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逆さの砂時計

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忘却のレチタティーボ 5

 誰かが泣いてる。とても悲しい声で、ずっと謝ってる。無力さを嘆くように、自分を責めて、悔いて。
 「……何故、泣いているのですか?」
 使われなくなった教会の前。閉ざされ、百合の花が絶え間無く毎日積まれて行く場所。
 其処には誰も居ない。人間の目にも耳にも無人の空間へ、長い白金の髪をふわりと風に流した女性が語り掛ける。
 「お前……」
 女性の耳にだけ聴こえる男性の声が、女性に敵意を表した。気配でそれを感じる。憎悪と嫌悪と……少しの後悔が混じる声。
 「どうして、だと? こんな不完全な封印にしたお前の所為だ! 何故、信徒が居なくなれば弛む結界なんかにした!? お前ならもっと強固で完璧な仕組みを作れた筈なのに……その所為で俺は余計な感情を知ったんじゃないか!!」

 世界なんかに興味は無い。争い? 勝手にやってくれ。封印? 好きにしろ。俺はもう、面倒臭いのはお断りだ。
 そうして眠りに落ちて、気付けば現代で意識だけが解放されていた。同じ場所で眠っていた女悪魔は嬉しそうに餌を探していたが、どうでもいい事だ。人間に用は無いし、悪魔が奴等をどうこうしたって関係無いんだよ。

 ……あの子供はどうして毎日来るんだ? 晴れても雲りでも雨でも雪が降っても。雷が鳴っても嵐が来ても、体調が悪くても。教会が閉じられた後まで、飽きもせずに同じ願い事ばかり。白百合は信仰の象徴の一つだからまだ解るが、毎日通った所でそんな願いを女神が叶える訳もないだろうに。

 ……また親に叱られたのか。鈍臭い子供だな。学友にも苛められてるのか。情けない奴だ。何もできない? そうだろうな。見るからに莫迦っぽいし、子供の域を出たら世辞の一つも貰えなさそうだ。一人で泣き喚いて、それでどうにかなると思ってるのか。建設的な発想が欠片も出て来ない幼稚な思考じゃ、褒められる筈もないだろう。つくづく愚鈍だな。
 そもそも方向性が間違ってるんだよお前。神頼みに勤しむくらいなら、なんでもっと他人と接しようとか考えないんだ? 一人で解決できる物なんか、お前らの世界では限られてるだろうが。何処に向かうにしろ、教えも乞わずに成長できるのは一部の突き抜けた有能な奴だけだ。人間が何の為に集団生活の知恵を得たのか考えてもみろよ。まずは其処から見直せっての。

 阿呆だな……。自分がどんな立ち位置に居るのか解ってるなら、対処方法だって本当は解ってる筈だろう。そんなに人間が恐いのか。其処まで他人が信用できないのか。
 いや……信用できないのはお前自身か。それもそうだろうな。お前は誰かの結果を見るばかりで、その人間の努力を見逃し続けたんだ。お前が誰の現実にも目を向けなかった分だけ、誰もお前に興味を示してない。一人きりで得られる自信なんかありはしないんだよ。もっと早く素直に、何もできないままでも誰かに手を伸ばすべきだった。助けを求めるべきだったんだ。一人じゃ何もできないのは他の奴等も同じだって……気付けよ。莫迦。

 ……しょうがない奴……。其処まで神経を擦り減らしてもまだ、皆が仲良くーとかお花畑な事を祈り続けるのか。たった一人で膝を抱えて、それでなんになるんだよ。もう充分だろう? 止めてしまえ。誰もお前の願いなんて聞いたりしない。無駄なんだよ。諦めろよ。

 ……真性の莫迦だ。捻れて捻れて、目的も手段も見失ってやがる。それでも祈りは欠かさないとか、本当に莫迦だ。こんな莫迦は見た事が無い。
 ああ……こんな下らない奴、誰も知らないだろう。下らなくて、情けなくて、寂しくて……底抜けに一生懸命な、一人ぼっちの可愛い莫迦娘。
 仕方ないから、せめて俺くらいは見ててやるよ。凡人共が諦めて朽ちた道を選んだ、凡人以下の健気な愚か者。頑張れるだけ頑張れば良い。傍に居てやるから。

 ……友達? 悪魔憑きの兎が友達、ねぇ……。いや、良いけど。
 まぁ……お前の影響なんだろうな。それも悪くない、とか思うのは……。

 「解ける物ならいっそ全部解ければ良かったのに! なんなんだよ!? なんで、こんな中途半端な仕掛けにしたんだよ! 目覚めなければ何も知らずに済んだのに! 実体さえ有ればステラを救えたのに!!」
 ステラ……ステラ……。
 ごめん……護れなくてごめんな……。
 傍に居たのに。
 ずっと傍に居たのに。
 何もできなかった。俺だけが助けられた筈なのに。
 俺にしか助けられなかったのに……っ!

 ……誰かが泣いてる。見えない涙をぼろぼろと絶えず流して、ひたすら謝ってる。女性は静かにそれを見る。見えない相手を見つめて
 「それでもまだ、その子を護りたいですか?」
 「……どういう意味だ」
 「護りたいと願うなら、貴方の封印を総て解除します。但し、私の願いも一つだけ叶えて欲しい」
 女性は教会前に積まれた百合から一番新しい一輪を手に取り、香りを確かめるように白い花弁を口元に寄せる。
 「お前が悪魔と契約? 何の冗談だ」
 「契約が嫌なら、約束でも構いません。内容が不釣り合いと言うのなら……そうですね。一度だけ、貴方の求めに応じます。その時の私がどんな状態でも、この世界に居る限り、必ず貴方の声の元に跳んで来る仕掛けを施しましょう。その時にも私が記憶を失ったままなら、貴方の力でこの約束を思い出させて。記憶の奏者……忘却のルグレット」
 「……お前の願いは、記憶を捨てたいって事か」
 手に持った百合を胸に抱いて、目蓋を伏せる。薄緑色の瞳が憂いに翳った。
 「私はこれから、ある場所に行って自らの記憶と体の時間を幼少の頃に戻します。でも、それだけでは足りない。私では私の力を今以上に抑えられない。無駄だと判ってはいるけれど……別人になれば、可能性は生まれるから」
 「何の?」
 「私の存在の消滅」
 男性の声が一瞬、戸惑った。
 「……はっ……! 世界を跳び回って悪魔を駆逐し、人間共を従えたかと思えば、今度は自殺願望か。お前の考える事はさっぱり解らんな。だが、死んだら約束の果たしようがない。下らない提案だな」
 「それでも貴方は、この子を護る為の実体を取り戻せる」
 「……」
 ステラ……。あれからも毎日教会に来ては祈って、愚痴を溢しながらずっと一人で座ってる。来ないスイを探して、待って、泣いてる。学院卒業間近なのに、仕事探しも上手くいってないらしい。残っているのは、初めから能力不足だと諦めて足を向けなかった各役所と書蔵館くらいだ。全滅したら確実に落ち込むだろうな。
 「……分かった。約束しよう」
 男性の声を受けて、女性が百合を空に掲げる。
 薄緑色の大きな丸い光が女性の頭上にふわりと浮かんで……ぽろぽろと剥がれて消えた。
 中から現れたのは、真っ直ぐ長い銀髪で全身を覆って膝を抱えてる男性。
 「貴方を封印前に戻します。目覚めなさい、ルグレット」
 男性の声の気配が消えて。代わりに光の中から現れた男性が、氷色の目をゆっくり開いた。髪をさらりと払い、女性の背後から数歩離れた場所に降り立つ。
 「……手を」
 男性に振り向いた女性が真っ白な長衣の袖を揺らして、手を伸ばす。男性は黙って自らの手を重ね……次の瞬間、見える景色が山奥の廃墟と化した石造りの神殿に変わった。
 「此処は?」
 「女神が名乗りを上げた最初の地。愚かな私が道を誤った起点。……お願いします、ルグレット」
 薄緑色の光が女性の全身を包む。緩やかだった膝裏まで伸びる髪が、耳後ろまで縮む。面立ちも体つきも幼くなって……開いた瞳には、疑問が浮かび上がった。
 「……え? あ、あれ? 私今、畑仕事してたわよね? 道具は何処? また意地悪された?」
 畑仕事? 意地悪された?
 少女は不思議そうに辺りをキョロキョロと見渡して、目の前の男性に首を傾げた。
 「あの、貴方……レゾ……じゃないわよね、さすがに」
 さっきまでのアイツとはまるで違うな。言動の端々が微妙に引っ掛かるが……どうでもいい事だ。
 「忘れてしまえ。全部」
 「え?」
 男性の左手が少女の額を覆う。白い光が少女の瞳に反射して弾けた。少女の両腕がだらりと落ちて、瞳から意思が消える。
 「……拾ってくれとは言わなかったからな」
 自殺願望があるなら、恐らく放置されたいんだろう。何かに絶望したのか、単に人間として死にたくなったのかは知らないが。
 「自由にするがいいさ。俺はステラさえ護れれば、他の奴なんかどうでもいいんだ」
 あんな思いは二度と味わいたくない。護れないのはもう嫌だ。
 ステラ。君が迷い続ける道を一緒に歩こう。君は自分を信じられない莫迦な迷子。俺が見ててやるから。ずっと見ててやるから。自分の足で出口を探すんだ。迷路の中だとしても、その道を歩いた事自体がいつか君に力をくれる。君自身を作り、君自身の生きる力に変わるから。歩き方を忘れたら少しだけ教えてやるから。……ステラ。
 どうか、生きて。
 「じゃあな」
 棒立ちになった少女を神殿に置き去りにして、男性は山奥から跳び去る。
 街へ戻り、髪をバッサリ切り落として関係書類を偽造し、人間の振りで書蔵館に職を持った。
 入所試験で最高点を叩き出した結果与えられた特権を利用し、敢えて人が少ない部所に席を置いて適当に人事異動させる。
 そうして入所試験に訪れた私をそれとなく迎え入れて……そうだ。仕事に対する姿勢を丁寧に見せて、丹念に教えてくれたのは……貴方だった。
 初歩的な失敗を繰り返しても決して怒鳴ったり呆れたりせず、投げ出したりもしないで、こうあれと手本を見せ続けてくれた。
 貴方が仕事に厳しかったのは、私を導く為。
 私が仕事に誇りを持てるように。自分でやり遂げる事で自信を得られるように。
 甘やかしたり突き離したりせず、ただじっと見守ってくれてた。
 ずっと……見ててくれたんだ……。


 ……でもこれは……甘やかしてるのと変わらないでしょ……室長さまー……。
 ん……? なんだろ……。声が出る……目も開けそ……って……
 うわぁあ……きれぇー……。薄い緑色の光が、雪みたいにふわふわ降ってるー……。
 ところで、今の夢に出て来たらしい白金色の絶世の美女さん……。貴女、創造神アリア様の肖像にそっくりですねー……。大人に戻ってるしー……。
 「そんなに良いものではないわ」
 いやいや……ふわんって笑ってると魅力数値が跳ね上がりますよー。貴女みたいな綺麗な人間になりたかったなぁ……。
 「私には、貴女こそ羨ましい」
 へ……? どうして……?
 「私には二度と触れられないものを、貴女は持っているから」
 何を見てるの……?
 あ……クロスツェルさんと黒い人……? さっきの足音、あの二人だったんだ……。並んでる所を見ると、あの二人も知り合いなんだねぇ……世界は狭いや……。
 「そうね。こんなに狭いのに……どうして私達は争うばかりで、手を取り合う事もできないのかしらね」
 手を、取りたいの……? 世界の……? あの二人の……?
 「さぁ……どうかしら? もう、私にもはっきり答えられないわ」
 ……あぁ……そんな寂しそうに笑ってたら、さすがにわかりますって……情報だけは耳年増なんですから私……。
 「ふふ……。なら、私の想いは貴女が知っていて。私にはもう、答えを探す余裕が無いから」
 良いですけど、いずれ向き合う事になると思いますよー……。ほら、石みたいに固まってるあの二人、貴女しか見てないもの……。
 「……諦めが悪いのは、私なのかしら? あの二人なのかしら?」
 両方じゃないですかね……よくわからないけど……。
 「そうね。きっと、そうなのでしょうね。……ありがとう、ステラ。友達を大切にね。あなたの為に泣いてくれる存在を、忘れては駄目よ」
 忘れない。絶対忘れないよ。
 「さぁ、本当の目を開いて。残りは少ないけれど……他の誰でもない、貴女自身の時間を生きて。誰に惑わされる事もなく、貴女の道を探しなさい。貴女の願いは、貴女にしか叶えられないのだから。迷った時は……」
 うん。解ってる。私はもう大丈夫。全部教えてくれた友達がいるから。大丈夫です。ありがとう……アリア様……で、良いのかな?
 「見えるままで構わないわ。本当の私は名無しだったし」
 ……なら、自分がなりたい名前で良いんじゃないですかね?
 「……ふふ。貴女のそういう所が羨ましいのよ、ステラ」
 あ。待って。結局、名前……は……


 ……なんだろう? 体が温かい。
 あぁ、スイだ。私の白もふ……
 あったかい……なぁ……

 
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