王道を走れば:幻想にて
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第四章、その3の1:誰の油断か
昼下がりの平原。雨前の厚い雲が空に架かっており、夏に似合わぬ暗い影を地面に落としている。背の低い草が生える地面を、馬に乗った慧卓が進み、ふと立ち止まった。彼は振り返り、ここまで付いて来てくれた騎士ジョゼに声を掛けた。
「・・・此処まででいいぞ、ジョゼ」
「そうかよ?俺的にはもっと付いてってもいいんだけどよ」
「そりゃ駄目だ。なんせこっから先は、エルフ自治領だからな」
彼が指差すのその方向には、背の低い草木の他に街道のみが伸びているだけである。視界の中にうっすらではあるが、遠くには大きな森の影が広がっており、その脇に向かって荒れた街道が続いていた。その地形が看板の代わりに、エルフ自治領の存在を教えてくれる。ジョゼは細い目でそれを見遣ってから、温かなものに変えて慧卓を見た。
「まっ、北の風土に揉まれていきな、若いの。お前の騎士の称号に箔がつくよう頑張れよ」
「御親切にどうも。俺なりにアリッサさんを支援するつもりだから、抜かりはない」
「いんや、抜かるだろうよ。利他的な行動を常習化して、するべき所で利己的な行為に移れない。そういうのを油断っていうんだぜ?気をつけろよ」
「了解、気をつけるよ。・・・そんじゃぁな」
「ああ、後ろは任せろよ」
別れを軽くめに済ませ、慧卓は馬を進める。ちょっと歩いた所に馬車の列が止まっており、王国の樫の旗をひらひらと靡かせていた。先頭の馬車、即ち北嶺調停官の馬車へと歩き、その御者に向けて言う。
「出発です、北に行きましょう」
「承知。・・・ケイタク殿、これを」
御者は腕に抱えていたものを慧卓に預けた。雨除けの茶褐色のロープであった。慧卓はそれをさっと羽織り、馬の歩きに邪魔にならぬよう纏め上げると、改めて号令を掛けた。
「行進、前へ!」
馬車の列が先頭から順々に動き出す。護衛の兵を傍らに控えさせて慧卓は先導する。長旅を続けるにつれて漸く懐いてきた愛馬であるベルは、きりっとした面持ちで前を向き歩いていく。鞍越しの震動は緩やかであり、気遣いが窺えるのが微笑ましかった。
遠くからその列の動静を見遣っていたジョゼは引き締まった顔付きをしており、背後に居た護衛の兵に向かって言う。
「・・・・・・おい」
「はっ」
「後で二人か三人、お前の裁量で適当な奴を選んで、あいつらの後を追わせろ。あいつらが任務中にやばくなったら直ぐに助けるんだ、いいな?」
「はっ!」
ジョゼらは踵を返して馬を走らせる。彼が向かう男爵の館においては、警護任務の他、やらねばならぬ事が幾つか残っているのだ。さっさと片付けてしまった方が後々のためになるであろう。
一方の騎士が己の職務へ走る最中、もう一方の騎士はゆるりとした足取りで北へ、北へと進んでいく。歩いてみて分かってきたのだが、平原はほんの小さな傾斜を抱いており、慧卓らは正確に言えば登っている状態であった。
ひゅぅと、不意に吹いてきた風に目を瞑り、その寒さに驚く。季節は夏だというのに、秋の中頃を感じさせる冷たさであった。風はその後も吹き止まず、御者の手を冷たくさせて、馬車の窓を開けていたパウリナの肌を驚かせた。同室のユミルも俄かに眉を顰めている。
「ひぃ・・・涼しいなぁ・・・」
「・・・というよりも寒いというべきじゃないか?流石北嶺だ。まだ入り口に入ったばかりで、しかも夏の最中だというのにこの寒さとは」
「エルフって凄いですよね。こんな寒い天気に年がら年中付き合うんだから。よっぽど寒さに順応した体質なのかな」
「いや、あいつらとて人だ。秋になればそれ相応の厚着を着るぞ?冬などは熊のようになる」
「・・・露出とかしていないんですか?」
「そんなにショックを受けるのか?」
室内に置いてあった箱を開けて、ユミルは毛皮の服を取り出して着る。これだけで寒さはかなり防げるだろう。露出好みのパウリナも耐えかねたのか服をぱっと掴んで羽織る。彼女が見遣る窓の外では、徐々に荒涼とし始めた風景が映し出されていた。
行進を始めてから二時間ほど経って尻に充分に痛みを感じた頃、漸く、先までは影にしか見えなかった森の全体が見えてきた。北方らしい針葉樹林であり、生い茂って葉が暗い影を落としていた。
「あー、ケイタク殿。この森の横を通るわけですが」
「はい」
「エルフ自治領ですよ、あそこから」
「まじで」
「イエァ」
兵が指差すその場所には、場違いなまでに、大きな岩がぽつんと置かれていた。成程、標識代わりにはうってつけである。慧卓はふと森の闇を見遣り、冗談めかしく言う。
「・・・・・・待ち伏せされてそうだね、なんか立地的に」
「いやいやいや、まさかそんな訳ないでしょう?こっち王国の旗掲げているんですよ?」
「まぁ、そうですよねー。ただの冗談ですよ。・・・ところで、なんであそこ煙上がっているんですか?」
「は?」
あっけらかんと指差す方向に、兵は間抜けな声を漏らして表情を硬直させる。森を挟み、丁度街道沿いに進んだ所の一角から、灰色の薄い煙が立ち上っており、背景の曇り空と似た彩色に関わらず、一切の調和が見受けられない。火が立たぬ限り不自然な光景である。
「・・・煙が立ち上がっている場所、確かあそこには村がありましたね。小さな村なんですが」
「・・・自治領の首都まで後何日の予定ですか?」
「五日です」
「場合によっては一週間になりますけど、いいですね?」
「・・・アリッサ殿も承知してくれるでしょう」
「ユミルさんを呼んで下さい。俺と一緒に先行します」
「き、危険なのでは?」
「まだ危険があるとは断言できませんから、大丈夫でしょう」
兵の意見を封殺して、慧卓は彼を促して踵を返した。兵の馬が足早にユミル達の馬車に向かい、慧卓が先頭の馬車を止める。馬車の行軍が止まり、馬車の内からユミルが駆け出してきた。
「ベル、ちょっときつくなるけど、頑張ってくれよ?」
これからの更なる労を耐えるよう発破を掛けると、軽い嘶きによって返された。ユミルが近付いてきたのを見て、慧卓は自分の背中を見せた。
「ユミルさん、俺の後ろに乗って下さい。あの煙の下へ向かいます」
「・・・危険かも知れんぞ。分かっているよな?」
「言うに及ばずです」
ユミルは納得の色を浮かべなかったが、言葉の裏に潜んだ否応を認めぬ態度を理解すると、慧卓の後ろに飛び乗った。片腕で慧卓の腰を持ち、もう片方の手は腰に吊るした剣の柄に当てられている。
ベルが鼻息を漏らして足を進め、徐々に足早となっていきながら、慧卓らはその場所へと向かっていく。先頭の馬車の窓からキーラが心配げにそれを見遣っていた。
「大丈夫でしょうか?」
「心配するな。私が直々に鍛えたんだ、ちょっとやそっとの事で怯むようにはしておらん」
アリッサは言葉では力強く言うものの、瞳は全く油断していない。寧ろ先を行く慧卓の背を一縷の不信で以て見詰めていた。彼の武力に対する評価がそのような目つきをさせる大きな要因であった。
煙の下に近付くにつれて、ユミルは段々と瞳を細めていった。鼻を突く異臭は鋭敏な感覚を刺激して、惨たらしい想像を強要させてくる。
「・・・匂うな。血の匂いだ」
「・・・・・・パウリナさん、大丈夫ですかね?」
「駄目だろうな、絶対吐くだろう」
「ですよね・・・」
「お前も吐くなよ?」
その問いには返さず、慧卓は徐々に明らかと成っていく光景に眉を顰めた。兵の説明通りに小さな村である。『セラム』に来て初めて訪れた村よりも尚小さい。その村の家屋は軒並み、何かしらの荒みを壁面や屋根に現しており、ものによっては壁が黒く煤けていた。煙は村の一角から立ち上っているようだ。
「此処で良い、止めろ」
「あ、はい」
村の入り口でユミルは馬から降りて、剣に手を当てながら歩いていき、慧卓はそれにおずおずと付いていった。少し歩いた所の家屋の傍に、二人は一つの黒い物体を見受け、慧卓は口を俄かに開けて悲嘆の息を漏らす。全身を焦がされて一部真紅の部分を見せ付ける、焼死体であった。
慧卓は馬上から周囲を見遣ってみるが、路上に転がる死体はその焼死体、一つしかない。あからさまに怪しい気がしてきたが、ユミルは臆する事無くそれに近付いていく。
「ちょ、危ないですって!!」
「黙っていろ」
ユミルは死体に近付いて、軽く目礼をすると、それをじっくりと見遣って観察する。特にその頭部をじっくりと。
(・・・これは男か?頭蓋骨が角ばっているな・・・。この様子では、まともな生存者を期待するだけ無駄かも知れんな)
一人思案していると、慧卓がゆっくりと近付いていく。骸の臭いに当てられてか、ベルが興奮して鼻息を荒くさせて慧卓を揺らす。
「・・・ベル、気持ちはわかるけど、ゆっくりな。・・・ユミルさん、どうです?・・・ユミルさん?」
彼の返事に答えず、ユミルは地面を見詰めたまま動かない。幾秒の後にちらりと横目を向けた表情は、死体に向かった時以上に張り詰めたものである。村の一方へ鋭い視線を向けると、ユミルは慧卓に向かって手でジェスチャーを行う。慧卓を指差し、親指と他の指で口のように何度かぱくぱくとさせて、村の一方を指差す。
(・・・俺、パクパク、あっち?・・・・・・あ、囮?)
慧卓は意図を掴むと、馬首をその方角へと向けて徐に歩いていく。ユミルはそれを見詰めながら中腰に家の影へと歩いていき、気配を殺すように静かに、しかし足早に歩いていく。死体を観察していた時に、彼は側頭部の辺りに一つの視線を感じたのだ。この場の惨状に相応しき、剣呑な気であり、慧卓にも調停団の面子にも出せぬ代物である。
案の定であった。二つの家影を通り過ぎて三軒目に差し掛かった時、その家壁に潜む気配を感じ取った。己を見詰めていたものと同じである。音を立てぬように剣を抜き払い、先程以上に慎重な足取りでそれに近付いていく。水面に波を立てぬかのようなゆったりとした体捌きであり、風の如く自然と調和したものであった。
ユミルは壁面からそっと顔を出して、その気配の正体を暴いた。ひょろく野蛮な風体の男がそこに居て、手には弓矢を握り締めていた。男は崩れた壁に隠れながら、無防備に進む慧卓を見詰めて、息を呑んでそれを待ち構えているようであった。ユミルはゆっくりと、地面に転がる木片を潰さぬようにゆっくりと歩いていき、男の背後を取った。そして一気に、の口を掌で覆い、その頸に剣を突き付ける。
「ン''っっ!?!?」
瞠目する男を他所にユミルは弦を引くかのように一気に剣を滑らせた。悲鳴が掻き消され、肌落つ鮮血と共に男はぐらっと崩れ落ちた。闊歩していた慧卓はふと立ち止まって、その音の方角を見遣った。瞬間、彼の背後の廃墟から一人の男が現れる。男は手に持っている弓矢を素早く構えた。
「ケイタク、後ろだっ!!!」
「っ!?」
咄嗟に振り向いた慧卓の肩口を、放たれた一矢が掠める。男が舌打ちと共に第二矢を構えようとしていると、いきり立ったベルが前足を高々と上げて嘶き、男に向かって疾走していく。慧卓の制御から開放されているようであった。
「ちょちょちょっ、ベル待てぇぇ!!」
「えええっ!?」
目をひん剥いた男はすぐさま矢を放つも、ベルの体躯を掠めて浅い傷をつけるだけであった。それがいけなかったのかベルは更に目を爛々とさせて、勢いのままに男を刎ね飛ばした。
「ぶふぉっ!!」
胸部の辺りを強烈に蹴り飛ばされ男は吹っ飛び、廃墟に身体を打ちつけ、降り注いだ木片が男の頭を幾度も叩く。白目を剥いて男は気を失い、力無く弓を手放していた。尚もいきり立つベルをどうにか諌めようと、慧卓は馬上で挌闘し、声にもならぬ悲鳴を漏らしていた。
背後からユミルが近寄っていき、いきり立つベルに声を掛けた。
「・・・・・・あー、うん。良くやったぞ、お前」
「なんでもいいんでっ、ちょっと抑えてくれます!?首攣りそうっ!!!」
「全く・・・」
ユミルは頭を振りながらベルの肌を何度も撫でて、その興奮を和らげさせていく。徐々に静まっていくベルの気に、慧卓は安堵の溜息を零した。
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黒い煙の中からばちりと火が弾け、積み重なった遺骸に燃え移る。元々が黒く燻っていたものも、身体が欠けていたものも全てまとめるように炎が盛り、黒煙を捲し上げる。廃村の中央で炊かれた弔いの炎を見ながらアリッサは、傍で手から穢れを払っているキーラの言葉を聞く。
「これで全部ですか?」
「ああ、そうだがな・・・キーラ、何も此処まで手伝って貰わなくても良かったのだぞ?」
「アリッサ様。私がそうしたかったから、したいんです。唯の家事手伝いの足手まといでいては、とても心苦しいですから」
「・・・感謝する、お陰で助かった」
「はいっ」
血と死の汚れをまといながら溌剌と笑うキーラに当てられ、アリッサは小さく笑みを返すだけに留まった。なんとなしな罪悪感を抱きながら赤い弔炎を見詰め、無言のままに感慨に更ける。
彼女達から離れた所では兵士や従士、或いは御者達も含めて、地面に散らかった乱の後を片付けいる。誰も彼も手を休めず、元の村の平穏を取り戻そうとしていた。一方で一軒の廃屋の近くでは、パウリナが蒼い顔で蹲っており、ユミルが何度もその背を撫でていた。
「・・・慣れないか、まだ?」
「当たり前ですよ、こんな惨い光景に臭い、何時まで経っても慣れません・・・でも此処で吐くのは我慢します」
「・・・そうか」
「でも寝る前にまとめて全部出します」
「寝れなくなるからやめろ、馬鹿」
再び咳き込み始めたパウリナを慰めつつ、ユミルは柔らかな表情で彼女の精神の成長を見守った。彼女にとっての幸いとは、己の心身の安定に努める余り、兵士等の残酷な会話に聞く耳を持てないという事だ。
「あれ、全部男らしいぜ?ユミル殿が言ってたぞ」
「・・・婦女に子供は、いないのか。厭な気持ちになるな」
「本当だよ・・・。さぁ、さっさと済ませよう」
「ああ」
無意識な嫌味な会話に眉を顰めるのは、ユミルのみならず、慧卓も同様であった。口も憚る話題を平気に口に出すのは、気分を慰めるためとはいえ、今言ってはならぬのだと感じたのだ。背後から兵士が一人、険しい面持ちで駆け寄ってくる。
「捜索、終わりました」
「どうでした、村の様子は?」
「・・・生存者が居ました。但し一人だけで、しかも非常に衰弱した状態にあります。話を窺えるような状態ではありません。・・・我等には、その方に手の施しようがありません。
此処はエルフ自治領内ですので、エルフ側に救援を呼んではいるのですが・・・恐らく彼らが来る頃には・・・」
「・・・亡くなると、いうわけですね」
「残念ながら、そうでしょうね。・・・一つだけ気掛かりとするならば」
「なんです?」
「その人、ずっと人の名前を呟いているんです。リコさん、リコさんと」
「・・・リコ?それ、この村に住んでいる人の名前か?」
「多分、そうなんでしょうが・・・」
「・・・それ、弟の名前です」
「え?」
傍によって来たリタの表情に、慧卓は顔を一層引き締める。今まで見た事が無いくらいに動揺して、且つ真剣な顔付きであった。
「私の弟です。リコと言うんです」
「確か地図の製作を生業としている方、でしたよね?」
「はい。まさかここまで足を伸ばしているとは思いもよりませんでした。・・・仮にあの子が此処に住んでいたのだとしたら、放っておけません。その方に会わせていただいても宜しいでしょうか?」
「ま、まぁ禁止されているわけではありませんから大丈夫ですけど・・・本気ですか?」
「・・・はい」
迷い無く首肯した彼女を見遣り、慧卓は俄かに困惑した様子で年上の兵士を見遣った。兵士は両者の瞳を何度か見比べつつ、一抹の諦めのようなものを抱いて折れた。
「・・・・・・分かりました、此方です」
踵を返した兵士を追って二人は歩いていく。村の中央近くに張られた、小さな天幕に案内される。入り口は清潔な布で隠されており、人目にはつかないようだ。
「どうか、穏便に御願いします。末期を迎えるまで、せめて彼女には優しくしてあげたいですから」
「承知しております。・・・御案内有難う御座います」
「・・・頼みますね、ケイタク殿」
「はい」
念を押すように兵士は言い、目を離す。勇んで入っていくリタの後に続いて慧卓も幕を潜り、そして彼女と同じように息を呑んだ。
「っ・・・」
一人の女性が急ごしらえの寝台に横たわっている。暴行による痣が頬と目元に青々と膨らんでおり、欠けている歯が口元から覗いている。毛布を掛けられてはいるのだが、それでもそれ越しに痩せ細った身体付きが分かってしまう。傍らには唇を潤すために水皿と、柔らかな布が置かれているようだった。彼女は濡れた唇で只管に呟いている。
「・・・リコさん・・・リコさん・・・」
「失礼致します」
リタは静かに彼女の下に近寄り、そっと跪く。
「具合はどうですか?どこかお辛い所はありますか?」
「・・・」
「私はリタと申します。侍女で御座います。宜しければ、貴方の御名前を御伺いしても宜しいでしょうか?」
「・・・リコさん・・・リコさん・・・」
「・・・つかぬ事をお伺いしますが、貴方が申されているリコという方は、金髪で、頬の辺りに黒子がついている方ではなかったでしょうか?」
「・・・・・・知ってるの?」
擦れた声で女性は反応する。とても安らかな声色でリタは言う。
「弟ですよ。私はリタです。リコの姉です」
「・・・・・・・・・」
「無理矢理お伺いするようで申し訳ありません。ですがどうにか貴方に、御協力願いたいのです。貴方が弟の行方について存じている、最後の一人なのですから。
私は弟以外に家族を持っておりません。父母も居らず、親族もいません。この上に弟を失ってしまっては、とても敵わないのです。どうか、あの子の事について教えて下さい。私は、彼を助けてやりたい、姉としての努めを果たしたい。それだけの願いなのです。その願いの成就には、貴方の助けが必要なんです。・・・どうか、彼の事をお聞かせ願いたいのですた、宜しいでしょうか?」
「・・・・・・三ヶ月くらい前、この村に、リコさんは来た」
女性は腫れた目元を俄かに開き、枯葉のような黒い眼差しをリタに向けた。
「私、あの人の地図作りに手伝って、いたんだけど・・・盗賊が来て・・・連れてかれた」
「リコや、村の方々が、ですね。・・・どこへ向かったか覚えていますか?」
「・・・私、隠れていたから、見ていなかった」
慧卓は残念がるように唇を噛み締めかけるが、きっと睨んできたリコに臆してすぐさまそれを改める。女性はリタだけを見詰めて言う。
「でもあいつ等が言っていた。あの二人組。西の森に、住み始めたって」
「それは、その二人組の仲間でしょうか?」
「・・・うん」
「・・・ケイタクさん、もしや先程擦れ違ったあの森の事では?」
「俺もそうだと思います。・・・多分、人目につかない奥地の方かと」
女性は喋りつかれたのだろうか、何度か唇を噛み直して潤いを取り戻し、息を整えつつ言う。
「あいつ等を殺して。皆殺されて、生き残った人も連れてかれた。私も乱暴されて・・・」
「もう、大丈夫ですよ。・・・無理に御心を苦しめるような真似をして、申し訳ありませんでした。償いといえば一方的かもしれませんが、私共が必ず、リコや、村の人達を救って参ります。だから今は、どうぞお休み下さい。・・・御協力、有難う御座います」
「・・・良かった。また、人助けが出来た」
彼女だけの擦れた小さな笑みを浮かべ、瞳を閉じる。そして項垂れるように枕に体重を乗せて、目元を隠した。リタが驚いたように目を開く。
「っ!」
「落ち着いて下さい。疲れて、眠ってしまっただけです」
「・・・もう目が覚めるかは分からないんですよ?」
「そうかもしれません・・・でも今は、彼女との約束を叶えなくちゃ。そうでなきゃ彼女が報われません。・・・アリッサさん達を説得しに行きましょう。あの人だって、この惨状に怒りを覚えている筈です」
「・・・そうですね。御免なさい、勝手な約束を結んでしまって」
「いえ、俺だってしてたかもしれませんよ」
慧卓はリタを立たせて、寝台の女性を一つ見遣って天幕を出て行く。リタも女性を静かに見詰めつつも、己の為すべき事を見定めると、天幕を出ていった。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「・・・本当に大丈夫なのか?」
「大丈夫です。あの人の言葉を信じれば、盗賊はこっちの方に居を構えています。奴等を探すなんて、難しい訳ありませんって」
「いや、そうじゃなくてだな・・・おい、目の前の木の根元に毒花が咲いてるぞ」
「・・・触ったらどうなりますか?」
「炎症を起こして、最悪、腐る」
「よ、避けましょうか」
夜の帳が落ちた頃。村からは大分離れた所まで歩いてきた。漆黒にも近き森の中を勇敢にも進み、慧卓とユミルは歩いていく。昼間は秋にも近き気温でもあったのが、夜では完全に降霜のものである。暗く冷たい森を歩くというのは非常に辛い行動である。しかしそれに、友の家族を救出するためという目的と意思が加われば、その行為は全く苦にならないものであった。
アリッサ達を説得し、馬車が消えた方角を轍から推測し、後は勘だけを頼りに慧卓は歩いていく。ユミルの苦情をまともに受けれる気持ちではなかった。
「前々から思っていたが、お前のその危機意識の無さが心配なんだ。お前は調停官の補佐役なんだぞ?もう少し他人に信用を置くかどうか熟慮したって、損はしないと思うのだが」
「考えるのは、時と場合によります。病弱な方の言葉を疑うような真似はしません。あの人の言葉は疑いようのないものだって聞こえましたから」
「そうかもしれん。だが一応の疑いは持つべきだ。それが補佐官としての義務であり、責務なのだ。お前はまだ若いからしれんから、職務に対する意識がーーー」
「あ、見えましたよ。あれじゃないですか?」
「・・・はぁ」
ユミルは溜息を吐きながら肩に弓を掛け直し、慧卓の隣に立ち、半ば呆れにも近い表情でそれを見遣った。地方の豪族の別荘の如き、異様に体裁の良い建物を。獣除けの篝火のお陰でその全貌がかなりはっきりとわかってしまう。
「あからさまに怪しいな」
「居住性求め過ぎなのが余計に可笑しい。なんでこんなに雰囲気ある奴建てちゃうの。もう屋敷ですよね、これ?」
「知らんわ、あいつらに聞け」
「了解です。んじゃ、裏口探しますか」
森の影に潜みながら二人は周辺を歩いていく。色も見えぬ森を音を無碍に立てぬよう注意を払い、時には小さな虫を避ける。少し下り坂となった所から木々の間を抜け、窪地のように凹んだ地面を歩き、再び上り坂となっていく最中、慧卓はそれを見つけた。
分かりやすいまでの裏口である。それは建物の丁度裏側、窪地に面するように置かれており、歩哨が一人立っているようであった。
「・・・だから、わかり易い真似すんなっての・・・」
「全くだ。あいつは任せろ」
ユミルは中腰になりながら僅かに歩き、丁度良い場所に膝を立てて、弓を横に構えながら矢を番えた。森の闇は深いものだ。2~30メートルしか離れていないといえども、歩哨の視界はただ只管に暗いだけであった。ユミルの側から言えば全く逆なのだが。
ユミルは弦をゆっくりと引き、限界まで引く。そしてその時となって、ひうと、矢を射る。歩哨が高調子に気付いた頃にはもう手遅れであり、矢は寸分違えず歩哨の喉を射抜いた。
「っっぁ・・・ぁぁっ・・・」
声にならぬ悲鳴が血の奔騰に飲み込まれ、歩哨は喉を押さえようと手をやりつつ、膝を突いた。二つ目の高調子が頭頂部を射抜き、歩哨は前のめりに倒れこむ。真見事な射術であった。
「・・・御見事です」
「こういう荒仕事はお前にはまだ任せられんからな。・・・兎も角、早い内に見付けよう。夜が更けてしまっては帰りが危険だ」
「そうですね、じゃぁ、先導をお願いしてもいいですか?」
「ちゃんと着いてこいよ?」
ユミルは用済みとなった弓矢を木の傍らに置くと、建物の方を警戒しながら進んでいく。慧卓がその後に続いて裏口に入っていった。中は篝火すら無く、外界よりも更に暗い。慧卓は地面の何かに躓いて咄嗟に壁に手を突くも、足首あたりにつんと刺さるものに表情を歪めた。
「いいっつぅ・・・」
「大丈夫か?」
「え、ええ・・・うわぁ、骨だよ・・・」
「・・・真新しいな。血肉が残っている」
足首のそれを手触りで確かめると、それが血肉が付着した骨だと漸く分かった。慧卓はつま先でそれを蹴ると、意外にも重たい感覚がした。どうにも一部分だけというわけではなく、全体が捨てられているらしい。ユミルが鋭い視線でそれを観察しているのに気付いて、慧卓は話し掛ける。
「どうして此処に骸があるんでしょうね。此処って裏口への通路でしょう?そんな所に人骨を捨てる意味ってありますか?出入りの邪魔になるだけでしょう?」
「・・・まぁ、そうでもあるが」
「なんです?言いよどんだりして」
「お前には見えにいかもしれんが、お前の足元に男の死体が捨ててあるぞ」
「うぇっ!?」
慌てて慧卓は後ずさる。ユミルは狩りで鍛えた暗視で以って、続けて言う。
「ふむ・・・亡くなってまだ日にちが浅いな。分かるか?死骸全体に蛆が大して沸いておらん」
「そんなの分かりたくないですっ」
「・・・致命傷は、太腿の切り傷だな。失血死か。それに首元の傷も深い。見ようものなら、噛み付かれて無理矢理千切られたようにも見える」
「・・・え、えぇっと、それってつまり・・・」
慧卓の疑問に答える事無くユミルは立ち上がり、奥の方から差し込む光の方へと歩いていき、慧卓がその後を追っていく。光は角を曲った所から漏れているようだ。ユミルは角の近くで立ち止まり、耳をそばだてた。
『・・・し。・・・コレ、と』
「!」
手を挙げて慧卓を止め、何歩か下がらせる。そしてユミルは自分だけ中腰になりながら顔をそっと覗かせた。この通路はどうも厨房に繋がっているらしく、今まさに調理の真っ最中であった。中から二人の男の会話が聞こえてくる。
『・・・おい、出来たぞ。棟梁と、あの餓鬼の所へ届けて来い』
『・・・なぁ、俺らの分は?なんで作ってないんだよ?なんで俺らじゃなくてあの餓鬼は食えるんだよ?』
『ふざけんな。狩猟もまともに出来ねぇ癖に何言ってやがる。あとな、牢屋の捕虜は全部棟梁のもんだ。俺が捌いて棟梁が食う。文句でもあるならさっさと行けばいいじゃねぇか?てめぇらはさっさと寝て、明日獣を狩って来いや』
『だから無理難題なんだよ、それがよぉ!この辺りと俺が住んでた所じゃ、住んでる獣も、その性質も違ってーーー』
『あ''ぁ''!?』
『・・・わ、分かったよ。だから包丁をこっちに向けんな、なっ?』
声の一方が遠ざかっていき、再び調理の音が始まっていく。乱雑な包丁の音色に合わせるかのようにユミルは忍び寄っていく。男が俎板に包丁を置いて棚から何か取ろうと屈んだ。その瞬間を逃さず、ユミルは包丁を奪い取りながら左腕で男を羽交い絞めにする。
「動くなよ。動いたら頸を掻っ切ってやるからな」
「な、なんだてめぇ・・・どっから出てきてーーー」
男の頸にさっと頸元に刃を置く。頚動脈の真上に煌く銀光に男の粗野な風体が硬直し、視線がそれ一点に集中された。男の無骨な手は棚に突っ込まれたまま、羊の蹄を握って動けない。
「動くなと言ったよな?こちらの質問に答えろ」
「な、なんだよ?」
「俺は今、金髪の少年を探している。頬の辺りに黒子がついている、碧眼の少年だ。名をリコという」
「・・・し、しらねぇな」
「・・・そうか」
ユミルの左手が男の耳を掴み、強引にそれを千切ろうとする。男は苦悶の絶叫を漏らした。
「っっぁあああっ!!」
「思い出したか?」
「お、思い出したぁっ!!そいつは牢屋にぶちこんでるっ!!棟梁が明日食うつもりの奴だ!!」
「食べるだと?」
「人を食うんだよっ、分かれよ!!この前村から分捕った奴等のほとんどを食っちまった!!後残ってるまともな奴はあいつくらいだ!他は食えねぇ!!」
「牢屋はどこに?」
「西の奥の部屋だ!そこにまとめてぶち込んでるぅっ!」
男はそう言って息を切らす。男の左耳は耳朶辺りまでが裂かれてぶらさがっており、赤い血をどくどくと流していた。
「・・・・・・有益な情報に感謝する、さらばだ」
言うなりユミルは包丁を一気に滑らせた。鈍らの刃は男の頸の肉を贅沢に掻き切り、男は血を首から噴いた。ユミルが腕を放すと男は棚に頭を打ち付けて、床にどさりと崩れ落ちた。気を失っているが遠からず失血死するであろう。
おずおずとした様子で顔を覗かせる慧卓に向かってユミルは手招きする。
「さっさと行こう。どうにもこいつら、切羽詰っているようだ」
「直に共食いでもしそうですね」
「もうしているかもしれん。だからさっさと行くぞ」
包丁を片手にユミルは早々に歩いていく。寝静まっているであろう屋敷の通路を窺う。篝火に頼って見る限り、誰も歩いていないようだ。
「ケイタク、静かに歩けよ?」
「あ、はい・・・・・・そこ、床が抜けそうですよ」
「っ、すまん」
部屋の前の床が腐りかけているのが見えて、ユミルはそっとそこを回避して歩く。慧卓も後に続いて歩こうとした時、「どんっ!」と、不意に部屋の中から物音がして身が竦んだ。
「っっ!?」
そして案の定であるのか、足元が狂ってその腐った部分に右足が降ろされてしまい、脛半ばまで床が抜けた。
「っ、馬鹿がっ!?」
「足がっ、抜けないっ・・・!」
必死に両手で掴み外そうとするも、中々に抜けるものではない。そして運の悪さが一気に重なっていき、扉がぎぃっと開かれようとしていた。
「ちっ!!」
ユミルは咄嗟に包丁を振り被って投げつける。くるくると回った包丁が、開かれかけた扉の隙間から男の頭部に見事に突き刺さり、男は力を失って床に倒れこむ。隠し様のない大きな音が、静謐のままであった通路に響き渡った。
ユミルは最早物音を隠さぬ様子で慧卓に近寄った。
「ほらっ、手を貸してやる!!さっさと立て!!」
「ちょ、ちょっと待って!木片がつっかえてーーー」
一刻の猶予などある筈も無かった。ユミルは力任せに慧卓を引っ張りあげる。ばきっという小気味良い音と共に足が抜けるが、脛の辺りに傷がついてしまったようだ。
「その程度の傷など我慢しろっ!!さっさと走れっ!!」
「は、はいっ・・・!」
二人はせっせと走っていく。目的の部屋に辿り着くまでそう長くはかからなかった。
「ここだな!」
勢い任せにユミルは部屋の扉を開け放つ。正面最奥の壁に、薄汚れた服をした一人の少年が横たわっている。食事の残りが入った木皿が傍に置いてあった。
ユミルはのしのしと近付いていく。そして少年の容姿が、金髪碧眼と頬の黒子である事を確認した。少年は目を擦りながら覚醒し、そして困惑と驚きで言う。
「・・・えっ・・・誰?」
「リコだな?地図の製作が生業の」
「え?そ、そうですけど・・・」
「此処から逃げるぞ、さっさと立て!!」
「ま、待って下さいっ!足にロープが掛かってていて、部屋から出れないんです!」
「!じっとしていろよ」
ロープは窓格子の一本に掛かっているようである。但しその格子は高い所にあるだけで、脆そうな木製であった。ユミルは軽く背を伸ばすとその格子を両手で掴み、膂力で以てそれを引っ張り、二つに折った。
「よしっ、これで大丈ーーー」
「動くな、糞野郎」
「・・・くそったれ」
鋭い視線をして入り口の方を向くと、この騒ぎに気付いたであろう賊が、慧卓に剣を突き付けてユミルに殺意を向けていた。武器も持たぬ慧卓は抗する術無く捕虜となったに違いない。形勢が完全に賊側に傾き、これまでの苦労と殺傷は意味の無いものとなってしまった。
「お前、案外使えない奴だったんだな」
「・・・すみません」
「いいか、二人とも黙れ。喋ったりしたら爪全部剥がすからな」
「なんだってー」
「黙れ、クソガキ!!!今日はもう眠いし、機嫌が悪いんだ。お前ら、変な気を起こすんじゃないぞ」
「・・・従おう」
「・・・・・・はぁ」
恨むような視線から目を逸らしつつ、慧卓はこれからどうすべきか、どのようにこの失態を拭うべきか考え始める。賊相手に良識が通じるか賭ける気にはなれず、慧卓はただ恥を知るように下を向いていた。
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