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KANON 終わらない悪夢

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12

 その頃、生徒が登校し始めた学校では…
「お前は来たのか、ちょっと来いっ」
 校門辺りで担任に捕まえられ、生徒指導室に連れて行かれる北川。
『どうしたんだあいつ?』
『凄い目付きしてたぞ』
『何かやったのか?』
 普段の北川を知っている男子生徒に見送られながら、痛む手をポケットに隠して歩いて行く。
「何で呼ばれたか分かってるな」
「……はい」
 担任他数名に取り囲まれているのに、やさぐれたままの北川。
「相沢と水瀬は休むと言って来た、何があった?」
「ええ、香里の見舞いに行ったら、真っ白な顔色してましたよ、あいつの妹より凄い顔色で」
「そんなもんが言い訳になるかっ」
 授業をサボった事より、次の日まで休んで問題を大きくしたのが気に入らなかったらしい。非常に役人らしい対応だった。
「今朝は本人から電話がありましたよ、「後3ヶ月の命だからお別れ」だって、「今までありがとう、さようなら」って笑ってましたよっ、あいつの方が辛いはずなのにっ」
 ゴンッ、ゴンッ!
 机に頭を打ち付けて、自分を傷付けようとする北川、他の痛い場所を麻痺させるように、何度も、何度も。
「馬鹿もんっ、そんな嘘に騙されるんじゃないっ、笑ってたんだろっ、冗談なんだっ」
 どうしても自分の生徒に、そんな「問題」を起こされるのが嫌だったらしく、否定の言葉を連ねる担任。
 ゴンッ、ゴンッ!
「やめなさいっ、怪我するわよっ」
 保健医に止められたが、すでに両手は電柱でも殴りながら歩いて来たのか、拳が擦りむけて腫れていた、骨折しているかも知れない。
「最後には泣いてましたよ、「どうして貴方が泣くの?」って、「名雪といい、貴方まで先に泣いたら、私が泣けないじゃない」って、声震わせて泣いてましたよっ!」
 ドカッ!
 両手を机に打ち付けた時、ひびでも入っていたのか、痛む右手を押さえて丸まってしまう。
「いいかげんにしろっ」
「やめなさいっ」
 担任が頭を叩こうとしたが、隣にいる教頭に止められた。体罰は禁止らしい。
「手もこんなになって、何をしたの? 後で保健室に行きましょう」
「ほっといてくれよっ」
「自分の体なんだから、もっと大事にしなさいっ」
「…………」
 保健医の言葉を聞き、もう生きられない香里を思って、大人しくなる北川。
「じゃあ、水瀬はどうした?」
 余りにも取り乱す北川を見て、担任も引いていた。
「電話したら、あっちも泣いてましたよ 「あの約束守れないって言われた」って、「百花屋でイチゴサンデー食べる、たったそれだけの約束が守れないって言われた」って泣いてましたよっ、そんな時に学校来れる女の方がどうかしてるっ、俺なんかより付き合い長いんだからっ」
 眠れぬ夜を過ごして、朝も早く起きてしまった名雪、登校した所で授業中は居眠り、もしくは泣いているだけかも知れないが、間を取って泣き寝入り辺りが妥当と思われた。
「じゃあ相沢は?」
「あいつならまだ病院にいますよ、香里の妹が治った時みたいに、あいつが一緒にいたら治るってっ、俺にそんな力があったら、俺だって、俺だって、畜生っ!」
 ドカッ!
 また机に腕を振り下ろし、右手を押さえる北川、恋愛感情のもつれもあったらしい。
「やめなさいっ、もう右手は使わないでっ」
 これ以上手を痛めないよう、腕で押さえて触診を始める保健医。
「またそんな下らない話を、変なうわさを信じるなっ」
「待ちなさい。北川君、その子はそんなに具合が悪いのかね?」
 ようやく日本語で話せそうな相手が見付かり、目線を上げ少し落ち着いて話す。
「ええ、俺なんかより、保健の先生の方がよく知ってるでしょ、香里と妹が同じ病気だって」
「そんな……」
 全員の視線が集まってしまい、戸惑う保健医。
「どうなんだね、我々ならもう事情を知っている、隠す必要は無い」
「はい、そうです、発作も症状も同じでした。私も最初、水瀬さんに呼ばれた時、妹さんが倒れたんだと思っていましたから」
「そうかね、北川君、その話、他の生徒に話してはいかんよ、心配させるだけで私達には何もできんのだから。それと怪我をしているなら「病院に」行って来なさい」
「はい」
 教頭からは、温かみのある言葉が出たが、緘口令は出された。

 その頃、教室では……
「グスッ、うっ」
「香里っ、死なないで」
「昨日行った時も、面会謝絶って言われたから、何かあると思ってたけど、まさか?」
 直接香里から電話があった者、その話を聞いた者達が泣いていた。担任からの見舞い禁止令を破った者も、祐一と二人にするため家族の希望で断られただけだったが、女の噂話に戸は立てられなかった。
「水瀬さんと相沢君は家から連絡がありましたが、他の子はどうしたんですか?」
 ホームルームが始まり、別の教師が出席をとっていたが、すでに名雪、香里グループの数名が姿を消していた。
「美坂さんのお見舞いに行きました」
 自分達と同じ教室から、初めて死者を出すかも知れない状況に、ある者は泣き、ある者は青ざめた。

(ふんっ、何でも無かった事にして、3ヶ月経ったら一輪挿しでも立ててごまかそうって思ってもそうは行かないわ。机や私物だって、汚い物でも片付けるみたいに始末させてたまるもんですか)
 今まで学校や近所で、栞の扱いを見続けた香里は、栞が触れた物がまるで病原体のように捨てられ、汚染されたように洗浄されるのを見て来た。
(あたしは栞みたいに逃げも隠れもしない、絶対忘れられないようにしてやる)
 そのいじめに参加するように、栞を無視していた香里だが、自分には同じ対応をされるのが怖かったのか、今までの栞に対する仕打ちへの復讐だったのか、「日本では話してはいけない言葉」が伝えられた教室は、騒然としていた。

 病院の屋上……
 昨夜の香里の様子を父親に話し、今の精神状態がどのぐらい危険か話していた祐一。
「それで、電話が終わってからも、「家の人に来てもらえ」って言ったのに、帰ろうとしたら「窓か屋上から飛び降りる」って言われて、帰れなくなったんです」
「そうでしたか、あの香里が。女房に似て気の強い奴なんですが、こう言う時はからっきしですなあ」
(母親似なのか?)
「ですから香里が落ち着くまで、しばらくそっとして置いた方が」
 今すぐ二人のどちらかを選ぶと、残った方に滅ぼされそうな予感がして、懸命に先延ばししようとする祐一。
「そうですね、あいつは案外飽きっぽい所もあって、栞と取り合っていた人形とかも、「傷」が付いたらあっさり渡してましたから」
(傷……)
 やっぱり包丁で刺されたり、手足が取れたり、骨や顔がぐちゃぐちゃになったりすると、あっさり諦めてくれるらしい。
「栞は優しい奴ですから、物でも生き物でも、それからの方が大事にしてやるんですよ」
(大事に……)
 何気に娘自慢をする父だったが、祐一は包帯だらけになって栞に看病して貰う、ミザリーな自分を思い浮かべていた。

 祐一妄想中……
「祐一さん、ここが痛いんですか?」
 ギュウウウウウッ!
 香里に刺されるか、父親に投げられた後、緊急入院して栞ちゃんに優しく「お手当て」して貰っている祐一クン。
「痛いっ、痛いっ」
 患部をつねられて、包帯に血がにじみ出して来る。
「昨日はお姉ちゃんも痛がってたんですか? 恋愛なんて大嫌いな人ですから、経験ある訳ないですよね」
 ギュウウウウウッ!
「痛いっ、痛いっ」
 香里ちゃんに乱暴にされ、擦りむけちゃった所もつねられる。
「へえ、そうですか、お姉ちゃんと(ぴーー)て気持ち良かったんですか」
「言ってない、言ってない」
 ゴゴゴゴゴゴゴゴゴッ
 四次元から何かを召還している栞ちゃん。
「ゴルディオンハンマーーー!」
「ひいいっ」
「光にっ、なれ~~~~っ!!」
「いやああ~~~っ!」
 やっぱり治る前には、ハンマーで足を砕かれるのがお約束らしい……
 妄想終了

「しかし、どうして急に具合が悪くなったんでしょうねえ? あいつが嫌がっても、時々は検査を受けさせていたんですが」
「はあ、1月も2月も、栞さんが心配で、昼は食べてなかったみたいです」
「やっぱりそうでしたか、家でもほとんど食べてませんでしたから、体力が落ちていたんでしょうね」
「ええ」
「無理して食べていたのは、3月頃、栞が土日に外泊で帰って来た時ぐらいでしたか、何だか毎日痩せ細って行くのを見るようで、親としては辛かったですよっ」
 また泣きが入りそうになる父を見て、何とかフォローしようと頑張る祐一。
「でも始業式からは、栞さんの弁当を嫌って言うほど食べさせられてたんで、「太っただろ」って言ってからかったり、昨日も「お前の病名は食い過ぎだから安心しろ」って言ってたんです」
「ははっ、確かにあれだけ食べさせられたら」
 父の表情にも、ようやく笑顔が戻ったが、涙は止まらなかった。
「昨日も今朝も、あいつの方が元気でしたから、きっと良くなってると思います。無理にでも再検査した方が、あいつも安心するんじゃないですか」
 体に重大な損傷を負う前に、何とか香里を安心させて、家に帰れるよう説得してみる祐一。
「そうですね、でも反抗期って言うんですか、二人とも私の言う事は聞かない娘で。後で相沢さんからも言って頂けませんか」
「はいっ」
 喜んで即答する祐一、もし今晩も残って同じ状況になったら、明日の朝日は拝めない。
「でも、昨日は本当に駄目かと思いましたけど、今日はあんなに元気そうになって、あいつの元気な顔見たのなんて、1年ぶりですかねえ」
「ええ、元気すぎて困ったぐらいです」
 昨夜は散々レ*プされたので、うっすらと涙を浮かべる祐一君、そこで香里の父も祐一の顔や手、首筋に残った、引っ掻き傷や、「歯型」に気付いた。
「あの、昨日は乱暴にされませんでしたか?」
「え? はあ、乱暴されたと言うか、何と言いますか? 栞さんが何か言ってましたか?」
 今は優しく聞かれているが、油断して濃厚なプレイを公表したりすると、オーバーフェンスで投げられてしまうかも知れない、祐一は慎重に言葉を選んだ。
「いえ、恥ずかしながら家内も同じでして、最初は笑ってたかと思えば急に怒り出したり、言い争いになったら泣き出したり、大変でしたよ」
(あれもソッチ似かいっ!)
「始めは恥ずかしそうにしてたくせに、誰が好きなのか聞いたら、「鈍感っ!」って言って、凄く怒りましてね」
「ええっ、同じです、あいつも最初は「見るな、触るな」「電気も消してすぐ済ませろ」って大変だったんですけど、「お前が好きな奴の方がいいだろ、連れて来てやる」って言ったら、凄く怒られまして」
 あまりにも似た状況に、つい語るに落ちて行く祐一。
「やっぱりそうでしたか、相沢さんも大変だったみたいですね、申し訳ありません」
 手の傷を指差して、頭を下げる父。
「いえ、これぐらい何でもありませんから」
 手や襟から見える傷を隠して、香里に「汚された体」を見られないようにする祐一。心に残った傷に比べれば、体の傷など大した物ではなかったらしい。
「あの時、家内も、変な言い回しで告白したとたん、吹っ切れたみたいに乱暴になりまして」
 父もその時の古傷を撫でながら、空を見上げていた。それまでは病弱で弱々しい人だと思っていたはずが、浄瑠璃の人形のように、角を出してガブが入った如く変化して、無理矢理犯されちゃった苦い記憶があるらしい。
「あっ?」
 何か男の友情と言うか、同じ戦場で戦った戦友のような感じがしちゃう祐一君。
「え、ええっ、あいつも昨日はそうでした、でも、あいつは誰が好きなのか、どうしても言わなかったのと、「自分の寿命が何週間なのか、何ヶ月か教えろ」しか言わなかったんで、交換で教える事にしたんです、すみません」
「いいんですよ、かえって助かりました。私も家内も聞かれましたけど、どうしても言えなくて…… 二人ともその辺りは敏感で、私の嘘なんかすぐ分かるみたいですね」
 栞に似て、正直そうな父なら、誰が見ても嘘を見破れそうだった。
「それで、重い症状じゃないって思わせるように、一度帰りましたけど、栞のいた所じゃあ、すぐ分かりますよね」
 また言葉に詰まって肩を震わせる父。
「いえ、あの部屋は栞さんが頼んだみたいですし、朝は先生も「姉妹なら同じように治る」って言ってましたから」
 父親が泣いている姿を見ていられず、また慰めの言葉をかけてみる。
「ええ、そうですね」
 次第に打ち解けて、男同士で話し合っていた二人。 その頃、病室では。

「すみません、香里の部屋はここで?」
 昨日の祐一、北川、名雪と同じコースを辿って、女子数名がやって来た。
「「「香里っ!」」」
「どうしたの? その顔色っ」
「うそ……」
「やだーーっ」
 雪のように白い香里の顔色を見て、絶句する者、恐怖で目をそらす者がいた。もちろんそれは、祐一と言うエネルギーの供給源が切れた後、冷水で顔や手を洗って、床ずれ防止用のベビーパウダーをつけた努力の成果だったが。
「もう、来ちゃだめって言ったでしょ、それに「笑ってお別れしましょう」って約束したじゃない」
 そう言いながら、顔を背け、自分の肌が露出した部分を隠す。
「そんなのできる訳ないじゃないっ」
「そうよっ」
「うええ~~~ん」
 急に騒がしくなった香里の病室、そこに。
「おはようございます、美坂さんの病室は、こちらで宜しいでしょうか?」
 カメラを持った取材班も到着してしまった、どうやら香里は、祐一が寝ている隙に、電話でピザ100人前注文してしまったらしい。

 屋上に戻る…
 それから、2月の終り頃から、ようやく会話できるようになった香里と栞の話をして、父の涙も収まって行った。
「そうですか、あいつら、仲直りしてたんですね」
「ええ、最初は見てられないぐらい、ぎこちなかったですけど、やっぱり若い者同士、同じ話題ができたら、すぐに楽しそうに話してましたよ」
 それは、今では争いの種になっている、祐一についてだった。
「相沢さんは、もう少し香里の傍にいてやって下さい、せめてお昼ぐらいご馳走しますから」
「いえ、そんなっ」
 まんもす、のーさんきゅーらしい。
「栞と二人だけの方がいいですか? その辺りも香里と話しておかないといけませんし」
(うっ!)
 玉虫色の発言で先送りしようとしたはずが、父親は最初の答え以外聞いちゃいなかった。
 ピキーン!
 また予知能力?を発揮して、今後の展開を予想してしまう祐一。

 祐一しつこく妄想中……
 ゴゴゴゴゴゴゴゴゴッ
 店に入って最初っから、瘴気を発して、やさぐれている栞。
「あの、ご注文は?」
「ジャンボアイスクリームとスプーン二つ」
 普段より1オクターブは低い魅力的な低音と、棒読みするような抑揚の無い声で、ご注文する栞さん。
(うっ!)
「かしこまりました」
 どう見ても、ラブラブな雰囲気ではないカップルの注文を受け、逃げるように立ち去る店員。
(あの、俺の昼飯ってアイスクリームなんですか?)
 多分、聞いてもらえないであろう苦情を、心の中でそっと呟いてみる。
「祐一さん、10ヶ月持ったら子供産むって、どう言う意味ですか?」
「いや、それは、言葉のあやで、もっと先の希望が持てるようにって、よくあるだろ?」
「ありませんっ」
 ザシュッ!
 運ばれてきた巨大なアイスクリームに、グーで握ったスプーンを突き立てる栞。祐一は冷たい物を口にしただけでなく、何故か頭のてっぺんがツーンと痛くなった。
「じゃあ、「お前と一緒なら地獄に落ちてもいい」って何ですか?」
 ゴリッ、ゴリッ
 まるでアイスの内臓を掻き出すように、固い部分をほじくっている栞。もちろん祐一君も、冷たい物を口にしただけでは無く、お腹の中がキリキリと痛んだ。
「そ、それも、ドラマとかでよくあっただろ?」
「ありませんっ」
 ザシュッ!
 隣の席とを仕切っている板に、アイスの白い鮮血? が飛び散る。
(はううっ!)
 もちろん祐一も、首の動脈あたりが切られたように痛んだ。
「じゃあ、電話の後は、どうして抵抗しなかったんですか?」
「それも、あいつにのし掛かられて、無理矢理」
「女の力に負けるはずがありませんっ」
 ザシュウウッ!
(ひいいいいっ!)
 首を撥ねられた?可哀想なアイスクリーム。しかし、昨日の夜は明らかに香里の方が力も強く、ベッドに捻じ伏せられて、乱暴されたのは祐一だった。
「昨日の約束って何ですか? あのお姉ちゃんが、夢とか幻って言うぐらいですから、きっと凄く嬉しい約束だったんでしょうねぇっ?」
 俯いている祐一クンの下から、両目を見開き、見上げるようにして、ヤンキーのお姉さんがガンを付けるような表情で見つめて下さる栞姐さん。
(もう勘弁して下さい)
 それからも栞のアイスクリームやけ食いの間、ずっとぐちぐちと質問され続ける祐一クンだった。

 さらに両親が栞と祐一の仲を認め、その辺りを香里に言い含めていた場合。
「祐一っ!!」
(来た……)
 病室に戻るなり香里に胸倉を掴まれて、優しく質問されちゃう祐一クン。
「どうしてっ? 私を捨てて栞と結婚するつもりなのっ? 昨日の約束は何だったの? ねえっ、答えてっ!!」
 すでに泣きながら半狂乱になった香里の、普段より2オクターブは高い声が病室に響く。
「そ、それはやっぱり、先に約束したから」
「じゃあ、貴方を殺して私も死ぬぅっ!」
 隠し持っていた昨日のハサミを握って、祐一をチョキチョキするために振りかぶる香里ちゃん。
「あいや~~っ!」
 ザシュウウッ!
 前の妄想シーンに戻る……

(果物ナイフとかハサミって、ちゃんと片付けてあるのかな? ぐっすん)
 末期患者には、そういった配慮がされているはずだが、昨日散髪に使ったハサミが自分の胸か腹に収まりそうで、その予定の場所がズキズキと痛んだ。
「そろそろ戻りましょうか、あいつらも相沢さんがいないと寂しがりますから」
「は、はい」
 アイスクリームが切れて、戦場となっているであろう病室に送還される祐一。どこかの外国人傭兵部隊のように年季を収めるか、違約金を払わないと帰れないらしい。
(ぐっすん……)

 やがて、父の涙も収まり、香里のいる階に下りて来た二人。
「昔は私が帰ったら、二人とも玄関まで来て飛び付いて来たもんですけど、今は抱き付くのは相沢さんですかな?」
「いえ、そんな」
 祐一の対応が誠実?だったので、「栞」の嫁ぎ先としては申し分無いと安心した父。
「栞にしろ、香里にしろ、どちらか貰って頂いた後は、医療費の負担は掛けません。こちらで用意させて頂きますので、楽しい思い出だけ作ってやって下さい」
 病気の娘を貰ってくれるような家は無いので諦めていたが、娘が自分で見付けた相手と幸せに暮らして行けるように願う父。
 しかし「残り少ない人生を少しでも幸せに」とか「娘のどちらか、生き残った方と結婚」と言う、最悪の選択肢を忘れた訳ではなかった。
「すみません、俺もせめて、高校卒業したら働こうと思ってます」
 祐一も今までの会話で、両親とも「二人が長生きできない」と思っているのを察していた。
「いえ、いいんですよ、学生結婚なんてのもあるでしょう、その方が、時間も自由になりますし」
 父も祐一の言葉だけで十分だった。働いたり、アルバイトなどしていると拘束時間が長く、何かあった時に間に合わない。

「あっ、あなた、ちょっと」
「どうしたっ」
 病室の前で待っていた母親に呼ばれ、足早に戻る二人。
「あのっ、香里がテレビ局の人を呼んでしまって、それにお友達も」
「「「「「「おはようございます」」」」」」
 神妙な表情をしている者、泣いている者、そして香里の顔と手は、また血の気が引いて、真っ白になっていたので驚かされる父。
「どうしたんだ? また……」
 本人の前では、とてもその状態を口に出しては言えなかった。
「祐一がいなかったら、すぐに戻るみたいね」
 これも祐一を返さないための芝居の一つだったが、父親は簡単に策にはまった。
「そんな?」
 祐一からは栞との約束を守ると言われたので、香里には諦めるように言うつもりだったが、そんな宣告をすれば、娘が生きる力を失ってしまいそうで、何も言えなくなった。
「美坂さん、突然お邪魔して申し訳ありません。先ほどお嬢さんから、お電話を頂いた時は正直驚きました、まさかお姉さんまで発病されるとは」
「ほら、お見舞いまで頂きましたよ」
 見舞い用の菓子折りを見せて、夫の機嫌が悪くならないよう説明する。
「あなた方は確か、栞の取材だけ来て頂くはずだったのでは?」
 母の予想通り、取材班が持っていたカメラを見て、病気の娘が見世物にされるように思えて、不快になる父。
「あたしが頼んだのよ、死ぬんだったら、テレビぐらい出てもいいでしょ?」
「馬鹿もんっ!」
 また娘の言葉で泣きそうになり、大きな声で怒鳴りつける。
「主治医の先生にもお伺いしたんですが、今日の状態から見ても、「妹さんより回復は早いかも知れない」と言っておられました。ですから、お嬢さんが回復されるまで、取材させて頂きたいのですが」
 回復まで、と言う言葉に心を揺さぶられ、迷っている父。
「放送させて頂ければ、全国から励ましのお便りを頂いたり、それが励みになって良くなる方もいらっしゃいますし、同じ病気で悩んでおられる方の励みにもなります、是非お願いします」
 これも功名心からではなく、事実、カメラや撮影の予定があるために、気が張って持ち直す患者も多かった。

「あの、ちょっと撮ってもらえませんか? 面白い物をお見せできると思います」
 父が迷っている間に香里が口を開いた。
「宜しいでしょうか?」
「どうぞ、娘のしたいようにしてやって下さい」
 ついに折れて、香里の策にはまる父。
「はい、それでは。照明いいか? 音は?」
「祐一、手を握って」
「え? ああ」
 もっと激しい要求かと思ったが、手を握る程度なら構わないと思って罠にはまる祐一。
「「「「「あっ!」」」」」
 それから1分も経たない間に、真っ白な顔色をしていた香里は、元通り血色が良くなって行った。
(やっぱり、お前の体の構造って、どうなってるんだ?)
 それを聞かれそうなのは祐一だったが、せっかく「やくそう」で回復した体力が、吸い取られるような感じもした。
「何だか熱い、汗が出てきたわ」
 そう言って、顔や手に付けていたベビーパウダーも、汗と一緒にタオルで拭い取る。
(こっちは目まいがして来たぞ)
 サッキュバスの人に精を吸い尽くされ、またヒットポイントが0に近付いて行く祐一。
「相沢君、凄い……」
「やっぱり奇跡ってあるのねっ」
「うっ、ううっ」
 香里の友人も、取材班も、その光景を見て驚いていた。
(フッ)
 その時、祐一にだけは、香里がタオルの下で「おいしい口」をしているのが分かった。
(やっぱり魔物はこいつだ)
「妹もこうしてたら治ったんです、昨日も母さんだって良くなったんですよ」
 あくまで手を握ったと言っただけで、あんな事やこんな事は公表しない香里。
「凄い。あの、今までそうやって他の患者さんが良くなった事はありますか?」
 興奮隠せない様子で聞くディレクター、きっと10年ほど前に有名になった、超能力少女でも思い出しているに違いない。
「いえ、ありませんけど」
「一度お願いできませんか? 今ここで取材している方がいるんですけど、ずっと目を覚まさなくて、このまま衰えて行くだけの状態なんです」
 どこかで聞いたような症状の患者を紹介されるが、取材や撮影をしても、何の改善も見られず亡くなった場合、「お蔵入り」になる場合もあった。
「はあ、でも、今は倒れそうなんで、ちょっと休ませてもらえませんか?」
「はい、すぐでなくても構いません、でも、その子も」
 いかにも「もう永く持たないんです」と言いたげな話をされ、観念する祐一。
「分かりました、今からでも行けます」
「そうですか、ちょっと連絡してみます」
 病院内だったが、香里の部屋には特別な機器が無かったので、慌てて携帯電話を使ってしまうディレクター。

「祐一…?」
「は?」
 そこで香里が、祐一の腕を掴んだ。
「まさか、またあたしを置いて行くつもりなのっ?」
 声を震わせながらも、爪が食い込んで、血が出そうなぐらい強く握り締めて来る。
「いえ、この病院ですから、エレベーターに乗ればすぐです」
 香里の尋常では無い目つきを見て、慌てて説明するカメラマン。
「何してるのっ、離してっ」
 祐一に刺さった爪を見て、引き離そうとした栞だったが。
「触らないでっ!」
 昨日よりも、さらに恐ろしい表情で妹を威嚇する。
「お姉ちゃん、急にどうしたの?」
 栞ですら、姉の急変には驚いていた。その左手に宿った魔物の力が発動した時、香里もまた魔物になる。
「おいおい、喧嘩するなって言っただろ、人助けだ、お前も来いよ、外出もできるんだろ? 車椅子押して行ってやるから」
 腕の痛みを物ともせず、もう片方の手て頭を撫でてやると、次第に香里の表情が元に戻って行った。
「香里、怖いよ」
「ああ、昨日からちょっと気が立ってるからな、噛むは、引っ掻くは、殴られるは、大変だったんだぜ」
 香里の友人まで怖がったので、祐一は冗談めかして言ってみた。
「噛んでないでしょ?」
 友人達の前で醜態を晒したので、ちょっと恥ずかしそうに、小声で言い訳する。
「いいや、噛んだ、覚えてないのか?」
 昨日のプレイで、噛まれた場所を思い出させようと、鎖骨の辺りを近付ける。
「あっ?」
 かみかみしちゃった場所と、怒って「ガブッ」と噛んで、無理矢理立たせて地点を思い出し、顔を赤らめる香里。
「相沢君」
「祐一さん」
 家族も友人も、すでに祐一を猛獣使いでも見るような眼で見ていた。
「じゃあ、また二人乗りしてくれる?」
「うっ、見られたら恥ずかしいだろ」
 栞にアレを見られると、後で何をされるか分からない、祐一はまた嫌な汗を流していた。
「見られてもいいって言ったでしょ」
 今の人格は、「車椅子ラブラブ二人乗り香里ちゃん」らしい。
 キュピーン!
 そこで栞の目が怪しく光ったが、香里を構っている哀れな祐一クンは気付かなかった。

「えっ? 行方不明っ? 意識が戻ったんですか?」
 そこで電話に向かって、つい大きな声を出してしまうディレクター。
「はい、ええ。監視カメラには映っていたんですか、はい」
 偶然と言うより、祐一にヒントを与えるため、天使の人形に操られ、あゆの取材もさせられていたディレクター。しかし、同じ病院で出会ってしまわないよう、すでに体は隠されていた。


「うぐぅ、あの電話ボクのことだよね」
(そうだよ、でもゲッソリ痩せて、衰えた所を見て欲しかったかい?)
「ううん、見られたくない」
 昨日見た体は、目を半開きにしたまま白目を剥き、まつ毛には目やにがびっしりと固着して、手足の筋肉もやせ衰えて、骨と皮だけになっていて、自分で見ても恐ろしかった。
(ちゃんと成長させて17歳らしい体にもしてあげられるよ、彼に「小学生」なんてからかわれないようにね)
「えっ、ほんとっ」
(うん、後は養分しだいだね)
「えっ? 養分って?」
(点滴だけじゃ足りないから、栄養のある「者」も食べないとね、まかせておいてよ)
「うんっ」
 何を食べさせられるかも知らないで、無邪気に喜ぶあゆ、それは香里達の生命力なのか、祐一の力なのか、既に魔物達はそれを集めるために消えていた。
 
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