男女美醜の反転した世界にて
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反転した世界にて3
「……時間だ。はぁ、本当にこのクラスはまとまりのない……。出し物の決定は明日のホームルームに持ち越すから、今日中に皆で話し合って決めておきなさいね」
「「はーい」」
教師が退出した後。すぐにざわつき出すクラスメイト達。
僕は次の授業の準備に取り掛かりつつ、先ほどの大騒ぎを反復して愉悦にっている気持ち悪い男子が一人。そう、僕だ。
興奮冷めやらぬとはこのことか。
生まれてから今まで。あんな風に、クラスの馬鹿騒ぎに巻き込まれて、一緒に大騒ぎをするなんて経験、初めてのことだった。
――冷静に考えれば。皆、それぞれ盛り上がりすぎて、ある意味前後不覚な状態になっていたんだろう。
だけどそれでも、いつも外側から眺めていたその輪の中に、僕も一緒になって参加をしていたのは事実だ。
嬉しいやらなにやら。ふわふわとして実感がないというのが本音ではあるけれど。
無論、だからと言って調子に乗って隣人に話しかけて、『えっ、あぁ、うん……』っていう反応をされたりしたら、とてもじゃないけど耐えきれない。
なので、躍る心は一旦抑え込んでおいて、僕自身は何事もなかったように日常に戻ることにする。
今日の出来事はきっと遠い将来になってから、僕の心の思い出ノートの輝かしい一ページとして記録しておくことにする、として。
とにもかくにも、――次は体育の時間だ。
体育は隣のAクラスと合同で行われる。
可及的速やかに着替えを済ませた後は、体育倉庫の裏辺りで時間を潰す――これがプロのぼっちだ。
――着替える、と。心の中で思ったのなら。その時すでに着替えは終わっている!
っていう心構えで、僕はすでにこの時点でYシャツのボタンをすべて外し終えていた。
そのままYシャツを脱ぎ捨て、Tシャツも……というタイミングで、横合いから肩をたたかれる。
「あー、ちょっと赤沢さん?」
「は、はい」
すごく気まずそうな表情で苦笑いしながら、周りをちらちらと窺いつつ話しかけてきた。
「こ、ここで着替えるのはやめといた方がいいっていうか、正気の沙汰じゃないっていうか」
言われて、周囲をよく見ると。男子は全員、巾着袋を持って廊下へと出ていくところだった。
でも問題はそっちじゃない。
問題なのは、すでに着替えはじめて下着姿にすらなっている者すらいる――女子の方だ。
皆が皆、着替えの途中で手を止めて、男子でただ一人着替えをおっぱじめている僕の方をガン見している。その中にはさっきの――僕に話しかけてきた謎の美少女のYシャツ+パンツ姿もあった。
「どぅわぁっ……!? ごご、ごめんなさい!」
「うわ! 出るのはいいけどそんな格好で廊下に出んなよ!!」
「こら女子共! こっち見てんじゃねーぞ」
クラスの男子に囲まれるようにしながら廊下に飛び出す僕。
そのまま適当に走り去ろうとするが、しかし、男子の一人が僕の手を掴んでいてそれは出来なかった。
「Tシャツ姿でどこ行こうとしてんだよ」
「ほら、こっちだこっち」
◇
連行された先は、男子更衣室だった。
僕の記憶が正しければここは女子更衣室だったはずなのだけれど。しかし表札には、ご丁寧に、『男子更衣室』って書かれている。
いつの間に、こんなの出来たんだろう?
そしていつの間に、男子と女子の着替える場所が入れ替わったのだろう? 少なくとも、昨日の時点ではそのような変更聞いたことがない。
――……考えられるとすれば、実は昨日のうちに連絡網とかが回っていて、僕にだけその連絡が回ってこなかった、とか……?
かなり無理がある気がするけれど。ひとまずそれで納得しておく。重要なのはただ一つ、僕が悪いのかそうでないのかだ。
僕は悪くない。だから女子の下着をばっちり肉眼で捉えちゃったのも、無知が故の不可抗力で――、
「……おい、このあんぽんたん」
「荒井くん」
「聞いたぞ、教室で、しかも女子共の目の前で着替えようとするなんて。お前、なに考えてるわけ?」
「な、なに考えてるってこともないけど」
すげえ馬鹿を見るような目で、僕に文句を言ってくる荒井くん。僕は適当に流して着替えをはじめながら、言い訳を考えていた。
大体、考えるも何も、更衣室が変わっていたなんて事実を知らなかったのだから、言い訳もなにもない気がするのだけど。
と、口を開こうと荒井くんの方を見ると、――荒井くんの顔が驚愕に染まっていた。まるでムンクの叫びだ。
「し、しかも、拓郎、お前……」
「今度はなにさ」
自分の身体を見下ろす。無駄な贅肉どころか、必要な筋肉すら欠如しているように思われるガリガリの上半身がそこにあった。
鍛えた方がいいかもしれない。
「お前、ノーブラじゃないか!」
「お前は何を言っているんだ」
スパコーン! と、脳天にいい角度でチョップをかまされた。
「なにをいきなり!」
「お前、このレジェンド馬鹿! ノーブラとか、それこそ何考えてんだよ!」
「なんでノーブラだからって叩かれなきゃいけないんだ!?」
はっ!
いじめか。これがいじめなのか。男の僕にブラジャーの装着を強要するなんて。着けていないから脳天チョップだなんて!
意味不明な精神攻撃と言わざるを得ない。けれど、そのダメージは中々のものだ。
それも校内で唯一僕と会話をしてくれる荒井くんが先兵だなんて……。僕に絶望感を与えるには十分すぎる。
「こ、このペースで、自殺まで追い込む気だな……。負けないぞぅ……」
「何をブツブツと……、それより――、代わりのブラなんて、誰も持ってないよな……、あーもう」
騒いでいる僕たちの方を、男子たちはちらちらと気にしながらも、体操着に着替えていく。
――皆、総じてブラを着装していた。
「あ、あれ……、なんでみんなブラを着けてるの?」
「いやいや、当たり前だろうに。」
「あ、当たり前? 僕の知ってる当たり前と、違う……」
いつの間にそんなハイセンスな常識がトレンディになったというんだ? 男の僕たちがブラなんか着けていったい何の意味があって、それで誰が得をするというのか。
最近の若者が考えることはわからない。
「荒井くんも着けてるの?」
「はぁ!? 当たり前だろうが!! ってうわ、覗き込むなよ馬鹿拓郎!」
荒井くんのTシャツを引っ張って中を覗き込んでみると、なるほど確かに。黄色いリボンと同じ色の可愛らしいブラジャーを装着してる。
――これが、未来に生きるということなのかもしれない。時代はいつだって新しい風が吹き荒れているのだ。
僕のように古い人間は、取り残されていく。振り落とされたくなければ、彼ら未来人たちの後ろを金魚の糞のように付いていくしかない……。
「い、いえ。なんでもないんです荒井さん。ナマ言って、すみませんでした。明日からは、ちゃんと着けてきますんで、はい、許してください」
「なんで急に卑屈になってるわけ?」
◇
「お、おい。B組の赤沢さん」
「冗談……でしょ」
「あの体操着たった一枚を隔てて、その向こうに……、ゴクリ」
ざわざわと。
なにやら凄まじい視線を感じる。
特に女子の目線ヤバい。親の仇でも睨むかのように鋭い眼光で射抜かれている。
常日頃溜まっていった鬱憤が、今日ついに爆発してしまったとでもいうのか。明日からは僕、登校拒否になってしまうかもしれない。
縮こまっている僕の肩を叩きながら、荒井くんは言う。
「ほら、言わんこっちゃない」
「ぐむむむ……」
なにが言わんこっちゃない、のやら。皆まで言ってくれないと何が何やら全く分からないんだけど。
まさか、ブラを着けてこなかったからってこんなに注目されるなんて。大体家に男用のブラなんかあるわけないんだから、今日買って来なきゃならないんだけど。
「――集合! チャイム鳴ってるわよ! さっさと並びなさい!」
授業開始のチャイムが鳴って、先生の号令に従い、男子と女子で別れて整列する。
僕は背が低いので最前列だ。
先生は僕の方を見るなり、露骨に視線を逸らしながら、何事かを言いよどむ。
「あ、あ~。赤沢……その」
「その……。ブラを忘れてしまったみたいで。今までこんなことなかったんですけど、なんかすみません」
「そ、そうか。それは困ったな」
視線を逸らしているように見えて、横目でちらちらとばっちり僕の全身を眺めてる。
――っていうか、このビューティーな女教師は一体どこの誰ですか?
体育担当の先生は、男の人だったはず。ハンドボール部の顧問で、ヒゲがもっじゃもじゃなのが特徴。
県大会に出れなかったらヒゲを剃ると毎年宣言するんだけど、うちの高校はハンドボール強いのでもう十年以上剃っていないらしい。どうでもいい。
担任もいつの間にか変わっていたし……。
「い、いや、忘れ物は誰にでもあるわね。うん、しょうがないから、今日は見学していなさい」
「はぁ」
ブラを忘れたから=見学。こんな方程式、僕の常識にはない。
色々と釈然としないものと感じながら、僕はグラウンドの端っこに体育座りでしゃがみこんで、見学の任を全うすることにする。
「……」
男子も女子も、種目はサッカーをやっていた。
どのみち、僕は運動神経が生まれつき欠如している方なので、見学自体は大歓迎だ。合法的にサボることができるからね。
「ん?」
それにしても、今日の男子はなんだかやる気がなさそうだ。いつも球技となるとやたらに張り切る奴らが出てくるものなんだけれど。
で、そいつのせいで僕みたいな運動音痴まで体育会系のノリを強要させらて辟易とするんだけど。
「いけー、抜けーっ!」
「そいつを止めろーっ!!」
――対して、女子の盛り上がりはすごい。
如何にも運動の出来なさそうな肉だるまが坂道を転がるようにしてドリブルしながら、並み居る女子たちをごぼう抜きにしていく様は、まさに圧巻だ。
あ。肉だるまがボールを取られた。ボールを取ったのは……、おぉ、ポニーテールの美少女じゃないか。
華麗にドリブルしながら、ポニーテールを揺らして見る見る敵のエリアに食い込んでいく。
ぽよんぽよんと、ボールと地面を蹴るたびに上半身の二つのボールまで豪快に揺れまくっている。なんという壮観だ。
「あ?」
しかしそれにしても揺れすぎじゃないか? なんかリミッター振り切ってるというか、抑えるべきものが解き放たれているというか。
あの揺れ方は……正気じゃねえっ!!
おっ、ゴール決めた。
「やったーっ!」
「まさか白上に抜かれるなんて……」
「あ、あ、赤沢さん、こっち見てない……?」
「嘘マジで。ホントだ、手を振っちゃおう!」
「やめなよ恥ずかしい……」
あっ。美少女手を振ってる。大降りに手を振っているので、身体まで揺らしてる。
僕も手を振り返した方がいいだろうか。でも僕に対してじゃなかったら、アホみたいというか、ただのアホだしなぁ。
――と、目を逸らさずに女子の方を見ていると、あり得ない事実に気が付いた。
「なん……だと……っ?」
汗でピッチピチに張り付いた体操服。その生地を一枚隔ててすぐ裏側にて、大きく張り出したバストの上に一つずつ。
合計二つの不自然な出っ張りがその存在を自己主張していたのだ。
――いやいやいや。それこそあり得ない。
「だけど……」
よく見れば、それはポニーテール美少女だけではない。
ここから見る限り、ちょっと胸の大きな女の子の上半身であれば、みんな"それ"を視認することができた。あ、でも肉だるま、テメーは要らねえよ。
不自然に揺れまくる胸、汗で体操着にくっ付いて、その形そのままに表現されている二つ球体と、二つの突起……。ここから導き出されるその解答……。
――つまり、女子のほとんどがブラを着けていないということ。
「こ、これは一体……何がどうなって……」
ただノーブラってだけじゃないんだぞ。
何よりもおかしいのは、女子のほとんどがノーブラなのを当たり前であるかのように振る舞って、普通に体育の授業を受けていること。
これが異常事態でなくてなんだというのか。
「おう拓郎。なんだ、真面目に見学してるな」
「荒井くんは……、サボり?」
「いつものことだって」
「いや、そんなことより。アレを見てくれ、どう思う?」
「アレって……女子? サッカーしてるな、うん」
荒井くんなら。いつもの荒井くんなら、こんなイかれた破廉恥サッカーを目の当たりにして、冷静でいられるはずがない。
全盛期の荒井くんだったら、そのまま女子の方に乱入してボールと間違えておっぱいにドリブルかまして連続ハンドの反則で、レッドカードだ!
しかしそんな僕の期待は外れて、
「あぁ、確かに白上って運動神経だけはいいよな。帰宅部じゃなくて部活やればいいのに」
「そんなじゃなくて、もっと他に見る所あるだろ!?」
「他に……、なに、女子の中に気になる子でもいるの?」
「冗談でもそういうのやめてくれないかな」
「ご、ごめん……」
まあ、なんとなくそんな気はしてたよ。
荒井くんのぱっとしない反応、つまり荒井くんにとって。"この荒井くん"にとって、女子がブラを着けずにサッカーをしていることなんて、当たり前で普通のことだってことだ。
「普通……? 普通って、なんだ? ごくありふれたものであること、それが当たり前であること……。あ、頭がおかしくなりそうだぜ……」
「お、また白上がゴール決めた」
きゃーきゃーわーわーと、歓声が遠くで眺めている僕たちの方にまで届いてくる。
悔しそうな面持ちの肉だるまとは対照的に、屈託ない笑顔を振りまきながらグラウンドの中心を走り回っている白上さん。その高いテンションの赴くままに、彼女は体操着を脱ぎ捨てて、傍か何かのように振り回し始めた。
「あーあー、あんなにはしゃいで。子供勝手の。なぁ、拓郎。……拓郎?」
「普通とは、……常識が……、揺らぐ……、揺れる……おっぱい」
「た、たくろぉおお―――ッ!?」
耳元で絶叫する荒井くんの声を聞きながら、そしてたった今目撃した白上さんのあられもない姿をこの目と脳に焼き付けたところで。
僕の意識は、いったん途絶えた。
◇
おかしい。今日は朝から何もかもがおかしい。
時は昼休み。保健室で三、四限目をサボっていた僕を、荒井くんが迎えに来てくれて、そのまま僕の教室で一緒にお弁当を食べることになった。
僕はこの時、荒井くんと朝にそんな約束をしていたことなどすっかり忘れてしまっていて、とても驚いた。
しかも。そんな口約束を荒井くんが覚えていて、しかも律儀に守ってくれるなんて――と、再度驚愕した。
――おかしいのは、そんな荒井くんの奇行だけではない。だけではない、というか、そんなのは序の口に過ぎない。
「大丈夫? 肩、貸そうか?」
「いや、お構いなく」
妙に優しい荒井くんも、やはり異変の一部なのだろうか。
今日という一日の異常。
僕個人に対するいじめなんて範疇では、到底収まらないような事態が起こっている気がする。
女の人に痴漢されたり。
男子なのにブラジャーの装着を強要されたり。女子が平気な顔してノーブラで体育の授業を受けていたり、平気でトップレスをお披露目したり……。思い出したらまた鼻血が出そうだ。
「――退け退けぇーい!」
ドドドドド―ッっと、怒涛の勢いで廊下を駆ける女子十名ほどとすれ違う。向かう先は、この方向ならばやはり学食だろうか。
続いて、お喋りしながらゆっくりと歩く男子数名ともすれ違った。
教室に戻ると、男子のほとんどがそれぞれの席で、或いは友人同士で固まって、自前のお弁当を机に広げている。
女子も数人、数えられる程度には弁当持参の者たちがいた。
けれど、ここから見える女子のお行儀が非常に悪い。別に昼飯をどのように食べようと文句なんかないけれど、しかし机の上に腰を下ろして、片足を椅子に乗せた体制でおにぎりを頬張りながら雑談するというのは、いかがなものか。
パンツが丸見えなのだけれど。
――イかれてるのは僕の頭なのか、世界の方なのか……、なんてことを真面目に考えようとしている時点で、すでに病院のお世話になった方が良いくらいには思考が悪い方に熟成されてきている気がする。
しかし納得できない。昨日までは普通だったのだ。
まるで、"男女の立場"とか、"男女の役割"が、まるっとそのまま入れ替わってしまっているような、異常現象。
僕の頭が可哀相なことになっているのだとして。仮に例えそうだとしても、"なにがどのように狂っているのか"、はっきりさせないと気が済まない。
「さっきから、なにボーっとしてるんだよ。まだ調子悪いのか? だったら、もう一度保健室に――」
「いや、そういうわけじゃないんだけど」
荒井くんとの会話で、状況がわかるかもしれない。
試してみよう。
「荒井くん荒井くん。"女々しい"って、どう思う?」
「うん? どうって言われても……、好みの話?」
「それでいいよ」
「女々しい女も悪くはないけど、あんまり女らしすぎるのも俺は嫌かな。そりゃただ雄々しいだけってよりはマシだけど」
「ふーん」
話題を間違えただろうか。
ちょっとなにを言っているのかわからなかった。
「荒井くん荒井くん、"家庭的な女性"って、どう思う?」
「んん? まあ、俺たち男からしたら、そういう女性も惹かれなくはないけれど。でもやっぱり女は働いてこそじゃないかな」
「ふーん」
核心こそ持てないが、ほとんど黒に近い灰色だ。
よし、最後に一押し。
「荒井くん荒井くん、"男やもめに蛆がわき、女やもめに花が咲く"って慣用句について、どう思う?」
「それを言うなら拓郎、"女やもめに蛆がわき~"だろ、それじゃあべこべだ」
「ふーん」
決まりだ。今の台詞で確信した。
なにがあったのか。なにがきっかけか。
それはわからないけれど、今朝からこの学校において、"男女の価値観"が入れ替わってしまっている。
……価値観が変わったのはわかったけれど、担任や体育教師、英語、物理担当の先生まで女の人になっていたのは、これどういうことなのか?
「荒井くん荒井くん、実は女の子だったりしない?」
「……ホント、今日はどうしたんだよ? 頭でも打ったんじゃないのか?」
罵倒されるかと思ったけど、真顔で心配されてしまった。迂闊だ。ちょっと突っ込み過ぎたか。
「確かに頭は打ったけど……」
朝、目が覚めたら男女の価値観が入れ替わっていた。
これなんて世にも奇○な物語? 青い耳なしタヌキに頼んで宇宙旅行をした覚えもなければ、無人電車に間違えて乗り込んだ記憶もない。
……これは本気で病院に行ったほうがいいかもしれない。外科じゃなくて内科、しかも心の病気を疑われて、窓のない白い部屋に軟禁されてしまいそうだけど。
「おーい。赤沢さんたち、何の話してるのー?」
「し、白上さん……」
胸元とポニーテールをぶらんぶらんと揺らしながら、白上さんがこちらに手を振りながら近づいてきた。
学食の購買帰りなのだろう。手から下げているビニール袋から、パンや飲み物が見え隠れしている。
「男同士の会話に割り込んでくるとか、どういう神経してるんだよ白上は……」
なんか、荒井くんむすっとしてるな。しかもナチュラルに呼び捨てだし。
いつもの彼なら、こんな美少女を目の前にしたら、『俺はこれから白神さんとランチタイムだから、拓郎は便所にでも行って食ってこい』って言って追い払ってくるのに。
虫の居所が悪いのだろうか。
……いや違う。この構図は、いまの価値観だと"女同士の会話に割り込んでくる男"の図なのか。
でも僕も男だし。ん、いや男だから、女が割り込んでくると……――。
頭がおかしくなりそうだ。既におかしいのかもしれないけど。
「まあまあ、そう言わずにさ。私も混ぜてよ~」
「身の程知らずな……。僕らそんなに仲良くないよね?」
「だ、だからこそ、交友を深めるためというか……」
「……まあ僕も鬼じゃないし、真摯な態度で頼めば、聞いてやらないこともないよ」
「お、おいおい、荒井くん……」
笑顔で話しかけきてくれる美少女に対し、厚顔無恥極まりなき不細工男子の図。
身の程知らずはどちらなのか。
「な、なんだとう……っ!」
荒井くんのあまりに不遜な態度に、白上さんの語気が増す。
いいぞ、ガツンと言ってやれ!
「――男の子たちと一緒にお昼御飯が食べたいんです……。私も混ぜてください……。後生です……」
「素直でよろしい」
あれ?
な、なにこの状況。この荒井くん、マジで何様のつもりなの? ぶん殴っていいかな。お返しが怖いからしないけど。
「でも、ねえ……」
「?」
荒井くんはちらっと、僕の方に流し目をかましてきた。
正直キモい。眼鏡をかけろよ。
「赤沢くん、い、いいかな……?」
「う」
しかし不安げな表情で僕を見つめる白上さんはむちゃくちゃ可愛い。
「僕は別にいいけど」
というか、願ったりかなったりだ。荒井くんが何をとち狂って白上さんを邪険に扱うのかはわからないけれど、僕まで同調して従う必要はないはずだ。
「ホント!? いやぁ、言ってみるもんだわね! と、誰か知らないけど席借りるわね」
「泣いたカラスが~ってこのことかね。調子いいんだから、まったく」
白上さんは近くの椅子と机を僕たちの正面に引き寄せて、机の上にビニール袋をひっくり返した。
「拓郎に感謝しろよな。学園の綺麗処二人と一緒に飯が食えるなんて。こんな機会、白上には今後一生訪れないだろうからな」
「ありがたや、ありがたやぁ~」
「…………」
違和感がとめどない。なんで荒井くんがこんなに偉そうなのか。逆に白上さんはどうしてそんな辱めを受けてまで、僕らと昼食を共にしようとしているのか。
普段であれば、白上さんのような美少女と昼食を共にしようとしたならば、僕と荒井くんが二人で土下座をしたって叶わない奇跡だろうに。
これも、今朝からの異常の一つとして数えられよう。
「うへへ……男の子と、ランチタイム♪」
「うへへだって。気持ち悪いなぁ」
「む~……」
確かに、「うへへ」はどうかと思うけれど。しかし、気持ち悪いは言い過ぎだと思う。
実においしそうな顔で焼きそばパンを頬張る白上さんは、まるで地上に舞い降りた天使の如く可憐で美しい。小さな口で頬一杯にパンを齧るその姿は、リスなどの小動物を連想させる。超かわいい。
「ムグムグ、ほういえばさ」
「飲み込んでから話せよ」
「んぐ、ゴクン。――そういえばさ、赤沢さん、三、四限目に出席してなかったみたいだけど、何かあったの?」
「おう、コイツ、体育の時間急に鼻血出して倒れやがってさ。熱中症って話だけど……」
「えぇ!? 大丈夫だったの!?」
「や、うん。全然。何も問題はなかったヨ」
熱中症とか嘘八百だけどね。
しかしだからと言って、ホントは突然上着を脱ぎだした白上さんのトップレス姿に欲情して――、などとは口が裂けても言えない。
今だってこんなに近くに白上さんがいて、あの光景を思い出して噴出してしまいそうなのを必死で堪えているのだけど。そんな気配は微塵も悟らせない。ポーカーフェイスはぼっちの基本だ。
「大丈夫ならいいけど。もし調子悪かったら、私に言いなさいよ。担いででも保健室に連れてってあげるから」
「おい拓郎、また倒れるのはいいけど、絶対に白上にだけは頼るなよ。お前だって童貞は大事だろ」
「き、貴様――ッ」
僕が童貞だと何故知っている!?
いや、百歩譲ってそれはいいとして、それを白上さんの目の前で発言するのは一体どういう了見だ!?
「な、なにを言うのよ荒井さん! 淑女の中の淑女と呼ばれるこの私が、そんな不埒な真似を致すはずがないでしょう!」
僕が文句を言おうとしたのに被せて、白上さんが大声を張り上げる。
――しかし、そうだ。白上さんの意見はもっともだ。何故荒井くんみたいな不細工に、白上さんのような美少女がそんなあられもない言いがかりをつけられなければいけないのか。
此処は白上さんがブチ切れるシーンであって、僕が童貞を暴露されて怒る場面ではない。
「いや、白上だし」
「そうだそうだ。お前、前に、『座右の銘は、"据え膳食わずば女じゃない"です』って言ってたじゃん」
「いつも男子の着替え覗いてるし」
「貸したエロ本湿らせて返してくるし」
「えっ、そんなことしてんの、白上って。うわぁ……」
「っていうか、エロ本貸した女子、お前、自爆だろ」
「自爆だけど、白上を道連れにできるなら本望よ」
「おぉ、女らしい。こっち近づくなよな」
――突然、周りで僕たちの会話に聞き耳を立てていたのであろうクラスメイト達まで同調しだす。
クラスの集中砲火に、あからさまにオロオロと狼狽えだす白上さん。どうせ無実なのだから、堂々としていればいいのに。
「ご、誤解よ……。っていうか、あんたら、なんでいきなり私たちの会話に割り込んでるのよ」
「白上が変なこと言って、赤沢さんが困ってるじゃないの。助けてあげたの」
「本音は?」
「白上だけ男の子と仲良くしてずるい。そこから引き摺り下ろしてやる」
「最高よあんたたち。そこで混ざろうとするんじゃなくて、道連れにしようとする辺りがもうエクセレント」
一触即発の雰囲気。
気が付けば、離れた席に座っていた女子たちまでもがこちらに注目していた。
――と、急に白上さんは僕の方へと椅子を寄せて、
「あ、赤沢さん、そのお弁当って、もしかして手作り?」
「え? う、うん。そう」
椅子だけを持ってきて、僕の机の上にパンを並べる白上さん。
距離が近い。僕の肩と白上さんの肩が、三十センチと離れていない。シャンプーか何か、花のような香りがふわりと僕の鼻腔をくすぐるのがわかる――それくらいの距離感だ。
『あ、分が悪いとみて強引に話題変えやがったわ』
『くそ、やられた。私たちの会話が一気にモブ化してるじゃないの』
『こんな高等技術を……、見て、もう私たちの会話、赤沢さんに聞こえてないわよ』
ざわめきが遠くなる。僕の耳には、もはや白上さんの声しか聞こえていない。
「へー、すごいね。もしかして、夕飯とかも全部自分で作ってるとか?」
「ま、まあね」
「いいなぁ、家庭的な男の子って。憧れるわ」
「あ、ありがとう」
――今日この時ほど、自分のコミュ症を恨めしく思ったことはない。
せっかく笑顔で、しかも二人だけの空間で話しかけてくれているというのに、気のないような返事しかできないなんて。
『どう思う?』
『明らかに引いてるだろ赤沢さん。でもあいつ空気読めないからなぁ』
『まあ、あのアグレッシブさだけは認めてやらないこともないけどね』
「あーあ、誰か私の弁当作ってくれないかなぁ」
「う……?」
「っていうか、赤沢さんの手作りお弁当が食べたいな~」
「……」
ちらっと、こちらの様子を窺うようにして流し目を送ってくる白上さん。
先ほどの荒井くんのそれとは、破壊力が段違いだ。
『あの馬鹿は、なんで急にお弁当を無心してるわけ?』
『駆け引きってもんを知らないのね、これだからもやし女は。脳みそにまで水しか詰まってないのよ』
『なんでああも暴走するのかねぇ』
外野がなにか言っているが、全く聞こえない。ただただ、白神さんの瞳に魅入られる。
うぉお。白上さんみたいな絶世の美少女に、そんな子犬が捨てられたような視線で見つめられたら……。
「べ、別にいいけど……」
「え?」
『え?』
僕の発言に、再び教室内が騒然とし出す。
その発端であるはずの白上さんまでもが、あり得ないというような表情で僕のことを見つめていた。
「う、うそ、マジで!? げ、言質とったからね! 撤回は断固として認めないからね!!」
「や、その、そんなにすごいモノは作れないけれど。これと同じようなので良ければ……」
「良い良い! 全然オッケー!」
「お、おい拓郎、無理すんなよ? 別にもやし女の頼みなんか断ったところで、誰も責めやしないからな?」
「もやし女言うな! でも今だけは許す! うわぁ、赤沢さんの手作り弁当……楽しみだなぁ、うへへ」
『あ、あり得ない……こんなことが、許されるはずが……』
『ふ、不意打ち……追い剥ぎ……闇討ち……月のない夜に……』
『美沙、暗黒面が垂れ流しになってるよ』
ざわめくクラス内。その中心になっている僕と白上さん。
クラスの注目の的になっているのは、はっきり言って穴があったら入りたいくらいに恥ずかしいけれど、なぜだか舞い上がりまくってる白上さんを見ていると、どうでもいいことのように感じた。
「でも、ホントに良いの? 迷惑だったりしないかな? あ、でもだからと言って作ってこなくて良いというつもりはないけど――」
「べ、別に、一人分作るのも二人分になるのも、大して変わらないっていうか……。と、とにかく、明日作ってくるよ。あんまり期待はしないでね」
「う、うん! 楽しみにしてるわよ!」
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