逆さの砂時計
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魔窟の森 3
エルフ達の案内で彼らが居を構える集落改め里に入ると、其処は天を貫くほどの巨大な一本の木を中心に円状で築かれた空間になっていた。
初めて見る形状の木造建築物が巨木を囲むように並び、その外側をぐるりと浅い川? が流れている。
上流も下流も無く円を描いて右回りに巡るこれを川と称するべきか池と称するべきか悩む所だが、見た目には川が適当だろう。
川に架けられたアーチ状の橋を渡って建築物の間を進むと、その先では点々と畑や果樹園らしきものが作られ、果物や野菜が彩り美しく枝もたわわに実っている。
しかし、十一人以外の姿が見えない。まさか長を含めた十二人が里の総人数なのだろうか。
更にその先へ進もうとするネールの後を黙って付いて行くと、二人を囲んでいたエルフ達がバラバラと散って行った。ある者は畑に。ある者は建物の中に。ある者は再び里の外へ出て行く。
自分達を放っておいて良いのかと不思議そうに見るクロスツェルに、ネールは振り返りもせず
「この先は限られた者しか立ち入れぬ禁域。彼らは各々の役目に戻っただけだ」
と言う。
納得して彼が行く先を見れば、巨大な木の根元をこれもまたぐるりと一周する縄を繋いだ柵があった。一部 門になっている場所を潜り抜けると、半透明な人間やさまざまな動物が一列になって木の周りを左回りにのっそりと歩いている。侵入者達の魂だ。
「此処は生物の魂が浄化を求めて集う聖地。奴らは此処で己の罪を清め、聖樹と一つになる」
「聖樹? この大きな木ですか?」
幹を上へと目線で辿れば、里の空は全てこの木の枝葉が覆っている。一体何千年生きればこれだけの巨木に成り得るのか、クロスツェルには想像も付かない。
「聖樹は……そうだな。幾ら無知な人間でも、名前くらいは知っているだろう。世界の中心に有って、世界に清らかな気を循環させる神聖なる息吹。それがこの世界樹だ」
「世界樹? アリアを産んだという?」
元アリア信仰の神父であるクロスツェルは、当時その名前を毎日目にしていた。ベゼドラ曰く虚飾だらけの教典に、アリアを産み出した聖なる母であり、世界を支える巨木であると書かれていたのだ。
「あの女を産んだ? まさか。あの女は何処からともなく突然現れた紛い物。聖樹との関わりなど無い」
そんな伝わり方をしているのか。嘆かわしい……と、足早に世界樹の元へ向かうネールを追って、二人も足を早める。
大きすぎて近くにあると錯覚していたらしい世界樹へは、それから暫く歩いて漸く辿り着いた。地面からうねり出た根を幾つか登った先で、小さな石積みの祠を見付ける。
「連れて参りました、長」
祠の手前で恭しく片膝を突くネールに、中で目を瞑り胡座の姿勢で座っていたエルフが、僅かに顔を上げる。
見事なまでにネール達と同じ顔。だが、髪の長さがあまりにも違う。祠の中が体と髪でぎゅうぎゅう詰めになっている。その内、髪に体が追い出されるのではないか? と思うほど長い。手入れなどは確実にしていないだろう。
「……人間。此方へ」
長がクロスツェルに手を伸ばした。一瞬驚いたネールが姿勢を崩しそうになるが、直ぐに正す。その横をすり抜けて長の手を取り、片膝を突く。
暫くの沈黙の後、長は静かに目蓋を持ち上げ……虹色に輝く虹彩で、首を傾げるクロスツェルを見据えた。
「語る必要は無いよ、クロスツェル。貴方の記憶は世界樹が読んだ」
「え?」
「貴方はアリアに救われたのだね。証こそ無いが、アリアの力は確かに一族の物。彼女に救われた貴方から力を感じるのは当然だ」
「……記憶を読めるのでしたら何故、ベゼドラを里に招いていただけたのでしょう?」
クロスツェルは、ベゼドラが居ないと説明が難しいと言って押し切った。
説明を必要としないなら、連れて来る理由も無い筈だ。
「貴方の言う通り、避けられる争いならば避けるべきだと思ったからだよ。僕達は神々に仕える民ではあるけれど、それ以前に創造神の作り物。悪魔もまた然り。ならば、害意無き者に敵意を示すは真の愚かだ」
どうやらネールの記憶を読んで説教を聴いたらしい。
長はにこっと可愛らしく微笑んで、クロスツェルから手を離した。そのまま人差し指を二人の間に立てる。
「貴方にこれを授けよう、クロスツェル。きっと貴方達の旅に必要な物だ」
しゃらしゃらと軽やかな音を引き連れて、虹色の輝きが長の指先に丸く集まっていく。拳程度に大きくなった輝きは、クロスツェルに傾けた指先を伝って彼の胸にすーっと溶けて消えた。
「これは……?」
長い髪を器用に逆立てて驚きを表現しているネールと、ちょっとびっくりしているベゼドラの気配を背中で感じながら、クロスツェルは自分の胸に手を当ててみる。特に変化は無い。
「アリアの力に敵う物だよ。使い方は自然と理解できる。僕達が代々護ってきた宝物だから、大事にしてね」
「何故私に、そんな大切な物を?」
腕を下ろした長は目蓋を閉じ、口元だけで弧を描いた。
「アリアの傍に居る男を止められるのは、現代この世界にはアリアしかいない。そのアリアを僕達側に引き留められるのは、貴方達だけだと思うから。特にクロスツェル。貴方は彼女にとって重要な立ち位置に在る。まさしく「アリアの鍵」だ」
「!」
ベゼドラの目が丸くなる。
記憶を読んだと言っていた。つまり長は、クロスツェルを通して魔王と呼ばれた悪魔の再来を知った。世界を脅かす者の再来を。
だから、対峙する為の物をクロスツェルに与えたのか。
「世界を救えとか言うなよ、白蟻。俺達はロザリアを取り戻せればそれで良いんだ。他の奴らなんぞ知ったこっちゃねぇぞ!」
「知ってるよベゼドラ。でも、貴方達が彼女を取り戻すつもりなら、あの男は絶対に邪魔をする。そうでなくても貴方達の存在の大きさに気付いてしまったら、男は貴方達を殺しに来るよ。アリアに会う前に死にたくはないでしょう?」
貴方達は弱いから。
言外にそう言われたベゼドラは、苛立ちながらもそれ以上反論できない。
叩きのめされたのは事実だ。
「……ありがとうございます。さすがに世界の命運まで背負うつもりはありませんが、活用させていただきます」
クロスツェルはにっこり笑って長に頭を下げる。長も一つ頷いた。
「長……っ なんという事を……!」
ガクガクと全身で震えるネールにも、長はゆったりと微笑む。
「ネール。森の外まで二人を案内なさい」
「長!!」
「世界樹を護る為に必要な事だ。この二人を死なせてはいけない」
護る為。
その言葉にネールは唇を噛み、苦々しくも頭を下げた。
「行くぞ」
立ち上がり、長に背を向けて、来た道を引き返す。
不機嫌なベゼドラと、長に一礼したクロスツェルも、その後に続く。
「幸多き未来を」
長は静かに三人の背中を見送った。
「なんじゃ、お主ら? 長に処分されたのではないのか」
建物の近くまで戻った所で、元気一杯に走り回っていたリーシェが三人に駆け寄った。手に持っているのは鍬。畑を耕していたらしい。
「二人を森の外に送って来る」
「そうかそうか。やはり獣に肉を喰わせる訳じゃな……って、なにぃ!? 里の外ではなく、森の外じゃと!?」
やはりいちいち大袈裟に反応するリーシェを見ると和むな……と目を細めていると、数歩先に居るネールが凄まじく敵意溢れる眼光でクロスツェルを睨んだ。
「何故じゃ! 人間は例外無く始末せねば森がっ! 里がっ! 世界樹がっ!!」
「リーシェ。長の決定だ」
ネールがぽんっとリーシェの肩を叩いて、脇を通り過ぎる。
彼女はけろっと態度を改め、そうか。長の決定か。ならば仕方ないの! と笑いながら畑仕事に戻って行った。
「……アイツ、まじウゼェ」
里に入ってから妙に大人しいベゼドラが、両肩を落として溜め息を吐いた。もしかして本当に聖なる気に当てられてたりするんだろうか。
「一番若いエルフだ。まだ落ち着きが無いのも仕方ない」
ネールは二人に顔を向ける事無く、スタスタと先を歩いて行く。一刻も早く里から追い出したいようだ。
「若いっつったって、とっくに百年は生きてんだろ? どうせ」
「ひゃ……?」
「来年で三百歳だ」
「さっ!?」
思わず振り返ってリーシェを見るクロスツェルに、ベゼドラがにやりと笑う。
「見た目じゃ判んねぇだろ」
「え、えぇ……。意外です」
とても楽しそうに土を耕すリーシェ。その笑顔は無邪気な少女そのものだ。
「三百、ねぇ。にしたって、随分甘やかされてる感じだが」
「……リーシェは現在、里で唯一の女性体。これからエルフ族の母となる身だ。大切に護らなくてはならない」
ネールの背中に向き直ったクロスツェルが、なんだかいろいろ問題が籠った発言にギョッとする。
対してベゼドラは、愉快そうに笑い声を上げた。
「なるほどね。アイツは白蟻の女王様か。里中がお相手とは、ご苦労な事だ」
エルフは決して里に部外者を入れない。つまり、この種族は純血種。
絶滅危惧種とまで言われた者達がどうやって今日まで一族を繋いで来たか、繋いで行くのか……当然、一に対して一で足りる人数ではない。
再びリーシェの姿を遠目に見て背筋を凍らせた。
実年齢はともかく、あんなに小さな子を種の保存に利用しようとしているのか。
いや、全員同じ容姿ではあるのだが。
「なんとでも言うが良い、部外者よ。それでも我らは絶えるわけにはいかないのだ」
拳を握り肩を震わせ足を早めるネールに付いて行きながら、二人は真逆の顔色で森の外まで案内された。二人が入って来た方と反対側に抜けて、ネールはさっさと里に引き返す。
その背中を複雑な表情で見送るクロスツェルに、けらけらと笑うベゼドラ。
「アイツら、まるで変わってねぇんだな。元々女の数は少ないほうだったが、此処まで来てもまだ排他存続を貫くとか。バカだろ絶対」
「……」
通常であれば言葉を選びなさいと叱る場面だが、そんな気持ちにはなれない。所詮部外者が口出しする話でもないし、その行いを非難できる立場でもないのだが……。
誇り高い、少し間抜けなエルフの少女の笑顔を思って、クロスツェルは森に祈りを捧げた。
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