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王道を走れば:幻想にて

作者:Duegion
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第四章、その6の2:東のエルフ


 
 むんむんと、蝿が黒い肉に集っている。血の気を失った液体や生々しい破片が地面の土を混ざりつつあり、それが風雨によって自然の肥料となるにはそう遠くないだろう。雲が落とす暗い影の中、その生気を失った躯は膨れた腹を破裂させ、腐臭漂う腹の内を無遠慮に露出していた。蝿が集るのはその部分であり、夥しき数の蛆もまた、砂糖水に集う蟻の如く躯全体でかちかちと歯を鳴らしているようであった。

「・・・酷い様だ。パウリナを連れて来なくてよかったな」
「ええ。最近耐性がついてきたと言っても、流石にこれは無理でしょうね。・・・くんくん。うえっ、やっぱり臭いが酷い」
「ゆくぞ。長居しては獣が寄って来る」

 馬上よりそれを見詰めていた慧卓は顔を横に振りながら馬の腹を蹴り、再び道を歩いていく。エルフ領土というのは、東に行けば行くほど荒涼とするものらしい。地面の雑草は疎らであり、蹄が引っかく地面もかさついている。前を行くアリッサの後姿は常と変わらず凛々しいが、その手は油断無く剣の柄に添えられており、充分に警戒すべき状況下であるという事を、否応無く慧卓に伝えてくれた。
 タイガの森にて慧卓は、残りの賢人等を訪問するためにアリッサと二人のみで行く事、残った者達はイル=フードの動向と目的について更に詳しく調査する事を提案、調停官の猛烈な賛成の下に採択された。護衛をつけぬとは何事かという至極全うな反論のために、当初は護衛の兵が幾人かついていた。しかし道路上、最も想定していた危険地帯を踏破すると、アリッサは護衛も要らぬと兵等を伝令として活用、向かう予定である賢人ソ=ギィの村までの伝令として遣わしたのである。
 かくして東への旅路数日目にして慧卓と二人っきりとなったアリッサは、どことなく浮かれ気分でいた最中、この死体を発見した次第であった。彼女の表情は一転、すぐさま硬くなっていくのは容易な事といえよう。特にこのような物騒なものを発見した時はそうであり、ついでにいえば今発見したのは二体目の死体である。彼女が一気に警戒心を増しているのが感じ取れた。

「・・・あの死体、誰かに殺されたものですよね?」
「ああ。腹部が真横に引き裂かれていたし、獣の仕業にしては鮮やか過ぎる。人の手によるものだ、あれは。・・・しかし、街道の傍で人殺しがあるとは・・・。このような事態になっているとは、イル=フードからは教えられなかった」
「内乱寸前となっているのは我等とて承知の事。一々瑣末な事を言及しても趨勢に影響を与えるほどではなく、これは重要視されるものではないと判断しての事でしょう」
「その解釈は、少し度が過ぎると思うがな。彼にとって見れば、下手に物騒な事を伝えて我等の行動を束縛するような真似を避けたかったのだろう・・・。いや、これも好意的過ぎるか」
「どちらであろうとも彼にとっては、『エルフの問題に口を挟むな』で終わりなんですけどね」
「まぁ、その通りだろうな」

 肩を竦めて、脳内で口舌によって育ってきたという老人に呆れてみせた。道はやがて背の高い針葉樹の林を掠めるように続いていく。緩やかな稜線の上に林はあるのだろう、振り仰げば、枝葉の厚みが上へ、上へと積み重なっているようであり、空の暗さと相俟って薄気味悪い雰囲気が漂っていた。
 ぶるる、とベルが鼻を鳴らした。寒さでも感じたのだろうか。頸をぽんぽんと軽く叩きながら前を向いていると、剣呑さを秘めた鋭い瞳でアリッサは林を見詰めていた。

「どうしたました?」
「・・・どうにも見られている感じがする。感じが悪いな」
「そう、ですか?余り感じないんですけど」
「林の奥からだ。私には、ひしひしと感じるぞ」
「・・・よく分かりません、死体を見たから神経が過敏になっているんですよ、きっと」
「緊張感を持て。あれが野晒しにされているという事は、此処が非戦闘地域とはいえないという事だ。少しは気にしろ」
「はぁ・・・やってみます」

 慧卓は己の上司に言われた通り、意識を集中させて林を見遣った。叢がほとんど見当たらないお陰か遠くの方まで木々の間から見えているが、アリッサが言う見られている感じの根源というのは、慧卓の視点からは感じられぬものであった。

「・・・どうだ、分かったか?」
「え?・・・い、いや。あんまし」
「そうか。だが成長著しいケイタク殿の事だ。剣の方で鍛錬を積めば、おそらくこちらのほうも出来るだろう。」
「なんでもかんでも自分基準で言わないで下いよ。俺だって出来ない事とかありますよ!たとえば・・・その、殺気を感じ取るとか」
「う、うむ。考えてみれば貴方もこの世界に来る前は一介の学徒であったのだな。というより、そもそも学徒は最前線に立たないものか。すまん、認識不足であった」
「いえ、別に謝るような問題でも無いんですけど・・・。そういえばパウリナさん、今気付いたんですけど髪にーーー」

 その続きを言おうとした瞬間、背筋を凍りつかせるような剣呑な視線を感じ、慧卓は思わず竦むように身を屈めた。ほんの僅かそれに遅れて、ひうと、聴きなれた剣呑なる空を切る高調子が聞こえ、慧卓の頭の上を鋭きものが通過していった。視線をちらりと見遣れば、乾いた地面に一矢の木の矢が突き刺さっているのが見えた。

「待ち伏せか!走れっ!!」
「くそ!なんなんだよっ」

 慧卓はベルの腹を強く蹴りつけて、夢中で手綱を打つ。嘶きも漏らさずベルはすぐさま疾駆していき、アリッサと同様に、後を追って走ってくる小さな矢雨から難を逃れた。慧卓は振り向き様に林の様子を窺う。つい先程まで見ていた木陰の間から、幾人もの者達が弓を持って此方を見据えていた。木陰に上手く身を潜めていたのであろう。
 
「今度は見えましたよ!あの林の中に数人ですっ!!」
「全くっ、これだから未開の土人共はっ!!」

 平時であればぎょっとするような侮蔑が聞こえるが、慧卓はそれを聞き流してしまう。未だ弓の射程距離なのだろうか、時折空高く響く高調子に背筋がひやりとする。それらは猛烈な速さで疾駆する馬には及ばずも、その足元には鋭く突き刺さっていく。人体に当たれば必ず傷を負う威力であり、明確な殺意を感じるものであった。
 道は緩やかなカーブを描いていき、二頭の馬はそれに従って走っていく。林が緩衝地帯となり、漸く弓の射程から自分達が外れるのが分かった。慧卓としてはこのまま賢人達の村へ行きたい所なのだが、近衛騎士たるアリッサは憤懣たる思いを抱いているのか、馬の足を徐々に遅くしながら、「きっ」と鋭い視線を林に向けた。

「ケイタク殿っ、私について来れるか?」
「え、ええ!大丈夫だと思いますけど」
「そうか。ならば剣を抜け。反撃するとしよう」
「ええっ!?ま、まさか突っ込むんですか!?」
「その通りだっ!やられたままというのは性に合わん!賊共に、醜さに傾倒した報いというのを受けさせてやる!」

 言うなりアリッサは抜刀して、馬首を完全に林の方へと向けてしまう。瞳は爛々と戦意に滾っており、説得の余地など無さそうであった。

「・・・ったくもう、どうにでもしろ!!」

 慧卓も数歩遅れた場所で馬首を返し、半ば自棄な気持ちとなりながら剣を引き抜く。二つの騎馬が呼吸を合わせて疾駆していき、道から外れて森の中へと身を投じた。無法図に屹立する木々を避けつつ、そしてなるべく速さを求めて馬は乱暴に地を駆けていく。鬱蒼とした暗さを掻き分けて慧卓は剣を構える。賊達とそう遠くない所より反撃に転じたためか、一分も満たぬ内に慧卓の眼は、骸となるべき獲物を捉えた。

「おい、あいつら来てっぺっ!!」
「わかっちょるから、急かせねーでくれっ!!」

 非正規兵らしい慌て腐った動作、そして粗野な身形。その数人の賊達は皆、まるで農家の三男坊のような浮ついた顔立ちをしている。彼らは焦燥のままに、雁首揃って弓矢を構えようとしていた。

「居たなっ!!」

 アリッサは反攻の怒りを胸に、慧卓に先行して駆けていく。一気に迫り来る獰猛な騎馬に恐怖したか、賊達は弦を充分に引き絞ろうともせず、勢いのままに弓を射る。最初の一矢と比べれば、蠅の如く煩わしく、落葉の如く緩やかなものである。

「甘いわっ!!」

 絶叫と共に剣を二度、三度と振り抜いて、馬の顔や己に刺さらんとしていた矢を払い除ける。他の弓は慧卓が手を出すまでもなく、当てずっぽうに木に刺さるか、馬に辿り着く前に勢いを失くして落ちていた。第二矢を構えようとしている賊等に、アリッサは遂に接敵して剣を閃かせる。擦違い様、賊の頭が一つ、棒立ちの体から零れ落ちた。骨をも裁断する一太刀は流石は近衛騎士、鋭利な肉の断面であり、血潮は噴き出たりせず湧き水のように流れていた。
 恐怖の声が幾つも上がり、賊らは崩れ落ちる仲間の体躯を放置して方々に散ろうとする。慧卓は遅れて追いつき、左方へ逃げる一人の賊に向かわんとする。賊は彼に気付くと傍にある木から枝を折り、切っ先を馬に向けてひゅっと突き付けた。ベルは疾駆を止めて前足を高々と上げ、慧卓は思わず馬から落ちそうになった。

「あぶなっ!?何すんだ、てめぇっ!!」

 逆上した慧卓は馬首を素早く返ると、右手に持った剣でもって木の枝諸共、賊の手を引き裂く。腱を裂かれた賊は枝を落とし、続く一刀にて胸を裂かれて木に打ちつけられた。男が気を失うのを見てから慧卓はベルの鼻先に手を遣った。痛々しい掠り傷が鼻の横に出来ている。

「ふざけやがって!唯で済まして、おわっ!?」

 飛来した矢を仰け反ってかわす。未だ賊は幾人か生き残っており、気概のある者は反撃に転じようとしているらしい。木々の間を抜けてアリッサの声が聞こえて来た。

「逃がすなよ!全員斬るぞ!!」
「ああああ''あ''あっ!!!」
 
 悲痛な断末魔が林を揺らす。アリッサに追い付かれて、木々の陰で賊が一人斬られたようだ。最早残る賊は少なく戦意も無きに等しいものである。しかしアリッサに躊躇は無く、再び害意を起す前に切伏せねばなるまいと馬に手綱を打っているようだ。慧卓もまた彼女と同じく騎士の名を頂く者。剣を流れる血に更なる紅を塗らんと、ベルの腹を蹴り付けた。
 幾分か、東方の林の一角にて攻防と逃走が続いたかが、呻くような声と境にそれは終焉を迎える。最後に残った賊を背後から切り裂いた慧卓は、額に汗を垂らしながら、まじまじとその死体を見詰める。一時の紛糾を終えて冷静になって、初めて気付いた所がある。今まで遭遇してきた賊徒と比べれば身形が幾分か整っており、服装の統一性が見られる。唯の賊徒であれば解れ穢れも構わぬ衣服を着たり、或いは粗野な格好をしているのが普通である。だが彼らにはそれが見えず、山腹に潜む不逞の輩というよりも、野に田畑を持つ者として見た方が自然と思えるのだ。
 そうであっても襲撃を掛けられた事実は消えず、慧卓は空いた手でぽりぽりと頬を掻いた。

「前途多難過ぎますよ・・・先が思いやられる」
「全くだ・・・。こいつら、どこの者だ?」

 アリッサが近寄ってきてそう呟く。彼女も同様の感想を持っていたらしく、解せぬといった具合に骸を見下ろしていた。
 ふと、木々の間から複数の足音が近付いてくるのが聞こえ、アリッサは鋭い視線を走らせた。幾人もの男達、無論エルフ、が二人を取り囲んで槍の穂先を向ける。賊徒とは違う一糸乱れぬ動きに、慧卓らは剣を構えるのを留まった。彼らは何れも胴体に鉄の鎧をまとっており、それぞれ斑模様をしたバンダナを頸元に巻いている。この統一性は先の者達とは決定的に違う。賊徒ではないと、直感で理解できた。

「・・・我等は王国北嶺調停団だ。賢人の方々へ御目通り適うためにタイガの森より参ってきたが、途中賊徒等の襲撃に遭い、この場にて切伏せた。貴殿らは何処の部隊の者だ?指揮官はどこにいる?」
「ここに」

 凛とした声が耳を打つ。武器の構えが解かれて、穂先が天を向いた。一本の大樹の方から、灰色に澱んだ外套で身を包んだエルフが現れる。目深にフードを被っているため表情は窺い知れないが、桜色をした小さな唇より、それが女性のものであると理解できた。 

「・・・女、か」
「御初に御目に掛かります。賢人ソ=ギィ様の私兵団団長であります、チャイ=ギィです」

 フードを取って、女は軽く一礼をした。砂色の瞳と髪をした怜悧な風貌の女性である。慧卓は剣筋にこびり付いた血肉を拭いながら、暗澹と変じてきた空模様に気付く。遥か遠くの山々では光の稲が落とされている頃合だろう。



ーーーーーーーーーーーーーーーーー



 ごろごろと、腹の収まりに悪そうな音が宙を裂いて響いてきた。そして数瞬遅れてやってきた音は、まるで天の地震が如きものであり、思わずびくりと目を向けてしまった。屋内でこれである。屋外にいればさぞや肩を萎縮してしまいそうなものになっているだろう。

「そのような災難に遭われていたとは・・・心中御察しします」
「いえ、お構いなく。このような荒事には幾分か慣れておりますので。・・・今更お尋ね致しますが、あの者達を切伏せてしまってよかったのでしょうか?。貴方々の村人と、同じような服装をしていたのですが」
「ええ、構いませんわ。何せ彼らは、私共と敵対する村の者達だと分かりましたので。出稼ぎに盗賊になって街道に伏せていたようですけど、それが運の尽きらしいですわね。調停官殿の御活躍もあって、私共は街道を守る大義を得ました。御礼を申し上げます」

 直ぐ傍で続けられる会話に、慧卓は意識を向けた。招かれた館の一室にてアリッサが茶を楽しみながら、対面の椅子に座る温厚そうな顔立ちの婦人と向き合っていた。傍に控える黙してチャイ=ギィと同色の目と髪をした女性だ。丁寧に編み込まれた緩やかな衣服と和みのある微笑が似合う女性であり、事前の説明なくば、彼女が賢人ソ=ギィであるとは思いもよらなかった。燭台に燈された蝋燭の明かりが、二人の女性の微笑を明るくさせていた。
 伝令兵の報告を受けて林まで駆けつけてくれたチャイ=ギィの案内により、雷雨の厚い雲が追いつく前に慧卓らは村に辿り着く事が出来た。そしてそのまま領主の館にて、こうやって会談の場を設けてもらったという訳である。実際のところ、その会談は御茶を飲みながら駄弁る程度の軽いものだったのだが、街道での出来事に触れたとあっては、為政者としての厳しい態度が出ずにはいられないようであった。

「彼らの仕業らしきものが、此方に来る途中でも見当たりました。街道の傍に腐乱した死体が二つ、野晒しにされたままでした」
「・・・何と浅ましい。敵であろうと先ずは会話を求めるのが常識ですのに。これだから昔からの頭の固い連中というのは嫌いですわ。野蛮です。ああいうのは総て、磔刑にでも処すればいいんですのよ。私共はそうやって鼠を始末しているのですけどね」
「はい、主様。昨晩も厨房に紛れ込んでいた鼠を一匹、始末しております」
「あら、そうでしたの?御苦労様、お前の忠義には後で相応の報いを授けましょう。何時も通りにね」
「あり難き幸せであります」

 顔に似合わず物騒な事を言う婦人である。慧卓の視線にソ=ギィは直ぐに気付いて笑みを控えた。

「あら、御免なさい。内輪で盛り上がってしまって」
「それは宜しいのですが。それよりも・・・我等が此処まで参った意味、それを賢人殿は御理解いただいていると思います。つきましてはーーー」
「ええ。早速本題を話しましょう・・・と言いたい所ですけど、ここまでの道は長かったでしょうし、今日の事もあったから御疲れなのでは?御部屋を御用意させていただきましたから、其方でお休み下さいな。積もる御話は明日、御伺いします」
「そんな・・・私共は疲れてなど・・・」
「いいえ。ここはどうぞ、同じ女である私の御話をお聞き入れ下さい。余り無理をなさいますと御肌の艶が失われてしまいますわ。それでは意中の殿方に振り向いていただけませんわよ?」
「ま、まぁ・・・それもそうかもしれませんが・・・」

 ぐいぐいと押し込まれるように言われ、アリッサはしどろもどろとなる。時折意味有り気にちらと慧卓を見遣るが、慧卓は真意を探りかねて疑問符を浮かべる。
 
(・・・あら、これはもしかしたら・・・)

 それを見て勘付くものがあったのか、ソ=ギィは一瞬頬を軽く歪ませ、次の瞬間には先程までの押しの強い婦人の笑みを取り繕う。

「ですから、どうぞ今晩はお休み下さいませ。ね?」
「わ、分かりました。それでは御恩に預からせていただきたいと・・・ケイタク殿、行こうか」
「はい。それでは失礼致します」

 椅子に座っていた三人が立ち上がる。チャイ=ギィが先に出て、その慧卓が続いていった。

「調停官様、ちょっと・・・」
「?」

 慧卓の背が見えなくなっていくのを尻目に、アリッサは部屋に呼び止められた。ソ=ギィは確信めいたように瞳を笑わせて、そして単刀直入に言ってのけた。

「調停官様、あのケイタク殿という方を好いていらっしゃいますね?」
「なッッ!?な、なな、何を仰るのですかぁっ!?」

 思わず溢れる大声。廊下を歩いていた慧卓が立ち止まって振り返るが、大方からかわれているのだろうと一人納得して再び歩き出す。
 室内に居たアリッサは、驚天動地といわんばかりにたじろぎ、首筋と耳を赤く色付かせていた。余りに素直な反応に、冗談の心算で声を掛けたソ=ギィの方も驚いている。

「驚きましたわ・・・ここまで図星とは」
「た、頼みますっ、ケイタク殿には言わないで戴きたいっ!あれに漏れてしまったら、私はっ・・・」
「え、ええ、分かっております。申し訳ありません、ここまで図星とは思いもよらなかったものでしたから。でも、そのように思い悩んでは御心が辛いのでは?」
「ま、まぁ・・・そうなのですけど・・・」
「・・・宜しかったら、私に御話していただけませんか?恋愛とは程遠き生活を送ってはいますが、それでも嘗てはそれに情熱を燈した身。御力になれると思いますわ」

 義務感にも似た好奇心が突き動かし、ソ=ギィにそのような言葉を述べさせた。而してアリッサはうじうじとして言葉を濁らせるだけである。外堀を埋めるようにソ=ギィは尋ねる。

「私がダメ、というのであれば、親しき御友人には御話なされたのですか?調停団には女性の方々もいらっしゃると、御噂から聴いております。同じ女である以上、其方の方々の方が頼りになると思うのですが」
「それは、それは駄目だっ。私の仲間にも親しき女性はいるのだが・・・一人はケイタク殿に恋を煩っているし、もう一人に告げたらからかわれてしまう・・・。そんなの、情けなくて言えません・・・」

 情けなき嗚呼という溜息を吐きながら、アリッサは己の口元を両手で隠す。見た感じ彼に恋しているのは明らかであるのに、どうして言いよどむのであろうか。ソ=ギィの疑問に答えるように彼女は呟く。

「・・・私とて、なぜ彼を想うだけで、こんなに胸が痛くなってしまうのか分からないのです。ケイタク殿が好きだからと言ってくれたのは、彼に恋慕の情を抱く友人でしたが、それを聞いても自覚がわかないのです」
「実感が湧かないという事でしょうか?」
「は、はい・・・。いきなり彼を好きだと考えるのが、少し急すぎて・・・。今まで未来が楽しみな後輩として見ていたのに、いきなり異性として見るというのは・・・」

 掌の隙間から赤く染まってきた頬が見え隠れし、目をキョロキョロとさせて視線の置き所に困っている。凛とした美貌に似合わず何といじらしき様か。同姓から見ても魅力的な彼女は、そのまま溜まりに溜まった内心を吐露する。

「も、もしですよ?もし私が本当に彼が好きなんだとして・・・それで楽になれるのなら、好きだと言ってしまいたいのです・・・。でも彼を好いた理由が分からないのですっ!長い間一緒に行動を共にして、語り合ったりしたのに・・・どうして・・・」

 珠玉のような翠の瞳に滴が溜まるのがわかった。膨れ上がった思いが涙腺を緩ませて、言葉が震えている。

「もし、彼に好いた理由を問われたら、私はなんて言えばいいのだろうか・・・それを考えるだけで・・・」
「・・・お気持ちは、とてもよくわかりました。先ずは、一度お座りになられたら宜しいですわ。・・・あ、御茶も冷えてはいますがまだ残っています。一口飲むだけで、心が和らぎますわよ」

 慈愛を前面に出した言葉に惹かれてアリッサは席についてコップを両手で持つと、茶をゆっくりと口に含んだ。淡いつんとした香りが冷や水となったか、アリッサは何とか冷静さを取り戻していく。ソ=ギィも席に戻りながら、ゆっくりと語りかけていく。

「調停官様・・・アリッサ様。私も昔、夫を好いた時は同じような気持ちでしたわ。何時からか、どうしてか分からないのに、あの人の事を想うだけで胸が苦しくなりました。一生懸命、その方を好いた理由を探そうと懸命になった時期も御座いました。夫は、村一番の美男でしたから、それこそ理由が命でしたのよ。何せ彼に言い寄る他の女性の方が綺麗だったのですから。だから私は言葉と想いで彼を射止めなくては・・・とね」
「そうなのですか・・・。ははは・・・ケイタク殿みたいだ。彼は決して美男ではないけど、それでも王国一の美女から好かれているし、しかも接吻もしている」
「まぁ、そうなのですか?」
「はい・・・。だから尚更悪い気がするのです。彼を好く事が、あの方から幸せを奪うのではないかと・・・」

 俯き加減となって、アリッサは底の浅いコップの湖面を見詰めた。淡い情念と躊躇いがない交ぜとなった、憂いのある顔である。ソ=ギィはからかいたくなる気持ちを抑えて、同情気味に声を掛けた。

「確かに、既に誰かが好いている方が気になってしまうというのは、とても難しいですわね。でも、年長者の経験ではありますけど、そのような気持ちは胸に押し留めたり、或いは考えから逸らそうとしても駄目なのです。そうした所で気になってしまうものは気になってしまうし、いざとなったらそれ以外考えられなくなる。とても恐ろしい病ですわ」
「じ、じゃあどうすればいいのですか!?私は・・・私はどうしたら・・・」
「・・・私の夫の話に戻りますけどね。色々と好きになった理由を考えたりしたものです。そうやって思い出を振り返ったりしましたわ。『あ、薪割りを手伝ってもらったり、一緒に御飯を食べたりしたなぁ』と。そうやって告白の日まで理由を探していたのですけど、ついに答えを見つけましたわ」
「ど、どうなのですか?」
「・・・彼を好きになった理由なんて、無かったのです。彼と一緒に居るのが当たり前となっていて、一緒にいるだけで心が満たされるのです。ただあの人の傍に居るだけで、不思議と安心できる。人に恋したり、愛したりするのに理由なんて要らない。特別なきっかけというのも要らない。ただ一緒に生活を営んで、一緒に御飯を食べて、一緒に眠る。それが私が見つけ出した、最高で唯一の答えでしたわ。
 ・・・当時、私は今述べた事を申し上げて、夫を堕としたんですけどね。とても熱い夜になりましたわ」

 その時を思い出したか、妖艶さを醸し出す小さな笑みをソ=ギィは浮かべた。アリッサはソ=ギィの言葉を受けて、暫し言葉を控えた後、自信なく言う。

「そういうものなのでしょうか・・・私には、少し理解しかねます」
「まぁ、あの時の私は今のアリッサ様より年上でしたから、きっと考えも年寄りめいたものと言えますね。まだまだ御若い内はその御考えで宜しいかと思いますわ、アリッサ様。ですが殿方にとってはどうでしょうか。あのケイタクという御方、その手の御話には奥手な方なのでは?若しくは既に誰か意中の方がいらっしゃるとか」
「うぐぅ・・・」
「あら、矢張りそうなのですね。もしかしたら先程御話していた、『あの方』なのでしょうか?でもアリッサ様、例え誰であろうとも退いたら負けですわよ。身を退いてしまっては出るものも出ませんし、お情けを頂いた所で情けなさが胸を痛めつけるだけですから」
「だったらどうしたら・・・まだ気持ちの整理もついていないのに・・・」
「でしたらアリッサ様。御自身の気持ちを確認するために、このような策を取られると宜しいですわよ」

 にたりとした穏やかとは遠き笑みを浮かべてソ=ギィは近付き、アリッサの耳に囁く。その俄かに長い言葉を聴き、それが齎す状況を理解した途端、まるで大火のようにアリッサの顔は赤くなり、口がわなわなと震えた。

『えええええええええっっっっっ!?!?!?』
「・・・なんか、凄いのが聞こえましたけど」
「お気になさらず。主様は少し洒脱な所がありますので」
「そうですか・・・。いやぁ勿体無いなぁ」
「何がでしょうか」
「もう少し遅く歩いていたら、アリッサさんの面白い反応が見られたかなーと思いまして。いやぁ勿体無い」
「・・・貴方も中々、御好きな所があるようで」
「いえいえ、それほどでも」

 階段を登りながら慧卓はにやにやとした笑みを崩さない。優男のような顔に似合わず悪戯好きなのかもしれないと、チャイ=ギは心の端で思う。
 館の二階部分にある一室の前にてチャイ=ギは止まる。相も変わらず、外の雷は喧しいものであった。

「御部屋は此方となります。どうぞごゆるりと」
「有難う御座います・・・ん、丁度アリッサさんも来ましたね」

 とかとか、否、何故かどかどかとした速足でアリッサは駆け寄ってくる。顔は熟れた林檎のように赤らんでおり、慧卓を視界に捉えた瞬間彼女の目が見開かれ、視線がぶれた。普段とは打って変わった可愛らしき様にずきんと胸が痛むのを感じつつ、慧卓は部屋を指差す。

「アリッサさん、ここが俺の部屋みたいです。アリッサさんはどちらに?」
「・・・・・・・・・そこだ」
「・・・いや、ここ俺の部屋ですから」

 慧卓が指差す所を、アリッサは指差す。潤んだ瞳はそこを見詰めて離さない。そして再び、消え入りそうな言葉で告げた。

「そこなんだ・・・」
「え?」
「・・・そこっ」
「・・・・・・どういう事なの」
「だ、だからそこに留まるんだ!私は、お前と同室なんだぁっ!!」
「・・・・・・うそ?」
「いえ、事前に主様からそのように窺っております、補佐役様。御二人は此方の部屋にて泊まっていただきます」
「な、なんでぇっ!?」
「えっ・・・いや、だったのか・・・?」
「い、いえいえいえいえっ!!嫌ではありませんよ!?寧ろ嬉しいというか、光栄というか・・・じゃなくって!なんで同室なんです!?」
「昨今の時勢から我等の村に入る者は少なく、それゆえ他の客室は既に倉庫として使用しておりまして、唯一空いているのが此方の部屋だけになっておるのです。申し訳ありませんが、どうぞ今晩は此方にてお泊まり下さい。明日には別の部屋を御用意させていただきますので」

 頭を下げるチャイ=ギィに何も言えず、慧卓は完全に口をあんぐりと開けてしまう。ちらと後ろを振り返って見ると、慧卓が咄嗟に紡いだ言葉に動揺したのか、アリッサが胸の前で手を合わせて荒く呼吸を繰り返していた。

「だ、大丈夫ですか?アリッサさん」
「お、おおお、大丈夫だぞッッ!!問題なんてあるわけあろうか!?いや、無い!!!」
(・・・アリッサ様、激しい御方)

 何とも見ていて愉快な人々であろうか。チャイ=ギィはにたりとしたい気持ちを必死に抑えながら、室内を見せた。人二人分は優に転がれそうな天蓋・暗幕付きの大きな寝台に、たった一つの横広な枕。今度こそ慧卓は思考を真っ白にして佇んでしまい、アリッサは恥ずかしそうに慧卓をちらちらと見遣るばかり。微糖を通り越して激甘ともいえる、言葉にし難き初々しき光景に、チャイ=ギィは頬の引き攣りを懸命に堪えていた。



ーーーーーーーーーーーーーーーー


 
「け、ケイタク殿・・・着替えるから、絶対に振り向くなよ?」
「は、はいっ!振り向きません」

 結局の所、抗議の声を上げたとしてもこうなるのである。背後から躊躇いがちに聞こえてくる、衣が肌に擦れる音。やけに緊張感が胸を締め付けてきており、慧卓は振り向きたいと望む己の本能を抑え付けていた。振り向けば王国随一の美を持つ騎士の、硝子細工の如き美貌を拝む事が出来るであろうが、確実に今宵の記憶を意識を喪失するであろう。
 就寝前であるため、蝋燭の火は既に消えている。時折窓越しに光る雷が唯一の光源であり、それによって柳腰の影が壁に映されるのを、慧卓は息を呑んで見詰めていた。

「も、もういいぞ・・・。ケイタク殿も着替えたらいい」
「は、はいっ・・・分かりました」

 布団の中に、もぞもぞと潜り込んでいく音が聞こえた。慧卓は寝台から立ち上がって着替えを始める。寝巻きは王都でも着たような軽く、柔らかみのある絹のものであり、色は上下とも白である。慧卓は脚絆からそそくさと着替え終わると、上着を脱いで一息吐く。
 布団に潜り込んでいたアリッサはひょこっと顔を出し、慧卓の背中をちらと見やった。

(う、うわぁ・・・結構鍛えてる・・・)

 撫で肩は俄かに盛り上がり、肩甲骨の部分は筋肉の膨らみが見て取れる。腰もまたきゅっと締められており、過度な筋肉はついてないように思えた。年齢とは裏腹に中々に立派な体躯である。意中と諭された男の上半身を見詰めていると、何故だか胸が高鳴るのをアリッサは感じた。
 慧卓は上の寝巻きを着ると、一瞬躊躇いながらも王女から渡された指輪を外して衣服の間へ仕舞い、布団の中へ身体を入れようとする。そして、気恥ずかしそうにアリッサを見遣った。

「あ、あの・・・ちょっと詰めてもらえますか?俺も寝たいんで」
「あ、あああっ、すまないっ、今どくからなっ!別に照れてた訳じゃないんだぞ!?分かっているな!」
「はい、はいっ。分かっています・・・」

 互いに一つしかない枕の端っこの方に頭を置き、同じ布団を被る。しかしそれでも手を横に広げようとすれば、直ぐに相手の手の甲に指が触れてしまう。やけに短き距離であり、息遣いすら聞こえてくるかもしれない。

「で、では、お休み」
「はい、お休みです・・・」

 二人は互いに目を閉じて睡眠状態に落ちる事に意識を傾ける。心臓の音と落雷の光。それだけが二人を包み込む筈であった。

(寝れる訳が無いだろう・・・)

 だが眠りに就ける筈も無い。特にアリッサはそうである。強引な成行きとはいえ同じ枕を共にするとあってか、先程から頬の熱が抜けきっていないのだ。手で触れずとも分かる顔の赤らみであり、暗闇でなくば慧卓に看破されていたであろう。
 アリッサはちらりと目を開けて相手を見遣る。慧卓は眉を顰めて眠りに集中しようとしており、却って己の眠気を阻害しているようにも見えた。アリッサは上擦りかけた声で言う。

「け、ケイタク殿っ。実はだなァっ、中々眠気が到来せんのだっ。よければ寝るまで話をせんか?」
「いいですねっ。じゃぁ、早速何から話しましょうかっ?」
「うむ、そうだな・・・・・・・・・」
「・・・・・・俺から話しましょうか?」
「す、すまん、頼む」

 暗い室内の中、二人の小声はよく響く。屋外の雷の響きが無ければ、或いはぽつりぽつりと降って来た雨の響きが無ければ、その小声はまるで運命の如く心臓を刺激していただろう。その事実が否応無く感じられて、会話はぎこちなく始まった。

「お、俺等、王都から出立してどんぐらい経ちましたっけ?」
「そうだな・・・夏の真ん中くらいに出てから・・・かれこれ二月だな」
「そうですか・・・意外と経っているんですね」
「光陰矢のごとしだ、気付いたら冬になってしまうかもしれん・・・」
「なら、あのふかふかの毛皮のコートも必要になってきますね。実は着るのがちょっと愉しみだったりするんですよ」
「なるべく質のいい物を要求しておこう。悪いものだと毛が整ってなくて、肌がちくちく感じてしまうからな」
「ええ。是非、お願いします」
「・・・しかし、二ヶ月か。王都の方ではどうなっている事やら」
「確か、軍事演習があるって聞いてましたけど」
「ああ。王都周辺の街と協力して行われるのだ。何分我が軍は人員が少ないからな。数を増すのに必死になるのだ。王都からは正規兵だけが送られる予定だが、他の街ではそうはいかんだろう」
「というと、その日のためだけに傭兵が雇われたり?」
「一部ではあるかもしれんが、もっと確実なのは私兵だったり、それか出稼ぎに来た者達を雇う事だな。食糧と給与さえ確保さえすれば、数合わせにはなる」
「そんな貧乏くさい・・・」
「失礼な。倹約的だと言ってもらいたい。必要な時に、必要なだけ物資を使用する。それが軍隊でもあり、組織でもある。決して貧乏なのを見透かされたくないからという指摘は当てはまらんからな!」
「十分意識している時点で、ほとんど決まっているようなものですけど・・・ぃいぃ痛いっ!!抓んないで下さいっ!!」

 手首の直ぐ上辺りを抓られて慧卓は小さく悲鳴を漏らす。そして会話の中で出てきた王都という言葉から、ある一つの事を尋ねてみた。

「演習には、王女様も出るんですか?」
「そう、だが・・・」
「・・・・・・はぁ、まだ後半年かぁ」

 アリッサはそれを聞いて、胸が再び痛むのを感じた。その痛みに操られるかのように、彼女の口は彼女自身の意思とは反対に、気掛かりであった事を尋ねてしまった。

「・・・ケイタク殿」
「・・・はい」
「王女様の事が好き、なんだよな?」
「・・・はい。好きです。一人の女性として、意識しています」
「・・・・・・何か、切欠というのはあったのか?」
「はぁ、切欠ですか・・・。切欠らしい切欠というのは、あれですかね・・・『ロプスマ』の御祭りで、デートした時に見せた、彼女の笑顔かな」
「・・・笑顔?」
「ええ。あっ、王女としての笑顔も綺麗で、俺はあれも好きですよ?でもあの時に見せてくれたあの可愛い笑顔。一人の女の子として溌剌に見せてくれた表情に、なんといったらいいんですか・・・胸がどきっとしちゃって・・・その、今に至ります」
「・・・そうか。たった一月足らずで王女の心を掴み取り、往来で抱擁して、接吻すると!それが今に至る、という事か」
「は、はい・・・節操無くて、すいません・・・」

 慧卓の弱弱しい言葉に、アリッサはいやに腹が立って仕方が無かった。己の懊悩の中心にいるという事実を知ってか知らずか、隣にいる若人は気持ちを振り回してくるのである。そして少なからず、彼女は敬愛すべき王女に対して、理性とは程遠き疚しい思いを抱いてしまった。それは人に言わせれば、嫉妬という感情であると彼女はまだ言葉としては知らなかったが、その態度は如実にそれを反映していた。
 それは、ごろごろと、一際大きく雷がつんざめく時に起こる。

「・・・雷、近いですね」
「・・・・・・す、す・・・少し、そっちによるぞっ」
「えっ?」

 相手が一瞬呆気に取られるのを良い事に、アリッサは一気に身を寄せた。若干厚めの布団に出来た二つの膨らみ。その間に出来た隙間が、ほんの数センチの距離までに縮まった。必然的に慧卓は、一気に近寄った絶世の美顔と肉体に、思考を完全に静止させてしまう。丁度その時に轟いた雷鳴の閃光によって、アリッサの表情がつぶさに窺い知れた。
 暗闇の中でもよく分かる程の、紅潮した頬。俄かに潤いを帯びて、翠の瞳。機嫌を損ねたように顰められた茶色の愁眉と、尖った口元。鼻先を掠める麗しき香りは、その美しき肩まで伸びた髪によるものだといえた。そして驚いた事に、慧卓の右手はアリッサによって抱かれている。薄絹のきめ細かな感触の直ぐ奥にある、女性的な肌の柔らかみと温かみ。鍛え上げられた引き締まった騎士の肉体。そして掌が触れてしまった、腰部の妖美なライン。触れられている事を感じているのに、アリッサはそれを引き離そうとしなかった。
 慧卓は自分の肢体の真ん中、理性の及ばぬきかん棒に血が通い始めて硬直していくのを感じつつ言う。

「ど、どうしましたっ?もしかして、雷が怖いとかーーー」
「ち、違う!ただ・・・何となく・・・そう!ちょっと肌寒く感じたから、人肌に擦り寄っただけだっ!!」
「・・・そ、その言葉は・・・男にとっては反則だって自覚、あります?」
「は?一体どういう・・・っっ!!!」

 アリッサが身動ぎして、ぴととその部分に肘に触れてしまい、そして慧卓と見つめあった。肘先で触れたのは、硬直して膨らんでしまった慧卓自身。見詰めてしまったのは、欲望に耐えるかのように堪えられた、愁いすら感じられる表情。アリッサは顔を一気に、林檎のように真っ赤にさせて目を見開いた。そして慧卓の腕を放して背を向ける。
 慧卓は気まずき思いをしながら問う。

「あ、アリッサさん?」
「黙れぇ!もう寝るっ!!!」
「も、もう寝るって・・・。そんな子供みたいな態度取らなくてもーーー」
「煩いっ!」
「・・・アリッサさん、そう機嫌悪くしちゃ絶対に眠れーーー」
「だからだまーー」

 涙目で振り向こうとしたアリッサと、彼女の肩を掴もうとした慧卓の左手が交錯した。幾枚の布越しに、慧卓の滾った一物がアリッサの引き締まった臀部の線を突く。そして彼の左手は何の因果があろうか、見事に整った控え目な彼女の乳房を握ってしまった。そして此処に至り慧卓は気付く。彼女が纏う寝巻きとは一般にはネグリジェと呼ばれるそれであり、同時に、非常に布の薄いものであった。もしかしたら明るみでは、彼女の乳房の突起すら透けて見えるのではないかと思えるほどであり、まして掌の内では、その柔らかみが直に感じてしまえる。アリッサは今宵、寝巻きの下に下着を着用していなかった。 
 慧卓は欲に駆られたように思わず、腰を身動ぎさせた。瞬間、陰部の先端が彼女の臀部の谷間をなぞり、偶然、偶然にも彼女の花園を撫でてしまう。

「っっっっ!!!!」

 アリッサはびくりと震えて、目端に小さな涙を浮かべて顔を背ける。慧卓はその態度を見て、己の分別のつかぬ行動を自覚する。そろそろと離れていく彼の身体を尻目に、アリッサは彼に見えぬ場所で目端から涙を零していた。彼女の胸がばくばくと、まるで火薬が炸裂しているかのように鼓動している。アリッサは自身の胸中にふと湧いてしまった思いを感知しつつ、しかし理解できないでいた。

(ね、寝るんだ!今日はもう寝るんだ!悪い気がしなかっただなんて・・・ただの気の迷いなんだっ!!)

 彼に触れていた部分がやけに熱く感じる。腕も臀部も、そして胸元も。口元から抜けていく息には、戦場に立っていた時とはまた別種の熱が篭っていた。それが扇情の息だと知れば、アリッサは一体どのような言葉を漏らすのだろうか。
 懊悩を抱える彼女とは一方、慧卓も慧卓で、自覚のある興奮が冷め遣らないでいた。特に、アリッサを虐げてしまったその一物に関しては、痛いほどに滾っているのが理解できた。

(・・・治まらない、よな、これ)

 此処までに腫れてしまったのは、王都で湯浴みの奉仕を受けた時以来である。あれ以降、慧卓は己を律するという意思の下になるべくその手の欲望を封じて日々を送っていた。しかし今、彼の肉槍は一度意識してしまった温かい女体に反応して、完全に屹立してしまっているのだ。慧卓の理性は、これは一度欲望を放出しない限りは決して収まらないと、冷静に告げている。
 何とかアリッサが眠るのを待った後、厠にて自慰をせねばなるまい。背後の感じるアリッサの息遣いですら、慧卓の欲求を掻き立てるものに聞こえてしまうのだから。男として生れ落ちた宿命が、彼の本能に火を燈し、眠気などという人の欲求を忘我の境地へと追い立ててしまった。慧卓は己の先端から、先走りのような湿ったものが溢れてしまうのに気づき、ますます冷静さを失いつつ、アリッサが眠りに就く事を唯祈り、祈り続けた。
 落雷に照らされる一室。窓に打ち付ける強い雨。二人の男女は就寝のそれとは似合わぬ、渾身の自制心を働かせていた。

 
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