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王道を走れば:幻想にて

作者:Duegion
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幕間+コーデリア:王女のワルツ



 ある晴れた昼下がり。華やかな宮廷の庭先にはこの季節に満開となる、色とりどりの花が咲いていた。それぞれの魅力を品よく、しかし決して一つの花だけを際立たせないよう互いに尊重し合うように美しさを誇っていた。宮廷の庭師が丹精込めた庭園は貴族たちの肥えた瞳を和ませるに充分なほど秀麗であり、それに魅せられるのは何も貴族だけでなく、使用人達も愛おしく感じていたのであった。
 温かな木漏れ日が差しこむテラスで、一人の老人がデッキチェアに座っていた。海千山千の政治を乗り越えた皺が今は心を安らげるように伸ばされている。マイン王国国王、ニムル=サリヴァンは優しい日差しの中で瞼を閉じていた。ふと、そこに一人の美しい少女が現れる。少女は慎ましき動作で、国王の近くにあるデッキに紅茶を置いた。

「・・・お父様。紅茶を入れて参りました」
「おお・・・すまぬな、コーデリア。私が無理を言ったばかりに、そなたを侍女であるかのように使ってしまった。許してくれ」
「いいえ。陛下のためですから。なぜ無理となりましょうか」

 少女、コーデリア=マイン第三王女は、慈愛に満ちた微笑を浮かべて言葉を返した。国王は紅茶をゆっくりと味わうように飲む。仄かなレモンの薫りがする、実にコーデリアらしい優しい味わいであり、国王は満足げに小さく首肯した。
 今日は久方ぶりの親娘水入らずの穏やかな休日である。政務に勤しむ日々とは違って、二人を邪魔する者は何処にもいない。国王、ニムルは普段は人に見せない、朝日に揺れる木葉のような穏やかな雰囲気を纏っていた。これこそが彼の生来の姿であった。何事にもまともに反応せず、ただ重苦しい雰囲気を出すだけの国王としての姿は仮初のものである。娘と二人きりとなってしまえば御覧の通りの、一人の好々爺となるのであった。
 ニムルは紅茶の薫りを愉しみながら尋ねる。

「時に、コーデリアよ」
「はい、何でしょうか、お父様」
「そなたは次の『キャロル』はどうするのだ?何をするのか決まっているのか?」

 キャロル。その言葉を聞いてコーデリアの愁眉がぴくりと反応した。父は娘の心の機微を理解しつつも、それに言及する事は無かった。
 ニムルが口にした『キャロル』とは、秋に入った頃に宮廷で行われる催事の一つである。教会が成立した日と成人の儀式が同時期に重なっていた事から、これらを一時に祝うために行われるようになった催しであり、その歴史は少なくとも二百年近くはある。催しが行われていた当初は厳粛な決まりがあったようだが今ではそれも緩いものとなり、専ら若者達の社交界への参入を迎えるための、一種の披露宴となっている。
 コーデリアが反応したのは、そのキャロルにおける慣習が原因であった。若者らは社交界に入るために、お披露目として何らかの芸を行わねばならない。それは歌であり、楽器の演奏であり、そして舞踊であった。しかしコーデリアは情けない事に、どれ一つとして得意としていないのである。

「いえ、まだ何をするのかは決めておりません」
「ふむ。先日、ミシェラン侯爵と話した時にな、あやつの娘は踊りでは無く、聖歌を歌う事にしたそうだ。そなたがもし踊りが嫌だというのなら、私が一声掛けて、そなたを聖歌隊の旗手とさせよう。そなたの歌声はとても安らかで美しいものだ。誰しもがそなたに魅了されるであろう」
「そんな、聖歌隊だなんて・・・。申し訳ありませんが陛下、私は聖歌隊に入る気は御座いません」
「そうか。では音楽隊の指揮者とさせよう。左手でリズムを取り、右手で皆の音を導くのだ。何が流れるかを知っていれば、さほど難しいものではないだろう」
「・・・いえ、お父様。私は音楽隊にも入りたくありません」

 ニムルは一瞬紅茶を飲もうとした手を止めて、再びそれを口に含んでからコーデリアに告げる。それはどこか叱責するような声であった。

「コーデリア。キャロルに参加する若き貴族は皆、歌か、踊りか、楽器か、どれかを選ばねばならん。それは王族も例外ではない。私も若い頃はリュートを奏で、そなたの姉君も歌を歌った。若干音痴だったがな。
 どれも選ばぬ貴族というのは、祭典を盛り下げるだけではなく、貴族としての恥を晒すと同じだ。確かに、そなたは今まで歌も踊りも楽器も得意ではない。だからといってどれも選ばないというのは、認められんのだ」
「・・・分かってはいます。ただ・・・」
「・・・あの若者が居ないのが寂しい、か」
「っ!!」

 図星を指されたか、コーデリアは分かりやすいまでに肩を震わせる。その若々しくも、政界には向いていないだろう返し方にニムルは微苦笑を浮かべる。
 詰まる所こういう事だ。どんな芸を披露するにせよ、一番それを見せたいであろう人が宮廷に居ない事が、彼女のやる気を下げているのである。その人物は既にニムルの知る所であり、だからこそ追求は避けたのだ。若い者の恋路を老人が邪魔する等、邪道であり、無粋である。老人が出来る事と言えば、若者が逆上しないよう可能な限り穏やかに、そして耳を傾けるよう親身になって助言をする事であった。

「コーデリア。恋を患う事は、悪いとは言わん。そなたも年頃だ。若い男を好きになる事もあるだろう。だが時には恋の視点から離れる事も肝要だ。周りをよく見て、自分がどんな人間なのかを知りなさい。そうすれば自ずと道は開ける筈だ。
 ・・・これは私の言葉ではないがな、コーデリア。『汝、人を愛せよ。されど隣人の友誼を忘れるべからず』。どれだけ人を愛していようと構わない。その人自身の想いがあり、愛があるのだから。だがそれを想うあまり自分を見落としてはならん。自分の価値を貶めてはならん。そなたを想う者は、そなたが思う以上に居るのだから」
「・・・それは、誰の言葉ですか?」
「そなたの姉君の言葉だ。ちょうど、そなたと同じ歳に言ったよ」

 コーデリアは息を詰まらせて、複雑な表情で庭園の花を見る。見事に咲く一輪の花は、昔日に彼女の姉が愛した赤紫の花弁を湛えていた。
 ニムルは娘の横顔に、姉に対する反抗心、そして羨望を感じ取る。多感な時期なのだろう、姉を持ち出すだけで彼女はこうも反応し、心を揺り動かす。ニムルは娘の横顔に、今は亡き愛する妻のそれに似たものを見ながら静かに告げた。

「あまり気負わぬ事だ。そなたはまだ若い。よく悩んで、後に悔む事のないように、よく生きなさい。私は悔いた事が無い。そなたの姉を帝国に嫁がせた事も。そなたをこの国で育てた事も」

 その言葉を機として、コーデリアとニムルの間に静謐が生まれた。秋の和やかな風に当てられて二人のさらさらとした髪が靡く。小鳥が枝に留まって、ちうちうと鳴きながら毛繕いを始めた。
 ニムルがゆっくりと紅茶を啜った後、コーデリアは決心したように言う。

「お父様。今度のキャロルですが、私は踊りを披露させていただきます」
「・・・そうか。よく決心してくれた。しかし大丈夫か?昔ブランチャードの娘が教えてくれたとはいえ・・・」
「ええ。彼女にはよくしていただきました。でも心配だと仰りたいのでしょう?大丈夫です。知り合いに当たって、協力してくれるよう頼んでみますから」
「・・・そうか。それならば心配は要らんな。・・・紅茶を有難う、コーデリア。そなたと話が出来て良かった」
「お父様のためですから」

 ニムルはソーサーにカップを置く。黄金色の湖面が全て嚥下されたことを知ると、コーデリアは満足そうに笑みを浮かべた。めきめきと上がる茶の腕前と同じように、踊りも上手くなればいいなと、彼女は思った。



ーーー二日後、正午過ぎーーー



 宮廷のとある一室にて、リズムを取った手拍子が響いていた。それに合わせて二人の少女が、互いに手を取り合って足を運んでいる。片や流麗な舞を目指そうとして四苦八苦するコーデリアと、相手が転ばぬように巧みにリードする貴族の令嬢、シンシア=ロックウェルであった。傍にはシンシアの良き友人である、ユラ=ミシェラン、オレリア=デュジャルダンの姿があり、二人とも真剣な眼差しをしながら踊りを見詰めていた。

「王女様、もっと肩の力を抜いて下さい。輪を描くようにするのです。一歩一歩を確実に。どんなに遅くても良いですから」
「は、はい、オレリアさん」
「シンシアさん、あなたもう少しペースを落としなさいな。王女様に無理を押し付けては駄目ですわよ?」
「もう、あなたにだけは言われたくはないわ、ユラさん。さぁ、王女様。もう少しで終わりですわよ」

 コーデリアは気を引き締め直し、細心の注意を払うかのように足を運んでいく。その初々しい所作にシンシアは微笑ましいものを感じながら、決して相手を動揺させないような優しい雰囲気で、踊りのフィナーレへと彼女を誘っていく。

「1,2の、3・・・」

 二人手を繋いだまま身体を離し、反対の手を大きく上手へと掲げる。シンシアがひょいと手を引っ張ると、コーデリアはくるりと回転しながら彼女の胸の中へと納まった。手拍子も最後の一泊を境にして打つたれなくなった。互いの足を踏む事も無く、舞踊は無事に終幕を迎えた。
 コーデリアは少し荒げた息でシンシアから離れる。慣れぬ踊りのせいで足の裏を痛めてしまったようで、少々歩き難そうにしていた。シンシアがすぐにそれを察する。

「一端ここで休憩と致しましょう。長くやってしまうと、足に豆が出来てしまいますわ」
「分かりました。・・・ああ、有難う。タオルを渡してくれて」
「いえ。王女様のためですから」

 オレリアの気遣いに礼を述べて、コーデリアは椅子に座り込んで顔や首の汗を拭いていく。疲弊を露わにする自身とは対照的に、シンシアは汗一つ掻かず自然体のまま呼吸を落ち着けていた。やはり、貴族の令嬢たるものはどこでも優雅でいなければならないのか。自分もその一人であるのに全くそれを熟せていない。経験による差をまざまざと見せつけられるようで、コーデリアは自分の努力の怠りを痛感した。
 気さくな友人らを頼っての舞踊の練習は、一先ずの休息を迎えていた。コーデリアは友人らに向けて穏やかな笑みを向けた。

「今日は手伝ってくれてありがとう、シンシアさん、ユラさん、オレリアさん。あなた方の御蔭でとても気を楽にして練習が出来ます。声を掛けてみて良かった」
「お褒めの御言葉、大変恐縮です。私共は王女様の一助になれた事を誇りに思いますわ。ねぇ、オレリアさん?」
「はい。王女様の踊りが更に麗しく、美しくなるかと思いますと、手助けせずにはいられませんでしたの」

 ユラとオレリアの言葉を受けて、コーデリアはくすりと照れた笑みを漏らす。シンシアはコーデリアの傍によると、その足をじっと見下ろす。

「・・・少々、足が強張っておりますね。休憩の時間を伸ばして、足の様子を見ましょう。大丈夫なようでしたら再開いたします」
「ありがとう、シンシアさん」
「ふふ。キャロルの際にでもフォロー致しますよ。ユラさんは歌を、オレリアさんはリュートを選ばれましたから、当日直接手助けできるのは私だけですもの」
「その分、責任も重大ですわね」
「ええ、そうね。でもオレリアさん、あなたも責任重大よ。何せキャロルの踊りはあなた達、弦楽隊のリードに合わせて始まるのだから。緊張して弦を切ったりしないようにね」

 年齢や家の爵位に関係なく軽口を叩く姿は仲の良さを窺わせており、それでいて互いの意思に踏みこみ過ぎず、それを尊重し合う様はまさに友誼の鑑ともいっていいだろう。コーデリアは図らずも父親の言葉を思い出した。いや、正確には偉大な姉君の、『友誼を忘れるなかれ』という言葉を。彼女等のようにありのままの自分を、社会や家庭に囚われない本当の自分を見せる事が、どれ程素晴らしい事か。
 今、こうやって踊りの稽古と表して彼女等を呼び出しているが、それは過去の自分と比べれば考えられぬ程に積極性のある行為であった。爵位を翳してしまって彼女等を遠慮させてしまうのではないか。もしかしたら、変に気苦労をかけてしまうのではないか。そんな不安を抱いてきたのだが、いざ実際に交流を深めると、そんな不安など瑣末なもの以外の何物でもないと確信できた。『もっと早くに声を掛ければ。自分に自信を持っていたら』と考えてしまうのは、無理のない事とはいえ、少々情けなく思えてしまうのであった。

「それで、踊りの相手はどうするのです、王女様?キャロルで踊る方は、皆ペアが誰か決まっていなければなりません。男性なら女性が、女性なら男性が相手となる筈ですが」
「王女様が、ケイタク様に想い焦がれているのは存じております。あんな激しい逢瀬を交わされたのですから・・・。ですが、キャロルの時は別の相手を探さなければなりません。あの方は今、大事な任務のために北方へ行かれたのです。呼び戻す事など出来ません」

 ユラとオレリアの指摘を受けて、コーデリアは鷹揚に頷く。それはまるで、『心配をするな』といわんばかりの余裕さをもったものであり、ユラは訝しげに首を捻った。

「誰か、当てがあるのですか?王女様が殿方の誰かと仲を親しくされているという噂は、聞いた事が無いのですが」
「・・・確かに、私はケイタクさん以外に親しい男性はそれほど多くはありません。クマミ様はそもそもキャロルには出席されませんし、執政長官も一応親しい部類には入りますが、私から誘うなど畏れ多くてできません。・・・ですが一人当てがあるとするなら」
「どなたです?」
「・・・女性なんです。ですが貴族階級の枠に入りますし、その方は男装が似合うような凛々しさをお持ちでいらっしゃいます」
「女性、ですか・・・?それはどなたでしょうか・・・」

 どうやら、その者が男装をするという点には疑問は抱かないらしい。もしかしたら割と受け入れられている対策なのかもしれない。
 その時、とんとんと部屋の戸が叩かれる。戸を開いて凛々し入って来たのは、赤髪のサイドポニーが特徴の、近衛騎士トニアであった。

「王女様。御呼びに預かり、トニア、参上致しました」
「あの方がそうです」
『・・・嗚呼、似合う』
「?」

 異口同音の言葉に、トニアは解せぬといわんばかりに疑問符を浮かべた。その当然の反応にコーデリアは可笑しくなって吹いてしまい、トニアにここに招いた理由を説明した。それを告げられたトニアの表情はまさしく、鳩に豆鉄砲を食らわせたような呆けたものであり、令嬢らは堪らないように笑みを零したのであった。



ーーーキャロル、当日ーーー



 この日、宮廷の大広間には絢爛としながらも温かなムードが漂っていた。それは我が子の成長を見守る親達の眼差しから、そして王国の期待の星を認める大人達の笑みから顕著に窺える。壇上の高みに座す国王、ニムル=サリヴァンは、眼下に肩を並べて美しい歌声を披露する聖歌隊を見詰めていた。豊かな生活を送っているためか健康優良な美男美女がそろい踏みであり、緊張で顔に紅が差しているのが若々しさを際立たせる。この後に舞踊を控えているためか、司祭や修道女のような格式ばった衣装ではなく、貴族らしい礼服とドレスを召していた。
 会場の反応を見るに、聖歌隊の歌は満足できるものであったらしい。聖歌隊の旗手であるユラ=ミシェランはその事に一先ず満足しつつも、気を引き締めて皆をリードしていく。彼女等が歌っているのは神言教の聖歌の一つである『主神の慈悲』というもので、曲調はありきたりなグレゴリオ聖歌である。パイプオルガンの代わりにリュート弾きがメロディーを奏で、その大任を全うするのはオレリア=デュジャルダンであった。踊りや歌といったジャンルに比べて楽器の演奏というのは若者には難しいらしく、実際に弦楽隊自体も他の隊より数が二倍ほど少ない。にも関わらず歌声に負けぬほど美しさと神聖さを合わせた音を奏でられるのは、偏にオレリアの類稀な一芸によるものであり、それが歌と合わさり、大広間には美しいハーモニーが響き渡っていた。
 彼女等が晴れ舞台に見事な花を咲かせる一方で、大扉の前に控えている舞踊組は一様に緊張した面持ちであった。踊りは貴族にとって当然の嗜み。ゆえに、どの組よりも厳しい視線で見られるのは必定であると彼らは考えていたのだ。仮にそうでなくとも国王や貴族らが一堂に会する場に出るのは緊張して当然の事であった。互いに衣装の確認をしたり、そわそわとしてきょろきょろと辺りを見る様は微笑ましいもので、衛兵はそれを見て自らの若さ溢れる時代を思い起こしていた。
 一方で、例外もまた存在している。普段から踊り慣れている者達にとって、或は爵位持ちの貴族と接する事が多い者達にとっては大した気苦労に放っていないようである。それは舞踊隊の先頭に立っている、コーデリアとトニアのペアであった。

「あの、王女様・・・このような事をする必要があるのでしょうか?」
「そうしなければ駄目なんです。私が知りもしない、今日初めて会うであろうどこかの貴族の息子と、手を取って身体を近づけて、会場の真ん中で踊る姿を見たいのですか?」
「そのような不快なものは見たくはありませんが・・・いや、今のはコーデリア様を責めたわけではありませんよ?ただその貴族の男とやらにむかついただけで・・・」
「はいはい、分かりましたから。そんなに焦っては駄目ですよ、トニア」

 不承不承といった感じにトニアは改めて己の衣装を見遣る。見事なまでの白く清らかな、男性用の礼服であった。さらしを巻いている御蔭で人から違和感を持たれない程度の体躯となり、自慢の赤髪はオールバックに纏められている。また、王女付の侍従による華麗な手さばきにより中性的な顔付となる化粧を施され、今のトニアは魅惑の男子ともいうべき存在となっていた。

「ここまでする必要があります?化粧だってした事も無いのに」
「あら?意外とそういうのには疎いのですね、トニア。私よりも経験が豊富な気がしていたのですが」
「それは間違いです!私なんて、従騎士の時に同じ従騎士の男に片思いしたくらいですよ。一回だけです、他人を本気で好きになったのは」
「そうなのですか・・・その方とは上手くいったのですか?」
「告白はしたのですが、その人、ホモでして・・・」
「おぅ・・・」

 居た堪れない返しをしたコーデリアの衣装もかなりのものだ。さすがは王族とだけあって誰よりも清楚で、美麗な衣装である。髪の色と同調する淡い青色のドレスは宛ら海の妖精の雰囲気を醸しており、コーデリアの慈悲深いイメージを向上させるものである。加えて背中が開いているために女性としての魅力も失わせておらず、伸縮性のあるスカートは踊りの妨げになる事も無さそうだ。トニアは相方の外見を観察し、その可憐さは他の貴族よりも頭一つ抜き出ているものだと確信する。
 大扉の向こうから聞こえてくる女性の歌声に、コーデリアは暫し聞き惚れた様子であった。歌は今、終盤に向かうソロパートに入っており、聖歌隊の旗手がその部分を美しく仕上げていた。

「綺麗な歌声ですね・・・流石は歴代最年少で聖歌隊の旗手になっただけある・・・。歌が終わりましたら、いよいよ私達の出番です。準備はいいですか、トニア?・・・いえ、『トニー』?」
「・・・はい、覚悟を決めました。今宵に限り、私は女を捨て、凛々しき一人の男子となります」
「その意気です!」

 歌がフィナーレへと入る。神聖さを損なわせない静かなパートで、リュートも自らを抑えて奏でられる。最後はリュートの音が消えて、その後男女の斉唱が二度続き、歌は終わりを告げた。気品のある拍手が鳴り響いて彼らを湛え、人々のざわめきが戻っていく。
 それらが落ち着かんとした時、執政長官の声が舞踊隊の下へと届いた。

『続きましては、舞踊隊によるワルツで御座います。皆様、大扉の方を御覧ください』
「行きましょう!」

 衛兵が扉を開けて、コーデリアを先導として若者らは歩いていく。ペア同士、近い方の手を取り合う形だ。道を作る貴族らの間を通り、中央にあえて作られた空間へと向かう。天井に吊るされたシャンデリアは美しい火を燈し、壁に掛けられた燭台は一縷の優しさを与えてくれる。赤い大輪を咲かせる観葉植物はまさに貴族趣味といったもので、それに群がるように貴族の御婦人方が集っていた。それらの何れもが商家から嫁いできた者達であったのには苦笑せざるを得なかったが。
 早速、居並ぶ貴族らが、王女らの衣装について評価を始めているようであった。聞く限り、全てが好意的なものであった。

『流石は王女だ。天晴れと言わざるを得んな』
『ええ、本当に。女の私から見ても羨ましく思える程の美しさ。亡き女王陛下によく似ていらっしゃる』
『連れ添っているのは知らん顔だな。赤髪の騎士とは・・・お前は見た事があるか?』
『無いな。私の部下は皆黒か茶だ。赤はおらん』
『凛々しい御方ですわね。貴族の中でもあまり見ない感じの方ですわ・・・私、あの美男子に今度声を掛けてみます』

 コーデリアは可笑しな思いを抱かざるを得なくなり、『トニー』に囁く。

「聞きました?美男子ですって」
「そんなに嬉しそうに言わないで下さいよ、王女様」

 『トニー』は凛々しさを失わせぬ表情で、諦めきったように小声で返す。女を捨てるとかいいながら未練たっぷりなのがまた、面白く感じてしまう。
 中央の空間へと進むと、若者らはそれぞれのペアに別れて間隔を開ける。それを見た執政長官が、弦楽隊の首席奏者であるオレリアに頷く。彼女はそれを受け取ると、傍にいる仲間等に合図を送らんとした。いよいよ舞踊の本番である。

「それでは、お手柔らかにお願いします、トニー様」
「精一杯、御相手を務めさせていただきます、王女殿下」

 低い三拍子を始まりとしながら、弦楽隊は新たに打楽器を加えて音楽を奏でていく。優美なワルツの時間である。弦が一斉に鳴らされるのに合わせて、若々しい紳士一同が礼をして、その手を恭しく女性が取った。両者は互いの手を握って腰を優しく抱くと、ワルツの代名詞ともいうべき円を描くようなステップを踏みながら、華麗に舞踊を披露していく。 
 宮廷で行われるワルツは当り前な話であるが、農民達がやる猪がどつき合うかの如き激しいものではない。ひたすらに貴族としての素晴らしさを追求せんかの如き、上品な舞踊である。聴衆の目を愉しませるように、舞踊者全体で大きく、時計回りに円を描くように動いていく。靴の音がやたらと響くのは無作法であるため、弦楽隊はここぞとばかりに弦を強く弾いていた。転調がほとんど無いのに退屈が来ないのは、典雅な音楽と温かな舞台が見事に調和しているからだ。余談だが、ワルツの作曲者には金貨数十枚が恵まれてもいいだろうと、レイモンドは本気で考えていた。
 さて、このワルツであるが、流石に一辺倒な動きだけはつまらない。そこで身体が温まってくる段階に入ると、舞踊がスピードを上げたり回転を早めたりする事がある。その上、男性の手の内で回転しながら他の舞踊者と交錯したり、逆時計回りに円を展開したりと大忙しだ。それまでの静穏な様とは一変するがゆえにミスが出やすい場所であった。かくいうコーデリアもここを不得手としており、ステップが一歩か二歩、余計に多くなってしまい、全体のリズムがずれるような感覚に陥らんとしていた。そこへ救いの声を掛けたのは、近くを通りかかったシンシアであった。

「王女様。ペースが上がっておいでですよ。もう少しリラックスを」
「・・・そうでしたか。気遣いを有難う、シンシア」
「ふふ。とてもハンサムな方ですわね。後で一曲、私と踊っていただきたい程ですわ、トニー様?」
「うぐぐっ・・・」

 離れていく彼女の背を、『トニー』ならぬトニアは、光栄であるのか恥ずかしいのか何だかよく分からぬ表情で見送っていた。その顔を、歌を終えて待機していたユラは確りと見詰めていた。

「トニア様・・・あんなに複雑そうな顔をしなくてもいいのに」
「トニア?それは一体誰の事だい?」
「何でもありません事よ。それよりも御覧になって。私の友人の優雅な踊りを・・・」

 ユラが友人と話す一方で、コーデリアはペアの表情のしこりに気付き、それを諌めんと『彼』の肩口で囁いた。

「ほらトニー。顔が引き攣っていますよ。緊張されてはいけません」
「・・・王女様。これも一つの修行なのでしょうか。女装をして舞踊を披露し、これがばれぬよう仮面を飾り続けるのは」
「ええ。騎士としての誉れ高き修行です。精神を鍛え、より凛々しく、より華麗な騎士となるための、一つの登竜門ですわ」
「・・・分かりました。もう私は、迷いません」

 開き直るまでに随分と時間がかかったものだ。コーデリアは相方の成長を喜ばしく感じながら、ドレスのレースを持ってたおやかに足を運んでいく。
 王座にて若者らを感慨深く見守っていた国王に、冷厳な執政長官であるレイモンドは囁く。こんな華やかな場所であるのに、彼の視線は戦場の軍師のごとく冷え込み、王女を(つつが)なくリードする若者へと注がれていた。

「あの赤髪の青年、見事に王女殿下をリードしておりますな。足運びに全く澱みがない・・・隙が無い、といった方が正確でしょうか。陛下、あの若者については御存知ですか?」
「おや。そなたは分からぬのか、レイモンド」
「はっ・・・いかんせん、初めて見る顔ですので。どこかの家の新しい養子か何かかもしれませんゆえ、後で調べようと考えておるのですが」
「ふむ。そなたもまだまだ青いな」
「は?・・・陛下は御存知で?」
「さて、どうであろうな。何はともあれ、ほれ、我が愛しき娘の晴れ姿を愉しもうではないか」

 抑揚のない言葉にレイモンドはどうする事も出来ず、やや困惑げに会場へと目を戻した。国王は春の陽射しのような温かな眼差しで、男役に抱かれながら軽く宙へと跳躍した、娘の美しい笑みを見ていた。

「良き顔をしておるではないか、コーデリア。それでこそ王女であるぞ」

 ワルツは終局へと向かう。見せ場の一つが近付きつつあった。舞踊者はそれぞれ、馬の蹄のようにパカパカと靴を鳴らしながら左右へと別れると、踊りながら舞踊者全員で大きなL字を描くように並び立ち、そのまま中央に向かって進出する。難しいのは此処だ。円を描くステップを踏みながら幾つものペアと交錯しなければならないのである。勿論、全員の動きに調和が取れている状態でだ。
 弦楽の盛り上がりに合わせて、舞踊者は身体を運んでいく。交錯する際には僅か数センチの距離まで接近するため、足を踏まないか、レースを踏んだりしないかが一番心配な所だ。しかし幸運の女神が味方をしたか、全員が無事に交錯を終了し、大広間には拍手喝采が鳴り響いた。ここさえ抜ければ後は楽なものだと、コーデリアは胸を撫で下ろす。
 最高潮へと向かう音楽に心が湧きたち、舞踊隊は再び大きな円を作っていく。そして最後に凛と広まる弦に合わせて、観衆の方へと向きながらぴたりと足を止める。走り気味だった拍手に重なるように、大勢の人々が手を鳴らしていく。舞踊は無事に成功したようであった。一礼をしても拍手は止まず、改めて一礼する事となってしまった。

「・・・トニー、今日は有難う。御蔭で愉しき踊りとなりました」
「殿下のためとあれば、私は全てを捧ぐ心算であります。何卒、どうぞこれからも私めを御信頼いただければ、騎士としてこれ以上の誉れは御座いません」
「・・・あなたの覚悟を受け取りました。では早速、あなたの信頼をお借りさせていただきます」
「はっ。いかようにも」

 従順な返事にコーデリアは悪戯げな笑みを浮かべ、とある方と見遣る。そこには、明らかに『トニー』に熱い視線を送る令嬢ら、そして何故か夫人の幾人かがいたのであった。『トニー』は思わず頬を引き攣らせる。
 本日のキャロルのメインイベントは終了したが、しかしキャロル自体は終了では無い。華々しい社交界はこれからが本番だといわんばかりに、参加者自由の大舞踏会を展開していくのである。コーデリアの行動は明らかにそれを回避するための行動であった。

「あなたに熱を上げておられる方がいらっしゃるようなので、その方の御相手をお願い致します。私はお父様の下へと参りますので」
「ね、熱を上げて・・・?あ、あの、王女様。いかに私と言えどさすがにこんなに沢山は・・・」
『トニー様っ』「うわっ・・・」

 背後から聞こえる白熱した様相にくすりとしながら、コーデリアは物怖じせずに父君の下へと向かう。王座の前に立つと、彼女は恭しく礼をした。

「陛下、レイモンド様、御機嫌うるわしゅう」
「見事な踊りであったぞ、コーデリア」
「有難うございます、お父様。これもお父様が私に助言をして下さった御蔭ですわ」
「はてさて、私は何を申したかな。最近はよく老いを感じてな、どのような事を言ったか、細部まで覚えておらんのだ」
「お父様が覚えておられなくても、私は覚えております。あの言葉の御蔭で、私は想い人だけでなく、よき隣人を愛する事が出来ました。これからもそうあっていきたいと強く感じております」
「そうか。ならば重畳。・・・どれ、コーデリア。今宵は少し身体が軽い。私と一曲、踊ってくれんかな?」
「へ、陛下!?」

 キャラに似合わぬ素っ頓狂な声をレイモンドは出す。あまりに意外過ぎたのか声が上擦りかけていた。
 コーデリアも同様に目を見開いていたが、すぐに柔らかな笑みを取り戻して礼をした。

「喜んでお相手を務めさせていただきます、陛下。さぁ、私の手を」
「うむ」

 国王が玉座から下りて舞踊へと参加する。人々はそれに喝采を送りながら温かく迎え、そして再び優美なワルツを送り始めた。
 レイモンドは信じられぬ思いで国王を見詰める。政務の時も大山のようにじっとしているあの御方が、今日はその堅苦しさをどこへ吹っ飛ばしたのか、実に軽快なステップを踏んで娘と踊っていた。他のどの者達よりも繊細で、美しい踊りであった。その皺の入った口元には親しき者にしか気付けないだろう、小さな微笑みを浮かんでいた。

「これは、読み間違えた。まさか陛下があのような事をされるとは・・・」

 戸惑いげに零しながらレイモンドはもしやという気持ちを抱かずにはいられない。あの陛下でさえ今日は踊られているのだ。自分にも美しい女性からの誘いが掛かってもさして不自然ではないだろうと。しかし残念なことに、この日レイモンドに舞踊を誘う声は一つたりともなかった。冷厳さの痛い代償であったと、後に彼はワインと共にこの悲しみを飲み干したのであった。
 時は夏の終わり、秋の始まり。九月の宮廷には季節相応の温かな風が吹き込んでいた。
 
 
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