逆さの砂時計
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解かれる結び目 3
山奥にある純白の神殿は、私が産まれた場所で、私が育った家。
上空から見下ろすと。
麓へ向かう正門側に、神々の声を聴く為の祭壇を抱えた巨大な神殿が。
山頂へ向かう裏門側に、巫の一族が普段寝起きする為のお屋敷が。
対を成す形で建てられている。
両方の建物を乗せたこの敷地全体を神殿と呼ぶ場合もあるけど、よくよく考えてみたら、神々に仕える巫の立場で神殿とお屋敷を同一視するのは、神々への不敬に当たるような気がしなくもない。
怒られたことはないから、これはこれで良い……のよね? 多分。
神殿とお屋敷。
それぞれの両端を吹き貫けた廊下で繋いで四角く囲んだ中庭には、噴水を中心に、植物園や畑を東西対称で気持ち良く配置していて。
その周辺は、敷地内で働く人間達の憩いの場になっているらしい。
私も噴水は涼しくて好きだったんだけど、私が行くと皆して畏まるから、父さんと母さんが亡くなってからはずっと、近寄らないようにしてる。
代わりに、よく足を運んでる場所が、ここ。
敷地と外界を円く隔てた、巨大な鉄柵の内側。
それに沿ってぐるりと張り巡らされてる、ちょっとした林の中。
最近は正門付近に来ることが多いかな。
ここからは、正門の外側に代わる代わる訪れては神殿に手を合わせていく麓の村の人達が見えるの。
鉄柵の外側なら許可を得る必要がないから、たまには国外から来た人達も礼拝してるみたい。
そんな彼らの噂話に耳を傾けるのが私のささやかな楽しみだったりする。
男性は総じてあんまり喋らないけど、女性は年齢問わずにあれやこれやと情報交換するのが好きみたいだから、ここに居ると飽きなくて良い。
話題の多くは、日常の不満だったり自慢だったり。
ご近所の誰それさんがどうしたこうした。
おかげで私は、村の人間関係を詳細に把握してしまってる。
皆、嘘を吐いたり、仮面を被ったり、印象操作で自己保身に走ったり。
人間って、複雑なのね。
次いで多いのは、魔王レゾネクトの凶行について。
どこかの王国が一夜にして消滅したとか。
削り取られた山脈が、瞬き一回の間で河になったとか。
巫がなんとかしてくれないかなあって声も聞こえるけど……
神々が魔王に関する指示を私に出したことはないし。
私は敷地から一歩も出られないの。
非力でごめんなさい。
他に耳を惹いたのは……恋の話。
外から見る騎士達は、女性の目にそれはたくましく輝いているようで。
門番にすらうっとりと頬を染める彼女達が、最初は不思議だったわ。
恋って、胸が痛くなるのね。
なんだか頭がぼうっとして。
ふとした瞬間に相手の顔が浮かんでは、落ち着かない気分になって。
全身がざわざわして。
嬉しいのか、もどかしいのか、恥ずかしいのか……
うん。全然理解できない。
理解はできないけど、憧れた。
誰かを好きになって、誰かを求めて。
同じだけ誰かに求められて、身も心も誰かに委ねる。
それは物凄く不安になることで、息が止まりそうなくらいに怖いこと。
互いに自分以外を信じて、受け入れて、認め合う。
それって、どれだけの勇気が必要なのかしら?
きっと、初めは拒絶してしまう。
行き違いだって数え切れない。
許せないと思うこともたくさんあるわ。
だって、自分と誰かは別人だから。
考え方も生き方も違ってきた者同士、惹かれ合ったとしても。
いきなり同じ場所に心を置くなんて不可能だわ。
相手のすべてを解ったフリなんかしても、必ず見破られると思う。
所詮は他人なのよ。
でも、その気持ちの壁を乗り越えて、互いの手を取り合えたら?
他人同士であることを受け入れ。
互いの違いを認め合い。
同じ方向を見つめながら繋いだ手。
それは多分、灯火のように優しくて、柔らかくて、温かい。
父さんと母さんがそうだったように。
誰かを想って泣いたり笑ったりする幸せを、私もいつかは感じてみたい。
そう……、思ってた。
真っ白な法衣に、一点だけ色付いた銀のブローチ。
心臓の位置に付けてみたのは、諦めの悪さの表れかも知れない。
私は神々に仕える最後の巫。
魔王が存在する限り、誰かとの恋愛は望めない。
そうでなくても、私の未来は一族の力の未来そのもの。
結婚して子供を残すか、殺されるまで一人きりで過ごすか。
それは神々が決めること。
私自身の意思で身勝手に扱って良いものじゃない。
それでも。
「誰かを、好きになってみたい、な」
ブローチの翼を指先でなぞってみる。
全体に尖った部分がなくて丸っこいのは、私が怪我をしないようにって、彼の配慮よね。
こういうところも嬉しい。
本当に、嬉しいのに。
「不毛ね」
包装紙を小さく折りたたんで、宝箱の形をした小箱にしまう。
薄紅色のリボンは……そうね。これで髪を結んでみようかしら?
生まれてからずっと伸ばし放題で、そろそろ鬱陶しくなってたし。
せっかくの可愛いリボンをこのまま捨てるのも勿体ないわ。
首筋の辺りでまとめた髪をリボンで縛り、正門付近から離れる。
お客様が来てるって言ってたから、神殿の近くは避けて林伝いに戻ろう。
一度伐採してから植樹し直された敷地内の林は。
柵の外側に広がっている森とは少し様子が違う。
まず、足元には雑草が無いでしょ。
花壇以外は地面が剥き出しになっているから、それなりに歩きやすいの。
木と木の間隔や枝の伸び具合も、柵の外からは直接神殿が見えないように計算と工夫を施してあるみたい。
正門と神殿の正面入り口をまっすぐ繋ぐ石畳の周辺に限っては、荷馬車も通るからって理由で見晴らしを良くしてるみたいだけど。
それでも林に一歩踏み入れば、途端に視界が悪くなる仕組みになってる。
だから、私が林に潜んで盗み聴きしてるのも、外の人達にはバレてない。
今日は大きな声を出しちゃったから、少しは聴こえたかも知れないけど。
もちろん、視線を上げれば背が高い神殿の尖った屋根は見えるわ。
だって、木々の何十倍も大きいのよ、神殿は。
雷が落ちたら怖いわね。
ほとんど遊歩道に近い、風の通りが心地好い林沿いを。
自室があるお屋敷へ向かって、ゆっくりと歩いていく。
あ。あれがお客様かしら?
廊下を挟んで小さく見える中庭の噴水周辺に、大神官様と、エルンストを含む護衛騎士の四人、見慣れない格好の男性三人が揃って、談笑してる。
その中の一人が……
え? 私に気付いた?
遠近感を利用したら、人差し指と親指の爪の先で、頭から足先までを軽く摘まめそうな、この距離で?
表情は見えないけど……なんだろう。
微笑まれた気がする。
「もう居ない」
二階の自室に戻って、押し開いた窓から中庭を覗いてみた。
そこから見えるのは空と緑の間を行き交うたくさんの鳥と、畑の手入れに勤しむいくつかの人影と、のんびり流れる穏やかな空気。
さっき見かけた集団はどこにも居ない。
きっと、忙しい人達なのね。
神殿に来たってことは、神託が目的だと思うけど。
今日はもうお役目を終わらせてるから、多分、客室に案内されたんだわ。
下手にうろつかれると、私の行動範囲が狭められちゃうし。
じっとしててくれるなら、すっごい助かる。
祭壇の前以外で鉢合わせるのも、立場上問題があるし、ね。
ああでも、お客様が居る間は結局、祭壇と自室の往復になるのか。
窮屈だなあ……
あ、裏門側なら大丈夫かも?
客室は神殿の片隅に設置されてる。
お屋敷の住人は、お世話係の女性が十人ほどと、護衛騎士が十人だけ。
裏門は非常用の脱出口だから滅多に利用されないし。
実際に、もう何十年も開閉されてない。
正門側と違って放置気味で、騎士達もあまり寄りつかない場所だ。
うん。お客様なんて絶対に来ないわ。
良い隠れ場になりそう。
まだ自室に籠るには早いし、今から様子を見に行こう。
ベッド横の鏡台に小箱を置いて、もう一度自室を出る。
要所に配置された護衛騎士達の目がちらちらと私の姿を窺ってるのは……
仕方ないわね。それが彼らの仕事だもの。
付いて来ないだけありがたい。
お屋敷と裏門の間の林は、正門付近の林とは雰囲気が違う。
裏門のほうが山頂に近い分、木の数が少なくて風通しも良く涼しいのね。
それでも、お屋敷がどんと構えてるせいでここからじゃ神殿は見えない。
お屋敷は全室中庭寄りだから、こちらをじっくり観察される心配もない。
村人の噂話が聴こえないのは残念だけど。
それを除けば、快適な休息場所になりそう。
監視されないって、なんて清々しいのかしら。
「ここなら、エルンストにも簡単には見つけられないわね。ふふっ」
廊下に出て大回りしてから来たし。
護衛騎士達も、まさか私が裏門に居るとは思わない筈。
お屋敷の通路を忙しく往き来する女官達なら気付くかも知れないけど。
それまでは、自由に羽を伸ばすとしましょう。
「マリア!!」
……え……?
「あれ……エルンスト?」
カンテラの光を反射する綺麗な青色の目が、私を覗き込んでる。
もう見つけちゃったの?
「ああもう、君って女性は……! どうしてこんな場所で眠ってるんだ!」
え?
あ、空が真っ黒。
うそ。
私、いつの間にか眠ってた?
「なんか、すごく気持ち良くて。つい、うとうとしちゃったみたい」
風も気温も本当に心地好くて。
見つからないって思ったら、油断しすぎちゃった。
木の幹に背中を預けて眠るなんて、生まれて初めてだわ。
ふわぁあ~~……っと欠伸しながら両腕を上に伸ばしたら。
カンテラを地面に置いたエルンストに正面から抱きつかれた。
「ちょっ!? エル!?」
「僕がどれだけ心配したか……もう、黙っていなくなるのはやめてくれ!」
「心配って」
私が敷地から出られないのは知ってるくせに。
心配してたの? 私を?
それで、そんなに必死な顔をしているの?
「…………ごめんなさい」
走り回ったのかな?
エルンストの体が熱い。頬に触れた髪がしっとりしてる。
何故か、すごく悪いことをした後の子供の心境だわ。
巫のお役目は毎日ちゃんと果たしてるんだし、他の時間はどこに居ても良い筈なんだけど。
普通に考えて、夜に建物の外で寝るのは感心しないか。
「部屋へ戻ろう」
「ええ」
体を離し、カンテラを持ち直したエルンストの手を借りて立ち上がる。
不機嫌そうなのは、私のせい……よね、やっぱり。
「裏門は落ち着けそう?」
手を引かれたまま着いたお屋敷の近くで。
ふと、前を向いて歩くエルンストに尋ねられた。
「……ええ。敷地内の、他のどこよりも」
冷静になってみれば、うっかり眠ってしまったのは大失敗だ。
せっかくの憩いの場が早々と見つかってしまうなんて。
エルンストは神殿騎士。
私の動向は全部、彼の上官に報告されてしまう。
そうなれば、あの場所も監視対象に指定されてしまうに決まってる。
自業自得だけど、残念。
「そう。じゃあ、二人だけの秘密にしようか」
「え? ちょっと待って、エルンスト。そっちは神殿よ?」
どこへ行くの?
裏口から入るんじゃないの?
「静かに。裏門から来たってバレないように、廊下の真ん中から入ろう」
…………黙っててくれるの?
上官には報告しないでいてくれるの?
「神様にも、お休みは必要なんでしょう?」
廊下の柱に掛けられた燭台の灯りを背負って、優しく微笑むとか。
なにそれ、ずるい。卑怯だわ。
私を喜ばせてどうするつもり?
「そうよ。お休みは万物に絶対必要不可欠な栄養なの。だから、その……」
「ん?」
「……ありがと……」
本当はもっと一人きりを満喫したいけど。
エルンストになら、良いわ。
私をからかって笑う、酷い人だけど。
私個人を理解しようとしてくれる、たった一人の友達だから。
誰か別の人に見つかるまでは、二人の場所でも良い。
「……ねえ、マリア」
「? え」
緩やかな曲線を描いた、エルンストの唇が。
私の、心臓の位置に飾ったブローチへと、舞い降りた。
「似合ってて、良かった」
「………………」
「ご自室でゆっくりお休みなさいませ、マリア様」
一礼して去っていく背中を、私は見てない。
目には映ってるわよ?
でも、冷静に見られるわけがないじゃない。
今、私は、何をされた?
ブローチに、キスされた?
心臓の辺り……胸の辺りを。
エルンストに、キス、された……っ?
「……――――っつ!! エルンストのばかあ!!」
信じられない、信じられない、信じられない!!
はっきり告白すらしてない相手に、普通、こういうコトする!?
「不良だわ! 不潔だわ! 変態だわ! 騎士失格の無礼者よ!」
こんなの、いきなり唇にするより悪質じゃない!
どうしてこんな、急にっ……
「…………今日の貴方、おかしいわよ……? エルンスト……」
そうだ。急すぎる。
どうしていきなり、キスとかするの?
今までは主人として、少しは友達として、接してくれてたのに。
気を許しても良い友達だって。
そう思っていたのは、私だけなの?
「…………?」
ぎゅうって、心臓が締めつけられてるみたいに、痛い。
喉の奥が引っ張られてる。
私、どうして泣いてるんだろう。
今日のエルンストは、私が知ってる私の友達じゃない。
なんか、嫌だ……。
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