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王道を走れば:幻想にて

作者:Duegion
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第四章、その7の3:盗賊包囲


 
 ひうと吹き抜く風が叢をゆるやかに撫でた。鼻が微かにを覚えたのは、腐り気味で饐えている、血の匂いだ。その匂いの元を辿れば、燻った煙を立てている一つの村があった。嘗ての住民を支配して今は盗賊の残党が蔓延っており、まるで抵抗の意思を表示するかのように松明に炎を燈しているのだ。その炎は、秋の爽やかな青空の下でもよく見えた。

「・・・ありゃそう簡単に降伏しないでしょうね」
「だろうな。まったくもって度し難い。結果はわかりきっているだろうに、何故彼らはそれを選ばんのだ」
「今まで自分本位で結末を選べていたからですよ、きっと。選ばれる側になるのは虚栄心に触るのでは?」

 村を半包囲するエルフの軍勢、凡そ六百弱の兵員の中に慧卓とアリッサはいた。先の野戦にて百人近くの死傷者が出たせいで、本来なら行えた筈の村の完全包囲が出来ないが、それでも盗賊らを威圧し圧倒するのに数が足りないという事は有り得ない。寧ろ止めを刺すのに充分な数といえよう。泰然と陣を形成して村を睨む様は、素人の寄せ集めという内実の割には勇壮である。
 命令さえば軍勢は動き出し盗賊らを攻撃するのであろうが、未だ軍は静観を保ち続けている。その理由が解しかねる慧卓は、傍に控えていた私兵団団長、チャイ=ギィの銀毛の美顔を見遣った。

「攻撃はしないのですか?」
「他の賢人方は御認めになるでしょうが、ソ=ギィ様がそれを認めません。まだ村人に、生き残りがいるかもしれませんから」
「・・・言ってはなんだが、生温いと思うぞ。あの賊共が人質にまともな待遇を遇すると思うか?」
「分かっては御座います、調停官様。ですがここはどうか暫しお待ちを。今、賢人の方々が協議をされていますゆえ」
「・・・長くは待てないぞ」
「というより、持ちませんね、あの様子では」

 慧卓の指摘に反応するかのように、村からつんざめくような悲鳴が聞こえてきた。遠くからでも耳に入るくらいの高調子の女性の悲鳴だ。村では今でも盗賊による虐殺が行われているのだろう。

「領民が惜しいというのは、分からないでもないが・・・」

 忍耐にも限度がある、とアリッサは言いたいのだろうか。チャイも彼女に同意するかのように表情を厳しくさせているが、依然として攻撃の命令が下されないのは事実であった。歯痒い思いを感じながら三者は村を見詰めている。
 一方で村中においては、盗賊らに秩序や統率が欠けており、反対に恐怖といった感情が彼らの心を支配していた。完全な優位をたかが一度の野戦で逆転させられた彼らに出来る事といえば、反撃の容易を準備したり、本能に従って人質を陵辱し殺害したり、或いは死ぬ覚悟を整える事だけであった。
 盗賊を率いる壮年のエルフの男は、荒んだ顔つきとなって必死に使い物となる武器を集めていた。彼に向かって一人の人間の男が突っ掛かり、叫ぶように詰問した。
 
「なんとかならねぇのかよっ、これはさぁ!?」
「・・・ならんものはならんだろう」
「何他人事のように言ってやがる!!お前が招いた事態だろっ!?何とかしろよ!!」

 確かに、指揮官であるならばその責任を取らねばならないのかもしれないが、エルフの男にとっても言い分はあった。

「・・・ここまで敵がやるとは思ってもみなかった。あんなに見事な用兵とは・・・」
「知らねぇよ、んなもんはよぉ!!それよりどうするんだっ、俺らもう百人しか居ないんだぞ!!しかも怪我したりで、全力を出せる保障は無ぇんだ!」

 その通りであった。先の野戦において、六百を超える数は居た盗賊らは、今は負傷者込みで見積もっても、まともに動けるのは百人程度しかいないのである。他の者は既に数日前に殺害されるか、或いは戦傷が祟って村で衰弱していた。つまり、まともな抵抗が出来る状況ではないのだ。
 それでも盗賊らは希望に縋りつくしかなかった。丘の戦闘では、一人の例外も無く仲間は殺された。つまり彼らの敵方は、彼らに対して慈悲を与えたりはしない。投降を無視して殺しにくるのだ。今更容赦されるとも思ってもなかったが、しかしそれを認めるほど男達は諦めの良い性格ではない。

「責任を取れ!!どうせ俺らはもう糞溜りの糞なんだよ!!誇りだの名誉だの拘る必要なんかねぇ!!」
「だ、だが・・・」
「ちっ。この玉無しが!もういい、俺はやってやる!!最後まで足掻きまくってやる!!」

 男が踵を返し、生き残りの人質が詰められる家屋へと向かっていく。残された盗賊の指揮官は、不甲斐無い弱気な顔つきをしながら、一人己の武具の点検をしていた。彼以外に誰も彼の事を構わず、ただ生存と反逆のために気侭に己を奮っていた。
 それから更に数十分後、時刻が正午にもなろうかという時間。遂に盗賊らにまとまった動きが見えてきた。遠くから観察していた慧卓らにも、その様子が理解できた。

「・・・動きがありましたね・・・」
「・・・下種め。そうきたか」

 苦々しい義憤をアリッサは零す。村の入り口に数人の人質が連れてこられて、見せしめのためであろうか、盗賊によって斬首の憂き目に遭っていた。地面に頸が転がっていくのを同時に、賊の蛮声が届いた。

『エルフの軍に告ぐ!!糞喰らえ、土人共!!大人しくママのホトでも犯してやがれ!!!!』
「下劣にも程がある。これをずっと眺めていろと言うのか?」

 アリッサの問いに対しチャイ=ギィは何も返せない。鼻を鳴らして不機嫌さを露にする上司に向かって、慧卓は言う。

「・・・賢人様の所に戻りましょう。対策を協議しなくては」
「いえ、その必要はありませんわ」
「!ソ=ギィ殿」

 彼等に向かってソ=ギィが向かってきた。常の穏やかな表情が鳴りを潜め、厳しき統治者の顔となっている。それだけである程度答えは予測できたのだが、一応慧卓は問う。

「この状況を如何なさる御心算でしょうか、ソ=ギィ様。敵はかなり切羽詰っているようですが」
「他の方々と熟考に熟考を重ねた結果をお伝えしますわ。我が軍はこれより総攻撃を開始します。人質の救出は、攻撃と平行して行います」
「・・・宜しいのか?彼らが無事生還できる保障は、ほとんど無いぞ?」
「生還させます。私の私兵団は何人を相手としても、どのような状況であっても妥協はしませんわ」

 遂に軍の指揮官が重い腰をあげたようだ。アリッサは漸くかといわんばかりに力強く頷いた。これで思う存分、盗賊の残党を討ち果たせるというものである。

「アリッサ様、ケイタク様。もう一度私兵団と共に攻撃に加わっていただけますか?私達は正面より突入致しますので、御二人は村の後方から強襲していただきたいのです」
「なるほど。敵の逃走を今度は許さぬ御心算ですか」
「はい。賊軍は一兵たりとて、生かして帰す事はできません。ここで討ちます」
「承知致した。では、早速準備致しましょう」
 
 慧卓とアリッサ、チャイはそれぞれの馬に乗って、私兵団の面々が待機する場所へと駆けていく。陣を形成する兵等の視線を受けながら、アリッサは懸念を抱いた。
 
(賊が来ているのは、ここだけでは無いだろうな。・・・向こうは対処出来ているのだろうか)
 
 森に控えている仲間達を心配に思う。早い所この難事を片付けて、賢人等の協力を取り付けて森へ帰参したい。アリッサはそういった思いを強くさせながら、馬に手綱を打たせた。


ーーーーーーーーーーーーーーー


 賊の挑発から一時間後、遂に趨勢が結する時が来た。村を半包囲していた軍の兵が、掲げていた軍旗を二振りする。それが合図であったのだろう、兵等は武具を携えて村へ行進していく。

「・・・終わったな。見ろ、仕掛けてくるぞ」
「っ!?」
「三方から圧殺する気だ。これは負けたな」

 低く響いてくる敵の足音に臆しながら、指揮官と、彼に反駁していた男が敵を睨んだ。男は慌てて仲間に呼び掛ける。

「てっ、抵抗しろっ!!!敵を生かして帰すなァァッ!!」
「所詮は我等は盗賊。エルフであろうとなかろうと、こうなる定めだったのだ」
「何を達観してやがる!お前っ、武器はどうした!!!」
「向こうに用意してある。が、ここで戦う気はない。逃げるならさっさとしろ。俺は逃げるぞ」

 指揮官たる責務を放り捨てて、エルフの男は逃走を選んだ。仲間の呼び止めも怒りにも脇目も振らず、予め用意していた護身用の剣、男が村中を捜索した中でもっとも状態が良いものを掴んで村の反対側へと走る。それこそが正しい道だと信じて、仲間を見捨てる選択をしたのであった。
 段々と近付いてくる敵方の轟きに胸中を震わせながら、男は村の反対側の出口へ向かって疾走する。しかし天の運は彼に味方しない。彼が逃げ出そうとした方向から土煙が迫ってくるのが見えてきた。それが先の戦闘で辛酸を舐めさせられた、私兵団によるものだと気付くのにそう長くは掛からなかった。村は騎馬の機動力という補いを得て、完全に包囲されていたのである。

「ま、回り込まれて・・・くそっ!?」

 男は直ぐに近場にある二階建ての建物へと逃げ込んだ。馬用の藁や、盗賊らが奪った食糧や物資の残りなどが此処に保管されている。一階の両脇には二階部分へ繋がる梯子が立て掛けられており、それぞれ独立した床板に繋がっていた。
 閉ざした扉越しに争いの声が響いてきて、扉をどんどんと叩いている。最期の戦闘が繰り広げられ始めたのである。即ちそれは、男の死が確定した事を意味した。

「ここまでなのか・・・俺は?」

 男は半ば呆然としながら、自らが末期に得た場所を見渡した。乾いた笑みを浮かべながらそれらを見ていると、倉庫の隅の方に、見慣れぬ袋が詰まれているのを発見した。
 男はそれに近付いて袋の口を開き、臭いを嗅いだ。思わず咽てしまうようなきついものであった。

「・・・ただで死んだりはせんぞ・・・!道連れにしてやる・・・!」

 これを使用すれば幾分か、まともな抵抗が出来るに違いないだろう。男は自棄となって己を奮い立たせ、袋を脇に抱えて最期の抵抗の準備を整え始めた。
 さて、村に突入した慧卓らであったが、矢張り馬上からの攻撃というのは圧倒的であり、残り僅かな賊を簡単に虐殺する事が出来ていた。元々数に劣り、士気にも劣る敵であったというのが、私兵団の壮健さを保障していたというのもあったが。篝火の残滓がある村の中央で、慧卓は提案した。

「ここで二手に別れましょう。俺は敵の首領を探します」
「私も御供を致しましょう」
「わかった。二人とも気をつけろよ。窮鼠が何かしでかすか分かったものでは無いからな」

 双方はそれぞれに兵を率いながら、二手に別れて疾走していく。アリッサらが向かったのは、未だ抵抗の激しい村の東部であった。幾分も経たぬ蹂躙劇であるのに、その場所においては中々に賊が崩れないようであった。
 実際にその場に到達して、アリッサは己の目で理解する。数人の盗賊が互いに互いを援護し合いながら、兵らの飽和攻撃に対し、かろうじて拮抗を保っていたのだ。

「・・・勇壮だな。末期くらい、私がけじめを付けてやるか」

 追従してきた兵士に他の地域の制圧を任せた上で、アリッサは馬を進ませる。彼女の存在に気付いたのか、道を占拠していたエルフの兵等が互いに言い合った。

『道を開けろっ、調停官様が通られるぞ!』『おい、そこどけって!』

 徐々に開けられる道を進んでいる最中においても、盗賊らは一人、二人と確実に倒れていく。身体の至る所に刃傷を負いながら、失血を省みずに戦う姿は、鬼畜な敵でありながら見事な勇姿である。アリッサにはそう見えた。
 遂に最前線まで達したアリッサは、馬を下りて、最期まで生き残っていた人間の男に向かって凛々しく言う。

「中々やるようだな、盗賊。骨のあるやつも居るとは、侮れんものだ」
「・・・」
「どうした言葉を返さんか」

 再度の問いに答えは無い。疑問に思ったアリッサは彼をよく観察して、その側頭部の辺りからだくだくと血が流れているのを見て得心した。

「・・・耳無しか」

 剣を音も無く引き抜いてアリッサは大きく上段に構える。対する賊は得物を失っていたが、地面に落ちていた槍を掴むと、態勢を崩しかけながらもそれを腰溜めに構えた。そして両者は出方を窺い合う様に動きを止めて、集中していく。
 失血量からいって、男は後数度武器を振るえばまともに立てなくなると、アリッサは見極めていた。故に彼女は戦いを長引かせる魂胆を毛頭抱いていない。互いに全力を出し合えるよう、最初の攻撃で全てを結する心算であった。
 兵等は固唾を呑んでその沈黙の光景を見物する。息を切らしながら盗賊は唾を何とか飲み込み、覚悟を決めたかのように地を蹴り、一直線に槍を突き出した。アリッサはそれに合わせてかっと瞳を開き、すぐさま足を斜め後ろに引いて、一気に剣を振り下ろした。

「はぁぁあっ!!!」

 直上から振り下ろされた剣先が、鋭き速さで迫る槍の穂先の辺りに食い込み、勢いのまま一気に槍を半ばから裁断する。返す刃でアリッサは、爆発させるように身体を前に滑らせ、男の胸部目掛け剣を一気に突き立てた。剣先が胸板を破って背中へと貫く。男が衝撃で瞠目する一方で、まだ攻撃は終わらぬとばかりにアリッサは剣を引き抜いた。

「せぇぇいやぁぁっ!!」

 赤く濡れた剣閃が横一線に薙ぎ、男の血塗れた頸を胴体より切り離した。血を切断部から流しながら、幾秒か男の足が大地を彷徨うが、力尽きたように後ろのめりに倒れこんだ。男の血潮が仲間の死体にまで流れていく。

「これでまともに抵抗するやつはいなくなったな」
「へ、へぇ、そのようで。まとまって突っ掛かってくる奴ぁ、もう居ませんぜ」
「・・・とすると、最後は首領だけか。どこに行った、ケイタク殿?」

 私兵団に任せた周辺区画の鎮圧も順調に行っているようだ、賊達の蛮声が徐々に小さいものとなっていた。虱潰しに当たれば慧卓と出会えるだろうと考えたアリッサは、賊の死体にさっと背を向けて馬に飛び乗る。そして剣を片手に、颯爽とその場を後にしてゆく。 
 彼女が探している慧卓といえば、村の外れ近くにある大きな倉庫の前で待機していた。中から物音が何度もしており、ここに誰かが潜んでいると確信したからだ。

「・・・皆、準備はいいな」
『応』
「くれぐれも油断はしないで下さい。何が待ち構えているかは分かりませんからね」

 私兵団の面々は一様に頷く。慧卓は倉庫の重い引き戸に手を掛けた。

「開けます」

 言葉と共に、慧卓は身体をずらすように戸を開け放つ。暗い倉庫の中で埃が踊るのを視認した瞬間、突撃しようとした私兵団に向かって、大量の白い粉がぶちまけられた。チャイ=ギィ共々、皆鼻から思いっ切り吸ってしまって、その場に跪くなりして咳き込む。

「げほっ、げほっ・・・けほっっ!!」
「けほ・・・な、なんだ、これは・・・!?」
「くそっ、小細工しやがって・・・!」

 傍に居た慧卓は直ぐに鼻を庇ったのだが、その独特のきつい臭いまでは回避できなかった。咳き込みたくなる気持ちを抑えて彼は一人倉庫の中へと入っていく。
 物資の袋や藁が集積された中を窺っていると、二階部分から男が鍬を投げつけてくるのが見えた。

「危なっ!?」

 慌てて壁に寄り掛かるよう退避すると、さっきまで立っていた場所に鍬の先端が鋭く刺さった。慧卓は憤慨しながら二階部分へと繋がる梯子に手をかけて、上っていく。
 二階部分へ上ると、奥の壁にエルフの男が寄り掛かっているのを見付けた。この男がおそらく、盗賊の棟梁だろう。慧卓は脇に挿していた鞘から剣を引き抜いて、速足に迫っていく。

「くっ、来るな!人間の餓鬼風情が!!」
「黙れ、鬼畜。お前とはもう語りたくない。さっさと死ね」
「誰がそうするかぁっ!!!」

 男はくわっと目を開き、背後に回していた手をばっと前に振り向いた。瞬間、男の手が握っていた袋から白い粉が撒き散らされ、慧卓の身体全体に一気に振りかかる。直撃を食らった慧卓は胸と鼻を苦しくさせて、今度こそ激しい咳き込みをさせた。

「けほっ、まっ、またかぁっ!?」
「馬鹿めぇっ!!!」

 慧卓に向かって、逆に男の方から迫ってくる。反射的に剣を翳すと、それに男の剣閃が当たるのを感じた。相手は疲労によって弱っている筈なのに、慧卓はそれを抑え切れずたたらを踏んでよろめく。自らの頭が何故か回らなくなるのを慧卓は感じた。

(な、なんだ・・・頭がくらっとする・・・)

 振りかかった粉によるものか咳き込みが抑え切れず力が出ないのは勿論であるが、それ以上に身体が何故か熱くなる。まるで熱に浮かされるように顔が熱くなって、思考が回らなくなるのだ。

「あああああっ!!!」
「くそっ・・・!」

 容赦無く男は慧卓に迫ってくる。自暴自棄となった男の剣が猛威を振るうかのように幾度も振られ、慧卓はそれを何とか受け止めながらもどんどんと壁際まで追い詰めていく。これは拙いと慧卓は感じて梯子に手を掛けようとするも、放たれる男の突きを回避するため寝転がらざるを得なかった。

「ふんっ!!」

 男の力強い蹴りが梯子を蹴り倒す。唯一の逃げ道が封鎖され、否応無く一対一の状況が形成された。

(くそっ!!)

 集積された物資の袋を緩衝材として飛び降りるのも一つの手だが、碌に頭が回らぬ状態でそれを行うはかなりリスキーに感じる。受身に失敗すれば確実に捨て身となった男の攻撃を避けられなくなるからだ。倉庫の二階部分に窓が設置されていないのが、慧卓の心から余裕を無くす要因となっていた。
 追撃の剣が振るわれて慧卓は胸の前で何とかそれを受け止める。足を後ろに退かせながら剣の勢いを殺すも、更に振るわれた一撃によって慧卓は倒れこみ、己の生命線である剣を弾き飛ばされてしまった。

(やっべっ!?)
「とったぁ!!」

 歓喜に満ちた男は大振りに剣を振り翳す。慧卓は尻餅を付いた状態でをそれを仰ぎ見ながら、視界の端にきらりと何か光るものが飛来するのを視認した。それは幾度も横に回転しながら一秒も満たぬ速さで男の足に接触する。そしてそれが鉄剣の光だと理解した瞬間、男の左足が一挙に切断された。

「ァァアッ!?脚がぁぁぁぁ!!」

 剣先を床に落として支え杖とさせて男は苦悶する。千載一遇の機会を得た慧卓は、苦しむ身体を動かして足を払って剣を蹴り付ける。弱い力しか入っていないが、男の手から剣を奪うのに充分であった。剣は床に刀身を当てた後、床端から一階に向けて落ちていき、男は赤黒い肉から夥しい血を流しながら床に倒れこんだ。
 慧卓は漸く有利となった状況になって余裕を取り戻し、剣が飛来した方向を見遣った。二階の反対側の床板にチャイ=ギィが登っていた。肩を荒げて膝を突く彼女の懸命さに胸を打たれ、慧卓は残り僅かな体力を動員する闘志を滾らせた。
 立ち上がった慧卓は男の両肩を掴むと、ずるずると入り口の方へと引き摺っていく。

「来いっ・・・地獄に落としてやる!!」
「な、何をする気だっ!?よせ、止めろ!!」

 悲鳴も碌に聞かず、床板に血の轍が出来るのに目もくれず、慧卓は目的の場所へと辿り着く。真下にある、地面に突き刺さった鍬を見遣りながら慧卓は男を立たせた。そして彼を道連れにするように一階へ飛び降りる。姿勢を安定させるように男の顔に手を遣りながら慧卓は地面に落下し、男は鍬の真上に落着する。長い穂が男の背中を食い破り、胸を貫いた。

「ぎゃああああああああっっっ!?!?」

 けたたましい絶叫が落着した慧卓の耳を打った。男の胸元を食い破る際に飛び散った肉片と血液が、慧卓の顔に諸に直撃する。

「・・・これ、暫く匂い取れないな・・・」
「ケイタク様っ、確り!」
「しかも肉も駄目だろ、これ」

 愚痴を零しながら慧卓は身体を起こし、壁に寄り掛かる。私兵団の面々が重たそうに身体を引き摺りながら倉庫内へ雪崩れ込んでいき、顔を大いに歪める男の止めを刺した。二階からチャイ=ギィが急ぎ足で駆け下りてきて、慧卓の様子を窺う。 
 視線を返した慧卓は、朧となってふらつく視界の中、チャイ=ギィの顔が真っ赤に火照り、辛そうに砂色の瞳に涙を貯めているのを捉えた。

「ち、チャイ=ギィ様・・・どうしました、目がとろんってしてますけど」
「そ、その・・・あいつが撒いた薬のせいでっ、身体が・・・」
「実は俺も・・・頭が凄くぼぉっとして・・・すみません、ちょっと寝そう・・・」
「ケイタク様っ!」
「ケイタク殿、無事か!?」

 最後まで身体が重たいまま、慧卓はふらっと床に倒れかける。意識が落ちる直前、慧卓はチャイ=ギィの悲鳴と同時に、アリッサの声を耳にした。
 かくしてエルフの東部を襲った盗賊の一団は、交戦前に元の陣地へ返された一部の者を除き、賢人達の連合軍と王国の騎士達によって一人残らず殲滅された。
 

ーーーーーーーーーーーーーーーー


 夕焼け小焼けの紅の空を映すように、川面は金色の光を放っていた。ゆらゆらと静かに流れる川に向かって垂らされていた一本の釣り糸が、軽々と引き上げられた。針に刺さっていたのは目的の小魚ではなく唯の枯葉だと知ると、少年はいたく不満げにそれを千切り取り、再び川面に糸を垂らす。
 彼の下に、一人の少年がやってきた。子供ではあるが、エルフの特徴である長い耳が既に備わっている。

「・・・おい、釣れたか?」
「釣れてない。時々草が引っ掛かるだけだ」

 不満げな言葉が返って来て、少年は軽く溜息を吐いた。

「これじゃ何時まで経っても飯にならねぇぞ」
「知ってる。でも仕方ないだろ、釣れないんだから」
「早くしろよ。俺またあの焼き魚、食べたいんだからさ」
「だよなぁ。・・・美味かったよな、あれ」
 
 少年らが指すのは、以前調停官の若い人間が作ってくれた、焼き魚の事である。火がよく通った魚の身は、少年らの口を蕩けさせるに充分なほどの美味であり、彼らの記憶に深く刻まれていたのだ。調理法が簡単なため自分らで魚を釣ろうとしているのだが、中々上手くいくものではなかった。
 暇潰しがてら、少年の一人が思い出したように言う。

「そういや聞いたか?もうすぐ討伐隊が帰ってくるんだって」
「・・・マジ?」
「うん。衛兵さんが教えてくれた。後半月もしない内に帰るんだとさ。・・・流石に、どんな格好で帰ってくるかは教えてくれなかったけど」
「格好って何さ。行きも帰りも同じ服でしょ?」
「ごめん、ちょっと言い間違えた。どんな状態で、っていうのが正しかった」

 両者の間に、俄かに沈黙が流れた。釣り糸を垂らす少年が硬い表情となった。釣竿を握る手に刻まれた火傷の痕が、ぷるぷると震えている。

「・・・なぁ、もしかしたらお前の父ちゃん」
「言わないでよ。俺、まだあいつに仕返ししてないんだから」
「・・・するまでは、か」
「当たり前じゃん!俺にした酷い事、そっくりそのまま返してやるんだ!それで、あいつを殺してやるっ!!」

 少年の怒気が伝わったのか、釣り針に引っ掛かりそうであった魚が急に反転して、そのまま川上の方へ泳いでいった。少年は釣り糸を引っ張りあげて、忌々しげに言う。

「帰ってこなくていいんだよ。あんなやつ」
「そっか。・・・・・・なぁ、あれなんだ?」

 友人が指差す方向に目を遣る。川辺に沿うように遠方から、誰かが馬に乗った形で近付いてきた。夕焼けに照らされた騎馬の影が、まるで陽炎のように移ろっている。

「・・・敵だ」
「えっ?敵?」
「それしか考えられないって、もうこれヤバイって・・・!」

 少年は震えた喉を動かして呟く。先日、衛兵から聞かされた盗賊の襲撃の話が頭を過ぎり、彼に怯えを抱かせていたのだ。
 急ぎ立ち上がると少年は森へ駆け出そうとする。

「イル=フード様に御伝えしなくちゃ」
「お、おいっ、道具持てよ!!」
「分かったからっ、早く来い!」

 手元に転がっていた釣り道具を一切合切抱えると、少年らは森に向かって駆け出していく。衛兵に、誰かが近付いてきている事を知らせなければならないという義務感が、彼らの足を突き動かしていた。
 幾分か経たぬ内に、彼らが発見した騎馬が姿を露とさせる。雀斑顔の素朴な容姿をした男が、馬をのんびりと操っていた。

「おぉ・・・やっと着いたか・・・いやぁ長かったなぁ、あれからまた迷ったし」

 男とは遠く、王都からクウィス領を経て漸く目的地の森に辿り着いた平凡な王国兵、パックであった。早此処までの旅路で半月以上も掛かっており、疲労も中々のものがあった。しかし久しく会っていない友人と会えると思えば、パックのやる気は常よりも増して彼自身を奮い立たせていた。
 執政長官から預かった調停官宛の書簡が入った箱を大事に抱えて、パックはエルフが居住しているタイガの森へと近付く。その時、森の方から幾つかの騎馬が走り寄って来るのが見えた。一様に長い槍を携えており、温かな歓迎は望めそうになかった。その者達はパックの行方に立ち塞がると槍の穂先を彼に向けた。

「おい止まれっ!!貴様っ、人間が一体何のようだ!?」
「・・・えっと、あの、俺王国の兵士なんですけど、調停官様に届ける書簡を持ってきーーー」
「そのような嘘が通じると思ったか!?来いっ、牢に放り込んでやる!!」
「ちょ、ちょっとぉ!?俺賊じゃないですよぉ!?」
「それをどうやって証明するのだ!?いいから来いっっ!!!」
「ひっ!あ、あの・・・乱暴しないで・・・」

 多勢に無勢。いきなり剣呑な雰囲気に出迎えられたパックは臆した様子で降参する。処世術として身に着けた曖昧な笑みも、エルフの者達には挑発以外の何者でも無いようで、彼らはより強い不快感を抱いているようだった。
 四方を騎馬で固められて肩身を苦しくさせながら、パックは森の中へと進んでいく。幸いにも森の住民からは視線を受けたりはせず、パックは自己の状況を分析する事が出来た。自らの立証能力を衛兵が信じないのであれば、後は元より現地に留まっている慧卓らが頼りだ。彼らが直接イル=フードまで話を通せば、それで自分は解放されるだろう。後は衛兵から下手な扱いを受けぬ事を臨むだけだった。
 そんな事を考えていると、彼の視線にふと、見覚えのある人物が立っているのを見た。その人物は垂れ目、垂れ眉が印象的な男、ユミルであり、衛兵に囲まれたパックを見て驚いたように目を開いていた。

「お前・・・もしや、あの時の?」
「あああっ、あなたっ!!酒場で逢ったあの時のっ!!ちょ、ちょうどいい!!俺取り調べを受けそうだからこいつを受け取ってくれ!!」
「ちょ、ちょっと待てっ、うおっ!?」

 パックは咄嗟に抱えていた箱を彼に投げつける。衛兵らが顔を歪めて此方を見てくるが、調停官一向の一人であるユミルの前で、手荒な真似を出来ないでいた。それを好機とばかりパックは続ける。

「あんたは俺が盗賊じゃないってわかってるだろうけどっ、こいつらは全然信じてないから!早い所ケイタクやアリッサ様に話を通してくれよ!?じゃなきゃ俺、いつまでもこんな目にあっちまう!!」
「何をやっている、早く来い!!」
「そ、それとっ!森へ向かう一団をこの前見たぞっ!数は壱千を超えるくらいだ!仲良くするような気配じゃなかった!こいつをイル=フードまでに通してくれ!頼むぞ、ちゃんと伝えたからなぁ!!」

 衛兵らに連行されるように、パックは森を進んでいく。ユミルは幾度も振り返ろうとしてくる彼の後姿を見ながら、懸念を深めた。

「・・・これは、まずいかもしれんな。ケイタク、早く戻ってこいよ・・・?」

 平穏に包まれていた森であったが、パックの話が本当であれば一気に荒涼と化すやもしれなかった。大の男達の大半が出払っている中、まともに抵抗出来るのは衛兵ぐらいしかいないからである。
 彼は仲間の下にこれを告げるため、急ぎ足でその場を後にする。危急なる事態の接近を前に、ユミルの心は俄かに焦燥を覚えていた。 
 
 

 
後書き
 次話はストーリー展開上、二作同時投稿となります。よって、投稿が少々遅れる事を、前もってお知らせ致します。申し訳ありません。
 皆様方の股間に大きな元気が出るよう、精一杯描写に力を注ぎますため、どうぞご容赦願いたく申し上げます。
 
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