逆さの砂時計
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書の守り人
暖炉の火が赤く揺れている。
セレイラは、暖炉の手前にお気に入りのクッションを置いてそこに座り。
パチパチと音を立てて崩れていく薪をじっと見つめながら。
今日一日を振り返ってみた。
朝は、太陽が昇る前に川で洗濯を始めた。
洗濯が終わったら家の庭に戻って、一枚一枚伸ばしながら干して。
洗濯道具を片付けた後、家畜小屋に行って鶏の生みたて卵を拾い。
隣の畑で野菜の手入れと収穫をして、朝陽の目覚めと共に朝飯を食べた。
珍しく畑や家畜小屋が荒らされた形跡がなくて、気分が良かった。
それから、家の中と家畜小屋を丁寧に掃除して。
後は、昼飯を食べて、本を読んで、薪を割って、洗濯物を片付けて。
夕飯を食べて、本を読んで、気が付けばいつの間にか外は真っ暗。
特に変わったこともなく、満天の星が輝く今に至る。
北と南に双子の如くそっくりな形の高い雪山を望む、小高い丘の上。
小さな林に囲まれた木造一階建て一軒家での、不便で退屈な毎日。
煩わしい人間関係に囚われない、静かで素敵な日常。
時々、少し離れた所にある森から熊や狼などの野生動物が食べ物目当てで襲ってくるが。
それさえ無ければ、自由気ままな一人暮らしだ。
手に持った陶製のカップを口元で傾ければ、温かく華やかな紅茶の香りが鼻を抜けて喉を滑り落ち、冷えた体を内側からじんわりと解してくれる。
人里離れた雪原に住んでいれば当然だが、紅茶は貴重品だ。
茶葉を手に入れる為に街まで行くのは、正直面倒くさい。
しかし、そろそろ買いに行く頃合いかも知れない。
茶壺の中身がだいぶ減っていた。
ちょっとだけ億劫な気持ちでクッションから立ち上がり。
膝丈の木製テーブルにカップを置いて、真紅のカバーを張った二人掛けのソファーに腰を下ろす。
この建物には部屋が二つしかない。
調理場とベッド、書棚とクローゼットと食器棚が、衝立も立てず一ヶ所に集まっているのも珍しいのではないだろうか。
ちなみに、もう一つの部屋は浴室だ。
カップの横に置いてある、読みかけの本を手に取る。
黒くてざらざらとした装丁の……素材は何だろう?
思えば内容にしか興味がなかったから、本の造りなど気にしてなかった。
揃えた膝の上に本を乗せ、厚い表紙を開いて、挟んでおいた栞を探す。
図鑑のようにズッシリ重い本は、ページ数もそれなりだ。
厚みも大きさもそこそこある。
角で頭部を打たれたら、確実に死ぬだろう。
ちょっとした鈍器だな。
ぱらぱらとめくって、真ん中辺りにあった黄色い押し花の栞を抜き取り。
途切れていた時間を進める為に、黒い文字を目で追いかけた。
平面の文章を通じて頭の中で再構築されていく世界が、現実の静寂も熱も置き去りにして、全身にぶわっと広がる。
何物にも代えがたい、至福の瞬間だ。
この本の世界は、図鑑と違って現実離れしている。
魔法や、それを扱う人外生物、歴史上にも存在しない王国等々。
興味深いのは、これが販売されていた娯楽本ではなく、セレイラの一族が先祖代々受け継いできた謎の『日記』という点だ。
まだ街に住んでいた頃、祖母から大切にしなさいと言われて引き継いで。
以来二十年間、ほぼ毎日、何度も読み返している。
ご先祖様達もそうしてきたのだろう。
紙は所々傷んで、古書特有のなんとも言えない香りを放っていた。
追い立てられるようにページを辿る。
もう二十年の付き合いだ。
内容はほとんど暗記しているが、何度読み返しても新鮮に感じる。
書いた人物の感情が大海の波となって、絶え間なく押し寄せてくるのだ。
波にさらわれた読み手は渦に巻き込まれて海中に沈み、呼吸を奪われる。
かと思えば突然ふわりと上昇し、海を飛び出して風になる。
穏やかな空を舞い、雲と戯れ、唐突に地面へ叩きつけられてしまう。
何を言ってるんだと笑われそうだが、実際そう感じるのだから仕方ない。
記された出来事は現実離れしているが……仮に想像で書いたとするなら、書き手は相当頭が良いか、ネジがぶっ飛んだ人物だと思われる。
それほどの感情に満ちているのだ。
激情と言って良い。
ところで。
この日記に書かれている文字はいったい、どこの国の物だろうか?
祖母に教わって覚えはしたが、こんな字体は他で見た記憶がない。
古代文字の類いか?
それとも、後世の誰にも内容を知られたくなかった故の暗号か?
それを子孫が解いてしまったとか。
だとしたら書いた人物には申し訳なく思うが。
なんにせよ、綴られた一言一句が魅力的なのは変わらない。
暖炉の灯りだけを頼りに、不思議な世界を体感し続ける。
……ああ、ここだ。
長年疑問に感じてきた日付に、目線を一時ぴたりと止める。
この日を境に、書かれている文字が印象を変えるのだ。
上手くなったのか下手になったのかは基準が無いので判断できないが。
一文字一文字が明らかに大きくなっている。
強いて例えるなら……そう。
書いた人の手が故障したか、でなければ、目が見えにくくなってる感じ。
書かれている内容は、要約すると
『傷だらけの少女と出会ったので手当てをした』
程度のこと。
以降、少女に関する記述や、書き手自身に問題が起きたとの記述も無い。
それまでと同じ、非現実的な日常を過ごして。
数ヵ月の後に、まっさらなページへと様変わりする。
最後の一行を唐突に『これで良い』と締め括っている辺り。
多分、亡くなったのではなく、書かなくなったのだろう。
書く必要がなくなったのか、書けない状況に置かれたのか。
どちらにせよ、日記はそこから先の人生を語らない。
残る数十枚の白紙をまとめて裏表紙で閉じた。
本が当時のままなのか、復元された物なのかは分からない。
だが、埋められた筈のたった数十枚の白紙を物悲しく感じるのは。
書いた本人や、書かれた当時の世界を、自分が知らないからだろうか。
膝の上に乗せた誰かの人生。誰かの記憶。
指先で裏表紙をそっとなぞって……
ふと暗くなった視界に、目を瞬く。
暖炉に顔を向けると、クッションの上に立つ人影があった。
「……え!?」
暖炉から逆光を浴びる、真っ黒な服の男。
彼は短い金髪をさらりと揺らして、ゆっくりとソファーに歩み寄り。
腰を曲げてセレイラの顔を覗き込んできた。
吸い込まれそうな紫色の目を細め、セレイラの膝から日記を持ち上げる。
「面白い物を持っているな」
「え、あの……っ、貴方いったい、どこから……!?」
鍵はちゃんと閉めた。
この家の中にはセレイラ一人しか居ない筈だ。
慌てて玄関扉に目をやっても、やはり閉じ切ったまま。
誰かが出入りしたような音は聞こえなかったし、開いた様子もない。
だが、男はセレイラの目の前で悠々と日記をめくり、クス、と笑う。
「有ろうが無かろうが、どうでもいい内容だな。少々懐かしいが」
懐かしい?
セレイラが首を傾げると。
男は日記をテーブルの上に置いて、再びセレイラの顔を覗き見た。
吊り上がり気味な目が妖しく光り、愉しそうに歪む。
その整った顔立ちが、セレイラの視界を占領して。
「!?」
唇が、塞がれている。
気付いた時には、ソファーの座面に背中から押し倒されていた。
男の右手がセレイラの頭を支えて、左手が腰をさする。
強く吸いついては束の間離れてをくり返す唇の隙間から、戸惑い混じりの吐息が零れた。
「や……っ、やめて! 貴方、誰? なんのつもり!?」
セレイラの唇から顎を辿り、首筋に吸いつく男。
その頭を押し退けようと両手でもがくが、男はびくともしない。
腰を上った冷たい手のひらが、厚手のシャツに潜り込んで。
暖炉の熱を残す滑らかな柔肌に直接触れる。
二人の体温の違いが、セレイラに「ひっ」と短い悲鳴を上げさせた。
男が満足げに目を細めて、自身の唇をペロリと舐める。
「ついでの食事、かな?」
「食……っ 私は食べ物じゃないわ! 離して! 出ていって!」
「怖い?」
男がセレイラの額に自身の額を押し付けて、静かに見下ろす。
シャツの中を探っていた手が、硬直する背中に回って。
怯える体をそっと、優しく抱きしめる。
まるで大切なものを包み込むような腕と仕草に。
何故か、セレイラの嫌悪感が薄くなった。
「は、離して……」
声が震える。
突然すぎて混乱した頭の奥が、急速に静かになっていく。
抵抗しなければと考える反面、男を抱きしめたいと思う。
これは何?
自分に何が起きているのか。
セレイラはわけが分からないまま、抵抗をやめてしまった。
男を押し退けようとしていた両腕から力が抜け、頼りなく宙をさ迷う。
「セレイラ」
額を離した男がセレイラの頬に軽く口付けて。
名乗ってもいない名前を、水飴のようにとろりとした甘い声でささやく。
何に反応したのか、体が勝手にビクリと跳ねた。
「良い子だ」
脳に染み込むような吐息が耳から滑り込み、下腹部を疼かせる。
思考が衝動に支配されていく。
男が体を起こしてソファーの端に座り直した。
逃げるなら今しかない。
そう思って立ち上がった筈なのに。
セレイラは荒らされたシャツとズボンを自ら脱いで、上の下着まで外し。
男の肩に腕を絡めながら、唇を重ねてしまう。
「ん……っ はぁ……、んっ」
セレイラの中で、何をしているのかと慌てる自分が小さくなる。
男に触りたい触られたいと、口付けの間にショーツまで全部脱ぎ捨てた。
他人になんて絶対見せたくないと思っていた素肌を。裸体を。
見ず知らずの男に曝け出してしまった。
だが、羞恥は無い。
ただ、目の前に居るこの男に触れて欲しい。
見えていた場所も隠していた場所も全部、余すところなく愛して欲しい。
「あっ んん……!」
男の足に右膝を乗せ、その肩に上半身を預けると。
男の右手が恥丘を撫で、繁みを掻き分け、陰部に滑り込んできた。
初めてそこに感じる他人の指先を、もっと深くとセレイラの左手が導く。
「い、いあ! は っ んあ、ぁああっ」
男の指先が割れ目をくすぐり、セレイラの爪の先が敏感な突起を弾く。
二人の指先がバラバラに動いて下半身を刺激する。
すぐに濡れ始めた奥への入り口に、男の人差し指がつぷりと侵入り。
異物を知らない膜を撫でるようにゆるりと円を描いて、腰を揺らした。
形良くふっくらした胸の先で、薄い桃色の尖りが硬く勃ち上がっていく。
「可愛いな、セレイラ」
耳を蕩けさせる男の声で、胸の奥がきゅうっと締めつけられる。
もっと名前を呼んで欲しい。もっともっと触って欲しい。
「んうっ、うく、んあっ、ぅあああああ…………!!」
入り口を探る男の指が二本に増え、内を押し広げながら根元まで入った。
刺激に応えて量を増した蜜が雨のようにぽたぽたと男の足に降りしきる。
狭い内側で、ぬめりを纏う男の指がグチュグチュと音を立てて暴れ回る。
汗ばむ肩に、首筋に、胸元に、男が舌を這わせて吸いつく。
気持ち良い。
ヌルヌルした感触も、ざらついた舌から広がるゾワゾワ感も。
甘噛みされた胸先の蕾から子宮にまで伝わっていく、痛みに似た刺激も。
気持ち良すぎて、呼吸すらまともにできない。
あまりの息苦しさで溜まっていく涙を、目蓋で弾き落とすと。
その瞬間、快感に堪えかねた体と意識が、暗闇の中で真っ白に飛散した。
「…………う、……は、 あ……?」
くたりと堕ちた体を抱き止め、ソファーに仰向けで寝かせた男が。
自らも着ていた服を取り払い。
震えるセレイラの両膝の裏に手を入れて、軽く持ち上げる。
「え」
早く来て欲しいとヒクつくその場所に、男の呼気を感じ。
予想外の感触と衝撃的な光景に目を見開いた。
「いっ……!? い、いやああ! なんで、そん なのっ や、やめっ!」
男の舌が襞を押し開き、その周辺を忙しく這い回る。
硬くなった突起にも、乱れた入り口にも吸いつき。
尖った舌先が、入り口から内側の浅いところを何度も往復する。
いやらしく粘る水音が暖炉の音を掻き消して、耳の奥に貼り付く。
「ゆる し て! も、やっ、やだ、いや、いやあぁあ……っ!」
下腹部が激しく脈打ち、全身がガクガクと痙攣する。
足先が宙を蹴って、両手が男の髪を乱す。
焦燥、動揺、未知への恐怖で視界がブレて歪み、そして、また。
男が入り口を強く吸い上げた瞬間、セレイラの意識が白く弾け飛んだ。
「あ……んああぁ……はぁあ、あ……」
心臓が止まるかと思うほどの息苦しさを越え。
溢れる涙のせいでくしゃくしゃになった顔を、自分の両腕で隠した。
「セレイラ」
「……ん、 ぅあっ…………!?」
覆い被さる男の気配と、熟れた入り口を焦がす熱。
期待に浮かされて視界を開いた瞬間、労りも配慮もなく貫かれ。
体を真っ二つに引き裂かれたような激痛と異物感で、声が押し潰される。
「っ、う……ぐっ……」
空洞を抉り拡げながら侵入ってくる男の瞳は、優しい声とはまるで違う。
生きたまま腹を裂いて臓物を喰らう、非情な獣そのものだ。
音を立てるほどに溢れて濡れていた場所が、乾いた悲鳴を上げている。
「いゃ、なん、でっ、い、や……っ いや、いや、いやああああぁっ!!」
衝動が褪めていく。
歓喜が恐怖にひっくり返る。
何をしているのか。
何をしていたのか。
自分は何故、この男に触れて欲しいなどと思ったのか。
「やめて! お願い、やめてぇぇ!!」
痛い。苦しい。汚い。怖い。
嫌だ。嫌だ! 嫌だ!!
「やはり可愛いな、セレイラ」
「やっ やだやだや……ッ! あ、あっ」
強引に侵入ってくる一方だった男が突き当たりを見つけ、動きを変える。
しばらく腰を密着させたまま、円を描くように内側を掻き回し。
引き抜く寸前まで退いたかと思えば。
溢れかけたものを押し込めるように、最奥へと突き上げる。
じたばたと暴れる両腕を座面に縫い付けて。
胸の先を咥え、舐め、吸いつきながら、容赦なく腰を打ちつけてくる。
そうしてまた、しばらく腰を密着させて内側を掻き乱し、突き上げる。
気が遠くなるほどの長い時間を掛けて、何度も、何度も。
「あ あっ! ん ぅっ、ぐ ん、ンっ」
胸からも下腹部からも、絶え間ない刺激が押し寄せて。
次第に痛みが薄れ、擦られることにも、突かれることにも慣れてしまう。
心の底から怖いと、気持ち悪いと思っているのに、体の力が抜けていく。
侵入を許した内側が、男を逃がすまいと勝手な収縮を始める。
「ぁあ、あっ、いや! そこ、当てないで! やだ! いや いやぁ……っいやああああぁ――っっ!!」
開いた目にも無数の小さな光が明滅し始めた頃。
抽送が急に速度を上げて激しくなる。
内側から押し上げる圧迫感が大きくなり、ほどなく。
体の奥の奥で、熱が拡がった。
びくっと跳ねた顎に、少しだけ呼吸を荒くした男の唇が落ちる。
「……あ……、ぁ……」
どうして。
どうしていきなり、こんなことになったのか。
ただ日記を読んでいただけなのに。
いつもと変わらない一日だった筈なのに。
何故、見も知らぬ男を請い願い、受け入れてしまったのか。
本気で嫌だと、心も体も拒んでいた筈なのに、どうして。
気怠く潤んだ目で茫然と見上げれば、男の顔が愉悦に歪む。
開いたその口が、セレイラの首筋に当てられて。
「永遠にお休み。可愛いセレイラ」
チク、と鋭い痛みを感じてすぐ、世界が闇に呑まれて……消えた。
暖炉の火は消えているようだ。
窓から覗き見た限りでは、屋内に人が居る様子はないが。
ソファーの周りには、女性物の服が不自然に脱ぎ散らかされていた。
テーブルの上に置かれているカップといい、黒い本といい。
内側から掛けられた鍵も、異様な印象を受ける。
「お留守……というわけでは、なさそうですが」
「面倒くせぇ。気になるなら蹴破れば良いだ、ろっ!」
ベゼドラが扉を乱暴に蹴って破壊する。
蝶番と鍵で固定されていた扉が、真ん中辺りで上下二枚に割れ。
上部が蝶番ごと屋内に吹っ飛び、下部がひしゃげた金具で留まった。
クロスツェルは呆れて肩を持ち上げるが。
念の為にと声をかけても返事が無かったので、きちんと断りを入れてから足を踏み入れる。
改めて室内を見渡してみても、特別おかしなところはない。
外から見たテーブルとソファー周りの不自然さ以外は。
カップの中には、凍り付いている紅茶色の液体。
ソファーの乱れたカバーには、なんらかのシミと黒っぽい斑点。
扉を吹っ飛ばしたせいか、砂埃らしき物が室内全体に舞い上がっている。
服の主人の姿はどこにも無い。
「どう思います?」
「知るか。いちいち俺に尋くんじゃねえ」
屋根に高く積もった雪、防雪具の下で荒れ果てた畑、朽ちた家畜達の姿。
世界樹の森をまっすぐ下りてきて見つけたこの家は。
空き家というより、『廃屋』に近い。
「これに何か書いてあるかもな」
ベゼドラが何気なく手に取った黒い本。
その内容は、彼の目にも懐かしい文字で綴られていた。
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