逆さの砂時計
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解かれる結び目 5
「なか、ま?」
「うん! 仲間!」
涙目が見せた幻でも錯覚でもなく。
本当に、本物の太陽の光みたいなキラキラと輝く短い髪を風に揺らして、私を腕に抱いたまま朗らかに笑う男性。
「あ、の?」
「くぉらあ――っ!! 天然タラシのアホリード! 女神様にまで何しとんだこの無礼者おおおっ!!」
「いでっ」
すかーんっ!
……って、何?
今、廊下のほうから何かが飛んできて、男性の後頭部にぶつかった……?
「タラシはないだろ、コーネリア。さすがの俺でもちょっと傷付くぞ」
男性の背後に向かって物凄い剣幕で歩いてきたのは……
あ、女性なのか男性なのか、はっきりしなかった人だ。
『コーネリア』って、女性の名前よね?
女性だったの……
って!?
私から離れた男性が拾ったのは、短剣!?
男性の頭にぶつかって足下に落ちたのは、鞘に収まってる短剣!?
あの女性が投げたの!?
なんて危ないことを!
「アイツ、天然だから自覚がないんだよ。許してやれ、コーネリア」
もう一人のお客様も。
気安い様子で女性の肩を抱きながら、男性を見てくつくつと笑ってる。
この三人、神殿で見た時と雰囲気が全然違う。
なに? この砕けきった空気。
「いや。神聖な場所で汗だくの女性を無理矢理ダンスに付き合わせる神経はとてもじゃないが許せないぞ、ウェルス。見ろ。いきなりすぎてマリア様が困惑されているじゃないか」
いえ、それは貴女の危険行為のせいでもあるのだけど。
「えー? 泣いてる女の子がいたら、とりあえず手を取るもんじゃない?」
「「取らない」」
息ぴったり。
「まあそりゃあ、コーネリアが泣いてたら? キスしてハグしてあわよくばそのままベッがぶふぁっ」
「黙れ、歩く公然猥褻罪。これ以上子供は要らん」
じょ、女性の回し蹴りで、二人目の男性が軽く吹っ飛んだ……。
え、ちょっと待って。
今、すごい発言しなかった?
これ以上子供は要らない?
これ以上?
「あ、あの?」
「失礼しました、マリア様。この知性も配慮の欠片もない、下劣で見苦しいバカ男二人は部屋に下がらせますので、どうかお赦しください」
「下劣なのはウェルスだけだと思うぞ」
「お前の不躾な言動も、充分に下劣だ。一応元騎士のクセに、女性に対する態度ってものがまるで解ってないよな、このドアホリード」
「だよなー? 女性にはまず、胸と腰とお尻の大きさを手で直接測」
「「お前は黙れ」」
……えー、と……なに? この人達?
男装をしている金髪金目の女性がコーネリアさんで。
彼女に体を寄せては吹き飛ばされてる茶髪緑目の男性がウェルスさん?
二人と親しげに話してる金髪橙目の男性が……
アホリードさん?
ドアホリードさん?
いえ、まさかそんな名前じゃないわよね。
ホリードさん?
やっぱり三人共、私と同じくらいの年齢にしか見えないんだけど。
魔王退治とか子供がどうとか、どういう意味なんだろう?
言動は喧嘩腰なのに、それでいて仲は良さそうな、不思議な人達。
「マリア様」
「! エルンスト……」
正門へ向かう林の中から、騎士姿のエルンストが出てきて。
私の足元に恭しく跪いた。
まさか、私の後に付いて来てたの?
神殿の中から、ずっと?
「ご自室へお戻りください。貴女は神聖なる女神マリア。お役目以外では、人前にそのお姿を見せてはなりません」
私の軽率さを厳格に戒める、警戒と怒りを滲ませた険しい表情。
…………そうね。
本来ならお客様と私語を交わすなんて、私の立場上良くはない。
姿を見せるのもそうなんだけど。
解ってたけど……
…………ううん、解ってない。
私は何も解ってない。
女神マリア。
私は、女神マリア。
世界を護る為に死ねと言われている、天神の一族最後の巫。
どんなに怖くても逃げられない。
逃げる場所なんて、どこにも無い。
……生贄なんだわ。私は。
「ええ。そうね」
「お屋敷の手前までお送りいたします」
お屋敷へ向かって、林沿いにふらふらと歩き出す。
その私の半歩後ろから、エルンストが付いて来る。
視界の端で、お客様三人が私に一礼してから神殿へ戻っていった。
友達、なのかしら、あの三人は。
とても息の合う、仲が良い友達?
コーネリアさんとウェルスさんは……
もしかしたら、ちょっと違う関係なのかも知れないけど。
「良い、な」
小さい頃の私とエルンストみたい。
三人ほど近い距離感ではなかったと思うけど。
きっと、今の私とエルンストよりは似てる。
だって、エルンストは……
「マリア」
「…………え?」
呼び捨て?
騎士や神官の往来が多くて、人目につきやすい廊下の近くで?
自分から、私を呼び捨てにした?
思わず足を止めて振り返ったら、エルンストが友達の顔に戻ってる。
「そのリボン、お役目中でも使ってくれるんだね」
……ああ、これ。
「本当は三つ編みにしてから結ぶつもりだったのよ? でも、貴方のせいで手が震えて、ちゃんとできなかったわ」
左手で結び目を確認すると、少しだけ弛んでる。
きっと、とても不格好だわ。今の私。
山の中腹よりちょっと高い場所を全力で疾走して、汗だくになって。
そんな責任は負いたくないと、我がままに怯えて、泣き喚いて。
みっともないったらありゃしない。
だから、かしらね?
今朝はエルンストの行動一つであんなにも動揺してたのに。
今は、こうして彼と二人きりで居ても、全然ドキドキしない。
「そうか。ごめんね? じゃあ、これはお詫び」
「え?」
私の背後に回ったエルンストが、首筋で髪を束ねているリボンを解く。
緩やかな風にさらわれた白金色の、膝裏にも届く長い髪をたぐり寄せ。
手早く三つ編みにしてから、再度リボンで括った。
引っ張られた感じはしなかったのに、丁寧に編み込まれてる気がする。
「本当に器用なのね、貴方」
「どうかな。うんと小さい頃なら母さんの髪で遊んでた覚えはあるけど……ねえ、マリア。お役目の時、何かあった?」
「!」
「神殿を出ていく様子が普通じゃなかったし。泣いてたのは、どうして?」
貴方は気付いていたのね。
もしかして、礼拝堂に居た皆にも伝わってしまってる? お客様にも?
「……なんでもないの」
言えない。
今更、自分の立場が怖くなった、なんて。
貴方が知ったら、呆れる? それとも怒る?
産まれてからずっと護られてきたクセに。
世界中でくり返されている惨劇から目を逸らして耳を塞いできたクセに。
その上、力を得てもまだ逃げたいなんて、ふざけるなって。
そんな臆病者の役立たずを自分に護らせてたのかって、幻滅する?
「相談もできないくらい、僕は頼りない?」
「! 違うわ! そんな意味じゃない!」
頼りにしてる。
頼りにしすぎたのよ。
私は貴方の存在に甘えてた。小さな子供のまま、すがってた。
今だって、貴方が心配してくれてるのに、答えないことで甘えてる。
嫌われたくないと、甘えてるんだわ。
なんて酷い。
なんて自分勝手な私。
最低。汚い。
でも、こんな私を知られたくはない。
まるで、底無しの泥沼に沈んでいくみたいよ。
「君を責めるつもりはないよ。でも、そんな風に震えるのはやめて欲しい。僕まで悲しくなる」
「……っ」
『君が涙すると誰かが悲しくなる』
聴いたばかりの言葉を思い出して、もう一度エルンストに向き直った。
「友達として教えて。神々は君に何を告げた? 何が君を追い詰めてる?」
エルンストの青い目が翳る。
彼の曇った表情が、私の胸にチクッと刺さった。
こんな顔をさせてるのは、私?
でも、嫌われたら…………
「力と、翼が解放されたの。私は敷地の外へ翔んでいけるようになってる」
意を決して答えたら、エルンストの目が驚きに揺らいだ。
そうよね。私は貴方と出会う前から、この鳥籠の中で安穏と生きてきた。
それはこれからも変わらないと、私自身も思っていたもの。
でも、現実は変化した。
変化、してしまった。
「神々は何も……。でも多分、神殿の外でやるべきことがあるんだと思う。それが怖いの。すごく、怖い。……情けないでしょう? 今更でしょう? 巫としては当たり前のお役目が、怖くて堪らないの。死にたくないのよ」
与えられる立場に慣れてしまった心に、鳥籠の外は広すぎて。
飛んでおゆきと言われても、翼は竦んで動かない。
自由が怖い。
自由に付き添う責任が怖い。
開いた扉の一歩先へ進めば、そこからは誰も助けてくれない。
自分の翼を信じられない私は、堕ちていく未来に怯えて動けない。
「死にたくない……卑怯でしょう? 神々にもたくさんの人達にも護られて生きてきたのに。自分は死にたくないの。お役目なんて棄てて、誰の目にも映らないどこか遠くへ逃げ出したいと、本気でそう思っているのよ。私は」
逃げる場所にさえ、心当たりもないのにね。
こんな私じゃ、嫌われても……仕方ない……
「当たり前だよ、そんなの」
「え?」
エルンストの両腕が、私の頭を強く抱えて。
少し、息苦しい。
「僕だって怖いよ。死にたくないよ。誰だって、死にたくはない。そんなの当たり前なんだよ。恥じることじゃない」
「でも」
「良いんだ。怖がっても逃げたいと思っても、耳を塞いでうつむいていても良いんだ。それは、命あるものすべてが持つ本能だ。卑怯なんかじゃない。本当の卑怯っていうのは、恐怖や絶望に負けて自ら命を絶つことだ。君は、そういう逃げ方を選ぶのか?」
自分で命を絶つなんて、考えてもいなかった。
ただ怖くて。死にたくなくて。
そんな、ずるくて醜い私自身が、すごく、嫌で……
「嫌われるかと、思ったわ」
「何故?」
「私は人間と神々を繋ぐ巫で、貴方は神々に仕える騎士で、だから」
後頭部をさわさわと撫でられる感触がする。
変なの。
涙で顔がぐしゃぐしゃだったり、女神の威厳を損なう言動をしてたり。
誰かに見られたら絶対に怒られる状態なのに。
くすぐったいとか気持ち良いとか、そんなことをのんきに考えてる。
「そう簡単に嫌いになれるなら、友達なんてしてないよ」
「……友達でいてくれるの?」
腕を離して微笑むのは、言葉で答えない代わり?
「とりあえず、自室で落ち着こうか。君がそんな顔でうろうろしてたら皆が驚いてしまうからね」
「……ええ。そうね」
今度は私が、エルンストの一歩後ろを付いて行く。
少しだけ冷静になれた気がするのは、嫌われなかったから?
「エルンスト」
「ん?」
「ありがとう」
「うん」
怖い。物凄く、怖い。
巫として、女神として、私は何をすれば良いのだろう。
神々は、解放した私に、何をさせようとしてるんだろう。
人間が私に期待してるものを背負い切れる自信は、まったく無いけど……
「明日、もう一度、ちゃんとお尋ねしなきゃ」
とはいえ。
たっぷり半日が残った状態で部屋に籠るのも、地味に大変で。
出て行くのも嫌で、引き籠るのも嫌、だなんて。
どこまで我がままなのかしらね、私は。
しばらくはベッドの上で横になってたけど。
夕方頃ならともかく、昼間の明るい時間帯はどうしても寝つけない。
いつもだったら、正門付近の林に紛れ込んで村の人達の噂話を聴きながらのんびりと日光浴してる頃。
敷地の外へは、まだ、行けそうもない。
せめて、神々のご指示が下るまでは、このままが良い。
その後は、覚悟を決めるから。
きっと頑張るから。
せめて、もう少しだけ……
「…………? 何かしら?」
中庭から賑やかな気配を感じる。
ざわめき?
音楽?
窓ガラスから外を覗いて、噴水の周りに人集りを見つけた。
あのお客様三人が、揃って何かをしてるみたい。
窓を押し開いてみたら、賑わいがより鮮明になって押し寄せてきた。
やっぱり、音楽だ。
楽器を奏でているのは、ウェルスさん。
歌っているのは、コーネリアさん。
風に掻き消されそうではあるけど。
遠く離れたここまで言葉として届けるなんて、すごい声量。
ホリードさんは……何をしてるんだろう?
剣? を、振り回してる?
あ、そうか。
これ、剣の舞ね。
騎士達が時々見せる演舞とは違うけど、音に合わせて踊ってるんだわ。
太陽の光が髪と剣にキラキラ、チカチカと反射して眩しい。
耳を澄ませば微かに聴こえる歌の内容は、若者の旅について。
とある少年が研鑽を積んで騎士となり。
たくましく成長した頃に、神々の祝福を受けて聖なる剣を賜った。
少年は、剣を片手に魔王を討つ旅へと身を投じ……
『魔王退治って、いつ終わるのかも判らないお使いへ』
……この歌、ホリードさんの過去だ。
ホリードさんは神々の祝福を授かった人間なの!?
コーネリアさんはホリードさんの名前を直接語らず。
ただただ、過去の出来事を高く低く歌い上げる。
悪魔に、自然に、時には人間に仕掛けられた残酷な裏切りと。
容赦なく襲いかかる死の恐怖。
そんな中でくり返す、出会いと別れ。
私と変わらない年齢の人達が、想像を絶する辛酸を嘗めて。
それでも、あんな風に笑っていられるというの?
仲が良いとか友達とか、そんなんじゃ全然足りない。
あの人達は、命を懸けた信頼で結び付いているんだわ。
でなければ、こんな……
「…………っ」
どれだけ怖かったのかな?
突然与えられた使命の重さに、苦悩が無かったとは思えない。
エルンストも言ってたじゃない。
誰だって死にたくないって。怖いのは当たり前だって。
なら、どうしてあの人達は、私と違って笑っていられるの?
三人集まっているから?
一人じゃ怖くても、三人で居れば大丈夫なの?
……いいえ、少年は最初一人だったと歌ってる。
ホリードさんは、一人きりで世界へと踏み出した。
その途中で三人になったのなら、複数人だからでは説明がつかない。
他の理由…………
『笑って!』
……………………嘘、でしょ?
『ごほうびという結果を先に呈示して』
まさか……
……誰かの……笑顔の、ため……?
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