王道を走れば:幻想にて
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第四章、その8の1:示す道
すっかりと色付いた紅葉が凩によってひうと飛ばされ、真上より注ぐ陽光を受けて模様を鮮やかなものとさせている。葉脈は色褪せ葉はかさついており、火を点ければあっという間に燻り、そして直ぐに灰色の煙を立ち上らせるだろう。しかし北嶺という環境を考えれば空気は乾燥しているのは当たり前だし、火事が起きやすいのは当たり前だ。余り物同士を頻繁に擦らせるのは得策とは言えないだろう。
「・・・ここが、賊が襲ってきたっていう例の場所か」
「ああ。すまんな、解放するのが遅かったばかりに」
「そいつは関係ないさ。イル=フードが信用してくれようがしまいが、どの道こうなる定めにあったってだけだ。・・・子供が亡くなったってのは、流石にキツイけどよ」
森から俄かに外れた場所にある黒焦げとなった一棟の廃墟を前にして、一人の人間の兵士が凛々しく敬礼を捧げた。雀斑のある特徴的な男、パックは無念そうに顔を引き締めており、傍に立つがたいのよい垂れ眉の男、ユミルは彼に同調するように黙祷を捧げていた。
兵士の誤解より生じる拘禁を受けていたパックは捕縛される寸前に一つの情報を齎していた。すなわち盗賊襲来。これを受けた調停団は必死にイル=フードに説明したのだが、信用されたのは盗賊が実際に襲来したという事実を聞いてからの事であった。解放されたパックはこれを聞き、説得にあたっていたユミルと共にこの廃墟へと赴き、自らの努力不足を恥じているようであった。
「悲惨だったってさっき道中で言ったよな?盗賊共に包囲されて家に火を点けられ・・・そして」
「炎の熱に耐えられなくなって出てきたのを斬捨てる。そして物資も奪わずに逃走。ただ殺しを愉しむ事だけを目的とした襲撃は、まさに蛮族のする事だ。頭は重たい飾り物でしかないらしい」
「同じ人間として悲しいよ。そんなひでぇ事をする奴がいるなんてな」
パックは憎々しげにそう言うが無理もない事である。盗賊によって樵として生活していた一家が惨殺されてしまったのだ。犠牲者の中には幼児もおり、魔獣討伐として西へ派遣されている父親を家で待っていたという。どんな状況であれもっと盗賊の危険性を積極的に主張すべきだったとパックとユミルは後悔し、そして同時に盗賊らに対する復讐の炎を胸に宿していた。復讐ほど正当性のある殺意は存在しないのだ。
「去り際、奴らの一人が文字を彫った木の板を落としていった。『食料を出せ。また襲う』と書かれていたそうだ」「成程。襲われたくなければ大人しく物資を差し出せと」
「差し出した所で調子に乗ってくるだろうな。もっと多く出せと」「となると、対抗策は血生臭くなるんだな?・・・この件は勿論エルフの上層部も理解しているんだろ?話はどこまで進んでいるんだ?」
「お前の情報を下に斥候を派遣して、盗賊団の大まかな戦力は把握している。敵は此処から20里(約78km)離れた平原に陣取っている。数は多くて四百か、或は五百といった所だ。少な目に見積もっても俺達の二倍の数。その上賊軍は僅かながら騎馬兵も率いているようだ。反撃として此方から打って出るのは危険だろう、というのがイル=フードの第一の結論だ」
危機的な状況なのに冷静な判断だとパックはほぉっと息を吐いた。上の連中がまともに頭を使えないというのが最も恐れていた状況だけに、感心するよりも先に安堵を覚えたのだ。それに盗賊を一目見た時から数の不利は最初から予見出来た事であり、余り驚くような結論ではなかった。
パックは頷きながら問いかける。
「ユミル。第二の結論とかもあるのか?」
「援軍を要請する事だ。お前を解放するのと同時期にクウィス領土にも遣いが飛んでいるし、ニ=ベリにも遣いが出されている。後者はかなり屈辱的な決断だったようだが、呑み込んでもらったよ。どうにも出来ないなら仕方ないとな。
俺達調停団は王国に仕える身ゆえエルフの指示を遵守する必要は無いが、だが盗賊を撃滅する義務はあると考えている。団員の皆もそれを納得している。よって俺達が何をするかといえば、徹頭徹尾守りを崩さないという事だ。援軍が来るまで耐え抜く」
「おい。やられっ放しって事か?・・・仕方ないかもしれないが、でも癪だな。他の突破口とかあるのか?」
「・・・先日襲ってきた賊は皆騎馬兵であったが、しかし十数人程度のものだった。此方を軽く見ている心算なのかもしれないが、それが彼らの命取りとなるだろう。昨夜から罠を仕掛けているのだ。あの見境なき暴虐の輩が絶対に手を出すような、在り来たりな罠をな」
「そうなのか。んで、どんなやつ?」「案内しよう」
二人は廃墟から離れていく。肌寒い隙間風が吹く森の端を数分ほど歩くと、また一つ樵小屋が見えてきた。傍には小さな畑もあるようで、幾人かの者達が鍬でもって畑を耕していた。冬に備えて土を作っているのだろう。
「あの家が見えるな?」「ああ、ボロいな」
「本来あそこに住んでいた住民は避難していて、今は兵士が農民に変装して使っている。遠目からは畑を耕しているようにしか見えんだろうし、それに森の中心部からは離れている。襲うなら絶好の獲物だ」
「あれを餌として使って、盗賊を引っ掻けるつもりか。それで、引っ掛かったら包囲して、中と外から殲滅するって寸法か?」
「だからいったろう?在り来たりだって。お前にも勿論協力してもらうぞ。盗賊が襲来したら、外側から弓を射掛けて馬の脚を潰すんだ」
「・・・今一やる気が出ないなぁ。拒否権とかある?」
飄々と言ってのけるが本心では最初から乗り気なのだろう。ただ緊張を解すために茶化しているだけに過ぎない。ユミルは背を向けて森へと歩きながら、言葉を返した。
「ちなみに褒美としてリタから菓子を貰えるぞ。エルフ領土の麦を使ったパンに、甘い苺のジャム。少し苦みを残したジャスミンティー付だ」
「よぉっし!ちゃっちゃと準備するぞ!んで、何時から張り込むんだ?」「今からに決まっているだろう」「今御昼なんですけど!」「サンドイッチがある!ジャム付きだ!それで我慢しろ!」「我慢する!!」
余りにも快活に且つ素直に返されてしまい、ユミルは思わず吹いてしまった。そして、こういう奴は皆の予想を裏切る活躍をするものだと思い返す。勿論、良い方向での活躍だ。
緩い凩が吹く中、二人の人間はエルフの森の中へと姿を隠した。夜半の闇が訪れるまで辛抱強く待つ。それが状況の不利を覆すための、小さな一手であった。
ーーーーーーーーーー
一匹の羽虫が一面真っ暗となった森の中を自由気儘に飛び、ぽつんと建っている住居を掠めながら窓の縁に留まり、人にとっては煩わしい鳴き声を立てる。彼らにとっては重大なものに違いないのかもしれないが、環境の変化に敏感な人間にとっては少しの雑音でも気になってしまうのだ。些末な事に気を向ける程余裕が無いのならば話は別となるのだが。
隣接している厩舎で馬が地面を軽く蹴る音がする。思考の波に埋もれていたキーラがそれに反応して頭を俄かに上げた。
「イル=フード様。あなたは一体何を求めていらっしゃるのです?森の安寧ですか?それとも、権力の維持ですか?」
考えの果てに巡ってきた有り得ぬ発想を下にキーラはそう呟くが、しかし言ってすぐに頭を軽く振った。幾らなんでも馬鹿げた言葉であった。森の為政者にとっては安寧の構築こそ権力の維持に繋がる事である。両者を切り離して考えるのは青二才のやる事であった。
詰まれている書物などの資料を横に除けて眉間によった皺を解そうと指をやっていると、目前にソーサーに乗せられたコップが置かれる。香りの良いハーブを濾した茶が注がれており、目に優しい淡い緑の湖面を揺らしていた。キーラの前に茶を置いたリタは、優しく彼女に言葉を掛ける。
「キーラさん。そうキツイ表情をされてはまとまるものもまとまりませんよ。ほら、御茶を用意しましたので、御一服を」
「・・・ありがとうございます リタさん」「・・・まぁ、私も心配なんですけどね。リコが一緒に付いていくって聞かないものですから」
「『盗賊退治に一役買いたい』、でしたっけ?」「ええ。姉の心配も知らないで・・・本当に一直線な子なんだから・・・」
「きっと皆が守ってくれますよ」「当り前です。守らなきゃ最初から承知など致しません」
彼女らが話しているのは、盗賊の斥候らを討伐しに行った調停団の仲間の事である。ユミルや随伴してきた兵士達に加えリコまでが参戦しているのだ。「非戦闘員なんだから無理は止めなさい」という姉の説得に応じず、手助けしたいという一心で彼は伏兵として闇の中へ身を潜めているのだ。姉心を汲めない程阿呆ではないが、しかし戦場に身を置くからには危険と隣り合わせになるだろう。冷静な面持ちでいる一方、心配の念で胸が一杯であるのが指の落ち着きの無さから窺えて、パウリナは口元の緩みをコップで隠さざるを得なかった。ちなみにパウリナは毒茸を食したせいで腹を壊しており、今は隣室の寝台の上で重苦しく唸っている。
口内に満ちる爽やかな味わいに息を吐く。長時間の資料閲読によって発していた頭痛が少し和らぐような気がして、キーラは茶の効用というのに心から感謝した。リタが穏やかな口振りで問うてくる。
「そういえば、東の方より手紙を頂いたと窺ったのですが」「ええ。ケイタク様からです。後一週間ほどで此方に戻って来るそうですよ」
「ふふ。これで私達も漸く元気を貰えますわね」「あの二人が居ないと、どこか退屈してしまいますから。好意的ではない人々に囲まれればそうなるのも当然かもしれないですけど」
「正直に仰ったらどうです?うんざりすると」「言いませんよ。ケイタク様だって耐えられるのですから、私も頑張らないと。どんな侮蔑を受けようとも貴族である誇りは穢したりはしません」
キーラがそう言うと同時に、夜闇を裂くようにけたたましい鐘の音が響き渡る。安眠に就こうとしていた者達の意識を醒ます剣呑な音。それは森の方々に築かれている見張り塔が告げる、危急の報せであった。
「・・・この音は」「盗賊が襲ってきたに違いありません。後は運を彼らに託しましょう」
自分に出来る事は何もないとキーラは悟る。エルフの風土を勉強しながら調停団の今後の日程を決定したり、住民とのコミュニケーションを形成したりしかしてこなかったのだ。軍事についても専門の者達に比べれば劣後するものであろう。森の一角で刃を交えているであろう仲間達を想い、キーラは手を組んで彼らの無事を祈った。
果たして見張り塔に登っていた兵士は森の外れから来る、素早く移動する幾つもの明るい炎とそれに照らされる人影らしきものを瞳に捉えていた。人の脚とは思えぬ速さで移動しており、目をじっと凝らすと土煙が立っているのが見えた。現下の状況を鑑みる限り先日襲撃を仕掛けていた盗賊の騎馬隊と見て間違いないと確信して、兵士は鐘を鳴らしたのだ。その予想は見事に的中している。数えて十数の馬には下卑た顔付をした男達が騎乗しており、幾人は松明を、そして全員が使い古された武器を携えていた。
「火を点けろぉっ!殺しちまえぇ!」
住民が逃げ込んだであろう目的の農家を騎馬が囲むと、松明を投げ付けて一息に燃やしていく。轟々と火花が散って家の壁を炎が駆けて、十秒も経たぬうちに屋根まで燃え移ってしまった。一隊を率いていた大柄な男は蛮声を響かせる。
「食料はどうしたエルフ共!早く持ってこい!!見ているのは分かっているんだぞ!!」「愚図共が群れても所詮愚図だ。皆殺しにしちまった方が早いぜ」
「面倒なんだよ、一々殺すのが!おらぁっ、さっさと出せ!!村人殺すだけじゃ止めねぇぞ!男を殺して女を犯してっ、子供を生きたまんま食うのだって辞さなーーー」
野暮な突っ込みを他所に更に吠えようとした瞬間、闇夜を裂くような高調子の音が鳴り、それにやや遅れて「ぶすっ」と肉に突き刺さる音がした。仲間らがそれに反応して振り返る。大男の頸動脈に寸分違わず、一本の矢が突き刺さっていた。徐々に鮮血が傷口から零れ、男はわなわなと表情をひくつかせながら落馬する。罠だ、と誰かが叫んだがそれを掻き消すように幾十もの矢が飛来する。燃え盛る家に突き刺さる一方、数本の矢が盗賊らの身体や馬体を真っ直ぐに射抜いて深い傷を負わせ、鋭い絶叫を上げさせた。盗賊等は此処に至って、エルフ達による奇襲を受けたのだと悟り大きく動揺した。
矢の雨は森より飛来したものであった。確かな成果を得たに関わらず、二十人ばかりの弓兵に混じって矢を射たユミルはいたく不満げであった。己が最初の一矢で確実に一人を仕留めたのに対して、これだけの人数でも僅か三人しか射抜けなかったのだ。しかも見た所致命傷であるとは言い難く、思わず彼は罵倒を吐いてしまった。
「下手糞が!どこを狙っている!?」「普段槍か鍬しか持たない奴に期待すんなよ!!お前ら、細っこいモンなんて狙うな!腹狙え、腹!!」
隣で弓を放つパックはそう叫ぶ。二度目の矢雨が降り頻り盗賊等も何とか態勢を立て直してそれを受け止めたが、今度は一名、まともに胴体に数本の矢を受けて地面に落ちた。これこそがユミルや弓兵らが求めていた最良の討ち方であり、弓兵隊の指揮はぐんと高ぶった。
このまま弓で嬲り殺しにされるのは癪であるとばかりに、盗賊等は反抗の兆しを見せ始めた。相手が僅か二十数名であると見て侮ったのか、負傷に問わず戦意に満ちた咆哮を漏らした。その様は蛮人にしては勇壮であるが、しかし不意打ちを食らってしまえば元も子も無い。焼け落ちる寸前の家屋から突き破るように、数人のエルフ兵が現れた。樫の木を利用した防火用のマントを脱ぎ捨てながら、後背より盗賊等が乗る馬体に思い切り剣を突き立てた。
「ぬおおおっ!?」
激痛で馬が高々しい悲鳴を漏らし、唸り声を上げながら幾人の男らが落馬して不運にも二人の男が首や頭を地面に打ち付けた。ぴくりともしなくなった二人を横目に、盗賊等は何時の間にか前後を包囲された事に浮き足立つ。口から毀れるのは狼狽の息のみであり、臆病な気質の者は既に脱出路へと馬の頭を向けていた。それを逃がすかとばかりにユミルとパックの矢が走り、男の脇腹と右太腿を射抜く。燃え盛る家屋ががらがらと騒音を立てながら崩落し、一段と大きな火を噴いた。両陣営の猛々しい剣戟が混じり合う寸前での、些末な出来事であった。
その後の顛末は、特筆するに値はしない。家屋からの奇襲によって精神的に強い動揺を覚えたのだろう、盗賊等の動きは精彩を欠き、二人で一人を相手とするエルフ側の連携を崩せなかったからだ。しどろもどろとなっているうちにユミルの冷酷な矢が騎手を射抜き、歩兵が背中から切裂き、或はパックが馬に飛び移って騎手を斬殺するなどで、交戦はものの二十分足らずで終わってしまったのだ。盗賊等は全員死亡、しかし此方の被害は死者五名に上り、これは数の少ないエルフ側にとっては大きな痛手といえよう。
「こんのっ、暴れるなって!」
肌に浅い矢傷を負って暴れている馬をパックと兵士らが武器を使って諌めようとしている。盗賊等より鹵獲した馬は合わせて七頭ほど。他は乱戦の最中に倒れてしまうか、足をやられて使い物にならなくなっている。来るべき会戦に際してはこの七頭も利用する心算であり、なるべく傷つけないようにしなければならなかった。
比較的無事な者が負傷者を運び、そして亡くなった仲間を背負って森へと撤退していく。ユミルは盗賊等の死体から使えそうな武具を全て剥いだ後、衣服を赤黒く染めた重たいそれらを燃え盛る炎の中へと投げ入れる。重みでばちばちと木屑が潰されて、明るい炎が肉体を舐めて焦がしていった。
顔に撥ねていた返り血を拭っていると、傍にパックが歩いてくる。馬を諌めるのに難儀した様子で息を切らしており、何も言わずに炎の成り行きを見詰めていた。その呼吸が整い始めた時、ユミルが彼に話しかけた。
「パック。奴らを見てどう思った?」「・・・そうだなぁ、悪く言えば烏合の衆だけど、でも群れてるだけあって自信は相当のもんだと思うぜ。一撃入れた所じゃすぐには潰せないだろうなぁ。
あとあいつら、食糧が欲しくて連携してるんだろ?欲しいもんが手に入るまで、あいつら絶対に妥協しないだろうね。そういう手合いだよ」
「今度は更に群れて来るだろうな」「最早是非も及ばずだろ?頑張って生きようぜ~。甘いモン全然食ってないんだからよぉ」「お前は本当に自由だな・・・」
いつでも軽い態度を崩さぬ男だと、ユミルは思わず呆れ混じりに首を振った。再び投げ込まれた死体が、既に放り投げられた死体を折り重なって瓦礫に突っ伏す。顔を袈裟懸けに切られたそれは、激情によって大きく表情を歪めている。飢えに苛む悪鬼の如き形相であり、とても人間のするものとは言い難いものがあった。
夜空を薄い雲が流れていく。何時もなら見えるはずの満天の星空は、今宵は太陽が昇るまで見えないままであった。
ーーーーーーーーーー
朝焼けの静けさを浴びるタイガの森から離れた平原を、西に向かう二つの騎馬が見える。先導するのは理想の炎に目を光らせる青年、チェスターであり、後に続くのは大柄なドワーフであるアダンであった。
森を出たのは数日前の事であった。数か月もの間滞在した森を名残惜しむような感情を二人は抱いていない。寧ろアダンの方は同情すら窺える色を瞳に宿して、森を振り返っていた。
「あーあ。盗賊の群れと睨めっこたぁ、エルフもついてないねぇ」
今頃森の入口ではなけなしの兵士が集わされて厳重な警戒態勢を敷いている筈であった。数でいえば二倍にも匹敵する盗賊が相手なのだから当然といえば当然の処置である。が、その分冬を控えて溜め込んでいた食料を余分に消費する事となるのが不幸といえよう。
冬越しの出来ぬ者が餓死するかもしれない。そんな悲惨な民族を振り返るアダンに向かって、チェスターは冷たく言う。彼らが顔を向けるべきなのは、あくまで西の方角なのだから。
「どの道見捨てる連中だったのだぞ。一々振り返るな。前に進め」
「はいよ。というかあいつら、本当に道の安全を確保したんだろうな?まさか横合いからいきなり変なのが飛び出してくるとかは止めて欲しいんだけどよ」
「そこまでの不手際があったのならば、通りすがりの村に火でも放っておこう。僻地の野蛮人が死ぬだけだ、我等にとって痛くも痒くもない」
「冬にやる発想じゃねぇよなぁ、それ」
人以外の種族ならば途端に冷酷になる辺り、チェスターという若者は人の業というものを体現しているかもしれないとアダンは感じる。彼はチェスターの言葉から、気になる事を問う。
「なぁ、今お前が言った『我等』ってのは誰を差すんだよ。俺も含んでいるのかい?」
「貴殿ではないぞ、アダン殿。私と、私と理想を同じくする有志達の事だ。何も私だけが単独で動いているわけではないのだ」
「あ、そうだったの。てっきり一人で死にたがっているかと思ってたんだが」
ふんと忌々しげに鼻を鳴らしてチェスターは正面を見据える。白く大きな雲が掛かった白の峰が、遠くに聳え立っていた。
二人が目指しているのはエルフ領、いや大陸屈指の霊峰ともいえる山脈である。まして冬に向かうとなれば山風は一層冷たくなり気温も極端に低くなり、獰猛なラプトルが獲物を求めて山肌を徘徊する。鍛え抜かれた冒険家でも思わず弱音を吐き、時には死に至ってしまう世界となるのだ。そんな山へと進もうとしているのはただの思い付きによるものでは無い。手にした者に究極の力を与える、狂王の秘宝のためであった。
「狂王の三つの秘宝を独占すれば、私はこの世のすべての魔術士を凌駕するほどの力を得る。そうすれば弱体の一途を辿る王国に改革の息吹を齎す事が出来るのだぞ。何にも勝る強力な魔術国家を形成し、嘗ての隆盛を取り戻す。これが私の理想だ」
「へぇ。んでお前が秘宝のために遺跡に向かっている間、御仲間達はどこで何をするんだ?」
「今、王都の方では内政の政策が行われようとしている。腐敗と汚職が続いている憲兵団を監視し、改善しようとする組織を作るのだ。宮廷の者達が組織を管轄するのではなく、完全な第三者が上に立って陣頭を取るらしい。大きな挑戦だと思うがそこが付け入る隙だ。
私の仲間はその組織の人員に組み込まれていてな、組織成立を機として王都の至る所で反旗を翻す事となっている。重要拠点を即座に制圧して要人を殺害、そして王位を奪い宮廷の全てを手中に収める。混乱が発生する王都に私が帰還、狂王の力で民草を隷属させ、国は統一されるのだ」
「盛大な計画だな。何時やる予定なんだ?」
「組織が成立次第、としかいいようが無い。それまでは皆に、忠実な王国の犬として活躍してもらうよ」
どうやら蜂起を試みようとしているらしいとアダンは理解するが、頭の中ではその成功をすぐに否定する。王都の連中はチェスターが思っている以上に頑強な者が多いと、アダンは自分自身の肉体によって知っているのだ。胸を蹴り付けたあの熊のような大男のような連中が、チェスターの御仲間をすぐに排除する事だろう。
ふとアダンが正面を見ると、遠方から一団が歩いてくるのが見えた。群れの大きさを見た後、「おそらく」と前置きしながらアダンは言う。
「・・・討伐隊の連中だな、あれは。漸く帰って来たらしい」
「ふん。帰ってきた所で、家族が生きているかどうかなど分からないのだがな。蛮族、心配ならもっと足を動かしたらどうだ」
チェスターの言葉から二時間後、双方は緩い坂の頂上ですれ違った。片や悠々自適と進む一団。片や疲労困憊の様子で懸命に歩を進ませる一団。森に帰還した所で大した戦力にはならないだろうと、チェスターは彼らに聞こえぬ距離まで進んだ所で侮蔑の笑みを零した。
一団と擦れ違って二日程経った後の事である。山肌を覆っていた白い雲がすっと晴れていた。天気の悪戯によるものだろう、白の峰は冬であるにもかかわらず夏の日差しのような輝きを、積雪の肌に生じさせていた。宛ら西に輝く朝日といったところであろう。連続する山の頂上に掛かる薄雲が見事な冠となっており、思わずチェスターとアダンは感嘆の息を呑みこんだ。
「素晴らしい・・・」「おぉ・・・見事な山だな」
徐々に近づいていく霊峰の偉大さに、アダンは思わず及び腰となってしまった。彼の故郷にある険しい山々を思い出したのだ。
「・・・こいつを、本当に登る気か?」
「当然だ。遺跡は山の谷間にあると書物に書いてあったのだぞ。なら何時登る?」
「春先でいいだろ・・・」「他の者共に出し抜かれるかもしれんのだぞ!まだ遺跡は手付かずの筈なのだからな!」
こんな場所を好き好んで登るやつ等いない。原住民だって住んでいるのかどうか怪しい場所なのだから。
アダンの思いを他所に、チェスターは期待に胸を膨らませて白の峰を指差した。
「兵は神速を貴ぶという。私達もそれに倣い、他者をあっといわせる程の速さで進もうではないか!」
「あいよ。ったく、寒いのは苦手なんだけどなぁ・・・」
ぶつくさと文句を垂れながらも馬の脚は遅れたりはしない。不意に、山肌のどこかからか甲高い遠吠えが聞こえてきた。まるで獲物を仕留めた時に発する、獣の歓喜の声とも思えるものであった。いざとなったらチェスターを見捨てて自分だけでも助かろうと、アダンは心に決めて山を睨みつけた。
ーーーーーーーーーー
薄暗い一室の中で、その老人は鼻歌を口ずさんでいた。一音一音が仰々しくも幸福感に満ちた旋律である。それは常ならば結婚式などに奏でられる歌であり、老人が篭っているような饐えた血の臭いが立ち込める場所には全くもって不釣り合いな歌であった。
皺が走る指先で巧みにメスを操り、机に乗せられた被験体を素早く、そして正確に切っていく。机の傍には禍々しい器具を乗せた台や血塗られたベッドなどが置かれており、壁には磔となった幾つもの醜い肉体が飾られていた。何れも人間の男女であり、20歳から40歳まで彩みどりであった。実験は凄惨さを極めたのだろう、無事な部分が無い程に躰は損壊して傷が走っており、まともなものが見れば強烈な嘔吐の気に襲われる事であろう。
「ふんふんふん・・・ふんふんふん・・・」
鳩のような顔つきを歪ませて老人、マティウス・コープスは先の魔術学会において獲得した二つの幸福を味わっていた。
先ずその一つは、自らの優越心を満たせた事である。学会で召喚魔法を媒介とした不老不死に関する発表を行い、彼は一つの大きな手応えを感じたのだ。この紅牙大陸において自らに勝るような召喚魔法の使い手は存在しないと。その証拠に発表を終えた彼の下には多くの識者らが集まり、彼の知の恩恵を得たい、知識を搾取したいとばかりに媚を売ってきたのだ。中には帝国随一とまで称されていた召喚魔術の使い手すら居た始末。無論真に大事な事までを漏らすほどマティウスは浅い人間ではない。のらりくらりと深い意味を持っているように聞こえる言葉を言い続けて識者らを感心させ、自らの優越性を確かめるだけに留めた。これがまず第一の幸福である。
二つ目の幸福とは、彼直属の弟子を得た事であった。発表の後に十数名の熱烈な信奉者がマティウスの下に集い、わが身を捧げると誓ったのである。他人を使い捨ての駒程度にしか考えぬマティウスであったが、しかし相手が魔術士だらけであるとなると考えを柔軟にしたくなる。相対的に魔術的資質の乏しいものは実験台として使用し、資質のある者は秘薬と称した毒薬を飲ませて殺害し、『蘇生』・『意識支配』の魔術を用いて復活させて己に従順な傀儡とする事にしたのである。鬼畜外道の所業であるが、良心の呵責を捨てねば魔術はないと信じてやまぬ彼にとって弟子の生き死になど大した問題ではなかった。
「ふむ・・・今度はどうかな・・・」
被験体の胴体部分に六芒星型の印を刻むと、マティウスは数歩離れて手を翳す。指の先から見えない魔力の糸が出されて印に流れていく。印全体にまで魔力が行き届いたのを見るとマティウスは軽く両手の指を弾く。その瞬間、印は縁に沿うようにして爆ぜて血肉を辺りに撒き散らした。
無意識に這った『障壁』の魔術によって血肉は無色の壁に弾かれ、地面に落ちた。マティウスは被験体に近付いて目的の代物をそこから取り出す。完璧な形を保ったままの人の心臓であった。
「よしよし。術式はあれでよいようだな」
ただの思い付きでも功を奏するものらしい。特定の臓器のみを摘出する術式をこの瞬間マティウスは開発し、一先ずの満足感を得ていた。そうしているとこつこつと、階段を降りてくる音が耳に入ってくる。現れたのは蝋人形のような白い肌をした男である。身体がやけに筋肉質なのは無理な研究を行われたせいなのだろうか。どちらにせよ毒薬によって彼の本来の意識は既に天に召しており、今では唯の人形同然の存在であった。
「マティウスさま。お知らせがございます」
「話せ」
耳元で男が囁く。それを聞いたマティウスは一瞬目を見開き、すぐに引き締まった表情をして告げた。
「出立の準備をしろ。輿も出せ」
「はい」
生気の感じられぬ返事をして男は階段を上がっていく。一室に残っていたマティウスは緩みかける頬を何度も直そうと手をやり、その度に肌を汚らわしい血の赤で染めていた。
遂に長年追い求めていた物の所在が掴めたのである。胸が少年のように弾んでしまう。マティウスは必要なものだけを粗方集めると、死体をそのままに自らも階段を上っていく。この研究所はどの道放棄する予定だった。中で今後何が起きようとも知った事ではない。必要な知識は全て頭の中に入っているのだから。
階段を上り終えて、マティウスは研究所内を駆け回る魂無き弟子らを急かすように手を叩いた。
「急げ急げ。時は待ってくれんぞ。誰よりも早くに向かわねばならん!雑多な者共に後れを取るような事があってはならんのだからな!」
彼の言葉に反応してか、部下等の脚は更に早くなり、見る見るうちに出立の準備が整っていった。マティウスは研究所を出ると、優雅な輿の横に並ぶ弟子らを見据えて言う。
「準備は全て終えたか?」『はい、マティウス様』
「荷物」『よし』「輿」『よし』「おやつ」『よし』
「うむ、完璧な返事だ。では出発するとしようぞ」
弟子らが配置につくと、マティウスはどっしりと輿に乗っかって一息を吐く。研究所が山麓の目立たぬ所に建てられているため山風が冷たい。死体を再利用した傀儡ではまだその辺の気遣いが出来ないのが駄目な点といえよう。
輿がぐいと弟子らの肩に担がれて、進んでいく。人間でいえば走りに等しいほどの速さであるが、肉体を魔術で強化されている弟子らは一々態勢を崩す事は無く、ともすればハンモック程の快適さであった。起伏のある場所も這うように広がる樹木の根っこも、大した障害にはならない。輿は悠々と獣道を進んでいく。
「ああ、愉しみだなぁ。あそこにあるとはなぁ。予想通りかもしれんが、しかし嬉しい事には変わりがない」
にたりと気色の悪い笑みをマティウスは浮かべる。正気があるとは思えぬ顔立ちと相まって彼の不気味さを際立たせた。頬杖を突きながら、彼は北方の冷たい空を仰ぎ見た。
「秘宝は私のものだ・・・待っているのだぞ、狂王」
輿は普通ではない速さを保ったまま北へと向かっていく。樹冠によるカーテンが途切れると、マティウスの視界には雄大に聳え立つエルフ領の霊峰、白の峰の遠景が望めた。目的の代物はあの山脈の谷間にあるのだ。過去の遺物と化した偉大なる王の遺跡、『ヴォレンド遺跡』にこそ存在するのだ。
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