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王道を走れば:幻想にて

作者:Duegion
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第四章、その3の2:天運重なり



「・・・遅いな」

 アリッサはそう呟く。眩い太陽が地平線から登っていき、慧卓らが向かっていった鬱蒼とした西の針葉樹林から闇を払う。深く繁る緑の木々は、今は茜色を帯びて淡く光っているようだ。だがアリッサが望むのはその光景ではない。
 約定を交したとおりならばこの時間、森から人影が三つ以上は現れる筈。だが影は一つたりとも存在せず、傍にいたキーラは不安を顕にしている。

「もう朝日が昇っているのに、まだ帰ってこないなんて・・・」
「・・・向こうで何かあったに違いない。矢張り危険だったかもしれんな」
「そうと分かっていながら、何故付いて行かなかったのですか?」
「私まで付いて行ったら、誰がお前達を守るんだ?再び賊が襲ってくるかも知れんぞ。それにだ、仮にエルフ側から救援が来たとして、お前達の身分を誰が証明する?それが証明できなくば彼らから信用は得られんぞ」

 反論の余地の無い正論である。キーラは無念げに俯き加減となり、口を噤んだ。その様子を一見してから、彼女を安心させるようにアリッサは言う。

「だがこの期に及んでは止むを得んだろう。事態は切迫しているようだからな。・・・私が彼らの救援に向かおう。兵を三人ほど借りる。後の事は頼むぞ」
「・・・私達も、武器を取る必要があるようですね」
「そういう事だ。ある程度の覚悟を決めてもらう必要がある。出来るな?」
「はいっ」

 力強い返事に一先ずの安心を得て、アリッサは出立前の兵士達の下へと向かう。馬は慧卓の愛馬であるベルの他、本来は馬車を牽引するだけの馬も使う。緊急措置であるため仕方の無い事である。

「いいか。お前らが乗るのは馬車を牽引する馬だ。緊急時とはいえ、無闇やたらと刺激したり、馬に傷をつけるなよ?」
『はっ!』
「よし、私が先導する。遅れを取るな」

 アリッサは自分には比較的懐いてくれるベルの気性に感謝しつつ、彼に跨って森の方へと馬首を向けた。そして黒い腹を蹴りつけて森へ向かって疾駆していく。彼女の後を追うように三つの騎馬が走っていき、朝焼けに赤く照らされる大地を駆っていく。
 ひしと覚悟を決めたキーラの下に、パウリナがちょろちょろと現れて得意げに言う。 

「キーラさん、剣の持ち方、教えましょうか?」
「いえ、私も貴族です。構え方と振り方くらいは存じております」
「あ、そうなの。・・・ねぇねぇリタさん、リタさんはーーー」
「お気遣いありがとう御座います。ですが、私も職業柄そのような事態に備えて、素人筋ではありますが、一通りの武芸を嗜んでおりますゆえ」
「・・・ふーん。みんな凄いのねぇ」

 どこか残念そうな色を匂わせながらパウリナは二人から離れて、気ままに歩いていく。折角ユミルから習った技術を生かせず、その上アリッサからさり気なく自分が戦力外扱いされている事に腹立たしさを覚えているのだ。
 そんな風に歩いていると村の外れまで来ており、人影が無い事に気付いた。これは拙いと思っていると、目の前に三人の鎧姿の男が現れた。パウリナにとっては見覚えのある顔である。

「失礼致す、パウリナ殿」
「うわ、吃驚した。・・・えぇっと、ジョゼさんの使いですか?」
「お分かりになられますか?」
「いや、館にいた皆の顔覚えているからね」

 春先まで見るとは思わなかった顔にパウリナは困ったように口角を上げる。俄かに驚いた格好をしているその者達に続けて言う。 

「御主人がどうにも拙い状況にいるんですよ、貴方の御主人の御友人も含めて。ちょっと手を貸してもらえます?」
「我等とて、その心算で貴方を訪ねた次第です」
「じゃぁさっさと行きますか。駆け足になりますけど、いいですよね?」
『はっ』
 
 そういうなりパウリナは、アリッサが向かっていった森へと疾駆していく。盗賊らしい軽快な走りで、痩せ馬程度の速さであった。それを追って残りの三者もまた走っていく。蹴り付けた砂が廃屋の柱に被る。
 



ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー




 朝焼けに照らされた針葉樹林の砦は穏やかさに包まれながら、篝火込みであろうとなかろうと、その姿をよりはっきりとさせていく。それぞれの階で高さを確保するためか、中身の割には高さがあり、窓と窓の縦間隔の幅が大きい。それは慧卓の読み通りといってはなんだが、矢張り別荘や屋敷といった印象が拭えぬ建物である。天辺に赤い旗をひらめかすのは彼らの自意識によるものだろうが、自分達が人から憚られる、お尋ね者である事の自覚は無いらしい。
 建物の中の賊達は、狩りで仕留めた獲物から肉を剥ぎ、火にくべて食べているようであった。それは勿論彼らのための朝食であり、捕虜のために用意されているわけではない。当然、武器を取り上げられて監禁状態に陥った慧卓にとっても。

「『動くな、糞野郎。爪を全部剥がすぞ』。『なんだって』。『お前ら、変な気を起こすんじゃないぞ』。『ああ、そうですか』」

 可笑しな声を伴いながら両手の指で人形劇を愉しむ慧卓に苛立つように、戸の近くに居たユミルはきつめに叱る。 

「黙ってくれんか。眠れんだろうっ」
「そんな事言われても、退屈で退屈で仕様が無いんですよ。もう朝飯の時間でしょ?一回叩き起こされたのにそれから音沙汰無しって完璧舐めてますよ」
「それはそんな態度を取るからだ、馬鹿者が」
「・・・貴方達、一体何なんです?何しにきたんです?」
「ああ、貴方の疑問は最もだよ、リコ殿」

 同室のリコが半ば呆れを隠せぬ様子である。皆が皆、足にロープを繋がれており、ロープは鉄柱に括られて簡単には解けないものだ。雁字搦め過ぎて全く外せない。
 慧卓は指劇場を終いにして言う。

「俺達、こんな格好してますけど、こう見えて王国の騎士とその従士なんです。俺が騎士で、ユミルさんが従士」
「えっ?逆に見えたんですけど」
「こんな浮付いた従士など俺はいらんわ」
「場の緊張を和まそうとしているだけですよ!かっかしないで下さいって!」

 そうこう話していると、どんっと、乱暴に部屋の戸が開かれる。慧卓を剣で脅した男が現れた。

「おい、そこのクソガキ」
「二人いるけど」
「お前だよ!!口の減らないガキンチョっ!!棟梁がお呼びだ、さっさと来い!!」
「へーい。んじゃ、また後で、ユミルさん、リコさん」
「喧しいっっ!!!!」

 男が慧卓のロープを解き、立ち上がらせた。こつこつと慧卓が部屋から出るのを待ってから、男も出ようとしてぐいと腰を引っ張られる。ベルトの辺りをユミルが掴んでいた。

「おい、あいつにあまり乱暴するなよ?後で痛い目にあうぞ」
「うっせぇ、離せ!!」

 乱暴に手を払ってから男は部屋を出て戸を閉める。ぼぉっと見遣ってくる慧卓の態度が気に入らず、むかむかとして声を張り上げた。

「ほら、さっさと歩けっ!!」

 苛立ち紛れに尻を強く蹴り付ける。露骨な舌打ちには睨みで返し、男は建物の三階、即ち最上階へと慧卓を連れて行く。棟梁の部屋はそこに置かれているのだ。
 肉が薫り空腹が込み上げつつも部屋の前に着くと、どんどんと男は戸を叩く。

「棟梁、連れてきました」
『入れ。二人ともだ』
「は?あ、はい」

 野暮ったい声が中から響き、男は戸惑いながらも部屋に入る。蒸せるような血肉の香りに慧卓は俄かな吐き気を覚える。果たして穢れた寝台に座っていた人物は、顔中が髭だらけであり、沸いた虱をそのままにしているようであった。髪はぼろぼろで、人非ざる切れ長の耳をほとんど隠している。慧卓が初めて出遭ったエルフとはこのような人物であり、感動どころか嫌悪感しか抱けないものであった。
 棟梁は害意が滲んだ声で賊の男を問う。

「おいお前」
「な、なんですか?」
「俺はついさっきまで、侵入者が入っているとは聞いてなかったぞ。何時入ってきた?」
「き、昨日の深夜です」
「お前は何をしていた?」
「け、警備ですが・・・」
「全うな警備をしていた奴なら、俺にその事を、よりによって今日の朝食の時間に伝えるような馬鹿な真似はせんがな?・・・警備中に居眠りでもしてたか?」
「いえっ、んな真似はしませんって!本当にっ!!」
「嘘でしょ、それ。俺結構あっさり侵入できたよ」
「て、てめぇっ!?!?」

 ぼそっという慧卓の襟首を掴み男は必死の抗議を言わんとするも、剣が鞘から抜かれる音に吃驚して棟梁を見遣った。窓の光に照らされて、磨り減らされた鉄剣が鈍く煌く。

「ち、違うんです、棟梁!!俺は決してそんな心算じゃっーーー」
「無駄飯ぐらいは殺すべきだ。そうだろう?」
「ま、待てよ、おいーーー」

 逃げようとする男の背中を、立ち上がった棟梁は何の躊躇い無く剣で刻んだ。鮮血が吹いて慧卓のロープと床を汚し、男はどっさりと床に倒れこんだ。涙を流して痛みに悶える男の背中を、棟梁が殺意と共に踏みつける。

「さてとだ、侵入者の若造」
「げぁっ!」

 男の頸に真上から剣を突き刺し、その息の根を止める。目前ではっきりと見る殺人に慧卓は眉を顰めたて視線を逸らす。棟梁が無理矢理に引き抜いた剣は更に欠けているようであり、ほとんど使い物にならないであろうが、まだまだ血肉を斬れるのも事実である。 
 棟梁は重ねて言う。

「何が目的でここに入ってきたんだ?」
「・・・そんなの大体予想がつくだろう?あんたらが攫った村人を救出しに来たんだ」
「ふん、これだから人間というのは馬鹿正直だから困る。匪賊に攫われた奴など、無事な奴は一人もいないぞ。女であれ、子供であれ」

 棟梁はそう言っ水差しから直接水を飲んでいき、喉を潤す。

「あのリコという餓鬼は見た目からして食欲をそそるものだ。奴の仲間を食っていく一方で、奴だけには食事を与え続けた。おかげで身体は健康で、精神は病んでいく。今から食うには最高の状態だよ」
「食うって?」
「そのままの意味だ。俺と趣味を共有する奴がここには多くてな、あれだけ攫ったのに、もう奴以外は残っていないのだ。残念で仕方ならん」
「・・・食人ねぇ?さっすがエルフ、大したご趣味ですこと」
「俺達は外れ者の集まりだ。エルフのみならず、クウィス領の連中にもそれなりに知られているのだがな。それを知らないとは貴様、この土地のものではないな?」

 棟梁は慧卓に近寄ってその肩を掴み、寝台へと投げ飛ばす。慌てて受身を取る彼の足を棟梁は握り、グリーヴの踵の部分に刻まれた文様を睨んだ。

「百合の紋章・・・忌まわしき王国の者か。という事は、貴様は王国の犬だな?」
「・・・思った以上に嫌われているんだな、今の王国って」
「はっ!矢張り外の者か!それもかなりの無知ときたか。・・・死ぬ前に少しくらい知識を分けてやってもいいぞ、下郎。教えを乞うて見せろ」
「どうぞ、その知識を私にお教えいただけませんか、エルフ殿?」

 皮肉たっぷりな言い方を言う慧卓。途端に男の鉄拳が慧卓の頬を殴り抜けた。

「・・・減らず口な言い方が気に入らんが、まぁよしとしよう」

 手の甲に血を吐きながら慧卓は周囲を窺う。彼が仕える武具は無いか、棟梁に悟られぬように視線を巡らす。

(武器は・・・駄目だな。あれは持てない)

 唯一目に付いた獲物は武器棚に置かれた、棟梁の本来の獲物であろう戦槌のみであり、当然慧卓が持てる筈は無い。棟梁は優越心を隠さずに言う。

「貴様らの上の連中はもう忘れてるかもしれんがな、昔は我等エルフは貴様等と共同戦線を組んでいたのだぞ?出来の悪い帝国からの木偶共とは違う。人間にしては出来の良い、ヨーゼフ国王とだ」
「エルフにも認められるという事は、とても素晴らしい人物だったんだな」
「当然だっ!我等が名誉を共にした人物だ、素晴らしくない者である筈が無かろう!貴様、愚弄しているのか?」
「いや、その心算は無いんだが」
「ふん、矢張りあの御仁は例外だ。他の人間どもなど、取るに足らん奴等ばかりだ」

 棟梁は更に口調を激しくしていく。

「良いか、あの方は国の変革を望んで旗を掲げられたのだ。つまり我等と同じく、改革を望む志士である事は疑いようが無い!種族こそ違えど団結するのは当然ではないか!だからこその戦争と流血だ!相手がデブのドワーフであれば俄然やる気が出たさ。
 ・・・だがな、今は三十年前とは事情が大分変わってしまった。改革の心は王国には残っていないっ。人間共はそれをとうの昔に捨ててしまった!残った志士は我等、純粋派だけなんだ!・・・少しでも残っていれば、こんな羽目には・・・」

 棟梁の言葉に熱が入るにつれて、慧卓は段々と醒めた目をしていく。まともに聞くのもやけに人がよすぎる事だと思い、暇潰しがてらに棟梁の人物像を分析していく。 

(まとめてみるかな・・・。こいつは改革って言葉が大好きで、ゾッコンで、その上エルフ至上主義。そんでもって今の王国が大嫌いで、改革の精神を持っていれば誰にでも仲間意識を持ちやすいって感じか・・・。
 っていうかこいつ、改革改革とか言ってるけど、まともに考えた事あるのか?なんかノリだけで言ってるように思えるんだけどよ)

 一方的で浅い解釈であるが、しかし目の前の激しき言動を見るだけで、そんな風に簡単にまとめられそうな人物であった。 

「・・・こんな目にあったのも全部っ、全部保守派の所為なんだっ!あいつらがさっさと折れれば、俺はこんな辺鄙な森になど住んでいないっ!!!」
(なにこれ?こんなにいきり立ってさ・・・めんどくさいなぁ)

 耳を突く言葉は大も大、大音量であり、戸を開けていれば建物中に響いてるに違いなかった。棟梁がきっとして激高した瞳を向ける。

「その上更に最悪なのはなっ、人間が俺が建てた城に勝手に入ってきた事だ!」
「え、城?ここ?」
「どう見ても城だろうがっ!!」
「や、屋敷じゃないの?」
「・・・やしきとは、なんだ?」
「・・・いや、なんでもないです。城でいいです」
「ふむ、そうか。ならばその城にだ!人間共が勝手に入ってきたのが非常にむかつくんだよっ!!!」

 棟梁は足元の箒を蹴り付ける。まだ使えそうなのに柄半ばからぽっきりと折れてしまったのが勿体無い。余りに身勝手な言動に呆れから変じて、段々と腹立たしさを覚えてくる。

「俺らは入ってきたがよ、捕虜はどうなんだ?連れて来られた人達だって人間だろ?」
「あれは食用だ。捕虜は羊と同じだ。そもそも人間として見るのも問題だろう」
「・・・・・・つくづく、お前腐ってるぜ。お前みたいな連中がエルフに対する偏見を増長させているんじゃないのか?」
「だから貴様はっ!!!!」

 いきり立った棟梁は戦槌を両手で確りと握ると、それを上段に思いっきり振り被る。慧卓は思わず顔を守ろうと手を掲げた。
 
「減らず口をっ、たたくーーー」

 瞬間、突如として「ばりんっ」と部屋の窓が割られ、重たい物が床に落ちる音が響き、ついで押し殺された苦悶の声が耳を突く。手を下ろした慧卓が眼にしたのは、割られた窓ガラスと床に落とされた戦槌。そして右手にぐっさりと貫かれた矢を睨みつける、棟梁の姿であった。

「っっっっっっ、なっ、なんだ、これはぁぁっ・・・!!!」
「っ!!まさかっ!!」

 慧卓ははっとして窓の外を見遣る。寝台に倒された彼には見えないが、建物の裏口に面する窓に弓を射たのは、果たして、救援に駆けつけた近衛騎士アリッサ達であった。近くに捨ててあった弓矢がこの功を挙げさせたのだ。その弓も一矢を射て用無しとなり、再び木に置かれたが。

「お見事です、アリッサ殿」
「造作も無い事だ。・・・さて、賊共の注意は逸れたであろう。突入と行こうか」
「はっ、お供致しますっ」

 それぞれ抜刀して、四人は堂々と裏口から侵入していく。ばたついた駆け音が覚醒している男達に届くのは直ぐの事であろう。
 上階の慧卓は急な展開に驚き、そして戸惑ったままでいた。

(えっ、なに?なんなのこれ?チャンスなのっ?)
「くそったれっ、敵襲かっっ!!!」

 棟梁は苦痛を漏らしながら手から矢を引き抜き、武器棚に掛けてあった剣を左手で抜き払う。よくよく見れば、慧卓から取り上げた剣であった。

(あ、全然大丈夫そうじゃん)
「おい貴様っ!貴様を殺すのは後回しだっ!!」
「え?あ、はい」
「くそっっ、なんでよりによってぇ利き手にっ!!」

 喚きながら棟梁は部屋を出て行く。外側から鍵を掛けられた。

「・・・さってとぉ、どうやって抜け出そうかなぁ?」

 口の中の傷を舐めながら慧卓は思案を巡らす。そして、床に落ちている戦槌に目をつけて、にやりと頬を歪めた。



ーーーーーーーーーーーーーーーーー



 蛮声轟き、剣戟が交わす音が聞こえる。「侵入者」と、賊の声が響いたと思ったら遠くで悲鳴が上がった。騒ぎはかなり血生臭いものであるらしく、一室に監禁されていたユミルらもそれを確かに聞き、希望を抱く。

「・・・チャンス、到来だな。リコ、逃げるぞ」
「ど、どうやってです?ロープを外さないと外に出られませんよ」
「案ずるな、こいつを持っている」

 ユミルは裾から剃刀の刃を取り出した。髭剃り用の小さなものである。

「いつのまにそんなものを?」
「さっき、賊の腰からすったのさ。・・・ちぃっ、なんて切れ味だ。こんなんで髭を剃ったら血だらけになるぞ」

 それぞれのロープを丁寧に、しかし素早く切り取り始める。この一室は一階のかなり奥の方に位置しており、もしかしたら剣戟の波が此方にまで及ばないかもしれない。だからこそそれに頼らなず、自助努力により脱出しなければならなかった。
 一分かそこいらで二人のロープが切り取られたのは、偏にユミルの技のお陰であった。

「よし、行くぞっ」
「はいっ!」

 剃刀を携えてユミルは部屋の戸を開け放つ。剣戟を怯えるように縮こまっていた警備の賊が、ユミルらの姿に瞠目した。

「な、なんだてめぇらっ!?なんで抜け出してーーー」

 賊の首に剃刀が滑り、乱雑に肉肌と動脈を破る。剃刀は更に傷口に深く突き刺さり、ユミルの掌によって男の頸元に埋め込まれた。血流を漏らしながら男は蹲る。

「げぇっ、げほぉっ、けほっ・・・」
「こっちだっ、さっさと逃げるぞ!」
「み、皆は!?あの人は!?」
「後で助けるっ!先ずはお前からだっ!!」

 ユミルはそう言ってリタの手を引っ張り疾走する。修羅場は遠く、二階の部分へと移っているようであった。厨房を駆け抜けて通路の骸骨を跨ぎ、明るい日差しの下へと辿り着くと、聞き慣れた相方の声が聞こえた。

「御主人っ、こっちですっ!!!」
「パウリナっ!!」

 窪地から現れるパウリナ。彼女のみならず三人の兵もそこの待機しているようだ。打ち捨てた弓矢も携えている。ユミルは駆け寄り様、リタを彼女に押し付けた。

「この子を連れてここから離れろっ!俺はケイタクを助けに行く!」
「い、一緒じゃないんですかっ!?」
「奴は賊の棟梁の所へ連れてかれたっ!!!今頃何をされているかーーー」
『おーーーいっ、みんなぁぁぁぁっ!!!』

 降り注いだ声に皆が驚いて上階を見上げる。三階の一室から慧卓が顔を覗かせており、ユミルはその卓越した視力で、彼の頬が腫れているのに気付いた。

「大丈夫かっ、ケイタクっ!!」
『大丈夫ですっ!』
「そこから出れますか!?」
『ちょっと無理そうです!!扉は破れたんですけど、賊が部屋の近くに待機してるようで動こうにも動けません!!!』
「分かった!!少し待っていろ、助けに行く!!」
『頼みますっ、騒ぎがこっちまで近付いて来てるので!出来れば早めに!』

 慧卓はそう言って窓から姿を消す。ユミルは兵の一人に尋ねた。

「お前らはジョゼの兵だな?この騒ぎ、誰が起こしたと思う?」
「アリッサ殿でしょう。此方に来る途中、木に馬が止められておりましたゆえ」
「成程な。ではこの弓を射ったのも、彼女か」
「っていうか御主人も分かりましたか?この人達がジョゼさんの兵だって。そんなに分かりやすい顔してるんですか?」
「いや、してないが。だが館に居た者達の顔は全員覚えているからな」
「あ、御主人もですか?実は私もなんです、気が合いますねっ!」
「あ、ああ。そうだな・・・」

 妙に距離を詰めてくるパウリナに困惑するユミル。にたりとした笑みを変えずにパウリナは建物の壁を見詰め、ついで窓のとっかりに目を移らせていく。二階部分までは優に4・5メートルはあろうか。彼女はそれを見て小さく首肯しながら落ち着いた口調で言う。

「・・・兵士さんっ、ここまで連れてきてなんですけど、その子を連れて先に村に戻ってくれますか?」
「パウリナっ!お前も逃げろと言った筈だ!」
「その通りですぞ。武器も無いのに、どうやってこの状況に入っていくのです?」
「ありますよ、盗賊の技ってやつが」

 パウリナは一気に疾駆する。疾風の如き足運びで建物に一気に近寄り、それに辿り着く寸前で「たんたんっ」と、壁を一気に蹴り上る。  

『なっ!?』
「おぉ・・・すっごいなぁ・・・」

 垂直に跳躍したパウリナの左手、その三本の指が二階の窓のとっかりに引っ掛かっていた。顔を赤らめて渾身の力を奮い、残りの指と右手の指を引っ掛からせる。何とかして態勢を立て直そうとすると、彼女がぶら下がっていた窓を賊らしき男が突き破ってきた。

『あああああっっ!?!?』
「おぉっとっ!?」

 身体を反転させてそれを避ける。鈍い落下音が響く中、再び身体の態勢を安定させて、パウリナは叫んだ。

「ほら、御主人も!!」
「ちっ、リコを頼むぞっ!!」
「し、承知しました!!さぁっ、急ぐぞ!!」
「ユミルさんっ、有難う御座いました!!」

 兵らがリコを伴って森の中へと消えていき、ユミルが弓矢を手に再び建物へ吶喊していく。パウリナは窓ガラスの破片に気をつけながら身体を引っ張り挙げていき、愚痴を零した。

「ったくっ!みんなあたしが盗賊だって事知らないんじゃないのっ!?本当にさぁっ!!」
「・・・ほう、そうなのか?」
「えっ」

 砕かれた窓の内から、意外そうに目を丸くさせたアリッサの美顔が移っている。彼女の鋭い剣が男の頸を貫いており、命の水を流出させていた。

「あ、ああ、アリッサさんっっっ!?!?」
「ふんっ」

 男を蹴り倒しながら剣を引き抜くと、小さな赤い噴水が宙を待って部屋を穢した。アリッサは俄かに返り血を浴びた格好であり、銀鎧に赤い光が煌いていた。

「パウリナ、お前がまさか盗賊だとはな。全く分からなかったよ、見事な変装だ」
「いや、これただの好みの服で、特に関係はーーー」
「まぁまぁ安心しろ。今更どうこうする気は毛頭無い。何せ今は頼れる仲間の一人なのだからな」
「そ、そうなんですか。いやぁ、そう思っているんでしたら最初から私を連れてってくれるともっと助かるんですが」
「・・・」
「あ、す、すいませんっ、申し訳ないです!要らぬ言葉でした、取り消しますっ!!」
「うむ、そうだな。その方が良い」
『て、てめっ、俺のダチをよくもーーー』

 廊下の方から肉を断ち切る音と悲鳴が一つ聞こえて、賊の男が慌てた様子で部屋に雪崩れ込んできた。男は目を見開いて、迫り来る銀光に恐怖する。

「ひぃーーー」

 出かけた悲鳴がアリッサの剣閃により塞がれる。額をざっくりと裁断され、男は床に倒れ伏す。救援に来た兵の一人が部屋の中に顔を出す。 

「アリッサ殿、この階も制圧しましたっ!後は上だけです!!」
「よしっ、そのまま進めっ!決して油断するなよ!!」
「はっ!!」

 兵は勇みながら駆けて行く。彼はこの階も制圧したと言っていた。という事は、アリッサらはたった四人で賊の砦の一階と二階部分を制圧したのだろうか。
 パウリナが驚いていると、アリッサは今更ながら彼女の格好に気が付いた。

「・・・・・・そういえばお前、なんで壁を登っているんだ」
「え、えと、この真上が山賊の棟梁の部屋なんですけどね、その部屋にケイタクさんが無理やり閉じ込められてーーー」
「貴様らそこをどけぇぇっ!我が剣の錆となって死んでいけぇぇぇぇぇぇ!!」
「い、て・・・」

 突如として血に狂った猪となった近衛騎士の背中を見送りながら、パウリナは呆気に取られて口を開いたままにする。幾秒かの沈黙を二つの死体が見守ってくれた。

「さ、登ろっか」

 身体を持ち上げて足を窓に掛ける。パウリナは腰元から、先端にフックを取り付けたロープを取ると、器用にも不安定な態勢からくるくるとそれを回していく。そしてタイミングよくそれを上階へと投げると、軽い音を立ててフックが三階窓のとっかりに引っ掛かった。
 パウリナはロープを両手で握ると、窓を蹴りながら急いで上階へ登っていく。彼女が三階のとっかりに指を掛けると同時にフックが外れてしまうのは、一つの御愛嬌であった。

「いよっ、ケイタクさ・・・」

 窓から顔を覗かせて、パウリナは再び固まる。覗き込んだ部屋は棟梁の部屋であったが、そこに慧卓の姿は居らず、賊の一人が避難しているだけであった。

「あ、やばい」
「くっ、この糞アマぁっ!!」
「おわっ!?」

 賊が水差しを投げ飛ばしてくる。窓に当たりながら水差しが外界へと落ちていき、パウリナは片手で宙にぶら下がった。完全なる隙であり、指を切落せば彼女は確実に落下してしまう。賊が剣を片手に近寄ろうとし、寸前で何かに足を殴られて前のめりに転倒する。

「ぶごぉっっ!!」

 膝を砕かれて男は顔を歪め、そして側頭部を更に殴られて気絶した。それは重量級の戦槌を両手で振るった慧卓の所業であり、顔を真っ赤に染めながら必死に振るった結果であった。どうやら彼は彼で別の部屋へと足を運んでいたらしく、入れ違いで盗賊が入ってきたという寸法だろう。彼はそのままの真っ赤な形相で窓から這い上がるパウリナに言う。

「ま、窓から直接乗り込むとか、あなた猿ですかっ!?」
「猿ってないでしょっ、猿って!!ちゃんと人間です!!人間の盗賊です!!」
「え、そうなの!?」
「あ、やばっ。そういや言ってなかったよーな・・・」

 途端、今まで聞いた以上に強烈な刃が噛み合う音が響いた。段々と狂乱が鎮まっていく中でその音はやけにはっきりとしたものであり、戦いの闘気が感じられるものであった。

「そろそろ、あいつ死ぬかな?」
「あいつって?」
「山賊の棟梁」
「ああ、そんなの居るんでしたっけ」

 パウリナに「そんなの」程度の存在にしか思われていない賊の棟梁は、思いもよらぬ苦戦を強いられていた。利き手が負傷して得意の得物が使えない事、そして相手が王国屈指の剣の使い手と知らなかった事が重なり、棟梁はどんどんと追い込まれている。

「ぐぅっ!?」

 右腕を剣が軽く掠めて血を飛ばす。痛みと疲労に顔を歪めながら棟梁は急ぎ足で最上階への階段を登る。建物は三階で終わりでは無く、屋上部分すらあるらしい。
 アリッサが険しき顔付きで距離を詰めていき、屋上へと身を出す。燦燦とした朝日が彼女を迎えて思わず目が眩み、瞬間、右手から襲い掛かる殺気に咄嗟に剣を振り抜いた。剣を弾かれて棟梁がたたらを踏み、柵に身体を預ける。

「ちっ」

 舌打ちをしながらアリッサが切り掛りるも男は素早き身のこなしでそれを避け、柵だけが切裂かれる。目に眩みを覚えたままであるが戦えなくは無い。アリッサは八双に剣を構えて冷静に歩を詰める。棟梁の男は半ば絶望に陥った様子であったが、それでも左手に剣を握ったまま後ずさり、油断が出来ぬ状況であった。

「ふぅ・・・」
「・・・っ」

 軽き息を吐く騎士に対して、賊は苦しそうなまでに顔を張り詰めさせており緊張が途切れていない。このまま押し切るのも一手であるが、下手な自棄を起こされて要らぬ反撃を受けるのも億劫である。それならばと、アリッサは次の一手を策定した。
 アリッサは明瞭なまでに構えを安定させて、上段からの一撃の到来を相手に意識させていく。先の先を捨てたのだ。棟梁もそれに釣られたか、剣を中段に構え、身体の横へ持っていく。俄かに刀身を斜めにされて笑いかけたのはアリッサだけの秘密である。追い詰められた棟梁が何をしようとしているか直ぐに分かってしまったからだ。
 泰然自若として揺るがぬアリッサを照る光が雲に遮られて、そして次の瞬間には再び現れ、彼女の視界を光で潰す。

「っっっっ!!!」

 棟梁はその機を逃さず一気に詰め寄り、引いた刃を彼女の前足に向かって斜めに振り下ろす。そしてそれを嘲笑うかのようにアリッサはすっと前足を引き、全身の膂力を振り絞り、至高の一振りを振り下ろす。
 
「っっおらぁぁっ!!!」

 勇ましき裂帛が朝焼けを貫き、振りぬかれた棟梁の左手首を、ざっくりと切断した。慧卓の剣を握った男の手が落ち、棟梁は傷口を抑えて絶叫し始める。

「あああああっっっ、手があああああっ!!!」
「・・・他愛無いな」

 アリッサは剣を鞘に収めると、慧卓の剣から要らぬものを剥ぎ取り、仲間の下へと戻ろうとする。ばっさりとした切断面からどくどくと流血しながら男はそれを見遣り、怨念を込めて懐からナイフを取り出して投擲しようと振り翳す。
 その気はいたく露骨でアリッサにばればれの代物であり、彼女は振り向きながら剣を抜いてそれを防ごうとする。瞬間、後ろから飛来した矢が棟梁の喉元に深々と突き刺さった。

「っ!」
「げほっ、かはっ・・・」

 男は己の喉が生んだ血池に倒れこみ、哀願するように弱った瞳を向けてくる。アリッサはそれに頸を振りながら後ろを向き、弓を射たユミルを咎めるように見遣った。

「勝敗は決まっていた。やらずともよかっただろうに」
「必要だった。手負いの獣は何をするかわからないからな」
「あれがそうと見えたのか?」
「俺には見えた。だから弓を射っただけの事」
「・・・貴方がそう感じてそうしたのであれば、私はこれ以上とやかくは言わないよ。何はともあれだ、無事で何よりだ。怪我は無いか?」
「ああ。だが俺より先にケイタクを診てやってくれ。頬を殴られたようだからな」
「っ!」

 アリッサはそれを聞いて階段を駆け下りていく。残されたユミルは、未だ苦しんだままの棟梁の下へと近寄っていく。男からナイフを取り上げると、その頸の後ろへと刃を突き立てた。

「すまないな、苦しめるような真似をして。今楽にしてやる」
「じねっ・・・おまえらにんげんなんでぇっ、みんなじんじまえっ・・・」

 呪詛を聞きながらユミルは一思いにナイフを一気に押し込んだ。刃が肉に埋まりこんで脊髄を容赦無く傷つける。その衝撃たるや男を失神させるのに充分過ぎるものであった。これで失血死するまで男は苦悶から解放される事であろう。
 階下から起こる新たなかしがましさを聞き、ユミルはナイフをそのままに歩こうとして、建物の頂上にひらめく山賊の赤い旗に目をつけた。ユミルは弓に第二矢を番えると、ひうとそれを放ち、旗を棒から千切り取る。青々とした明るい宙に旗が毀れて、風に添うようにひらひらと泳いでいった。



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 からから、からからと馬車の車輪が地を撫でる。草と石をどけただけの街道に出来た一つの轍に沿うように、幾つもの馬車が続いていく。天候は快晴で、夏の暑さを幾分か取り戻しているようだ。

「・・・暑いよー。ひもじいよー」
「黙っていろ」

 二台目の馬車の天井にまたもや慧卓はロープで貼り付けられている。愛馬であるベルはユミルの手綱捌きによって調伏されてしまった。彼を助ける者は、この馬車の列には居ない。

「・・・かったりぃぃっ・・・」

 頭に乗っかる冷たく湿った布だけが助けであった。彼が座る筈だった馬車の席には今ではリコが座っており、うら若き三人の女子がそれに群がっていた。

「大丈夫?まだ痛い所とかない?お姉さんが膝枕してあげよっか?」
「いや大丈夫ですからっ、そんな近寄られたら・・・」
「リコ。もう少し素直にならないと駄目でしょう?つい先日までずっと苦しんでいたんだから、今はゆっくりしていってもいいのよ?」
「で、でも、ケイタクさんに悪い気が・・・」
「あんなのは放っておけ。あいつの独断行動に付き合わされるこっちの身になってみろ?正直殴りたくなる」
「そうですよね?時折思うんですけど、あの人って考え無しに突っ込む所がありますから。それも嬉しいんですけど、でも時と場合を弁えていただかないと」
「うーん・・・正直あの人を援護したいんだけど、今回のはちょっと無理かな。幾らなんでも無謀過ぎるし、周りの人の気持ちを考えていないと思います」
「そういう訳だ、リコ少年。君はここで寛いで、エルフの街に着くまで身を休めるといい。それが君の特権だ」
「な、なんだかなぁ・・・」

 狭そうに縮こまる彼を他所に女子三人によるかしがましき言動は続いていき、ある事無い事が口から出ていく。その大半が仲間に対する噂と批評であり、同室のリコはそれを生涯絶対に口にしまいと固く誓った。

「暑いよー。辛いよー」
「やーい、バーカバーカっ。自重が出来ないバーカっ。酷い目にあって当然だね、バーカ。バーカッ!!」
「馬鹿馬鹿うっせぇぞ、盗賊っ!!てめぇ何寛いでんだよっ!何俺のロープ折り畳んで枕作ってんだよっ!!」
「いやぁ、楽でいいなぁっ。枕はふっかふかだし、傍には水筒もあるし、超快適だなぁっ!」
「お前絶対覚えていろよ!?向こう着いたら絶対ベッドに鋲を仕込んでーーー」
「黙れぇぇっっっっ!!!!」

 雷にも近き怒声が天を轟き、諸人の呆れと溜息を誘った。慧卓は億劫げに天を仰ぎ、燦燦とした光を受け入れぬかのように瞳を閉じる。瞼の裏では夕焼けの波間のように光が溢れているが、一つ違うのはそれが赤と白だけに留まらず、青や緑や黄も含めて輝いている事だ。小さな自分だけの宇宙であり、現実逃避するには持って来いの場所であった。
 王都から出立してはや二週間と数日程度だろうか。夏の終わりを感じる暑さの中、エルフ自治領はもう間近に迫っていた。
 
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