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KANON 終わらない悪夢

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05

(…奴らの気配がする)
 夜にしか出ないはずの魔物、それも留年してから全くしなかった気配が、この真っ昼間に出た。
「佐祐理、家に帰って」
「どうしたの? 舞」
「学校で騒ぎが起こっても、戻って来てはだめ、鞄も置いて逃げてっ」
「えっ? ええ」
 そう言い残すと、掻き消すように走り去った舞。佐祐理も理由は分からなかったが、弁当だけは片付けると学校を出た。

「「香里?」」
 始めは目眩のような感じがしたが、それ以降、意識はあっても、自分では体を動かせなかった香里。
「しっかりしてっ、お姉ちゃんっ」
 仰向けに起こされた香里は、わずかに痙攣しながら、苦しそうに顔を歪めていた。
「私の時と同じ、動けないの? 息ができないの?」
 そう聞くと、ゆっくりと首が縦に動いたように見えた。
「お姉ちゃんっ!」
「香里ーー!」
 少女二名はパニックを起こし、こんな時、一番やってはいけないと言われる、「揺さぶって起こす」動作を繰り返していた。
「名雪っ、保健室まで走れっ、救急車呼んで貰えっ」
「え? うんっ」
 ここでは役に立たない名雪を走らせ、もう一人を正気にさせる。
「栞、こんな時の薬はあるか?」
「えっ? ええっ?」
「香里っ、息ができないんだな?」
 祐一が覆い被さって人工呼吸する前に、弱々しく首が動いた。すると栞は、四次元からではなく、首から下げた小さなスプレーを取り出した。
「これです」
 そのスプレーには注意書きが付いていて、こう書かれていた。
『この方が倒れた場合、スプレーの薬品を2,3回喉に吹き付け、必要に応じて心臓マッサージ、人工呼吸を併用し、早急に病院に搬送して下さい』
 その下には、指定病院の連絡先と、栞の住所氏名が書いてあった。
「本当かよ……」
 祐一は今更ながら、難病の少女と付き合っていた事を思い知らされた。
「行くぞ、いいなっ?」
 口を開けさせ、スプレーを喉に吹き込むと、香里は弓なりにのけ反った。
「ヒュゥゥッ! ゲホッ! ゴホッ!」
 海から上がった海女のように、笛のような息をすると、咳込みながらも呼吸が戻った。
「お姉ちゃんっ!」
 次に心臓マッサージをするため、胸の上に手を置き、見よう見まねで処置を始める。
「1,2,3,4,5」
「もぅ、ぃぃ」
「喋るなっ、栞、人口呼吸できるか?」
「え? ええっ?」
 まだ泣いたまま、オロオロしている栞。
「まさか… 栞… 前… キス… つも… じゃ、な… しょ、ね」
 胸を押されているのと、呼吸が確かでないのか、途切れ途切れに話す香里。
「それ以上喋ると本当にするぞ」
 そう聞くと、少し笑いながら口を手で隠し、自分の胸に乗っている手を引っ張る。
「何だ? やめて欲しいのか?」
 首を縦に動かす香里の目は、「妹の前で胸を触らないで」と言っていた。
「ええいっ」
 手近にあった「香里の左手」を胸に置き、その上からマッサージを続ける。
「これなら触ってないだろ」
 栞の様子を見てから、また首を縦に動かしたので、心臓を押し続ける祐一。
「1、2、3、4、5、深呼吸しろ」

 その頃、校舎の影では。
「はああっ!」
 見えない何かに向かって、木刀を振り下ろす舞がいた。
「うぐぅ~~っ!」
 魔物に防いで貰い、頭は殴られなかったが、かなりウルウル来ているあゆ。
(あれ、見付かちゃったね、へえ、あの子がそうなんだ)
「…そこで何してるの?」
(さあ? それより彼の友達が倒れたみたいだよ、君の力で助けてあげたらどうだい?)
「何ですって?」
 初めて魔物から話し掛けられ、驚いている舞。
「うぐぅっ、あの人怒ってるよっ、凄く怒ってるぅ」
 木刀で殴られそうになった上、殺気の篭った視線だけでも死にそうなあゆあゆ。
(じゃあ今日は引き上げようか、後はお願いできるかい?)
(ワカッタ)
「待てっ、お前は何者だっ」
(ボクかい? ボクは天使だよ、またねっ)
「待てっ!」
 ブウンッ!
 追いかけようとした所を、旋風が薙いで行った。それをかわす間に、天使の人形とあゆはどこかに消えていた。

 中庭に戻る…
「香里ーーー!」
 そうこうしている間に名雪が戻って来た。
「祐一っ、香里はっ?」
 泣きながら親友の様態を気遣う名雪。
「大丈夫だ、栞が凄い薬持ってたからな」
 普通、他人の薬は使ってはいけないが、年齢も近い姉妹で同じ症状を示し、同じ薬で効果があった場合。
「美坂さんっ」
 少し遅れて、栞の家から預かったと思われる、小型の酸素吸入器のボンベを持って、保健医も駆け付けた。
「栞さんじゃ、なかったのね」
 保健医の言葉で、周りの者も二人が同じ病気だと気付き、本人も死刑宣告でも受けたような気分になった。
(お姉ちゃん、やっぱり私と同じ)
 まるでタイマーでスイッチが入るように、親兄弟で同じ年代に発病する病気、それは遺伝病と呼ばれた。
(後、持って1年…… か)
 香里も諦めたような表情になり、大きなため息を漏らした、こうして祐一の周囲から、少しづつ奇跡にほころびが見え始めた。

 ブウンッ! カキンッ!
 今は木刀しか持っていないので、魔物には傷を付ける事もできない舞。
 ブウンッ! ブウンッ! ヒュッ! ザシュッ!
「…どうしたの?」
 舞が飛び退いて校舎の影から出たとたん、全ての攻撃が止んだ。
「影から出られないの? ここまで来て見なさいっ」
(グルルルルッ)
 やがて一匹、一匹と気配が消え、魔物達もどこかに消えて行った。
(…誰が倒れたの? 栞と言う子?)
 魔物の気配が完全に消えたのを確認してから、舞は中庭に走った。

「美坂さん、すぐ救急車が来るから、しっかりして」
 酸素をセットしながら、脈をとっている保健医。
「妹の、薬で、楽に、なり、ました、もう、いいわ」
 酸素と保健医が来たので、心臓マッサージを断る香里。
「じゃあ名雪、代われ」
「うんっ」
 とりあえず女同士で体力がある名雪に任せるが、今でも真っ青な栞にさせる訳にはいかない。
「ほら、ここを押さえて」
「ううっ、香里、死んじゃダメだよっ」
 ボカッ
「いたいよっ」
「これぐらいで死ぬかっ」
「うん」
 それを見て、また少し笑う香里。
「今度、イチゴ、サンデー、おごるわ」
「うんっ、約束だよっ」
 弱々しく、それでも名雪と自分を励ますように将来の約束をする香里、少なくとも余命一年はあると思っていた。
「それ以上喋ったら人口呼吸だ」
 そこでようやくボンベをセットした保健医が、酸素マスクを付ける。
「残、した、キス、栞、し、もら、なさい」
「あんまり喋らないで、香里」
「安心しろ、病名は「食い過ぎ」だ、胃に血が集まりすぎて貧血で倒れた、それから食べた物が喉に詰まって息ができなくなった、そうだな?」
 香里も笑いながら頷いていた、本当にそうなら、どれだけ気が休まるかと思いながら。
「今日からお前も、名雪と同じ「お笑い系」だな、病院で笑われて来い」
「ちがうよ、わたし、体育会系だよ」
 ボカッ
「だから、叩かないでっ」
 二人の「どつき漫才」を見て少し落ち着く香里、そしてきっと自分の病名は、食べ過ぎだと願いながら目を閉じた。

 タッタッタッタッ! ザッ!
「…どうしたの? 何があったのっ」
 慌てて走って来て、珍しく大きな声を出す舞を見て驚く一同。
(姉の方? 外傷は無い、奴らもこんな明るい場所には来ないはず、だったら?)
 自ら天使と名乗った物を疑う舞。
「ああ、香里が食い過ぎで倒れた、栞? 何かいい薬無いか?」
「え? 胃薬なら」
「飲んどくか?」
 また少し笑いながら首を振る香里、呼吸も楽になったので、自分でも本当に食べ過ぎで倒れたのでは無いかと思い始めていた。
(そんな馬鹿な、食べ過ぎで心臓マッサージされて、酸素マスクを付けられる患者がどこにいるの)
 母の事を思い出し、辛そうな表情になる舞。
「…ちょっと来て」
 そのまま祐一を引きずって行き、香里から引き離す。
「どこ行くんだよっ」
「…あの子は奴らにやられたの?」
「はあ?」
 最初は意味が分からず、疑問符を浮かべる祐一。
「さっきまで奴らが校舎の裏にいた」
「何だって?」
 そこでようやく、傷だらけの木刀の意味が分かった祐一。
「違う、食べ終わって話してたら急に倒れた、佐祐理さんは?」
 いつも一緒の二人が別々で、しばらく経っても佐祐理が来ないので不安になる。
「奴らの気配がしたから帰らせた」
「そうか、良かった」
 そこで舞に睨まれると、何故か「あの子は妹と同じ病気なの?」と尋ねられているような気がした。
(?症状は同じらしい、それに同じ薬で良くなった)
 某お嬢様のように「ゴン太君方式」で聞き直すと、香里に聞こえてしまうので、心の中で答えると舞の表情が曇った。
「…佐祐理を探して来る」
 そう言い残すと、また走り出して校門に向かう舞。
「ああ、気を付けろよ」
(…私に助けろですって? 私に以前の力は無い、それに治せた所でまた)
 化け物とか、悪魔の子と呼ばれた頃を思い出し、眉をひそめる。
(…佐祐理ならどう思うだろう? でも祐一なら)
 もちろん佐祐理なら「まあ、やっぱり舞って凄いんですね~」と喜ぶだけだが、そうは思えなかった。しかし魔物を知っても平然?としていた祐一なら、受け入れてくれそうな気もした。

 やがて救急車が到着して、中庭まで誘導されて来た。
「こっちですっ」
 救急隊員が何人か出て、担架を降ろす。
「この子ですか?」
「はい、状態は安定してますが?」
 言いにくそうに、隠れて責任者に何か告げている保健医。そこで祐一は、担架に乗せられた香里に声を掛けていた。
「栞が心配で、ずっと絶食してたんだろ、急に食ったら体調も悪くなるさ」
「えっ?」
 栞の疑問に答えるよう目線を合わせたが、すかさず香里に口を塞がれた。
「ああ、分かったから、大人しく寝てろ」
 その手を払いのけ、胸の上に戻してやる。
「お姉ちゃん」
 祐一を黙らせると、香里は妹の視線から逃げるように顔を背けた。
「とりあえず、私と栞さんが一緒に病院に行くから、あなた達は教室に戻って」
 お約束のセリフを言う保健医だったが、悲壮な顔をしている栞を放っておけなかった。
「俺達も行きます、こいつが病院までマッサージを続けますから」
「だめよ、親族以外は連れて行けないの」
(クソッ!)
「祐一さん、大丈夫ですから、お姉ちゃんも大したこと無いようですけど、私一人ぐらいは付き添ってあげますね」
 明らかに強がって、笑って見せる栞。
「ああ」
 以前のような真っ青な顔色と涙声、これを見て自分の状況に気付かない方が、どうかしていた。

「佐祐理っ、やっぱりここにいた」
 校門を出た所で、予想通り佐祐理を見つけた舞。
「ごめんなさい、救急車が入って行ったから、何かあったのかと思って」
 舞に「家に帰って」「戻って来てはだめ」と言われていたのに、校門の外から覗いていたのを見付かり、ばつが悪そうにしている佐祐理。
「いい、それより無事で良かった」
(木刀?)
 舞が木刀を持って走って来たので、また何か問題を起こして、停学になるのでは? と心配になる。
「中で何があったの?」
「…香里と言う子が倒れた」
「えっ? 香里さん、何かあったのっ」
「…妹の弁当を食べ過ぎたらしい」
 祐一と同じ嘘をついて、佐祐理を安心させようとする舞。
「それは大変でしたね~」
 栞の巨大な弁当を思い出して、そう言ってみたが、舞の表情はどう見ても、何かを警戒して周りを見回していた。
「…佐祐理、しばらく学校は休んで」
「どうしたの? 佐祐理にも分かるように教えて」
「…………」
「佐祐理には言えない事なの?」
「そうじゃないっ、説明しにくい」
 今まで魔物の事も、自分が持っていた力の事も、余計な話はしたくなかったが、今日の出来事や、これから佐祐理が危険な目に合うと考えれば、説明するしか無かった。
「佐祐理は馬鹿ですけど、舞が説明してくれればきっと分かります、教えて」
「…分かった。私が夜の校舎で、何をしてるか知ってる」
「ええ、何となく……」

 その頃、香里を乗せた救急車は、病状が安定していたのか、停車したまま、栞の行きつけの病院に連絡を取っていた。
(何してるんだっ、早く行けよっ、連絡ぐらい走りながらでもできるだろっ)
 そこに担任がやって来て、保健医と小声で何かを話していた。
「ですから、妹さんと同じ病院へ」
「分かりました」
「すいません、俺も早退させて下さい」
「いかん、お前らだけ特別扱いにはできん、救急車にも全員は乗れんぞ」
 担任が言う通り、香里、名雪グループの女まで集まってしまい、ハンカチを出して周りで泣いていた。
「「「香里っ! がんばって!」」」
(うそつけ)
 祐一の目にも、栞と名雪、それ以外の女の顔色の違いは分かった。
「相沢っ」
 そして救急車に気付いたのか、北川も来ていた。
「香里が倒れたって本当か?」
「ああ」
「具合はどうなんだ」
「大丈夫だ、食い過ぎと貧血だろう」
「うそつけ、女どもはともかく、どうしてお前が死にそうな顔してるんだ? 言えよ」
(言えるわけ無いだろ)
 目を逸らし、救急車を見る祐一。
「医者に聞きに行け」
「そうだな、サボるか」
 北川のくせに正しい提案をしていた、そこでようやく赤色灯が回り始めた。
『救急車が通ります、道を開けて下さい!』
 拡声器から声が響き、野次馬を押し退けて、ようやく救急車が発車して行く。
「「「「香里~~~!」」」」
「「「「「「美坂さ~~~ん!」」」」」」
 普段、香里と話すどころか、陰口しか言わないような女達まで、ハンカチを濡らして見送っていた。
(便利な奴らだな、涙も自由に出るのか?)
「ほらっ、お前らは教室に戻れっ!」
 追いかけようとした祐一達も、担任に襟首を掴まれ、教室まで送り届けられた。
(こいつらきっと、生徒が泣いたり苦しんだら、点数が増えるんだろうな)
「ぐすっ、香里~~」
 この中で一番素早いはずの名雪は、涙でボロボロになり、3人で走って逃げられる状態では無かった。
(待ってろよ香里、死ぬんじゃないぞ)

「うぐぅ~、怖かったよ~、でも香里さん病気にしなくてもいいじゃないかっ」
(じゃあ君は、あのまま彼が結婚させられても良かったのかい?)
「うぐぅ」
(コロシテシマエバヨカッタ)
「だめだよっ」
(ふふっ、これぐらいで死なせはしないよ、もっともっと苦しめてから)
「もっとだめだよっ」
(君はあゆちゃんの事を思い出さなかった、目が覚めず一人で泣いているあゆちゃんの傍に近寄りもしなかった、今度はお前の番だ)
 これからは祐一や、その周りにいる者達が苦しむ番らしい。あゆを見捨てた者、あゆを忘れさせた者、あゆを呪った者、全てが罰を受ける番だった。
 
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