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白く咲けるは何の花ぞも

作者:兎崎
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一章 岡豊の姫若子
  一の2

「誰ぞ」
「名を問う前にまずはお前が名乗ったらどうじゃ」

 手にした小枝で弥三郎の腕をぺしりと叩く。
 生意気な童だった。
 国親の息子の弥三郎にこんな口の聞き方をする者なぞいない。
 姫若子と陰で笑っていようが、彼は長曾我部国親の長子。いずれはこの岡豊の当主になる身である。
 身内以外に「お前」呼ばわりなどされたことがなく、弥三郎はそれだけで面食らってしまった。

「お前、無礼ではないか。俺は長曾我部国親が長子、弥三郎だぞ」
「そんなこと教えてもらわんでも知っておるわ。泣き虫の姫若子、城下じゃ皆がお前をそう呼んでいる」
「黙れ! 」

 腹を立てた弥三郎は童が手にした枝を払い落とそうと左手を振るったのだが、更に腹が立つことにするりと躱されてしまった。

「岡豊の姫若子は泣き虫なだけでなく、反応も鈍い。お前の代でまた長曾我部は落魄れ、野を彷徨うことになるか。無常よの」
「うるさい、俺は姫じゃない!」
「ならばほれ、俺に追いついてみよ。お前なんぞに捕まる萩丸ではないわ」

 ひらりと身を躱す小童を追い掛け、木々の合間を走り回ったが、子供は弥三郎の隙をついて彼の背を突き飛ばし、地面に転がった姿を見てますます大笑いした。

「何とも不様なさまじゃ。長曾我部国親の子とはかくの如き、か弱き者か」
「黙れって言ってんだ!」

 やはり弥三郎も国親の子。
 大人しい性格故、慎重深い面もあるが、一度感情が爆発すると烈火の如く怒り狂い、目標を殲滅するまで収まらないところは父親譲りだった。
 長い手足を闇雲に奮い、何とか童に一矢報いようと奮戦するものの、日頃から姉と人形遊びしかしていなかった足はもつれ、地面の上を駆けずり回るだけで息切れしてくる。
 すぐに転んで泣きべそをかく彼を、木の上に逃げた童は朗らかに笑った。

「俺の名は萩丸じゃ。弥三郎が余りに喧しく泣くものだから、修行なんぞやってはおれずにやむなくこうして姿を現したのじゃ」
「うるさい、降りて来い!」
「降りよと申すなら降りてやらんでもないが、ここからの眺めは良いぞ。お前が登って来たらどうじゃ」
「そんなところ登れるか!」

 萩丸と名乗るその童は意気地なしな弥三郎を今一度笑うと、身軽にひらりと回転しながら高い木の上から落ち葉の如く身軽に舞い降りた。
 彼が地面に降り立った途端、青葉の香しい匂いが立ち込め、弥三郎の周囲を柔らかく包んだ。

「お前、今、自分の名を何と申した」
「萩丸じゃ」
「萩丸か」
「うむ」

 白い貌にふっくら柔らかそうな頬はほんのり桜色を掃いたような淡い赤みがさしていた。
 切れ長の涼しげな目を持つ萩丸は美少女を思わせる顔立ちをしているが、自分を俺と呼ぶことから察するに弥三郎と同じ男児らしかった。
 笑うと細い目尻が糸のように吊り上がり、何とも言えぬ愛嬌を見る者に抱かせる。

「修行って、何の修行だ。この神社の坊主か」

 訝しむ弥三郎に、萩丸は笑顔のまま答える。

「何の修行かと問われても萩丸も知らん。木の葉に化けたり、餅に化けて前を通る民を冷やかしたり、色々と修行を重ねておるが、なんの役に立つ修行であるのかは知らんのじゃ」
「戯れを申すな」

 最初こそ警戒していた弥三郎だが萩丸のけろっとした悪びれない様子に次第に打ち解け、親しく話せるようになっていた。
 城内でも人見知りが激しく、滅多に表に出ない弥三郎には珍しいことである。
 しかし、他人と話すことに慣れていない弥三郎の頬は萩丸の赤みが挿した頬に負けないぐらい、赤く色付いていた。
 所在なさげに掌の脂を袴で拭い、何を話して良いのかわからず、しどろもどろに視線を彷徨わす。
 そんな弥三郎の様子に気付いているのか、いないのか、

「弥三郎。お前、腹が減っておろう。餅でも食うか」

と彼の目の前に柔らかそうなつきたての餅を差し出した。
 湯気の立つその餅を物欲しそうに眺め、弥三郎は自分が今日一日まだ何も口にしていなかったことをようやく思い出す。
 姉の嫁入りのことで頭がいっぱいで、自分の寝食のことなどすっかり忘れていた。

「遠慮せずに食え。食わぬのならその辺に投げ捨てるぞ」
「………」

 おずおずと手を出し、疑心暗鬼に餅を食む。
 食べた途端、木の葉に化けるのかと思ったが、今まで食べたどんな餅より柔らかく、舌の上で蕩ける甘さの実に美味い餅だった。

「まだあるぞ。欲しいだけ出してやるから、たらふく食え」

 不思議と無尽蔵に沸いてくるその餅を弥三郎は疑うこともなく、パクパクと食欲旺盛に良く食べた。

「この餅、お前が馬糞や木の葉から化かして作った餅じゃないだろうな」
「さてさて、どうじゃろうの」

 萩丸はころころと陽気に良く笑う。
 つられて弥三郎も笑顔をとりもどし、それまで彼の心を占めていた姉との別離の寂しさも徐々に和らいでいった。
 萩丸への警戒心が溶けた事が気の緩みに繋がったのだろう。

「於能姉やんが……、本山に嫁いだんだ。それが悲しくて泣いていた」
「ほう、そりゃめでたい」
「なにがめでたいものか!」

 餅を食べながら、弥三郎は今朝起きてから自分の身に起きたこと、父親に分かってもらうどころか殴られて哀しくなったことを全て話した。

「嫁入りはめでたいことじゃ。祝の門出を涙で湿らせてはいかんぞ」
「本山は長曾我部の敵だ。俺は長曾我部家を継がねばならんから、姉やんをいつか殺さねばならん。そうでなければ俺が本山茂辰に殺されてしまう」
「なるほどの。しかし、貴様みたいな姫若子に戦の真似ごとなど出来まいが」
「俺は、自分の命など惜しくない。けど、姉やんが」
「泣いても世の中のことはなかなか己の思い通りにはいかんものだ。お前一人の命、於能の命、岡豊の民の命。すべてを秤にかけ、どれを選ぶのか。その悩みはお前が親父の跡を継ぐ以上、必ずついて回り、行く先々でお前を悩ませるだろう。それがお前に課せられた役目なのだ。何人たりとも、己が持って生まれた天命からは逃れられん」
「天命なぞ知るか。俺は俺が思うまま、したい様にする」
「お前の行く末が楽しみじゃの、姫若子。姫のまま名も上げず、どこぞの野で朽ち果てるか、お前の親父を飛び越えて、この土佐からも羽ばたいて大海へと躍り出るか。まあ、於能のことは心配あるまい。弥三郎にはこの萩丸がついておる。お前の姉にも頼まれた故な。お前が悲しまずに済むよう萩丸も一生懸命頑張る所存じゃ」
「お前が?」

 お前なんかに何が出来る。
と、弥三郎は目の前の童を睨んだが、見ているうちに確かに彼はただの人の子には見えなくなってきた。
 笑うと尖った犬歯が覗くのだ。
 それだけではなく、ふさふさと触り心地の良さそうな茶色の尻尾が尻からぶら下がっていた。

「心配無用じゃ、弥三郎。お前が危ない時は、この萩丸が必ずお前を助けてやる。それが宇迦之御魂神様から萩丸が賜った真言だ」
「うかの、みたま? 」
「今のお前が無理して分からんでも良い。いずれ、自然と分かる。秦の血筋のお前ならば、宇迦之御魂神の加護が必ず得られようぞ」

 その言葉通り、以降、萩丸は常に弥三郎の傍についていた。
 どうやら萩丸の姿はすべての者に見える訳ではないらしく、屋敷の中ではまだ赤児の三男、弥七郎だけが弥三郎の背後を指さし、「うー、うー」と聞き取れない言葉で訴えて来るだけで、次男の弥五郎は全く見えていないようだった。

「なんだ、この馬糞は! 誰がこんな場所に撒き散らした!」

 岡豊城内では頻繁に起こる萩丸のしでかす悪戯に、「狐の仕業じゃ」と怯え、祈祷師まで呼ぶ騒ぎになったが、その祭司にすら萩丸の姿は見えていないらしい。
 それを見て、弥三郎と萩丸の二人で隠れて大笑いしたものだった。
 一度だけ全国を回っていると言う偉い坊さんに萩丸の正体が見破られてしまったが、「悪さをする狐ではないようだな。だが、悪戯は程々にな」と窘められるだけで終わった。
 その坊さんを弥三郎は追いかけ、こっそり萩丸の正体を聞いてみたが、

「萩丸は狐なのか?」
「ほう。若様にはあの狐の姿が見えますか。かれこれ三百年程、修行をしておるようだが、いまだ地狐にもなっていないただの狐のようですな」
「三百年?!」
「そうじゃ、お前が思うより俺は年寄りなのじゃよ、弥三郎」

 いつの間に来ていたのか、後ろで弥三郎と坊主の話を聞いていて、萩丸がけらけらと笑っていた。

 弥三郎が八歳になった時だ。
 姉の於能が本山茂辰の子を産んだと岡豊の城にも報せが入った。

「浮かない顔じゃな、弥三郎」

 いつものようにどこからか城内に入った萩丸が池の魚を見てぼんやりしていた弥三郎に話し掛けて来た。
 最近の弥三郎は正体を隠す気もないのか、ふさふさした尻尾をこれ見よがしに振っていることが多くなった。
 しかし、どうせ彼の姿が見えるのは弥三郎と三番目の弟、弥七郎だけである。
 昨年、弥九郎と言う名の母親違いの弟が生まれたが、この弥九郎には萩丸はまだ会っていなかった。

「於能姉さんが本山の子を身籠もった」
「息災で何よりじゃの」

 確かに萩丸の言う通り、姉と本山茂辰の仲が子を儲ける程、睦まじいことを喜ぶべきなのだ。

「もっと嬉しそうな顔をせんか、弥三郎。お前らしくとない」
「うむ」

 しかし、国親の本山への恨みの激しさを知っている弥三郎はやはり呑気に喜んでいられなかった。

「孫が出来ようと父上の中で本山は変わらず仇敵だ。姉さんが危うい立場にいることは何も変わらん」

 いや。
 子が出来れば於能も自分ら弟たちより、我が子の方が愛しくなるだろう。
 於能の出産は弥三郎にとっては姉との二度目の別れだった。

「塞ぎ込んでおらんで、魚でも取りにいかんか? 」
「行かん。しばらく誰とも話したくない」

 気落ちしたまま、弥三郎は屋敷の奥へと引き籠もってしまった。
 萩丸と会ってからは外で遊ぶことが多くなったとは言え、岡豊の姫若子は相変わらず、室内で遊ぶのが好きな大人しい姫のままだった
 こうしてちょっとでも面白くないことがあると、引き籠もって何日も外に出て来ない。
 萩丸の誘いにすら返事もしないのだ。

「弥三郎、栗の実を取りにいかんか。久しぶりに表に出て、萩丸と遊ぼう」

 酒豪の多い土佐の地では、それでなくとも荒々しいいごっそうが持て囃される。
 いごっそうとは、頑固で気骨のある男の意で、武技に秀で、戦では先陣を駈ってばたばたと敵を薙ぎ倒して行くようなそんな強い男が何より皆の尊敬を集めた。
 弥三郎のように部屋に閉じ籠もって書物ばかり読み漁っている男は、どれだけ知恵があろうと「軟弱者」と軽んじられる土地柄である。
 当然、八歳になっても本を読み漁り、一向に槍の稽古もしない弥三郎への顰蹙の声は父国親の耳にも届いていた。

 その日、麓の寺まで手習いに出掛ける用事のある弥三郎は、下の弟たちと共に、父親の従弟である戸波親武に付き添われて岡豊山を降っていた。

「於能の話はおまんらも聞いたか、弥三郎、弥五郎、それに弥七郎」

 この時、二つ下の弥五郎は六つ。
 於能が嫁いだ時はまだ赤ん坊だった弥七郎は四つになっていた。

「聞いた。本山茂辰の子じゃろ。叔父上、父上は本山とまだ戦するおつもりなんじゃろうか」

 於能の記憶が全くない弥七郎だけが呑気に明るく、そう答えた。

「さてな。しかし、戦せんことには儂らぁもこの地で安静に生き伸びて行くことが出来ん」

 頷こうともしない弥三郎に苦笑を浮かべ、戸波は眼下の香長平野を指さし、子らに眺めて見ろと言う。

「緑豊かな美しい土地じゃ。この香長平野があるから、儂らはここで田を耕し、米や酒をたらふく食って飲むことが出来る。しかし、同時にこの平野は誰のものでもなく、奪い、奪われながら、我らの祖先は代々この岡豊の地を守って来た」

 赤ら顔の戸波は厳つい顔に笑みを浮かべて弥三郎たちを振り返る。

「一度はこの地を追われ、身寄りのない身になりながら、それでも岡豊に帰り、立派にこの地を立て直したおまんらの父こそが、本物の土佐のいごっそうじゃ。おまんらはその父、国親の血を引いておる。弥三郎、おまんは父の悪い側面ばかり見ておるが、おまんの持つ大望はその父を超えることが出来るのか? おまんはそれを確信しておるから、父に逆らい、自分の信念を頑迷に変えずにおるのか」

 その先は長男である弥三郎だけを見て戸波は続けた。

「戦をするのは人の業じゃ。誰だってたらふく飯を食いたい、ひもじい思いをしたくない。皆がそう思うから他人の領地を欲しがり、襲撃する。弥三郎よ、おまんのように戦は嫌いじゃ、槍など持ちたくないと女々しいことを申すなら、おまんは俗世を離れ、仏門に下り、坊主になって泰平の世の為に経を唱えて穏やかに過ごすのが良かろう。儂はそれも有りだと思うておる。皆が皆、武士になる必要はない。お前が望むのなら、儂が国親殿を説き伏せてやる。後のことはこの弟二人にまかせろ」

 戸波の言葉を聞いていた弥五郎と弥七郎は一瞬、きょとんとしていたが、兄が連れて行かれてしまうと勘違いしたのだろう。
 二人共キッとまなじりを決すると、弥三郎の体にしがみついて叔父から兄を守ろうとした。

「戸波の叔父上! 兄上を連れて行くことはこの俺が許さん! 」
「そうじゃ、そうじゃ! 弥七郎も黙っておらんぞ!」

 二人の子に責め立てられて戸波は「困ったのう」とからからと大笑する。

「おまんら三人はまっこと仲がええのう。心配せんでも弥三郎はどこにも行かん。おまんらが弥三郎を守ってやれ」

と大きな手で二人の頭を撫でた。
 あくまで気休めに過ぎないが───。
 弥三郎も愚かではない。
 どうして叔父が自分にこんな話をするのか、その理由は大凡理解していた。

「弟らをおまんの代わりに鬼にするか、おまん自身が家を継ぎ、鬼へと変貌するのか。おまんも父に逆らう気なら、当然、名を棄て、家を追われる覚悟も出来ておろうな」

 弥三郎も既に八つ。
 自分の行く末を見定め、心を入れ替え、槍の修行に励めと。
 叔父はそう言いたいのだ。

「坊主になりたいのなら儂に言え。国親殿に口添えしてやる」

 そして、家を継ぐ気がないのなら、さっさとこの家を去れと。
 兄弟で血生臭い争いをし始める前に、やる気のない長男は寺へと入れて事後の憂いを断っておこう。
 叔父なりに甥の未来を悲観して出た不器用な愛情表現だった。
 
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