KANON 終わらない悪夢
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11
夜明け頃、まどろみながら、以前この病院に来た時の夢を見ていた香里。
足取りも重く、長く無視していた妹に何を話そうか考えながら歩いていた。そのための話の種も持って来たが、果たしてそれが役に立つのか、逆に自分が拒否されるのではないかと恐れていた。
シャーーーッ
部屋を仕切っているカーテンを開け、夕方の再放送のドラマを見ていた妹に対面する。
「お姉ちゃんっ」
ゴクリッ
時間が経過したとは言え、体はまだあの表情を恐れていた。下らない事まで全て記憶してしまう頭が、あの目を忘れさせてくれなかった。
「またドラマ? そんな夢物語、現実には無いのよ、いいかげんにしなさい」
自分が無視されて、下らないドラマを優先されそうで、また憎まれ口を言ってしまう。
「どうしたの、お見舞いに来てくれたの?」
妹は自分の存在を恐れている、そして自分自身も。
「いいえ、今日は報告に来ただけ、はい、これ」
そこにレポート用紙を置いて、逃げるように立ち去る、今日は話をするのは無理のようだった。
「待って、お姉ちゃん」
「子供じゃないんだから、その呼び方もやめて、学校で「お姉ちゃん」なんて呼ばないで」
もう自分は姉と呼ばれる資格は無かった、これから何かを積み上げてこの溝を埋め、いつか以前のように話せる日が来るかも知れない、だがそれはマイナスからのスタートだった。
(じゃあ、どう呼べばいいの? 美坂さん? 香里さん?)
栞の方は、百花屋でのよそよそしい挨拶を思い出しながら、香里の置いて行った紙を手に取って見た。
「えっ?」
その表題にはこう書かれていた。
『相沢祐一観察日誌』
2月15日、8時24分
「ようっ香里、今日も予鈴ぴったりだな」
「くーーーー」
今日も半分寝ている名雪を引き連れ、走って登校して来た相沢君に話し掛けられる。
「あなた達こそ、よくそれで遅刻しないわね」
「ああ、日頃の行いがいいからな」
彼は知ってか知らずか、最近この言葉を使うようになった。 会えなくなった自分の恋人の言葉らしい。
「お姉ちゃん」
それはまだ事務的で、深い溝に土砂や石を投げ込むような、荒々しい方法だったが、栞の瞼を潤すには十分だった。
「ありがとう」
数枚に渡るレポートには、丸一日の間、祐一と交わした会話、祐一が誰かと話していた内容が、詳細に書かれていた、要はストーカーである。
(お姉さん、姉さん、お姉さまっ、ふふっ、姉ちゃん、姐さん、姉貴、姉御、姉上っ、カオリンッ、うふふっ)
新しい呼び名の候補を考え、不適切な部分で笑っている栞、二人の間の溝は早くも埋まりつつあった、涙と言う名の川の流れで。
入院翌日…
ベッドから起き上がり、窓から差し込む朝日に身を晒し、明るい世界を見ている香里。
「うふっ、こんな時、世界が輝いて見えるって本当だったのね」
栄養たっぷりなのか、幸せ一杯なのか、すっかり血色が良くなり、目や脳に映る景色が輝いている香里。
(あ~、太陽が黄色い)
こちらは血液の中から重要な要素が欠乏し、眼底に映る色まで違って見えている祐一。
「足も動くようになったし」
昨晩、あれだけ下半身の運動をしたにも関わらず、筋肉痛もなく、左手、心臓に続いて、腰から下もしっかりしたらしい。
(立てない)
こちらは腰が抜けたか、普段使わない場所の筋肉を使い過ぎて、椅子から立ち上がれなかった。
「何だか、久しぶりに調子いいわ~」
朝日を浴びながら背伸びをして、体に充満したエネルギーを感じる香里。
(お前の体の構造は、どうなってるんだ?)
もしかするとウル*ラセブンか、キカ*ダー01みたいに、太陽エネルギーで動いているのかも知れない。
「ねえ~、起きてぇ~、祐一ぃ~」
やたら鼻にかかった甘い声を出し、顔を撫で回す。
(もう眠らせてくれ)
愛刀「胴太貫?」を折られ、柳生?との戦いに疲れた祐一は、ただ安らかな眠りを願っていた。
コトッ
「はい、どうぞ」
しばらくどこかに行っていた香里は、コーヒーを持って現れた。ドリンク剤以外にも、夜明けのコーヒーセットも入っていたらしい。
(アイスクリームと水以外、体が受け付けないんじゃなかったのか?)
「ふふっ、私にもこんな事が起きるなんて、まだ信じられない。誰かと愛し合って、翌朝一緒にコーヒーを飲むなんて、栞の見てる面白くないドラマみたい」
それには大きな代償が必要だったが、それを忘れた訳ではなかった。香里は今のほんの一瞬、この時だけを生きていた。
「朝に理を知れば、夕べに死すとも可なり。いいわよ、もう貴方の心の中には残れたから、一人で生きて、一人で死ぬわけじゃない」
祐一が寝たままだと思っているのか、起きていると信じているのか、顔を撫でながら優しく笑う香里。
(そんな表情もできたんだな)
昨日は、もうすぐ死ぬと言われた時の顔とか、泣き叫ぶ顔、すすり泣く顔、エロ顔、「邪魔する奴は殺す」と言った、怖い系の表情しかしなかったが、今日は穏やかな表情で微笑んでいた。
(ずっとそのままでいてくれ)
「えっ?」
二人の間にも縁ができたのか、佐祐理のように心の声が聞こえたらしい。
「そうね……」
そこで閉じた瞼に当たる日差しが遮られたかと思うと、コーヒーの香りがする唇が触れた。
「歯は、磨いたのか」
そこで「ある事」が非常に気になって、ようやく口を開いた祐一。
「ええ、リクエスト通り、口の中全部磨いたわよ、バナナ味の歯磨き粉で」
香里の冗談の意図を掴みかねる祐一、それは子供用の歯磨き粉なのか、または?
「うちは昔から、「辛い」のはだめなの、栞も病気の時はバニラとかイチゴ味とか、子供用しか受け付けなかったの。 それで鞄の中見たらバナナ味が入ってた、母さんが入れといてくれたのね」
まるで末期の真琴のように、歯磨き粉が辛いと言う香里。
「美坂さん、検温です」
そこで、元気に歩き回っていた香里を見たのか、看護婦が入って来た。
「はい」
立っていた香里はベッドに戻り、体温を計り、問診を済ませる。
「え~、36度7分、熱は無いようですね」
「じゃあ、退院したいんですけど」
検温と点滴しかできない看護婦に、平然と言い切る香里。
「そんな、まだ無理よ、2,3日は様子を見ないと」
「3ヶ月しか無いんです」
看護婦の顔色が変った。
「看護婦さんならどうします? 自殺しますか? それともやりたい事をやってから死にますか、私は1分1秒も無駄にしたくありません」
「そんな、私には決められないから、先生に聞いてきますっ」
朝一番で看護婦を撃墜して、泣かせてしまった香里、まるで姑のようであった。
「ひでえ」
「だってあの看護婦、私達を変な目で見てたのよ、それもシーツや寝巻きまで汚れてないか調べたりして」
どうやら女にしか分からない失礼な態度があり、気分を害したらしいが、昨日の夜、病室に電話コーナー、トイレやエレベーターで、あれだけ派手にやらかしていれば、気が付かない方がおかしい。
「お前、女相手なら容赦無いな」
昨日は事有るごとに弱音を吐いて、自分の前で何度も泣いていた女と、目の前の気の強い女が同一人物だとは、とても信じられなかった。
やがて婦長らしき人物が、先程の看護婦と病室に戻って来た。
「美坂さん、まだ安静にしていないと、また倒れるかも知れませんよ、今日はこのまま横になっていなさい」
「確か「持って3ヶ月」ですよね? だったら今日かも知れないですし、明日かも知れないんですよね」
「そ、そんな事ありません、誰がそんな嘘を」
目を泳がせて言葉に詰まる婦長は、隅の方で死にかけている祐一を睨んだ。
(うっ)
「家族に教えて貰いました、妹の時は私が告知したんです」
何でも隠し通す日本では、まだまだ告知は浸透していなかった。
「何をそんなに急いでるんです? ご家族やお友達で間に合わなければ、私達でしてあげます、貴方は自分の体を治す事だけ考えていればいいんです」
「そうですね、まず役所に行って相談して遺言を書いて、やりたい事をやって、欲しい物を買ってから死にます」
面と向かって死ぬ話題ばかり出され、とても嫌な顔をしている看護婦達。
「先生を呼んで来て」
「はいっ」
「今日ぐらいゆっくりできないのか? 俺だって一回着替に帰って、シャワーだけでも浴びたいし」
「じゃあ家に来る、それとも一緒に行って、二人でお風呂がいい?」
「オイッ」
周りが女ばかりなので、全く気にしないで話をする香理。
「先生っ」
やがて主治医らしき人物が現れ、外で婦長に耳打ちされる。
「退院したいそうですが?」
「はい」
「はっきり言ってお勧めできません、妹さんは急変してから2ヶ月で退院しました、長い人生の中のほんの2、3ヶ月、休んで見るつもりはありませんか?」
「その2、3ヶ月で死ぬんじゃなかったんですか?」
また嫌な顔をして頭を抱え、祐一を睨む医者。
(俺かよ)
その通り。
「違いますっ、もしこのまま放っておけば、そうなるかも知れないと言う仮定です、妹さんと同じ治療をすれば必ず治る。血縁者で同じ症例の場合、同じ結果になる例はいくらでもありますっ」
熱く語る医者に、少し気押されながらも反論する香里。
「…ですから、妹と同じ」
「は?」
「恋人と一緒にいて、あちこち出歩いたり、抱き合ったりすれば治るそうです、妹がそう言ってましたっ」
昨日の凄い情事を聞かれていないとでも思っているのか、純情そうに頬を赤く染めて、横を向きながら一気に言い切る。
(相手が男の時はこうなるんだな)
同性からは嫌われるタイプらしいが、名雪だけは天然で、お互い放っておけないタイプらしく、相互補完の関係にあった。
「分かりました、外出は認めましょう、必ず付き添いを付けて、最初は自宅までか、近距離だけです」
「はい」
「投薬の条件も同じです、朝食後と夕食後は点滴、水分も十分に採った後、妹さんと同じ昼間の1,2時間だけですよ」
「はい」
やがて医者や看護婦が出て行ってから、時計を見て立ち上がる香里。
「ちょっと電話してくるわ、休んでて」
「一緒じゃないと嫌じゃないのか?」
やっと椅子から体を起こし、立とうと頑張る祐一。
「聞かれたら恥ずかしいし、また泣いちゃうかも知れないから」
「もう恥ずかしがるような仲じゃないだろ、それにこんな時だ、泣いても恥ずかしくない」
「えっ?」
そのセリフで、香里の方が顔を赤らめる。
(そっか、もう隠し事する関係じゃないんだ)
正式に付き合い出した訳でもなく、交際が続いてゴールインした訳でもないので、今ひとつ実感が湧いてこない。
「でも、他の友達にも電話したいから、この時間ならまだ家だと思うし、女同士の話もあるから聞かないで」
「そうか、じゃあ、気を付けてな」
「ええ」
祐一は選択肢を誤った。
「はあっ!」
パンパンパンッ!
電話コーナーで、自分の両頬を叩いて気合を入れる香里、やはり何か仕出かすつもりらしい。
『はい、*HK **放送局です』
「すみません、**部の○○さんをお願いします、次の日曜の取材の件でお話が」
そちらのご用件だった。
『しばらくお待ちください』
電話が転送される間も、妖しく笑って何かを企んでいる香里。
『はい、○○ですが』
「あっ、早くからすみません、次の日曜に取材して頂く予定の美坂ですが」
『何か予定の変更でも?』
「ええ、昨日…… 妹だけじゃなくて、私も発病しました、後、3ヶ月の命らしいです」
相手側は何も言えなかった、長くその手の患者を取材して来たが、姉妹で発病して、本人から余命を教えられるのは初めての経験だった。
「取材は予定通りで結構です、私は病院にいますので、グスッ(嘘泣)、それだけお伝えしようと思って、それじゃあっ」
『あのっ!』
早速、術中にはまったらしい放送関係者と、嘘泣きしながら、ほくそえんでいる香里。
「はい?(フッ)」
『これから、お見舞いにお伺いしても宜しいでしょうか?』
「ええ、妹と同じ病院にいますので」
『じゃあ、後ほどお伺いします』
「はい、「まだ」大丈夫だと思いますから」
まるで「早く来ないと、すぐ死んじゃうぞっ」とでも言いたげに、頭に「まだ」を付けておく香里。
『それでは、お大事に』
「はい、グスッ、お待ちしてます(ニヤリ)」
公*放送では
「すぐ移動だ、カメラの空きはあるかっ?」
もう番組としては、「いのち」から「人体」に出世しそうな美坂姉妹の映像。スタッフは病院側とも連絡を取り、取材許可と裏を取ってから出動した。
それから「何箇所も」電話を掛け終わり、香里が病室に戻ると、祐一は壁にもたれて寝ていた。
「くーーーー」
(ふふっ、かわいい)
自分がどんな罠に絡め取られるかも知らず、のんきに寝ている祐一、すでに香里の魔の手が迫っていた。
タッタッタッタッ
そのまま眠っていると、遠くから聞こえて来た足音に、新たな刺客の到来を感じる。
(裏柳生か?)
まだ夢の中なので、変な妄想も続いていた。
タッタッタッタッタッタッ! バタン!
「お姉ちゃんっ!」
モンスターが現れた。
たたかう
にげる
まほう
どうぐ
(やくそうって、もう無かったかな?)
すでに逃げる力さえ無い祐一は、昨夜使い切った唯一の戦友、アルギニン1000mmg、ビタミンB群配合の薬草を探した。
たたかう
(うっ……)
祐一の勇者様は、戦う以外の選択肢がなかった。
「もう来たの? 邪魔しないでって言ったでしょ」
妹の彼をレ*プしておいて、平然と答える香里、気の強さも回復したらしい。
「祐一さんっ」
犯しつくされて、ボロボロになった祐一を見て驚く栞。
「大丈夫ですか? 祐一さんっ」
「萌えたぜ…… 真っ白によお……」
すでに命の炎が燃え尽きようとしているらしく、白黒のペン画だけで、着色されていない祐一。
「何て事をっ」
「フッ、自分でこうしろって言ったんでしょ、祐一だって嫌なんて一言も言わなかったわ」
嫌とは言わなかったが、「もう許してくれ」とか「勘弁してくれ」は、何度も言った覚えがあった。
「誰もここまでしろなんて言ってませんっ」
「ただの寝不足よ、寝てたら治るわ」
そう言いながら、ガニ股で立って、今ひとつ格好が着かない香里。
「ああっ、もうっ」
とりあえず手持ちの強壮剤を口に含み、口移しで飲ませる栞。
「あっ! 何するのよっ」
「ぐふっ!」
モンスター?が持っていた薬草の、強烈な味で完全に目が覚める。
「ゴホッ、ゴホッ、凄えっ」
医薬品指定外のドリンク剤と違い、ホンモノは一味違ったらしい。
「どうしてこんな事になったんですか?」
祐一の手を取って、優しく問い掛ける栞。
「ああ、昨日、電話が終わって帰ろうとしたら、「屋上か窓から飛び降りる」って言われて、その後も凄く弱ってたから、放っておけなくてな」
「なっ、何よっ、弱ってなかったら帰ってた訳? じゃあ昨日のあれは何だったのっ? あたしだけの夢? 幻っ?」
早速壊れ始めた香里を見て、手招きして呼び寄せる。
「やめろよ、俺なんかのために争うなよ、たのむ」
落ち着いた(死にかけた?)表情で言われ、渋々納得する二人。
「わかったわよ」
「はい…」
「栞、家の人は?」
「はい、もうすぐ上がって来ると思います」
一人だけ先に、7階まで階段一気駆け上りで到着したらしい。健常者でもちょっと無理な芸当を軽々とやってのけた結果、病院では「地下の霊安室から7階まで駆け上がる女の子の幽霊」の話題が暫く続いた。
「香里っ!」
バサッ
扉の方から、二人の母親の声と、紙袋でも落とすような音が聞こえた。
「こんなに元気そうになって」
昨日のように、生きている人間の色指定としては間違った配色と違い、健康な顔色になった娘を見て驚く母。
「ええ、今日、退院するって言ったでしょ」
「髪は、切ったの?」
「病院じゃ邪魔だから、祐一にあげたの」
「そう」
その言葉で、何となく娘の決意を知ったような気がした母。
「相沢さん、ありがとうございました」
自分で立って、血色も良くなった香里と、逆に真っ白になった祐一を比べて、手を取って母親に感謝される。
「いえ…」
そこで「大した事はしてませんから」と言おうとしたが、労働力としては相当な物だったのと、香里の家族を見て何かがプッツリと切れ、喋る体力が無くなっていた。
「相沢さんっ、こいつのこんな元気な顔、久しぶりに見ましたよ」
荷物を拾い集めて来た父親も加わり、両手で握手して感謝される。
「はぁ」
(娘二人とも傷物にして、なんで喜ばれるんだろう?)
そう考えはしたが、誰が見ても病人は祐一で、弱っているのは眠れなかった両親と栞、一番元気そうなのは香里だった。
「とりあえず、精の付く物を持って来ましたから、どうぞ」
「い、頂きます」
目の前に「うなぎ弁当」、スッポン、赤マムシ、などのドリンク剤が並び、普段なら気分が悪くなるような取り合わせだったが、今は体がそれを求めていた。
「ほら、二人はこれだろ」
「「はっ!!」」
険悪な表情でにらみ合っていた二人だったが、やはりアイスクリームを出されると、瞬時に明るい表情になり、ネコまっしぐらだった。
(やっぱり…)
さらに確信を深める祐一。
ガフッ、ガフッ
うなぎ弁当を赤マムシをお茶替わりに流し込み、スッポンドリンクを吸い物にして朝食を始める祐一。
ペロッ、ペロッ、ペロッ
木のへらを舐め、幸せそうに朝食? を食べている美坂姉妹。
「は~~~」
「ふ~~~~」
時々、バニラの匂いがする甘い吐息を吐きながら、一時戦いを忘れていた二人。
(逃走用にアイスは常備しないとだめだな)
後に祐一的ハザードマップが作成され、どこにいても走って数分以内にアイスクリームが調達できるよう、準備されたと言う。
「昨日も主人と話していたんですけど、私の実家の本家では、何代かに一度、力のある方に血を分けて頂かないと、家が絶えると聞きましたが、こう言う事だったんでしょうかねえ」
「は?」
また栞や秋子のようなセリフを言う人物が増え、疑問符を浮かばせる祐一。
「いえ、私は分家で、子供の頃に聞いた噂だけですので、詳しくは知らないんですが」
「はあ…」
「この辺りは、そう言う伝承は多いみたいですね、ものみの丘の狐の嫁入りとか。また詳しく調べてみます」
栞の時は、愛や恋が起こした奇跡だと思っていたが、香里や母親まで症状が軽くなった事で、父親も考えを変えていた。
その後、祐一が、「やくそう」を使って、ヒットポイントが半分ほど回復した頃。
「それにしても良かった、今日も検査して貰おう、栞みたいに治ってるかも知れないぞ」
「嫌よ」
「「「えっ?」」」
自分でも体調の回復を感じているのか、再検査を嫌がる香里。
「短くなってたらどうするの? ローソクと彗星は燃え尽きる前が一番明るく」
「やめんかっ!」
父親の怒鳴り声で、続きは言えなくなった。
「いいかげんにしろっ、相沢さん、ちょっとよろしいですか?」
「はい」
怒鳴られた後に呼ばれたので、勢いに負けて立ち上がる祐一。
「わしはちょっと用事を済ませて来るから、栞は学校に行きなさい」
「嫌です」
姉が祐一と一緒にいると、何をするか分からないので、残るつもりでいた栞。どちらも父親の言う事は聞かない娘だった。
「好きにしろ」
「どこ行くの? 私も」
「お前は寝てろっ」
(何よ、急に)
有無を言わさない父親の剣幕に負け、とうとう祐一を手放した香里。日が高く、家族がいる間は大丈夫らしい。
そこで、ふらつきながら歩いて行く祐一と父親を見送るが、エレベーターのボタンは何故か上行きだった。
(へえ、ずっと栞ばっかりって思ってたけど、あたしの時でも泣いてくれるんだ)
屋上の物干場の一角は、見舞いに来た父が我慢できなくなった時、泣きに行くポイントだった。
エレベーターに乗り、他の患者も乗っている中で軽く会話する二人。
「昨日は、あいつが我がままを言って、大変だったんじゃありませんか?」
香里の一言が余程効いたのか、うっすらと涙を浮かべ、ポケットの中を探る父。
「えっ、ええ、まあ、一人になるのが怖かったらしくて、その割には皆さんに「来ないでっ」て言うし、どうしてやったらいいのか分からなくて」
そう答えながらも、やっぱり気が気でない祐一、今度こそ屋上でパンチでグーに違いないと身を固くする。
祐一妄想中…
「昨日は、どんな事をしたんですか?」
屋上でタバコに火を着け、穏やかな表情で語りかけて来る香里の父。
「(ビクッ)はっ、まず、手を繋いだり、足のマッサージとか、お嬢さんの言う通りに」
また怖くなって医療用語で解説する祐一。
「そうですか、他には?」
「はあ、心臓マッサージとか、人口呼吸とか、他の所も」
「具体的には?」
「腰とか、背中とか、胸とかも」
涙混じりの悲しい声で答えちゃう、ピンチの祐一クン。
「じゃあ、注射もしたんですね」
栞のように、下を向いて斜線一杯の真っ黒な顔をして、目だけ光らせる父も、何故か医療用語を使っていた。
「……はい(ぐっすん)」
自分の行く末を思い、暖かい涙が頬を流れて行くのを止められなかった。
ゴゴゴゴゴゴゴゴゴッ
そこで、地の底から湧き上がって来る、何かの音が聞こえた。
「このボケがっ! 人の娘二人とも傷もんにさらしゃあがってっ! 娘の命掛かってなかったら、今すぐ簀巻きにして川泳がしたるぞっ! オホーツク海の水はまだ冷たいんどっ、うらぁっ!!」
「はっ、はわわ~~~っ!」
父親の急変に驚き、屋上を逃げ回る自分を想像せざるを得ない祐一クンだった。
妄想終了…
(ううっ、隣の人を屋上の日光浴に誘っちゃおうかな?)
香里ちゃんパパにもらい泣きしたのか、涙を浮かべている祐一。
屋上に着くと、幸い洗濯に来た付き添いの家族も多く、最悪の状態は免れた。
「実は、香里が産まれる前、女房が産むのを渋りましてね」
「はあ…」
二人きりになると、話を切り出されるが、歩きながら次第に人気の少ない場所へ誘導されて行く。
(逃げちゃだめだ、逃げちゃだめだ、逃げちゃだめだ)
某シンジ君のように繰り返し言ってみる。
「自分みたいに、体の弱い子が出来たら困るって言ってたんですが、私が無理を言って産んでもらうと、逆に元気すぎて困ったぐらいで、グスッ、そりゃあもう可愛くって」
手すりにつかまって、肩を震わせる父親の姿を見て、祐一も目頭が熱くなる。
(娘って、「目の中に入れても痛くないぐらい可愛い」って言うもんな)
「それで、栞も産んで貰ったら、母親以上に体が弱くて…… ぐううっ」
男泣きをする姿を見ていられず、目をそらしていると。
ガバッ!
(はわわ~~~っ!)
突然、座り込んだ父親を見て驚かされる。
「お願いしますっ、娘のどっちでも結構です、嫁に… 貰ってやって、下さいっ」
後半は涙で詰まって聞き取りにくかったが、香里と栞の父は、屋上で正座して祐一に頭を下げていた。
選択肢
栞との約束を守る
香里の脅迫に屈する
なゆなゆの責任を取る
秋子ちゃんと愛の逃避行
「そんなっ、やめて下さい、最初から栞…さんとはそのつもりでしたし、昨日だって香里もそう言ってましたから」
それはあくまで13時頃までの話で、16時以降は考えが変わっていた香里。
「ありがとう、ございますっ」
何とか手は上げさせたが、まだ正座して泣いていた父。
それから父親を落ち着かせて、ベンチまで連れて行き、昨日の「昼」の話を聞かせていた祐一。
「そうでしたか、家でも栞には知らせずに話を進めて、「日曜には式の日取りまで決める」って張り切ってましたから」
(やっぱり…)
危うく包囲網とトラップの山の中に、足を踏み入れる所だったらしい。
「でも、昨日の夕方ぐらいから、気が変わったみたいで、電話で栞さんと喧嘩した後は、うちの名雪とも絶交して、「私達の邪魔する奴は許さない(ボソッ)殺してやる」って」
昨夜の様々な脅迫を思い出し、身震いする祐一。
「そうでしたか、昔から頑固な奴でしたから、一度「こう」と決めたら、てこでも動かない娘で、私に似たんでしょうかねえ?」
(やっぱり…)
娘のどちらとも結婚しない、と言う選択肢を選んだら、屋上から放り投げられていたらしい。
(あ、飛び降り防止用のフェンスがあったぁ)
自分が逝く予定だったコースを見回すと、香里ちゃん系の人や、琴音ちゃん(誰?)みたいな女の子がいると困るらしく、転落防止のフェンスやネットが張り巡らされていた。
「うぐぅ、やっぱり祐一君、栞さんと」
「大丈夫だよ、殺しちゃだめなら、死なない程度に可愛がってあげるから、お父さんも、お母さんも、相沢祐一に近付くのが、どれだけ危険か分かる程度にね」
「だめだよっ」
(…………)
まだ香里に怯えている魔物達。
「怖がる必要は無いよ、君達に比べたら、腕力なんて無きに等しいんだから」
「うぐぅ」
しかしあゆも、香里にだけには勝てないような気がしていた。
「ねえねえ、でもどこかの「とうろんかい」で、「登場人物に神の視点を持たせてはいけない」って言ってたよ、いいの?」
姿が見えないのをいい事に、物陰からずっと祐一を観察している自分達に、疑問を浮かべるあゆ。
(仕方ないよ、僕達はオチが付かない時の「後書き」のために、この力を与えられているんだ)
(オチガツカナイ?)
魔物達ですら、意味不明の話に戸惑っていた。
「うぐぅ、わからないよっ」
(君は気にしないでいいよ、自分の事だけ考えていればいいんだから)
(アトガキ?)
「後書きって何~~?」
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