王道を走れば:幻想にて
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第四章、その7の1:いろんな準備
ふわぁっとした緩い欠伸が、可憐な唇から漏れる。口を押さえる事もしないで、パウリナは実にのんびりとした面持ちで暖かな木漏れ日を身をもって堪能する。かといって、自分に課せられた本来の役割を忘れた訳でもなく、かさかさとした枯葉が重なる地面を歩いていく。
(まったく、御主人も人が悪い。イル=フードの話を盗み聞きして来いだなんて・・・。というか、キーラちゃんも乗るとは思わなかったなぁ。貴族って怖いなぁ)
そう思いつつも、パウリナの口元には小さな笑みが見て取れる。邪な手法とはいえ、エルフの御偉方の私生活を覗くというのはパウリナにとって、興味をそそられずにはいられないのだ。また、自分達にはエルフの動向を調査するという大儀がある。バレなければ如何とでもなるというのが、彼女にやる気を触発させたのだ。
森の中心部にある、大きめの住居まで近付く。賢人の長たるイル=フードが住んでいる家だ。以前は訪れただけで中には入らせてもらえなかった。そして以前と同じように、建物の入り口には衛兵が直立不動の体勢をしており、警備に当たっていた。
(はいはい・・・いざこざは勘弁ですよっと・・・)
パウリナは彼らの目に留まらぬよう、そそくさと木の陰を伝って建物の裏手に回り込む。此方でも、警備中の衛兵がいたが数はたったの一人。彼の注意が他所に逸れれば容易に建物への接近が叶うであろう。事実パウリナも警備兵が場所を移そうと移動した直後、音も無く建物に近づいて、その軒下に潜り込む事が出来た。
鼠のように建物の下を這っていくと、上の方から段々と声が聞こえて来た。
『・・・だ。・・・とはなって・・・』
『・・・過ぎている!・・・!・・・では冬が・・・』
建物の丁度真ん中当たりで止まる。身体を仰向けにして、パウリナは耳を澄ましていく。
『だから何度も言っておろう!最早やってられん!』
『何を言ってるのだ!もっと早くやってもらえんと困る!』
『・・・なァ、いい加減遺跡に向かおうぜ。結構苛苛してきたんだけどよ』
『ならん、アダン殿。まだ危険が排除されきってないのだ!』
(おっ、聞こえて来た・・・ってかこれ誰の足?)
彼女が見上げる木の板に誰かが足を乗っけており、貧乏ゆすりをしているかのように小刻みに音を立てていた。口論は更に激しいものとなっていき、耳を澄まさなくても聞こえるくらいになっていく。
「いいか?私が森の農民まで動員して獣狩りに当たらせるというのも、そろそろ限界だ。つい先日、北地区での稲刈りをしていた農民が、盗賊の襲撃にあって殺害された。いいか、殺されたのだ!原因など知れておる!人目が少なかったからだ!警備兵の数も農民の数も少ない!これでは狙われるのは当然といえよう!」
「だから魔獣討伐を中止したいと?速めに切り上げたいと言うのか?それこそ論外だ。私は貴殿の困窮した状況を救ってやった、いわば救世主なのだぞ。なれば貴殿は救世主の命に従順であるべきなのだ!」
「ならん!幾らなんでもこれ以上は無理だ!作物の収穫、森の警備、内外に対する威圧!全てに対して人員が欠乏している!私の求心力が日に日に落ち込んでおるのだ!最早金銭だけでは動けん!」
怒声を張り上げたイル=フードは、屋内にまで上がり込んできた金銭提供者である人間、チェスターを激しく睨む。チェスターと同様に怒りを孕んだ目をしており、それをアダンは椅子に座りながら見詰めて貧乏ゆすりをしているという格好である。
魔獣討伐を依頼して早一月を過ぎた程度であろうか。降霜の月まで時間は掛かるというイル=フードの説明は正しく、未だに討伐隊は帰還していない。チェスター等とてそれは理解していたが、自由な行動を認められず数月も篭るという行為は想像以上の苦行であり、堪えかねて討伐の催促をしに来たのだ。だがイル=フードとて貴重な人員を本来は要らぬ問題で割くというのが気に入らぬ様子であり、こうして口論となっているのである。
更に口火を切ろうとしたチェスターより先に、アダンが鋭く言い放つ。
「なら、巫女さんを使えばいいんじゃねぇか?」
「!?ば、莫迦か、貴様は!!不敬極まる発言だぞ!!撤回しろ!!」
「いいやしないね。何せこいつは、あんたにとっても利に適う話になるんだからよ」
「・・・アダン殿、どういう事かな?」
「なぁチェスター、エルフの精神的柱ってのが巫女さんなんだろ?誰もが敬う、大自然様の代理人、だっけか。そんな巫女さんの言葉ってもん、普通は信じない筈無いよな?誰もが大自然の神々の言葉だって受け止めるだろ?」
「まさか、貴様はっ!」
「あ、もう読めたか?そうだ、イル=フード。あんたが巫女の言葉を預かったって名目で、エルフに命令すればいいんだよ。『ニ=ベリではなく、俺の命令こそが大自然の意思である。従え』って具合にな」
その提案は、アダンにとっての利には適っていよう。巫女を使用すればイル=フードの懸念たる、求心力の維持という問題に蹴りがつく上に、もしかしたら今まで以上に魔獣討伐における動員が可能になるかもしれないのだから。
だがそれがエルフにとってどのようなものとなるのか、チェスターが嗜めるように言ってきた。
「なぁ、アダン殿。私とてそれの実行を一度ならず考えはしたぞ?だがそれはあくまで強攻策であり、最終手段なのだ」
「へぇ、そうなのかい?」
「当たり前だ。いわばエルフの矜持や信仰、自尊心に手を加えるのと一緒だ。巫女殿はそもそも祭事における行為のみを行い、政治には口を突っ込まん。それが因習なのだ。下手にそれを濫用すれば、我等の存在を勘付かれるだけでなく、憎悪の剣を翳される事すら考えられる。やめておいた方がよいだろう」
「そうだ・・・貴様如きドワーフが、我等エルフの精神を弄ぶとは・・・!何たる屈辱か!恥を知れっ!」
「あ、そう。なら他の策でも考えればいいんじゃないか?尤も、もうとっくに手遅れだろうけどよ」
「・・・なんだと」
「この前な、西南の方に向けて数十人くらいの兵士達が森から出て行ったのを見たぞ。見た感じ、衛兵みたいな格好だったけど」
「西南・・・そういえば、西南にはニ=ベリ殿が直轄する前線基地があったな」
「っ・・・まさか、そんな・・・」
動揺の皺を目端に浮かべる老人を見て、アダンは嘲りに近い溜息を零して言う。
「あんたさ、イル=フードさん。現実を直視しようぜ?もうあんたの求心力なんて限りなく無に近いんだよ。口が上手いからって成り上がってきたんだろうけど、その癖に高望みし過ぎなんじゃねぇの?人間もエルフもドワーフも皆同じ、馬鹿の集まりなんだからよ」
「な、何を言うかっ、無礼な!!!」
「そりゃお前だろ?人の矜持や忠誠心を金や上っ面が綺麗な言葉だけで買うなんてよ、そっちこそ無礼極まるね。あんたがやってきたのは全部、何ら生産力の無い馬鹿馬鹿しい言葉遊びだけなんだよ。やれエルフのためだぁ、やれ大自然だぁ。そんなの俺でも出来るぜ?
エルフの中であんたがなんで人気だったか、大体察しがつくんだ。それはな、あんたの過激な口上が物珍しく見えたからだよ。こんな陰湿な領土の中で、あんたの言葉はえらく面白く聞こえた。ただそれだけだろ?んで、いざ支持を集めて調子に乗って勢力拡大したら、現実主義者のライバルとぶつかって、あんた思い知ったんだ。『これは絶対に勝てない』ってな」
「アダン殿・・・そろそろやめろ。話して良い事と悪い事がーーー」
「だがあんたはっ、やめようともしなかったな?なぜだか分かるか?下手に派閥の棟梁なんかになって、自尊心が膨れ上がったからだよ。自分が人に劣るだなんて認めたくなかった。だからいままで以上に過激になって、戦いを煽っているんだ。そうじゃなきゃ、今でも派閥の頭領なんてやってないだろ?」
イル=フードは何も言わず、顔を怒気の赤に染めて瞳を凄ませる。反論が碌に返せぬのは、アダンの謗りに覚えがあるからであろうか。一方でアダンが口走った言葉は彼の本心から浮かんだ感想では無く、寧ろ当てずっぽうの域に入るものである。だが彼は本心で無いから余計に酔えるともいいたげに、募り募った欲求不満をぶつけるように、演説がかった口調で言う。口舌の輩の矜持を傷つける言葉を。
「きっと、俺の知らない所じゃ自分に都合のいい事を言いふらしまくってんだろ?それこそエルフの精神なんて持ち出してよ。どっちが名誉ってもんを傷つけているんだか」
「っっっっ、貴様ぁっ!!!」
我慢できぬとばかりにくわっと目を見開き、イル=フードは腰の紐帯に挟んでいた短剣を引き抜いて迫ろうとする。チェスターが慌てて彼を羽交い絞めにし、老体の暴走を抑えようとする。
「お、落ち着けっ、イル殿!!刃物を使うなど、貴殿とは程遠き野蛮な行為だぞ!!」
「は、離せっ!!この匪賊崩れを殺さねば、エルフの名誉は穢れる一方だ!!離さねば貴様も殺すぞ!!」
「見ろよチェスター。これがこいつの本性だ。そろそろ俺達も手を切った方がよさそうだぜ。長居しすぎたんだ」
「アダン殿っ、貴殿から喧嘩を売っておいてそれは無いではないか!?」
「ぎぃぃっ、離せぇぇぇえっ!!!」
老体に似合わぬ蛮声を当てられて、チェスターは怒り混じりに老人の手から剣を取り上げる。抵抗によって手の甲が爪で引っ掛かれ、血が滲み始める。チェスターは乱暴にイル=フードを壁に押し退けると、足元に思いっきり短剣を投げつける。
上階の様子を探っていたパウリナの眼球、その目前に鋭い刃が床板を貫いて現れ、パウリナは思わず悲鳴を零す。
「ひぃっ・・・!」
(うおおおおおおおおおっ!?!?あ、危ないってぇぇぇえ!!!!)
慌てて口元を塞いで悲鳴を殺す。存在を勘繰られてはならぬという緊張感を煽るように、上階での言葉が彼女の心臓の律動を掻き立てていく。
『・・・今、何か聞こえなかったか?』
『・・・ああ、私も確かに聞こえた・・・』
『はぁ・・・はぁ・・・』
『・・・チェスター、剣を貸してくれ』
剣呑な言葉と共に、ひらりと鞘から剣から抜かれる音が響く。パウリナは顔を引き攣らせて逃げようとした。しかし此処で逃げては余計に拙いと感じたのか、身体の震えを抑え付けながら、必死に鼠の鳴き真似をした。
「ち、ちゅーっ。ちゅーっ!」
『・・・・・・』
「ちゅ・・・ちゅー!!ちゅー、ちゅー!」
『・・・・・・鼠、か?』
口を尖らせてパウリナは何度も高々と鳴き、蜘蛛のように手足を立たせて仰向けのまま、地面を器用に歩いていく。床板の間から鋭利な刃の銀光が見えた。ほとんど気付かれているようなものである。
(ま、拙い・・・これはさっさと逃げ出さないと・・・)
そろそろとして慎重に手足を動かす。慣れぬ体勢で身体を運んでいくため、不意に足先が床下まで伸びる柱に当たってしまう。瞬間、上階から剣が一気に差し込まれ、パウリナの直ぐ傍に刃を見せた。危うく彼女の肢体を傷つけるくらいの近さであった。
(ひぃぃぃっ・・・!も、もう盗み聞きなんてするもんかぁっ!!)
眼を潤ませながらパウリナは何とか魔の刃から逃げ果たし、疲弊し切った身体を軒下から引き上げて急いで建物から離れようとする。帰ったら主人に文句の一つでも言ってやろうと、彼女は心に決めていた。
アダンは手応えを感じぬ剣を引き抜いて鞘に仕舞う。チェスターが彼に近付いて囁く。
「・・・本当に鼠だったのか?」
「・・・・・・泳がせていい鼠だった。俺はそう思ったね」
「・・・その言葉、信じよう」
「な、何をするかぁっ!床に穴を開けおって!散々だ・・・貴様らのせいでっ、私の家も、私も散々だっ・・・!」
「安心しろ。もうここには来ねぇからよ」
剣を返しながらアダンはチェスターに言ってのける。厭味のある口調で、イル=フードに聞こえるくらい大きく。
「もう潮時だ。手を引かないと俺達が鼠捕りにかかりそうだ。そのうち磔刑に処されるかもな、盗賊みたいに」
「どの口が言うのかね・・・まったく」
「悪いね。一月近く何もしないで篭ってるのは初めてでよ。女も抱けないもんだから、つい不満が爆発しちまった。・・・ああ、あの女の子、結局手が出せなかったなぁ」
「・・・仕方あるまいか。そろそろ我等の存在がエルフの民草に悟られる頃だと、思っていたからな。それに、最初から長居をする心算は無かったしな。・・・イル殿、そういうわけだ」
「ああ、勝手にするがいい・・・!だが金銭は置いておけ!まだ使う予定があるからな!」
「好きにするがいい。我等も、必要な情報は全て手に入れた。・・・そうだな、貴殿が派遣した討伐隊が森に戻って来た次第、我等の方もここを立ち去ろう。これは約定だ、必ず果たす」
そう言ってチェスターは背を頭を隠すようにフードを被り、家から出て行く。残ったアダンも怒りに頬を紅潮させる老人を軽く見た後、フードを被って踵を返す。秋晴れらしい穏やかな日差しと、嫌悪を隠さぬ忠義深き衛兵の視線を受けながら地面を歩く。
(鼠か。まぁ、好きにすりゃぁいいさ。俺には関係無さそうだからな)
楽観視する彼の傍を、一陣の風と共に一人の女性が駆け抜けていく。一枚のロープと紫の頭巾を覆った、銀髪の愛くるしい顔立ちをした女性であり、慌てた様子で足早に走り去っていく。アダンは宙を舞う枯葉を暫し見遣った後、飽きが来たのかそっぽを向いて欠伸をかみ殺す。面倒くさげに目端を擦る様は、外観とは裏腹に実に緩い雰囲気が漂っていた。
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仲間の下へ急ぎ戻ったパウリナは、興奮した口調で己が聞き入れた事を包み隠さずに話していく。屋内に居たキーラを始め彼女の主人であるユミル、リタ・リコ姉弟はそれに傾聴し、きなこ餅にも似た形をした茶菓子を食べながらも、理解に務めようとする。全てが話された後、最初に声を出したのはキーラであった。
「・・・確かですか?」
「はい、全部自分の耳で聞いた事です!間違いないです!」
「・・・そうですか。御疲れ様でした、パウリナさん。とてもこの情報は参考になります」
「でかしたぞ、パウリナ。前々から、お前もやれば出来る娘だと思っていたんだ。よく働いてくれた」
「えへへへ・・・そうですか?えへへ」
先までの緊迫はどこへやったのか、パウリナは顔をにへらと破願させる。常の可憐な笑みを見てユミルは心和ませ、ついついと言ってしまう。
「ああ、そうだとも。今日は難しい頼みに、よく応えてくれた。褒美に、何でも言う事を聞いてやろう」
「ほ、本当ですか!?」
「ああ、聞いてやるさ」
「・・・じゃ、じゃあ・・・その、今夜、私の抱き枕になってくれます?」
「抱きっ!?・・・あ、ああ、良いぞ」
「やったぁっ!御主人大好きぃ!」
「お、お前っ、抱きつくなっ!茶菓子が毀れるっ!」
「まぁ・・・大胆です事。朝までしっぽり行く気なんですわ、きっと」
「そうなんだ・・・凄い・・・」
「キーラ様にも、そういう大胆さが必要ですわね」
「うぅ・・・私は駄目だよ・・・ああいうの、想像するだけで・・・」
「まぁ、純情です事・・・」
からかいを受けながら、キーラは羨望が混じった瞳で、目の前で距離をつめている二人の主従を見遣る。強引な押しに、言葉では嫌がりつつも拒絶はしない態度。キーラが望む恋愛の一体型が目前で披露されており、同時に思わず一抹の諦観が募る。今現在の己と慧卓の間柄では到底成立し得ぬ光景であると。
キーラは指先で額を軽く叩く。これより皆と話を始めるというのに、一人だけ悲観的になってはいられないのである。キーラは額の痛みを切欠として、段々と思考を冷静なものとさせていく。考えるは唯一つ、イル=フードの動静であった。
(・・・イル=フード、結構追い詰められているのかな?噂ではエルフ内を二分するくらい勢力を拡大していると聞いてたんだけど・・・実態は違うと?)
パウリナの話を聞く限りでは、イル=フードは一勢力の長であるに関わらず、配下からの忠誠心は無く、その上保有資金について危険性を孕んでいるようである。
「とりあえず、情報を纏めましょう。先ずイル=フードは配下の方々の忠義を、金で繋ぎとめている」
「それは間違いなかろう。仲介人を介して買収しているのを、前に立ち聞きした事がある。資金に関しては潤沢らしい。こらっ、いい加減離れろっ」
「ええ・・・朝まで一緒でいいじゃないですかぁ」
尚もいちゃつこうとするパウリナは、がさつな手つきによってやや乱暴に引き離される。二の腕を抑えつつも笑みを漏らす彼女に俄かな苛立ちを寄せながら、キーラは続ける。
「・・・次に、西方への魔獣討伐には乗り気ではなく、いやいややっていると」
「そうでしょうね。秋の収穫は一年を通して最も大事な政務の一つですから。これを疎かにするだなんて、たとえ祭上げられた指導者であっても、見逃す事は出来ないのでしょう」
「・・・人員の欠乏ですか。エルフも大変ですわね」
「でも、この森って結構安全な筈ですよね?僕、外でエルフの皆と一緒に遊んでいても、特に何も無いし」
「今のところはな。だがなぁ、リコ。冬を迎えれば状況は異なる。今、収穫に力を注げないというのであれば、必然的に収穫量も減少する。となれば、後は狩猟に賭けるしかなくなる。ところがその狩猟とて、人員が別の仕事に取られて思うようにいくとは限らんし、寧ろ今年は失敗するかもしれん。十中八九、今年の冬は食糧不足の問題を抱えるだろう」
「と、なると・・・食糧を巡った争いがあるかもしれませんわね」
「おそらくな。その時どのような事態が勃発するのか・・・。いざとなったら子供達だけでも守ってやらないとな・・・。たとえエルフの子供であろうとも」
「そうですね。調停官に要求されるのは、派遣された地域における平穏の確保。それに適うような行為であれば、基本的に黙認されます。過去の事例でも、調停官自身が難事が勃発した際に敵対関係にある部族の子供を助けた例がありますし、その時は無罪放免でした。私達がそれをするとしても、宮廷は口出ししてこないでしょう」
過去の列記とした事実を述べるキーラの言葉は疑いようが無く、一同は皆頷いたり視線を交わしたりしてそれを確かめる。キーラは一杯茶を口に含むと、嚥下して喉を潤した後に、最も気になっていた事を切り出した。
「さて・・・残るは最後の問題です。イル=フードと一緒に話していたのは、誰なのか?」
「話を聞く限り、そいつらは二人組で、うち一人がドワーフなのは確実だな」
「それで、名前がチェスターとアダン、でしたっけ」
キーラは首肯し、記憶の箪笥を引き出してみる。彼女にとって聞き覚えの無い名前であるため、二人組であるという事のみが探索の頼りであった。が、直ぐに該当する項目が見付かる筈も無く、その間にも仲間らは会話を続ける。
「ついでに言えば、そいつらはお金をじゃんじゃん持っていると。んで、イル=フードに資金援助をして、魔獣狩りをさせているって訳ですよね?」
「ああ。目的のために手段を選ばない者達でもある」
「だから平然と、巫女を利用しようなどと言えるのですね。正直、エルフの長に対して礼を逸し過ぎだと思います。敬意というのが欠片も感じられません」
「姉さん。ケイタクさんが前に言ってたけど、『所属する組織や世界が違えば、他の組織や世界に対して遠慮や節度が無くなる』だってさ。だからそもそも彼らには遠慮が無いんじゃないかな?」
「・・・皆がそうであるとは信じ難いけど、その二人には当て嵌まる解釈ね」
「・・・ケイタクめ。偏見のある意見を言いおって」
苦言をぽつりと呈すも、ユミルは慧卓の言葉に思い当たる節があるのか、顎に指を遣りながら言う。
「しかし遠慮が無い、か。パウリナが聞いた話と当て嵌まるかもしれん。確認だが、パウリナ。奴らは本当に、『長居をする心算は無かった』と、言ったのだな?
「ええ」
「なるほど。そもそも奴らは此処へは長居をする予定が無かった。この森に居たのは、唯単に金を支払うだけ。最初から立ち去る心算だったから、遠慮無く言えたと」
「・・・それも考えられますね。だとしたら、彼らの本当の目的はなんでしょう?」
「さぁな。少なくともこの森に執着が無いというなら、必然的に目的も無いだろう。となると、奴らがイルにさせている魔獣狩りにこそ、目的の真意があるのではないか」
「・・・そう、ですね。それが答えなのでしょう」
指摘が尤もであるがゆえに、キーラは言葉と共に一つ首肯する。彼女の傍らでリコが小さく唸りながら、ぽつりと疑問を零す。
「・・・・・・魔獣狩りって、どこでやってたっけ?」
「白の峰よ、リコ。西にある大きな山」
「ああ、あそこか・・・。昔龍が居た場所でしょ」
「えっ、龍?」
「そうですよ、パウリナさん。唯の伝説なんですけど・・・そこに龍が住んでいて、旅人が来るのを待っているらしいですよ。強い意思を持ち、死をも飲み込む覚悟を持った旅人を。で、本当に現れたらその人を劫火に包んで、唯の骸骨にしちゃうんですって」
「ふーん、そうなんだぁ・・・ってか結局死ぬんじゃん。なんて底意地の悪い龍・・・」
地理の調査で得た雑学にパウリナは感心する。一方で彼の主人はリコの言葉を受けて、天上に目を遣って何かを思い出そうとしていた。
「峰自体に目的は無いだろう・・・だとしたら・・・」
「・・・白の峰を越えたら何があったけ」
再び漏らされたリコの疑問。一瞬呆けたようにキーラは目をやり、はっとして目を俄かに開く。彼女の脳裏に一冊の本が開かれて、骸骨と三種の魔法の道具を映し出す。
「・・・ヴォレンド。ヴォレンド遺跡・・・エルフの古代都市」
「・・・本気か?」
「それ以外考えられません。潤沢な資金を使用した魔獣討伐は、遺跡までに至る道の安全確保のためでしょう。彼らの目的は遺跡調査にあるのではないでしょうか?」
「或いは遺跡にある何かを探り出すため、か」
確りとキーラは頷く。彼女なりの確信があっての首肯であり、ユミルにとっても殊更抗弁をする気にもならなかった。得られた情報の分析から察するに、彼女の指摘こそが最も考え得る正確な現況だと思ったからである。それでも確認のために、ユミルは問い返す。
「いいんだな?」
「ええ。この線を追っていけば大丈夫です。・・・そんな気がします」
「・・・そうか。皆はどうだ?」
「賛成ぃ」「私も意義はありません」「僕もです」
満場一致。ユミルはキーラを見詰めてゆっくりと頷く。今更その意味を問うまでもなく、キーラは笑みを浮かべた。
「有難うございます、皆さん。では、早速ここにある書物から探っていきましょう。充分ではないと感じれば、書物の追加提供を依頼すればいいですし」
「依頼については俺に任せろ。申し入れに行ってくるから」
「是非、お願いします。こういってはなんですけど・・・私が行っても聞き入れてもらえないでしょうから」
「だろうな。そのような優しそうな顔をしていれば、相手は足元を見てくるだろう。だから、俺の出番というわけだ」
「そうですね、この中では一番粗野な顔付きですもんね」
「・・・パウリナ、お前なぁ・・・」
あっけらかんとして素知らぬ表情をした彼女に、ユミル以外の皆が微笑を湛えた。調停団における自らの立ち居地にユミルは疑問符を浮かべ、納得がいかぬように頸を捻った。
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大雨が過ぎて湿っぽくなった大地は、二日における日照りを受けて大分乾きつつある。エルフ自治領の東部にはなだらかな平野が広がっており、川や林を境にして村々がそれぞれの作物を栽培しているようであった。慧卓がガラス窓越しに見る村では、賢人が住まう村とあってか他地域よりも幾分か裕福な層が居住しており、雰囲気も和やかで、生活に困窮している様子は無い。人の姿形が見えなくとも、その雰囲気は理解できる。争い深き時勢にあるに関わらず平穏無事であるのだ。
この恵まれた環境は、矢張り賢人たるソ=ギィ、そしてその娘であり私兵団の団長であるチャイ=ギィの活躍があってこそのものであろう。同室にて穏やかに茶を飲む姿は母子揃って優雅であるが、その仕事ぶりは素晴らしいものがあるに違いない。
「では、御協力の方を御願いしても?」
「ええ。構いませんわ。老人方のお遊びに付き合うよりも、余程健全ですもの」
鷹揚とした頷きを受けて、アリッサは笑みを湛えた。彼女の目的通り、また新たに一人の賢人から協力を得る事が出来たのだ。シィ=ジェスに続いて二人目の協力者であり、その安堵は一段と大きなものとなっていた。
賢人会議においては賢人ら八人に加え、王国の調停官が一票を投じる事となっており、投票総数は九票である。現状分かっている範囲では、ニ=ベリとキ=ジェの二票とイル=フードの一票が対立しあい、王国側の三票は状況によって投票先を変えるであろう。余った三票は未だどの派閥に属するかは不明なため言及は出来ない。が、全体の三分の一を水面下では支配出来たという事実は王国にとって莫大な利益となるに違いない。アリッサもそれを理解しているようで、笑みに浮かんだ安堵は大きなものであった。
「しかし、御二人ともまだ御若いのに御立派に職務に就いていらっしゃるようで、私、とても感心致しました。王都の騎士様がこのように御活躍されていると聞けば、王国の民草の皆様も誇りに思う事でしょうね」
「ええ、そうあって欲しいと願っております」
「そうでしょうとも。特に、貴女はクウィスの名を戴く方でいらっしゃいます。実を申しますと、私の村の者達も恐縮ではありますが、貴女に関心を寄せられているのですよ」
「それは、初耳です」
「・・・今より二十と少しばかり年を遡りますが、戦乱より帰った私の祖父が帰っていの一番に、村の皆々に申し上げたのです。『クウィスという騎士に救われた』と」
「・・・そうですか。父が、そのような事を」
「ええ。祖父は村の村長でもあり、賢人でもありました。ですからあの人の言葉は直ぐに村に伝わり、皆もあの人と同じように貴女を慕っております。どうかアリッサ様におかれましては御父君と同じくらい、いやそれ以上の騎士であるやもと、皆が期待しているのです。彼らは恥ずがり屋で中々話し掛けようとはしませんが、心の端っこではそのように考えている事でしょう。ですから調停官様、何卒どうぞ宜しく御願い致します」
「・・・畏まりました。謹んで御助力を賜りまして、村の方々や、エルフの名誉を尊重すべく、努力致します」
座上であるが思わず、深々と頭を垂れて礼をするアリッサ。瞬間、ずきりと腰が痛むのを感じて手をやってしまう。それを見てソ=ギィが微苦笑を浮かべた。
「まだ、腰が痛むようですね」
「え、ええ・・・。どこぞの誰かの馬に、乱暴されたもので」
「あらあらまぁまぁ。乱暴なお馬さんですのね」
実を言うと、この会談は村に到着して三日目の昼前に行われているものである。本来なら二日目にやりたかったのであるが、アリッサ曰く腰痛でとても会談に集中できないという事で、急遽一日ずらす格好となっているのだ。その真の原因であろう慧卓は目をちらほらと泳がせて、心成しか肩身を狭苦しそうにしていた。
ちらりと悟られぬ程度に彼を見やってから、ソ=ギィは切り出した。
「ところで、つかぬ事をお伺いします。一昨日の晩ではありますが、私の娘が奇妙な音と声を聞いたので御座います」
「き、奇妙な?」
「はい。何やらぎしぎしと、何かが歪むような音が断続的に・・・。それに加えて亡霊のような上擦った声がしたとの事で。とても奇妙でしょう?」
「え、ええ!!本当に奇妙ですねっ!一体何なのでしょう!?本当に亡霊でもいるのでしょうか!?ハハハっ・・・」
あからさまに動揺をするアリッサを見て慧卓は顔を強張らせる。自らの犯した罪が露見するかという思いが、ひやひやとして胸中を穏やかならざるものとさせていく。アリッサが一向に視線を合わせようとしないのが、慧卓のいやな予感の存在感を増していた。
「・・・更に言うとですね。とある一室のベッドに敷いてあったシーツなのですが、昨日洗濯のために回収したところ、酷く濡れた状態であったと侍女が申すのです。とても寝汗だけでここまでは酷くならないだろうというくらいまでのものなのですが」
「へ、へぇ・・・そっ、その人はとても寝汗をかくタイプだったのではないですかッ?」
「かもしれませんね。何せ亡霊のような昂ぶった嬌声を漏らすくらいなのですから、とても激しく、濡れてしまったのでしょうね」
きらりとした悪戯っ気な瞳を向けられて、アリッサは隠しようが無いまでにたじろいだ。赤らむやら青褪めるやら世話しなく顔色を変えつつも、表情は強張ったままというのがソ=ギィの洒脱な心を燻るのである。
「シーツ・・・とても臭っていました。青臭い臭いです」
その心は母子に共通するものだったらしい。アリッサはチャイ=ギィの直球な突っ込みに固まり、口の中が乾いていくのを感じた。他人の館で外交の友誼を深めるよりも先に、男女の誼を深めてしまったのだ。人として問題が有り過ぎると、内省の念が強まっていく。
「・・・アリッサ様。もしかしたらーーー」
「頼むっ、ソ=ギィ殿!こ、これは誰にも漏らさないでくれっ!!一昨日のあれは、その・・・一時の気分で自分を見失っていたというか・・・感情が溢れたというか・・・兎に角バレたら拙いのだっ!!口外しないでいただきたい!!」
「まぁ。まるで自らがその亡霊であるかのような口振りですわね。それに、自らが声を出したとお認めになるのなら、中でなにをしておられのたか、是非お教えいただきたいですわ。館内に変な噂が広まっては拙いですからね」
「なっっ!?そ、そんなの・・・」
アリッサはそこで気付く。ソ=ギィの瞳には怒りが孕んでいるのだと。王国から来た使節が仲間内で、よりによって自らの家で行為に励んでいたと知れば心穏やかで居られる筈が無いのである。追求の言葉が、まるで牢獄の処刑人の如く冷酷にアリッサを追い詰めていく。
「何を躊躇うのですか?まさか、口外できぬほどの事をなさっていたので?よもや犯罪ともいうべき事をーーー」
「断じてそれはない!で、でも・・・口に出すのだけは、どうかっ・・・!」
「駄目ですわ。これも領内の秩序維持のためなのです。さぁ、お教え下さいませ」
「え・・・・・・ぅぅ・・・その、私は・・・」
視線を落として上目遣いで見やっても、同姓であり年長者であるソ=ギィの瞳は揺ぎ無い。傍に控える慧卓を見遣る勇気も出て来ないまま、彼女は何度か口をまごまごとさせる。
「・・・その、私と、ケイタク殿で・・・」
「ええ」
漸く窮しながら出てきた言葉に、辛抱強くソ=ギィは頷いた。アリッサは紡ぎだそうとする言葉から想起される光景を思い起こし、再び身体がかっと熱くなるのを感じる。羞恥と屈辱に身を震わし、地面に視線が釘付けになってしまう。しかしそのまま黙っていても、非礼であるだけでなく情けない。協力を勝取っておいて醜態を晒すの愚は何としてでも避けたい。アリッサは赤くなった顔を背けながら、小さく呟いた。
「子作りを、してました」
「・・・」
隣に居る慧卓が顔を背けるのが雰囲気で理解出来た。己と同じように、顔を赤らめて、羞恥を抱いているのであろうか。奇妙な連帯感が沈黙の内に完成したのかは知れないが、二人は互いを見ないように顔を背け合っていた。
「アリッサ様。御顔を御上げ下さい」
アリッサはぴくりと肩を震わせる。顔を上げるのが酷く恐ろしく感じたのだ。『平手打ち程度で済めばいい、でも同盟解消だなんて言わないで欲しい、どうか頼む』という祈りにも似た思いを抱きながら、恐る恐る視線を戻す。そこには、恐れていた筈の怒りを湛えた顔ではなく、慈愛の笑みを湛えた二人のエルフの姿があった。
「お子様が生まれましたら、是非一度、私共に見せていただけますか?」
「私も赤ん坊を抱いてみてもいいでしょうか?将来に向けて、勉強をしておきたいのです」
「・・・・・・」
肩の力が抜けるやら、口の中が乾くやらでアリッサは反応に窮し、腹いせ混じりに慧卓を睨み付けた。事態の大原因である彼は視線に竦んですぐさま目を逸らし、先程までの彼女と同じように引き攣った笑みを浮かべた。
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ひうと、一陣の風が起伏のある地べたを滑った。埃や塵が渦巻きのように晴れた空を舞い、道を行く馬の身体に当たる。馬上で手綱を握っていたパックは、頬と頸に感じる冷たさに震える。王国領からエルフ自治領に少し足を踏み入れた場所であるが、北方は早々に彼を歓迎してくれたようだ。
「ぁぁ・・・寒いなぁ・・・」
(何さ・・・エルフの土地ってもうこんなに冷え込んでるのか?いや、王都が暖かいだけか?何にせよ・・・寒いわ)
王都の暑さに比べれば、まるで冬のような冷たさであった。時は十月の半ば。王都でも漸く衣を厚くし始める時期でもあり、パックもそれに合わせて防寒用の衣服を事前に購入していた。しかしそれを羽織っても尚、この冷たさには参るものがあった。北方の厳しさというものを直に認識しつつ、彼は執政長官から授かった一通の書状を手に、北へ北へと歩いていく。
彼が歩いてきた道は薄れた轍が残っているだけで、道はほとんど機能していない。広大な草原をくり貫いて伸びているだけに、尚更迷いやすい傾向にあった。案の定、彼もまた迷ってその道から僅かに逸れてしまい、小高い丘陵地帯に足を踏み入れていた。
「お?なんぞあれ」
左方に見える丘の向こう側から、一筋の白煙が立ち上り、宙を漂っているのが見えた。このだだっ広い大自然とは似つかわしい、人工の煙である。興味をそそられたパックは馬首を丘の方へ向けて、それを登り切る手前で馬から降りる。そろそろと用心しながら丘向こうの光景を見遣ると、彼は雀斑顔を緊張させる。
起伏の激しい丘陵の間に、ちょうど平野の如くなだらかに地形が広がっている。そこを陣取るかのように、多くの天幕が張られていた。夥しい数の者達が其処に群れており、陣の中央からは一筋の大きな煙が立ち上っている。よく見ると、それは幾つもの白煙が重なって出来たものであるのが分かる。炊事中であろうか。
パックは最も近き場所、それでも数百メートル先なのだが、其処に居た男共の格好をまじまじと観察する。ぼやけてよく判別できないが、茶褐色の乱れた格好から、正規兵でも無ければ村人でもないというのが理解できた。
(・・・察しが付いた。ありゃ盗賊か?それにしちゃぁ群れすぎだろ)
直感を頼りに数を数えてみるが、ざっと見て二千は群れていよう。王都近郊でも中々見られない、大規模な一団である。更によく陣地を観察すると、一箇所には集中して倉庫のようなものが建っているのが見えた。食糧庫、或いは武器庫や厩舎であろうか。これほどまでの規模と成ると、組織性の取れた一団と解するのが自然ともいえよう。必然的に自己防衛の手段も取っているに違いない。例えば哨戒などが、そうであろう。
(やだやだ、こんなのと関わりたくないね。・・・バレないようにさっさと行きますか)
パックは一団から見つかる前に踵を返して、馬に素早く乗って丘を降りていく。高所に登って幸運だった事は、北東の方に、割と形が保たれた一筋の道を発見した事であった。それこそが彼が求める、エルフ領への道である。
一頭の騎馬が何事も無く立ち去っていく中、平野部に築かれた一陣の天幕にて、男達が集っていた。遠くから観察していたパックには分からなかったであろうが、その者達の半分はエルフであり、もう半分は人間であった。何れも形が粗野であり、清らかさや高潔さとは程遠き格好である。パックの予想通りこれは賊の一団であり、尚且つ、人間とエルフの混合団でもあった。
「俺等は長らく、イル=フードに雇われ続けてきた。農家の穀潰しの身分から、森の衛兵にまで昇進してきた」
一人の壮年のエルフがそう言うと、仲間のエルフ達が次々に頷く。男は更に続けた。
「だがもう限界だ。奴から貰えるのは金、金、金。名誉も賞賛も貰えんしっ、食糧だって確保できるか分からん。なら何故奴の側につく?」
「その通り。それならばいっそ奪う側となった方が簡単に物事が運ぶと言うもの」
「うむ。西の村々はニ=ベリによって早々と守りを固められたが、北は存外脆いものよ」
「ああ。お陰で半月分の食糧を奪えた」
陣に集うエルフにとって重大なのは二つ。食糧が無ければ生き長らえる事も出来なかったし、これを材料として人間の盗賊団と合併する事も出来なかった。所帯が膨れ上がり、図らずも人間と団結が出来たのが彼らにとっての喜ばしい事であった。
だが食糧の消費が増えるというのも、また事実であった。
「それは確かに僥倖だ。だが、あくまでも半月分だぞ。次はどこを襲うのだ」
「そうそう。あんたらの事情には同情するけどよ、飯はどうすんだ?それが俺等の最重要課題だ」
事実、その通りであった。元々周辺の盗賊団を結集して物資をやり取りしていた所に、流浪の民同然のエルフらが流れてきたのである。人の数に対してエルフの数は四分の一であったが、それでも食い扶持が一気に増えるのには変わりなく、諸人が頭を悩ます問題になっていたのだ。
盗賊団を率いてきた人間達はそう言うと エルフらは互いに視線を交わす。喜びを口にする前に、先ずは現実を語る方がよさそうであった。
「旅人を襲うのは余りに不安定過ぎる。矢張り村を襲った方が・・・」
「ならば東だ。其方に手を伸ばした方がよい」
「違いない。だが気をつけろよ。手を伸ばしすぎれば手首より先を失う羽目となる。特に、ソ=ギィの村には絶対に手を出すな」
「ふん。雌猫如きに何を恐れる。多数で襲えばそれでいいだろうが」
人間の男は溜息混じりにエルフらの会話を遮った。彼が聞きたいのは内輪話ではないのだ。
「はいはい分かりました。で、何が言いたいわけ、エルフさん」
「我等が狙う先は西でも無ければ南でも無い。東だ。東の村々は今丁度収穫期を迎えている。襲うなら今が絶好の時期だ」
「・・・東ね。ま、それは理解できるぜ。ニ=ベリって奴の兵は精強なんだろ?だったら態々会う必要も無いし、南はもっとやばい。クウィス男爵があんなにやる気を出すとは思ってもみなかったしな」
「ほう、そうなのか?」
質問には答えず、盗賊の男は頸を横に振った。それが何よりの彼の答えであると悟ると、エルフの男は思い出したように言う。
「そういえば東の村なのだがな、中々に美人揃いの村で有名だ。特に女がな」
「へぇ?いい事聞いたな」
「特に、ソ=ギィ直属の私兵団の連中は中々に容貌がよいぞ。御せればの話だが、身体の方も中々によいであろうな」
「マジかよ。今から滾ってくるな」
色めきたつ人間達。未だ抱いた事の無いエルフの女体というものに大いなる期待を寄せているようだ。それを見てエルフの一人が鋭く言おうとする。
「馬鹿がっ。女如きに何をたじろぐ!一時の享楽に身を耽るの愚はーーー」
「まぁ待て。俺等は平等だ。誰かに命令される立場じゃないんだし、諭される理由も無いんだ。暫く放っておいてくれないか?」
「なんだとっ・・・我々の腹は女では満たされんのだぞっ!分かっているのか?」
「はいはい、分かっています。女襲うついでに食糧庫を襲撃すりゃいいんだろ。一々でしゃばるなよ、爺。殺すぞ」
馬鹿にするかのように言われた壮年のエルフは顔を歪ませるが、此処で乱闘沙汰になってしまえば陣内に居る仲間らの扱いは惨いものとなると知っているため、下手に怒り散らせないで居た。激しき瞳が見詰める中で天幕の会話は大いに盛り上がる。
略奪と陵辱こそが生業であると知った彼らの話を聞く傍ら、元はタイガの森の衛兵であった男は話にも加わらず、天幕の隅にて一人沈黙を保っていた。
(・・・何れは村だけでは満たされぬだろうな。となると、矢張りあの森を襲わねばなるまいか・・・)
故郷ともなる森が蹂躙される光景を想像しつつも、己の命、そして此処までの道すがら自然と集まった仲間らの命のためと思えば、その光景は甘受せざるを得ないものであった。背反する思いを抱えながら、男は静かに仲間らの愚かな表情を見詰めていた。
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