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逆さの砂時計

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魔窟の森 3

 エルフ達に導かれて入った集落改め里は、巨大なすり鉢状になっていた。
 落ち(くぼ)んだ中央部分で、天を貫く一本の木が根茎と枝葉を伸ばしている。

 木目が見える四角い柱で作った枠組みに、そこそこの厚みがある木の板をはめ込んだ壁と、色褪せた(わら)をどっさり積んで三重の層を作っている屋根。
 そんな、初めて見た形状の建築物が、巨木を囲むように点々と建ち並び。
 その外側を、浅い川がゆったり流れている。
 すり鉢の底辺の縁で、上流も下流も無く円を描いて右回りに巡るこれを、『川』と称するべきか『池』もしくは『堀』と称するべきかは、微妙に悩むところだが。
 円の長さや水流の幅から考えれば、『川』という表現が妥当だろう。

 川に架けられた半円状の橋を渡り、まばらな建築物の間を進んでいくと、その先では畑や果樹園らしきものがいくつかに分けて作られ、果物や野菜が彩り美しく枝もたわわに実っている。

 しかし、どれほど目を凝らしてみても、十一人以外の姿が見えない。
 さすがに巨木を挟んだ反対側の様子までは見ようがないが。
 それにしても、感じ取れる気配はすべて動物や植物のものだ。
 まさか、長を含めた十二人が、エルフの里の総人数なのだろうか。

 更にその先へ進もうとするネールの後を黙って付いて行くと、一緒に来たエルフ達がバラバラと散っていった。
 ある者は畑へ。
 ある者は建物の中へ。
 ある者は再び里の外へと出ていく。

 クロスツェルは、自分達を放っておいて良いのか? と不思議そうに首を傾げるが。
 ネールは振り返りもせず、
「この先は、エルフであっても長の許しがなければ決して立ち入れぬ禁域。許しを得ていない彼らは、ひとまず各々の役目に戻っただけだ。何かあればすぐに集まってくる」
 と言う。

 納得してネールが行く先を見れば、巨大な木の根元をこれもまたぐるりと一周する、細めの丸太と太い縄で作られた長大な柵があった。
 柵の高さは、エルフの腰上辺りに年輪の断面が見える程度。
 地面に等間隔で突き立てた杭状の丸太に横穴を空け、一本一本が長い縄を通してそれぞれ繋ぎ合わせ、柵の内側と外側の空間を隔てているが。

 案内された先の一ヶ所だけ、丸太と丸太の間に縄を通さず門にしている。
 その場所をすり抜けると、半透明な人間や様々な動物達が、一列になって木の周りを左回りにのそのそ歩いていた。
 ふと、クロスツェル達の背後から飛んできた半透明な小鳥が、列の隙間に舞い降りて、前後と歩調を合わせるようにテコテコと歩き出す。

「……これが、野良魂が無かった理由ってヤツか」
「そうだ。ここは、全生物の魂が浄化を求めて集う聖地。奴らはここで己の罪を清め、聖樹と一つになる」
「『聖樹』? この大きな木ですか?」

 太い幹を上へと目線で辿れば。
 里の上空はすべて、この巨大な一本の木の枝葉が覆い尽くしている。
 いったい何千年生き続ければ、これだけの巨木に成り得るのか。
 クロスツェルには想像もつかない。

「聖樹は……そうだな。どれほど無知に成り下がった人間であっても、かの御名くらいは聞き覚えがあるだろう。世界の中心で、世界中に清らかな気を循環させている神聖なる息吹。それが、この『世界樹』だ」
「『世界樹』? アリアを産んだとされている、あの『世界樹』ですか?」

 アリア信仰の神父だったクロスツェルは、当時その名前を毎日見ていた。
 ベゼドラ曰く虚飾だらけの教典に、アリアを産み出した聖なる母であり、世界を支える巨木であると書かれていたのだ。

「あの女を産んだ……? まさか。あの女は、どこからともなく突然現れた紛い物。聖樹との関わりなど、ありはしない」

 そんな伝わり方をしているのか、嘆かわしい。
 と、足早に世界樹の元へ向かうネールを追って、二人も足を早める。

 大きすぎて近くにあると錯覚していたらしい世界樹の根元へは、それからしばらく歩いて、ようやく辿り着いた。
 地表にうねり出た根をいくつか登った先で。
 幹に背中を預けて建っている、小さな石積みの祠を見つける。

「連れて参りました、長」

 祠の手前で(うやうや)しく片膝を突くネールに反応してか。
 祠の中で目を閉じたまま胡座(あぐら)の姿勢で座っていたエルフが、わずかに顔を上げる。

 見事なまでに、ネール達と同じ色彩、同じ顔、同じ体格。
 だが、髪の長さがネール達とはあまりにも違いすぎる。
 祠の中が、小さな体と大量の髪でぎゅうぎゅう詰めだ。
 そのうち髪の量で体が追い出されるのではないか? と思うほどに長い。
 日々のお手入れなどは、確実にしていないだろう。

「人間。こちらへ」

 長がクロスツェルに手を伸ばした。

 一瞬驚いたネールが姿勢を崩しそうになるが、すぐに正す。
 その横をすり抜けたクロスツェルが長の手を取り、片膝を突く。

 しばらくの沈黙の後、長は静かに目蓋を持ち上げ。
 虹色に輝く虹彩で、不思議そうな表情のクロスツェルを見据えた。

「語る必要はないよ、クロスツェル。貴方の記憶は、世界樹が読んだ」
「え?」
「貴方はアリアに命を救われたのだね。証こそ無いが、アリアの力は確かに天神(てんじん)の一族と同じ物。彼女に救われた貴方から力を感じるのは当然だ」
「……『世界樹』と長様が私の記憶が読めるのでしたら、何故、ベゼドラを里に招いていただけたのでしょう?」

 クロスツェルは、ベゼドラが居ないと説明が難しいと言って押し切った。
 口頭での説明を必要としないなら、同行を許す理由も無い筈だ。

「貴方が言った通り、避けられる争いなら避けるべきだと思ったからだよ。僕達は神々に仕える民ではあるけれど、それ以前に創造神の作り物。悪魔もまた然り。ならば、害意無き者に敵意を示すは、真の愚行だ」

 どうやら、ネールの記憶を通してクロスツェルの説教を聴いたらしい。
 長は可愛らしくにこっと微笑み、クロスツェルから手を離した。
 そして、人差し指をクロスツェルの前に立てる。

「貴方にこれを授けよう、クロスツェル。きっと貴方達の旅に必要な物だ」

 しゃらしゃらと、鈴の音にも似た軽やかな音色を引き連れて。
 長の全身から溢れ出した虹色の輝きが、その指先に丸く集まっていく。
 拳程度にまで大きくなった輝きは、傾けた指先を伝い。
 クロスツェルの胸の中へと、溶け込むように消えた。

「これは……?」

 長い髪を器用に逆立てて驚きを表現しているネールと。
 ちょっとびっくりしたらしいベゼドラの気配を背中で感じながら。
 クロスツェルは自分の胸に手を当ててみる。
 見える場所にも、心拍や呼吸にも、特に変化はない。

「アリアの力に敵う物だよ。使い方は自然と理解できる。僕達エルフが代々護り継いできた大切な宝物だから、大事にしてね」
「そんな大切な物を、どうして私に?」

 腕を下ろした長は目蓋を閉じ、口元だけで弧を描いた。

「アリアを迎えにきたらしいあの男を止められるのは、現代のこの世界にはアリアしか居ない。そのアリアを僕達側に引き留められるのは、貴方達だけだと思うから。特にクロスツェル。貴方は、彼女にとって重要な立ち位置に在る。まさしく『アリアの鍵』だ」
「!」

 ベゼドラの目が丸くなる。

 『記憶を読んだ』と言っていた。
 つまり長はクロスツェルを通して、魔王と呼ばれた悪魔の再来を知った。
 かつて世界を脅かしていた者の再来を。
 だから、世界の脅威と対峙する為の物を、クロスツェルに与えたのか。

「世界を救えとか言うなよ、白蟻(しろあり)。俺達は、ロザリアを取り戻せればそれで良いんだ。他の奴らなんぞ知ったこっちゃねぇぞ!」
「知ってるよ、ベゼドラ。でも、貴方達が彼女を取り戻すつもりなら、あの男は絶対に邪魔をする。そうでなくても、貴方達の存在の大きさに気付いてしまったら、男は貴方達を殺しにくるよ。アリアと再会する前に死にたくはないでしょう?」

 貴方達は弱いから。
 言外にそう言われたベゼドラは、苛立ちながらもそれ以上反論できない。
 魔王に叩きのめされてしまったことは、誤魔化しようがない事実だ。

「……ありがとうございます。さすがに世界の命運まで背負うつもりは一切ありませんが、活用はさせていただきます」

 クロスツェルはにっこり笑って長に頭を下げる。
 長も一つ頷いた。

「長……っ 貴方は……なんということを……!」

 ガクガクと四肢を震わせるネールにも、長はゆったりと微笑む。

「ネール。この二人を、森の外まで案内しなさい」
「長!!」
「聖樹を護る為に必要なことだ。この二人を死なせてはいけない」

 護る為。
 その言葉にネールは唇を噛み、苦々しくも頭を下げた。

「……行くぞ」

 立ち上がり、長に背を向けて、来た道を引き返していくネール。
 不機嫌なベゼドラと、長に一礼したクロスツェルも、その後に続く。

「幸多き未来を」

 長は静かに、三人の背中を見送った。



「なんじゃ、お主ら? 長に処分されたのではないのか」

 巨木の根を降り、魂の列と柵を越え、建築物の近くまで戻ったところで。
 元気いっぱいに走り回っていたリーシェが、三人に駆け寄ってきた。
 手に持っているのは、見るからに年季を感じさせる(くわ)
 どうやらリーシェは畑を耕していたらしい。

「二人を森の外に送ってくる」
「そうかそうか。やはり獣に肉を喰わせるわけじゃな……って、なにぃ!? ()の外ではなく、()の外じゃと!?」

 いちいち大袈裟に反応するリーシェを見ると、なんとなく癒されるなと、クロスツェルが目を細めていると。
 数歩先に居るネールが、凄まじく敵意溢れる眼でクロスツェルを睨んだ。

「何故じゃ!? 人間は例外なく始末せねば、森が! 里が! 聖樹がっ!!」
「リーシェ。長の決定だ」

 ネールがリーシェの肩を軽く叩いて、その脇を通り過ぎる。
 彼女はけろっと態度を改め。
 そうか。長の決定か。ならば仕方ないの!
 と、笑いながら畑仕事へ戻っていった。

「……アイツ、まじウゼェ」

 里に入ってから妙に大人しいベゼドラが、両肩を落としてため息を吐く。
 もしかして、本当に『聖なる気』とかに当てられてたりするのだろうか。

「一番若いエルフだ。まだ落ち着きがないのも仕方ない」

 ネールは二人に顔を向けることもなく、スタスタと先を歩いていく。
 一刻も早く、二人を里から追い出したいようだ。

「若いっつったって、とっくに百年は生きてんだろ? どうせ」
「ひゃ……?」
「来年で三百歳だ」
「さっ⁉︎ え、さ、三百……!?」

 思わずリーシェを二度見、三度見するクロスツェルに。
 ベゼドラが意地悪そうな顔で、にやりと笑う。

「見た目じゃ分かんねえだろ」
「え、ええ。意外です」

 とても楽しそうに土を耕すリーシェ。
 その笑顔は、無邪気な少女そのものだ。

「三百、ね。にしたって、ずいぶん甘やかされてる感じだが」
「……リーシェは現在、里で唯一の女性体。これからエルフ族の母となる、貴重な身の上だ。大切に護らなくてはならない」

 ネールの背中へと向き直ったクロスツェルが。
 なんだかいろいろと問題がこもっている発言にギョッと目を剥く。
 対してベゼドラは、愉快そうに笑い声を上げた。

「なるほどね。アイツは白蟻(しろあり)の次期女王様ってヤツか。里中がお相手とは、ご苦労なことだ」

 エルフは決して、里に部外者を招き入れない。
 つまり、この種族は純血種。

 『絶滅危惧種』とまで言われた者達が。
 今日になるまで、どうやって一族を繋いできたのか。
 これから、どうやって繋いでいくのか。
 当然、一に対して一で足りる数ではない。

 再びリーシェの姿を遠目に見たクロスツェルは、背筋を凍らせた。
 実年齢はともかく、あんな小さな子を種の保存に利用しようというのか。
 いや、全員同じ容姿ではあるのだが。

「なんとでも言え部外者よ。それでも我らは絶えるわけにはいかないのだ」

 拳を握り肩を震わせて足を早めるネールに付いて行きながら。
 二人は真逆の顔色で、森の外まで案内された。
 二人が入ってきたほうと反対側に抜け、ネールはさっさと里へ引き返す。
 その背中を複雑な表情で見送るクロスツェルに、けらけらとお腹を抱えて嗤うベゼドラ。

「アイツら、まるで変わらねえんだな。元々女の数は少ないほうだったが、今じゃ男十一匹に女一匹の崖っぷちも崖っぷちだってのに、ここまできてもまだ排他存続を貫くとか。バカだろ絶対」
「…………やはり、エルフの総数は十二人なのですか?」
「この周辺にゃアイツら以外で人型の生体は居なかったからな。動物相手に種付けしてりゃ知らんが、お前が会話できるエルフに限れば十二匹だな」
「そう……、ですか」

 普段であれば、言葉を選びなさいと叱る場面だが。
 今のクロスツェルは、そんな気持ちにはなれなかった。
 所詮、部外者でしかない者が口出しして良い話でもないし。
 その行いを非難できる立場でもないのだが。

「……どうか、未来の彼女にも労りと安らぎがあらんことを……」

 誇り高い、少し間抜けなエルフの少女の笑顔を思って。
 クロスツェルは、閉ざされた世界樹の森に密やかな祈りを捧げた。

 
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