BloodTeaHOUSE
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アマーティ
今夜は朔月だから星がよく見える。
家からよりずっとたくさん見える綺麗な星空を眺めているときれいな旋律が流れてきた。
私の大好きな澄んだ綺麗な音、バイオリンだ。お店に入ってみると飛白が弾いていた。
「素敵な曲ね、飛白」
「バッハのシャコンヌ、無伴奏バイオリンのためのパルティータ第二番だよ」
「コラー!飛白!遊んでないで仕事しろ!!」
「おやおや、せっかくお姫様のお出迎えに弾いていたというのに」
モップ片手に怒る裏子に、やれやれといった感じだ。
「そのバイオリン、飛白の?」
近づいていってそうっと覗き込む。
つやつやしてて丸っこくてかわいい形の穴が空いてる。音とおんなじくらい綺麗な楽器だ。
「わたしもね、バイオリン習ってるんだよ。上手じゃないけど」
5歳から習ってるけど上手ってわけじゃない。ただ好きで、弾いてるのが楽しいってだけ。
先生ものんびりやさんだからコンクールに出ろとか言わないし、
上手に弾けたら嬉しいけど点数つけられるのやだから、コンクールには出たことない。
「バイオリンは好き?」
うん、すごく好き。多分楽器の中で一番好きな音だと思う。
じっとバイオリンを見つめてコクンと頷く。
「もしよかったら店で練習してみるかい?」
「え・・・?」
きょとんとした顔をして飛白を見上げる。
「練習するなら教えてあげるよ」
人間って思いがけない幸運に出会うと思考が停止するようにできてるのかな?
さっき聴いたシャコンヌが頭の中で再生し出して、
あぁ、大バッハ先生・・・あなたがなぜ宗教音楽の大家だと呼ばれるか、
今理解した気がします・・・なんてぽけ~っとしてしまった。
「すみちゃん・・・香澄ちゃん?」
はっ!「あ、あぁ。ごめんなさい」
ついトリップしてしまいました。
「・・・練習、見てくれるの?」
チャンスの神様は前髪しかない。まだ通り過ぎてないことを祈りながら飛白の顔を見る。
あの音が私にも出せるようになるのかな?
「僕でよければ」
飛白はそう言ってキザなお辞儀をする。
それから、少しだけ飛白のバイオリンを触らせてもらって、楽器の良さにびっくりした。
私の持ってる物に比べたら、弾いていても狂いにくいし、音がとにかく綺麗で深みがある。
「すごい・・・わたしが上達したみたいに聞こえる・・・・」
ほぅっと息を吐いて呟いた。
「その程度の楽器なら店で普通に買えるはずだよ?」
「そうなの? 自分でバイオリン選んだことなかったから」
音楽のことなんて知らない母が、初心者の練習用として買ってきた
大人用のバイオリンを5歳からずっと使ってきたから。
「楽器屋さんで頼めば試し弾きさせてくれるはずだよ。」
「ホント!?」
私の目がパッと輝く。たとえ買えなくても、いい楽器に触れるのはすごく魅力的だ。
うわぁ~明日は絶対楽器屋さんに行こう♪
「新しい楽器が決まるまでこの店で弾くならこれを使うかい?」
飛白の提案に全力でお断りする。
「ダメダメダメダメ!!傷とかつけちゃったら怖いし!」
体の前で手をパタパタさせて、とにかくノーだと断る。
「でもすぐに気に入るものが見つからないかも知れないだろう?」
借りるくらいだったらちょっとくらい無理してでも、さっさと買ったほうがマシだよ!
だって、バイオリンは同じ音色のものがない。工場で量産してるものでも同じじゃない。
ちゃんとした職人さんが作ったものならなおさらで、
しかも、どういう弾き手が使っていたかでも音が変わるすごく繊細な楽器なのに。
プラスチックのリコーダーとはわけが違うのだ!
「変な癖とかつけちゃったら嫌だしダメ!絶対すぐに見つけるから!!」
新しいの買ったら一番に見せる約束でなんとか押し切って、
バイオリンレンタルを固辞した。幸いなこと(・・・というには微妙だけど)に
私には両親の遺産があるから、そこそこ自由になるお金がある。
もちろん世界の名器なんてのは買えないけど、それなりのものぐらいなら大丈夫。
問題はいいご縁があるかどうか。
バイオリンは、出来のいい新品よりも大切に使われた中古品の方が安定した音を出すし、
機嫌も損ねにくい。けど、こればかりは縁とか運なんだよねー。
「どうぞ、桃のムースと紅茶だよ」
淡いクリーム色のムースには、赤いソースが掛かっていてとっても綺麗で、
ちょこんと乗った小さな葉っぱも可愛い。紅茶もいい香り。
スプーンですくって一口、桃の優しい味と甘酸っぱいソースがとっってもおいしい!
「君のその顔が、どんな褒め言葉よりも、ご褒美だね」
おいしさにふるふるしてると、そう言ってくれる。
「だって、ホントにすっごくおいしいんだもん♪」
「すっかり飛白に餌付けされてんのな、お前」
裏子がジト目でわたしを見る。すごく不満そうだ。あー・・・そうだよね。
だってまだ裏子に注文したことないし・・・でも、まだ死にたくないんだよ。
「餌付けって……彼女に失礼じゃないか、裏子ちゃん」
「だったら、アタシの料理を食え!」
「えっ!」
蘇る初日の悪夢に体を引くけど、断る前にドンッと料理を置かれてしまった。
ぅわぁ~………なんだろうこれ?赤紫?ドドメ色?黒?ところどころ暗緑色?
ぐちゃっとしてるっていうか、べちゃっとしてるというか、なんと表現していいのか
わからないけど、画面にモザイクをかけなくちゃいけないような見た目だ。
「……………………」
無言で裏子の料理を見つめるわたしを見かねてか、
「裏子の料理は、見た目こんなんやけど、食べられへんことはあんまりないから」
フォローになってないフォローが、んごーから入った。‥‥ロシアンルーレットですか?
「そうだぞ!ウマいものは変な見た目が多いんだからな!」
そういえば、ホヤとかいう食べ物テレビで見たことあるけどグロかったなー。
味は知らないけど、お刺身で食べてたところを見ると生でも食べれるんだよね、アレ。
「大丈夫、毒見ならオーナーがしてくれるよ。ホラ」
「ぐぇっ!」
飛白はんごーの口に無理やりスプーンを突っ込む。
んごーの変な声にちょっとびっくりしたけど、ふつうに口動かしてる? あ、飲み込んだ。
「ま、このとおりや。スープンが喉に刺さりそうになったけどな!」
最初の変な声はそっちだったんだ……飛白はんごーに乱暴だねえ。
んごーも食べてくれたんだし、ぐっと決意して、目をつむって、エイって口に入れた。
「あ…? 食べ、られ、る……」
すごくおいしいってわけじゃないけど、ご飯として食べられるレベルだ。
味は・・・・どう表現すればいいのかなぁ。魚介風味でちょっとクリーミー?
尚且つ塩味に隠された甘味? あとよくわかんないけど香草の香り。
うん、自分でもよくわかんない感想だけどそんな味で、食感はしょりしょり
時々くにゅくにゅって感じ。
「でもごめん、裏子。ばんごはん食べてきたから、これ全部は無理だよ」
ホントニホントニザンネンダナァータベタクナイワケジャナイヨ?
「そうか、じゃあ次はデザートを用意しておくからな!」
「えっ! あのっ、そのっ……」
どうやって断ったらいいのかわかんなくて、結局なにも言えない。
「香澄ちゃんのデザートは譲らないよ」
困った顔のわたしを見て、さりげなく飛白がかばってくれたから、
ホッとしつつ料理の皿を裏子に返すと、
「じゃあ昼ごはんだ!夏休みになったら昼ごはんを食いに来い!」
えーどうしよう・・・お昼はハウスキーパーのふみさんが作ってくれるんだけど・・・
でも断っちゃうと飛白のお昼ご飯もなしになっちゃうよね?
「ごはん作ってくれる人と相談してみるよ」
うん、私一人じゃこれは決められないもんね。払うお給料一緒だったら大丈夫かなぁ。
変に干渉する人じゃないけど、なんて言って説明したらいいかな?う~ん難しいな~。
なんといっても私はまだ法律的には保護されてる身分だし。
「親が厳しいのか?」
「あ、そうじゃなくて。えっと、親いなくて、通いの家政婦さんが作ってるから、
仕事の内容簡単に変更できないの」
「へー、お前んち金持ちなんだな」
「うーん、どうなのかな?」
曖昧な笑顔で誤魔化す。あんまり家の事を話すのは得意じゃないの。
「あ、飛白。オススメの楽器屋さんってある?」
そうそう、なるべくならいろいろ置いてるところに見に行きたい。
専門店なら看板楽器に有名なの置いてるかもしれないし。
「詳しくはわからないけど、やっぱり音大の近くに多いんじゃないかな」
そっか。そうだよね。需要の多いところにお店は出来るんだから。
「ネットで検索してみるね」
「いい楽器が見つかるといいね」
「うん♪」
その夜パソコンで国内の音大や音高を調べて、その近くの楽器屋さんを探した。
幾つかピックアップして、どういう順路で回るか考え、足を手配してから寝た。
次の日、学校はお休みして一日借り切ったハイヤーで楽器店をまわった。
一軒目は、楽器の管理が恐ろしくずさんで、ショウウィンドウから見えるように
飾られたバイオリンには直射日光がガンガンに当たってた。
試しに弾かせてもらったけど、音はなんというかお察しの通りって感じだった。
店内の楽器は意外とまともでそこそこの音色。
ただ、ネックが太っかったり、バランスがイマイチだったり、
音は自分のものよりずっと良かったけど、これだ!っていうのが見つからなかった。
2軒目は、まともな弦楽器専門店で、アマーティの写しが飾られていた。
新作や中古を5,6本試し引きさせてもらって、最後にアマーティの写しを手に取る。
姿もさすが写しだけあって綺麗で、ネックの太さやバランスが
まるで私のためにあつらえたようにしっくりくる。
音は‥‥あぁ、すごく素敵。飛白のバイオリンも素敵だったけど、同じくらい素敵‥‥
いつまででも弾いていたいと手が主張するのを、我慢して止め、
値段を聞くと非売品だと言われた。多分この楽器店の看板なんだろう。
写しとはいえ、名器の写しの出来がいいものは数が限られる。
でもどうしても諦められなくて閉店まで粘りに粘って交渉したけど、ダメだと断られた。
次の日は朝から閉店までずっとお願いと試し弾きと称してバイオリンを占有をしていた。
このバイオリンのことをどれくらい好きなのか音で分かってもらうしかないと、
一音一音心を込めて弾いた。
三日目の閉店間際に「売ってくれるまで毎日朝からくる」と
半ば営業妨害の宣言が決め手となり、ついに店主が根負けした。
「そこまで求められるなら、こいつも本望でしょう」
店主は布でキレイに手入れしながら、愛しそうにバイオリンを見る。
「バイオリン、好きなんですね」
「今はしがない楽器店の店主ですがね、これでも音大に通っていたこともあるんですよ。
そういうお嬢さんこそバイオリンが好きなんでしょう?」
「はい、大好きです! 大切な楽器を売ってくれてありがとうございます」
「たくさん弾いてやってくださいね」
お礼ってわけじゃないけど、むき出しでバイオリンを持ち歩くわけにもいかないから
ケースを選び、弦、松脂などを一式買って、弓を置いてある種類だけ全部買った。
弓は作り手によってそれぞれ少しずつバランスが違うから、
しっくりくるのを探す時間がなかっただけなんだけど。
値段?それはナイショ♪
帰りの車の中で弓を試してみる。
何本かは、これは絶対に合わないって思って、候補から外す。
エアバイオリンだからあんまり当てにならないし、
車の中でバイオリンを出すのは怖いから、アリかなってのとナシだな程度。
家に帰ってさっそく弓を構えようとして、近所迷惑だと気がついた。
アリかなって思った3本とバイオリンを持ってお店に向かう。
「飛白!見て、新しいバイオリン。今日から教えてもらってもいい?」
笑顔で飛白にバイオリンを見せると、驚いた顔で
「もう見つけたのかい?もっと時間がかかると思っていたよ」
なんて言うから
「運命の相手というのは出会うべくして出会うものなんです」
なんて、胸を張って言ってみた。
だって、まるで私のために作られたみたいにぴったりだったんだもの。
「ではその運命のお相手を僕に紹介していただけますか?」
恭しく頭を下げる飛白は相変わらずキザだ。
「ふふっどうぞ」
笑いながらバイオリンケースを開けて取り出して見せる。
私だって早くお披露目したくってたまらないのだ。
「これは・・・」
私のバイオリンを一目見て飛白が息を呑んだ。
やっぱり見ただけでわかるんだね。すごく美人さんだもの。
「素敵なお相手でしょう?口説くのに苦労したんだから」
なんていたずらっぽく笑ってみせる。なんせ学校を三日も休んで交渉したんだからね。
胴の中を覗き込んだ飛白が目を丸くして振り返る。ふふっ。
アマーティのシール見てびっくりしたのかな? 写しなのはわかったみたいだけど。
「なるほど、確かに運命の相手だね」
「でしょ?しかもね、誂えたみたいにぴったりなの」
そういって受け取ったバイオリンを構える。
ここでなら、お客様もいないしいいよね、なんて音を紡ぎ出す。
「そんな高嶺の花をどうやって射止めたんだい?」
「毎日窓の下で愛の歌を歌ったのよ」
「闇夜に紛れて攫ったんじゃなくて?」
「わたしは怪盗ルパンじゃないもの」
エルガーの愛の挨拶を奏でながら楽しくおしゃべりする。まあ、驚くよね。
このレベルのバイオリンは、中学生がホイホイ買える額じゃないし。
でも、これはホントに運命の相手だと思う。
プロを目指さないなら、たぶん一生のお付き合いになるから。
こうして飛白とのバイオリンの練習が始まった。
後書き
アマーティはストラリバリと並ぶバイオリンの名器といわれています。
写し(コピー)でも音がいいと、7,8百万はします。
香澄ちゃんは、遺産があるので弁護士さんに相談して購入しましたが、
楽器店としても次にいつ同じレベルのものが手に入るか分からないから、
ホントはこんなふうにホイホイ売ってもらえません。
ちなみにそれまで使っていたのは1万円という、驚くべき安物だったのです。
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