逆さの砂時計
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クロスツェルの受難 C
最悪だ。
いくら友人の機嫌を取る為とはいえ。
踊り子の真似事なんかを、よりにもよって、ベゼドラに見られるなんて。
絶対、笑われる。
これから先延々と、事あるごとにこの話題でからかわれ続ける気がする。
そうでなくても、こんな格好自体が辱しめだというのに……っ!
「お疲れ、クロちゃん。ずいぶん久しぶりなのに全然鈍ってないじゃない。色気たっぷりな流し目も大ウケだったし、これなら一週間なんて余裕ね!」
楽器を片手に、自分だけはちゃっかり正装したプリシラが。
二階の休息空間の椅子に座ってうなだれている自分の肩を叩いた。
いや、ちょっと待て。
今、さりげなくとんでもない発言が耳を打たなかったか?
「い、一週……間……?」
「一週間よ。申請から認可まで、どんなに早くても一週間は掛かるからね。その間、頑張って信徒達を楽しませなさい」
咲き誇る大輪の薔薇のように力強く華やかな笑みを浮かべる絶世の美女。
この聖職者こそ、実は本物の悪魔なのではなかろうか。
人外生物ほど見目美しいという法則は、これまでに出会ってきた悪魔達やアリアやロザリアが実証している。
仮に、プリシラが自ら悪魔ですと宣言しても。
やはりそうでしたか、と心の底から納得できそうだ。
「あの……せめて、違う格好に」
「花嫁衣装をご希望?」
「寝言を申し上げました。すみません。忘れてください。お願いします」
無茶苦茶だ。
この女性は、本当に無茶苦茶だ。
「良いじゃない。昔より骨っぽくなっちゃったけど、顔は綺麗なんだもの。絶対似合うわよ? 背中を大きく開いた、レース特盛な純白の花嫁衣装」
「嬉しくありません」
「勿体ないわねぇ。本当に女の子だったら、もっといろいろ着飾れたのに」
これで抑えているつもりですか貴女。
遠慮なんて、子供の頃から少しもしてなかったでしょう!
と、言葉にしたくてもできないのが辛い。
体の線を露出するスリット入りのナイトドレスを着せられた日の恐怖は、今でも鮮明に思い出せる。
アーレストは女装だろうと着ぐるみだろうと、心から楽しんでいたが。
自分は全然付いて行けない。
プリシラの着せ替え欲求には際限が見当たらないのだ。
迂闊に刺激しても、被害が拡大するだけ。
せめて、これ以上は悪化させないように努めなければ。
「まあ、想像してたよりもかなり頑張ってたし。今日はもう良いわ。明日も同じ時間にいらっしゃい。ちなみに、雨天荒天でも場所を変えての決行よ」
「……分かりました」
逃げ道無し、ですか。
一週間。
普通に手順を踏むよりは、ずっと早い。
時間短縮の手段としては自己犠牲感が半端ないが、ここは耐えの一手だ。
もしくは、一週間のうちにプリシラが飽きてくれることを切実に願おう。
切実に。
「っと……そういえば、宿泊先はもう決めてるの?」
「これからです」
自分だけなら、教会で客室を借りても良かったのだが。
ベゼドラが問題になりそうなので、それは遠慮する。
滞在期間中ずっとプリシラの傍に居るのも恐ろしい。
「なんなら私が都合し」
「いえ。連れと相談した上で探して決めますのでまったく問題ありません」
この女性の息が掛かった場所に行こうものなら、何を仕掛けられるか。
考えたくない。
「あら、そう? 残念」
何がどう残念なのですか……っ!
「じゃ、また明日ね」
ぽんぽんと自分の肩を二回叩いてから執務室へ戻っていく背中を見送り。
頭を抱えて背中を丸め、床に向かって盛大なため息を吐き出した。
胃が痛いほどの不快感を訴えているが、一週間、耐えるより他に無い。
軽く拷問だ。
「クロスツェル」
「!!」
聞き慣れた声に顔を上げれば。
いつも通りの見慣れた顔が、正面から自分を見下ろしている。
咄嗟に両腕で顔を隠そうとするが。
彼は興味なさそうに「何してんだ?」と半眼になるだけ。
「……そうでした。貴方は、自分の目的以外はどうでもいい方でしたね」
「あ? 何をいまさら」
ええ、そうですね。
私と貴方の感覚の違いに、改めて大きな開きを実感しているだけです。
「お前が女装趣味の芸人崩れだろうが、変態だろうが、一向に構わないが」
「女装趣味でも芸人でも変態でもありません! 必要がなければこんな格好死んでもお断りですッ!!」
ギッ! と睨みつけたら「お……ぉお……?」と言いながら数歩退いた。
アーレストの時もそうだったが。
自分は、本物の悪魔に怖がられるほど凶悪な顔をしているのだろうか?
そういう反応をされると地味に傷付くのだけど。
しかし、今の発言は断じて許容できない。
私にだって、男性としての自尊心くらいはある。
ただ、プリシラやアーレストには、どうしても頭が上がらないだけだ。
「はあ……。渡国申請の協力はお願いしましたが、認可されるまで一週間は掛かるそうです。私はその期間、教会で踊り子の真似事を命じられました。教会にも通常業務があるので一日辺り数時間から半日程度だと思いますが、私がここに居る間、貴方は別口で王都の内外を探ってきていただけますか」
「ああ。ザッと見てきた限りじゃ王都の内部に悪魔の気配はなかったが……郊外と合わせて、もう少し突っ込んでみるか」
「お願いします。こちらで待っていてください。すぐ着替えてきますから」
椅子から立ち上がって、代わりに座ったベゼドラをその場に残し。
プリシラが使っている執務室の手前の部屋へと足を運ぶ。
途中、この教会に勤めているらしい数人の信徒とすれ違った。
自分を見る彼らの、好奇心とわずかな同情に満ちた生温かい視線が痛い。
プリシラの破天荒ぶりは教会内で有名だからな。
昔はどこで何をしていても「孤児のクセに」と陰口を叩かれたものだが。
プリシラとアーレストが友人になってからは、それもピタリとやんだ。
むしろ好意的に同情されるようになり、慰める者まで現れたくらいだ。
気付くとどちらかに追い回されていたり、何かしらの罠に嵌っていたり、化粧付きの女装をさせられている様子が、よほど憐れに見えたのだろう。
しかし、自分は同情や慰めが欲しいとは思っていないし。
プリシラ達を嫌っているわけでもない。
苦手ではあるが。
本っ当ーに、どうしようもなく苦手ではあるのだが。
彼らが教えてくれたことは、数え切れない。
感謝しているのだ、これでも。
あの二人組が、もう少し穏やかに対話できる性格であれば。
誇りを持って堂々と、親友ですと言えたのだが。
教会を出て、まだ明るいうちに王都の主な出入り口付近で宿を確保した。
大規模な居住地は、それだけに人の出入りが激しい。
空室は早めに押さえておかなければ、あっという間に埋まってしまう。
郊外へ出れば話は変わってくるが、そちらはそちらで宿の数が少ないし。
中央教会との往復を考えると、時間的に無駄が多いので却下。
問題は宿代と食費だ。
リースは良いとして、二人分一週間は懐に厳しい。
王都は地元の人手で事足りる為、日雇いの仕事が極端に少ない。
観光客の足が絶えない分、物価も他の居住地に比べて割高になっている。
アリアの情報探しは全面的にベゼドラに任せて。
自分は、仕事探しと踊り子を兼任するしかないか。
「精霊が飲む朝露には、条件などはあるのですか? リース」
ひとまず借りた一室で、一週間の予定を組むことにした。
ベゼドラは放置しても大丈夫だと思うが、リースはそうもいかない。
今一番気を付けるべきは、彼女の体調管理だ。
「朝陽を浴びた花弁や葉に付いた雫なら大丈夫。自然に溜まったものが一番良いんだけど……無ければ池とか泉の水滴を垂らして飲むの。重要なのは、花弁や葉の呼吸を通して表面に積もった生命力を貰うことだから」
「雫よりも、雫を乗せていた植物が生きているかどうかが問題なのですね。だとすると、切り花では不足でしょうか」
「毎日切ったばかりの花なら良いけど、土に接してるほうが力になるわ」
「では、植木ならどうですか? こういう形で土に植わっているのですが」
二台並ぶベッドの間、サイドテーブルを飾る赤い花の植木鉢を持ち上げ、自分の右肩に乗っているリースに近付けてみる。
植物を鉢に植える習慣があるのは、人間だけなのだろう。
不思議そうにじっと見つめ、花弁にぴょんと飛び移った。
「うん。まだ元気みたい。この子に朝陽を浴びせて水滴を垂らせば大丈夫。私、ここに居ても良い?」
「そう……良かった。では、宿に居る間は、この花がベッドになりますね」
「うん」
少し大きな花弁の上で、ころんと横になった。
見た感じは元気そうでも、力は残り少ないと言うし、辛いのだろうか?
震動で落としてしまわないよう、テーブルの上にそっと戻す。
「今日が一週間の初日として、残り六日。私は、教会関係で手が離せそうもありません。だからといって、人間にイタズラを仕掛けてはいけませんよ、ベゼドラ」
四角形の大きな窓に寄りかかって外を眺めているベゼドラに。
念の為、一応、釘を刺しておく。
ベゼドラは、「へいへい」と適当に手を振って流してはいるが。
旅を始めて以降、彼は一度も女性に対して乱暴なことはしていない。
多分、ロザリア以外は女性として見ていないのだろう。
そういった面で心配する必要はなさそうだ。
もちろん、男性の生命力なら喰っても良いという話ではないのだけど。
「丸くなりましたよねえ」
「ぁあ?」
「いえ、なんでも」
卵焼きのサンドイッチにこだわり始めたり。
結果的には人助けをしていたり。
私の説教があるにしても、彼の行動はきっと、悪魔らしくはない。
今の彼をロザリアが見たら、笑うのだろうか。
それとも呆れるのだろうか。
知るかよ、バカ。
なんて、ぶっきらぼうな幻聴が耳の奥をくすぐって。
ほんの少し、笑えた。
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