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逆さの砂時計

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遭遇

 ふわぁ~りと、白っぽい()()が目の前を横切った。
 ()()は人差し指と親指で摘まんで一口で食べられそうな、小さな光の球。
 右から左へ、なんとなく目で追いかけてみると、微かに明滅している。

「……なんでしょうか、これ」

 そよ風に揺れる木の葉よりも力なく漂う、弱々しい光の球を指し示し。
 自分の左隣で立つベゼドラに尋ねてみる。

「精霊だな」
「精霊?」
「神々に使役されてた万物の魂っつーか、分身っつーか……あああーもう、事あるごとに説明すんの面倒くせえ! 人間以外の野良魂だと思っとけ!」
「あ」

 ベゼドラが、光の球を平手で地面に叩き落とした。
 魂と考えるなら、実体は無い筈なのだけど。

 光の球はベゼドラの靴先に落ちて、ころころと地面を転がり、消えた。

 いや。
 地面に膝を突いて、消えた辺りをよおく観察してみると。
 小指より小さな人型の()()が、横倒れで気を失っている。

 膝裏に届きそうなほど長く緩やかな、やや緑がかった金色の髪。
 緑色の葉っぱを三枚ほど巻き付けた華奢な少女の体に、指が無い足先。
 陶器のような白い肌を露出する背中には、蜻蛉(とんぼ)を思わせる半透明な四枚の羽が生えている。

「……ピクシー?」
「ピクシー? なんだそりゃ?」
「イタズラで人を困らせる、手のひらほどの大きさの妖精だと聞きました。それにしては、特徴が少々違うようですが」
「あー。そりゃ多分、ソイツら(精霊)を基にした後世の創作だな。精霊は基本的に大の人間嫌いだから、変にちょっかいかけるくらいなら、見つかる前に姿を隠そうとするぞ」

 大の人間嫌いで?
 見つかる前に、姿を隠そうとする?

「つまり、彼女は今、私達がここに居ると気付いていなかった?」
「死にかけてっからな」

 弱々しく見えたのは間違いじゃなかったのか。
 ……というか。

「死にかけていると分かってて叩き落としたんですか!?」
「小虫みたいで鬱陶しいから」
「貴方ね……」

 知ったこっちゃない。と、背を向けて歩き出すベゼドラにため息を吐き。
 宝石が入っているコートの内ポケットに、彼女をそっと入れてみる。
 それでどうなると尋かれても困るが。
 神々に使役されていたのなら、それに類するであろう力に触れていれば、少しは楽になるか? と、思ったのだ。

 同行者の突然の非礼をお赦しください、精霊さん。



 廃墟がある山を下った私達は、その後いくつかの村や街を渡り歩き。
 現在は、国境沿いの森林地帯を、北区から西区へ向けて通過中。
 この近くにも居住地が無かったので、夜道を黙々と進んでいた。

 絹色の丸い月が、暗闇に沈む物影にもくっきりとした輪郭を与え。
 靴や車輪や馬蹄などで踏みならされた地面を白く照らしてくれている。
 おかげで深い森の中でも足を滑らせる心配はないし、これだけ人の痕跡がはっきり残っているのなら、次の居住地まではそれほど遠くないだろうと、見当をつけていたのだけど。

「人間嫌いなのに、こんな所まで来て大丈夫でしょうか、精霊さん。何か、癒しになる物があれば良いのですが」
「さあな」

 ここに来るまでの間にも、悪魔絡みの騒動は数件あった。
 どれも悪魔憑きが起こしたものだったが。
 ベゼドラの力で関係者を巧みに誘導すれば解決できてしまう程度。
 現代のアリアが特別に関わっていた形跡もなく。
 ルグレットさんの件以降、めぼしい情報は手に入らない。
 西区で新しい展開があればと思っていたところへの、彼女(精霊)の登場だった。

「ベゼドラ……悪魔絡み以外でも神代の関係は手掛かりになるということ、忘れてはいませんよね?」
「当たり前だ。お前のほうこそ忘れてんじゃねえか? 俺らが知りたいのはアリアの過去じゃねえ。現在地だ。ソイツを助けても知ってるとは思えん」
「尋いてみなければ分からないでしょう?」
「あのなあ……」

 ベゼドラが呆れたため息を吐いて足を止め。
 ジトっとした目で自分を睨みつける。

「言ったろ。ソイツは死にかけてんだって」
「ええ」
「アリアは現代(いま)も、困窮してるヤツには間接的でも手を借したがるバカだ。そんなアイツが近くに居るとして、ソイツを放置すると思うか?」
「しないでしょうね」
「だろ? つまりソイツは、現在のアリアに直接繋がる情報は持ってない。ハズレだ。無関係なところに無駄な手間を掛けるな」
「ですが、相手は空間を一瞬で飛び越える力の持ち主。どこで何が繋がるか分からないのも事実でしょう? 手掛かりの幅を狭めてしまうような選択は得策ではありません」

 遠回りは覚悟の上だ。
 拾えるものは、可能な限りすべて拾っておかないと。
 本当に大切な情報まで見逃しかねない。
 自分達は、アリアについての真実を、ほとんど知らないのだから。

 ベゼドラは不満そうに腕を組んで。
 また、ため息を吐いた。

「朝露」
「?」
「精霊の力の源は、朝陽を浴びた葉に溜まる水滴だ。零れ落ちる瞬間の露を飲ませれば、多少はマシになるかもな」
「朝露、ですか」

 見上げた空は、まだまだ黒い。
 夜が明けるまでには当分掛かりそうだが。

「でしたら、歩きながら日の出を待ちましょう。森はまだ続いてますし」

 ガリガリと苛立たしげに頭を掻くベゼドラを置いて、先へ進む。

 焦っても仕方ないんですよ、ベゼドラ。
 世界規模で時間を止めても、アリアの姿が見えていなければ意味がない。
 止めている間に捜し歩けるなら良かったのだけど……
 あの力で消耗するのは、どうも体力だけではなさそうだ。
 実行したら多分、アリアを見つける前に、自分が死んでしまう。
 それでは本末転倒。

 切り札として控えつつ、使いこなせるようにする。か。
 頭が痛む準備運動だな。



 夜が明けた。
 森はとっくに抜けていたが。
 朝露を探す手間を考え、森のすぐ外側で待機中。
 西には森が続いているものの、眼前には広々した平野が横たわっている。
 緩やかな曲線を描いて白く伸びる細長い道の少し先に、壁で囲まれている尖塔が見えた。
 『街』だろうか?
 壁の規模からして、『村』ではなさそうだ。

「……ありました。葉は折らないほうが良いですか?」
「そこまでは知らん」
「では」

 気を失ったままの精霊さんをポケットからそおっと引っ張り上げ。
 揃えた手の上で仰向けにして、葉から滑り落ちそうな雫の真下に掲げる。
 肘を曲げたままでも届く範囲で良かった。
 これで、背伸びしつつ待たなければいけないとなると、結構辛い。

 ところで、このまま雫が落ちても、精霊さんの顔に掛かるだけなのでは。
 気を失った状態で、しっかり飲めるのだろうか?

「……っん ぷふぇっ!?」

 ああ。やっぱり。
 でも、驚いて飛び起きたから大丈夫かな?

「な、なに!? なんで、どうして露? ここはどこ!?」

 羽を小刻みに震わせて、キョロキョロと辺りを見渡している。
 よく見ると目の色が紅い。ベゼドラとお揃いだ。

「おはようございます、精霊さん。お体の調子はいかがですか?」
「え? って……ぇええ!? 人間!? どうして人間が居るの!?」

 死にかけているとは思えない、落ち着きのなさ。
 凄いな、朝露効果。

「昨夜、連れが貴女を叩きお……ぶつかってしまって。すみませんでした」

 自分の手のひらの上に座っている小さな女性に向けて、軽く頭を下げる。
 端から見てどう思われるかは、あまり考えないでおこう。

「あ、そうか。背中から物凄い衝撃が来て、それで……」
「お怪我はありませんか?」

 精霊さんは腕や背中を確認した後、立ち上がって足を見て、軽く頷いた。

「大丈夫。ありがとう。でも私、翔べないかも。羽の感覚がほとんど無い」

 人間嫌いのわりには、ちゃんと会話をしてくれるらしい。
 お礼を言われるとは思わなかった。
 悪いのは、いきなり叩き落としたベゼドラなのだが。

「ぶつかってしまったせいでしょうか?」
「違う。私に残ってる力が少ないの。泉に戻れば、回復できるんだけど……戻れそうもないかなあ……」

 泉?
 精霊さんが住んでいる家、みたいなものか。

「翔べないから?」
「うん。もうずっと遠くまで来ちゃったし、翔べなきゃ戻れない。それに、まだ居るかも知れないから、近寄るのも怖いわ」

 両肩を抱いて、ふるふると震えている。
 よほど怖い思いをしたのか、顔色まで悪くなった。

「泉? に、何が居たのですか?」
「魔王レゾネクト」

 突然飛び出した名前に、木の根元で座っていたベゼドラ共々目を剥く。
 驚きのあまり動かしそうになった手をなんとか堪え、平静を装おう。

「それは、いつ頃の話でしょう?」

 精霊さんは、自らの右手を顎に当ててうつむき。
 しばらく沈黙してから、顔を上げた。

「正確には分からない。とにかく無我夢中で逃げてたから。もう、十何年も前になるのは確かよ。突然現れて、泉の底で眠っていたアリア様を無理矢理起こしてしまったの」
「! アリアが、貴女達の泉に居たのですか!?」
「きゃあっ!」

 あ、しまった。つい大きな声を。
 これだけの体格差があれば、聴こえる音量も人間とは違う筈だ。
 彼女にしてみれば、うるさいどころの話ではないだろう。
 案の定、少しだけ尖った耳を押さえて座り込んでしまった。

「すみません。大丈夫ですか?」

 涙で紅い目を潤ませて、そろそろと私を見上げる。

「きーんってする。いきなり大声出さないで! 呼気で飛ばされちゃう!」
「すみません。……それで、レゾネクトとアリアはどうしたのですか?」

 手首で涙を拭い、ふるふると首を振って、またうつむいた。

「分からない。魔王が来てすぐに吹き飛ばされて、遠目にも見えていたのはわずかな時間だったから。ただ……」
「ただ?」

 一度私を見上げて、またうつむいて。
 これは、言って良いものかどうか、悩んでいるのだろうか?
 少しためらい、一つ頷いてから、私と視線を合わせる。

「アリア様が泉で眠られたのは、ご自身の御力を世界から隠す為だったの。だから、魔王に起こされた時には、ひどく動揺していたわ」
「世界から力を隠す為?」
「泉は……静謐(せいひつ)の泉は、別名『水鏡(みかがみ)の泉』。世界を映し、跳ね返し、内側に抱いたものの力や気配を覆い隠す性質があるの。アリア様はそこで数千年間眠っていて……本当は、この先もずっと眠っていた筈なのに……」

 肩を落として落ち込む精霊さん。
 ベゼドラに目を向けると、彼も何かしら考えているのか。
 地面をじいっと睨みつけている。

 数千年前、隠れるように眠ったアリア。
 レゾネクトによって目覚めたのは、十何年か前。
 ルグレットさんがアリアの記憶を消したのは、数年前。
 ルグレットさんの件に、レゾネクトが関わっていた様子はなかった。
 当時は既に別行動していた?
 別行動した上で、別人(ロザリア)になってまで、死を望んでいた。

 ……アリアは、レゾネクトから逃げていた?

「その泉の場所は判りますか?」

 精霊さんが肩を震わせた。

「わかる、けど」

 見るからに怯えた表情。
 しかし、念の為に現在アリアが居るかどうかの確認だけはしておきたい。
 元々居たというなら、可能性は低くても(ゼロ)ではない筈だ。
 それに。

「怖いと思う気持ちは分かりますが、貴女をこのまま見捨てるというのは、こちらとしても気分が良い話ではありませんので。遠くからでも確認だけはしてみましょう? どうしてもダメなら引き返しますから」

 精霊さんは、手のひらの上でガタガタと体を震わせ、言葉を失い。
 それでも、ぎこちなく頷いてくれた。

「ベゼドラも、それで良いですか?」
「嫌だ! っつっても、説教で押し切るんだろ。どーせ」

 面倒くさそうに頭を掻きつつ、立ち上がって足に付いた砂を払う。
 ご理解いただけているようで、なによりです。

「案内をよろしくお願いします……って、ああそうだ。私はクロスツェル。連れはベゼドラと申します。貴女のお名前をお聞きしても良いですか?」
「私はリースリンデ。リースで良いわ」
「では私も、クロスで。まずは泉がある方角から教えていただいても?」

 リースは、まだ震えている手で木々を、その向こうを指した。
 国境沿いにある西の森の、更に西を。
 ということは、つまり。

「国外……、ですか……」

 それはちょっと予想外でした。

 ……国を渡る許可、下りるだろうか……?


 
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