王道を走れば:幻想にて
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第四章、その2の3:疑わしきそれ
前書き
新春、明けましておめでとう御座います。本年も皆様のご愛顧をいただけるよう、精一杯の執筆活動にとり熊させていただく所存でありますゆえ、何卒宜しくお願いいたします。
新年最初の投稿は、二話同時とさせていただきます。まだエロを書く心算はありませんので、予め御了承下さい。
就寝の寝台に窓辺から差し込む夜光は、北に身を移すにつれて徐々に明朗になっていく気がする。地平の彼方に浮かぶ大きな綿雲に近付いていくような、そんな奇妙な感覚であった。不思議と違和感は覚えず、それゆえに安眠を妨げる事は無い。クウィス男爵の館は寝息によって静まり返っていた。
そんな中、ユミルは眠れないままでいる。背後に横たわるキーラの存在感のためであった。薄めの毛布も取っ払って寝ようとしているが、目は醒めたままである。
「・・・寝ているか、キーラ殿?」
「・・・・・・」
「・・・寝てるか」
「・・・起きています」
「む、そうか。早く寝るべきだ、肌に悪い」
「分かっています」
互いに背を向けたまま、再び沈黙する。瞳と口を閉じるが、しかしどうにも寝れるような気分ではなかった。
(今宵はどうにも寝れる気分じゃない・・・なんだこの緊張感は?)
女性と同衾するのが久方ぶりなために、ついついと意識してしまう。無論の事睦みまで至る気は微塵も無いのだが、それでもである。
「(気まずい・・・何か話でもせん限り眠れんな)・・・あー、キーラ殿?」
「何ですか」
「その・・・なんだ・・・なんでケイタク殿を好きになった?」
「え・・・」
窮して出でた質問に思わず絶句した。キーラも、ユミルも。
(お、俺は何を聞いているんだ!?どうして他の話題を思いつかない!?)
「そ、それは・・・その・・・答える前に聞きますけど、ユミルさんは、私の事が?」
「そんな訳、ある筈が無いっ。いや、ただな、その・・・」
「・・・思いついたのがこの話題だから、ですか?」
「・・・はい」
心中をあっさりと読んだキーラは小さく息を吐き、少しばかり安堵した様子で続ける。
「ケイタクさんに負けず劣らず素直な人なんですね。・・・でも、あの人に似ていて、ちょっと安心しました」
「・・・好きな奴と似ているから、心中も察しやすいと?」
「ああ、そこは違うんですね。ケイタクさんは、そういう淡い気持ちを察するのは疎い方ですから。人の悩みには気付く癖して、駄目な人です・・・。いつも直球勝負しか出来ないんだから、誰かがあの人を支えてあげなきゃ、危なっかしくて見てられません」
「理解できる。あいつは状況に対する適応力はある。が、馬鹿だ。人を巻き込む上に危機感が薄く、その癖自分から危険に飛び込んでいく。上司にするには最悪のタイプだ」
「では、どうしてあの人と?」
「この時代、あいつほど、自分の気持ちを素直に語る奴も珍しいからだ」
「・・・それだけですか?」
「・・・パウリナが北に行きたいとごねたからだ」
虫の居所を少し違えたように、ユミルは硬くなった口調で言う。キーラが微かに笑みの声を漏らしたのを聞いて、ユミルはこそばゆさを覚えつつ続ける。
「まだ答えを聞いてないぞ、キーラ殿。・・・といっても、もう聞いたようなものなんだが」
「そ、そうですか?まだ語りたい気持ちがあるのですが」
「就寝前に甘いものを食べる破目になるとはな」
「・・・申し訳ありません。でも聞いてきたのはそちらじゃ・・・」
「・・・すまん」
再び両者は沈黙する。なんとなしに喋り辛い雰囲気が出来上がってしまい、且つ眠気は中々訪れない。ユミルは硬い頭をフル回転させて、何とかして話題の一つを零していく。
「不安は無いのか?エルフには」
「・・・本当、藪から棒ですね。・・・私は彼らに対しては、それほど不信感を抱いたりはしませんよ」
「・・・」
「人間と一緒ですから。種族こそ違いますけど、私達と同じように団結して、争って、奪い取る。だから大丈夫です」
「そ、それは大丈夫とは言わんぞ?」
「知ってます。でも、極度に信じないよりかはましですよ?そうなってしまっては、相手を滅ぼす以外の手段を取れませんから」
「・・・それは、そうだな」
垂れ目を細めて、ユミルは嘗て去来していた思いを想起し、鱗肌の友人の言葉を思い起こした。キーラはゆっくりとした口調で、たどたどしさを感じさせながら言う。
「人の良い所、悪い所を両方認める。個人同士でそれが出来るなら、その主体が大きな集団になっても出来る筈。組織同士であろうとも、民族同士であろうとも。今はそれだけで充分です。徒に不安を募らせるよりかは、それでいい」
「・・・俺も老いたもんだ。そんな柔な考えで良いなんて、もう思えなくなってしまった」
「では、ユミルさんもそれで通したら如何でしょうか?貴方は貴方なりにケイタクさんを守る。そして、仲間内だけでも協力し合って、無事に王都へ帰る。エルフは信用できなくても、私達やパウリナさんなら信じられるでしょう?」
「・・・出来るとも。・・・ああ、出来る。もう友を失うなど、絶対に認めんからな」
確かな口調で呟くユミルは、胸中にほんわかとした熱を感じた。それは決心の熱であろうか、己が紡いだ言葉をまるで鍛冶の如く精強なものへ変じさせる。その言葉が鎖となって足枷とならぬ事を祈るのが、理性から発された本心であろう。
ユミルは枕を直して頭を置き直す。キーラは窓辺を向いたまま身動ぎして、言った。
「・・・話し相手になってくれて、有難う御座います。お陰でちょっと眠たくなりました」
「俺もだ。では、明日に備えて寝るとしよう。お休み」
「はい、おやすみなさい」
先まで漂っていた俄かな緊張感は薄れ、気の許された空気が流れている。この調子であれば後数十分程で安眠に就けそうだと確信すると、ユミルは今度こそ沈黙を保って意識をクリアにする。寝る前は何も考えず、無に沈み込むのが彼の習慣であった。
階下に広がる静まりは寝息を伴う一方で、自室に篭っていたアリッサはそのような息を吐く事は無かった。久方ぶりの実家の自室で、久方ぶりの感じがする寝巻き。だが生じて当然である筈の郷愁や温かみが、不思議と感じられなかった。窓から見える北方の暗い森林と高い峰を見詰めると、古傷のように心が動揺するのだ。
その訳を解そうとグラスに注いだ水を飲んでいると、とんとんと、静かに部屋の扉が叩かれた。
「・・・・・・ケイタク殿か。入っていいぞ」
扉が開かれ、予想通り、慧卓が入り込んて来た。驚いた面持ちで言う。
「よく、分かりましたね」
「気配ですぐ分かった。どこか落ち着いていない感じだったからな」
「そ、それはその・・・お酒を飲んだからですよ、多分」
「すまないが、今後酒は自重してくれ。貴方と酒の組み合わせは、どうにも嫌な思い出しか作ってこないからな」
「す、すいません・・・」
手で催促されて、慧卓は椅子にゆっくりと座る。その妙に張り詰めた表情を見て、アリッサは尋ねる。
「話したい事でもあったか?」
「まぁ、その、気掛かりな事といえばそうですけど」
「・・・晩餐の時の話か?」
「・・・隠し事は、出来ませんよね・・・ええ、その通りです」
「・・・叔父の話は本当だ。虚飾で固めたくなるような事でも無い」
細目でそっとアリッサを見遣る。微かな笑み、口角を曲げる程度の小さなものを浮かべて、銀皿の上にグラスを置きながらアリッサは言う。
「幻滅したか?私は昔は御転婆を通り越して、暴走気味の少女だったんだ。危ない方向に進むのを好む、駄目な女。場所が場所なら牢獄に入っていた」
「でも格好良いですよ、アリッサさん。昔から剣が使えるなんて」
「ああ、型は一通り出来た。だが人を切った事など一度も無かった、騎士になるまではな。・・・叶うならば、人を切るような真似はしたくなかったのだが。・・・冗談だ、忘れろ」
らしからぬ発言に慧卓はそっと目を開き、不安げに窓辺の月光を見遣ると、足を組んだ。アリッサは寝台に仰向けとなって、頭の後ろに手を回した。
「私の人生は昔から決まっている。父上の教えが私の頭の中に何時も残っているんだ。騎士の生涯は剣に始まって、剣に終わる。騎士となった以上はそうでありたい」
「・・・それは、貴女の父君もそうだったから?」
「まぁ、な。昔はそうだったらしい。当時の事はほとんど聞かせてくれなかったが、それでも剣の腕は凄まじかった。ああいうのを、剣聖と呼ぶのだろうな」
「・・・水、飲んでもいいですか?」
「ああ。水差しはそこだ」
窓辺をぶっきらぼうに指差すアリッサ。慧卓はそこまで歩いていき、グラスに水を徐に注いでいく。銀の表面に透明の湖面が浮かび、それが半ばまで達すると注ぎを止めて一口煽る。身体の熱を冷ます味であった。
「夜は嫌いですか、アリッサさん。あの日の思い出が夜に刻まれたから」
「・・・礼を逸した詮索だぞ」
「失礼しました。でも気になりましたから。今日のアリッサさんは、何時も以上に感傷的になっていて、ちょっと不安です」
「・・・どんな不安だ?」
「俺の貞操喪失を防いでくれないと困るという不安」
「まさかそんな理由で此処に来たのか!?馬鹿か貴方は!!」
「・・・だってさぁ、アリッサさん。俺の隣の部屋にジョゼとリタさんが居るんだけど・・・その、分かるでしょ?心身成熟した男女が一つ屋根の下で同衾したら」
「まさか」
「うん、おっぱじめやがった。防音仕様って聞きましたけど、あれ嘘だったんですね。音がちょっと聞こえてきたら、パウリナさんもちょっと色気のある顔しだして・・・ねぇ?」
「・・・・・・その、なんだ。此処に泊まっていくか?」
「すいません、今日はお願いします」
慇懃に頭を垂れる慧卓の額には、心成しか苦心の汗が滲んでいるようにも見えて同情を誘う。一先ずの安心を得られたのか息を吐くと、とぼけたように彼は続ける。
「・・・ふぅ。何を話そうとしたんだっけ?」
「私の思い出について詮索しようとしたんだろっ?」
「そうでしたそうしでした。そんでですね、アリッサさん。俺がこんな事を言えた義理じゃありませんけど、あんまり気にしないほうがいいですよ」
「・・・聞いてやる、話せ」
「アリッサさんはですね、俺と似ているんです。生真面目で、規律というものを大事にする。昔に決めた事を絶対に曲げようとしない。うん、騎士として見習いたいくらいの誠実さです」
「そう言われる事もある」
「・・・でもこういう人って、一点だけどうしても直さなきゃならない特徴があるんですよ。一度経験した気持ちを何時までも持ち続け、時によってはそれを捻じ曲げてでも手放そうとしないっていう特徴が。前者の部分までなら大丈夫なのかもしれませんが、後者までいくと拙いですって」
「今の私がそうなっていると?」
「俺から見れば・・・いえ、寧ろ団の全員から見てもそうですね。アリッサさん自身はそういう事を考えたりはしないのですか?」
言葉の軽さとは裏腹に真面目さを強く出した表情である。装っているのかもしれないが、アリッサは信用の置ける人物をそこまで疑るような人間ではない。相手の言葉を素直に捉えて、瞑想に耽るように目を閉じた。
「・・・どうなんだろうな。少なくとも意識はしていないつもりだった。だが貴方達にそうと見られてしまうとなれば、心の奥底ではずっと気に掛けているのかもしれんな。もしかしたら、あのエルフを倒す事が出来たかもしれないと。もしかしたら、今の自分はあの時のまま成長していないのかと」
「あの、過剰な詮索かもしれませんけど・・・よければ、幼い頃の話を聞かせてもらってもいいですか?」
「・・・すまん、今はそういう気分にはなれん。とはいえ、機会があれば話してやるつもりだ」
「・・・そうですか。・・・俺こそすいませんでした、分かったような口を利いてしまって。これ、全部受け売りなんです」
「そうか。誰のだ?」
「・・・俺の学校の教師です」
「いい人だな、その人は。その人の教えは大切にしろよ」
アリッサはそう言うと瞼をすっと開いて、吸い込まれるような翠色の瞳を慧卓に向けた。
「話相手になってくれて感謝するぞ、ケイタク殿」
「お、俺、礼を言われるような事なんてしてませんよ?」
「気分だよ、気分。言いたくなったから言っただけだ。それに、精進がまだまだ足りないと改めて思っただけだ。・・・私は小さい頃から騎士なんだ。皆の前に立って、誰よりも先に剣を振るい、誰よりも勇敢にあるべき存在だ。過去の古傷に一々動揺するべき者ではない。なぁ、ケイタク殿?」
「・・・そうですね。その方が皆が安心するかもしれません」
「そうだろう?だから私は怯まないさ。エルフなど・・・ふん、畏るるに足らん奴等さ。我等の任務はきっと上手くいくぞ、ケイタク殿」
アリッサは自信げにそう言って胸中に一つの熱意を抱く。過去の古傷、宿敵の古巣何するものぞというものである。それを慧卓は浮かぬ表情で見遣る。彼の理想としては、アリッサに心地良い思いを抱かせながら彼女の過去のトラウマを消滅させるつもりであったのだ。此度の来訪がそれが主要因とも言える。
結果として彼女は思い出深き北嶺への来訪に、一層の気概を見せる事となった。それは喜ばしいともいえる。だが一方で一つの懸念を覚えるものでもあった。彼女の不敵な態度には一縷の油断のようなものが感じられなくもないのだ。過去の古傷を気にしてないように振る舞い、膨らみつつある艱難に正面にぶつかる。それによってどのような未来が生じるのか、それが果たして正と負、どちらの方向に傾いたものとなるのか。慧卓には全く予想のつかない事であり、現役の近衛騎士とは対照的な思いを抱かせる結果となった。
アリッサは欠伸を噛み殺して言う。
「さてと、そろそろ就寝するとしようか。・・・ああ、ケイタク殿」
「あ、はい?」
「床で寝ろ。この寝台は私のものだ」
「・・・椅子も駄目?」
「駄目だ、床で寝てくれ。毛布もやるから、こっちを向いて寝るなよ?」
「・・・これ、どういう趣向?」
ばさっと投げられる毛布を掴んで、慧卓は座り心地の良さそうな場所を探し、窓辺に背中を付けて座り込んだ。毛布に残る温かみに甘い香りがついてないかと鼻を埋めようとするも、部屋の主がジト目で睨んできそうな気配がしたために、慧卓は大人しく似非同衾の益に授かった。今宵限りで事が終わってくれたらいいなぁという淡い期待を抱きつつ、慧卓は固い床に就く。
だが一度ある事は二度あるというのが世の理である。翌日、再び慧卓はアリッサの部屋を訪れる。
「すんません、今日もいいですか?」
「床」
「はい」
慧卓は二日連続、硬い寝台に身を伏せる結果となった。流石に二夜連続してアリッサに質問を浴びせるような真似はしなかったが、毛布の薫りを嗅ごうとする真似は止められず、物理的な衝撃によって沈黙する羽目となったのであった。
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ぼぉっと、松明に明かりが燈る。闇に浮かぶ蛍のように次々と光が現れ、一本の細い石の通路を明るくさせて、一人の老人の容貌を現した。蛇の如く鋭い紅の視線を持ち、耳は俄かに尖り気味であった。
猜疑心に細められた瞳は松明から松明へと移ろう。明かりに照らされて、普通のものには着る資格のない、派手な装飾に彩られたロープがゆらゆらと揺れた。老人のその皺くちゃの手には、先端が鋭利に尖れた杖を携えられていた。老人は歩きながら杖を掲げて、その先から炎を出して壁に掛かる松明に光を与えていく。
やがて通路の最奥に辿り着くと、老人は正面に広がる石壁を見遣り、一つのタイルを掌で強く押す。ぎぎ、という音を出してタイルが壁に沈み込み、小さく揺れながら壁全体が上へと滑った。そして開かれたその空間には、二人の若い男が立っていた。
「・・・人払いは済ましてくれたかな、イル殿?」
「うむ。君と、そこのドワーフ以外は皆居ない。安心して探すといい」
老人はそう言うと、さっと踵を返して元の道を戻っていく。彼の後に従って若人二人、即ち、チェスターとアダンは静かに、それぞれ中がぎゅうぎゅう詰めとなった重たい袋を手に歩いていく。口を全く叩かずに三者は歩き続る。
やがて三者は一つの光を正面に捉え、その中へと入り込む。篝火に照らされる一方で陰鬱さを残した、古びれて埃が舞う、小さな書庫である。書棚やテーブルには巻物や本が無造作に置かれ、白い埃を被っていた。最近書き下ろされたであろう真新しいものや、かろうじて帯の色の見分けがつく程度のものまで、様々である。
二つの袋が床にどさっと落ちて、埃が煙のように舞う。チェスターは眉を顰めて、一方の棚を睨んだ。
「アダン殿、君はそっちの棚を頼む。適当なものをテーブルに置いてくれ」
「おい、俺は字が読めないぞ」
「なら・・・そうだな、帯が紫色のものだ。それと表紙かページに、義眼を填めた老人の絵が載っているものも、全てだ」
「わかった」
アダンは足早に棚に向かい、がさつに埃を払いながら本を選別していく。チェスターはテーブルの埃を息で払い除けて、余計な本や巻物を床に丁寧に置いて行く。そして空いた所に次々とアダンが選び抜いたものが乱雑に置かれ、再び埃を舞わせた。
その光景を眉を顰めながら見つつ、老人、イル=フードは好奇心と欲望から問いかけた。
「チェスター殿、聞いても宜しいかな?」
「何かな?」
「貴方が探している狂王の義眼・・・どのような価値が秘められていると?」
「・・・貴方が望むような力ではない、という事は確かだ。言葉巧みに大衆を扇動し、彼らの心を掴み取る。そんな力は私の知る限り、義眼にはない」
「・・・そうか、それは残念だ」
残念がるように呟くイルを無視して、チェスターはぺらぺらと茶褐色の頁を捲っていく。速読でありミミズのような文字であるが、教会で得た博識によってその解読は容易であった。アダンは既に退屈を覚えたのか、乱雑に本を投げながら言う。
「そんなに狂王の遺物ってのは大事なのかい、チェスター?」
「当然だ。教会に入った時、真っ先に教わったのが狂王の伝説だ。人の業と本質を徹底的に叩き込み、信者の思想を束縛するのが奴等のやり手だった。・・・もっとも狂王の伝説など、王の凄惨さばかりしか強調されなったからな。他に大事な部分があったとは、つい最近まで知らなかった」
「質問に答えろよー」
「・・・『セラム』の歴史上、最も強大で、最も残虐な王だ。彼個人に特別な力は無いが、彼が持つ三つの獣の道具は強大な力を誇ったと謂われている」
「伝説なのに、なんで分かるんだよ?」
「伝説ではない、史実だ。嘗て本当に存在していた王なのだ。文献にも載っている!」
「・・・今一信用ならないんだよなぁ、そういう作り話は特に」
ぶつぶつと言あうアダンを横目で睨むも、彼の愚痴も仕方の無い事であった。盗賊である以上教養があるとは必ずしも謂えず、ましてや彼が住むのは現ナマが物を言う世界である。古ぼけた本一冊の知識で彼の価値観が変わるとは到底思えなかったのが、チェスターの無礼な本心であった。
持っていた本をテーブルに置いて次の本を取る。流れるように文字の羅列を睨み、その意味を解していく。
「・・・・・・それに、どうやら義眼単独では効果を発揮しないようだな」
「へぇ、そうなのかよ?」
「そのようだ。文献を見るに、セットアイテムの一つと書かれている。おそらく三つの獣の道具の事だろう。義眼だけあっても駄目なようだ」
「それにしちゃぁ、随分とやばい見た目をしているな?人を狂わすような感じがしてくるぜ、こいつは」
アダンが遊ぶような手付きで、本を見開きのままチェスターに手渡す。赤く燃え盛る目が稲光を伴って、痩せ細った女性を鈍光の針山へと突き落とす絵図であり、チェスターは嫌悪の表情を浮かべた。
「・・・余り長い間見るものじゃないな。アダン殿、その巻物を」
「ああ」
代わりに手渡された巻物をばっと広げて読み進める。それは他のものと比較すると幾分か厚みのあるものであり、その端が床に落ちる頃となって、チェスターは目を細めて読み進める手を止めた。彼が見るのは、一人の老人の遺骸の絵であった。チェスターはその老人を、正確には老人の周りに描かれた物を食い入るように見詰めた。赤い義眼に、黒い杖、そして紫の首飾り。
「・・・これは義眼か?それに錫杖、首飾り・・・。もしや、この遺骸は狂王なのか?これらが揃えば・・・」
「錫杖?・・・ああ、ヴォレンドの錫杖の事かな?」
「ヴォレンド?なんの事かな、イル殿?」
「古代遺跡の事だ。ここから帝国領に向かって進み、白の峰を越えるのだ。そこに石造りの大きな遺跡がある」
「錫杖との関係は?」
「その赤い帯の本を見てほしい。我等が昔より語継ぐ、古い伝説だ」
チェスターはテーブルの端に乗っかっていたぼろぼろの薄い本を開く。劣化により頁が黄ばんでおり、紙の端が所々千切れたり皺くちゃとなっているが、幸いにも内容を理解するのに難を来す事は無い。昔話の如くもったいぶった長い文章であるが、チェスターは必要な部分のみ読了していった。
「伝説にちなんで、我等はそれをヴォレンドの錫杖と呼ぶのだ、チェスター殿」
「何て書いてあるんだよ?」
「・・・こう始まる。『王の末期を知る者少なく、語る者は尚少なし。王はヴォレンドに座し、魔の獣と親睦を結んで狂疾に身を窶し、多くの者の狂う様を観覧された』」
「一応聞くけどよ、教会で教わったのと違う内容か?」
「始まりは一緒だが・・・待て、ここからは違うな」
二・三の頁を捲ってからそう答えて、再びチェスターは語っていく。
「『王は親睦の証に左目を失くし、その瞳に紅の炎を集めた。瞳の光によって狂乱を好み、力を欲した王は更なる契約を結び、獣より黒い杖を授かり、宝飾に誘惑の呪いを篭めた。三つの力により王の治世は秩序に保ち、民草は生贄の祠に葬られた。
二十年の栄華の後、王は病に倒れ、石の台に身を伏した。そして臣下の者に、我が末期に相応しき生贄を捧げよと命じ、獣の像に杖を授けた。臣下は恐怖して王を屠り、石の都より民草を逃がし、自らも暗き峰に消えて行った。
誘惑の首飾りは臣下の一人が持ち去り、破壊の旅路へと赴いた。さりとて我は感ずる。王の呪いは未だ解けてはいないと』」
長々とした言葉は途切れ、どこか感動したような面持ちでチェスターは本の表紙を見詰めた。一方でアダンは話の内容をまじまじと聞き取り、露骨に眉を潜ませながら、真摯なまでに解答する。
「聞く限り、とんでもない王様だな、そいつは」
「そんな事はどうでもいい!これで確証が取れた。義眼と錫杖はまだヴォレンド遺跡にある!取り去られたのが首飾りだけというのが何よりの証拠!」
「・・・大丈夫か、チェスター?そいつはただの伝説だぜ?」
「何を聞いているんだ、アダン殿?私は常に正常で本気だ!!私はずっとこれを追い求めていたのだぞ?ははっ、三者の内二つが揃えば、不完全とはいえ強力な力を行使する事が出来よう!そうなれば、王国は・・・」
「滅ぶ、か?」
「変わるんだ、イル殿!王には三つの獣の道具を制御出来なかったようだが、私は違う!改革の心を持つ私がたかが道具の二つや三つ如きに屈する筈がない!!」
演説を打ちながら見開かれたチェスターの目に写る一種の狂的な光。イルは一つ思う。ひょっとしたら他者から見たら演説中の己もあのような姿と見えてしまっているのではないかと。而してそれを肯定しては以後の政治活動に拭う事の出来ない疑問符がついてしまうため、その感想は直ぐに立ち消えとなった。
アダンは散々に話を聞かされては居るものの、如何にも信用がならぬ様子であり、一つ頸を捻ってからイルに尋ねた。
「おい、今のはマジ話なんだろうな?」
「あ、ああ。一応数百年前の実話であるらしいと、祖母より教わったのだが・・・」
「ちっ、語り継いだだけじゃ論証にもなっていねぇ。物証ってのが欲しいね」
「だから私は知らんぞ?こんな与太話、金があると聞かなければそもそも協力など・・・」
「あ''ァっ?」
荒げた反応にイルは一瞬怯え、すぐさま視線を外した。アダンはそれに小さく溜息を吐いていると、チェスターは今にも待ちきれないとばかりにイルに問う。
「イル殿、遺跡にはどうやって行ける?今直ぐにでも行きたいのだが」
「・・・北西の山道から、白の峰を越えれば行ける。だが今は駄目だ」
「何故かな?」
「・・・行きの途中に大きな川がある。水深もあって幅が大きい。橋を架けるよりも凍るのを待つ方が安上がりで、安全だろう。行けるとするならば三ヶ月後、降霜の月だ。
・・・余談だがな、行きだけで一月は掛かるぞ。北の風土に慣れていない上に霊峰を越えようとするなど、自殺行為だ」
俄かな優越心を滲ませながらイルは言う。自らの風土を誇るエルフらしい発言である。チェスターはそれを分かり切っているかのように鼻を鳴らし、床に落ちている二つの袋をテーブルに置いた、中身をぶちまけた。燦燦とした金の光沢を放つ、大量の金貨が其処に転がり、床にばらばらと落ちていった。暗い部屋の中で篝火に照らされた金貨は、一縷の儚さを伴って輝く。
「10万モルガンだ。先行投資だと思って、有用に活用して欲しい」
「・・・どうやってこんな大金を?」
「態々聞くのかな、そういうのを?」
「・・・・・・いや、有り難く受け取ろう」
小さな動揺を覆い隠して、イルは金貨の一枚を摘み上げた。古の知識を集積した部屋の中においては、いたく無粋な冷たさと重みであった。チェスターは鋭く言う。
「分かっているね、イル殿?貴方の理想も素晴らしきものであるがな、我等の安全が第一に優先されるべきなのだ」
「・・・道の舗装と地形の調査、獣の討伐に優先して資金を当てよう」
「それで良い。浮いた金は貴方の自由に任せるよ」
「そうか。ではこれで失礼する」
金貨をテーブルに戻しながらイルは通路の方へと消えていく。一室に残されたチェスターは、軽い笑みを浮かべてアダンに言う。
「感謝するぞ、アダン殿。貴方が居なければ教会の金庫からあれだけの大金をせしめるなど出来なかった」
「まぁ、それが本業だからな」
当然とばかりに気取らぬ態度で答え、アダンは再び本を開く。女が針山に突き落とされる絵図である。それは二度見て始めてその繊細な表情が理解できるものであった。女の悲嘆に暮れた顔と、赤い瞳の柔らかな色合いが。周囲に描かれた地獄絵図と比較して、その二つだけが浮ついているように見える。
(・・・わかんねぇなぁ、絵画なんてよ)
アダンは本をぱんと閉じて、本棚に仕舞う。淡い紫の帯は埃を巻き込みながら隣の本へと倒れ掛かり、身体を斜めにしたまま微動だにしなくなった。そして二つの足音が遠ざかって行き、篝火の炎がぼぉっと消え、書庫に再び暗闇が訪れた。
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