逆さの砂時計
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遭遇
ふわぁ……と、何かが目の前を横切った。
それは人差し指と親指で摘まんで一口で食べられそうな、小さな白い光の球。
よく見ると微かに明滅している。
「……なんでしょうか、これ?」
風に頼りなく揺れる木の葉よりも力無く漂う光の球を指して、隣に立つベゼドラに首を傾げる。
「…………精霊だな」
「精霊?」
「神々に使役されてた万物の魂っつーか、分身っつーか……あーもう、説明すんの面倒臭ぇ! 人間以外の野良魂とでも思っとけ!」
「あ」
ベゼドラが光の球を地面に叩き落とした。魂と考えるなら実体は無い筈なのだけど。
光の球はころころと地面を転がり、ベゼドラの足元で消えた。
……いや、膝を折って観察してみると、小指より少し小さな人型の何かが横倒れで気を失っている。
葉っぱの服を纏い、背中には蜻蛉のそれを思わせる透明な四枚の羽。
「……ピクシー?」
緑掛かった金色の髪、白い肌、指が無い足先。
そっと拾い上げてみた、ベゼドラ曰く精霊は、華奢な女の子の姿をしている。
「ピクシー? なんだそりゃ?」
「イタズラで人を困らせる、手のひらほどの大きさの妖精と聞きました。それにしては少々特徴が違うようですが」
「あー……そりゃ多分、ソイツらを基にした後世の創作だな。精霊は大の人間嫌いだから、悪戯するくらいなら見付かる前に姿を隠そうとするぞ」
「…………つまり、今、彼女は私達に気付いていなかった?」
「死にかけてっからな」
力無く見えたのは間違いじゃなかったのか。
というか……
「分かってて叩き落としたんですか!?」
「小虫みたいで鬱陶しいから」
「貴方ね……」
知ったこっちゃない。と、背を向けて歩き出すベゼドラに溜め息を吐いて、宝石と同じポケットに彼女をそっと入れる。
それでどうなると言われても困るが……神々に使役されていたのなら、それに類する力に触れていれば少しは楽になるか? と、思ったのだ。
同行者の突然の非礼をお赦しください、精霊さん。
神殿を下った私達は幾つかの住拠点を渡り歩いて、現在北区と西区に跨がる国境付近の森林地帯を西区に向けて通過中。
近くに居住地が無かったので、黙々と夜道を進行していた。
絹色の丸い月が暗闇にくっきりとした輪郭を与え、踏み均された地面を白く照らしてくれる。おかげで、深い森の中でも足を滑らせる心配はない。これだけ人の痕跡がはっきり残っているなら、次の住拠点までそれほど遠くはないだろう。
「人間嫌いなのにこんな所まで来て大丈夫でしょうか、精霊さん。何か癒せる物があれば良いのですが」
「さぁな」
此処に来るまで悪魔絡みの騒動は数件あった。どれも悪魔憑きが起こしたものだったが、ベゼドラが関係者を巧みに利用して解決できる程度。アリアが関わっている様子は無く……ルグレットさん以降、めぼしい情報は手に入らない。
西区で新しい展開があれば良いと思っていた所への、彼女の登場だった。
「ベゼドラ……悪魔絡み以外でも神代の関係は手掛かりになるって、忘れてはいませんよね?」
「当たり前だ。お前こそ忘れてねぇか? 俺らが知りたいのはアリアの過去じゃねぇ。現在地だ。ソイツを助けても知ってるとは思えん」
「尋いてみなければ分からないでしょう?」
「あのなぁ……」
ベゼドラが呆れた溜め息を吐いて足を止め、ジト目で私に振り向く。
「言ったろ。ソイツは死にかけてんだって。距離を置いたらしいアリア村にすら悪魔避けの貝殻を残したんだぞ。そんなヤツが仮に近くに居たとして、ソイツを放置すると思うか?」
「しないでしょうね」
「だろ? つまりソイツは、現在のアリアに直接繋がる情報を持ってない。外れだ。無駄な手間を掛けるな」
「ですが、何処で何が繋がるか分からないのも事実。相手は空間を一瞬で飛び越える力の持ち主ですからね。手掛かりの幅を狭めるのは得策ではないでしょう?」
遠回りは覚悟の上だ。拾える物は全て拾わないと、大切な情報まで見逃しかねない。
私達はアリアについての真実を、殆ど何も知らないのだから。
ベゼドラは不満そうに腕を組んで……また、溜め息を吐いた。
「朝露」
「?」
「精霊の力の源は、朝陽を浴びた葉に溜まった水滴だ。零れ落ちる瞬間の露を飲ませれば、多少はマシになるかもな」
「朝露……ですか」
見上げた空はまだ黒い。明けるまでは当分掛かりそうだが……
「なら、歩きながら夜明けを待ちましょう。森はまだ続いてますし」
ガリガリと苛立たしげに頭を掻くベゼドラを置いて先に進む。
焦っても仕方ないんですよ、ベゼドラ。
世界規模で時間を止められても、アリアが見付からなければ意味が無い。
止めている間に捜し歩けるなら良かったのだけど、あの力で消耗するのはどうも体力だけではなさそうだ。実行したら多分、アリアを見付ける前に私が死んでしまう。それでは本末転倒。
切り札として控えつつ、使い熟せるようにする……頭が痛む準備運動だ。
夜が明けた。
森はとっくに抜けていたが、朝露を探す手間を考えて森の直ぐ外側で待機中。
眼前には広々とした緑の平野が横たわっている。
緩やかな曲線を描いて白く伸びる細い道の先に、壁で囲まれた尖塔が見えた。
街だろうか。規模からして村ではなさそうだ。
「ありました。葉は折らないほうが良いですか?」
「そこまでは知らん」
「……では」
ポケットから気を失ったままの精霊をそぉ……っと引っ張り出して、木の葉から滑り落ちそうな雫の下に掲げる。
腕を曲げたままでも届く範囲で良かった。これで背伸びしつつ待たなければいけないとなると、結構辛い。
ところで、このまま雫が落ちても顔に掛かるだけなのでは……気を失っていても飲めるだろうか?
「……っ ぷぇっ!?」
あ。やっぱり。
でも、驚いて飛び起きたから大丈夫かな?
「な、なに!? なんで露? 此処は何処!?」
羽を小刻みに震わせて、キョロキョロと辺りを見回している。
目の色が紅い。ベゼドラとお揃いだ。
「おはようございます、精霊さん。お体の調子はいかがですか?」
「え? って……え!? 人間!? なんで人間が居るの!?」
死にかけているとは思えない落ち着きの無さ。
凄いな朝露効果。
「昨夜、連れが貴女を叩きおと……いえ、ぶつかってしまって。すみませんでした」
自分の手のひらに上半身を起こして座っている小さな女性に頭を下げる。
端から見てどう思われるかは、あまり考えないでおこう。
「……あ、そうか。背中から物凄い衝撃が来て、それで……」
「お怪我はありませんか?」
腕や背中や、立ち上がって足を見て……
「大丈夫。ありがとう、人間。でも私、翔べないみたい。羽の感覚が殆ど無い」
人間嫌いのわりにはちゃんと話してくれるらしい。お礼を言われるとは思わなかった。
悪いのは、いきなり叩き落としたベゼドラなのだが。
「ぶつかってしまった所為でしょうか?」
「違う。私の力が残ってないの。泉に戻れば回復できるんだけど……戻れそうもないかなぁ……」
泉? 精霊が住んでいる家、みたいなものか。
「翔べないから?」
「うん。もうずっと遠くに来ちゃったし、翔べなきゃ戻れない。それに、まだ居るかも知れないから近寄るのも恐いわ」
両肩を抱いてふるふると震えている。
よほど恐い思いをしたのか、顔色まで悪くなった。
「泉? に、何が居たのですか?」
「魔王レゾネクト」
いきなり飛び出した名前に、木の根元で座っていたベゼドラ共々ギョッとする。
驚いて手を動かしてしまいそうになるのをなんとか堪え、冷静を装おう。
「……それは、いつ頃の話でしょう?」
精霊は自らの右手を顎に当てて俯き……暫く沈黙してから顔を上げた。
「正確には分からない。必死で逃げてたから。もう十何年も前だっていうのは確かよ。いきなり現れて、眠っていたアリア様を起こしてしまったの」
「! アリアが、貴女達の泉に居たのですか!?」
「きゃあっ!」
あ、しまった。つい大きな声を。
これだけ体格差があれば聴こえる音量も人間とは違う筈だ。
少しだけ尖った耳を抑えて座り込んでしまった。
「……すみません。大丈夫ですか?」
涙で紅い瞳を潤ませて、そろそろと私を見上げる。
「……きーんってする……いきなり大声出さないで! 呼気で飛ばされちゃう!」
「すみません。……それで、レゾネクトとアリアはどうしたのですか?」
手首で涙を拭い、ふるっと首を振ってまた俯いた。
「分からない。魔王が来て直ぐに吹き飛ばされて、遠目にも見ていられたのは僅かな時間だったから。……ただ……」
「ただ?」
一度私を見上げて、また俯いて。
これは……言って良いものかどうか悩んでいるのだろうか?
少し躊躇い、一つ頷いてから、私に視線を合わせる。
「アリア様が泉で眠られたのは、ご自分の力を世界から隠す為だったの。だから、魔王に起こされて酷く動揺していたわ」
「世界から力を隠す為?」
「泉は……静謐の泉は、別名・水鏡の泉。世界を映し、跳ね返し、内側に抱いた物を隠す性質があるの。アリア様は其処で数千年眠っていて……本当はこの先もずっと眠っていた筈なのに……」
しゅんと落ち込む精霊。
ベゼドラに目を向けると、彼も何か考えているのか……じっと地面を睨み付けている。
数千年前、隠れるように眠ったアリア。
レゾネクトによって目覚めさせられたのは十何年か前。
ルグレットさんがアリアの記憶を消したのは数年前。
ルグレットさんの件にレゾネクトが関わっていた様子は無い。
当時は既に別行動していた? 別行動した上で、別人になってまで死を望んでいた。
……アリアは……レゾネクトから逃げていた?
「その泉の場所は判りますか?」
精霊が肩を震わせた。
「判る……けど……」
見るからに怯えた表情。
しかし、念の為に確認だけはしておきたい。居る可能性は低くても、零ではない筈だ。
それに……
「恐いと思う気持ちは分かりますが、貴女をこのまま見捨てるのも気分の良い話ではありませんので。遠くから確認だけでもしてみましょう? どうしても駄目なら引き返しますから」
手のひらの上でガタガタと怯え、言葉を失い……それでも、ぎこちなく頷いてくれた。
「ベゼドラも、それで良いですか?」
「嫌だ。……っつっても、説教で押し切るんだろ。どーせ。」
面倒臭そうに頭を掻きつつ、立ち上がって足に付いた砂を払う。
ご理解いただけているようで何よりです。
「案内をよろしくお願いします……って、そうだ。私はクロスツェル。連れはベゼドラと申します。貴女のお名前を伺ってもよろしいですか?」
「……私はリースリンデ。リースで良いわ」
「では、私もクロスで。……方角から教えていただいても?」
リースはまだ震える手で木を、その向こうを指した。
国境沿いに在る西の森の、更に西。
それはつまり………
「国外、ですか」
それはちょっと予想外でした。
……内外の入出国許可、下りるだろうか……。
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