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KANON 終わらない悪夢

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15帰宅

 
前書き
この辺りで話が繋がっていなかったので書き足しています、文字量が増えたのに、面白くなくなっているのが特徴です。 

 
 その後、香里を落ち着かせて居間で事情を聴き終えた秋子は、美坂家に連絡し、話し合いの場を持とうと提案していた。
「わたくし、水瀬名雪の母で秋子と申します、ええ、ご無沙汰しています。今、香里さんと甥の祐一がこちらにおりますので、お迎えに来て頂くついでに、お時間があれば今後のことについてお話しておきたいと思いまして、ええ、ご足労ですがおいで願えますでしょうか?」
 両家が子供の徒歩圏内なのを知っている秋子も、気軽に両親を招待した。やがて美坂家の面々が到着すると、玄関まで迎えに出た。
「この度は、栞だけではなく、香里まで助けて頂き、お世話になりました。その上、厚かましくも押しかけてしまいまして、重ね重ね、お詫び申し上げます」
 本来なら、美坂姉妹を二人共傷物にしてしまって、怒鳴り込まれたり、慰謝料の請求を受けても仕方ない状況にも関わらず、両親と栞から感謝され、手土産の品まで渡される秋子。
 ちなみに登校するか自宅にいるよう言われた栞だが、自分がいない間に姉と恋人の間に婚約が成立しないよう、断固反対してこの場まで乗り込んで来た。
「いえ、次の日曜には祐一さん共々ご挨拶に伺う所でしたので。それにしても、お嬢さんがお二人共ご病気になられるとは思ってもいませんでした、今回も祐一さんがお役に立てたようで幸いです。さあ、こんな所では何ですのでお上がり下さい」
「はあ、それでは失礼します」
 両親が上がった後で靴を揃え、帰る時のために出口に向けておく栞。触るのも嫌だったが姉の靴も揃え、自分と祐一の靴も揃えて「嫁」として相応しいと思われるように行儀の良い所を秋子に見せておく。
(ふんっ、自分の靴も揃えられないなんて、お姉ちゃんはマイナスポイントです)
「まあ、お若いのに良くできたお嬢さんですこと」
 いつものポーズでニコニコして、栞の行動も褒めてくれる秋子ちゃん。それを聞いて一同に付いて行く間に、鼻息も荒くガッツポーズをする栞だった。

 居間に着くと、既に泣き腫らした目を拭っている香里と、死刑宣告を待つばかりとなった祐一が鎮座ましましていた。当然その前には、婚姻届や委任状、診断書などが並び、栞を撃墜するための準備が整っていた。
「さあ、どうぞ」
 祐一と香里が並んで座っていたので、その対面に両親、祐一の隣に栞、下手に秋子が座った。本来ここで客人にお茶を出す役目の名雪は、既成事実を公表して乱入しないよう、手足を縛られて、猿ぐつわまでされてベッドに転がされているかどうかは定かではない。
 そこで秋子が人数分の茶碗に、急須からお茶を入れようとした所で栞が立ち上がり、さらにポイントを稼ごうとした。
「あ、私がやりますので」
「いえ、いいんですよ、お客様なんですから座っていて下さい」
 急須を奪い取りはしなかったものの、入れ終わった茶碗を取り、机越しには渡さず、両親の後ろに回って給仕し、行儀が良い所を発揮しておく。姉と祐一には既に出されていたので、姉に毒入り茶を出す暇は無かったらしい。

「お忙しい中お集まり頂きまして、ありがとうございます。今日は香里さんが婚姻届までお持ちになっていますので、お嬢さんのどちらかと祐一さんの交際、話が詰められれば婚約の取り決めまでと思いますが、宜しいでしょうか?」
 何でも知っていると言うか、知られている状況に驚く一同。
「はあ、病気の娘など、おこがましいとは思いますが、甥子さんさえ宜しければ、どうか、お願い致します」
 秋子と祐一に精一杯頭を下げ、誠意を見せる両親と、秋子に向って頭を下げる香里と栞。
「皆さんどうぞ頭を上げて下さい。まず、お嬢さん方と祐一さんとの交際ですが、お二人同時にお付き合いするのは無理ですよね、我慢して交代で付き合いますか? それとも……」
 どちらか片方、命を落としますか? とまでは言えず、子供たちに確認する秋子。
「お姉ちゃんは治ったようですので、祐一さんは返してもらいます」
 当然の権利を行使する栞。ここまで姉のために祐一を差し出し、恋人が汚されるのを我慢しただけでも、両親から褒められて然るべきであった。
「嫌よ、祐一はあんたと別れて、あたしと付き合うことになったんだから諦めなさい」
 強引に、物事の筋道も何もかも無視して、自分との約束の都合の良い所だけを抜き出して、無理筋の結論を導き出した香里。両親も祐一も困り顔で香里を見ていた。
「香里、お前は身を引けっ、病気も治ったんだ、これ以上贅沢を言うなっ」
 父に強く言われて引くが、持ち前の気の強さを発揮して、父の約束違反をなじる。
「父さん、それ、栞と祐一には言わないでって言ったでしょ? まだ分からないんだからね、朝みたいに祐一が手を離したら、すぐ血の気が引いて真っ白に戻るんだからっ」
 逆ギレしてみたが、妹からの軽蔑の眼差しと、驚いた祐一の表情から目を逸らす香里。
「お前、やっぱり治ってたんだな?」
「お姉ちゃんはそう言う人なんです」
「ええ、主治医の先生も、二人共治った原因を調べて、「学会に報告したいぐらい」と仰っていました」

「そうですか、迷信のような事を言いますが、うちの祐一さんが、お嬢さんや奥様のお役に立てたと言うことは、奥様の家系はどこか古い家の方なんでしょうか? この辺りですと、天野家とか倉田家と言った家系が有名ですが?」
「えっ、ええ、そうです、私の実家は倉田と言いますっ」
 驚いて即答する母の言葉と、どこかで聞いたことのある名前がゾロゾロ出て来て祐一も驚かされる。
(倉田って、みんな佐祐理さんの親戚なのか? 天野ってまさか? でも二人のお母さんまで良くなったなんて、俺、秋子さんに言ってないぞ)
「やはりそうでしたか。何かの力があっても、力の源が無いので早くに亡くなってしまう、そういったお話はご存じですか?」
「はい、子供の頃に聞かされました。力が使えても、何代かに一度、力のある方に血を分けて頂かないと、家が絶えると聞いています」
 祐一は、秋子が美坂の両親に「願い事が叶う壺」でも売り込まないか心配になってきた。
 そこで秋子と母親が会話しているのを見て、香里は父親の前に婚姻届を出し、署名する場所をトントンと叩いて記入を強要していた。
「香里さん、抜け駆けはいけませんよ」
 秋子の話も聞かず、胡散臭い物のように無視したのを注意され、ビクリとする香里。

「そうですね、その証拠として、手品でもご覧に入れましょうか? 栞さん、ポケットに手を入れて、目を瞑ってみて下さい」
「え? こうですか?」
 両手を上着のポケットに入れ、言われた通り目も瞑った。
「ええ、そうです。では、お姉さんの机の場所は知っていますね?」
「はい」
『一番上の鍵が掛かった引き出し想像して下さい、その中に茶色くて大きい封筒は見えますか?』
「ありました」
『ではそれを取り出して、机の上に置いて下さい』
「はい」
 机の上には「相沢祐一入婿計画」と大書された、A4の折り畳まれていない茶封筒が置かれた。
「きゃああっ!」
 この場所に存在するはずが無い物が机に置かれ、それに見覚えのある香里が悲鳴を上げ、椅子から転げ落ちた。
「残念ですが、これが栞さんの力です。この場に無い物を引き寄せる「遠寄せ」と呼ばれるものや、ご自分が行きたい場所まで跳ぶ「縮地」「転移」、これを使う度に命を削られて、力尽きた所で命を落とされます」
 驚いている一同の中で、祐一に引き起こされ、椅子に座り直した香里が口を開いた。
「どうしてそれがここに? どうやって?」
「栞さんと奥様は驚いておられませんね? 普段いつでも使う「当然の出来事」ですから」
 それでも娘が、自分と似たような力を使ったのには驚いている母。子供の頃に見付けて、二度と使わないよう言ったが、ポケットから小物を出し入れするのは簡単なので麻痺しているようにも見えた。、
「私は、子供の頃に使って、親族に「絶対に人前で使うな」と言われて、それからは使っていません」
「ええ、悪用すれば銀行のお金でも取り出せますからね、『栞さんはそんな事をしてはいけませんよ』分かりましたね」
「はい、そんなことしません」
 良い子だと思ってもらえるよう、言い付け通り動いて、お使いも済ませ、得意になっている栞。姉と父が青い顔をして震えているのは、何故なのか理解できなかった。
「これで栞さん用の婚姻届も揃いました、香里さんだけ有利でしたから、おあいこですね」
 封筒から栞用の婚姻届だけ取り出し、不要な計画書などは香里に返す秋子。
「どうして中身まで知ってるんですかっ?」
 もう怖すぎて、祐一にしがみついて、秋子から隠れるように泣いている香里。ここまで空気だった父親が、ようやく口を開いた。
「どうやって家にある書類の中身までご覧になられたのですか? この件は香里と私しか知らないはずですが?」
「そうですね、「遠見」とか「千里眼」と言われる力です。香里さんの話を聞いている間、この書類を処分することばかり考えていたので、少し意地悪してあげただけです」
 祐一から見ても、恐ろしい出来事が起こっていたが、秋子はクスクスと笑っていた。
「まだ詳しくお教えできませんが、これが私達が持っている力です。こういった力の源を、祐一さんからお嬢さん方にお分けしたので、病状が良くなられたようですね」
「そうでしたか……」
 どんな奇術を使ったとしても、栞と打ち合わせを済ませていたとしても、ここまでの結果が出せると思えなかった父は、秋子の言葉を信用することにした。
「香里さんは、まだ力を見付けたばかりで、今まで力を使っていなかったのも運が良かったようですね。最近、祐一さんのために力を使い過ぎたので、急にご病気が悪化したようです。それとも、今までは名雪から力を貰っていたのかしら?」
 千里眼と聞き、名雪の力にも心当たりが多く、母や妹も当然のように理解しているのを見て、ようやく恐怖から開放される香里。
「ですので、お嬢さんと家の者がお付き合いしている間は、病状がそう悪化する事は無いと思います。香里さん、名雪とも今まで通り仲良くして下さいね」
「はい……」
 名雪との絶交を阻止して、今日の大半の収穫を得た秋子。

「それでは話を戻しましょうか。私から見ますと、栞さんは細かい事でも何かと気が付いてくれて、お行儀も行き届いていて、話し方や仕草でも祐一さんを立てて下さるようにお見受けします。香里さんは昔から知っていますが、気が強くて、一度決めたら自分が間違っていても、引っ込みが付かなくなっても、押し通してしまう所があるように思うんですけど、如何でしょう?」
(その通りですっ!)
 祐一は隣の女に鉄拳制裁を加えられないよう、心の声で賛同した。
 栞も今までの行いや細かい仕草が実を結び、秋子に認めて貰えたのを喜んで、心の中でガッツポーズをした。
(なっ、何で? 名雪とだって、あんなに仲良くしてたのに)
 香里はここで「祐一の嫁」選抜戦において、妹に大幅に遅れを取っているのに気付き、秋子を恐れるのを止めた。さらに自分の今までの行動を棚に上げて、秋子に認めて貰っていないのに失望した。
「いやあ、お恥ずかしい。香里の奴にも同じように行儀作法は教えたはずなんですが、口が酸っぱくなるほど注意しても、女性の人権だとか効率の良し悪しで言い訳して来まして、やはり見ている人には見られていて、こんな肝心な時に差が出てしまうんでしょうな」
 栞を応援している父は、行儀が悪く、気が強すぎる娘の応援はせず、遠回しに行儀が良くて、夫を立ててくれそうな娘をほめた。
「でも、学校の成績だとか、社会に出てからは香里の方が役に立つと思いますよ、こういった手続きや手配は得意ですしね。栞は気が弱すぎて昔から虐められて、就職しても、ご近所のママさんからも虐められて、ちゃんとやっていけるかどうか心配で心配で」
 香里を応援している母は、気の弱い娘は社会でも近所でも通用しないと言い切り、有能で社会の競争にも勝っていける姉を持ち上げた。
「香里さんと祐一さんでは、プラスとプラスで反発しあってしまうように思うんです。やっぱり香里さんは、うちの名雪みたいな、おっとりした子の「旦那さん」になるのが似合っていると思いますよ」
「「「ははははっ」」」
 秋子の冗談に、父親、祐一、栞は爆笑したが、香里と母は笑っていなかった。

「私どもは、こう言った家系ですので、実は他の家からも沢山縁談を頂いています。娘の名雪にも縁談は来ているのですが、本人は祐一さんをとても気に入っているようです」
 さり気なく名雪の名前も出し、多くの縁談の中の一人に混ぜておく秋子。母親も「縁談」の話は気になり、聞かずにはいられなかった。
「あの、他の家と言うと、縁談は何件ぐらい来ているんでしょうか? もしかして倉田の家からも……」
「余りお話できませんが、こういった力は政治家の先生方や、企業の方に重宝されるようで、「信じられない程」とお答えしておきます。特に「予知」や「癒やし」の力となると、お金には替えがたいほど価値があるようで、私どもの家では、その類を生業としているとお考え下さい」
 そろそろ開いた口が塞がらなくなって来た一同。祐一も秋子の仕事内容を聞き、両親も似たような事をしているのだと思えた。
「すぐ婚約となると、先約からの反発が多すぎて困りますし、最終的に決めるのは祐一さんですので、暫くお付き合いしてみて、お互いの相性を見極めてみてはどうでしょう?」
 美坂家の一同は、綺羅星のように並ぶ上流階級の縁談希望者を思い、暗い表情になった。
「やはり私どものような庶民では、相沢さんとの縁談など、考えられないんでしょうな、出過ぎたことを言いました」」
 肩を落とし、病気の娘を担ぎ出して無理なお願いをしたのを後悔する父。健康で大きな資産を持っているお嬢様と、嫁入り道具や質素な式すら用意してやれない自分の無力さを比べ落胆した。
「ご心配には及びません。もし栞さんと結婚して、力を使うのに制限が無くなれば、「失せ物」や「盗まれた物」を取り出せるようになって、依頼が絶えることは無いでしょうね」
 秋子の言葉を聞き、栞と父の顔は輝きを取り戻したが、母と香里の表情はさらに曇った。

「あの、あたしの力って何なんですか? すぐに力を使い果たすって、あたしは何をしたんですか?」
 自分の力が理解できないのと、一体何をしでかして命を失う寸前にまで陥ったのか、劣勢になった所で秋子に問い掛けてみる香里。
「そうですね、周りの人の行動予測と、どうすれば自分の思い通りに動いてくれるか計算して、自分の望む未来を作る能力、とでも言いますか?」
「そうなんですか……」
 全て無駄になってしまった計画書を見て、惨めな気持ちになる香里。こんなことのために、命まで失う羽目になったが、たった一つだけ、予想もしなかった希望の物を手に入れたことには感謝していた。
「でも、香里さんは何もかも犠牲にして、自分でも考えもしなかった、「一番欲しかった物」を手に入れたのかも知れませんね」
「えっ?」
 また自分の心を見透かされたようで驚かされるが、羨ましすぎた妹の恋愛の一部を、自分も堪能するために行動したとするなら、全てが無駄では無かったのだと思い直す。
「今の所、「悪巧み」の域を出ない力ですが、「少し先を予測する力」と「大勢の人を巻き込んで、思い通り動かす力」、政治家の方や企業の方が喜ばれる力だと思いますよ」
「そうなんですか?」
 その言葉を聞き、少し表情を明るくする香里。先程聞いた、未来予測の力を持てるなら、自分の力も妹に見劣りしないのではないかと思い始めた。
『でも、無駄に力を使ったり、遠回りしないで済むよう、もっと素直になるべきだと思いますよ。強気で通して本心を隠して、大声で泣けば我儘が通ると思うのは間違いです。特に、暴力で従わせるのはいけませんよ』
 祐一の服から出ている部分を指差し、多くの傷跡が残っている状況に苦言を呈する。
「はい……」
 この日から、香里はほんの少しだけ素直になった。

「それでは、祐一さんと付き合いたく無くなるような話もしましょう。他の家でも、縁談とまでは行かなくても、「せめてご落胤だけでも」と願って来るご家庭も多いんです」
「ごらくいんって何ですか?」
 知らない言葉だったが、姉と同じで何か卑猥な感じがして、聞かずにはいられなかった栞。
「ええ、お二人と同じ、ご病気や力の源が無い方、お金しか出せない家から、「祐一さんの子供だけでも産ませて下さい」と言ってくる所も多いんですよ。栞さんはこれからも、祐一さんの浮気や隠し子に苦労させられるでしょうね。やはり普通のお嬢さんにはお勧めできません。若い頃の遊びだったと割りきって、寿命が伸びればお別れするのが良いでしょう」
「そんなの嫌ですっ、祐一さんと別れたくありませんっ」
 栞はそう言ったが、両親も祐一に近付くのは考え直させられた。
「いいんですか? 香里さんのような方が列をなして祐一さんに懇願してくるんですよ。「生かして下さい」「死にたくない」「子供だけでも」って、その上、あわよくば奪い取ろうとして、子供を盾にして法律だとか嫌がらせだとか、散々嫌な思いをさせられるでしょうね。そんな物から守ってあげるには、家族どころか一族全体の力を集められるような家じゃないと維持できないんです」
 それが倉田の本家のような存在だと思い、しきたりだの分家の上下関係など、嫌な思いばかりした実家での記憶を思い出す。娘の幸せを考えれば実家の力を借りなければならないらしいので、長い間疎遠だった親族に相談をしてみようと思う母であった。

「これから、もっと悪い言い方をしますので、皆さんご気分を悪くすると思います。お怒りになったら席を立ってお帰り頂いて結構です、宜しいですか?」
 秋子がそう宣言して一同を見回すと、全員が頷いて了解した。
「娘の命が危ないと分かった時から、色々と覚悟はできています、どうぞお話になって下さい」
『分かりました。では栞さん、香里さん? これからも命を繋ぎたいなら、月に一度は祐一さんと愛し合って下さい。予防接種か栄養注射だと思って堪えて下さい。瀕死の重病の方でも、出産すれば6年程度持った方もいます、いいですね?』
「「はい……」」
 争っていた両者だが、何故か秋子の言葉には逆らえずに納得した。両親も、愛人同然の娘達の今後に嘆いたが、せめて命だけでも永らえてくれて、好きな相手との子供を産み、自分達にとっては孫が産まれるなら構わないと思えた。
『祐一さんからの好意ですので、もちろんお代などは頂きません。でも、命を永らえた栞さんは「金の卵を産む鶏」同然になります、これからご両親もお金に困るような事は無くなるでしょう。でも栞さんの力を狙って、誘拐、詐欺、縁談、ありとあらゆる物が転がり込んで、大きすぎるお金にご両親も振り回されて、折角仲が良かったご家族もバラバラ、香里さんも力の使い道が分かれば狙われます。次回お会いするまでに、お嬢さん方を守る組織を作って下さい』
「ええっ?」
「組織、ですって?」 
「信頼のできるご親族も良いですが、必ずお金の持ち逃げや寸借詐欺が出て、聞いたこともない親戚が沢山現れるでしょう。私が懇意にしている弁護士さんや、警備会社の方を紹介しますので、連絡をとって下さい」
 既に理解不能の状況になり、首を捻っている一同。娘の医療費や家賃の支払いにも困る現状から、お金が有りすぎてトラブルに巻き込まれる生活など、想像もできなかった。
「栞さん? 今度、割の良いアルバイトを紹介しますね、学校なんか休んでも大丈夫ですから、ご家族と一緒に行きましょう」
「え? はい」

「では、他にご意見がないようでしたら、祐一さんに結論を聞かせて頂きましょう。祐一さん? 栞さんとの交際を続けますか? それとも筋道を違えてまで香里さんとお付き合いしますか?」
 ほぼ結果を提示されたような祐一だが、縋るように抱き付いている香里を振りほどくような真似はできなかった。
「栞との約束を守りたいです。でも、せめて香里が良くなるまで付き添ってやりたいと思います」
「う~~っ」
 祐一の左腕を掴み、声を押し殺して泣く香里。栞は秋子に気に入られて勝てたようだが、今後も姉と恋人の医療行為は続き、様々な女達が祐一に纏わり付くのが予想できたので、すっきりと決着が付いたとは到底思えなかった。
「それでは、今後祐一さんは栞さんと交際すると言う結論でよろしいでしょうか?」
「分かりました、相沢さん、娘を、娘達を宜しくお願いします」
 両親から頭を下げられ、祐一も頭を下げたが、静かに泣き続ける香里には合わせる顔が無かった。
「じゃあ、ちょっとお借りしますね」
 秋子は栞用の婚姻届を手に取り、証人の欄に自分の名前を書き込んで印鑑も押した。
「「えっ?」」
 それを見た香里は、最大の敵のために書類まで用意してやった自分の間抜けさを後悔したが、その屈辱を忘れないよう、舌を噛み切る程きつく噛み締め、その苦痛とともに秋子の筆跡を両目に焼き付け、完全に記憶した。
「まだ提出できませんが、婚約の印です。一生を決める大事な物ですから、ご自分の字で書きたいようでしたら署名し直します」
「はい……」
 自分と祐一の名が書かれた婚姻届を手にして震える栞。姉が書いたのは気に入らなかったが、筆跡を調べれば誰が書いたか分かる、この結婚を一番承認できない相手の自著なので、これはこれで役立つ物だと気付いた栞は、大事にとって置くことにした。
「よろしいのですか? 水瀬さん。それに、相沢さんのご両親にはお話しなくて良いんですか?」
「ええ、祐一さんの両親は海外におりますので、その間、親権は私が預かっています。でも若い二人ですから、喧嘩して簡単に別れてしまうかも知れませんね」
「そんなことありません」
 そう言った栞だが、同じ書類が乱発され、この紙切れが何の役にも立たない代物だと気付くには、まだ少々の時間を要した。
「まだ香里さんが逆転する可能性もありますから、学校でも病院でも油断しないで下さいね?」
「え?」
 まるでこれから何が起こるか知っているような表情で笑う秋子と、何を仕出かすか分からない姉を思い、今後の戦いが苦しい物になるのは簡単に予想できた。

「それと香里さん? 確か役場で大騒ぎして書類を貰ったんですよね、祐一さんが逆らえないように、周りの人を証人にして」
 秋子の視線がこちらに向いたので、憎しみの表情を消し、普通の顔に戻す。祐一も左側の女がとっくに泣き止んで、凄まじい怒りのオーラを発散しているのには気付いたが、恐ろしすぎて合わせる顔?が無かった。
「そんなに騒いでません」
 しかし既に、井戸端会議から喫茶店、風呂屋でのネタ話になり、耳に入れてはいけないような人物にも届いているのは知らない香里だった。
「役場に倉田や天野の家の人もいるでしょうし、人の目もありますから、明日には大騒ぎですね。香里さん、これから誘拐されたりしないよう注意して下さい。それと、病院でも看護婦さんの顔を覚えて、関係ない人の薬や注射は受けないようにして下さい、私からも周りの人や病院に言っておきますね」
「どう言うことですかっ?」
 驚いて父が声を上げたが、今までのことを思い出すと、考えられない話ではない。香里を亡き者にしようと天野家や資産家が手を回してもおかしくは無い。
「私の関係者にはそんなことはさせませんが、お金目当てや、待たされている先約の方が諦めきれず、嫌がらせをして来るでしょう、注意して下さい」
 再び、祐一と付き合うリスクを思い知らされる美坂家の一同。母は帰ってすぐにでも実家に電話をすることにした。
「それでは今日はこのぐらいにしておきましょうか? 色々と準備もありますし、香里さんの外出時間もあるでしょうから、続きはまた後日ということで」
「はい、本日はお騒がせしました。また後日、今度は私共の家においで下さい」
「ええ、もう他人行儀な話はやめましょう、これからは家族同然ですし」
 栞を見て肩に手を掛ける秋子、この時の栞はまだ幸せを感じていた。

 その後、残ると言った香里や栞からも開放され、休ませてもらいシャワーを浴びていた祐一。
「痛っ」
(あっちこっち傷だらけじゃないか、しみるなあ)
 香里に泣きながら引っかかれた背中、爪を立てて掴まれた腕、噛まれた鎖骨の辺り、擦りむけた(ピーーー)にお湯をかけると傷が痛んだが、この傷さえ二人の絆のような気もした。
(あいつにも傷付けちまったな)
 一生治る事の無い傷、そして恋愛も男も嫌いな女が、初めて肌を合わせ、これからは誰にも許さないであろう、唯一人の相手に選ばれてしまった祐一。
(香里って、俺以外でも、恋愛できるのかな?)
 昨日までとは全く変わってしまった二人の関係。自分を出さない栞とは違い、たった一晩で自分の内面の汚い部分も、何もかもさらけ出した香里とでは、絆の深さまで逆転してしまったように思えた。
(後は親も栞も一緒だから大丈夫かな?)
 もう一緒にいないのが不自然に思える程、祐一の頭の中も香里で一杯だった。わがままで気が強く、怒りっぽくて嫉妬深く、そのくせ自分の前では泣き虫で弱々しい、そんな香里の事が頭から離れなかった。
(やっぱり一眠りしたら戻ろうか)
 命が惜しいので、今日は休ませてもらおうと思っていたが、離れてしまうとどうも落ち着かない。やがて疲労と睡眠不足から、ベッドに入るとすぐに眠りに落ちた祐一だが、夢の中でまたあの声が聞こえた。

(やあ、昨日は大変だったね、でも昔とは大違いだ、落ち着いて名雪に救急車を呼びに行かせたり、栞ちゃんに薬を出させたりして。やっぱり、ああ言うのは経験がものを言うんだね、じゃあ、また少し思い出してみようか)
『たすけてっ、たすけてっ』
 森の中を走っている幼い祐一、その服や手は血にまみれ、怪我をしたあゆを助けるために、大人を呼びに行こうと走っていた。
『たすけてっ、たすけてっ』
 力を失った少女を背負うのは難しかった。おぶって歩くと言うのは、相手にも最低限バランスを取ろうと思う力が残っているか、大人と子供ほどの力の差が無ければ無理な動作だった。
『はあっ、はあっ』
 そこで祐一は助けを呼ぶために走ったが、あゆを一人で残して来た訳では無い。自分が一番信用できる相手が、まだ森の中であゆを抱いて、命を繋ぎながら待っている、そのためにも早く助けを呼びに行かなければならない。
『あゆちゃんっ!』
 森を抜け、開けた場所に出た祐一は、ある物を目指して走った。秋子を始めとする、特定の力を持った者達を目指して。

 4時間程経って目覚めた祐一は、何故か涙を流していた。誰かを失う悲しい夢だったような気がしたが、その記憶も目覚めと共に失われて行く。
(なんか、縁起の悪い夢見たな、栞に続けて香里も倒れたからかな?)
 それから1階に降りて、顔を洗っていた所で電話が鳴った。
「もしもし、水瀬ですが」
『祐一……』
「香里っ?」
 その声は、すでに泣いているように聞こえた。
『お願い、早く来て』
「ああ、さっき起きて顔洗った所だ、よく分かったな」
『えっ?』
「離れてても起きたのが分かるんだ、凄いな、お前って」
 香里の方は、待ちきれなくなって電話しただけだが、案外何かを感じたのかも知れない。そして祐一もタイミングの良さは誉めたが、泣いている香里の声を聞いて、元気付けてやりたくなった。
「これも腕時計のおかげかな?」
『え? うん』
 祐一は香里の腕時計を握り、香里も自分の腕に巻かれたままの祐一の時計に触れる。 その時は本当に二人の時が繋がっているように思えた。
「夢の中にまで出て来たくせに、もう少しゆっくり寝させろよ」
『そ、そんなのっ、祐一の夢の中まで知らないわよっ』
 少し戸惑っているようにも聞こえたが、また顔を赤らめてモジモジしているのが見えるようだった。もちろんその横で、栞が鬼のような顔をして聞いていたり、友人達がヒューヒュー言っているのは気付かない愚かな祐一クンであった。
『もう日が暮れるの、早く来てっ』
 まるで日が暮れると何かが起こる、とでも言いたげに祐一を急かせる香里。
「ああ、着替えたらすぐ行くからな、待ってろよ」
『うんっ』
 香里の声が少し弾んだので安心して電話を切ったが、そこで……

「ゆういち」
「おっ、名雪」
 居間の外に名雪がいて、ドアの前に立ち塞がるように佇んでいた。
「もう帰ってたのか、部活は?」
「今日は休んだんだよ」
 シャワーを浴びた後、すぐ寝てしまったので、部屋にこもっていた名雪には気付かなかった。もちろん、照明を消した部屋でカーテンを閉め、膝を抱えて泣いていた事など、知る由も無い。
「そうか、悪かったな。昨日も電話する前、香里にも「喧嘩はするなよ」って、言っておいたんだけど」
「そうじゃないよっ」
 目線を合わせようともしない名雪が、何を責めているかは、聞かないでも分かった。
「やっぱり昨日の朝の話、夢じゃなかったんだね」
「覚えてたのか?」
「うん、あの後、お母さんにすぐ起こされたから」
「すまん」
「いやだよっ、あやまらないでっ」
 玄関までの通路に立ち、「ここからは絶対通さない」と言いたげに、道を塞ぐ名雪。
「でも、世間では従兄妹同士なんてだめだろっ」
「いいもんっ、お母さんも「了承」って言ってたもんっ」
 無理にでも名雪の横を通ろうとしたが、服や腕を掴んで縋り付かれた。
「お前は元気だから、俺なんかいなくても大丈夫だろ」
「じゃあっ、わたしも病気になるっ、けがしてゆういちがほっとけないぐらい、かわいそうな女になるよっ」
「やめろっ」
 限られた時間を生きている香里や栞を思い、自分から病気になると言った名雪を、思わず怒鳴りつけた。
「だって、そうでもしないと、ゆういち、わたしのそばにいてくれない」
 祐一の服を掴んだまま、その場に泣き崩れてしまった幼馴染。あゆや栞と会えなくなった時も、優しく包み込んで癒してくれた従兄妹の少女。しかし、今の祐一には抱き締めてやる事はできなかった。左手に巻かれたままの、香里の女物の腕時計が何かを語っていたから。
「これから見舞いに行くから、お前も来いよ」
「ゆういち、本気で言ってるの? わたしと香里が会えるとでも思ってるのっ?」
 昨日の夜、絶交したばかりの二人。もし言葉を交わすとしたら、昨日の続き、自分から思い人を奪った汚い女を、口汚く罵る事だけだった。
「じゃあ、一人で行く」
「いやだよっ」
「香里って飽きっぽいんだろ? 病気が治ったら、俺なんかどうでも良くなるさ」
「ちがうよ、ああ見えても香里って、一回決めたら絶対変わらない、特に、好きになった人は」
 祐一より付き合いが長く、親友だった女の考え方は誰よりも知っている名雪。物には執着せず、いつもクールに構えていたのは、人に依存しすぎる自分を隠していただけなのかも知れない。
「じゃあ、お前を好きなのも変わらないんだろ」
「えっ?」
 そう言われてみれば名雪も、嫌いになったはずの香里の事が、ずっと頭を離れない。眠っても親友を失ったのが信じられず、病気で死に別れる事など、思い浮かべるのも恐ろしかった。
「よく分からないけど、秋子さんも言ってたんだ。俺が手を握ったり、色々してたら治るんだそうだ。 栞も叔母さんもそれで良くなった」
「でも」
 だからと言って、祐一と香里がそんな事をするのを黙って見送るなど、一人の女としては耐え難い事。栞のように、恋人と姉が愛し合うように勧めるなど、魔物が憑依していなければ、口には出来ない言葉であった。
「香里だって、昨日は歩けなかったのに、今日はここまで自分で歩いて来た。何日かしたら治るから、それまで待ってくれ。二人で喧嘩するなら、その後でいいだろ?」
 そこでつい、力を緩めてしまった名雪から祐一が離れて行く。靴を履いて、扉を開いて出て行くのを見送ってしまう。それは親友の命を助けて欲しいと思う心がそうさせたのかも知れない。
「ゆういちっ!」
 靴下のまま、玄関の外まで飛び出して祐一を呼び止める。 
「昨日、秋子さんも言ってた、俺で直らなかったら名雪を行かせるって。俺達にはヒーリングだか何だか、そういう力があるらしいからな。でも力を吸い取られるみたいに体力が無くなるから、俺の力が無くなったらお前が行ってやれよ」
「うん……」
 秋子の言葉を思い出し、親友の命が助かり、また仲直りできるように願いながら、名雪は祐一を見送った。


「うぐぅ、栞ちゃん婚約しちゃったよ」
(幸せになれるはずがないよ、姉と恋人を共有なんてね)
「だめだよ、幸せにしてあげないと」
 自分が使った奇跡の結果、栞が助かったはずなのに、折角の成果を自分で潰すのには耐えられないあゆ。
(じゃあ、栞ちゃんの命は助けてあげるよ、昔、世話になったし)
 天使の人形にも複雑な事情があるらしい、自分を構成する祐一の願い、その中には栞に対する願いも含まれていた。
 
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