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逆さの砂時計

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忘却のレチタティーボ 1

 神様はきっと、人間を作った時に『うっかり』を連発しちゃったんだな。
 でなきゃ、ある程度の数を揃えたところで量産する作業に飽きたんだ。
 だって、他人も私も同じ人間なのに、いろいろバランスが悪すぎるもの。

 たとえば、噴水の周りでいちゃこらとよろしくやってる美男美女。
 たとえば、杖を持ってベンチに座ってる、平和そうなおじいちゃん。
 たとえば、露店のお菓子を両親にねだってる、ちっちゃい子供。
 たとえば、学問に秀でた私のお兄ちゃん。
 ついでに、何もかもが空っぽな私。

 年齢そのまま恋人いない歴。
 運動神経が細切れになってるとしか思えない鈍足。
 ここでいつまでものんびりできるなら、ぜひともそうしていたい夢想癖。
 勉強なんて、右から『こんにちは』しながら、左へ『さようなら』だし。
 家族におねだりとかしたら、拳骨で叩かれるだろうなあ。
 買ってほしい物があるのかって尋かれても、特に思いつかないけどさ。

 せめてお兄ちゃんくらい顔が良ければ、まだ救いはあったのに。
 お母さんのバカ。
 なんだって、そのきめ細やかな肌の一枚も分けてくれなかったのさ。
 お父さんのキラッキラした金髪とか、本当に本当にうらやましい。
 どうして、私の髪だけ灰色なんですかね? お母さん。

 ……なんか、家庭内不和になりそうなんで、直接尋くのはやめとくね。

 ねえねえ、神様。
 人間ってね。誰の目にも明らかな『特別』を最低一つは持ってないとね、それだけでゴミクズ扱いされるんですよ。
 他人に寄生した人間のクズと呼ばれる、社会のゴミ。ね?
 どーして、私には何もくれなかったんですか?

 何も無いが特別とか、逆説的なアレは真面目に要らないんで。
 至急至急、大至急、何かくれませんか。
 露店で買える商品じゃなくて、誰のおメガネにも適う『特別』な何か。
 このままじゃ、夢も希望も肩透かしで空回りっすー……

 なんてね。

「うーん、良い天気だ」

 解ってるって。
 空っぽなのは、自分の責任。

 ご飯も服も靴も家での安眠も全部、自分以外の誰かから与えられてきた物なのに、何も無いとか心外だよね~。
 仕事に就いてからは、自分で稼いだお金で揃えたりしたけど。
 働ける年になるまでは、誰かが自身の時間を削って作り上げた日々の糧や生活必需品なんかを、親が自身の時間を削って揃えてくれてたわけですよ。
 それを甘受して、無い物ねだりに八つ当たり。
 うっひぃー。お子様根性丸出しでゴメンね、お父さんお母さん。

 でもね……埋まらないんだ。

 感謝はしてる。
 時々本気でイラッとくるけど。
 生んで、育ててくれて、ありがとうって、思ってはいるよ。

 でも、満たされない。
 何か足りない。
 何をしてても、空っぽなの。

 ね、神様?
 この空っぽに入れ忘れた『何か』があるんじゃないですか?
 ここが空洞のままで感謝とか口にしても、すっごい空空しいっていうか。
 かなーり虚しいのです。

 自分で探してこいやーっ!
 と仰るなら、手掛かりくらいは生活圏内に置いといて欲しかったな。
 圏外には、ちょっと行けそうもないんだ。
 生活維持とか、そんなこんなでさ。

「いいなあ……」

 噴水のきらめきを背負った美男美女を見て。

 うらやましいのは、外見だけじゃないのだよ。
 寄り添う姿っていうか、表情?
 楽しそうに、うっとり目を細めちゃってまあ。

 誰かを好きになるって、どんな気分なのかな?
 甘いとか苦しいとか、情報だけなら耳年増。
 実体験? 無い無い。
 恋愛に興味がありますか? と尋ねられれば、そりゃ、ありますけども。
 な~んか、警戒が先に立っちゃうのよね。
 私なんかに近寄るとか、何の企みがあるんじゃ、フシャーッ! って。

 あ、人間相手だけじゃないぞ。
 これ以上はないってくらい、心惹かれるものに会いたいなあ。
 無理だなあ。
 これだって、結局は自分の心の問題だもん。

 で、延々と同じことを考え続けちゃうわけだ。
 我ながら不毛よのう。

 しかし、空白だ空っぽだ虚しいわって自覚してるのも実は凄いのかしら。
 前にあったわけでもないのに、無い物を『無い』と認識してるんだよね。

 うーん。
 もしかして、そこを埋めるきっかけくらいには触ってるのかな?
 どうなんだろ。

「休憩時間は終わりだ、ステラ」

「うにゃ!? し、室長……っ」

 急に、背後から肩を叩かれた。
 ビックリして椅子から立ち上がると、横に回り込んできた上司殿が、私の右手をぐわしっと掴んで職場に連行する。

 ああー……。
 また、薄暗い室内での書類整理が始まるのかあー。
 さらば、愛しのぐうたら時間。



「ごめん、昨年の未返却分請求期限って、いつだった?」
「昨日よ。補填費用の割り出しと在庫の問い合わせはこっちでやっとくわ」
「了解。任せるわ」

 国立書蔵館東方支部は、今日も今日とて大忙し。
 同期の女性三人が、飴色の木製机の上にぺらぺらの薄い紙を重ねまくり、あーでもない、こーでもないと奮闘中。

 受付事務はお客様直結のお仕事だから、見た目が綺麗で上品なお嬢様方が集められてるけど、お客様直結だからこそ、とんでもない激務なのよね。
 疲労が理由の辞職率も、他の部所と比べて桁違いって話。

 必死な彼女達を横目に、上司殿と私が向かうのは、書蔵館で最奥の部所。
 同じ事務の仕事でも、私達二人が任されているのは、過去の書類の整理。
 在庫の統計を取ったり、入庫管理の書類を順番通りに分かりやすく並べ、確認したい人の為に素早く提出して、また元の位置に戻したり。

 要するに雑用だけど、これはこれで大変なんだぞ。
 隅から隅まで走って五分は掛かる広大な倉庫の中から、薄い紙切れ数枚を短時間で的確に見つけなきゃいけないんだから。
 倉庫内の大体の配置を、あらかじめ覚えておく必要があるわけよ。
 しかも、普段は閑古鳥(かんこどり)巣窟(そうくつ)なのに、いつ何が、どれだけ必要とされるか判らないせいで、倉庫周辺からは長時間離れていられないっていうね。

 他人と関わるのが得意じゃない私には、とてもありがたい部所だけどさ。
 屋内の全力疾走はキツいー。
 せめてもう一人は増やして、室長さまー。
 二人じゃ大変だよ、やっぱり。

「昼前に増えた書類は、ここにまとめておいた。これとこれは……」
「はい。では、そちらは」
「こっちは俺が引き受けておく。終わったら管理室で待機だ」
「了解しました」

 上司殿の丁寧な指示を受けて、倉庫への搬入を開始する。
 両手で抱えてふらつく程度の量が、ズラッと並んで五つ分。
 午前中に比べれば格段に少ない。
 書類要請が来なければ、今日は比較的楽そうだ。
 来るなー。来るなー。



 来なかった。なんという幸運。

「お疲れ様でした」
「ああ」

 黒革の椅子に腰掛けて天井を見ている室長に一礼し、狭い管理室を出る。
 室長は私に振り向きもせず、いつも通り、返事だけしてくれた。

 この仕事人間、仕事以外は大体放置してくれるから助かる。
 暇 時々 激務な職場でも長続きしてる理由は、こういう居心地の良さにあるのかも。

 怒ると、すっごい怖いけどね!
 さすがに、殴る蹴る怒鳴るの三大暴力は飛んでこないけどさ。
 触ったら切れそうな氷色の目で、静か~に睨まれてごらんなさいよ。
 凍えるから。
 絶っ対、凍え死ぬから。

 ああ神様、どうかお願いします。
 上司殿に割り振った美しい容姿の半分を、なかったことにしてください。
 綺麗な人がキレるとね? 怒られるほうの寿命が減るんですよ。
 大根をすりおろすようにジャカジャカジャカジャカ削がれていくんです!

 ちなみに、室長の髪の色も、私と同じ灰色系。
 だけどこっちは、くすんで汚いネズミ色。
 あっちは、鏡みたいな湖面の銀色。
 なんだかねえ、もう。

 ふこぉーへぇーだああぁーっ!
 手抜きすんな神様ぁああーっ!

「…………むなしい」

 実際は、美しい容姿になりたいわけじゃない。
 自分の容姿に不満があるんでもない。
 満足してもいないけど。

 不満のフリ。
 無い物ねだりのフリ。
 全部フリ。
 どこにでも居る普通の人間のフリをしてるだけだ。
 上滑りしていく毎日が、何事もなく通過するだけ。

「……帰ろ」

 外はきっと、夕陽で真っ赤に染まっている頃だ。
 最近、貯金をはたいて購入した木造一戸建ての我が家には、甘いお菓子を山ほど買い置きしておいた。
 今晩は夕飯を抜いて、お菓子の宴でも開こう。
 ごめんね、お母さん。不摂生で。

「ステラ」
「? はい?」

 廊下を少し進んだところで、管理室の扉を開いた室長が私に声を掛けた。
 なんだろ、珍しいな。
 そちらを見れば、管理室に鍵を掛けてスタスタと歩み寄ってくる。
 移動、速し。
 足、長い。

「送る」
「は?」
「君は最近、一人暮らしを始めたと聞いた。夜に女性の一人歩きは危険だ。家まで送ろう」
「え? な、なんで……」

 引っ越しについては、同期の女性数人にしか話してなかったからねえ。
 話の出所は、探るまでもないんだけども。
 何故にこんな、いきなり?

「そんな、お手数をかけるわけには」
「家の手前までだ」

 あ。送り狼を疑ってると思ったのかな?
 そんな心配しちゃうほど自惚れてはおりませんよー。
 当方、彼氏いない歴は長いもので。
 異性の目に魅力が無いのは重々承知しております。

 てか、私が異性でも、私に声を掛けようとは思わんだろうな。
 同性にも魅力無し。
 残念すぎる。

「そういうことではなくて、ですね。私、まっすぐ帰るつもりは」
「知っている」
「へ? って、室長!?」

 またしても腕を引かれて、職場をズンズンと離れていく。

 なんだなんだ、何事なんだ?
 すれ違う人達に、めっちゃ見られてるんですけど!?
 職場に入る時ならともかく、帰りにこれはやめてくださいよ!
 貴方、自分の容姿を再度確認して?
 女性の『うらやましー目線』が全部こっちに来るんだってば!
 無駄に敵を作りたくないのよ、私。
 見目良い男の傍に居ても赦されるのは、欠点知らずの美女だけ……って、女社会の謎規則、守らせてーっ!

「わっ……と」
「あ、すみません!」

 書蔵館の総合入り口で、よろめいた拍子にお客様とぶつかってしまった。

 って、これはまた、綺麗な顔の男性だな。
 室長は格好いい系美人だけど、この男性は中性美人さんだ。
 首筋でまとめた長い黒髪と金色の虹彩が、なんというか神秘的。
 全身真っ白な服装ってのが、より綺麗さを引き立ててる。

「いえ、失礼しました」

 男性は少し驚いてから、にこっと笑って書蔵館に入っていった。
 もうすぐ閉館なのにな。
 こんな時間に来るお客様なんて珍しい。

「行くぞ」
「きゃわっ」

 男性の背中を見送ってたら、腕を握ったままの室長に強く引っ張られた。
 急に引っ張られたら転びますってば!

「じ、自分で歩きますから、手を離して! 痛いです……っ」

 足を止めて踏ん張る私に振り返り。

 え? あれ?
 なして、そこで落ち込む?

「すまない」

 いやーっ!
 やめて!
 なんか知らないけど、仔犬みたいにいじけないで!
 反応に困る!
 本当に、いったいどうしたんですか、室長!?

「えーと、その……。ゆっくり、行きましょう?」

 私が職場用の笑顔を向けると、室長は少しだけ顔を上げて、頷いた。

 この人、誰。
 ひと睨みで凍死させちゃう上司殿はドコ行ったあ~!?



「あ、ちょっとここで待っててください」

 その後。
 斜め後ろから黙々と付いて来る男性を道路の脇に残し。
 街の一角にある小さな花屋さんへと駆け込む。
 いつもの白百合を一輪買って店を出ると。
 見慣れた顔が微かに微笑んで、私を待っていた。

 なんぞ?

「行きましょう」

 家路を急ぐ人達の間を縫って、街外れへ向かう。
 そこにあるのは、住民達から忘れ去られた旧教会。

 何年も前に、街の中心地で新しい教会が建てられたから。
 ここにはもう、誰も来ない。
 この辺り一帯は、近く再開発計画が進められる予定らしい。
 私には遊び場だったし。
 思い出がいーっぱいあるから、失くしたくないんだけど。
 そうも言ってられないのが、社会事情って奴なのよね。

「…………」

 教会の入り口に山と積み上げた白百合の上へ。
 買ってきた白百合を置いて両手を組み、片膝を突いて目蓋を閉じた。

 しばらくの沈黙の後、立ち上がって振り返ると。
 上司殿が眩しすぎる笑顔で私を硬直させた。

 いや~……。
 夕陽が綺麗だなあ~……。

 なんて、現実逃避するのが精一杯でした。
 顔面凶器って、良い意味でも通じるよね?
 え? ダメ?
 他に適切な表現が見つからないんだけども。



「……ありがとうございました」
「いや。今日はもう出歩くなよ」

 空が濃い紫色に染まる頃。
 我が家の玄関先で上司殿に頭を下げると。
 彼は本当に何事もない感じで、そのまま引き返していきました。
 なにがなんだか、さっぱりだ。逆に怖い。
 突然の路線変更は勘弁してください!

「ふはーっ!」

 家に入るなり、玄関扉を背もたれにして、ずるずると座り込む。

 疲れたよーっ。
 お菓子の宴にする気も削がれたよーっ。
 でも、何も食べないってのも、体に悪いしなあ。
 サラダだけでも、軽くつまんでおくか。

「むう。先に入浴の準備しとこ」

 動くのも億劫だ。
 かと言って、玄関で寝るのはイヤ。
 しょうがないから、立ち上がって諸々の仕度を始めようではないか。

 一人暮らしって、気ままな代わりに面倒も多いなあ。

 
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