品の記憶を頼りに、持ち主を探して謝礼を貰うのだとばかり思っていた。
「はい、分かりました」
秋子の補助により、貴金属を順に取り出し、現金や証券の類も根こそぎ回収して行く。
(あ… 真琴さんって、私とお母さんしか使えない術、すぐ使えるんだ)
最初は同じようにポケットを使い、ゴッソリ取り出したマコピー。快獣さんにも妖狐の実力が分かったが、最後に片手では取り出せない物が残った。
「あの、大きくて重い物が三個、どうしても取り出せません」
「そうですか、ではポケット以外、鞄から物は取り出せますか?」
「いえ、できません、身に着けている物からだけです」
色々相談して、座ったままスカートの中をポケットに見立てて引き出す事にした。
「大丈夫ですか?」
「はい、何とか」
下からスカートに手を突っ込む恥ずかしい格好になり、目を瞑ってポケット(どこ?)を精一杯広げ、重い物を両手で引き寄せる栞、やがて重い物は自重でスカートから出て床に転げ落ちた。
「あら?」
床には刻印がある金塊が転がり、鈍い金色の輝きを放っていた。
「栞さんは本当に金の卵を産むんですね」
「ち、違いますっ」
秋子の下品な冗談を理解できず、真っ赤になって否定する栞。
「冗談です。でも、これをお返しできれば喜ばれるでしょうね、高価な物ですから」
マコピーはポケットを使わず、適当に空中に穴を開ける方法を見つけ、そこから金塊を落とした。
栞も再度手を突っ込み(どこに?)、3個目を産み落としたが、金ではなく黒いケースだった。
「あ、それは開かない方が」
無理に制止しないでいると、栞はケースを開いてしまい、中には拳銃と弾丸が入っていた。
「何ですか? これ」
「危ない物ですから、手袋をしたまま蓋をして下さい。天野さん、目録を作って下さい、盗品と危険物が出ましたから後で一族の警察の方を呼んで下さい」
栞は何か大きな事件を解決したようで得意になっていたが、客観的に見れば盗品を盗み返した窃盗犯である。
まあ「初犯」「未成年」「女性」のカテゴリーで、自分が世界最高額を盗み出した大泥棒になったのには気付いていない。
「残念ですけど、この金塊と現金は、盗品を売り捌いた後のお金のようですね、元の持ち主が見えません」
手袋をした秋子は、盗品とそれ以外を分けて行き、小さい袋に宝飾品を入れ、メモに持ち主の名前と簡単な住所を書いて分類して行った。
「あの、どうして名前や住所まで分かるんですか?」
「千里眼の力ですよ、栞さんも持っているようですから、後でお教えしますね」
呆気にとられている内に仕分けが終わり、警察に引き渡す物は鞄に入れられ、机の上には現金と金塊が残った。
「これは貴方が持っていて下さい、今日のお駄賃です」
秋子が信じられない事を言ったので、耳が理解しようとしなかった栞。
「え? 何ですか? これも返さないと」
「正確には「返せない」です。これから来るのは天野の家の警察官僚ですが、こんなオカルト事件を担当する部署はありません。「遠寄せの術で泥棒の金庫から引き出した」なんて言っても無理です。これから通報して、どこかのオークションに流れたのが偶然見付かったという偽の証拠から令状を作って、やっと窃盗犯の事務所が捜索されるんですよ」
「はあ……」
秋子のやたら現実的な手順の説明で、過去に何度も同じ事が行われたのだと思う栞。
「それが上手く行ったとしても国庫に入るだけ、売られた物はどこに行ったか分かりませんから、弁済する相手も分かりません。引き渡してもまず最初に天野の家が隠匿するでしょうし、警察官僚の賄賂や飲み食いに使われて、名義の分からない金塊も、せいぜい政治家の賄賂になって国外に出て行くだけです」
この国の汚い仕組みを聞いて、耳が腐って行くような感じがした栞。
「天野さん、金の登録ぐらいどうにでもできますよね?」
「はい、天野の家でやりますので、お任せ下さい」
尊敬していた秋子も、正義の味方などではなく、汚くて怖い裏の世界の人間だと知り、自分もその一員だと思い知った栞は、観念して秋子の思い通りにすることにした。
「じゃあ、金塊二つお預けします。売れたら手数料を引いて、この子の口座に振り込んで下さい」
「分かりました」
重い金塊は、事務員の女性の手によって金庫まで運ばれ隠匿された。秋子は帯封のされていない、十万円づつ分けられている端数の現金を三つ四つ取って事務員に渡した。
「これ、少ないですけど今日の場所代です」
「いえ、秋子様からお金を頂くなんて、家の者に叱られてしまいます。それに、これだけ大きな窃盗事件の手柄がうちに転がり込んでくるんですから、これ以上頂いたら罰が当たります」
秋子に「様」を付けて丁重に断る事務員。栞としても、自分も「様」を付けるべきか迷った。
「では、口止め料として受け取って下さい。これから私達は盗品を私物化します、叔父様には言い付けないで下さいね、うふっ」
「あははっ、そんな事言えませんって、でも頂いちゃっていいんですか? いつもいつも済みません、有りがたく頂戴します」
事務員は両手で札束を持って額の上に上げて拝んだ。栞も、こんな事が「いつもいつも」起こっているのだと思い、諦め顔になった。
「それにしても凄いお嬢さんですね~、遠寄せと千里眼の両持ちですか、どこで見付けて来られたんですか?」
栞は事務員に頭を撫でられ、抱き付かれそうな勢いで可愛がられていた。
「ええ、美坂栞さんと言って、祐一さんの後輩です、できるだけ仲良くしてやって下さい。でも、血族としては、倉田の分家筋に当たるようです」
「あ? あの裏切り者の?」
事務員は汚い物に触ったように手を離し、服で手を拭った。
「やめて下さい、この子は祐一さんの彼女で、お嫁さん候補ですよっ」
今度は驚いて目を見開き、手のひらを返すように床に膝を付いて詫びに入った。
「大変失礼しましたっ、祐一様の奥様候補とは知らず申し訳ありません。やはりご身分が違いました、お許し下さいっ」
床に手をついた後、祈るような格好で震える事務員。栞もすぐに席を立って事務員の手を上げさせた。
「そんな、やめて下さい、私はそんな偉い人じゃありませんっ」
「祐一さんに別の婚約者がいるのは内密にお願いしますね。それにしても貴方達は、本当に倉田と仲が悪いんですねえ、もういいですよ、受付に行って下さい」
困り顔で見ている秋子に気付き、立ち上がって受付に戻る事務員、その間にも何度も頭を下げて腰を低くして移動していた。
秋子や祐一を様付けで呼ぶ人達がいて、倉田家が嫌われ、身分がどうこう言い出す奇妙な状況を見たが、秋子に「お嫁さん候補」「婚約者」と呼ばれたことには大変喜んでいた。
「あの、やっぱり私も「秋子様」って呼んだ方が良いですか?」
「いけませんよ、そんなのはあの人達が勝手に決めたことです、貴方達は歳の差程度の呼び方でお願いしますね」
「でも、私に敬語はやめて下さい」
「これは癖なので直せません、祐一さんにも香里さんにも、この話し方ですよね?」
「はい」
事務員の尋常ではない怯え方を見て、普通の会話をしていたのは、秋子にそうするよう命じられ、それが許されているからであって、逆らうようなことは決して許されない関係なのだと察した。
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