逆さの砂時計
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狂宴
力を失って半月が過ぎた頃から、頭の中で妙な映像を見るようになった。
自らをベゼドラと名乗る、クロスツェルの姿をした男は。
地下室でロザリアを犯した後、たまに礼拝堂へ行く。
そこで神父を待っているのは、性交の経験が無い女性の信徒。
礼拝の折に神父から声を掛けられた女性の信徒は、わけが分からないまま祭壇の上に体を押し付けられ、神父に無理矢理純潔を奪われる。
自我が崩壊するまでひたすら性暴力を受け続けた挙げ句。
どういう現象なのか、体が灰となって散りゆく様子は。
それを見てしまったロザリアに強烈な嫌悪感を抱かせた。
最初は夢か何かだろうと思った。
しかし、時が経つにつれて映像は鮮明になり、見える回数も増えていく。
あまりにもくっきりと見えすぎたから気になって。
試しに、クロスツェルの体をそれとなく傷付けてみた。
快感に堪えるフリをして刻んだ右腕の爪跡は。
映像の中の神父の腕にも、しっかりと残っていて。
気が付けば、ロザリアは泣いていた。
ベゼドラの断片的な言葉を繋ぎ合わせれば、クロスツェルは聖職者の身でありながら一人の男性としてロザリアを愛してしまったせいで、ずっと悩み苦しんでいたらしい。
そんなクロスツェルの魂を、教会の下に封印されていた悪魔が喰らって、体をも乗っ取った。
本当はその時点でロザリアも殺される筈だったが。
喰われたクロスツェルの思慕がベゼドラの殺意を超えて。
今もなお、ロザリアを護っているのだと言う。
不思議な力を持つロザリアでも、簡単に信じられる話ではなかったが。
クロスツェルとは思えない言動に加え、こんな映像を見てしまっては。
嫌でも受け入れるしかなかった。
クロスツェルはもういない。
名付け親になったバカな神父は、勝手に悩んで勝手に死んだのだと。
だって、映像の中のクロスツェルは。
絶望に喘ぐ女性の信徒を強引に揺さぶりながら、笑っていたのだ。
迷える者を導くのだと誇らしげに語っていた、あの男が。
女性達を嘲るように、本当に愉しそうに……
……笑っていた。
「クロスツェル……」
水洗式の便器と手洗いに、四つ足で支えられた簡易なパイプベッド。
唯一の出入口を塞ぐ、金属製の錆びた四角い扉。
扉の横にある木製のテーブルには、毎朝欠かさず真新しいタオル一枚と、三食分の食事と、飲み水入りのガラス瓶三本が置かれていく。
灯りは扉の両脇にある壁掛け燭台二台のみで、正真正銘、囚人の扱いだ。
石造りの狭く薄暗い部屋の中、床に座って膝を抱えた。
全裸で閉じ込められた室内は、実際のところ暑くも寒くもない。
なのに、何故か冷たく感じて体が震える。
ウェーリも。
神父の餌食になった女性達と同じく、灰になって消えたのだろう。
ベゼドラは彼を喰ったと言っていた。
それがクロスツェルの願いだったと。
ロザリアを奪われるのではないかと怖れ、ウェーリの存在を否定したと。
自分と親しく話している男が、よほど許せなかったらしい。
ウェーリは、こことは違う下町で出会った、数少ない親友の一人だった。
それだけ。
久しぶりに会って懐かしいと思ったのは確かだが。
クロスツェルが嫉妬するような間柄ではなかったのに。
つくづくバカ野郎だ。
「最近、ロザリアさんがいらっしゃいませんのね」
お体の調子でも崩されたのですか? と。
礼拝に訪れていた老齢の女性が、心配そうに首を傾げる。
クロスツェルのフリをしたベゼドラは、にっこりと微笑んで答えた。
「彼女には良い縁談がありましたので。今頃は、お相手の方と幸福な時間を過ごしているでしょう」
老女は目を丸くして、シワだらけの指先を口元に当てる。
「まあ。そんな気配は見受けられませんでしたのに。良いことですけれど、少々残念ですわ。もうお会いできないのかしら」
「すべては女神アリアの思し召し。私も、あの笑顔が見られないと思うと、灯火が消えたような心地ですが。今はただ、彼女の幸せを願うばかりです」
「……そうですわね」
神父が胸の前で両手を組み。
教会の入口を飾るレリーフに向かって頭を下げる。
それにならって、老女も軽く頭を下げた。
「それでは神父様、ごきげんよう」
「貴女に女神アリアの祝福が舞い降りますように」
今日の礼拝客、最後の一人を見送り、教会の門を閉じる。
何気なく、澄んだ紫色の空を見上げて。ベゼドラは教会の中へと戻った。
「タヌキみたいだな、お前」
教会内の戸締りを終えてから、燭台を持って地下室に入るベゼドラ。
その様子を映像として見ていたロザリアが、床に座ったまま顔を上げた。
入り様の一言に、ベゼドラは首を傾げる。
「何の喩えだ?」
「私はお前と結婚した覚えなんかない」
「!」
地下室に閉じ込められて、約二ヶ月。
映像はほとんど丸一日、いつでも自由意思で見られるようになっていた。
この映像については、やはりベゼドラも知らなかったらしい。
金色の目が少しだけ見開かれた。
「……『遠見』の力か。何故そんなモノを使える?」
「知らない。お前が何かしたんじゃないなら、アリアの思し召しかもな」
「アリアはお前だ」
「それこそ知るか。私はロザリアだ。バカな神父が遺した『ロザリア』が、私の名前だ」
浮浪時、着ていた服は盗んだ物だった。
靴も食べ物もほとんど盗品。
稀に施しとして貰った物もあるが、全部消耗品だった。
死ぬまで消えない物をくれたのは、クロスツェルだけだった。
自分だけの、自分を表す固有名詞。
小さいからチビとか、そんなんじゃない。
自分を形作る名前。
クロスツェルがくれた存在証明。
「私はロザリアだ」
だけど、名前をくれたバカは、もうどこにもいない。
クロスツェルと同じ顔をした男は。
クロスツェルと同じ声で「ロザリア」とささやきながら。
同時に「アリア」とも呼ぶ。
さすがに二ヶ月も経てばいろいろと慣れてきたが、気分は最悪だ。
「……そうだな。お前は『ロザリア』だ」
燭台をテーブルの上に置いて……
ふと、ベゼドラの目が細くなる。
「また、食べてなかったのか」
パンにスープにサラダ、果物、その他諸々。
三食分きっちり残っているのを見て、呆れたため息を吐いた。
「最悪一食分は消費しろと言った筈だ。今のお前はただの人間なんだぞ」
「誰が食うか、そんな物。ふくよか女が好みなら、ガリガリに痩せてやるよ」
初めの頃は、ただただ気持ち悪くて食欲が無かった。
行為と状況に慣れ始めてからは、空腹感に負けて食べられるだけ食べた。
余裕が出来た今は、食べたら生物的に負けって気がする。
「……ロザリア……」
深い深いため息の後。
ベゼドラがスープ皿を手に取って、ロザリアに歩み寄る。
考えを読み取り逃げようとしたら、首輪を掴まれて壁に押し付けられた。
「痩せていようが太っていようが、死ななければ良いんだよ」
「最低だな……っ ん、ぅっ」
自らの口に含んだスープを、口移しで無理矢理、喉に流し込んでくる。
手足をバタつかせて抵抗しても、ベゼドラは一切気にせず。
皿が空になるまで同じことをくり返した。
「……げほっ……か、っは……っ こん、の……悪趣味、がっ……!」
「初めから大人しく食べていれば、まったく必要ない行為なんだがな……。それとも、こうされるのがお前の望みか?」
「冗談……っ」
「なら、自分で食べろ。次に同じことをしたら犯しながら口に突っ込むぞ」
「発想が汚いな……ちくしょう」
ロザリアが口の端から溢れたスープを腕で乱暴に拭うと。
ベゼドラは苦笑いを浮かべて、スープ皿をテーブルに戻す。
その顔が一瞬、クロスツェルに見えた。
「っは……はは…………」
「?」
「いや。私も案外、諦め悪いなーと思ってさ」
礼拝堂で女を喰い散らかす姿に、クロスツェルの面影は欠片もない。
はっきり言って、行為もコイツ自身も気持ち悪い。
なのに、時々クロスツェル本人を感じるのは。
体そのものはクロスツェルだから……なんだろうか。
「お前が何をどう望もうと勝手だが、ここからは一歩も出さないからな」
ベゼドラが大股に近寄ってきて、首輪近くの鎖を乱暴に引き上げる。
苦しげな顔をしているのは、これもクロスツェルの影響なのか。
「クロスツェルの体が朽ちるまでは縛り付けてやる。実体の封印を解いたら今度こそ」
「殺す、か?」
鼻で笑いながら見上げれば。
ベゼドラの顔が、怒りとも悲しみとも取れる形に歪んだ。
「っんぐ……!」
ベゼドラの左手に口を押さえられ、二人の体が床に転がる。
性急に脚を開かれ。
長衣の裾を持ち上げた男が、準備もなく強引に内側へと入った。
乾いていた場所が強くこすられ、痛みと圧迫感で背中が反る。
ベゼドラにも、多少なり痛みがあるのか。
苦しそうに歯を噛んで、低く呻いた。
二、三回の抜き差しで濡れた音が聞こえ始める。
冷静に聴き分けている自分が可笑しくて。
ベゼドラの手のひらに押さえられている唇が、少しだけ弧を描いた。
せめてもの救いは、クロスツェルの死に方が物理的じゃなかったことか。
ふとした拍子に、割れたガラス瓶で突き刺した感触を思い出しては。
あいつがそんな怪我を二度と負わないようにって、思ってたから。
どっちにしてもバカなんだけどな。
バカだから。
案外まだ、どうにか取り戻せるんじゃないか……、なんて……。
そんな風に思うのは……甘い、かなあ……。
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