男女美醜の反転した世界にて
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反転した世界にて4
来たる放課後。例によって、僕は人の出入りがまばらになるまで自分の机でボーっとしているのだけど。
「さよなら赤沢さん。また明日ね」
「さ、さよなら」
「じゃあの」
「じ、じゃあの(?)」
「あ、赤沢さん。明日、楽しみにしてるからね!」
「う、うん。頑張るよ」
「毒を盛るなら超強力な奴にしなよ。中途半端だとコイツ、確殺できないかもしれないからね」
「そ、そんなことはしないよ」
来よるわ来よるわ。
クラスメイト達が、なぜか僕に一声かけてから教室を出ていくのだが。
僕の席は窓際の、後ろから数えて三番目なのだけれど。声をかけてくる人たちのうち何人かは、わざわざ離れた席から僕の席にまでやってきて、挨拶をしてくれるのだ。
その度にどもりながらも返事をするのだけれど。正直、嬉しいというよりも怖い。
そりゃまあ、こんな風にクラスメイト達と自然と帰りの挨拶を交わし合えるような、そんな妄想をしたことは幾度となくある。
嬉しくないと言えば嘘になるのだ。
けれど、昨日まではこのような状況足りえる気配は、微塵もなかった。喜びよりも、何かを企んでいるのではないかと、上げて上げて落とす算段が付いているのではないかと、疑心暗鬼に陥ってしまう。
――男子と女子の役割がまるっと入れ替わってしまったような怪奇現象。
男女の価値観が入れ替わっている――のはわかったけれど、しかしそれだけでは説明できないこともたくさんある。
はじめて会う(と思われる)一部のクラスメイトたち。もっとも、元々僕もクラスメイトの顔と名前を全員一致させているわけではなかったので、"誰と誰が入れ替わった"のかはわからない。そもそも、入れ替わってなどいないのかもしれない。
――ならば、どうしていきなり、クラスメイトたちは僕に優しくなったのか?
優しくなったというか、やたら親しげというか。白上さんを筆頭に、我がB組に置いての僕の立ち位置が、わからなくなっている。
朝のHRの時点では、ノリに巻き込まれただけかとも思ったけれど。それでは放課後にまで声をかけてくれる理由にはならない。
自分で言うのは物凄く嫌な話だけれど、――男女の価値観が入れ替わっているのなら、これはつまり、"女子に対する接し方"なのかも……と少し考えて、すぐに否定する。
男子だろうが女子だろうが、ぼっちはぼっちだ。クラスメイトが優しくなる理由としては薄い。
ここで猜疑心に囚われてしまうのだ。『どうせ何か企んでるんだろ』なんつって。
とは言っても言うものの。
だからと言って、そんな風に斜に構えたひねくれ思想で、せっかく歩み寄ってきてくれる級友たちを突き放したりするのも、何か違う気がする。何か違うっていうか、何様のつもりだっていう話。
少なくとも、現時点で悪意や敵意を感じているわけではないのだし。どうせなのだから気楽に行こうと思う。どうせ、ぼっちをこじらせすぎて空気なんか読めやしないのだから。裏読みしすぎたってロクなことにはならない。
自己完結完了。
けどわからないことはまだある。精神的な方ではなくて、こっちは物理的、現実的な問題で、
――担任と体育教師が女の人に代わっていた理由は?
"面識のないクラスメイト"たちと相まって、大きな謎のひとつだ。元の――男性教師の方は、一体どこへ消えてしまったのか?
こればかりは、気持ちの問題として片づけることは出来ない。
だって、昨日までは担任は男性教師だったのだから。
木村先生。下の名前は覚えてない。32歳。担当教科は国語。でも、本当は音楽の教師になりたかったらしい。半年前、自己紹介の時にそう言っていた。
親しかったわけではない。教師と生徒の熱い絆を感じるようなイベントは全くなかったけれど、でも、木村先生が担任だった記憶が、僕にはあるのだ。彼は一体、どこへ消えてしまったのか?
「……病院は、いやだなぁ」
ボソリと、ため息とともに、誰にも聞こえないように呟く。
『異常を自覚している者は、異常者ではない』なんて言葉を聞いたことがある。この言葉を信じるならば、"自身の異常"を自覚していない――認めることのできない僕は、完璧に精神異常者だってわけだ。
昔、似たような状況に陥った男が主人公のエロゲをやったことがある。――と少し考えて、あちらは僕なんかとは比べ物にならないくらい狂気の世界に落とされていたっけ。
久々にやりたいな。今なら『自分の知っている世界が、突然めちゃくちゃになってしまう』気持ちが、これでもかというくらい理解できるかもしれない。
……ごめんなさい。嘘です。僕には"友情や愛情が汚されていく絶望"なんて、理解は出来ても真の意味で共感はできません。元々ぼっちだし。
家に帰ったら、起動してみるか。
「ん……」
――と、随分と長いこと考え込んでしまっていたみたいだ。
グラウンドの方から、部活動の掛け声が聴こえる。甲高い声だ。
帰ろう、と荷物をまとめて席から立つ。
と、開きっぱなしになっている教室の前で、こちらに向かって手を振っているツインテールの男子を見つけた。
……そういえば、クラスメイトの男子たちも、荒井くんほどではないけれど"女性的な髪型"のヤツが数人いたな。逆に、女子はショートヘアと呼ばれるような、短めにしている子たちが多かったように思う。
価値観が変わってしまっているのだから、それ自体は不思議でもなんでもないことなのだけど。僕個人としては、女性は黒髪のロングが好み。男はどうでもいいや。
「や、ごめんごめん、待たせちゃって」
なんてことを考えていると、いつの間にか荒井くんは僕の目の前にまでやってきた。
バツの悪そうな顔で、手を合わせている。
「は?」
「な、なんだよぅ。そんなに怒ることないだろ」
「別に怒ってるわけじゃないけれど……。僕たち、帰りの約束とかしてないよね?」
「うわっ、傷ついた。なんか知らないけど今の台詞グサッときた」
「ご、ごめん……」
「俺たち駅まではいつも一緒に帰ってるだろ? 降りる駅が違うから、電車までだけど」
「そうなんだ……。そうなってるのか……」
今日は度々、荒井くんと僕の間で認識に齟齬がある。
価値観の変容が起因となっているものもあれば、今回のように、そもそも話が噛み合わない場合と、実に様々だ。
――ふと、思いつく。
「……あのさ」
「ん?」
僕の現状を、荒井くんに相談をしてみようと思う。
世界の変化か、僕の異常か。それはともかくとして、とにかく変わってしまってから。一番僕と親しくしてくれているのが、荒井くんだ。
この荒井くんなら、僕の話を真面目に聞いてくれるような気がするのだ。
それが事態の解決に結びつくかどうかは別として。少なくとも、僕の認識と僕以外の認識を擦り合わせることは出来る。
……最悪の場合、精神異常者と見做されて唯一の親交を失ってしまう可能性もあるけれど。
でも、僕一人で抱え込むには重すぎる。
ぶっちゃけ、誰かに話したい――それが一番の理由だ。
「……荒井くん。この後、時間ある? もし都合が良ければ、ちょっと寄り道したいんだけど」
「へえ、拓郎の方から誘ってくるなんて珍しいじゃん。いいよ、行こう行こう」
荒井くんは少しだけ意外そうな顔をすると、嬉しそうににんまりと笑って二つ返事で了承してくれた。
……僕の方から誘うのが珍しい。と荒井くんは言う。
僕の記憶が正しければ、"僕が荒井くんを遊びに誘ったこと"なんて、一度もない。
何度も言うけれど、僕は荒井くんとそこまで親しかったわけではない。荒井くんの方が、コミュ症僕に気を使ってたまに構ってくれていただけだ。
「んで? どこ行くの?」
「ゆっくり話ができるならどこでもいいんだけど……。マックとか?」
「俺、ジャンクフードってあんまり好きじゃないな。そうだ、最近駅前に新しくできた喫茶店。せっかくだからそっちにしようぜ」
「ほう。喫茶店とな」
喫茶店でお茶するようなガラじゃねーだろ。などと言うのは早計だろう。価値観的な意味で。
でも、うーん、ああいうところって、ちょっと高いイメージがあるんだよなぁ。今月の我が財政的にちょっと厳しいんだけど……。
しかし、こちらは付き合ってもらう身分だ。荒井くんに合わせるのがベターな選択と心得る。
「よかろう」
「なんで偉そうなのかわからないけど。決まりだな、待たせちゃったお詫びに、飲み物くらいなら奢るよ」
「最高」
一瞬、荒井くんが天使に見えた。
けどそれは、横顔を流し見したときに、ツインテールだけが目に映る錯覚だった。僕ほどじゃないけれど、ブサイクはブサイクだ。
でも奢ってもらえるのは嬉しい。
「じゃ、行こうぜ」
「うん」
◇
やってきました。喫茶店。
――またの名を"ケーキバイキング"
いやー、内装が明るいですねー。栗色の彩が眩しいです。メニューですか。ケーキしかないんですか。マロンフェア? あぁ、秋ですからね。
なんていうかこう。物凄く場違いな感じがビンビン来てます。
なんたってもう、右も見ても左も見ても……男ばかり。
むさくるしい。
男共がケーキやパフェを抱えながら、実に幸せそうに舌鼓を打っている姿は、もうなんかもう、世紀末。
「拓郎はコーヒーだけ?」
「うん。もうお腹一杯なんだ」
僕の正面、一枚の皿を埋め尽くすようにして、様々な種類のケーキを持ってきた荒井くん。
ツインテールのブサイク男子が、山盛りのケーキにパクついている姿は、何か悪い夢でも見ているかのような気分になる。
正直、見てるだけで胸焼け起こしそうです。
「んで、話って?」
「うん。食べながらでいいから。聞いてくれると嬉しい。……何から話そうかな」
――僕は今朝からいま現在に至るまでに起きた、様々な変化と出来事を。
そして、それに対して僕自身が感じた違和感――元の世界との違いを、細かく言葉で説明した。
ただし痴漢に遭ったことは省略。今思うと、あれも男女の役割が入れ替わっていたのだとしたらまあ、不思議なことではない。向こうは僕の顔を見ていなかったのかもしれないし。ざまぁ。
女子が必死になってコスプレ喫茶を強行しようとしていたこと――、それは去年、男子がやっていたことだ。
男なのに、ノーブラであるからと言って怒られたこと――、男にブラを着ける習慣はない。
白上さんの話もした――、彼女は僕を知っていたけれど、僕は彼女のことを今日まで名前も顔すら知らなかった。
――付け加えるならば、僕と荒井くんなんかの輪に混ざろうとしていたことも、大きな謎と言えば謎だけど。話がややこしくなりそうなので省略。
重要なのは、白上さんを含めた、クラスメイトたちの妙な親しさだ――、僕はクラスでも浮いて煙たがられていた存在なのだから。
「……――っていう、ことなんだけど」
「……」
口をモゴモゴと動かしながらも、荒井くんは僕の話に口を挟むことなく、ただ黙って静かに聴いてくれていた。
……常にデザートを口に運んでいたから、そもそも口出しが出来なかっただけかもしれない。
とにかく、僕は話すべきことを話し終えて、コーヒーを一口飲んで、乾いた口内を潤す。
「…………」
「モグモグモグ、ゴックン」
僕が話をしている間に、荒井くんは最後の一切れとなったモンブランを口に運び、咀嚼して、飲み込んだ。
次いで、口元を紙ナプキンで拭ってから、口を開く。
「……その、なんだ。言いたいことは色々あるんだけどさ。まず一つだけ」
「はい」
「冗談ではないわけ?」
「荒井くんの知ってる僕は、こういう冗談を言う奴だったのかな」
「いや、言わないな。っていうか、そんなに喋ってる拓郎を見たのは今日が初めてだ」
荒井くんは疲れたような――実際、僕の長い話を聞いて疲れているのだろう――表情で、苦笑いを浮かべながら大きなため息をついた。
「正直、真面目にリアクションするなら、病院に行けとしか言いようがない」
「だよね……」
「だってお前、こんな馬鹿げた話を大真面目にしてるんだもん……。ホントなら縄にかけてでも病院に連れて行くべきなんだろうけど」
「それは困るかな……」
荒井くんの可哀相な人を見る目が、突き刺さってすごく痛い。比喩じゃなく。
やっぱり、他人に話すのは早計だっただろうか。――なんて、ちょっと考えればわかることだった。誰かに僕の現状を理解してほしい、話を聞いてもらいたい一心で、安直な行動をとってしまった。
――今からでも、『冗談だ』と言えば……。
と、口を開こうと顔を上げると。
「――だから、真面目に聞かないことにする」
「え?」
にやりと、まるで面白いエロゲを発掘したことを語るような表情で笑う、荒井くん。
「ふざけて話を聞くことにする。この話は、拓郎生涯を賭けた渾身の創作だと勝手に仮定して話を進めるんだ。悪く思うなよ? 真面目に律儀に付き合ってたら、俺の方まで頭がおかしくなっちゃいそうなんだだ」
「う、うん! それでいいよ。話を聞いてくれるなら」
や、やべえ。こいつ、超良いヤツだ。
いいヤツだなぁとは、高校に入学してからずっと思っていたけれど。こんなにもお人好しだとは知らなかった。
「別にお前のためじゃねーよ。身内が黄色い救急車に連れて行かれたなんて噂が立ったりしたら、俺に迷惑がかかるんだから」
「荒井くん……」
いつもは気持ち悪く思うツンデレも、いまだけは照れ臭い。
荒井くんマジ僕のソウルフレンド。やばい、泣きそうだ。
「おいおい、泣くなよ」
「泣いてねーし」
「とりあえず、んじゃ、話を整理しようぜ」
「う、うん」
荒井くんは砂糖のたっぷり入ったカフェオレで口を潤して一息置いて、口火を切る。
「まず――元の世界とやらについて確認だ。OK?」
「オーケー」
「一つ、拓郎の言うところの元の世界には男性専用車両や男子更衣室なんかなくて、男はブラなんか着けない。『コスプレ喫茶を敢行』なんて騒ぐのは男子の方である」
「うん。間違いない」
「二つ、拓郎と俺は親友ではなく、顔見知り程度の関係。クラスではハブられていて携帯電話のアドレス帳には両親以外に登録されていない」
「う、うん……間違い、ない」
「三つ、B組の担任は男性教師で、体育の担当も男性教師だった」
「うん。その通り」
「お前の話から読み取れるポイントは、大体この三つだな」
実に簡潔にまとめられてしまった。荒井くんって頭良かったんだね。
普段、勉強の話とかしたことないから、勝手に僕と同レベルだと思ってたよ、ごめんなさい。
「今度は俺の番。俺の、ないし世間の一般的な常識についてだ。拓郎の話と照らし合わせながら話すからな」
「よし来い」
なんだかやたら生き生きとしているけれど。あれかな、議論をまとめたり知るのに快感を感じるタイプなのかな。クラス委員長とかやってそう。
完全に荒井くんのペースに飲み込まれている僕。だけど楽なので、ここは流れに乗っておこう。
「まず一つ目についてだけど、俺の知る限り女性専用車両なんて聞いたことはない。女子更衣室は大きい学校とかならあるだろうけど、うちの高校にはないな。男がブラを着けるのは当たり前だし、『コスプレ喫茶を敢行』だなんて騒ぐのは女子に決まってる」
「……つまり、僕の感じた違和感は、この世界じゃ異端だってことだよね」
「だな。つーか、男女の価値観が入れ替わってるだなんて、簡単に言うけどさ。じゃあなに、拓郎の世界では女がブラを着けてるのか? 女性専用車両があるってことは、女が痴姦……、猥褻行為の被害に遭ったりするわけ?」
「うん。ついでに言うなら、男はこんな可愛らしい喫茶店でケーキやパフェを食べたりしない。あと、購買で戦利品を確保するために、廊下を爆走したりするのも男子の方だ」
「徹底してるな……。ん、ってことはなんだ。拓郎はその世界の男なんだろ? 女のパンツとか胸を見て興奮するってこと?」
「しないと言えば嘘になる」
「正直に言うと?」
「めちゃ興奮する。ぶっちゃけ、体育の時間に鼻血出して倒れたのって、白上さんのおっぱいにやられたからなんだ」
「白上のってお前……飢えてんな。まあ、男女が入れ替わってるなら不思議じゃないか。この世界の女も、割とそんなだし」
「思春期の男はコーラの瓶を見て欲情したりするよ。僕はしないよ」
「そうだな。思春期の女はコーラの瓶を見たら挿れたくなる、なんて言うくらいだからね。あべこべだけど、そっくりだ」
少々ニュアンスが異なる気がする。
でも言わんとしていることは同じだ。
「拓郎、いまもノーブラなんだろ? 擦れて気にならないの?」
「……ブラを着ける恥ずかしさと比べたら、なんでもないよ」
「不感症め」
「失敬な」
気にしないようにはしてはいたけれど。
荒井くんに指摘されれば意識してしまう程度に、服が乳首周辺がTシャツに擦れて刺激が伝わってくるのを、忌々しくは感じてる。
感じてるんじゃない。ないったらない。ビクンビクン。
「色々と興味深いけど、話が進まないから次行くぞ。二つ目についてだ」
「おうともさ」
「拓郎と俺は親友じゃなくて、拓郎はクラスでハブられてるって話。……ん~、これは、ある意味その通りかもしれない」
「どういうこと?」
煮え切らない態度で、言葉を濁す荒井くん。
ある意味、ってのがとても重要なことを言っている気がするので、余計なことは口にしないことにする。
「俺はまあ、その、なんだ。拓郎と絡むのは楽しいし、なんだか放っとくと危なっかしいから、自分で言うのもなんだけど、お節介なくらい構ってたと思う」
「お、おぅ」
いきなり何言いだすんだコイツ。
この荒井くん、デレすぎだろ。
僕の知ってる荒井くんは、九割九分ツンで、デレは一厘。残りの九厘は無関心、ってくらいの激烈ハードなツンデレのはずなのに。
すごく複雑な気分だ。どうかお友達としてお付き合い願います。
「でも、拓郎の方から俺に絡んでくることは、滅多になかった」
「薄情な奴なんだね」
「おめえだよ。まあ、無口でいつもボーっとしてるから、そんなもんなんかな、ってくらいにしか考えてなかったな、俺は。……で、拓郎ってそんなヤツだったし、クラスでもまあ浮いてたんじゃないかな。HRや休み時間中はいつも寝てるらしいじゃん? そりゃ、近寄りがたいよ」
「誠に遺憾である」
僕が休み時間中に机に突っ伏すようになったのは、周りから指さされて、クスクスと嘲笑われているのを視界に入れるのが嫌だったからなのに。
「正直な話、拓郎は他人が嫌いなんだと思ってたよ」
「それは誤解だ」
そりゃまあ、ことあるごとに陰口悪口を言われたりして、怒りを覚えたことがないとは言わないさ。
むしろちょっとしたことがある度に、やるせない気分に陥って、自己嫌悪とも恨み辛みともとれる気持ちを抱いていたりした。
それでも。そのくせ。
そのざまで、出来ることなら――いやそんな消極的にではなく、心の底から。
本音を言い合える友達や、一緒に手を繋いでくれる恋人なんかに、憧れていた。
「……うん、まあ、だったらさ。今日はいいキッカケになるんじゃないか? 白上に弁当作る約束もしてたし。うまく回ってると思うよ。なんならクラスの女子全員分作ってやれよ。神として奉られるかもよ」
「そんな裕福じゃないよ、僕。……っていうか、普通にキモがられるビジョンしか思い浮かばないかな……」
我ながら、うんざりするほどのネガティブ思考。
長年培ってきたマイナス指向な考え方が、こびりついてしまっている。
「それなんだよな。俺の知る限り、拓郎を邪険にできるような女子なんて想像がつかないんだよ」
「むしろ、僕に良くしてくれる女子が存在するなんて、今まで想像しかできなかったよ」
――白上さんと出会うまでは。
まるで僕の妄想世界の住人が、そのまま飛び出してきたかのような女の子だ。しかし、白上さんは現実に居る。その豊満な胸の内までは、想像の及ぶ範疇にはない。
あの女神のような笑顔の裏側で何を考えているのか。考えれば考えるほど、やっぱりネガティブな想像しか浮かんでこない。
「うーん。なんだかな。男子が陰口叩くのはまだ理解できるとして。女子までもってのは想像がつかないよ」
「なにを根拠に」
「根拠もなにも、普通に考えて、だよ。外河高校のアイドルランク第二位『春眠暁の眠り彦』さまに対して、女子が陰口なんてがつぶやいたら、間違いなく親衛隊に粛清されるだろうが」
「ちょっと何を言っているかわからない」
「ん? 親衛隊の話? まあ、拓郎は知らなくても不思議じゃ……」
「それも大いなる疑問点だけど、そうじゃなくて。アイドルランクってなんだよ。第二位とか、センス皆無の二つ名とか。そんな世界の住人じゃないよ、僕」
完全に人違いだろそれ。なんだよ『春眠暁の眠り彦』って。
どんだけ眠いんだよそいつ。一生冬眠してろよ。
「いや、いくら世界が変わったからって、流石に自分の容姿を自覚してないってことはないだろ?」
「自覚はしてるよ! 顔面偏差値20、告白すらしてないのに女子に振られる、大魔法使い候補の筆頭だ!!」
自分で言ってて死にたくなった。
ちなみに、告白してないのに女子に振られたというのは、『赤沢と付き合うくらいならゾウリムシに求婚するわ』という陰口を耳にしてしまったときをカウントしたからだ。
似たようなニュアンスで3回ほど経験がある。死のうかな。
なんて、自殺願望を拗らせている場合ではない。
「いやいや、ちょっと、ちょっと待てよ。また噛みあわなくなったぞ。一旦、ストップだ」
「そ、そうだね。落ち着こう。クールダウンだ」
荒井くんと僕は同時に、手元のお冷をあおって気を休める。
そしてコップをテーブルに置いて、お互いに一息ついてから。荒井くんは切り出した。
「はぁ、……一回さ、自己紹介してみろよ。ありのままの自分を客観的にさ。謙遜とかなしで。……高慢なのも駄目だ」
「なにそれ……、いや、わ、わかった……ぐ、く……」
「――あ、すみませーん。コーヒーとカフェオレお替りください」
荒井くんはさり気なく、ドリンクのお替りを頼んだ。
ウェイターがカップにコーヒーとカフェオレを注いでいるのを眺めながら、僕は話すべき事柄を吟味する。
「ごゆっくりどうぞー」
「……じゃあ」
「おう」
ウェイターが去って行ったのを合図にして、僕は重い口を開いた。
――幼少期からのトラウマと、先ほどは省略した、より具体的な高校生活を。
出来るだけ客観的になるように、ありのままに話す。
客観的に、とは言ったって、話すのは僕だ。ガリガリと何か大切なものを削りながら、絞り出すようにして話を続けているうちに、誇張した表現や、主観的な感情が先走ってしまった部分が、たくさんあったと思う。
しかし、荒井くんはそんな僕の要領を得ない話を、先ほどと同じようにじっと目を瞑って、静聴していた。
「――、……こんな、ところかな」
「――まとめるぞ。拓郎は自分のことを超絶ブサ面だと認識している。周りからもそう言われて、付いたあだ名は〝女もやし"」
「あだ名は昔の話だべらんめい」
「クラスの女子からは度々陰口を叩かれて、電車内で隣り合わせになろうものなら距離を取られる、そんなレベルの、非モテブサ面一生童貞候補。――で、間違いないんだな?」
「……その通りだよ畜生め」
荒井くんの述べる口上は、僕が延々長い時間かけて語っていた内容を、すっきりと明快にまとめただけのものだ。
だから、ここで僕が腹を立てたりするのは筋違い甚だしいこと。
それを理解したうえで、目を背けたくなるような現実を淡々と突きつけられて、心中穏やかでいられるほど、僕は良い人を気取ってはいない。
「まだ何か足りないのもう死にたいんだけど」
「やさぐれてんな。……あーあ、なんかこれもマジっぽいな。……いや、これは決して、親友が既知の外に仲間入りしてしまったわけじゃない。妄想で想像で創作なんだ。或いは本物の並行世界の実証例で……」
ブツブツと、額を指で押さえながらしかめっ面で失礼なことを呟く荒井くん。
ひとしきり愚痴をこぼしてから、「よし」と自分に発破をかけるようにしてから、顔を上げる。
取ってつけたような無表情が、そこには張り付いていた。
「――じゃあ、改めて、俺の知ってる拓郎について話すぞ」
「うん」
「簡単に言えば、お前の認識をそのままあべこべにすればいい」
「あべこべとな」
「だからさ」
要領を得ない僕の態度に、心底うんざりといった感情を隠そうともせず、荒井くんは吐き捨てるようにして語りだす。
「絶世の美男子。居眠りしてる時の寝顔があまりにも美しすぎて、教師ですら起こすのを躊躇する。付いたあだ名は"春眠暁の眠り彦"。全校女子の憧れの的で、電車内で隣り合わせになろうものなら、女子なら誰もが心の中で、『このまま時が止まればいいのに』と願ってしまう。そんなレベルの、モテモテ美男子一生勝ち組予備軍――そんな感じ」
……。
……慰めのつもりだろうか?
真面目そうな顔でそんな取ってつけたようなお世辞を述べられても、面白くもなんともない。
「盛大な慰め痛み入るよ。で、それなんてエロゲ?」
「茶化すなよ、マジなんだから。男の俺から見たって、嫉妬とか羨ましいってのを通り越して、憧れるレベルだ」
「や、やめろよ……」
頬を赤くして顔逸らすなよ。
マジ天使だとは言ったけど。生理的にも生物学的にも、お友達以上はごめん被るよ。
「薔薇の趣味は俺にはねーよ。……一部の男子は、ガチで狙ってるらしいけどな」
「なんでホモが湧いてるんですかねぇ(戦慄)」
「……」
「……え」
……。
……え?
真面目? マジで? ガチで?
これは、どう捉えるべきなんだろうか。
「……」
冗談を、言っている感じではないな。確かに。
いや、でも、幾らなんでもそれはない。
理解とか納得とか、それ以前の問題だ。そんなの。
言うなれば……そう、そんなのは、あまりにも都合が良すぎる。
「――お待たせしました。コーヒーとカフェオレになります。ごゆっくりどうぞ~」
「あ、ども」
「……」
やがてウェイトレスが注文の品を運んでくる。
しかし荒井くんは、明後日の方向を眺めて、黙り込んだまま。
僕がどんな理解を示すのか、どのようなリアクションを返すのか、待っているのだろう。
そんな風にされたところで、俄かに信じられるような話じゃない。
「……僕から見たら、一位の人は僕以上にブサイクなんだろうね」
沈黙が辛いので、僕はなんとなく誰ともなく、適当な思いつきを独り言ちる。
僕が自称顔面偏差値20くらいなら、一位ともなれば顔面偏差値15くらいだろうか。
仲良くなれるかもしれない。
「……それ、もし園原……、ないし『園原派』に聴かれたら間違いなく戦争になるからな、自重しとけよ」
「園原さんって言うんだ、一位の人。……派閥なんてあるんだね? 僕の派閥もあったりして」
「おまえ、まだ信じてねーの? 実際、白上の態度見ただろ? ブサ面二人が駄弁ってるところに割り込もうとする女なんて、一体どこの世界に居るんだよ」
心底めんどくさそうに、しかしキッチリと言葉を返してくれる荒井くん。
確かに。言われてみれば、白上さんのあの行動。
もしも仮に万が一、限界までポジティブで楽観的な思考回路で以て。
白上さんの行動が、僕や荒井くんに対する"好意"から来るものだとしたら。考えられるのは……。
「白上さんって、B専……?」
「はっ、じゃあ人類のほとんどは真性のブサイク専ってことになるな……。……ん? 人類のほとんど……?」
自分で呟いた言葉に、何か閃きを感じたのだろう。
荒井くんは口元を手のひらで覆うようにして、じっと目を瞑って思案しだす。
次いで、ブツブツと。指の隙間から独り言を漏えいさせていた。
「もしや、もしも、もしかして……。いやまさか……、でも、それなら、むしろそっちのが自然……」
「ちょ、ちょっと。一人で納得してないで、僕にも説明してよ」
うむうむと、まるで謎を解き終えた名探偵のように腕を組んで、思考の世界から戻ろうとしない荒井くん。
一体どんな名推理を繰り広げたというのか、解説してもらわないと落ち着いていられない。
「お、おう。あのな、えっとさ。……――あ。あっち。あれ見てみろよ。ほら、あそこでウェイターとお喋りしてる女」
「ん、どれ?」
荒井くんの指さす方向には、レジカウンターが見えた。
『――、――』
『~――、……♪』
その向こう側で、切り分けられる前のチャーシューみたいな肉塊が、ウェイターと楽しげに対話しているのが確認できた。
異種間交流だろうか。
『――……』
『!』
……僕の視線に気が付いたのか、肉塊は重々しそうに僕の方へと振り向くと、頬をハムみたいに赤く染めた。
片目をバチバチとせわしく瞑って、何かをアピールしてくる。威嚇行動だろうか。
「……(ニコ)」
とりあえず微笑み返しておく。
こちらに敵意はないということが、うまく伝わってくれるといいんだけど。
荒井くんの方へと視線を戻す。
「――あの豚の進化系みたいな怪物が、どうかしたの?」
「怪物って……。お前も大概、口悪いよな。どうしたらアレを見て"豚"なんて連想ができるんだよ」
「いやだって。脂肪に包まれている様子というか。肉が重量過多を起こしてアラームが鳴り響いているようなイメージじゃない? アレ」
「……豚って、贅肉あんまりないだろ。あいつら体脂肪率14パーセントとかだからな」
へぇ~。
って、なにその豆知識。
僕が知りたいのは、そんな明日使えるトリビアじゃなくて、事件の真相なのだけれど。
「話が逸れたな。じゃあ次は……、あ、あそこ、見てみろよ」
「なんなのさ、一体」
再び、荒井くんの指さす方向へと視線を向ける。
今度は店内のテーブル席だ。
「わ……、え?」
ボーイッシュな印象のショートヘアな麗人だ。コーヒーカップを口に運ぶ仕草が、とても大人っぽくて良い。
年の頃は、二十台中頃から後半ってとこだろうか。随分とラフな格好で露出が多い。なんていうか、性におおらかそうな雰囲気を全身から醸し出している。僕は我ながらムッツリスケベとは無縁の存在なのだけど、それでも、あんなお姉さんが居たら僕はもう……。
僕の人生はもっと充実していたかもしれない。などと考えてしまう。男の子ですから。
――そんな別嬪さんが、僕ほどではないけどかなり残念な容姿の男性と、相席しているのが見て取れた。とても楽しそうに会話をしている様子から見て、偶然の相席ではないだろう。
「えらく綺麗な女の人が、人生を損してそうな男の人とケーキを食べてるね」
「綺麗な女の人、ね。……はは、雰囲気を見るに、多分デリとかだろうな。幾ら払ったんだろ」
「ああ、確かにそんな感じするかも……」
「ふ、はは、断言してやるよ。お前の想像とは真逆の状況だよアレは。くはははっ、こりゃ傑作だ」
「な、何が面白いのさ」
僕の反応が心底面白いのだろう。
荒井くんは僕の顔を見ながら、くつくつと腹を押さえてせせら笑う。
そんな態度に、苛立ちを覚えなかったと言えば嘘になる。けれどそれ以上に、荒井くんの至った結論が気になってしょうがない。
「ひひひ、ははっ、これが笑わずにいられるかよ。創作だとしたら大爆笑間違いなし、マジだとしたら、もっととんでもないことだよ、これは」
「じ、焦らすなよう……」
――正直なことを言えば。
荒井くんの推論を待つまでもなく、僕の中でも一つのある推測が成り立っていた。
けれどそれを認めるということは、僕の妄想以上に、僕の想像より更に斜め上に向かって、僕にとって都合の良い世界であることを、認めることと同義なのだけど。
「慌てなくても教えてやるともさ。なに、簡単なこと。逆転してるのは、男女の価値観だけじゃない。"美醜の価値観"まで、反転してるってことだ」
「……」
荒井くんの裁決はしかし、簡潔にして完璧に、僕の想像と全く同じ結論だった。
「ここに、スマートフォンがある」
「……新機種だ」
この期に及んで、僕が納得していないのを悟ったのだろうか。
何やら憑き物の落ちた聖者のような表情で以て、荒井くんはポケットから携帯電話を取り出して、捜査を始めた。
「これな。僕の好きなスマホ用の腐男性向け18禁ゲームでな。いわゆる百合ゲー。GLゲーとも言うのな」
「百合に、GLゲーとな?」
「そうさ。……うん。やっぱり啓子ちゃんはいいなぁ。時代は和美×啓子だよね。――は、置いといて。とりあえずコイツを見てくれ、どう思う?」
数瞬、画面に向かって荒井くんは微笑むと、スマホを僕の方に向けてテーブルに置いた。
促されるままに、僕は目の前の液晶画面を覗き込む。
するとそこには、
「す……相撲!?」
回し……ではなくパンツ一丁の相撲取りのような肉だるま二人(性別不明)が、ベッドの上で戦っている。
いや、よく見ると下にいる方はマウントを取られて圧し掛かられていて、実に苦しそうだ。一目で上下関係がわかる。
これが、俗にいう『可愛がり』か……、ゴクリ。
「これな。最近公開されたアプリゲームなんだけど。世に腐男子を量産した超人気作品なんだよ。登場する乙女たちが秀逸でさ」
「確かに秀逸な感性だね」
「うん。だからさ。腐男子の一意見と割り切って聞いてもらってもいいけど、とにかく。このゲームの登場人物たちみんな、"この世界の男にとって美少女"なんだよ」
「……、……――」
荒井くんの伝えんとするところを理解して、今度こそ僕は文字通り言葉を失った。
絶句、するしかない。
「女性は贅肉が付いていれば付いているほど良い。体型が寸胴に近ければ近いほどいいってのが、一般的な感性だな。顔は、まあ人それぞれではあるだろうけど。基本は、一重で目と目は離れてたりすると高ポイントで。鼻が低いのに憧れたり、鱈子のような口元から覗ける歯茎に胸きゅんとか――」
「や、もういいよ。よくわかったから、勘弁してください」
得意げに"美女の条件"を語る荒井くん。その様子に、冗談を言っているような気配は感じられない。
――思えば、荒井くんは初めから、『ふざけて話す』と前置きしておきながら。
何処までも真面目に真剣に、僕の話を聞いて、理解して、そして答えてくれていた。
――ここに至ってようやく僕は、此処が男女美醜の反転した世界なのだと、遅まきながらに理解するのだった。
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