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粋恋

作者:武知美海
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帰省

所々整備のなされていない道路を進むバスにゆられ、私はぼんやりと窓の外を眺めていた。
季節は桜の散った少しあと、葉桜が茂り始め、窓から覗く川べりにはカラシナやアブラナの白と黄色のコントラストが映えていた。皮の水面には鴨が浮かび、キラキラと光る水面の底は浅く透けていて、周囲に花々と共に茂る緑達は特に綺麗というわけでもない水を美しく見せていた。

がたん、とバスが揺れたあと、私はほお。と、一つ大きなため息をつく。
私は何をしているのだろうと、多少の自己嫌悪を胸に抱えて、春の生ぬるいバス車内で深呼吸した。
息を吐くと、その息もまた生ぬるくて、こんな空気を吸っていると多分に気分を悪くするものだけれど、これもまた、私がつい先ほどまでいた遠くの街に比べたら、まだまだ不快感は薄いというもの。

私がバスに揺られて道を行くのは、帰省をしているからだ。
それも、情けない話、住んでいた街に長く馴染めずに逃げ帰るという、そんな情けのない話なのだ。
仕事も高校を出てからとある商社で働いていたけれど、仕事はともかく人付き合いが苦手な私は、そのまま数年間を趣味も友人もなく過ごした。
流石に仕事にも限界を感じ始めていた頃、一つの電話がかかってきた。

「久しぶり。どうしてるかな?」

優しい、とても優しい男の人の声だった。
そんな他愛のない挨拶から始まった通話は、ぼろぼろになっていた私の心にすーっと優しく染み込んで行った。
私は泣いていた。
彼は私がどんな風に暮らしているか、仕事はどうなのか、そんなことを聞くと、少し考えるような間があったあとで、

「仕事やめて、こっちに戻ってくる気はないかな」

などと、そんなことを宣った。
昔からの境遇で甘える自分が嫌いな私は、最初は断っていた。
「大丈夫だよ」「心配ないよ」と、そんなありきたりな断り方を、出来るだけ声に張りを持たせて、彼の厚意に感謝を添えて私は決してうなづいたりはしなかった。
けれど、彼・・・市川友貴も頑固者で、もしも私が帰ってこないのなら迎えに来るとまで脅しをかけてきた。
そこまで言われてしまっては、押しに弱い私は首を垂れるしかなくて、ちゃんと帰るからと約束をしたあとで電話を切った。
長いこと通話をしていたのか、携帯電話の電池は底を尽きかけ、時間も深夜と洒落込んでいた。
翌日だって仕事なのに、本当に長電話をしたものだ。
しかし、同時に救われた気分にもなり、胸が軽くなった私はベッドに潜り込むと、普段は寝つきの悪い私があっという間に寝息を立てたのだから心底安堵したことだろう。

その電話から二週間後には、普段はモチベーションが上がらず片付かなかった仕事をすべて片付けて、辞表を提出し、そして一月後に無事に退職した。
それから二日、三日ほどは荷造りや引っ越し作業に従事して、そして今日。新幹線と電車とバスを乗り継いで、故郷であるこの街へと帰ってきた。
私のいた街は都会過ぎて、緑なんてものは緑化運動やヒートアイランドを防止する目的で植えてるものしか見たことはなかったけれど、この街は昔と変わらずに少し寂れた空気が風と流れる地方都市の片隅にある片田舎で、数年ぶりに帰省した私を懐かしく感じさせてくれた。

バスが進み、次に見えた道のりから中ほどのバス停に停車して、老若男女数人が乗ってくる。
その中の一人の青年と目が合うと、その青年は驚いた顔をして此方によって来た。
整えた髪に少し面長な顔、ピシッと決まったスーツのその青年が口を開く。

「まどかじゃないか。こっちに帰ってたのか」

「しんちゃん?」

青年は小学生の頃からの友人である倉田真司という青年だった。
高校を卒業してから会っていなかったけれど、流石に彼の特徴である垂れ目と右の泣きぼくろで彼だとわかり、荷物を膝に上げると、彼に座席の隣を勧めた。

「帰って来るなら連絡してくれよ。みんな集めたのにさ」

「友くんから聞いてるかと思ってた」

友貴と倉田は幼少の頃からの親友であり、半ば兄弟のような存在だ。
だから、どちらかに連絡しておけば必ずそれは両方の耳に入っていたけれど、今回は何も聞いていないらしい。
なんでも、友貴は家業の手伝いで忙しく、倉田も小学校の教員をしているから、なかなか時間が合わないそうだ。

「みんな心配してたんだぜ?」

「うん、友くんに叱られたよ」

例の電話の際に、私が出て行ってしばらくの間、友貴と倉田を中心に友人一同が私の心配をしていたらしく、連絡を一切絶った私には憤りを感じる人もいたらしい。
特に友貴はなんの相談もなしに私が街を出たことに落ち込んで、しばらくは仕事に身が入らなかったらしい。
とても悪いことをしたなあ。と、思う反面、なんでそんなことで落ち込むのかという失礼極まりないことも思う。

「まどか。痩せたな」

「そう?あれから何年も経ってるから、外見くらい変わるよ?」

十年といかないまでもそれなりの年月、会わないで過ごしたのだから当たり前だ。
少なくとも、二十歳を迎える前には背も伸びなくなっていたし、毎日鏡の中の自分とにらめっこしていたのだから、自分では気づかない変化でもあったのかもしれない。
それを思うと真司はだいぶ変わったように思う。昔はこんなにスーツが似合うような好青年ではなかったはずだし、むしろ冬場はジャケットなどで厚着、夏場はタンクトップのみと、結構だらしのない少年だった。


 
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