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白く咲けるは何の花ぞも

作者:兎崎
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一章 岡豊の姫若子
  一. 岡豊の姫若子

一.

 秦の始皇帝の末裔、秦氏の血統を引く長曾我部家。
 二十一代当主、元親の代で土佐を平定、勢力を阿波、讃岐、伊予の三国まで広げることになるのだが、土佐七雄に数えられる豪族達の中で言うと、長曾我部家の碌は僅か三千貫と小さな勢力だった。
 京より土佐に移住して、長岡郡、香美郡に跨がる香長平野を中心に勢力を伸ばしたのが本山始め、長曾我部、香曾我部家などである。
 長曾我部と香曾我部は互いに曽我部を名乗っていたが、区別をつける為、長岡に住み着いた曾我部家を長曾我部、そして香美郡を所有した曾我部家を香曾我部と呼ぶようになった。
 この香曾我部は二十代当主長曾我部国親が元親の弟、三男の親泰を養子に出すことで実質的に乗っ取っている。
 応仁の乱以前の土佐には守護代が居り、細川家がその役目を務め、実権を握っていた。
 長曾我部元親の祖父元秀も細川配下に着き、徐々に力を蓄えつつあったのだが、都で細川政元が暗殺されたのを機に細川一族は土佐を去り、京の都に上ることになった。
 これが土佐の戦国時代の始まりである。
 応仁の乱以降、土佐で絶対的な権力を握ったのは幡多郡一体に一万六千貫を持つ土佐一条家で、細川に代わる豪族たちの盟主的存在になっていた。
 細川配下として寺奉行を務め、微力ながらも力を蓄えていた長曾我部家は、細川の庇護を失い、危地に立たされる。
 元々元秀を快く思っていなかった同じ長浜郡の豪族本山氏が周辺豪族と共に三千の兵で岡豊の城を取り囲んだのはそれから間もなくの頃だった。
 本山五千貫、そして後に次男を養子に出し、長曾我部家が乗っ取ることになる吾川郡の吉良氏五千貫、それに山田氏を合わせた連合軍である。
 僅か三千貫の長曾我部家では到底勝ち目のない戦だった。
 死を覚悟した元秀は長男千雄丸のみを家臣の一人に託し、落ち延びさせ、家中の者は皆、城の中で自刃して果てた。
 長曾我部家はここで一旦滅びたのだが、縁者を頼って中村の一条家へ落ち延びた後の元親の父、千雄丸が一条房家の協力を得て、再び岡豊へ返り咲き、長曾我部家を復興させるまで十年の月日が流れた。
 そして土佐の鬼若子と畏れられ、破竹の勢いで土佐を、そして四国の大半を手中に治めて行くことになる長曾我部家二十一代目当主元親が、国親の長男としてこの世に生を受けるのは国親が岡豊に帰って二十年が経った頃だった。。


「おひーとつ おひーとつ……おひとつおろして」

 この日、国親が治める岡豊の城下は娘、於能の嫁入りの日で朝日の上る前から城内の者が忙しく動いていた。
 当の花嫁である於能はと言うと、下の弟たちとの別れを惜しんでお手玉遊びをして過ごしていた。
 於能はこの時十二歳。
 嫁ぎ先は長曾我部家に取っては祖父が討ち死にする原因となった因縁の相手、本山茂辰だった。
 長曾我部家にとっては恨みこそあれ、けして家付き合いなどしたい相手ではないのだが、本山は今の長曾我部家にとっては手強い相手である。
 またこの婚儀は国親にとって大恩ある相手、一条房家が、争いの絶えない両家の仲を取り持とうと自ら仲介に入り、労を負った婚儀だった。
 両家共に房家の顔を潰す訳にもいかず、しかも長曾我部家にとっては本山が攻めて来る憂いを絶てれば他の、例えば香美郡の香曾我部や安芸郡の安芸氏に目を向けることも出来る。
 断る理由もない為、国親の一存で於能の婚儀はとんとん拍子に事が運んでいった。

「いつまでも拗ねていないでこっち来いや、弥三郎。姉やんと遊ばん? 」

 七つ年上の姉が弟を呼ぶが、彼は抱えた膝の上に頭を被せ、俯いたまま返事もしなかった。
 於能は父に似て肌も浅黒く、けして器量良しではないが、気立てが良く、笑った顔は周囲を和ませる健康そうな明るさに満ちていた。
 一方の弥三郎──、天文八年、国親が岡豊に帰ってから二十年も経ってようやく授かった男子だが、姉とは違い、生まれつき色白で、その白さは肌のみならず、髪や体毛まで雪の如く、真っ白だった。
 背こそ長曾我部家の血筋らしく、その歳の子らに比べれば大きく健やかに伸びてはいたが、この弥三郎、性格も大人しい子だった。
 食も細く、好き嫌いが激しい。
 物心がつき始め、自分と他者の区別がつくようになると、自分の見た目がかなり特殊なことに本人も気付き始めたのだろう。
 賢く、敏い子だったから、自分を見る時の父の目が下の弟たちと違うことにも気付いていた。
 本当にこの子は自分の子なのだろうか。
 国親が疑いたくなるのも仕方がない。
 弥三郎は益々引きこもりがちになり、殆どを於能と人形遊びをして過ごした。
 奥にばかり引き籠もってる肌は益々白くなり、日照不足で不出来に上がった大根みたいにひょろひょろと縦に長く、痩せていた。

「兄上はのぅ、父上に殴られたからどぐれてんのや」
「うるさい、弥五郎」

 生意気盛りの二つ下の弟、弥五郎は三つ。
 良く食べ、良く跳ねる元気のいい子だった為、既に木刀を振り回し、喧嘩では小さいながらも兄の弥三郎と対等にやり合った。
 この下にまだ赤児の弥七郎と二十年男子に恵まれなかったにも関わらず、母の祥鳳は次々と男児を身籠もった。
 祥鳳は美しい女だったがさほど頑丈ではなく、出産の度に長く寝込むことも多かった。
 弥三郎と弥五郎の面倒は姉の於能が母親代わりになり、良く見てやっていた。
 その母親より懐いている姉の嫁入りの日である。
 弥三郎は於能と別れるのが辛く、また於能の嫁ぎ先と長曾我部の家がどんな関係にあるのか、薄々勘付いていたから、独りぼっちになってしまう自分の寂しさと姉のこれから先の身を案じ、しくしく泣いていたのであった。

「弥三郎」

 その姉が優しく話し掛けて来る。
 弥三郎の頭を撫でると、父親に打たれて赤く腫れた頬を撫でてくれた。
 慰められると余計に泣きたくなってくるものである。

「ほらほら、於能様、そんなに弥三郎様をお労りなさったらまた泣きゆうがね。若殿、城下の者が若殿のこと何て言うちょるかご存知ですか? 姫若子さんですよ。国親様もどれだけ若様のことに頭を悩ませちゅうか」
「萩野」

 土佐の女らしく、ずけずけとものを言う侍女の萩野を於能が慰める。

「弥三郎はこれで良いの。この子は優しいだけでなく、賢い子だから、見えなくていいことまで見えてしまって、それが心配になってしまうのよね、弥三郎」

 そう、この弥三郎。
 色白なだけでなく、顔つきも母親譲りの端整な顔立ちで生まれついた為、城下のみならず、家中の者にまで「姫若子」と陰口を叩かれ、笑われていた。
 本人もそれを感じとっていたから余計に引き籠もり、姉が語ってくれる源氏物語の煌びやかな夢物語の世界に浸っていた。

「……父上に、殴られました」

 嗚咽を漏らし、姉の胸の中に飛び込んで泣きじゃくる。
 於能はそれを受け止め、弟の背を優しく叩いてやった。

「弥三郎はわたくしの身を案じてくれているのね。優しい子」

 泣きじゃくる弥三郎を下の弟は不思議そうな目でジッと見つめ、先ほど弥三郎を姫若子だと嗜めた侍女の萩野は呆れて自分の用事を済ませに部屋を退出していった。

「どうして姉やんが本山に嫁にいかんといけん。本山は長曾我部の敵だ。姉やんが殺されてしまう」
「弥三郎……」

 この弥三郎、覇気のない、大人しい子ではあったが、それでも国親の子らしく頑固な質で、自分が嫌だと思うことは何があろうと絶対に首を縦に振らなかった。
 今回の於能の婚儀の件も相手が本山だと知るや、「絶対嫌だ」と泣いて父に盾突いた。
 いつまでも弥三郎がしつこく食い下がり、顔を見る度に国親に食らいついて裾を離さない。
 婚儀の日の朝になってまで息子が物分かりの悪いことを言うのにとうとう堪忍袋の緒が切れた国親は、「お前はそれでも儂の子か! 」と激怒して弥三郎を殴ったのである。
 それが今朝起きた事の顛末だった。

「弥三郎は姉やんの身が心配? 」
「決まっちゅうき! 本山は敵じゃ! 父上が小さい頃、どんな目に合わされたか、於能姉やんだって知っちゅうがや!」
「私は全然心配していないのよ、弥三郎」
「何でじゃ! 俺と姉やんが仇同士になるがじゃろ! 姉やんと戦せにゃならん!」
「落ち着いて、弥三郎」

と姉が再び、弥三郎の頬を伝う涙の滴を拭う。
 弥五郎は泣きじゃくる弥三郎に飽きてしまったのか、どこかに行ってしまっていた。

「お父様亡き後、この長曾我部の家を継ぐのは誰? 」
「俺は長曾我部の家は継がん! こんな家、嫌いじゃ! 」
「じゃあ弥五郎にこの姉を殺させるの? 弥七郎に本山に嫁いだ姉やんは長曾我部の敵だと、そう信じこませて討たせるの? 」
「俺にどうせいっちゅうんや! 決めたのは父上じゃ! 何度頼んでも聞いてくれんかった! 父上は嫌いじゃ! 」
「だから、貴方が長曾我部の家を継ぐの。強くなりなさい、弥三郎」

 再び、弥三郎の中で悲しみが膨れ上がる。
 姉が何を言ってるのかさっぱり分からなかった。

「姉やんは、俺が父上のようになったらいけんと──、なのに、何で今度は長曾我部の家を継げって言うんじゃ」
「貴方なら姉やんを殺さないでしょ、弥三郎。良く聞いて。わたくしも本山に嫁いだら、長曾我部家との橋渡しになれる様、精一杯努力します。だから、長曾我部の家は貴方が必ず継いで、弥三郎。そして、貴方の弟たちを守れる強い男になるのです。姉やんの言うこと、貴方なら理解出来るでしょ。強さは何も槍や鉄砲を持って人を斬り殺すことだけではありません。こんなに痣になるほど殴られてもそれでも自分のことよりわたくしの身を案じてくれる弥三郎の優しさこそが、国を守れる強さになれる筈。わたくしはそう信じているから、何も迷いはありません」

 自分の思うまま、正しいと思うことだけをこれからも選択して行きなさい──。
 それが姉が嫁ぐ前に、弥三郎に残した最後の言葉だった。

「秦の神様に弥三郎のことを良く頼んでおきました。わたくしと思って、この札を肌身離さず持っていていなさい」
 
 自分とお揃い、と笑って弥三郎の手に錦糸の袋に入った護符を手渡し、姉は用意された輿に乗って本山茂辰のいる長浜の城へと去ってしまった。

「姉やん……」

 国親の屋敷を抜け出て、岡豊山の山腹に立った弥三郎は豆粒程になった姉の輿を見えなくなるまでずっと見送っていた。
 あの若様はうつけよ、姫若子よと嗤われても弥三郎とて武人の子。
 この婚儀の目的が分からぬ筈もない。
 恐らく姉とは今生の別れになるだろう、その覚悟を自分に言い聞かせるにはまだ彼は幼な過ぎた。

「びーびーとよく泣く小童じゃ」

と弥三郎の背後から明るい、鈴の音のような童子の声が耳に届く。
 何者だ、と振り返って見れば、弥三郎より小さい子供が彼を見上げてにやにやと笑っていた。 
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